知らない表情が顔に現れることが、不愉快だった。
自分が知っているのは、そんな悲しみに暮れた表情ではない。もっと理不尽さを体現したような顔をするのが、いつものアイツではなかったのか。
あんな顔をするのは、アイツではない。
あんな顔をさせたのは自分なのだろうが、それが分からない。
でも、要らぬ施しを押し付けてくるクズ共のような行動を、自分がするわけがない。
だから、あの場で彼女を泣かせたことに自分が起因することなど、あっていいはずがない。自分の行動を穿った捉え方をして、勝手に泣き出すアイツが悪いんだ。
自分は悪くない。アイツが悪い。自分は悪くない。自分は悪くない悪くない悪くない悪くない悪くない悪くない——。
知っている天井が見えた。
かつての決闘終了後のような、全身の痛みがないことを確認すると、レグルスは起き上がった。そのまま周りを見渡して確信。どうやらここはルイズの部屋らしい。なら、押し付けがましくも布団が掛かっているのは、彼女の仕業なのかもしれない。
歩きながら、何が起こったのか思い出そうと、ベッドから抜け出そうとし——、
「おや、目覚めたようだね。調子はどうだい?」
二度と聞きたくないと思っていた貴族——ギーシュの声で、出鼻をくじかれた。こんな花畑男と二人きりになるなんてご免だ。
だが、そんな拒否感を露にする前に、ギーシュと二人という状況に違和感を覚え——、
「片割れの花畑女はどうしたの? もしかして、君の愛情不足で別れたのかな? 花に水を与えないと枯れるのは当然だろうに、どうしてそのように怠惰を重ねることができるんだろうね」
「うぐっ……」
胸を押さえて後ずさるギーシュ。どうやら事実らしい。もっとも、ギーシュの女じゃなくなったところで、レグルスがモンモランシーを追い求めることはないが。
しかしだんだんと、手の届かない存在になった女に執心するギーシュの様子が、憎たらしい邪精霊の姿と被り始める。内心のイラつきを必死に抑えながら、レグルスは本題に戻る。
「それにしてもさ、ここってあの傲慢女の部屋だよね? 肝心の部屋の主がどこにいるのか知りたいんだけど」
「あ、ああ、ルイズなら、君が寝ている間にここに来てたよ。部屋から出ていくのをさっき見たからね」
「自分の魔法が原因で僕が気絶してるっていうのに、直接会って詫びを入れることすらしないのか。まるでなってない女だなやっぱり」
「今の彼女にそれを求めるのは酷だろうけど…………でも、」
かなり気になることを漏らすギーシュだったが、彼の次の言葉の前に、その関心は消え去った。
「そのなってない女のために、君は声を上げたじゃないか」
「……は?」
「僕はね、えらく感動したんだ。まさか、君があそこまでルイズに入れ込んでいるとは思わなかったよ。逆境に立たされた愛する人を救うために立ち上がるというのは、古来から物語としてよくあるからね」
言っている意味が、分からない。その理解不能さは、ルイズの言動に対するものと質が近い。いつ、自分が彼女を救うような真似をした。いつ、彼女を庇うようなことをした。彼女が見下されたと勘違いするような言動を、自分がするわけがない。
そう結論付けようとするレグルスを見ると、ギーシュは何てことのないように言った。
「君は本当に、この世界の人間なのかな?」
「——何?」
急に事実を看破しそうになるギーシュに、レグルスがたじろぐ。そんな彼を見て、ギーシュは確信を持ったように頷くと、
「異世界からの旅人疑惑濃厚な、君にも分かるように言っておこう。貴族にとって、魔法が使えるか否かは死活問題だ。いや、使えないなんてことはありえない。何せ、呼吸と同じようにできるのが当たり前だからね。魔法を使えないなんて貴族がいたら、そいつにのしかかる孤独を、僕には想像できない」
「……敷かれている価値観があまりにも閉鎖的すぎると思わない? 魔法を使えない貴族なんて、『僕の世界』には五万といると言うのに」
「そんなこと言われても、僕にはどうしようもないな」
だから、あの女は苦しんでいたというのか。
