突然現れた男は……かの有名な交渉人であった。
奴を捉えた部下から報告を聞けば、奴は私の事を嗅ぎまわっていたようで。
アレの保管場所の近くにて動き回っていたらしい。
それも目立つあの格好でな……実に間抜けな男じゃないか。
だが、奴への評価を改める事はしない。
何故ならば奴は紛れも無くあの伝説の交渉人であるからだ。
奴の事は以前から知っていた。
交渉人としての地位を確立し、治安局だけでなく軍部においても重宝されている存在。
噂では裏組織との繋がりもあるようだが、奴の行動は大体が黙認されていた。
それだけ奴は至る所において重要視されており……私も何度か奴との接触を考えていた。
が、次長になった現在でも奴との接触の機会は訪れていなかった。
奴は確かに存在しているが、その出自から現在の所在までが一切不明で。
まるで雲のような存在だと私は勝手に認識していた。
“アレ”の力でもってしても奴の居場所を特定する事は出来なかった。
インターノットで噂され、あらゆる難局を乗り越えて来た伝説。
そんな奴が私の前に現れて、お得意の交渉を仕掛けて来た。
これほどまでに楽しい事は無く、奴との時間を優先する為に“デザート”は後にする事にした。
「それで? あの男を解放するのが目的と言ったが……貴殿は私に何を差し出すと言うんだ?」
「簡単な話ですよ。貴方が最も“望む”ものです」
「……ふむ、そうくるか……だが、あまり悠長に考えてはいられんからな。今回ばかりは早々に答えを明かしてもらおうか?」
部下たちが銃口を奴に向ける。
奴はくすりと笑いながら、静かに言葉を発した。
「市民からの信頼……もっと簡単に言うのであれば“票”です」
「……ふふ、そうかそうか……つまり、君との交渉が成立すれば……私の地位は確固たるものになると」
「えぇ確実にそうなるでしょう」
奴は少しの躊躇いもなくそう言った。
流石は交渉人であり、銃口を向けられても動揺が微塵も感じられない。
私は奴の提案に大きな魅力を感じていた。
恐らく、このまま行けばブリンガーや他の人間が当選する可能性が高い。
局長にもなっていない今の私では、票を集めようにも金も力も無いのだ。
もしも当選するとするのなら、他の力を頼る他なく……この男であるのなら大きな風となるだろう。
「……確かに、それはとても魅力的だ。あの男を解放するだけでなれるのであれば、だがね」
「……まぁ今すぐにとはいかないでしょう。選挙まではまだ日がある……ですが、彼を解放していただけるのであれば必ず」
「あぁ違う違う……交渉人を名乗るのであれば心得ているだろう。条件とはすぐに叶うものでなければ意味を成さないと。違うかね?」
私は首を左右に振りながら彼を窘めるように言う。
すると、奴は初めて口角を下げながら一杯食わされたようにしていた……ふふふ!
気持ちが良い。
伝説などともてはやされた青二才を私が言い負かしてやった。
これほどまでに気分の良い事は無く。
これだけでも奴との対話を試みて良かったと思えた。
奴はゆっくりと「確かにそうですね」と言う……よしよし。
「……だが、困ったな……すぐに提供できる条件ですか……そうですね……」
奴は顔を地面に向けながら考える。
徐に足を動かしてゆっくりと歩き出した。
部下たちはハッとしながら奴の後ろに張り付きながら追っていく。
私も奴を注意深く見つめていた。
暫く考えてから奴はピタリと足を止める。
そうして、良い事を思いついたと言わんばかりに笑う。
「でしたら、アレにしましょうか」
「アレ? 何だね」
またしても勿体ぶる様な言い方をする交渉人。
流石の私でも同じようなやり取りは好まない。
だからこそ、少し痛い目にあってもらおうと――
「えぇ勿論あれです――“聖杯”の秘密を守るというのはどうでしょうか」
「――ッ!!」
「……聖杯?」
私は思わず目を見開いた。
部下たちは何の事かと首を傾げてる。
何故だ。何故、奴がアレを……聖杯を知っている?
