小鳥が囀り新しい時間の到来を告げる。
ジョギングをする者、店の開店準備をする者。
それぞれの時間があり、私自身も自らの世界で時間を過ごす。
乱暴に置かれたコップ。
そこには黒々としたコーヒーが注がれている。
ゆっくりとツマミを掴みながら持ち上げた。
そうして香りを嗅げば、嗅ぎなれた匂いが湯気と共に鼻腔を擽る。
「……良い香りだ……これはコロンビア産かな」
「インスタントだ馬鹿野郎」
「そうか。コロンビア産のインスタントか……のど越しが爽やかで、風味が良い……パーフェクトだ」
「……ッチ」
行きつけの喫茶店にはまだ誰も人はいない。
正確に言うのであれば、私以外に常連はいない。
それもその筈だが、このハゲは不愛想であり客に対して最低なものしか提供しない。
唯一の良心は、その最低な品々は腹に溜まり物凄く安い事だろう。
このコーヒー1杯も新エリー都の中では最安値であり、店で買うインスタントよりも安い。
たった三十ディニーだからこそ、私は此処を利用している。
せめて、もう少し愛想が良くて店も目立つ所に立っていればもっと客はいただろう。
“赤牙組”との一件の所為もあるが……まぁそれはもう解決した。
私が平和的交渉で解決したから彼らが因縁をつけて来る事も無い。
客は全くいなくとも、私がこの店をひいきにしている限りは潰れる事も無い。
何故ならば、この店主は表向きは喫茶店の店主であるが、こう見えても“情報屋”をしている。
腕利きと言うほどではないが、私のようなプロキシも名乗れないような人間にとっては有益な仕事を紹介してくれる。
そう、私はプロキシではない――“
「……カズ。仕事が入った……囚われた姫の救出だ」
「詳しく聞こうか」
「……三日前、とある資産家の娘が誘拐された。要求はその資産家の保有する土地を今すぐに売却するようにってもんだ……妙だと思わないか? 金じゃなく土地を売却しろってのは……まだ確定した訳じゃないが。この件には企業が関わっている。それも、その土地を狙っている企業がだ。その土地について調べてみたが、これといって何の特徴も無い土地だ……が、この土地を狙っている企業がある。詳しい事はお前の端末に送る。何か聞きたい事があれば端末で連絡しろ」
「……ふふ、今日も忙しいのか?」
「……うるせぇよ。父親ってのは暇な時がねぇんだ」
ハゲはそう言いながら赤面する。
何処にも需要は無いので記憶の中から早々に削除し。
私はその依頼を受ける事を伝えて、ディニーをカウンターに置きその場から去る。
「娘さんに伝えてくれ。この前のクッキーありがとうと」
「――ッ!? てめ! 何時娘から貰った!! おい!!」
私は笑みを浮かべながら店から出る。
中から騒いでいるハゲの声が聞こえるが無視。
そのまま道を歩きながら、私は家を目指した。
「……ほぉ、気づいたか」
端末が震えている。
連絡をしてきたのは私の助手ボンプである“アンジェラ”だった。
すぐに繋げば彼女から話しかけて来た。
《カズ・コヒーレント様……新たな仕事が入ったのですね?》
「あぁそうだ。今回も少々危険が伴うだろう……無理をさせて申し訳な」
《――承知致しました。我が剣でもってコヒーレント様の道を阻む愚者を断罪してみせましょう》
「……くれぐれも荒事は控えてくれ。我々はあくまで交渉人だ。暴力は最後の手であると心得るように……ふりではない」
《あぁ何と慈悲深い……分かりました。私はコヒーレント様の駒。貴方が願うままに私はこの身を》
ぶちりと通話を切る。
そうして、私は静かに息を吐いた。
どうもこの助手ボンプは他のボンプと違って様子がおかしい。
いや、優秀ではある。それも超がつくほどに優秀で、彼女は事戦闘においては他に引けを取らない。
それどころか腕の立つ兵士数人を相手にしても余裕で勝てるほどには強い。
だが、彼女はボンプらしくンナンナなどとは一度も話した事が無い。
最初に会った時から女性らしい声で流暢に喋っている。
彼女と出会う前までの私は交渉人としては未熟だった。
ボンプを買える余裕だって当時は無かった。
偶々、ボロボロのボンプが家の前で倒れていたのを見つけて。
それを修理してやれば、彼女は私を主だと決めつけて従うようになった。
そこからが人生の転機であり……いや、何でこうなったのか。
細々と食いつないで行こうと思っていたのにな……はぁ。
最初何て子供同士の喧嘩を仲裁したり浮気した旦那さんに変わって奥さんを説得したり。
交渉人ではあるが、別に危ない交渉には行っていなかった。
その日を過ごせるだけの金を稼いで、家でカップ麺を啜る毎日だったのに。
今ではこういう危ない仕事ばかりを任されてしまっている。
裏社会への伝手も出来上がっていて、最早、ただの交渉人とは呼べなくなっていた。
最近ではインターノットでも噂されており……何だったかな?
