レグルスの病床生活も終わりを迎え、ルイズの部屋での同棲生活が再開した。
天国から地獄へ。そんなレグルスの心境とは裏腹に、彼らの様子はシエスタから見ればいつも通りに映ったそうだ。そのことから、病室へのルイズの訪問率の高さを窺えるものなのだが。
しかし怪我が治っても、彼の捻じ曲がった性根は治るはずもなく、勝手気ままな自己中精神は不変を貫き——、
「いないんだけど」
シエスタに起こされ、おずおずとベッドから起き上がったルイズの目に入ったのは空っぽの敷布団。布団の上でのんきに眠りこけているはずのレグルスが、いない。
そばでルイズの着替えを用意しているシエスタに対し、尋ねた。
「アンタ、アイツを見なかった?」
「いえ、わたしがここに来た時にはすでに、もぬけの殻でした」
「何ですって!?」
見当も付かないといったシエスタの返答を受け、ルイズは怒りを表す。もうアイツは一生怪我していた方がいいんじゃないだろうか。
ルイズのためにも、世界のためにも。
朝食の時間が迫る中不在を決め込む使い魔。今頃、何をしでかしているのか——。
「あのノミ————ッ!!」
「いないんだけど」
同時刻、ルイズと全く同じセリフを吐く人物がいた。
ルイズの怒りの主な矛先として有名(?)なレグルスである。もっとも、両者のセリフのニュアンスには、ルイズは一個人の探索。レグルスは不特定多数からの選出という違いがあるが。
そして、彼が選出することと言えば——、
「僕の妻となるべき女性がいない! これはあってはならない由々しき事態だ」
焦りが体の中から生まれ、レグルスは嫌な汗をかく。自身の妻の選出。これを急ぐ理由には大きく分けて二つ理由がある。
一つ目は、権能を完全にすること。『小さな王』を妻に宿し、権能を完全にすれば食事を摂る必要がなくなる。これによって食堂での舐めた扱いを回避することが出来、ついでに気に入らない貴族共を教育できるようになるのだ。
そして二つ目はこれまた重要で、精神の安定を図るためだ。ルイズとシエスタからの度重なる心身を削る攻撃により、レグルスの心は荒れに荒れている。これを癒す女性が一人くらいは居てもいいではないかというのが、レグルスの持論だ。
そんなわけで、朝の女子寮を不審者と間違われないレベルに堂々と、彼は闊歩していたのだが。
「僕のお眼鏡に叶うものがここまでいないとは思わなかった。そしていたとしても男付きだ。世界の不条理を受け入れるって言っても、限界があるよ」
可愛くなければ声を掛けない。声を掛ければ逃げる者もいるし。逃げなくても、近くに居る男とべったりし始める。
もうたくさんだ。
精神的に限界なので部屋を出たというのに、更に追い詰められたとなっては本末転倒ではないか。この世界は、自分のことを排除すべき存在とみなしているのだろうか。
「いや、そんなバカげた思想を世界が持ち合わせていたら、僕はこの世界ごと吹き飛ばしてやるが…………お?」
ぐちぐちと不満を垂れながら歩くと、ある部屋に差し掛かった。中を覗けば、所狭しと並んだ本棚が映る。どうやら図書室のようだ。
吸い込まれるように入り本棚を眺めるも、もちろん何が書かれているか分からない。読解を諦め、何となしに足を進めると———、
「子ども……?」
「…………」
本棚を抜けると、数十人の席が用意された大きな机。ちらほらと貴族の生徒がいる中、その一人にレグルスの注目が向いた。
青髪の眼鏡を付けた少女。手には彼女の座高を超えるほど大きな杖を持っている。そんなアンバランスな魔法使いの彼女は、制服を見なければ十二、十三の子どもにしか見えない。無論、レグルスの『候補』としては幼すぎるとして、除外されたのだが——。
「そんなに熱中して、何を読んでいるのかな? 良ければ教えてくれないかい?」
気づけば話しかけていた。
レグルスの質問に、少女は答えることなく、杖を明後日の方向に向けた。そちらを眺めると、異世界語で書かれた張り紙。少女は無言で意思疎通を図っているようだが、レグルスの言語能力では不可能だ。
「僕は言語を読めない。いや、決して学がないなんて勘違いされては困る。そんな早とちりで人を乏しめるのはどうかと思うけどね。ああ、それでも言葉は通じるわけだからさ、口頭で伝えてくれないかなあ?」
「図書室では、静かに」
虚空に消えそうな声で正論を言われた。まさか喋るとは思わず不意を突かれたレグルスだったが、少女の指示通り声を小さくし、
「僕としたことが、公共の決まり事を侵害してしまった。いや、これは一つの教訓だ。図書室では静かにする。それを一度でも破ってしまったことは心苦しい。でも、この胸の痛みが僕をまた一つ、僕に新たな完全性を見出してくれた。僕は二度と、同じ失敗を繰り返さない。それでは僕に侵害された決まり事が可哀想だ。周りの人のためにも、決まり事を考えてくれた人間のためにも、僕は個で完結した存在でいなければならないんだ。違う?」
「……違わない」
少女の短い肯定に、レグルスは気を良くして笑う。ここまで話の分かる少女はキュルケに続いて二人目だ。性格は対照的に見えるが、案外この少女とキュルケは気が合うのではないだろうか。
「わたしはタバサ。あなたは?」
「自己紹介までお手の物か! 十年後が楽しみだなあ! …………そうだね、僕はレグルス・コルニアス。信じてくれなくて構わないけど、異世界人って奴さ。はた迷惑な桃髪女のせいで、僕の安寧の生活が遠ざかってしまったんだよ。酷い話だ」
「お気の毒」