あり得ない。アレの存在を私以外に知っているのは開発者と過去の事件で死亡した男たちだけだ。
こいつが知っている筈がない。
だが、ブラフであるのならこうもハッキリと名を言える筈がなかった。
私は冷静さを何とか取り戻そうとした。
が、奴は私の心の隙を見逃す事も無く言葉を続けた。
「ミラー次官はかなりのペースで出世したと聞きましたが……それにしては異様ですね」
「……何が言いたい」
「いえ、あまりにも検挙されてきた事件の数が多いので……日によれば五件も六件も解決なされたとか。素晴らしい手腕だ」
「……確かに、次長は何であんなに」
「――黙れ! 誰が発言を許可した!?」
「も、申し訳ありません!!」
「ふふ、そう目くじらを立てる事はありませんよ。彼らも皆、次長の才能に魅せられたんです」
奴はそう言いながら笑う。
よくも抜け抜けと言えたものだ。
私は奴を睨みつけながら続きを話すように促す。
「……正直な所、私自身も聖杯なるものが存在する事など考えてもいませんでした……聖杯。それはインターノットにて噂される都市伝説の一つ。新エリー都の何処かには、全ての人間の願いを叶える願望器――聖杯なるものが存在すると」
「……あぁ、そういう事か。君は私がそれを持っていて、その力を借りる事で事件を検挙してきたと言いたいんだね? ははは! かの伝説は此処まで想像力が豊かだったとは。いやはや恐れ入ったよ。うん、もしかしたら君は小説家になれたかもしれないよ? 私が保証しよう。君にはそれだけの才能が“あった”」
「……過去形の理由を聞いても?」
「それはね。こういう意味だよ」
私はゆっくりと懐から拳銃を取り出す。
静かに奴へと銃口を向けながら私はニヤリと笑う。
奴はこんな危機的状況下でも笑みを絶やさない……気に食わんな。
「私を殺すのは簡単です。ですが、いいのですか?」
「……何がだね?」
「いえ、次長は知りたい筈です。何故、私が聖杯へとたどり着き貴方がそれを所持していると確信したか……此処で私を殺せば、貴方の疑問が解かれる事は永久に訪れませんよ」
「……ふ、ふふ……面白い。実に面白い……が、君の狙いはバレバレだ」
私は背後を向く。
そうして、引き金を引いた。
乾いた音が響いて放たれた弾丸はニコ・デマラの持つケースに当たる。
「ひゃ!?」
「――な!? 何時の間に!?」
手に持ったケースが落ちて転がっていく。
近くには気絶している部下がいた。バカが。
そこには拘束が解かれた彼女が立っていた。
部下たちはハッとしてライフルを奴に向ける。
ゆっくりと交渉人に目を向ければ……く、くくく。
悔しそうな顔をしている。
自らの計画が邪魔されて失敗した男の顔だ……あぁたまらん!!
これだ、これだ!!
私はこの顔が見たかった!!
自らを優秀な人間だと思い込み。
この世の頂点のように振舞っていた存在が。
私の行動によって足元を掬われて、悔しそうにする顔を私は見たかったぁ。
「ふ、ふふふふ……溜まらんなぁ。えぇ? 交渉人君」
「……っ」
私はゆっくりと端末を取り出す。
そうして、彼にレンズを向けながらパシャリと写真を撮った。
良い記念が出来た。これは我が家にとっての家宝に匹敵するだろう。
そんな事を思いながら、私は満面の笑みで彼に言葉を送る。
「それで? 頼みの綱は切れたが……まだ話したいかね?」
「……そうですね。もうあまり時間は無い……後は救援を待つのみでしょうか」
「ぶ! はははは!! きゅ、救援だと!? 言うに事欠いて……ははは!! これは傑作だぁぁ!!」
「な、何が可笑しいのよ!? 今に見てなさい!! アンタなんて」
「――来ないよ。誰もね」
「……え?」
私は彼らに真実を話す。
今私たちがいる場所は一切の電波が遮断されている。
私の許可が無ければ通信は出来ない上に、悲鳴を上げても音が漏れる事は無い。
最も此処がホロウの中の可能性もあるぞと言えば、彼は押し黙る。
今の情報では此処がホロウの中か外かも分からないだろう。
「……おい、こいつは何かを持っていたか?」
「ハッ! 変わった形のペンと端末を持っていました。端末の方には発信機の機能があったため破壊しました!」
「そうかそうか。うんうん、実によく出来た部下だ……念の為に、そのペンを見せなさい」
「は、はい。此方になります」
私は部下から奴が持っていたと言うペンを受け取る……ふむ。
見かけは銀色のペンだ。
少し太めのそれをじっくりと見るが変わった点は無い。
検査に掛けても信号が出ていなかったのなら発信機ではないだろう……まぁいい。
ペンをスーツのポケットに入れてから私は奴を見つめる。
「例え端末があろうとも君は拘束されている。使えたとしても此処から出なければ助けは呼べない……そして、ダメ押しだ」
私はぱちりと音を鳴らす。
瞬間、頭上の装置が作動する。
電気が流れたような音が流れたかと思えば――やはりだぁぁ!
