やってしまった……。
寝不足だったり、ストレスだったりが爆発して泣いてしまった。思いっきり泣くということは思っているより体力を使う。ぼーっとして眠気を自覚するし、もうこの場で寝てしまいたい。
だがそれはできないわけで、まだ家に帰ってないし、こんなに現場を荒らしたまま帰るなんてできないのだ。
「コーラありがとね」
「いいよ。このぐらいは」
アクアが優しい。
自販機のすぐそばにあるベンチに座ってコーラを飲む。強い炭酸が眠気覚ましにちょうどいいが、それでも体力の限界は近い。
俺とアクアがお互いに無言のまましばらくすると、心配したのかあかねさんもやってきた。
「あの、彼方さん。大丈夫ですか?」
「うん。……ごめんね。情けないところを見せて」
「い、いぇ、その。…………」
「黒川、お前……」
アクアの呆れたような目。それから逃げるようにアクアとは逆の位置にあかねさんは座った。……と言うか、先生抜けちゃった……情けないところ見せたからしょうがないね。
コーラを一口飲む。
眠気を誤魔化すために話をしようか。
「俺たちはね。ただ良いものを作りたいだけなんだよ。ファンが少しでも喜んでくれたら嬉しいし、みんなの大事な時間に、記憶に残るように少しでも楽しんでもらえればってずっと思ってる」
アビ子さんも、吉祥寺さんも……GOAさんも。
もちろん俺も。いや、多分誰もがそうだと思う。
「それが俺たちの仕事だから。それでお金をもらって生きているから。少しでも妥協したらダメなんだ」
俺は一度諦めた。
ずっと後悔がある。
多くの人は失望しただろう。実際に時間の無駄になったと言う意見ももらったことがある。多くの意見を受け入れて、抱えきれなくて、好き勝手やって色々な人のメンツを潰した。
俺の心に残り続ける傷だ。
でも、その失敗があるからこそ今の俺がいる。
ずっとずっと、これを抱えて生きていくと決めた。
「妥協なんてしない。一つの本のために、俺は命も削るし、必要ならなんでも差しだせる。全部、俺自身がこの話を作って良かったと思うために」
学生の頃は何度も倒れた。
今は返してもらっているけど、担当に合鍵を持たせることになったこともある。一冊を作るたびに壊れそうになって、精神的にも不安定だった頃もある。
担当には何度も怒られたっけ。
俺自身のために叱ってくれる人なんて初めてで、大泣きしてしまった事もあった。あの後に食わせてもらったラーメンは美味しかったよなぁ。チャーシューくれたのも思い出だ。味玉の方が良かったけど。
てか知ってるぞ?あの時ダイエット中だったの。
「あ、お礼にメンマあげたっけ」
「メンマ?」
「シッ!アクアくん黙って!」
「えぇ……」
今回の件。
GOAさんの作った脚本を読んだ時、原作への愛を感じた。アビ子さんが修正を出すたび、一から練り直して死にそうになりながらも書いたものだと、簡単に想像できた。
アビ子さんの気持ちもわかる。
我が子達が好き勝手に弄られるのは辛く悲しい。
良いものを作ろうとしていると信じたい。けれど、俺たちの強い思いがそれを邪魔する。だから怒りも湧いてくる。どうしようもできない気持ちが顔をのぞかせる。
……あぁ、だからか?
好き勝手やって各所のメンツを潰して、メチャクチャに担当にも怒られたけど、最後にはよく頑張ったと褒めてくれたのは……一瞬感謝の気持ちが現れたけど、最近のアイツを見てると気のせいだと思える不思議。
「誰かと関わって、一緒に仕事をするのって、本当に難しい……よね」
「そうだな」
「はい」
眠いなぁもう。
コーラも無くなった。
頭がふわふわとしてくる。
「アクア、あかねさん」
「何?」
「どうかしましたか?」
「俺たちの全力に、全力で応えてね」
魂を込める。
命も削る。
俺たちは俺たちの持っている全てを込めるから。
だからどうか、それに応えてほしい。
大丈夫。
「君たちなら、できるでしょう?」
あー、もう無理。限界だ。
「あぁ」
「約束します」
「ありがと……あ、アクア」
「なんだ?」
これだけは伝えておこう。
もう、多分すぐにでも寝そうだし……。
「雷田さんにいって、GOAさんが書いた舞台のチケットもらいな……。あかねさんと二人で、アビ子さん引きずってでも連れてって。大丈夫、俺が行けって言ってたって、言ってもいい、し……ふわぁ……」
ふっふっふ。
断りはしないだろう。
あんな所で大泣きした俺が言うことだ。普通の大人であればなんか、こう、申し訳ない気持ちになっていってくれる……情けでもあれば……いいなぁ。って。
「わかった。絶対に連れて行く」
「はい。舞台のこと、しっかりとレクチャーしてきます」
……うん。
なら安心だ。
「ありがと。じゃあ、少しだけ寝るから財布だけ持ってて」
「はいはい」
「任せたよ。あ、適当に中身使ってもいいからね」
これで少しは安心かな?
