誰にも話さなかったことを話したのは、あの女の馬鹿げた行動に振り回されたくないという、自分の合理的な判断によるものだ。
自分は個で完結した存在だ。他人に余計な介入をされるのは許し難い。
勝手な思い違いをして、変に出しゃばってくるアイツに自分の領域を侵害されるのは腹立たしい。そんな理由で話した。そのことに対する誹謗中傷は許さない。自分は何も間違っていない。必要だからしただけだ。何もあの女だからしたわけじゃない。
自分は間違っていない。未来永劫、間違えるはずもない。
ずっとずっと、完成した唯一無二の存在として生きていく。
そこに、お前のような女が、不完全な人間が、近くに居ていいはずが――。
「時間を……止める?」
重たい口を開いたようなレグルスの言葉を、ルイズは復唱し考え込む。
物体の時間を止める魔法といえば、『固定化』がまず思い浮かぶ。
貴重な貯蔵物や調度品の経年劣化を防ぐ魔法だ。フーケによる泥棒騒ぎで破壊されていたが、学院の本塔にも施されていた。それと同じものだろうか。
「はあ? そんなちゃちなものだと本気で思ってるわけ? 人の力を見くびるのも大概にしなよ。それなら、僕が君の前で見せてやったあの一撃をどう説明するのかなあ?」
「そういえば……」
なるほど。確かに彼の言う時間停止は老朽化を防ぐ、なんてものではないだろう。
自分がゴーレムに踏みつぶされかけた後、レグルスが人知を超えた動きをしていたのを思い出す。驚異的な跳躍。しかし不格好な蹴り。それとは対照的に、紙のように吹き飛ぶゴーレム。
あれも時間停止の効果なのだろう。
「じゃああのとき、あんたはゴーレムの時間を止めたの?」
「いや、やってないよ。忌々しいことに『触れた物の時間停止』はできなくなってるからね。僕の満たされた権利を侵害しつくそうって、世界の悪意を感じるよ」
つまり、彼は『自身の肉体の時間』を停止させたことで、あの驚異的な動きを実現したのだろう。
――ルイズにもレグルスにも慣性の法則という概念がないため、これにつながりを見出せなかったのは別の話である。
それはさておき、その力による攻撃でゴーレムを破壊したのを理解したルイズは、彼の権能をこうまとめる。
「むかつく位に自分本位な力ね」
こう悪態をつくも、ルイズはレグルスの力の強大さに圧倒されていた。
肉体の時間停止。何者の干渉を受けない力。どんな魔法障壁、攻撃をも無効化し、紙のように裂くことを可能にする。
五秒限定とはいえ、どんなハルケギニアの魔法も傷つけられないのかもしれない。
それどころか、あらゆる自然災害ですら彼の前では無意味なものなのかもしれない。
その天蓋の力ぶりに恐怖とともに、――どこか誇らしい気持ちが浮かんできた。
主として、自らの召喚した使い魔の強さが実感できたことは、素直に嬉しい。
ゼロのルイズと馬鹿にした同級生達と比較され、劣等感に溺れる。そんな日々の終わりが見える。鬱屈とした気持ちに変化が――、
「――待って」
劣等感の払拭される気配を前に、ルイズはそこで気づいた。
今のレグルスの告白は、彼の肉体の臓器がおかしくなっている理由へのアンサーだ。脈絡のない話をしがちなレグルスだが、ちゃんと質問に返すこともあることを、ルイズは知っている。
気づいた事実を前に、声を震わせて、問いかける。
「……自分の心臓を、止めてたというの?」
「そうだけど?」
何てことのない様子のレグルス。だがルイズにとって、それこそ心臓の止まるような答えだった。レグルスの臓器異常は度重なる時間停止による弊害であり、無理な血液循環が臓器を圧迫していたという事実が、あった。
見る者をも苦しくなるような、彼が痛みに喘ぐ姿――ルイズはその裏側を知って怒りが湧いてくる。
「――っ、馬鹿! どうして言わなかったのよ!」