「ぐ、ぅぅ」
「ふはははは!! やはり隠していたかボンプたちを!! だが無駄だったな。此処には知能機械を無力化する為の装置が備わっている! 本来はパエトーンのような本物の伝説を捕える為の手段であったがまぁいい!」
パエトーンの噂は聞いている。
どんな依頼であったとしても一度引き受けた仕事は完璧に熟す存在で。
高い金を払って手に入れた情報によれば、奴はボンプを使って仕事をすると聞いていた。
あのニコ・デマラの背後にはパエトーンがいると確信し。
聖杯の力によって未来を見ていた私は奴を捕える為の策を講じていた。
それがこの対知能機械体用電磁パルスだ。
これを使えばあらゆる高度な知能機械たちは身動きを封じられる。
特にボンプほどの小型タイプであれば身じろぎ一つ出来ないだろう。
その効果は今実証されて……くくく!
まぁいい。
奴を捕える機会はまだある。
彼女を撒き餌として奴を此処まで誘い込み。
私がこの手で奴のボンプを捕える。
そうしてそのまま奴の居場所を特定し、私は治安局にて更なる地位を築き上げる。
そう、全ては私の出世の為だ。
我が道を阻む障害たちは此処で全て始末してきた。
邪魔が入る事も無ければ、何人たりともこの場所を特定する事も出来ない。
例えパエトーンであろうとも私の誘いが無ければ此処に辿りつく事は不可能だ。
「……ぁ、ぁぁ」
「ふ、ふふふ!」
さぁ終わりだ。
頼みの綱のボンプ共は床に倒れている。
奴は手も足も出ずに私に敗北した。
奴の顔を見れば口をバカのように開けていた……ぷ、ふふふ。
面白い。最高に愉快なショーだった。
だが、まだ足りない。
この目で男の素顔を見なければ私の満足度は最大まで行かない。
私はゆっくりと奴に近づいていく。
奴は小鹿のように足を振るわせて「来るなぁ」と呟く……あぁいい!
絶頂がすぐそこまで迫っている。
私は勝利を確信しながら奴へと迫る。
そうして震える奴の仮面に手を掛けた。
片手には端末を握っていて、奴の顔をこれから全ての市民に届けようとした。
此処はホロウ内ではない。
だからこそ、私や部下の端末を使えば外部との通信も可能だ。
もし万が一にも他の治安官が来たとしても問題はない。
そいつらは十中八九が私の部下であり、奴らは私の手駒なのだ。
つまり、助けを求めたとしても無理なんだ。
誰もホロウレイダーや交渉人を助けてはくれない……詰みなんだよ!
配信画面を開き待機状態にする。
タイトルは既に打ち込んでいて、かの有名な男の通り名が表示されただけで既に五千人以上も集まっていた。
その全てが伝説の素顔を拝みたいと思っている。
彼らはそわそわとしながらその時を待っていて……ぐふ、ぐふふふ!
私が伝説に終止符を打つ。
この私アイゼン・ミラーが交渉人を打ち負かすのだ!!
「さぁ生配信と行こうか。タイトルは“あの伝説の交渉人の最期の絶望”だぁぁ」
「やめなさい!! そんな事をしたら私がアンタを!!」
「喋るなぁぁ!!」
私は叫ぶ。
部下たちは女に銃口を向ける。
私は満面の笑みを浮かべ興奮で鼻息を荒くする。
配信を開始し奴の姿を映す。
瞬間、待機していた人間は歓声を上げるように期待の言葉を送る。
どんどん視聴者数は上がっていき、遂には一万人を超えた。
来るぞ、来るぞ、来る来るぅぅ!!
こいつの正体を明かせば、伝説を破った男の伝説が瞬く間に広がる。
決して私はそれを明かさないが、その事実だけでも酒は美味い。
奴は震える。
私は三日月のように口角を上げた。
そうして、そのまま奴の仮面を剥がして――あ?
そこには顔がある。
しかし、素顔では無く“ペイント”が施されていた。
動物の顔であり、私も視聴者も思考を停止した。
唯一その眼だけはハッキリと見えていて――奴の片目から“音”が聞こえた。
「パーフェクトだ。道化師」
「――!!」
奴が呟く。
瞬間、私の端末の画面にノイズが走る。
勝手に何かの操作を初めて――これは!!?
――マズい。治安局に信号を送ったのか!
私はすぐに端末を捨てて踏みつぶす。
ぐしゃりと音が響き端末は壊れて――な、何だ!?
頭上のパルス装置が勝手に停止する。
部下に指示をして再起動させようとした。
が此方の命令を一切受け付けない。
それにより機能を停止していたボンプ共が動き――
「――ゴミが」
「うぼぁ!!?」
歪なボンプが私のみぞおちに蹴りを入れる。
私はそのまま後ろへと転がり、痛みに必死に耐えた。
部下たちを見れば別のボンプたちによって無力化されていて……ひぃ!
