ヴィジョンコーポレーションが抱える闇。
それを暴く為に調査を開始したのはいいが……。
「……」
前に置かれた見事なつくりの湯飲み。
温かなお茶が注がれており、清潔な店内と菩薩のような顔つきの初老の店主の佇まいといい全てがパーフェクトだ。
“ワフウ”なるテイストの店づくりであり、本来であれば客がいる所を本日は貸し切りにしている。
店主は流れるような手さばきで寿司を握っていき、それを並べて“私たち”に提供する。
色鮮やかな寿司たちであり、合計六貫の寿司だが値段はかなり高めだ。
以前、あの事件が終わって思い出したように孤児院に顔を出した時にニコと遭遇してしまい。
彼のお仲間も一緒にこの店に連れてきてみたが。
あの時はニコの顔が面白い事になっていたなぁ。
『……食べていいの、これ?』
『ニコの親分、何で寿司屋に最高級オイルが?』
『……お代わりを』
過去を思い出しながら、ゆっくりと手を伸ばす。
回らない寿司屋で店主の握る寿司を食べる……美味い。
此処は至って健全な店であり、違法な食材は“表”では一切提供しない。
都市内の一等地に立てられた歴史ある店であり。
我々裏の人間たちがよく使う店という事もあって店側も礼儀を弁えていた。
我々の事を治安局に密告すれば掟により始末されるのは目に見えている。
莫大な利益と引き換えに、此処の店の店主は悪魔に魂を売った。
まぁ私も人の事は言えないがね……さてさて。
隣をチラリと見る。
そこにはパリッとしたスーツを着た女性が座っている。
綺麗なワインレッドのスーツであり、凹凸のある体つきは世の男を魅了するだけの力を持っている。
抗えない。いや、抗う者は皆、彼女のその色香で狂わされるのだろう。
私は常日頃から美女と呼べるような面のいい女たちを見て来たから問題ない。
もしも、彼女がメイド服を着て完璧な所作をマスターしていれば即死だっただろうが……そうだなぁ。
綺麗な所作で寿司を掴み艶めかしい舌遣いでそれらを食べていく彼女。
ヴィジョンコーポレーションについて探りを入れてから三日ほど経過した時。
唐突に私のビジネス用の端末に一件のメッセージが送られてきた。
その送り主の名は“サラ”であり、彼のヴィジョンコーポレーションでパールマンの秘書をしている女だ。
パールマンはヴィジョンの代表であり……そう、彼女は既に勘づいていた。
何故、態々私に接触を図ってきたのかは謎だが。
女性からの誘いを断るのは私の流儀に反する。
だからこそ、私が店のセッティングをし彼女を此処へと招いた。
初めて会った時からどことなく“狐”らしい雰囲気がするんだが……気のせいではないだろう。
長い黒髪に宝石のように綺麗な瞳。
謎めいた雰囲気に危険な香りもほのかにして……うん、会ったことないな。
こんな女性を忘れる事は無い。
だからこそ、整形でもしていない限りは思い出せない筈がない。
私は早々に彼女を記憶バンクから掘り出すのを諦めて。
一人の男としてエスコートする事に専念していた。
彼女は私の何気ない雑談にも対応し、此方の趣味趣向を読み取り合わせてくる。
時折、挟んでくるさりげないボディタッチに加えて計算された顔の角度に頬の染め方……やっぱ狐じゃん。
危ないなぁ。
絶対にこいつからは危ない臭いがプンプンするよぉ。
コロッと騙されでもしたら、骨の髄までしゃぶられるだろうなぁ。
そんな事を呑気に考えていれば、彼女はナプキンで口元を拭う。
「……とても美味しかったです。流石は百年の歴史を持つ老舗でしょうか。ネタの一つ一つが洗練されていて、シャリがまるで雲のように感じました」
「ありがとうございます」
彼女はにこりと笑う。
店主は美人に褒められて顔を赤らめていた……もう騙されてるよぉ。
「……サラさん。今まで疑問に思っていた事を聞いてもいいかな?」
「えぇ美味しいお寿司をご馳走になりましたから。私の答えられる範囲なら何でもお答えします」
「そうですか。なら――今日は勝負下着ですか?」
「――ぶほぉ!」
私のセクハラ発言に店主は噴き出す……いや、違うんだよ。
何も考え無しにセクハラした訳じゃない。
こういう何考えているの分からない奴を相手にする時は、如何に相手の意表を突くかが大事だ。
絶対に相手は私の質問に対して一瞬にして百通り以上の答えを用意している。
内容が分かれば高性能AIも驚くほどの速さで完璧な回答をするだろう。
そんな奴に対して初手でする事は、とにかく相手のペースを乱すことで――
「はい。そうですよ。因みに赤です」
「あ、赤」
「……そうですか」
……こいつは想像以上に手強そうだなぁ。
恥じらうかとも思ったが。
馬鹿正直に答えて見せた。
もしも、此処で私が本当かなどと言えば絶対に確認させていただろう。
そうなったら、アンジェラにばれた瞬間にどうなるのかは私にも分からない。
