「今日から君は僕の花嫁『候補』だ。時が満ちたら迎えに行く。その時が来るのを、僕も楽しみにしているよ」
「…………」
「おっと首を傾げるってことは何か疑問があると見た。いいとも、事前に懸念材料を片付けておくのも僕の務めだ。言ってみなよ」
「……なぜ、わたし?」
「あの傲慢女より好みの表情をしていて、物静かなのが気に入ったからだよ。それに先の件もあって、君が気立てのいい子だと知れたというのもある。彼女には到底真似できない、君の魅力だ」
「…………」
しばらくの後、青髪の少女は消えるような声で、こう返答した。
「……考えとく」
小憎らしい同居人が、何故か異様な態度を見せ始めている。
今朝のルイズの惨状を目にいれ、レグルスは自分が最も向けられたくない感情——憐れみを、彼女に向けそうになっていた。
昨晩、タバサと将来設計を話し終え、意気揚々と訪れたのが厨房。そこにいたシエスタはレグルスに、ルイズと出会わなかったかを聞いてきた。それに対し会ってないと伝えるとシエスタが慌て始め、レグルスは探索に向かったのだが、肝心のルイズは自室のベッドで堂々と眠っていたという結末である。自分本位すぎる、という切れのない悪口と共に、レグルスはそのまま地べたに敷かれた布団で、泥のように眠った。
タバサとの心休まるひと時のおかげで、異世界に来てから最も心地よい安眠を享受できたのはよかったのだが、目覚めたらルイズがこんなざまになっていた。
どうやら心休まる一日は、遥か彼方にあるらしい。
「あのさあ、まともな返事くらいしてくれない? 同じ返答を繰り返して僕との会話を拒むのも君の自由かもしれないけどさ、その自由を享受するのにはそれなりの責任が伴うんだよ。分かるでしょ? 利便性にかまけて他者との会話を拒んだ人間には破滅しかないってこともさあ。何? 破滅したいの?」
「……ええ、そうね」
「あとさ、昨日厨房であのメイドに罵倒の誹りを受けたんだよ。『何だってあの方はこんな人に』だって。まったくもってふざけていると思わない? 僕が僕であることを否定する権利が他人にあるはずがないし、君程度の存在が僕の在り方の基準になんてなるわけないのにさ。で、僕としてはこんな惨めな思いをさせられた一因に君の存在があると思うわけ」
「……ええ、そうね」
「あのメイドに何か余計な入れ知恵をしたの? あの後、表情を変えた彼女がさっさと君を探しに行けなんて明らかな脅迫行動を取ってきたから、泣く泣く晩御飯をお預けにして君を探しに回ってやったって言うのにさあ、肝心の君は自室で寝てるってどういうことだよ。意味がわからない」
「…………ええ、そうね」
「…………」
レグルスには、今の彼女がどこに向かっているのかが分からなかった。
魂の抜け出たような、大事な何かを取られたかのような、そんな空っぽな瞳をしたルイズが、レグルスの話に合わせて機械的な返事を返す。正直、壁にでも話している方が有意義だ。
そんな日常生活に支障をきたすレベルの異常具合に、レグルスはもはや怒りに身を任せず、肩をすくめて溜息をつくに終わる。
だが、彼が困惑していたのは最初だけで、最低レベルの意思伝達は可能なので、しばらく放っておくことにした。
そんな魂の抜かれたようなルイズの様子は変わりなく、今日の授業中は昨日のことがなかったかのように静かだった。レグルスが授業を聞いていなくても何も言わないし、タバサを見つめていても溜息をつかれるだけだ。待ち望んだ静かな日常だったが、レグルスにとって腑に落ちない状況すぎた。
そしてよく考えてみればこの調子では困る。何せ、彼女にはレグルスを元の世界に帰すために使命とやらを果たしてもらわなければならないからだ。前に使命について問いただしたことがあったが、分からないと返ってきた。ふざけた話だと思う。
それに、静かで気立てがいいのは、自分の見目麗しい妻たちだけで十分だ。ルイズがそうなる必要はどこにもない。こんなややこしい状況は、さっさとなくなってほしいもので——、
「ミス・タバサ、ミス・ヴァリエール、そしてその使い魔の、ミ、ミスタ・コルニアス。学院長室までお越しください」
だが、そんな彼女に変化が生じたのは、この呼びかけからだった。
一個人の部屋としては大きすぎる部屋——学院長室に、何人もの人間が立っている。呼ばれたのは、ルイズとタバサ、そしてレグルス。それ以外にも貴族である教師達も同じ部屋に集まっていた。気難しそうな者や何も考えてなさそうな者、中には昨日の講義でルイズに魔法を使わせた女性もいた。
そんな彼らを、学院長——オスマン氏は探るように見渡し——、
「集まってくれたことに礼を言いたい。昨晩、憎き盗賊によって我が学院の大切な財宝が盗まれてしまったのじゃ」
「それってまさか、あの城下の町を騒がせている……?」
「そう、『土くれ』のフーケ。『錬金』と『ゴーレム』の魔法を操り数々の宝を奪ってきた、我々貴族にとって最悪の輩じゃ」
