食事の問題をあっさりと解決し、朗らかな気分でレグルスはルイズの部屋へと向かう。
部屋で待ち受けるだろう、桃髪女などもはや物の数ではない。
彼女が何をしたところで、今の自分を止められるはずがないのだから。
「どこをほっつき歩いていたのよ、レグルス!」
案の状部屋に入った瞬間、ルイズが鋭い声をぶつけてくるも、レグルスは肩をすくめるだけで終わる。
食で腹を満たし、いざ妻探しへといった出鼻を挫いたメイドはもういない。
代わりに目の前に立つのは、静かという形容詞が最も似合わない女だけだ。
秘密という概念を知らないかのようなルイズに、レグルスは面倒そうに口を開く。
「君にいちいち言う義務が僕にはないよね。誰でも隠しておきたいことの一つや二つ、あってもおかしくないでしょ。全てを知ろうとするなんて、君は神にでもなったつもりか?」
「アンタの隠し事が穏便な試しがないわ。決闘であんな隠し玉を持っていたんだもの!」
興奮冷めやらぬといった様子のルイズの言う「隠し玉」に、レグルスは眉を顰めた。
一生蓋をするどころか放り捨てたい決闘の記憶を、レグルスは無理矢理引っ張り出し、その発言の真意を探る。
——やはり、忌々しい土人形の拳が目の前で飛び交っていることしか記憶にない。
あんな一方的な虐殺円舞で、レグルスが隠し玉を披露したと周囲が言うのを、彼本人には本気で理解できないのだ。
どう考えても、自分は誰かに手を差し伸べられるべき被害者でしかなかったのに。
「あったかも分からないことで槍玉に挙げるなよ。まずは僕が何をしていたのかって情報を提供することから始めてくれない?」
「なんかこう…………すごい速さでギーシュのとこにすっ飛んでいったのよ! 壁となったゴーレムなんて、物の数じゃないって感じ」
「すごい速さ?」
そんなことをした覚えはもちろんない。
「見間違いなんじゃないの? 君の視覚異常の与太話に僕を付き合わせないでほしいね」
「いや、確かに見たわよ! みんな証言できるわ!」
ルイズの眼差しを見ても、どうにも嘘をついているようには感じない。
この女がそんなバカげたことに時間を使えるほど、余裕を持っているとは思えないからだ。
確かに、レグルス本人の肉体の時間を止めれば、物理法則から独立した高速移動の一つや二つはできるはずだ。
だが、周囲の物体への時間停止が封じられている以上、その運動を解除するときには相応のダメージを覚悟しなければならない。
そんな諸刃の剣の選択肢を、あの極限状態で本当にそれを行ったかは、レグルスにはまるで分からなかった。
仮に本当だとしても、肉体をボロボロにしてまで自分がやりたかったこととは?
「——知ったことではないな」
思い出そうとすると、なぜか反吐が出るような気分になるので、レグルスは思い出すのをやめた。
過去の想起から現状の把握へと思考を一転。
すると、自身の行動可能な範囲の狭さに不満が生じ始めた。
妻を迎えられれば、このルイズの元から脱する口実ができる。だが、彼女の存在が、レグルスの妻探しにおいて大きく障害となる。
何せ自分は、ルイズの元、不当に拘束を受けているのだから。
そんな二律背反に囚われている現状に、レグルスは苛立ちを募らせる。
「どうして君の傍に居る必要があるんだよ。君は他人に依存していないと生きていけない類の人間なのかなあ」
「使い魔がわたしの近くにいるのは当然じゃない」
またその理屈か。レグルスの目が遠い虚空に囚われたかのように死んだ。
この瞬間、レグルスは戯言を聞き流すという超高等技術を手に入れた。
それは、彼の破綻し切った人格を考えるとあまりにも大きな一歩。
もっとも、そのことを本人は自覚しないし、指摘した者の末路は明らかだが。
「…………分かったから早く目的地を言ってくれない? 君に付いていかざるを得ないんだから、それくらいは聞く権利があると思うんだけど」
もはや口論する気も起きないので、レグルスはルイズと行き先を共にすることにした。
別に近くにルイズがいることで、自分が妻を探すことを躊躇うわけではない。
この女がいる目の前で、堂々と口説けばいいのだ。
むしろ、その発想に至らなかったことが、レグルスは疑問に思った。
「アンタ、丸腰でしょ? 意味わかんない力を持っているとは言え、見てて不安になるほど隙だらけよ」