涼しげな顔で笑うサラさんを見つめながら、相手のペースを乱すのは不可能だと判断。
「……やめよう……それで、何処で私の事を知ったのかな?」
「ふふ、それは言えません。企業秘密、ですから」
「……質問を変えよう。何故、君自らが接触してきた? パールマン氏の指示かな?」
「いいえ、私の独断です……私は貴方のファンとでもいいましょうか」
「ははは、なるほど。なら、サインでも書こうか?」
「えぇ、是非お願いします……此処になんてどうでしょう?」
彼女はそう言いながら自らの胸元を見せてくる。
色仕掛けは私に通用しないと分かっている筈だが……さっきの質問で変態だと思われたか。
私は首を左右に振ってから、ペンが無かったと言っておいた。
彼女は残念そうにしながら、またの機会にと言ってくる。
彼女の表情からはその言葉が嘘か本当かは判断できない。
恐らく、此処まで相手に感情を悟られないように隠せているのだとしたら。
相当に深いところにずっといたのだろうと推測出来てしまう。
かなりの手練れであり、心に秘める闇も根深そうだ。
「……まぁファンと言うのは置いておこう……要求を聞かせてくれないか?」
「あら、要求だなんて。私はただ彼の有名な交渉人様にお会いしたくて」
「――君、ヴィジョンにはさして興味がないだろう?」
「……ん? それはどういう」
「ヴィジョンの人間としての対応をするのであれば、君が取るべき行動は“脅迫”だ。私が何をしていて、今までどういう事をしてきたのかは分かっている筈だ。であれば、君は会社にとって害のある人間を駆逐しなければならない。油断させる必要はない。初手で相手に恐怖を植え付けるのが有効的だ」
私は淡々と事実を言う。
彼女は指で口元を抑えながらくすりと笑う。
「それは違いますよ。脅迫を行う事はリスクがあります。もしも、貴方ほどの方に武力でもって脅しを掛けようものなら、貴方は本気で此方を潰しに来るでしょう? 私はヴィジョンの未来を考慮し、平和的解決を願っているだけです。私は争いごとは嫌いなんです」
「ほぉ平和的か……なら、君のその“指の凹み”は何を握ってそうなったのかな?」
「……指の凹みですか……あぁ、包丁を握り過ぎたのでしょうか? ふふ」
「包丁を握ったから、なるほど。君の家にある包丁は特殊な柄をしているのか。人差し指だけが第一から第二関節までの凹みも不思議だね、面白い包丁だ。是非、どこのメーカーのものか教えて欲しいね」
「……交渉人様。デート中に女性を揶揄うのはマナー違反では?」
「そうかもしれないね。いや、すまない。だから、君が隠し持っている“M1910”を抜くのはよしてくれ」
「――!」
彼女は僅かに眉を動かす。
此処にきてようやく彼女の動揺を引き出せた。
ヴィジョンにあまり興味が無いという類はほぼ勘だ。
そして、指の凹みに関してもほぼハッタリと言える。
態々、指を使う食事を選んだのは常日頃から相手が銃火器を携行し頻繁に使っているのかを調べる為だ。
銃をばかすか撃つような輩はそれだけで指の動かし方に癖が出る。
裏の人間たちも初めての人間と会う時は、相手の危険度を測るためにスポットを決めるほどだ。
……まぁ彼女の指の動かし方は美しかった。それこそ、“お手本通り”と言ったところか。
癖を隠す技法を熟知している。
その上で相手が女性でハニートラップを得意とするのであれば。
比較的、携帯しやすく服の下に隠しやすい銃を使う筈だ。
ほぼ賭けであったが、当たっていたようで安心した。
「……さて、では改めて聞こうか……君の要求は何かな。“お嬢さん”」
「……ふふ、流石は名の知れた方ですね。相当に修羅場をくぐり抜けている……えぇ、そうね。私はヴィジョンに対してはさほど思い入れは無いわ。ただの駒としてしか見ていないから……でも、貴方は違う」
彼女はそう言って目を細める。
熱の籠った視線であり、蛇に睨まれた蛙とはこの事だ。
美女からの熱の籠った視線ほど恐ろしいものは無い。
私は微笑みながら彼女の言葉を待つ。
「貴方は裏の世界ではなくてはならない存在……そんな貴方だからこそ、私は是非、貴方にも協力者になって欲しいの」
「協力者……君ほどの人材を有するのであれば、さぞ大きな計画を考えているんだろうね」
「ふふ、それは誉め言葉として受け取るわ……ヴィジョンについてこれ以上の詮索はしないで。貴方のクライアントには当たり障りのない結果を報告してちょうだい。その代わり、その依頼主の倍の金額をお支払いするわ。勿論、私たちの仲間になるという意味よ」
「……それは少々強引だ。先ず、君たちが成そうとしている事を教えるのが筋だろう? そうでなければ、協力のしようがない」
「……それもそうね……でも、今はまだ貴方に明かせる情報は無いわ。だってお互いに“信頼”が足りていないじゃない?」
彼女はそう言いながら笑う……つまり、アレだな?
