ルイズが無意識に慈悲を発揮していたのか、レグルスの肉体強度が僅かながら成長したのか。
彼女の折檻を受けても、レグルスの入院期間は一日たりとも伸びなかった。
そんなわけで、レグルスの病床生活は三日目となり、事実上最終日である。
度重なる小娘共による精神的、肉体的蹂躙行為を乗り越え、休んだ心地のしなかったベッドの生活からついに、おさらばする時である。
「まったく、いつまで人を待たせるんだって話だよね。僕の花嫁候補を探すのに、歩けませんじゃ話にならないじゃないか。浪費した時間を取り戻すべく、さっさと行動したいところだが…………」
食後に毎回、シエスタから差し出された秘薬が功を奏したのか、体の節々の痛みはすっかり消え去り、歩くのにも支障をきたさない程度にはなった。
だが、これを理由に勝手に部屋を出れば、口うるささが一段と増したルイズに見つかって、いろいろと面倒なことになりかねない。
相手の事情を念頭に置いて、最善の手を打つ。
自称、満たされた人間のレグルスは、数億歩譲ってあと一日のベッドの上の生活に甘んじることにしたのだった。
すると、部屋にノックの音が響いた。
過去に数多くの『女性』にノックをさせてきたレグルスは、もはや音だけで人物の判断が付く。
シエスタは控えめに、ルイズは殴るように鋭く——大抵彼女はノックすらしないが。
今回のノックはそのどちらでもない。
そんな事実に気づくと、レグルスは歓喜に目を見開き、出迎える。
「入っておいで」
「…………失礼するわ。調子はどう?」
耳心地の良い響きが、外から聞こえてきた。
姿を現したのは、見たことのない金髪の美少女。後頭部に赤いリボンがついており、それが良いアクセントとなっている。
顔にそばかすがあるのがレグルス的には減点だが、それでも気品の高さは窺い知れた。
「桃髪女から話は聞いている。君がモンモランシーだね? 適切な処置をしてくれたことに礼を言いたい。ほら、僕は感謝の意をありのままに表することができ——」
「気にすることはない。君の主があんまりにも焦るから、かえって冷静になっただけだ。お礼なら、ルイズに言うと良いさ」
自己陶酔に満ちたレグルスの感謝を遮り、別の存在がその感謝を横取りした。
上機嫌を一瞬にして最底辺に陥落させる、不愉快な雑音がドアの外から聞こえたのだ。
少女の後から入ってきたのは、声も聴きたくない下劣貴族——ギーシュ。
そんな貴族の声を無理やり聞かせられて、レグルスは眼に凶悪な光を宿すと、
「……一体何のつもりなのかな君は。どういう神経をしていたら、おめおめと僕の前に顔を出せるんだよ。君のその神経の図太さって人間関係において致命的な欠陥だよね? それを自覚せずに今までどうやって生きてきたのか見当もつかないなあ。早く帰れよ」
「いや、そんなに褒めないでくれて良いよ。些細なことに立ち止まらないのが、このギーシュ・ド・グラモンだからね。少しくらいの図太さも、愛嬌になると思わないかな?」
「っていうか、何当たり前のように自分の手柄にしてんのよ。アンタ、私の名前を呼んだだけでしょ? 後のことは全部私の判断じゃない」
「ふっ、そんな細かいことなんて忘れてしまったよ」
勝手に二人だけの会話劇が生まれ、レグルスの機嫌が地面深くまで沈み込む。
腐れ貴族が当たり前のように少女と二人でいるのが気に食わない。
それに、呆れた顔をしつつ、男の所作に一々顔を赤らめるこの少女は何だ?
