ハードボイルド美少女桃太郎   作:島ハブ

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第8話

 

 

 

 

 

 躰を起こした。

 痛みはほぼない。魅志磨は上着を(はだ)けて、晒を解いた。数日前まで生々しかった痣は、色褪せてただの黒い跡のようになっていた。逸葛が購ってきた塗り薬がよく効いたようだ。

 酒を掌で掬い、痣に塗りたくった。それが乾いた頃に塗り薬を使う。どういう効能があるのかは知らない。このやり方が良いと言ったのも逸葛だった。

 その逸葛は今、食料を調達がてら猿の領地を探っている筈だ。無駄な手間だと思ったが、魅志磨は止めなかった。

 街道から逸れた丘の上にある無人の小屋が、魅志磨と逸葛のここ数日の寝床だった。掘立小屋同然のみすぼらしい造りだが、食料と酒、それから薪を運び込むことで朝晩の寒さもなんとか凌ぐことはできた。小さいが、囲炉裏もある。

 銭には余裕があったが宿屋へ泊まるのは避けた。商売人同士の付き合いは下手に隠密を用いるよりもよっぽど優れた情報網になる。役人の捕り方などどうとでもなるが、柴の娘と戌童が来れば面倒だ。

 いずれは、斬り合うことになる。二人とも斬るのは無理だろう。死ぬだろうな、という気持ちは頭の片隅にいつも揺蕩っている。

 死自体に恐怖はなかった。剣の先には、常に死がある。

 

「ただいま戻りました」

 

 戸を閉めた逸葛が、ちらりと魅志磨の脇腹に目をやった。

 

「随分、良くなったようですな」

 

「柴の娘の傷ももう癒えただろうな。渾身の斬撃だったが、浅傷にしかならなかった」

 

「魅志磨様は浅傷すらも受けておられませぬ」

 

「そうだな」

 

 魅志磨は着物を着直し、それから立ち上がって引き戸へ手をかけた。外を見る。日差しが強いが、風はまだ肌寒く砂埃を立てていた。灌木が並び、その向こうには林がある。そちらへ一度目をやってから、ゆっくりと戸を閉めた。

 

「魅志磨様?」

 

「いや、大したことはなかった」

 

「はあ」

 

「それより、腹が減ったな」

 

 逸葛は頷いて、囲炉裏の燠火に薪を足した。餅を買ってきたようだ。火の傍に平たい石を置き、餅をその上へ乗せている。

 

「猿の領地はどうだった?」

 

「あまり良くありませんな。当代は些か資質に欠けるようです」

 

「非才なのか?」

 

「商売人としては中々のものでしょう。堅実な手腕で、代替わりしてからも商いは好調なようですから。欠けた資質というのは、人の上に立ち従わせる才です」

 

 逸葛が餅をひっくり返した。裏側はいい狐色になっている。

 

「新しい試みを嫌うようです。とにかく前例通りの形に固執し、人足らの揉め事などにも杓子定規な対応を繰り返す。そういう男に使われるというのが、水運を支える益荒男どもには耐えられんのでしょうな。人望は離れつつあります。代わりにやくざ者などに支持が集まる有様で」

 

「それでは、猿の一族は落ち目か」

 

「ところがそうとも言えぬのです。猿の長男が父に似ぬ快男児なのですよ。桟橋までやってきて荷下ろしを手伝ったり、舟について知識を求めたりする。武芸もやるようで、それなりの腕前だとか。船頭や水夫らはこの長男坊が可愛くて仕方がないようですな。しかし、これを快く思わぬ者もいます」

 

「やくざ者だな」

 

 猿の一族の求心力が落ちれば落ちるほど、やくざ者たちが影響力を持ち込める隙が多くなる。落ち目の猿を尻目に勢力を拡大しようとした連中にとって、その長男坊は目の上のたんこぶだろう。

 

「猩々一家という特に荒っぽい連中が、数日前に強硬手段に出たようです。因縁を付け、申というその長男を袋叩きにしようとしたのですよ。ところがそこに、柴の娘が居合わせたようで」

 

「ほう。何人死んだ?」

 