“仮面をつけた金髪の赤い人”だったか。
噂に尾ひれがついて三倍の速度でホロウの中を移動していたとか。
念力のようなものでエーテリアスを粉々にしていたとか。
交渉した人間たちは誰であれ地獄へと叩き落とす悪魔だとか。
あろうことか両腕を飛ばして指からビームを出していたとか……人間じゃねぇだろ。
普段は普通にしていたのが功を奏したのか。
一般人として振舞っていれば気づかれる事も無い。
プライベートの時は黒髪でサングラスをしていて、よれよれのシャツにジーパンと。
仮面をつけた貴公子のようないで立ちとはまるで違う。
名が売れ出した時にアンジェラからの提案で変装をし始めたのが良かったな。
彼女は優秀だからこそ、時折、そうやって助言もしてくれる。
だからこそ、多少重い発言をしたとしても解雇しようとは思わない。
私はそんな事を思いながら端末を開いた。
ハゲから貴重な情報が送られており、私はそれを読み進めていく。
資産家の娘の名前はマリー・アントワネット。
年齢は十六歳であり、学校では演劇部に所属。
父親は不動産業を主に営んでおり、最近ではホロウ内の物件を買いあさっているのか……変わりもんだな。
土地の売却を要求したのはホロウレイダーグループの“アンヘル”。
目立った活動としてはホロウ内にあるエーテル資源の強奪に運送トラックを襲撃して荷物の強奪。
盗んでばかりいるようだが、誘拐によって身代金なども集めているようだな。
警察も手を焼いているらしく、捕まえようとしてもリーダーはトカゲの尻尾きりのように逃げ回っている。
組織を潰そうとも、一か月もすれば組織は元通り……おいおい、マジかよ。
複数の土地を売却するように迫っているようだが。
その土地たちの唯一の共通点はホロウ内にあるもので。
それ以外では大きさも推定価値についても大きなばらつきがある。
狙っている企業は五社ほどあり、それぞれに真っ当な理由があると。
その土地が将来、価値あるものになって四倍以上の価値になる。
或いは、その土地の地下層には豊富な資源が眠っているとか。
……まぁあり得る話だ。
だが、どれもこれも賊を雇ってまで成す事かと聞かれれば首を捻ってしまう。
もしもバレれば治安官に掴まり、会社自体も崩壊しかねないだろう。
そんなリスクを追ってまで手に入れたいものかと考えればそうでもない気がする。
恐らく、企業が関わっている事は確かだが……何か裏がありそうだな。
私は端末を取り出す。
そうして、とある人間へと連絡を繋ごうとした。
「……私だ。朱鳶、頼みたい事がある」
《……貴方から掛けて来るなんて珍しいですね……また何か。厄介な事に?》
「あぁまぁそんなところだ……アンヘルがとある資産家の娘を誘拐したと聞いたが」
《……何の事でしょうか》
「あぁいやいい。なら勝手に聞き流してくれ……アンヘルの背後には企業が関わっている。その企業が狙っているのはホロウ内にある価値無き物件たちだ。そこまでは知っているな?」
《……》
朱鳶は黙っている。
私が聞き流せと言ったからか……まぁいい。
「私の見立てでは……そのホロウ内の物件の中に、企業が過去に起こした不祥事が関係しているものがあると考えている」
《……不祥事ですか?》
「あぁ、実は目星をつけた企業の中に私が過去に調べた所があってね。“大聖製薬”という企業が過去に存在していた筈だが、この企業は数十年前にとある製薬の臨床試験中に被験者をエーテリアス化させてしまった事例がある……君も知っているかな?」
《待ってください…………確かに記録にはあります。侵食を抑制する為の抗生物質の臨床試験中に十名の被験者をエーテリアス化させたと……試験は中止され、大聖製薬自体も信用を失い会社は倒産したと書かれています……いや、待って……これは!》
「……どうやら気づいたようだね……後は君に任せる。優秀な君なら、この後の行動も分かるだろう」
《……何が望みですか。今回も借りを作るとでも》
「はは、気にしないでくれ。私は善良な“市民”……そうだろ?」
《……っ。分かりました……絶対に危険な事はしないでください》
「あぁそのつもりだ……では、失礼する」
私はそう言って通話を切る。
優秀な彼女であれば、私が望むべき行動を取ってくれる筈だ。
私はただ彼女に重要な情報と今回の事件において関連する事項を提示しただけだ。
これからどうするかは彼女次第で……さぁ、後は場を整えようか。
私はくつくつと笑いながら道を歩く。
すると、すれ違う母と子は私を怯えた目で見ていた。
途端に恥ずかしくなった私は小走りで歩いて……やべ、うんこ踏んだ。