自分を壁に投げつけやがった下劣な女を思い出し、レグルスは苛立たしげに舌打ちする。極悪人たるあの女は、人を投げ飛ばした上で更に悪行を重ねたという。どこまで性根がねじ曲がっているのだろう。これは罪なき一市民として、復讐を実行する権利があるのではないだろうか。
そんなクソ女から一端思考をずらし、レグルスは学院長室に集まった少女たちを見渡す。
まず桃髪のルイズ。言わずと知れた我儘女。真剣な表情を作ろうとしているが、どこか力が入っていない。いつもの鬱陶しいはねっかえり振りが消え失せていて、違和感を覚える状態だ。
次に青髪のタバサ。唯一のレグルスの花嫁候補。じっと前を見据える無表情は今日も健在であり、自分の審査眼を褒め讃えてやりたくなる。それほどまでに花嫁として完璧だ。
そして最後に赤髪のキュルケ。呼び出しにはなかった少女。見た感じタバサと親交があるらしいが、何故かレグルスと目を合わさない。話が分かる女としてレグルスの中では好評だったのだが、体調でも悪いのだろうか。
そんな髪のカラフルなメンツに囲まれたレグルスは、オスマン氏の盗賊の話を適当に聞きながら、脳内で人物評をまとめていた。
すると、学院長室の扉が開いた。
「遅れてすみません、オールド・オスマン」
「おお、来てくれたかの、ミス・ロングビル」
新たに緑髪の女が詫びを入れながら、遅れて姿を現した。見た感じ、年齢は二十代後半くらいだろうか。レグルスが勝手に年齢を予想していると、その場にいた一人の貴族の教師が声を上げた。
「ミス・ロングビル! こんな出来事があって遅刻など言語道断! 今までどこで油を売っていたのだ!」
「……申し訳ありません。少し用事が立て込んでおりまして」
「学院の存続の危機の前では、どんな大ごとも些事だろう! 我々の首が飛ぶかもしれんのだぞ!」
「これこれ、レディの用事に口を出すのは紳士ではない。貴族はどんなときも余裕を持つものじゃ」
激昂する教師を、オスマン氏がたしなめる。しつこく食い下がると思われたが文句を言いたかっただけなのだろう。その教師はあっさり引き下がった。
申し訳なさそうに下を向く学院の秘書、盗賊への煮え切らない怒りを顔に宿す教師達、その雰囲気に充てられたかのように真剣な表情を作り始めるルイズ。相変わらずの無表情振りを見せるタバサ。何を考えているのか余裕そうな笑みを絶やさないキュルケ。そしてそんな周囲を見渡して、次にどう話を続けようか思案する学院長。
「——あのさあ、」
何もかもが滑稽だった。
誰もが的外れな真剣さを演じているような喜劇を目の当たりにして、レグルスは場違い感を覚えながらも声を上げる。
個で満たされた自分の感情が、他人によって脅かされるなど我慢ならない。それでも、レグルスには自らの中から生じた笑いを止められそうになかった。
状況が状況すぎるのだ。笑うしかない。
「のこのこと入って自分から檻の中に来て、うまくごまかしたような顔をしているけど、結局のところ自分から罠にかかりに来ただけなんだよ。それに気づかないで平然と知らないふりをして沈黙を貫いて、一体どういう気持ちでいるのかなあ?」
「え、なに、何を言ってるの? レグルス」
ルイズが理解できない物を見るような顔で、レグルスを見つめている。そんな彼女の反応は仕方のないこと。『あの場』にいたのは、自分とタバサだけだ。他の教師たちも同様のことが言える。だがタバサ、彼女は一緒に居たはずだろう。この程度のことも分からないとは、どうやらあまり人の顔を見たことがないらしい。そんな箱入りの少女を、将来自分の花嫁にするのだ。楽しみになってくる。
「お前はミス・ヴァリエールの使い魔だったな! 何がおかしい! 平民か貴族かも分からぬが場を弁えて口を開け! お前のような人間がいると、トリステインの気品が下がるだろうが!」
空気をまるで読むことをしないレグルスに不快感を露にし、教師の一人が強張った表情でレグルスを糾弾した。それが伝わったのか、他の教師たちも声を上げ始める。無理解や恐怖、苛立ちや不安と言った様々な負の感情が飛び交い、学院長室が騒がしい部屋になってしまう。
あまりにもうるさいので、黙らせてやろうと権能を発動させ——、
「——静まりなさい!」
それをオスマン学院長の声が遮った。鋭い声の飛んだ方向に、レグルスの目が向く。
沈黙が訪れ、この場の誰もがオスマン氏への発言権の譲渡を示している。それを確認すると、彼はレグルスの方を見て、
「ミスタ・コルニアス。先ほどの発言の意図を伝えてくれんかの。余計な情報が広まれば、学院は混乱の渦に包まれることになる。この部屋は外に情報が洩れぬよう、万全の設備を整えとる。だから心配は無用じゃ」
「……万全とか言うのは結構だけど、」
言葉尻を捕らえると、レグルスは無造作に一人の人間に指を向けて——、
「じゃあそこに鼠がいるのは、どう説明をしてくれるのかなあ?」
学院長の秘書——ミス・ロングビルを指して、そう言った。