「一人も。刀を抜かせることすらできぬまま、折れた棹だけで打ち倒されたそうです」

 

「運が良いじゃないか。あの延寿国村なら、やくざ者の十や二十は軽く斬り捨てたろうに」

 

「そう考えるのはあの娘を知っているからでしょう。巷では、小娘一人に猩々一家が無様を晒したとしか思われませぬ。今頃、連中は腸が煮えくり返っているでしょう」

 

「猫でもいたぶるつもりでいたらたまたま虎が居合わせた。命があっただけましと思うしかないがな」

 

「面子で渡世を送る稼業です。そうもいきますまい」

 

「お前、まさかやくざ者を上手く使おうというのではあるまいな」

 

「一つの駒ではあると思います」

 

「懲りぬやつだ。屍が増えるだけだぞ」

 

「しかし」

 

「それより、もう焼けたんじゃないか?」

 

 魅志磨が指差すと、いかにも不服といった表情のまま逸葛は餅を確かめ、軽く塩を振った。

 本当は、魅志磨と柴の娘を戦わせたくはないのだろう。心根には優しさを持っている男だ。隠密をこなすには向かない性質だが、なまじ高い技量があった故に今日まで生き延びた。その過程では色々な物事を見聞きした筈だ。

 斬るか斬られるか。そういった関係になったのも巡り合わせだと魅志磨は思っているが、逸葛にすれば厭わしいことなのだろう。

 逸葛が差し出した餅を受け取り、二、三度宙に放ってから囲炉裏の縁に置いた。

 

「食べぬのですか?」

 

「餅は腹に溜まる。動く前に食いたくはないな」

 

 魅志磨は刀を取り、帯に差し込んだ。

 

「お前ほどの男が尾行(つけ)られるとは、よほど油断したな」

 

「なんですと」

 

 逸葛が飛び上がり、透かし見るかのように戸を強く睨みつけた。

 

「雉の一族でしょうか?柴の娘の近くにそれらしい者がおりましたが」

 

「違うな。それならば柴の娘が自ら来る筈だ。今集まっているのはもっとくだらない手合いだ」

 

「集まっている、といいますと」

 

「十人ほどかな」

 

 逸葛が戻ってきた時点で怪しい気配はあった。小物だろうと捨て置いたが、仲間がいたようだ。

 逸葛が小刀を抜こうするのを、魅志磨は手で制した。

 

「下がっていろ。くだらないが、そこそこ遣える」

 

「私の不始末です。私の手で」

 

「足手まといだ。それに、連中の目当ては恐らく俺だろう」

 

 外に出た。風景はなにも変わらないが、獣が潜んでいるような気配はいくつもある。

 灌木が揺れて、気配の一つが姿を現した。茶縞の袷に編笠を被り、背に大きめの行李を負った男。街道を行く行商のような(なり)だが、足捌きは常人のものではなかった。跡はなく、足音も消えている。

 

「鬼の一族の魅志磨だな」

 

「今のところ、行商から購う物などないのだがな」

 

「族長から預かっている物がある筈だ。それを渡せ」

 

「なんだ、ただの薄汚い追い剥ぎか」

 

「聞いた通り、威勢はいいな。しかし」

 

 茂みの向こうにある気配が、魅志磨を囲むようにゆっくりと移動していた。あえて気付かせているのだろう。男が楽しそうに口元を歪めた。

 

「賢い選択をするべきだぞ。我々は敵じゃない」

 

「敵かどうかは俺が決めるさ。今はただの追い剥ぎだな」

 

「柴とかいう老爺を追い落としたいのだろう?そのことについて、我々は目的を共有できる」

 

「追い剥ぎと協力しようという気にはならん」

 

「我々は朝廷の臣だ」

 

 魅志磨は男の顔を窺った。編笠で上半分は見えず、口元は変わらず歪んでいる。しかし、詐術のような気配もない。そして、魅志磨が族長から書状を託されたことを知っている。恐らくはその内容までも。

 

「わからんな。柴も朝廷の臣だろう」

 

「あのような者の降伏を受け入れるべきではなかった。貴き方々はそうお考えだ」

 