「何が言いたいかはっきりしろよ。人の欠点を鬼の首を取ったように言いたいだけなら、他を当たってくれない?」
「なら言うわ。…………武器を買いに行くわよ」
「嫌だね」
一言で即答。
レグルス史上、トップスリーに入るくらいには短いセリフだった。
そんな彼の返答に目を見開くと、ルイズはずかずかとレグルスに近づき——、
「何でよ? 剣の一つでも持っていれば、護身くらいにはなるでしょ?」
「そんな物騒なもの、僕の平穏な生活に必要ないでしょ。それに武器なんて持ってたら、どんな実力を過信した身の程知らず共を刺激するか分からないよね? 何で、自ら面倒事を引き起こさなければいけないのかなあ」
武器といった人を殺めるものは、レグルスとしては物騒でしかない。
わざわざ武装なんてして、余計なイザコザに巻き込まれるのも許容できない。
それに護身なんて権能だけで十分だ。
五秒間の無敵さえあれば、分かりやすい武器なんて必要ない。
——このとき、レグルスは自分に攻撃手段がないことを忘れていたのである。
「いいから行く! せっかくの休日なんだから、できることは済ませておくわよ」
「そのできることって言うのが、僕にもあるんだけど? それが武器の調達でないことは君にも分かるよね? 人には人の時間の使い方がある。君の用事に僕が巻き込まれる理由はどこにも——」
「これはアンタの用事よ。だからさっさと準備しなさい」
そう言うと、ルイズは部屋を出ていった。
——もう権利を行使するときではないだろうか。
抗いがたいこの衝動をレグルスが封じ込められたのは、奇跡でしかないだろう。
レグルスの不平不満を聞き流しながら、ルイズがたどり着いたのは、学院の傍にある厩舎。そこは、貴族たち専用の馬が用意されている場所だ。
その中の一頭を連れ出したルイズ。そんな彼女と馬を見て、レグルスが怪訝そうな顔をする。
「おや、何だこの四本足の動物は? 地竜とは違うのかい?」
「ちりゅう? …………アンタ、馬を見たことないの?」
「ああ、これがウマか。実物は初めて見たよ。僕の世界では生息数が非常に少ないからね」
彼の世界では絶滅間近なのだろうか。そして地竜とやらはルイズは聞いたことがない。
興味深そうに馬を眺めるレグルスを見て、ルイズは彼の世界に思いを寄せた。
自分にとって当たり前のものがなくて、未知のものが蔓延るだろう彼の世界。
でも、彼みたいなのがいっぱいいるのなら絶対に行きたくないと、ルイズは考えるのをやめた。
「で、アンタ乗れるの?」
「は? 僕に直接動物に跨れっていうのか? 冗談じゃない。何でそんな危険なことをやらないといけないんだ。荷台付きのを用意するって心遣いはできないわけ?」
「そんなお金ないわ。最近、すっごく高い買い物をしたからね」
「君の浪費癖のつけを、僕が払うことになるのが納得いかないんだけど、そこのとこ、どう思ってるのかなあ?」
その高い買い物は、シエスタに渡したレグルス用の秘薬であるが、それを言う気はなかった。
ぶつくさと不満を吐きながら、レグルスが馬に近づいていく。
しばらく彼は馬の周りを歩いていたが、足を止めるとルイズの方を向き——、
「どうやって乗るわけ?」
「え、普通に乗ればよくない?」
「それは誰にとっての普通なんだよ。君にとっての普通ならてんで的外れなこと言ってること、自覚してる?」
「ああ、そうだったわね」
めんどくさいという内心の不満を押し殺し、ルイズは実演でやって見せる。
数え切れないほど繰り返してきた動作。今更、詰まることもない。
なんの危なげもなく乗馬に成功するルイズ。それを見て、レグルスは形ばかりの賞賛を送る。
「流石? それとも当然と言えばいいか? まあ、上手なんじゃない。わからないけど」
「ごちゃごちゃ言ってないで、同じように乗りなさいよ」
「ま、君にできて僕にできない道理はないからね。さっさと乗りこなしてみせるさ」
ルイズは言いようのない不安を、彼の言葉から感じた。
馬から降りたルイズと交代するように、レグルスが自信たっぷりの様子で馬に向かう。
ルイズには、レグルスが乗馬に成功する未来がまるで見えない。
彼女の中では、足を滑らせたレグルスが落馬する姿がイメージされ——、