自分との境遇の差に、血管の切れる音が聞こえた。
「僕をいないもの扱いしてなんとも思わない訳!? 人を虫けらのように扱いやがって、どいつもこいつも厚かましい奴らだな貴族っていうのはさあ! だいたいモンモランシーと君はどういう関係なわけ?」
「ああ、彼女は僕と付き合っているのさ」
「付き合ってないわよ! …………ギーシュは、私に素敵な彼氏ができるまでの相手でしかないわ。本当よ!」
共感性皆無のレグルスでも、モンモランシーの言葉をそのまま受け取るほど鈍感ではない。
熱に浮かされた顔をしながら天邪鬼な言葉を吐く彼女を見て、酷くつまらない気分になった。余程この世界は、何の罪もない自分を貶めたいらしい。
彼女をさっさと『候補』から外し、舌打ちしながらそっぽを向いた。
「はあ、もういい。君たちに用はないからさっさと帰れよ。目障りで仕方がないからね」
憎悪の対象もここまでくれば、目に入れるのも地獄だ。
こうなればもうふて寝である。布団の中にレグルスが入っていき、白一色に同化した。
まともな攻撃手段を失ったレグルスに、この反吐が出るような甘ったるい二人を叩きのめすことはできない。
もっとも、その手段はないわけではないのだが——、
「おや、邪魔だったかな? 僕としては、決着を迎えたときに君が使った魔法について聞きたかったのだがね」
「――はあ? 桃髪女にも言ったがそんなもの使った覚えがない。決闘の最後の方の記憶は曖昧なんだよ。一般市民を平気で拷問する異常者のせいでさあ。……何をしていたのか自分でもわからないね」
「そうか。あれは偶然の産物なのか? でも君は杖を使っていなかった。それが疑問だったんだ」
「レグルス。私はアンタの怪我の軽さにも驚いたわ。命が危ういくらいには痛めつけられていたはずなのに」
レグルスの怪我が軽いトリックを、モンモランシーは探しているらしい。
説明するとなると、彼女が自身の権能に深く関わってくることになる。
それはとてもごめん被りたい状況なので、レグルスはモンモランシーを視界に入れないまま、
「魔法のことも怪我の理由も、わざわざ話をするまでもないね。ただ言えるのは、僕が満たされた人間だからそうなっているってことだけだ」
「…………話す気はないのね。わかったわ」
呆れたように溜息をつき引き下がるモンモランシー。
彼女はもうすでに『候補』から外れているため、レグルスとしては相手する気力がわかない。
殊勝な彼女の態度も、もはやレグルスの中では加点にならない。
何せ、彼女がギーシュの名を嬉しそうに呼んでいるのを、ありありと想像できるからだ。
すると、内心憂鬱気味なレグルスに、諸悪の根源のギーシュが近づいてきた。
「そういえば君、ルイズとはどうなんだい?」
「————なに?」
なにをいっているのだろうかこいつは。
冗談として聞き流せない言葉を耳が拾ったような気がする。
とっさに体を起こし、レグルスの顔がギーシュへ向いた。
「もう一度、言ってくれない? 君が馬鹿な事を言っているように聞こえたからさあ。僕とあの女が何だって?」
「使い魔として、男として、ルイズをどう思っているんだい?」
何度聞いても変わらない戯言に、レグルスはこれ以上ない程に顔をしかめる。
男と女が同じ部屋。そんな事実を前に良からぬ推測が生じるのは理解はできる。レグルスが拠点としているのは女子寮の一室だし、そこにルイズと居ればそんな疑問が鎌首をもたげるのは、当然である。
なら、期待に応えるのが筋であろう。
「顔も声も態度も、何もかもがうるさい。あんなにたくさん無神経に神経を凌辱されたことはないね。あれに召喚されたことが、この世界で一番の不幸だと言えるよ。僕がアイツを使い魔にしてやりたいくらいだ」
「なるほど、君とルイズはたくさん言葉を交わしてきたのか。僕も自分の使い魔を大事にしていないとは言わないが、何せ言葉が通じないからね。羨ましい限りだよ」
「この世界の人間は話を聞くと死ぬって教育されているのかなあ。会話が通じない奴ばかりだよ」
「で? 彼女を主じゃなくて女性として見ると、どうなんだい?」
使い魔の方に話がそれるかと思ったのだが、そうはいかないらしい。