そのあとは俺に任せておけば良い。
絶対に、良い脚本を君たちに届けるよ。
君たちの頑張りには、全力で応えるから。
「寝ちゃった」
「最近は無理してそうだったからな。こんな所だけど寝てくれて安心ってもんだよ」
「そうなんだ」
黒川は兄さんの頬を突いて遊びだした。
……コイツ、本当に兄さんのこと狙ってないだろうな?さっきから向ける視線が怪しいんだが……。
「黒川。わかってるとは思うが、手を出させたら犯罪になってコレが捕まるからな?」
兄さんを指差しながら言う。
はぁ……。どうして俺がこんな心配をしなくちゃならないのか。まぁ、母さん……アイの悲しむ顔は見たくないしな。後ついでにルビーも。兄ってのは大変だとちょっとだけ思ってしまった。
「……あと何年後ならいいと思う?」
おい。
「マジでやめろ。ほら、兄さんは後でうちの事務所の人に拾ってもらうし、とりあえず俺たちは戻るぞ」
「…………」
「……おい、黒川。聞いてるか?」
「も、もうちょっと!もうちょっとだけダメ!?こんなシーンレアだもん!!」
こ、この厄介オタクは。
兄さんの寝顔をスマホで写真を撮ろうとするのを遮りながらミヤコさんにメールを飛ばしておく。確か今日は母さんの方には社長が行ってるはずだし、事務所にいるはずだ。
「アクアくん」
「なんだ?」
「一枚撮らせてくれたら満足する。撮らせてくれないなら私の全力でアクアくんの秘密を探るけど……どうする」
ごめん兄さん。
「一枚だけだからな」
「やった〜」
今まで見たことないぐらいに集中している黒川は放っておいてこれからのことを考える。
「いよっし!!」
どうやら撮れたようだ。
俺はとりあえず兄さんの鞄から財布やスマホなどの貴重品を抜き取り、鞄を枕のように頭に敷いてやる。
さてと。
「戻るか」
「……放っておいていいの?素顔を知ってる人は少ないけど日本の宝のような小説家だよ?」
「心配なら残るか?俺は兄さんに頼まれたことをしなきゃだしな。それとも黒川が行くか?俺は兄さんを見とくし」
「うぐっ。聞き方がズルくないかな?私だって彼方さんのお願いは叶えたいし、彼方さんの警護をしたいんだからね?」
「……」
「……」
「勝った方が兄さんを見る」
「負けた方が戻ろっか」
考えることは一緒だった。
「じゃん!」
「けん!!」
「「ポン!!」」
俺はグー。
黒川はパー。
「やっっ……!いや、まって。これじゃあお願いは叶えられないよね!?でも、でもぉ」
「もう行くからな」
待ってられん……。
どうせやることは変わらないのだ。兄さんのそばにいるか、兄さんの頼みを引き受けるかなんてどっちでもいいのだから。
俺は原作者である鮫島アビ子を引き止めるためにスタジオに戻るのだった。
毎日毎日。
朝起きて、学校に行って、家に帰って、原稿用紙に文字を書く。気が向いたら何かを食べて、また原稿用紙に文字を書く。何時間も机に向かい、文字がぼやけて見えた時、疲れを実感しその日を終える。
『気味が悪いよな』
学校で言われた事。
観察するように人を見る癖がついたからだ。
友達を作るわけでもなく、一歩引いた位置から観察するように見てくる人間は、気味が悪かっただろうな。
『全く、あれと同じで出来が悪い』
たまに生存確認をしにくる父親に言われる。
コイツがくる時はまだマシだ。コイツの愛人が来る時はまるで使用人のように扱われるし、ストレスの捌け口にもされる。殴る蹴るは当たり前だが、ガラスのコップを投げられた時は震えた。
『ちゃんとした物を食べてください』
哀れな子を見るような目で見られた。
小説家になったばかりの頃、担当から言われていた事だ。まともな日常生活を送っていない自分を心配してくれているのだと、俺はいつ気がついたのだろうか?
