レグルスが百年ぶりの食事を果たした食堂――アルヴィーズの食堂は盛況していた。
シャンデリアが照らす中、燕尾服、タキシード、そしてイブニングドレスと言った煌びやかな衣装の生徒たちがそこらにいた。
今日はフリッグの舞踏会。フーケの騒ぎがあったものの、事態が早く収まったため、予定どおり行われることになったのだ。
そのため、フーケ退治の立役者――ルイズ、キュルケ、タバサの名前が、貴族生徒たちの間で交わされている。だが、レグルスの名前は上がらなかった。
学院にとっても国家にとっても得体の知れない存在――レグルスによって解決したという事実は、あらゆる意味で都合が悪く、まんまと隠蔽されたのだ。当然、ルイズは抗議したものの、レグルスとしては特にどうでもよかった。
そんなレグルスは今、一人で舞踏会を回っていた。傍にルイズの姿はなく、彼は一人だ。どうやらルイズは、着付けの準備に時間がかかっていて、姿を現すのは後になるとのこと。
彼女がいない今、レグルスは数少ない自由時間を謳歌している。
自らを縛る女がいないだけで、この活動範囲の広がりようは何なのか。とは言っても、踊る相手も技術もあるはずもなく、食べ物や女性を探し歩くばかりだ。
ルイズに引っ張られる形でこちらの世界を歩いてきたため、いざ自由となるとやるべきことは少なくなる。
「――――」
相変わらずの白い法衣を着たまま、レグルスは周囲を見渡し、極上の妻を探す。
神官のような服を着ているレグルスは、本人の評判とその衣装の浮きっぷりから距離を置かれ、彼を警戒する者ばかりだ。
それでも、女性の顔を遠目に判断することは可能。この場から動かずとも、視界には三人もの花嫁候補がいた。
今すぐにでも迎えにいくべき逸材。そんな女性たちを前に――、
「……なんか、見劣りするんだよね。僕に相応しいとは、とてもじゃないけど思えない」
レグルスが下したのは、対象外という結果。
その偏った評価はとどまらず、実際に会場を歩き回り、十人以上の候補者たちを見つけても、まるでレグルスは声を掛けようと思えなかった。
顔が可愛い――その条件に見合う女性は、数多くいたというのに。
「一体、どういうことなのかなぁ? 参加する気も起きない舞踏会にまで、わざわざ足を運んだというのに、こんな拍子抜けの結果に終わるなんてついていないな。注ぎ込んだ労力に対して、報酬がちょっと釣り合ってないよね」
周囲にまとめて喧嘩を売るような暴言をこぼすも、彼女たちの魅力が足りないわけではないと分かっていた。
むしろ余裕で関門は突破している。元の世界の花嫁たちとはまた違った質の美貌だ。
だが、自分は見つめているだけ。花嫁を迎えに行くという、夫としての義務を果たすことをしない大ポカをしている。
理由の分からないこの矛盾に、レグルスは苛立たしげにテーブルの料理を摘まむ。未知の食材を味わって気分を変えつつ、遠くのテーブルを見ると、そこにはタバサがいた。
唯一の妻候補の彼女は、、事件解決の立役者の一人だ。
ちょうど三人の男子生徒たちにダンス相手を申しこまれているところ。しかし――、
「まったくもって見苦しいものだよ。こんな催しがあると分かっているのに、事前に相手を用意するって発想には至らなかったのかなぁ。会場で目と目が合ったのが相手って運命論を信じるのはいいけどさ、その運命に縋り付いて自分の身の丈を見るのを忘れちゃだめでしょ。それは相手となってくれるかもしれない人間を軽く見ているよね?」
と、ただ悪罵をつくだけに終わる。
花嫁候補に声をかける厚顔無恥共を見ても、レグルスの感情は錆びついたように動かなかった。怒りを表す機能が失われたのか、やはりただただ見ているだけである。権能を起動させる気にもならなかった。
しかし、罵声を浴びせられた彼らは違う。自分たちの人間性そのものを詰るような、無神経な発言を撤回すべく、発言者の方を向くと――、