協力者になる為に証明しろと。
そうすれば、計画だって教えてやるって言いたいのか。
何とも分かりやすい事ではあるが、その証明の方法は絶対に碌な事じゃないだろう。
私はそう思ったが、聞かないと話が進まないだろうと思ったので聞いてみた。
「で? 何をすればいいんだ」
「……簡単な事よ……“何もしないで”」
「……? それだけかな?」
「えぇそうよ。簡単でしょう?」
……どうやら、彼女たちは私という存在をラスボスか何かだと思っているらしい。
ヴィジョンの計画を阻む事が出来るのは私で。
私が何もしなければその計画は確実に成功すると……そんな事は無いと思うけどなぁ。
私は少し考えた。
アンドーには申し訳ないが、嘘の報告をする他ないだろう。
もしも約束を反故にすれば彼女たちは実力行使に出る可能性が高い。
ただでさえ、私のビジネス用の端末のアドレスを見つけ出したんだ。
かなりの腕利きのハッカーでも抱えているか。
私の事を知っている情報屋が情報を売ったかだ。
何方にせよ、相当な組織力が無ければ実現する事は出来ない。
まぁ個人用の端末は知らないようだから、最高に危険な状態とはまだ言えない……まぁいいか。
「分かった。その提案をのもう。私は今後一切、“ヴィジョン”に対しては何もしない」
「ふふ、そう。それが聞けただけでも会った甲斐が会ったわ……くれぐれも約束を破らないでね。私は貴方には“生ける”伝説のままでいて欲しいから」
彼女はそう言って立ち上がる……まぁ脅迫といえば脅迫か。
何もしないだけで金が入り。
何もしないだけで協力者にされてしまう。
断われば殺されそうで、裏切っても殺されてしまう。
嫌な交渉であり、こんな要求普段ならのまないが。
何故だか、この女からは嫌な気配しか感じないのだ。
裏の人間であってもここまでの危険を感じさせる存在はそうはいない。
……ま、どうにかなるだろう!
後は知らん。
ヴィジョンの未来も、この女の計画もどうでもいい。
危ない橋を渡らされそうになればそれとなく言う事を聞くふりをして逃げればいい。
別に新エリー都の外であろうとも生きられるんだ。
そこにメイド喫茶があるのであれば私は何十年でも生きていける。
そう考えながら、私は去っていく女を見送る。
「あ、そうだ」
「……?」
彼女は思い出したように立ち止まる。
そうして、私を見つめながら人差し指で唇を指す。
「勝負下着も、貴方のファンって言ったことも……本当よ?」
「……はは」
彼女はそれだけ言って去っていく。
私はやべぇ女にロックオンされてしまったことを悲しむ。
これが色恋の類であればもう少し喜ぶなり照れるなり出来ただろう。
しかし、あの女の目は完全に獲物を見る狩人の目だった。
完全に利用価値がある存在として使ってやろうとしている。
恐らく、逃げようとすれば地の果てまで追いかけてくるだろう……どうしようかなぁ。
本格的に逃走を考えるべきか?
それとも、裏の人間の中で優秀なヒットマンを差し向けるか?
もしも、彼女たちを全て抹殺するのであればかなりの金が必要になるだろう。
そして、絶対に不可能を可能にするのであれば。
彼の有名な殺し屋を頼る他ない……でも、彼は引退したしなぁ。
最後に会ったのも三年前だ。
ようやく引退できると言っていて。
時折、写真と共に手紙だってくれるんだ。
綺麗な奥さんと可愛らしい犬と共に自然な笑みを浮かべる彼がそこにいて……頼れないよなぁ。
引退した彼を再びこっちへ戻すなんて絶対にしたくない。
幾ら腕がいいとはいえ、彼は既に幸せを築いているんだ。
何があっても彼の幸せをぶち壊してはいけない。
私は彼を頼るという考えを捨てて、湯飲みの中のお茶を啜る……ぬるい。
「取り敢えず……大トロとウニ」
「はいよ」
今は空腹を満たそう。
腹が減っては何とやらだ。
逃げるか戦うかはその後に考えよう。
そう思いながら、私は店主の手さばきを静かに見つめた。