誰もが使える魔法を使えないから、他の貴族のように、レグルスに嗤われる絶望を味わいたくないと。
そのことから『庇うような』ことをされたから、見下されたと絶望し、裏切られたような目をレグルスに向けたのだと。
「——面倒くさい。そんな繊細な精神構造をあの女が持っていたら、僕はここまで精神的にも肉体的にも侵害されることはなかったはずだ。あんなの放っとけばいいさ。いずれ勝手にいつもの面倒な女に戻る。本当、変に拗らせたのか何だか知らないけど、自分らしくない行動を取って周囲の人間がどれほど迷惑に感じるのか、一度考えた方がいいね。あの傲慢女は」
「今は様子を見ると。まあ、それが賢明だろうね。僕たちには彼女の孤独を理解できない」
「素敵な解釈をどうもありがとう。君の墓に刻んどいてやるよ」
正直、今のルイズに下手に干渉しても、満足いく結果は見えない。もっとも、彼女を相手にして満たされた反応が返ってきたことなど、皆無なのだが。
なら、彼女が本調子だろうがなかろうが、やるべきことは変わらない。むしろ、鬱陶しい彼女の干渉がない今、妻を探すのにもってこいの時間ではないか。
しかし、空腹はごまかしようがない。ギーシュを部屋に残し、いつものように、レグルスはシエスタのいる厨房に足を運んだ。
気絶していた時間が長かったのか、辺りはすっかり暗くなっていた。
レグルスは今、厨房に向かっている最中だが、女生徒と微塵も会わない。この分では、シエスタも時間通り厨房にいるのか怪しい。だがその前に、今の時刻そのものが分からない。
花嫁との会合がまた一日遠くなる予感に、レグルスは不満を覚えていたが——、
「また会ったね、タバサ」
「…………」
この世界で最も静寂が似合う青髪の少女——タバサに出会ってからは、そんな気分も晴れ渡った。『候補』になるには見た目年齢が足りてないが、ここまでレグルスの精神を癒してくれる存在は貴重だ。
「夜空に浮かぶ月が綺麗な時間帯だ。何故か二つもあるのは未だに納得いかないけど。それで、こんな夜更けに君はどうしてこんなところにいるのかな?」
「静かなのは嫌いじゃない」
どことなく返答になってない返答にも、レグルスは気分を害さなかった。いつも自分を罵倒しまくる少女達を相手にしているからなのか、こういう普通の会話に飢えていたのかもしれない。
そんな毒にも薬にもならない会話を続けている内に、タバサが意志表示を開始した。
「お願いがある」
「何かな? 無口な君が口を開くくらいなのだから、かなり大きなことなのだろう。それを聞いてやるくらいの度量は、僕にはあるからね」
「貴方の使う『先住魔法』に似た力について、詳しく話して」
前と同じことを聞かれ、レグルスは閉口する。
この世界の誰にも、否、最愛の妻たちにすら話していない秘密——権能。それを話すなんてことは、考えたこともない。別に話したところで、自身の優位性が揺らぐ訳でもないという信念はあったものの、権能が不完全の中他人に話してしまえば、レグルスが完全な存在に戻ることを恐れた人間たちが邪魔しに来る可能性も出てくる。
それは面倒くさい。まあ、別に権能を失った今でも、完成された存在ではあるが。
「お願い」
だが彼女の無機質な瞳を見て、レグルスは考えを改める。
断言しよう。タバサは魅力的な少女だ。
妻にする前からここまで好みの表情をしているのは、見たこともなかった。妻に娶ってきた女性達は顔の美しい人ばかりだったが、表情を変えるのが普通だった。もちろん、桃髪女程の表情のうるささは後にも先にも彼女だけだろうが。
それに、将来自分が権能を取り戻し、老化という呪いから抜け出せれば、タバサの成長を待って花嫁にするという未来も考えられる。
——信頼を得るために、話してもいいかもしれない。
新雪のような白色の花嫁衣装に身を包んだ、異世界で最初の妻を想像する。
小柄な彼女にピッタリな、エンパイアラインのウエディングドレス。
飾り気のない彼女を象徴するような、派手さをできるだけ減らした、ナチュラルなドレス。
透き通ったベールから覗く、剝き出しの肩に掛かる桃色の髪。
——桃色? なぜ?