「馬鹿? 何でそんな罵倒を受けなきゃいけないんだよ。馬鹿は君だろ。自分の力を誇示するような人間って、その無駄な自己顕示が原因で逆転の芽を与えてることに気づかないんだよ。僕をそんな、ペラペラと秘密を喋る人間に聞こえたのなら――」
「なんでそうなるの!? わたし、心配してるのよ!」
「……は?」
レグルスは、本気で不可解そうな目をしていた。彼は、自分が心配される理由を分かっていない。
胸を抑えて苦しんでいる彼の痛みを和らげる。それすらできなかったことへの
そのことが、ルイズにはどんな罵倒よりも悲しく、寂しいものだと思った。
そして、彼が無敵の力に甘え続けるというのなら、当然――、
「ギーシュのときみたいに無闇に攻撃を受け続ける気? そんなの、黙って見てるつもりはないわよ」
「あのさ、話聞いてた? 僕の権能の説明を聞けば想像はつくでしょ。僕は五秒間、一切の干渉も指図も受けない完全になるんだよ。そこに君の安っぽい感情を差し込む余地なんて一つもないんだ。偽善を振りかざして、自己満足を積み上げるのも大概にしなよ」
「あのね! それでも攻撃を浴び続けてるのは事実よ! あんたの無敵はずっとは続かない。――五秒間とかそんな制限なんて関係ない。先に限界が来るはずよ」
「……一体、何を言っているわけ?」
薄々と感じてはいたが、確信した。――やっぱり、本気で彼は共感性に欠けている。
自他の痛みに、どこまでも鈍感なのだ。
いくらレグルスが無敵の存在とはいえ、彼は人間。攻撃をぶつけられ続けることに、心が悲鳴を上げないわけがない。
そして、仮に本人がそれを感じなかったとしても、先にルイズに限界がくる。
自身の呼びかけに応えた使い魔――魔法の実力を見ようともしない、唯一無二の存在。そんな奴が傷つきに行っているのを、きっと許容できない。
だから、――決めた。
この馬鹿みたいに鬱陶しい男が二度と傷つかない。そんな選択をすることに。
「……レグルス、あんたを絶対に元の世界に帰すわ」
「は? 急になに? ……そういえば、使命を果たさなくちゃ帰れないなんて傍迷惑な事実を最初に僕に押しつけてきたじゃないか。――まさか君」
「真っ赤な嘘よ、でたらめ。別にわたしがいなくても、帰る手段は見つかるかもしれない」
レグルスの目が見開かれる。それでもルイズは、重荷を下ろしたような気分になった。
主としての当たり前を、少しでもできたという身勝手かもしれない実感を覚えた。
そして、レグルスにこんなことを言った自分はおそらく、ただではすまない。あのフーケが血を出して飛ばされているのを見ているのだ。
レグルスはそれができる。それをする資格が、ある。
「――僕を騙していたわけ?」
「そうよ」
露悪的に、笑って彼の言葉にうなずく。
「僕がこの世界に疎いことを利用して、私利私欲のためにこき使っていたわけ?」
「ええ、そうね。うるさくて仕方なかったのは想定外だったわ」
本音を交えて、癪に障るような言い方と共に笑った。
「……あのさぁ」
はっきりと怒りを滲ませたレグルスが自身の額に手を当て、指の隙間からルイズをにらみつけると、
「僕がどんな気持ちで、どんな感情でこの苦渋の二週間を過ごしていたのかを君は理解しようと思ったことがあるのかなあ。君が近くをウロチョロするのを許したのは、一重に君の存在が元の世界に帰るために必要だと判断したからなわけ。ほら、僕は現状に対して不平や不満を吐くより先に行動に移せる人間だからさ、多少の君の無礼を見逃すくらいの懐の大きさを見せてきたんだよ。でもさ、その結果がこれだと言うのなら、ちょっとふざけきっているよね。僕の今までの行動その全てを否定するってことだよね。それはもう、僕の権利の重篤な侵害だ」
一気にまくしたて、額の手がルイズの頭を鷲掴みにする。
握りつぶされるかもしれない。ルイズの体が極度の緊張に固まった。