「うわっレグルスだ」「何! あの狂気の使い魔か!?」「ああああ、関わるべきじゃない!」
そんな気概は蒸発し、蜘蛛の巣を散らすように逃げていった。
レグルスとしては弁えた反応と称賛を送りそうになったが、明らかに彼らの反応はもっと別の意味を含んだ反応だった。
それに気づかないレグルスは、タバサの前にあったテーブル上の料理を見た。
洗い物のように真っ白な皿が、山積みになっている。
「……綺麗さっぱり何もないんだけど。このテーブルは食器を置くためだけの場所なわけ?」
「全部食べた」
「なに? これは食事のされた後だって言うの? 誰がそんなに食のがめつさを――ああ、さっきの三人かな? やだやだ、自分を見ることもせず、食欲に浸るとかどこまで――」
「わたしが食べた」
「えっ」
思わず素っ頓狂な声をレグルスは上げる。
こんな小さな体の中に、あれだけの量の食べ物がたんまりと入るというのか。
もはやこの世の神秘だ。食にがめついその在り方を、なぜかこの少女が持っていても、レグルスとしては気になることもなく――、
「――『暴食』」
「暴食?」
「いや、なんでもないよ。僕としたことが不注意だった。あんな醜い我欲の塊と一緒にするなって怒るところだよね。素直に謝罪するよ」
未来の花嫁候補を、あの食欲に支配された意地汚さの塊と同一視するなんて、自分らしくない失態だ。その上、彼女への冒涜だろう。
そんなタバサが空っぽの皿を見ているのから目を反らし、レグルスは新たな妻候補を探し回るのだった。
完成された花嫁達――その言葉が、とても遠くに感じた。
どうやら、この国の貴族は往来の障害物になる悪習があるらしい。
行く手を阻む人混みを見て、レグルスは大きく舌打ちする。
邪魔なので、彼らの謙虚な態度を期待して近づいていくも、先ほどの男子たちとは違い、レグルスの存在に気づかない。気づいたのは、その中心にいる赤髪少女――というか、キュルケだった。
人懐っこい笑みを浮かべていたキュルケは、より一層笑みを深めてレグルスに近づいていく。しかし、その顔は引きつっていて、不本意な邂逅を嘆いている。相も変わらず、そのことにレグルスは気づかない。
「ちょっと~、あたしはあたしとあなたのために、距離の開いた関わり合いを続けてたっていうのに――あら?」
面倒そうな口調を混ぜていた言葉が、驚嘆に途切れる。
キュルケの瞳が僅かに大きくなり、固まる。するとレグルスの顔を覗き込み、上下左右、様々な位置からレグルスの顔を見る。
忙しないその態度に、レグルスの堪忍袋の緒が切れる。
「あのさぁ、何か言いたいことがあるなら同じ目線で声をかけろよ! 僕が相手と目を合わせられない臆病者だと馬鹿にして――」
「あなた、ほんの少しだけ、良い目をするようになったわね」
「は?」
急な称賛に、レグルスの表情が固まる。
「前のあなたの目には、何もなかったわ。本当、どこ見てんだかって感じ。でも、今は違う。見る物――いや、見る人を見つけたのかしら」
「一体、何を言って」
「今後は、少しは話してもいいかもしれないわね……やっぱ無理。ルイズ越しなら、まあギリギリ?」
「またあの女か!」
激昂するレグルスに、キュルケの周囲の男たちがやっと反応を見せ始める。
関わり合いになりたくないと逃げる者、怯え切って固まる者、そして、レグルスに構わず、キュルケへの熱い思いを伝え続ける者たち。
彼女は最後の男たちを連れ、レグルスにウィンクすると、
「選別に便利ね、あなた。ありがとう」
「あのさぁ!」
ここまでコケにされて、頭に来ないレグルスはいなかった。
今、ここでこの女をフーケのように吹っ飛ばす義務がある。
わなわなと震えながら、レグルスは飛びかかろうと、拳を握りしめ――、