熱に浮かされたような話に目を光らせるギーシュ。本当に、どうかしている。
思い通りに行かない現実に舌打ちしつつ、レグルスは答えた。
「見れば分かるよね? なしだよ。なし。あんないろいろと喧しい女が僕に相応しいわけがないだろうが。僕の傍には、もっと静かで気立ての良い女が居ればいいんだよ」
「そうかい? 確かにレディとしては騒がしい所もあるが、彼女は君のことをかなり気にかけているんじゃないかな」
予想通りの返答をよこすギーシュに、レグルスは鼻を鳴らすと、
「自分の所有物を壊されたくないっていうのと同じでしょ。人を平気で物扱いするなんて、倫理観が欠如しているとしか思えないな、あの女は」
「君が勝手に言っただけだろう。…………悪かったよ、無粋が過ぎたね」
レグルスの中で拡大する被害妄想に、ギーシュはもう付いていく気はないらしい。
レグルスの思惑とは違う形で、胸やけのする話は終了した。
肩を竦めると、「最後に一つ」と言い、ギーシュはレグルスに尋ねた。
「ならば君は、どんな女性が好みなんだい? もちろん、モンモランシー以外でね」
「な、何言ってんの!」
さらりと惚気ていることには触れない。
否、触れる気も起きていない。何せ、レグルスはギーシュの質問を聞いた瞬間、動きを止めたからだ。
時間にして数秒の時を経て、レグルスは異世界史上最上の笑みを浮かべ、こう言った。
「顔の良い女」
今回の訪問は、間違いだったのだろうか。そうギーシュは、思わずにはいられなかった。
主の女の子が使い魔の名を呼んで、それを聞いて奮起した使い魔が敵に刃を剥く。
その敵にまさか自分が抜擢されるとは思わなかったが、心躍るシチュエーションだったのは間違いなかった。
ルイズとレグルスの間にある確かな物。そして、レグルスの持つ摩訶不思議な力。
あわよくば聞きたいと思った好奇心が、こうやってギーシュを殺すのだろうか。
「…………聞き間違いかな、さっきの僕以上に無粋なことを君の口から——」
気づけば、好きな女性談議に変わっていた。
無論、ギーシュがけしかけたことなのだが、レグルスの返答が余りにもあんまりで。
「処女で顔が良ければ、その時点でその女は僕の妻となる資格を得る。いや、そんな言い方はよくないね。資格とか権利とか、そんな事務的な響きが愛に介在するのは無粋がすぎる。それはよくない。まあ、話を戻すが愛なんてものは全て、顔の良さによって決まると僕は思うよ。笑うとブスになる女なんて、こっちから願い下げだよね」
「うわあ」
「うわっ無理だわ。本当に…………」
金髪無自覚カップルの顔が揃って引き攣った。
濃縮した気色悪さがレグルスと言う名のビックリ箱から飛び出したのだ。無理もない。
だが、決闘では鮮やかな勝利を挙げたことになっているギーシュ。敗北者に対し、簡単に譲歩するわけにはいかない。
それに、女性に関して一家言を持つのはギーシュとて同じ。
「まあ、確かに容姿が女性の魅力の多くを占めることを否定する気はないが、それを全てと言うのは――」
「いや、全てだよ。僕はその子の顔が好きなんだから。男が金を払うことを当然と思っていても、身勝手を押し通しても、平気で人を騙して貶めても、歯を磨かなくても、虚空を見つめて世迷い言を吐いても、夜な夜な人形を木に打ち付けていても、愛が行き過ぎて人を監禁しても、人前で音を立てて屁をこいても、部屋を片付けられなくても、友達の男を略奪するおかしな趣味を持っていても、家事を人任せにしていても、平気で道端にゴミを捨てても、ましてや世界を本気で滅ぼそうとしていても、顔が良ければ気にしない。気にする必要がない。その女性が僕の好きな顔をしている限り、僕は永遠に愛せるね」
「もういい。分かった。僕が悪かった」
「無理! 本っ当に無理……!」
もはや耳が腐りそうな彼の大演説に、ギーシュは制止を掛けた。
ふと振り向くと、あの自尊心の塊のモンモランシーが、目に涙を浮かべて震えている。
反吐が出るような彼の言葉に、酷く充てられたらしい。
――完全無欠。ルッキズムの権化。
トリステインの貴族でもいないというレヴェルの彼の女性観を前に、卒倒しそうになる二人であった。