「君だけだよ。僕の苦労を心から分かってくれる殊勝な人間はさあ。独善女、そのお付きの毒舌メイド、暴食肥大男、金髪お花畑共。みんな破綻者だ。他人の都合を考えたこともないに違いない」
「盛りだくさん」
一方的なレグルスの会話劇に少女——タバサが乗ってくれるので、レグルスの中で彼女の心象がうなぎ登りになる。あまりにも円滑に会話が進むため、レグルスの心の壁は崩壊間近になっている。そこを突くかのごとく、タバサはある質問をした。
「聞きたいことがある」
「ん? 何だい、言ってごらんよ」
「『先住魔法』とも違う、未知の魔法を使う貴方。目的はなに?」
そんな探るような彼女の質問に、レグルスは首を傾げ、
「『先住魔法』? どんな魔法なんだいそれは? 後、僕が魔法を使ったという事実はないよ」
「『先住魔法』はエルフが使う。それをエルフじゃない貴方が決闘で使った」
そう言うと、温度を感じないタバサの目がレグルスに向けられ、
「気になる」
「…………ま、まあ僕に与えられた特権なんだよ。満たされた僕が言うことを疑うのかい?」
もはや意味不明な躱し方なので、タバサの目が僅かに鋭くなる。無表情にも程がある顔だが、数々の『綺麗な顔をした』妻たちと接してきたレグルスには、その違いがわかる。詰問されるのを予感したレグルスは、さっさと次の話題に移ることにする。
「それで目的だっけ? 簡単だよ。——僕の妻となる女性を探している」
レグルスとしてはやることと言えばそれくらいである。さっさと妻を見つけ、自身を元の完全な存在にする。それさえできれば、この世界で永住するという最悪な状況に陥っても何とかなる。
今度は表情を変えず、タバサはさらに尋ねる。
「それをして、あなたに何の得が?」
「満たされた僕には、足りない何かがあることが不自然だ。妻を失った僕は、新しい妻で穴埋めをする必要性が出てくる。それだけだよ」
「…………目的は分かった。今日はここまでで」
そう言うと、タバサは本を読む作業へと戻っていった。相も変わらずの無表情、だがそれを崩す気もなかったので多少の不満はあったが、レグルスは図書館を後にした。
「あそこまで表情を変えない少女がいるとは、とんでもない掘り出し物だったなあ!」
不格好なスキップをしながら、レグルスは舞い降りた成果に喜んだ。数少ない素晴らしい出会いを果たし、彼の機嫌は右肩上がりだ。女子寮の廊下を、出来損ないのバネのように跳ね回るレグルスに、生徒たちの様々な目線が突き刺さるがまるで本人は気づかない。
だが、そんな気分もすぐに解消される運命にあるのか——、
「レグルスさん!」
…………見つかった。
突発性毒舌メイド——シエスタに声を掛けられ、レグルスの顔が不快を示す。彼女の視界に入ったということは、地獄の釜に逆戻りすることと同義なので、
「何の用かな? シエスタ。僕はさあ、前のような家畜の飯はごめんなんだよね。それは僕じゃなくても人として当然の感情だ。人を人としない扱いを良しとするあの場所が、僕は嫌いなんだよ」
「だから! その朝食のためにレグルスさんを探していたんですよ! ……ほら、行きますよ」
「ちょ、離せぇ!」
当然のように腕を掴まれ、思いっきり引っ張られた。メイドとして鍛えられたのか分からないが、その力は強いにも程があった。もちろん、百年間権能に引きこもっていたレグルスに、振り切る力などあるはずもなく、
「離せ! 離しなよ! 離して口で話すのが当然だろ! 僕をどこに連れて行く気だ。僕の妻を探すという細やかな日常に横槍を入れてまで、必要なことなのかなあ!?」
「だって離したらレグルスさん、逃げるじゃないですか。それに説明したところでまた喧嘩になるくらいだったら、もう連れてっちゃいます」
「ふざけてる! 僕を会話が成り立たない猛獣だと勘違いしているのか!? 僕のどこをどう見て判断すればそんなとち狂った結論に至るんだ!」
「今までのレグルスさんの言動を普通に見て、ですかね」
そのままずりずりと引っ張られ、レグルスの無作為ナンパタイムが終焉を迎える。行き先は、鎖につながった魔獣でももう少し理性的だと思わせるような女の部屋。
——最愛の妻が遠く、食事の席は貧しい。
何もかもが欠けに欠けている現状に怒りを爆発させ、いっそのことドアを蹴とばしてやる。
「あのさあ、こんなところに連れてきて何の用なわけ!? 僕にも自分の時間っていうのが——」
そう口を開いたレグルスの顔が固まる。開け放った部屋にはルイズの姿はなかった。そもそもルイズの部屋ですらない。
そこは、厨房だった。
食欲をそそるような匂いが辺り一面に充満し、自然とそこにあった料理が目に映った。
一人分の料理が、テーブルに載っている。
ポツンと孤立するようにある朝食を見て、レグルスは尋ねた。
「これは、誰の?」
「レグルスさんのです。貴族様たちと同じ食材で、用意しました」
「これが、毎日?」
「?……ええ、ミス・ヴァリエールがそうしてもいいと言うので」
「…………そうか。ならいただこう」
満たされるべき現状の一つが、満たされつつある。それは完全な存在の自分には、当然のことなのだから食事一つで大喜びするのも馬鹿らしい。
それなのに、与えられて当然のものに感謝したくなるのは、あの女のせいだと思うことにした。
「うん、なかなか美味しいよ。君は口から毒しか吐かないんだから、料理にも毒があるんじゃないかと疑っていたことは言わないでおこう。これが気遣いってやつだよね」
「…………なるほど」
「えっ」