「ヴァリエール公爵が息女、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール嬢のおな~~り~~~~!」
キュルケへの実力行使は、その声によって中断された。
無視できない名前が高らかに響き渡り、レグルスは胡乱げに振り替える。
どうやら、手間取っていた彼女の準備とやらが終わったらしい。そんな彼女を、身分と威厳を強調して呼ぶ門の衛士の声を、鼻で笑い飛ばす。
大層な肩書がついてはいるが、あの女が公爵家の娘だなんて未だに信じられない。
人を別の世界に喚び出し、理不尽な命令を突きつけ、自分を足蹴にし、あまつさえ、勝手に命を捨てに行くような破綻者だ。
明らかに、聞き分けることを知らない傲慢女と言う感想しかなく――、
「――え」
――そんなレグルスの実体験に基づいた評価は、ものの見事に砕け散った。
古めかしい音と共にホールの壮麗な扉が開くと、一人の小柄な少女がそこにいた。彼女が会場に足を進めると、カツ、カツ、と一定の間隔でヒールの音が鳴り響いた。
かつての世界では不快でしかなかった他者の足音が、レグルスの中に違和感なく浸透していく。そんな異質な存在を、さらに目に焼き付けられた。
ホワイトドレスに身を包んだ少女だ。
長ったらしいと思っていた桃髪はバレッタに止められ、いつも感じていた野蛮な雰囲気は、上品な恰好で見えなくなっていた。
そのドレス衣装も、ごてごてとした装飾がなく、彼女の飾り気のない純粋さを際立たせた。
――あれは、誰だ?
そんな純白可憐の極致――ルイズがレグルスの方を向くと、ふっ、と僅かに笑った。
「――――っ」
レグルスの中に、決定的な何かが入り込んだ。
そしてそこから生じた熱が、レグルスの心臓を中心に体全体に広がる。心臓を止めた直後のような――否、それとは違う正体不明の忌々しい感覚が身を苛む。
鼓動が早い。早すぎる。何だ、何をされた。あの不完全女に自分が何をされたというのか。
まずは権能で心臓を止めるべきだ。こんな鼓動の速さでは死んでしまう。こんなに脈を打たせて、これがあの女の魔法か。使えないのではなかっただろうか。
いや、不完全とは無縁の自分が、そんな簡単にあの女の在るかもわからない魔法に侵されるなんてあってはならない。
では何だ?
理解できない。
したくもない。
なにか、自分の何かが崩れた感覚が――。
――ありえない、ありえないありえないありえないありえないありえない――ッ!
全てを破壊したくなるようなこの不快感に対して、叫ばずにいられたのは奇跡だ。
それでも、レグルスは体を震わせ、思わず頭を抱えてしまう。
心が摩耗し、得体の知れない感覚がレグルスを焦がす。胸の中がぽっかりと空き、今までの自分を形作る何かを根底から覆されるこの感覚は、死んでしまうほどに不愉快だ。
しかし、世界はそんな彼を放って、新たなものをレグルスに見せた。
高慢きちで、魔法の使えない『ゼロのルイズ』――そんな彼女の思わぬ姿に、やはりというべきか、声をかけるものがチラホラといた。
その数はキュルケ程ではなかったが、タバサの三人よりは断然多かった。
そんな彼らの誘いを、ルイズは笑顔で躱す。それでも、レグルスの中にある衝動が生まれた。
表情豊かで好みの対象外、花嫁として完全に落第――そんな傲慢女がダンスを誘われているのを見て――、
なぜか、無性に女性に話しかけたくなった。
ルイズが男とダンスを繰り広げる可能性を認めると、なぜかさっきまでなかった、別の女性に話しかけたいという願望が湧いてきた。
それは願望というより、おそらく、反射的な反応に近い。
自分が話しかける女性とどうこうしたいという欲求はない。妻にしたいとも、まるで思っていない。
ただ、そんな自分を見て、あの女が見知った顔に歪めるのを、どこかで――。
あとはもう、考えるだけ無駄であった。