「うぐあッ!」
「あっ」
そのイメージが、現実のものとして目の前に体現された。
声の元はレグルスだ。尻から落ちたのか、地べたに座り込んでいる。
めげずにもう一回、という具合に立ち上がるが、ルイズは彼の運動神経の悪さを確信する。
まさか跨ぐことすらできないなんてことは——。
そんな疑念を向けられたレグルスが、慎重に馬に跨る——その瞬間、
「ッ——クソッ! コイツ、何のつもりだ! 何のつもりで僕を振り落とそうとするんだ! 乗るために躾けられたんだから、役目を全うするってことを覚えろよぉ!」
馬が闘牛のごとく、暴れだしたのだ。
その暴れっぷりは、引っ付いたノミを振り落とそうとする猫のごとし。
本気でレグルスのことを嫌がっている馬を宥めようと、ルイズが近づく。
やがて落ち着きを取り戻した馬が渋々と言った感じで、レグルスの乗馬を許す。
奇跡的に振り下ろされなかったレグルスを乗せ、立ち上がった——が、そこで終わりだ。
「で、次はどうするの?」
「馬を蹴りなさい」
「…………は?」
ルイズが返答すると、レグルスの顔が固まった。
信じられない物を見るような目を向けながら、レグルスが尋ねる。
「…………誰を何だって?」
「その足で、馬を蹴りなさい」
一変、レグルスは人類の敵から、馬の味方となった。
「何て女なんだ君は! 君の行き過ぎた加虐趣味は、こんないたいけな動物にも振るわれるってわけ? それは許せない。許されるはずがない。確かに、このウマって生き物は僕を放りだそうとしたさ。僕という存在を煙たがり、振り落とそうなんて仕打ちをした。でも、それでこのウマが不当な暴力を受ける義理はないよねえ。そして、その趣味を僕の手で完結させようと言うのに悪辣が極まっている! 僕を性根の捻じ曲がった存在に仕立て上げたいのか、この外道が!」
「そういうものよ」
完全に人類を害敵とみなしたレグルスが怒りだしたので、ルイズとしては遠い目で言い返すしかない。
だいたい、数秒前までは馬に対し罵倒を浴びせていたにも関わらず、何て変わり身の早さだろう。
「そういうもの!? 動物虐待を当然とする君の考えには嫌悪しかない。僕はこのウマって生き物をただの乗り物としてとらえてなどいない。一匹の尊ぶべき、生き物だ。今を生きているんだ。そんな彼らの権利を、君みたいな女に侵害されるのは僕としては我慢できな——」
「言い方が足りなかったわ。優しくでいいのよ。そっと足で触れるだけで、それが合図になるの」
ルイズの助言を聞くと、レグルスの超舌披露が停止する。
「それなら最初から」と言うように文句を垂らしつつ、レグルスの足が馬の腹へと向かう。
多分、彼なりにルイズのアドバイスを聞き、実行に移そうとしているのだろう。
ここまでの聞き分けの良さを常日頃から発揮してほしい。
そんなルイズの願いを知らないレグルスは、足を一端、馬の腹から遠ざけ——、
「? 遠ざけ——」
レグルスの異常動作に、ルイズは不審な表情になる。
それは馬も同様だったそうで、訝し気に首だけでレグルスに振り替える。
——その顔にレグルスの足がクリーンヒットした。
「うわああ——ッ!」
思わぬ衝撃に馬が激昂。レグルスを乗せたまま、走り出してしまった。
「降ろせ!」、だの「止まれこの畜生が!」だのレグルスは喚いている。さっきの斜め上の慈愛に満ちた彼は、どこに行ったのだろうか。
否、そんな慈愛など、彼にとっては気まぐれでしかなく、
「ぎゃああああ——ッ」
名ばかりの動物愛護者となったレグルスが、地面に派手に転がり落ちた。
そんなレグルスを残し、ルイズの馬は重りを降ろしたかのように、走り去っていった。
数十分後、ルイズは何とか暴れ馬を確保した。
疲労困憊に明け暮れる彼女と馬を睨みつけ、レグルスは憎たらしそうに吐き捨てた。
「なんて畜生だ。飼い主に似たんだろうね」
「…………次、新しく馬を買ったら、ソイツにはレグルスって名前を付けようと思うわ」
「そんなバカげたことを実行したら、馬のように教育してやる!」
そう激昂するレグルスを見つつ、ルイズはこれからどうしようかと途方に暮れた。
レグルスを連れ出す外出手段が、ない。
完全にレグルスを嫌ってしまった自分の馬を見て、ルイズは溜息をついた。