「ならば力ずくで滅ぼせばよい。それが朝廷のやり方だった筈だ」

 

「そうもいかぬ。一度降伏した者を瑕疵なく攻めれば沽券に障る」

 

 今度は気配が揺れた。言葉の中に、まやかしを混ぜたのだろう。

 柴を疎んでいる者がいるというのはありそうなことだった。恭順こそしたものの、朝廷の影響力が果島の地に入り込むことは巧妙に避けてきた。少なくとも、今まではそうだったのだ。

 柴を味方とする者も、またいるのだろう。

 朝廷の中でも権勢争いがあり、この男たちと柴が対立する陣営に属している。果島の地の扱いが一つの争点になっていて、男たちの陣営は柴を排除することで主張を強めようとしている。考えられるのはそんなところだろうか。

 

「くだらんな、やはり」

 

「なに?」

 

「いや、こちらの話だ。それで?」

 

「お前が預かった物があれば、柴を滅ぼす大義名分になると我々は考えている」

 

「さて、知らんな。俺が祖父から預かったのはごく私的な恋文だ。昔馴染みの老婆を口説くらしい」

 

「見せてもらおうか」

 

「年甲斐もない身内の恥さ。晒すのは躊躇われるな」

 

「無駄に命を散らすこともあるまい。賢く、選ぶのだ」

 

 男が凄んだ。魅志磨は笑って、男へ向かって一歩踏み出そうとした。

 何かが飛んできた。屈んで、そのまま後ろへ跳んだ。短刀。先ほどまで魅志磨がいた場所に突き立っている。

 左右から斬撃がきた。躱す。左手側から更に二人が躍り出て、短刀を撃った。刀を抜く隙がなかった。駆け抜けることはできるが、あまり距離を離せば連中は逸葛を狙うだろう。

 一人を体当たりで弾き飛ばす。刀。柄に手をかけたところで、目の前の男が跳躍した。好機に見えたが、魅志磨は転がることで躱した。小刀が頭上を際どく通り過ぎていく。大がかりな動作の割に男の跳躍は一尺五寸ほどしかない。低い姿勢から低い跳躍、そして小刀。どこまでも幻惑してくる、隠密の剣だった。

 

「殺せ。荷の在り処は爺に吐かせれば良い」

 

 行商風の男が指示を飛ばしている。連携が一層激しくなった。

 どこで刀を抜けるか。一太刀浴びる覚悟をすれば抜けるだろうが、隠密の剣ならば毒もあり得た。死を恐れるつもりはないが、相討ちするにはあまりにもつまらない相手だ。

 斬撃。躱した先に、短刀が飛んでくる。甘い投擲が一本あった。

 考えることもなく、手を伸ばした。

 空中で掴んだ短刀を、そのまま行商風の男へ投げた。男が仰け反り、倒れ込むようにして躱した。連携が一瞬綻ぶ。男が立ち上がった時、魅志磨はもう刀を抜いていた。

 

「殺せっ。膾斬りに」

 

 叫んだ男が息を呑んだ。飛びかかってきた二人を、魅志磨は一太刀で両断していた。

 横の三人が跳躍する。魅志磨は正眼に構えたまま、ただ踏み込んだ。正面の男は、自ら刃に飛び込んだようなものだった。前に出ることで左右の剣を躱し、貫かれたままの男の屍体を足蹴にして刀を引き抜いた。跳躍。魅志磨の刀の方が長く、速かった。血を撒き散らしながら二つの屍体が地に落ちた。

 人数以上に圧力が半減していた。下段に構える。硬直は一瞬だった。跳ぼうとした一人を股から頭頂まで斬り上げる。下段に構え直した時、屍体はほぼ真っ二つになっていた。

 残った男たちが凍りついた。

 

「まて、魅志磨。我々は」

 

「ただの追い剥ぎさ」

 

「朝廷の」

 

 踏み込む。行商風の男の頸が、宙を舞った。踵を返そうとした二人を一息に斬り倒す。残った一人へ逸葛が飛びかかるのが視界の隅に見えた。

 