レグルスは、ただただ己の中から生じた欲求に、従っていった。
数多の男子生徒に話しかけられるも、ルイズの関心はレグルスに向いていた。
関心とは言っても、良い意味合いのそれではない。もっと、何をしでかすか分からないという、懸念的な側面が大きい。この華やかなイベントで、あの男がトラブルを起こしたら一貫の終わりである。だから、彼を監視できる範囲に戻らなければならない。
だが、実際にレグルスが行ったのは、無作為なナンパだけだった。
遠くからでは何を言っているのか聞こえないが、本当に、ただそれだけだ。
「……そうよね。たしかにあんたは、『守ってやる』って言ったもんね」
『守る』という言葉の範囲は、きっとルイズの命の有無だけではない。
その命が作る日常、それすらも、彼は守ってくれるつもりなのかもしれない。
何かと口げんかが絶えなかったが、それももうなくなるに違いない。
そのことに少し安心しつつ、レグルスの元に向かおうとすると――、
「――どんな教育を受けてらしたら、そんな話しかけ方になるんですのぉ!?」
と叫んで、彼の相手が一目散に逃げていった。
ルイズはそれを見ると無表情になり、レグルスの元に向かう足を速める。
茫然と相手の逃げていった先を眺めるレグルス。彼の前に、ルイズが立ちふさがる。
「言いなさい」
「は?」
不意を突かれたように、レグルスの眼がこちらを映す。が、不都合な物を見たかのように逸れる。
それを見て、何か怪しいものを感じ、ルイズは更に問い詰める。
「彼女に、なんて話しかけたか言いなさいよ」
自白を要求するルイズ。
しかしレグルスは、さっきの不可解な態度が嘘のように、「そんなこと?」と言うと、なんてことのないように、こう続けた。
その態度の移り変わりように、ルイズは見当違いの疑念を抱いていたのかと思い――、
「彼女に処女かどうかを聞いてただけだよ。本当に、それだけさ」
「……………………え?」
見当違いでもなんでもなかった事実に、たどり着いた。
いや、聞き間違いだろう。そうであってほしい。
『ショジョ』とはどういう意味だろうか。ルイズは、
ルイズは怒りを通り過ぎた声で、冷ややかに返した。
「もう一度、言ってごらんなさい」
「だから僕は彼女に対し、『君は処女かな?』と聞いただけだよ。ほら、妻にしようって女性の身体が他の男に触れてないことを確かめるのは、男として、人として、当然――ごふぉあ!」
レグルスの顔にルイズの拳が突き刺さった。悪びれもせずに、身の毛のよだつ理論を平然と口に出す男を成敗することに、なんの躊躇いもなかった。
派手にぶっ倒れたレグルスは鼻を抑えると、抗議の目をルイズに向ける。
「あのさぁ! いきなり人の顔を殴り飛ばすなんて、どういう神経しているわけ? 初対面のときといい、他者の顔をいたぶるってのが君の癖なのかな? だとしたら治す努力をするべきだと思うんだけど!」
「そんな気色の悪い癖を持ってる人間に言われる筋合いはないわ!」
そうだ。最近の自分はどうかしていた。
無敵の力を持っていても、心臓を抑えて苦しんでも、ルイズを守ると言っても、こいつは、ルイズの魔法以外の欠点を突っついてくる邪悪存在だ。抱えている女性への価値観が、最低の一途をたどっているのも自然だろう。
この事実が変わらない限り、レグルスとは喧嘩のない日常なんてありえない。
そのことに、安心も不安もなく、ただただ受け入れるという決意と責任、そして本当に僅かの温かいものが、ルイズに拳を握らせる。――否、不安がないのはやっぱり嘘である。
明かされたレグルスの性癖に、一抹の不安を覚えているのだから。
「こんの馬鹿ノミぃ!」
「その権利を脅かす呼び名をやめろよ! この桃髪傲慢女がぁ!」
(fin)
まず序章、終了。
ここまでお付き合いいただき、本当にありがとうございました。