未来想像図に割り込んできた異物に動揺していたので、ただでさえ遅いレグルスの反応が、更に遅れた。
「——ッ!」
無表情のタバサが見せた驚愕の表情。
それにどうこう言う前に、レグルスの体は宙を舞っていた。
「は——ッ!?」
レグルスの肉体がギリギリと締め上げられ、圧迫による痛みを訴える。権能に守られていたときには感じ得なかった忌々しい感覚。
激痛をもたらす茶色の物体の拘束によって、レグルスは空高く持ち上げられていた。
「——こんにちは、使い魔さん。やっと近くで会えたわね」
初めて聞いたにもかかわらず、極めて不快だと思わせるような声が聞こえた。
かつて見た土人形を丸々巨大化させたような物体——巨大ゴーレムの肩の上に、フードを被った女を見つけた。どうやらレグルスを拘束しているのは、あの巨大土人形の手に相当する部分らしい。
「使い魔さんって何? 僕にはレグルス・コルニアスって名前があるんだけどさ、初対面でその呼び名を使ってくるってどういう頭してんの? その言い方だと、僕が誰かに追従しないと生きていけない不完全みたいじゃないか。完全な存在として成り立っている僕を侮辱しやがって、言葉の選び方に注意を払えよ!」
「こんな状況で怒る所がそんなことかい。本当、貴方は常識はずれの人間ね」
考えたくもなかった状況を理解すると、レグルスは顔を歪めた。
彼女のゴーレムの大きさは尋常ではなく、頭の部分が学院の最上階くらいの高さにある。そしてレグルスも漏れなくその位置まで持ち上げられている。
この拘束から抜け出すことは容易だ。自身の肉体の時間停止ができるため、ゴーレムの腕なんて一瞬で突破できる。
だが、この高さが問題だ。仮に突破したところで三階分の高さからの自由落下が待っている。無敵の状態で着地したところで地面を掘り進むことになり、五秒の無敵時間が経った後、どうなるかなんて考えたくもない。
一つ分かるのは、以前のベッドの生活以上に酷い怪我を負うということだけだ。それは許容できない。
「この状況から脱したかったら私のお願いを聞いてくれたらいい。あそこの建物が見えるかい? この学院の本塔なんだけどさ、あれにちょっとヒビを作ってくれないかい? 貴方の『先住魔法』でね」
「脅しにしても交渉にしても陳腐すぎる。第一それをしたところで僕に何の利点がある? 拘束状態を作ったのは君なんだからさ、そこからの解放は当然のことでしょ」
このままでは、互いの主張は平行線に向かうことを予感し、レグルスが相手を痛めつける言葉を探していると——、
「うおぁ!?」
自身を掴むゴーレムの手が衝撃を受け、レグルスが声を上げる。衝撃の発生源は、ゴーレムの手に刺さる三本の氷の矢だ。先ほどまではなかったことから、誰かが撃った魔法だと推測ができ——、
「タバサか!」
「彼を離して」
透徹し切った彼女の瞳がレグルスを、否、フードの女を貫く。その瞳の綺麗さが遠くからでも確認でき、レグルスは頬を緩めそうになり——彼女がレグルスを危険に晒す行動をしていることに気づいた。彼女の一挙手一投足に自身の運命が左右されることを恐れたレグルスが、立場を忘れて絶叫する。
「待て! 君は僕の解放という結果を手繰り寄せようとしているのは分かるけど、状況をまず把握しろ! 君が仮にこの土人形の手を破壊できたとして僕はどうなる! 重力とかいう暴力的な力に僕が晒されるだろうが!」
「魔法で助ける」
「そんな都合のいいものじゃないだろうが魔法というのは! それによく考えたら君が僕を救う理由が見つからない。そもそも僕の好みの表情を元からしていることが不気味だ。そんな怪しんでくださいと言わんばかりに都合がいい状況を黙って受け止める程、僕は愚鈍になった覚えはない!」
「信じて」