だが、こんな嘘を抱えたまま、ご主人様ではいられないと思った。
主と使い魔は一心同体。――そこに、後ろめたいものなんて、あっていいはずがないのだから。
「――?」
だが、いつまでたっても衝撃は来ない。
血まみれにされることも、痛めつけられることもなかった。
――代わりにレグルスは、ルイズの頭を布団に力いっぱい叩きつけた。
「わぷっ」
上半身だけがベッドの上に倒れ、顔いっぱいに布団の感触を受ける。
思わぬ衝撃と、なされた所業の軽さにルイズは目を白黒させる。
「……自分を買い被りすぎじゃないの?」
そう言うと、レグルスは馬鹿にするように鼻を鳴らし、
「君程度の人間が死んだところで、僕にはまるで揺らぐ余地なんてないわけ。君が死んだら君の世界は終わるけど、僕の世界は動いたままだ。それは自明なんだよ。だから、君が命を捨てたところで、僕に残るのは君から受けた屈辱の日々だけだ」
不殺の理由をくどくどと話した後、レグルスはベッドの上からルイズを見下ろす。
顔を上げるルイズは、彼の顔を見ることしかできない。彼の――普段と何かが違うとしか言えない表情だけを。
「与えられた命を捨てるなんてことを、不細工な笑みを浮かべながらしている君を殺したところで何になるっていうんだ。どうせ君はあの世で僕への嘲笑をその笑みで繰り返して――そんなのはごめんなんだよね。……だから」
そう言うとレグルスは信じられないことに、僅かに笑みを浮かべた。
嘲笑混じりではあるが、かつての――食堂で肉を頬張ったときの彼のような笑みで、こう続けた。
「僕が君を守ってやるよ。僕が君に味わわされた絶望を、君は等しく受け続ける義務があるんだ。誰かのために命を張って庇う――自分がやったこの行為の罪深さを、せいぜい受け止めなよ」
守るという宣言にしては、悪意の入り混じった言葉。
だが、その言葉が届いた瞬間、ルイズの目から涙が零れた。
レグルスの容態の悪さを伝えたときとは質の違う涙が、眦からあふれ続ける。
魔法が使える者への嫉妬、使い魔が離れる不安、相談できる者のいなかった孤独。
その全てが、決壊させた。
涙の理由が、守ってくれることへの嬉しさからなのか、肉体を慮る自分の心配が届かないことへの悲しさなのか、ルイズ本人にも判断がつかない。
それでも、その中に冷たいものがなかったことは、間違いはなかった。
――そんなルイズの『不細工顔』を、レグルスは何も言わずに見ていた。
ルイズの申告――『彼女の使命』の存在。実はレグルスの中で、それは最重要事項ではなかった。
たまに思い出す度問いただし、「分からない」と返されても、レグルスの返答は「ふざけてる」の一言で終わっていた。
使命の存在が嘘と分かったときも、ルイズに不満を吐き出したと同時に、レグルスの中の怒りはさっぱりと消えてしまった。
隠蔽して騙そうだなんて、そんな権利侵害をしてきた時点で、ルイズは既に血だまりの海に――、
――なぜか想像できなかった。
口では言える。文字に書くこともできるだろう。だが、イメージを描くことができない。
あの女が、血だまりに沈む光景が見えない。
自分の権能でバラバラになり、肉塊になっている彼女の光景が、靄がかかったかのように想像することができない。
「僕の人格があまりにも高潔だから、血だまりと無縁になったってことかな」
とりあえず、そういうことにした。
ルイズは既にこの場にいない。
ベッドを取られたルイズは、しぶしぶ文句を言いながら、シエスタの部屋に迎えられていった。
そんな彼女のベッドで、レグルスは目を瞑る。
ベッドに僅かにある彼女の残滓と、脳内でうるさく変化するその顔に、喧しく権利を侵害されながら。
疑似心臓――『小さな王』の権能がレグルスの口から話されることはなかった。
ルイズはその話にはきっと無縁なのだから、これでよかったのだ。
これで、きっと。