「大丈夫です」
いつからか、この言葉が自然と出るようになった。
起きると誰もいない。
学校に行くと俺とは違う人で溢れていた。
父親は嫌いだった。
愛人は怖かった。
担当の言葉が分からなかった。
ずっと、同じことを繰り返す毎日。
俺は死ぬまでこうして生きて行くのだと思っていた。こんな自分から溢れ出る物語を泣きながら書き殴り、熱を出しても助けてくれる人なんて誰もいなくて死にかける。
このままいつか壊れて死ぬのだろう。
「書かないと」
残さないといけない。
俺、ちゃんと此処にいたんだよ。
俺、ちゃんと母さんのこと覚えているよ。
苦しいけれど、辛いけれど、それでも書くのは止められなかった。自身の脳が焼き切れるんじゃないかと思いながら必死に書いた。
「……しん……」
机に向かい、原稿用紙に文字を書く。
でもたまに途轍もなくしんどくて……しんどいとか、死にたいとか、もう嫌だとか、全部を吐き出して投げ捨てたくなる時があった。
でもその度に、机の上に置いてあるオパールが光る気がするのだ。どこからの光を反射したのだろうか?分からないけれど、そんな気がして言葉を飲み込む。
目をグッと抑えて、疲れているんだ。だからこんなことを考えるのだ。そう思いクッションを抱いて子供のように丸くなって寝る。なかなか寝れないけれど、物語を限界まで考えていると寝れる。たぶん、気絶していたのかもしれない。
「できた」
一つの物語を書き上げる。
この時だけは本当に嬉しい。
こんな俺でも、誰かを楽しませることができるかもしれない物を作り出せたのだと実感できる。
こんな日々を繰り返す。
でもあの日、指が無くなった。
【あぁ、俺は此処で終わるんだ】
ずっと頭の片隅にあったこの考えが、現実になった気がした。怖くて震えて寝れなくて、無理してでもペンを持っていないと不安で……。
誰かに助けてほしかった。
『彼方くん』
気がつけば俺の隣に星のように輝く人が現れた。
『兄さん』
『カナお兄ちゃん』
こんな俺を兄と慕ってくれる人が現れた。
俺の色褪せたような世界が変わった気がした。
俺が抱えていた不安や恐怖を忘れさせてくれる人たちがいる。俺を救ってくれる人たちがいる。
この時に、俺の担当は心から俺の心配をしてくれてたのだと気がつけた。数々の言葉を思い出して、一晩中涙が溢れた。
この頃に書いた本は初めて一億を突破した。
『すごいね!本当にすごいよ彼方くん!』
『一億って……尊敬するよ兄さん』
『なんかよく分からないけど、とにかくおめでとうカナお兄ちゃん!』
『こんな本が書けるようになったんですね。本当に安心しました。そして、おめでとうございます』
いっぱい言葉をもらった。
気がつけば、あの時苦しかったのが嘘のようだった。家には誰かしらがいてくれる。熱を出してもそばにいてくれる。美味しいご飯を一緒に食べてくれる人がいる。
『貴方は何にでもなれる』
ねぇ、母さん。
俺……小説家になってよかったよ。
あの時、楽な道を選ばなくてよかったよ。
ずっとそばにいてくれてありがとう。
俺を見守っていてくれてありがとう。
俺、今すごい幸せだ。
ふわりといい匂いがする。
目を開けるとアイさんがいた。
「あ、ごめん。起こしちゃったね」
「いえ、自然と起きただけです。それになんか、すっごいスッキリしてます」
「そう?それならよかったな」
俺の部屋だ。
アイさんに聞いてみた所、どうやら一度苺プロの事務所に運ばれたらしい。それからも寝続ける俺を斉藤さんが家まで連れてきてくれたのだ。
今度お礼しなきゃな。
「ねぇ、アイさん」
「ん?」
コテンと首を傾げながら俺と目を合わせてくれる。
星が輝いてるようで、いつまでも見たくなる目だと何度も思う。けど今は伝えないといけない。
「お弁当美味しかったです。また作ってください」
「ほんと?よかったぁ。もっちろんこれからも作るよ。だからいっぱい食べてね」
「はい。……あと」
「ん?あと?」
「…………」
「……え?なに?」
「いえ、また今度伝えます」
「待って待って!!なんかすっごい気になるんだけどそれ!なに?言ってもいいんだよ?ほらほら」
言いませーん。
……こんなに急に芽生えるなんて思わなかったのだ。なになになになに?とうるさいアイさんを放って部屋を出る。シャワーでも浴びてきますと言って風呂場へと向かう。
流石にアイさんも追うのを諦めてくれる。
「冷た……!」
冷水のおかげで体の熱が冷める気がする。
あーくそ。でもまだ顔があっついなぁ。
「こんなに急に、実感するものなの?」
この人の事が、アイさんのことが好きなんて……いや、愛しているなんて。
「くっそ。恥ずかしいなぁ」
不思議と悪い気分ではない。
このドキドキと脈打つ心臓は心地いいぐらいだ。
でもその、アレだ。まだちょっとだけ時間が欲しい。まだ仕事もあるし、もう少ししてひと段落したら想いを伝えよう。
「まずは、東京ブレイドの成功だな」
アクアもあかねさんも出るのだ。
それに大事な後輩の舞台は成功させてあげたい。
ちょっとぐらいなら手を貸すのも先輩として当然だろう。……だから、この仕事が終わって舞台を見た後、ちゃんと伝えよう。
「愛しています。アイさん」
シャワーの音で聞こえない程度の声。
声に出したおかげだろうか?あれだけ暑いと感じていた顔の熱が引いた気がした。
「…………」
いや……まって、ごめん。
やっぱり想いを伝えるのは、一冊書き終わってからでいいかな?いいよね!!
自覚しました。
明日はどうしようかなぁ。
続き書くのもいいけど部屋の掃除もしないとなぁ。
とりあえず今日……いや、明日4時からあるバレーボールは見ないと。