懐疑心が更なる懐疑心を呼び、レグルスの中で疑心暗鬼が加速する。タバサの存在を根本的に信用できなくなったレグルスには、もはやタバサの声は届かない。
再び、平行線の主張のぶつけあいが始まりそうな気配に、業を煮やしたのか、フードの女が待ったをかけ、
「そもそも、あのメイジの魔法じゃ、私のゴーレムは壊せないわ。だから安心して私に協力しなさいよ、使い魔さん」
さらりと自分の主張を押し付けようとする女に、レグルスの不安定な感情の矛先が向き——、
「うるさいなぁ! これは僕と僕の花嫁『候補』の未来を決定する大事な話し合いなんだよ! 行き遅れを覚悟しなきゃいけない年齢の君は黙っていろよぉ!」
ピシリと、確かに空気の凍る音がした。
タバサの魔法の音ではない。とっくに彼女は呪文をやめ、レグルスを説得する体制に入っている。ならば、一体何が起こって——、
「じゃあいいわ。貴方、いらない」
自身を蔑ろにするクソみたいな口調を聞いた瞬間、レグルスの視界がブレた。
三半規管の混乱から抜け出すと、さっき本塔とか言っていた建物の壁がみるみる迫ってくる。あの行き遅れ女は、満たされた自分を壁に投げつけたのだ。ゴミでも捨てるように。
「こんな、こんなバカみたいな展開が——ッ!」
だが絶叫したところで、この速さで壁に正面からぶつかれば、自分はつぶれたトメトになってしまう。それを防ぐために、権能を発動させることは当然だ。当然なのだ。
『獅子の心臓』を発動させたレグルスの体は、そのまま本塔の壁を無い物のように貫通した。スクウェアクラスメイジの『固定化』の魔法がかかった壁を、あっさりと。その中には、同じ魔法の掛かった宝物庫の扉が存在しており——、
「狙い通りね」
そんな陰謀をレグルスが認知する暇もなく、本塔から飛び出したレグルスの体は重力の影響を受け始めた。無敵の権能はとっくに切れており、地面との距離が近くなっていく。再びの入院生活——否、それ以上の激痛を覚悟し、震えそうになりながら歯を食いしばり、激突の瞬間を——、
「——?」
だが、覚悟していた痛みがいつまでも来ない。恐る恐る目を開けると、自分の体が空中で止まっている。他物体への時間停止が封じられている今、レグルスにはそんな芸当ができない。
一体、何が起こっているのか。
「……危なかった。貴方に死なれては困る」
無機質な声が、レグルスの耳に届く。見れば、予め呼んでいたのか、青色の空飛ぶ謎の生物に跨ったタバサが、こちらに大きな杖を向けている。
「これは、何の魔法なのかな?」
「『レビテーション』。物体を浮かせる魔法」
「……嘘では、なかったのか」
レグルスにとって、見たりかけられたりした経験のある魔法であるが、その全てで彼は意識がなかったり朦朧としていたため、その存在を知るのはこれが初だ。
ふんわりと優しく地面に着地させられ、レグルスは安堵を得ると同時にいつもの調子に戻ると——、
「助けられたことに礼を言おう。ほら、僕って感謝をありのままに伝えることができるからさ。人に要らない何かを押し付けられることは嫌だけども、その人の善意を無碍にはしたくないからね」
「礼は要らない。わたしのため」
レグルスの陶酔染みた感謝の言葉に、タバサはどこまでも無欲な返事をする。
そんな彼女のいじらしさに、レグルスの中でタバサを将来の嫁にしたい願望が出来上がった。彼女は成長を待つのに相応しい人間だと、レグルスは確信した。
そのためには、一刻も早く権能を完全化し、彼女の成長を待つことができる立場に戻る必要がある。
レグルスは、先ほど自分を投げつけた不届き者の存在を忘れ、すっかり機嫌を取り戻した表情でタバサを見つめるのだった。
「————タバ、サ」
そんなレグルスとタバサの様子を、桃髪の少女が見つめていることに、気づかないまま。