奴は両手を“広げる”。
いつの間にか拘束が解かれていて、奴は自らの顔のペイントを持っていたハンカチで拭う。
そうして落ちていた仮面を手に取ってから再び顔に装着した。
「あまりこういうのには慣れていないんだ……面白かったかな?」
「あ、あぁ……あり得ない……何故、何故……その眼は……いや、これまでの表情は」
「あぁこの目か……昔の傷で目を失ってね。片目が見えないと不便でな。もっといい目を手に入れて、こういう時の為に使える機能も加えておいた……備えあれば憂いなしだ」
「ふ、ふざ――ぴぃ!」
「喋るな。主様の御言葉を聞け」
ボンプが刃物を首に添える。
ひんやりとしたそれが私の恐怖を煽り、情けない悲鳴を上げてしまう。
奴はそんな私を見つめながら、笑っていた。
「あぁそうだな。確かにこれは気分がいい……その表情が見れたのなら、今までの“演技”も無駄では無かったな」
「演技、だとぉぉぉ? このぉぉぉ!!」
奴の近くまで女が駆け寄る。
女は交渉人の脇を小突きながら「やるじゃない」と言う。
奴はそれを無視して私に対して――交渉を持ちかけて来た。
「さて、状況が変わってしまったが……交渉を続けようか」
「こ、この状況で交渉だと? ふざけるな!! もうすぐ部下たちが来る!! そうすればお前たちなど!!」
「――聖杯の開発者の殺害。ならびに死体のホロウへの遺棄。および同僚の殺人教唆に今までの事件の自作自演……こんなものか」
「……な、ななな、何故、お前が、それを?」
「そしてもう一つ。お前の部下は此処には来ない。此処に来るのは最も優秀で高潔な治安官たちだ。あぁそれと」
奴はニヤリと笑う。
「当然、調べたからだ……聖杯を」
「まさか、あそこに――頼む! 見逃してくれ!! そうすれば約束通りに男は解放」
「あぁそれは最低条件だったが……気が変わった。別の条件にしよう」
「はえ?」
奴は条件を加えると言う。
どういう事なのかと見ていれば、奴はボンプから端末を受け取る。
「確か、君の口座には大金が隠されていた筈だ……マネーロンダリングを終えた金が大量に」
「な、何故、それを」
「その金を頂けるのであれば――そうだな。“今の”君が傷つかない様には出来る」
奴は含みのある言い方をする。
それはつまり、私を見逃すと言う事か。
私はそう考えて何度も頷きながら同意した。
「それならば先ずは契約の証として宣誓をしてもらおうか」
「せ、宣誓だと……いや、分かった!! だが、絶対に流すなよ!?」
「あぁ約束しよう。“今の”君に誓って流さないと」
「……そ、それじゃ」
奴は私に何を言えばいいか伝えて来る。
私は躊躇いながらも宣誓をしていった。
小声であれば撮り直されて、噛んでしまえば撮り直されて――な、何だ?
小さく音が聞こえる。
今の私はかなり神経質になっている。
だからこそ、こいつらには聞こえない音も僅かながらに聞こえて来る。
アレは治安局の……まずい!
私はハッキリとした声で宣誓を終わらせる。
そうしてこれでいいかと奴を見ればバッチリだと言ってくる。
「そ、それではアイツの解放は速やかに行う! だから、今すぐに私を」
「では、金の送金も速やかに」
奴は端末を操作しながら私から口座番号や暗証番号を聞き出す。
そうして、奴は流れるように金を自らの口座に送金し……な、何だ!?
奴はゆっくりと手を伸ばしてきた。
そうして、私のポケットからペンを取り出す。
奴がそれの側面を三回強く押せば上の部分が開かれた。
穴のようなものが無数についていて、私はすぐにこれが毒ガスを噴射するものであると理解する。
つまり、こいつの狙いは最初から私の殺害で……このたぬきめ!!
奴らは私から距離を取り、すぐに上のボタンを押すように言ってきた。
「それを押せば交渉は成立する。今の君は解放されるだろう」
「……く、くく……馬鹿め……私が素直に応じると――思ったかぁぁ!!!」
私はボタンを押す。
瞬間、それを全力で奴らに目掛けて投擲した。
奴は小さく口を開けて固まっていた。
私はそんな奴を見つめながらガスで苦しみ死ぬがいいと思った。
「ニコ」
「――ぅぅ!!」
奴が女を抱く。
女はアイツの胸板に顔を押し付けていた。
最後に女を庇うとは何処までもキザな――あ?
ペンから強い光が放たれた。
私はその光を真面に見てしまう。
その強い光が私の眼球を通して脳へと伝わる感覚を感じた。
そうして、自分というものが、ゴムのように、伸びて、いく、よう、に――――