「機を見たな、逸葛」

 

「万が一にも魅志磨様の剣に巻き込まれれば、この老体なぞ塵芥のようなものでしょうからな。申し訳ありませぬが、様子を見させて頂きました」

 

「殺したか?」

 

「いえ。いくつか尋ねてみようと思います。大したことは知らぬのでしょうが」

 

「ほどほどにしてやれ。今の俺たちにとって、情報を得ることなどそこまでの意味はない」

 

 血を払う。無銘だが、初めて手に取った時からしっくりと馴染む刀だった。

 鬼の族長に連なる血筋として、名刀を求めようと思えばいくらでもできただろう。実際に師は名のある刀を差料にしている。それでもこの刀を使い続けたのは、直観でしかない。

 命を預けるならば、名声よりも直観に預けていたかった。

 

「ご当主様から預かった物とは、いったい何なのです?」

 

 取り押さえた男へ小刀を振るいながら逸葛が言った。脚の腱を断たれた男が、低い呻きを洩らしている。

 

「恋文さ」

 

「柴に関連する物であるようなことを、連中は言っておりました」

 

「何者かに誤った情報を掴まされたのだろう」

 

「朝廷の隠密がそんな下手を踏むでしょうか?」

 

「こいつらはただの追い剥ぎだ、逸葛」

 

「無理な言い分ですな、それは」

 

 答えずに、魅志磨は小屋へ足を向けた。刀はいくらか手入れをしたやった方が良い。

 不意に男の気が膨れあがり、逸葛が飛び退った。魅志磨はため息を吐いて戸を潜った。男の気は外ではなく、内に向いていた。自ら舌を噛み千切ったのが魅志磨にははっきりとわかった。

 小屋の中は何事もなかったかのように閑寂としていた。囲炉裏の薪だけがちりちりと静かな音を立てている。

 逸葛が入ってきて、囲炉裏の灰を軽く掻き回した。

 

「餅が冷えましたな」

 

「奴は死んだか?」

 

「舌を噛んで自害しておりました。使命に殉じたのでしょう。これでもまだ、追い剥ぎと言われますか?」

 

「ああ」

 

「酷なことを言われます」

 

「仕方あるまい」

 

「ご当主様はまだ、柴を信じておられるのでしょうか?」

 

 魅志磨は目を閉じた。逸葛が餅を掴み、再び火に翳す気配がした。

 救えない。そう思うしかなかった。祖父も、柴も、柴の娘も、そして果島の地も。

 魅志磨は剣しか知らなかった。そして剣は、救えない者を死なせてやる力しかない。

 

「柴の娘を見に行ったのだろう、逸葛。お前があのような隠密に尾行(つけ)られるほど気を取られたとなれば、他には思いつかん」

 

「私は」

 

「悪いことは言わん。止めておけ、お前のためにも」

 

「必ず、柴の娘を斬る方策を考えます」

 

「もうよい。時がくれば勝手に斬り合うさ。それより、餅をくれないか」

 

「魅志磨様が勝ちます。勝って、生き延びられる。私にはその光景がはっきりと見えます」

 

 渡された餅は熱くなっていた。構わず口に入れ、徳利から酒を呷った。胃の中の熱がはっきりと感じられる。逸葛が小さな紙の包みを開いて、こちらに寄越した。塩。摘んだ分だけ舐め、また酒を呷った。

 もう一つ餅を食べると、躰は満ち足りたような感じになった。酒だけは、いくらでも入っていく。

 囲炉裏に手を翳した。火の陰影に縁取られた手は、自分のものでないように生々しく存在していた。皮膚を透き通るように見える赤色が火なのか、それとも血なのかさえ定かではない。

 

「屍体を片付けてきます」

 

 逸葛が腰をあげた。

 魅志磨はもう一度酒を呷り、束の間脇腹の痣に触れた。それから立ち上がり、外へ出た。逸葛を手伝ってやらねばならない。

 舌を噛み千切った男以外は、およそ人間らしい形をしていなかった。ちょっと頭を掻いてから、魅志磨は穴を掘る道具を探し始めた。

 

 

 

 

 

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