26 馬の耳にレグルス
傍迷惑な盗賊騒ぎや、悪名高い伝説を残したフリッグの舞踏会も終わり、トリステイン魔法学院は日常を取り戻していた。
盗まれた学園の宝である『破壊の杖』は、捕縛したフーケから尋問の末に聞き出し、すでに回収済みだ。その正体は、ハルケギニアの民が見たこともない筒状の物なのだが、この場では重要ではないため、割愛させていただく。
そんな事件から一週間が経ち、フーケ騒ぎに興奮していた生徒たちの熱もすでに冷めていた。だが、その熱の発端となった巨大ゴーレム――それをまんまと蹴り飛ばした真っ白男への畏怖は、彼らに刻まれていた。
口を開けばやかましく、品の欠片もない口調で、でも着ている服は平民とかけ離れた存在。理解の外側にいるような使い魔は、あの蹴りの一撃でより意味不明な存在となっていた。
だが、あの使い魔はそれで終わらなかった。事件直後のフリッグの舞踏会にて、彼の女性への態度はこれ以上ないほどの最悪を突き抜けた何かだった。
――君は処女かな?
あらゆる常識を投げ捨てた誘い文句に、今年の舞踏会の話題を出すことは、男子の間でも女子の間でも憚られる事態と化していた。
しかし、ある意味清々しいといえなくもないセリフ。故に、余興で真似しようとした者もいたが、人としての尊厳がその口を閉じさせ、結果的に大事な何かを破壊することはなかった。
そのようなこともあり、前以上に良くも悪くも注目が集まった、白くて白い使い魔だったが――、
「聞き分けのない使い魔ね! いい加減、武器を買いにいくわよ!」
「だからさ、何回も嫌だねって言ってるだろ!? 何度も何度も断りの返事をしているんだから、一方的に要求を押し付けてくるのをやめろよ! その耳は飾りなのかなぁ?」
今日も学院にて激突する主従。
そんな二人の会話を見ると、あの使い魔と対等に渡り合うあの桃髪の少女が、なんだか凄い奴のように見えるのだという。
ゼロのルイズの蔑称はもはや遠く――確かな意識改革は、生徒たちの間で、確かに始まっていた。
魔女教大罪司教『強欲』担当、レグルス・コルニアス。
ヴァリエール公爵家の三女、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。
まず初めに性別が違う。国籍どころか住む世界も違う。年齢には十倍以上の差があり、世界の歪みの大罪司教と国家中枢に関わる公爵家令嬢と外聞もまるで違う。
そんな共通点を探すのが困難な二人は、一つの召喚魔法によって偶然の出会いを果たした。
異世界の常識を受け入れられないレグルスと、使い魔を教育することしか頭にないルイズ。そんな二人が合うはずもなく、口論が尽きることはなかった。
だが、食堂での一件に始まり、ギーシュとのプライドを賭けた決闘。魔法に対する価値観の違いに、『ゼロのルイズ』呼びへの忌避。そして盗賊退治。それらの事象を経て、二人は順調とは言い難い状態ではあるが、袂を分つことはなかった。
レグルスは、『守られる屈辱』をルイズに味わわせるという、本人以外に理解のできない理屈でそばにいる。
対してルイズは、レグルスを責任持って元の世界に帰すつもりである。それが、レグルスとの間で交わした約束なのだ。
その約束を、レグルス自身がどう思っているかに関係なく。
ここは、学院の裏にある牛舎――かつてレグルスが顔に蹴りを喰らわせた馬が繋がれている場所である。
そんな曰くつきの場所で、二人は何度目か分からない衝突を繰り返していた。
「あのさぁ、同じことを何回も言わせないでくれるかなぁ。僕は人を恣意的に害する趣味はないと言ってるだろ? 武器ってのは人を害したいという欲望に支配された、お粗末な人間が持つものだ。そんな我欲がない、完全な人間の僕には必要ないんだよ!」
「はぁ? 完全、完全、ってちゃんちゃらおかしいわ。心臓を止めるなんて真似をしないと戦えない、そんな人間のどこが完全なの?」
「グチグチとうるさいなぁ。他者の助けなしに戦いに参加しているこの現状は、どう見ても完成された人間にしかできないことだろうが!」
「でも現実的に考えて五秒の無敵は心元ないわ。人を傷つけるためじゃなくて、自分を守るために武器を持てって言ってるの!」
平行線の主張をぶつけ合う二人。その片方のルイズは怒りを露わにすると、ローファで地面を擦り付けた。
彼女のこの不愉快そうな顔は、何も初めてのことではなかった。
ルイズの元に召喚された男――レグルスは、盗賊退治という偉業を成し遂げてからも不遜な態度を崩さず、彼女の神経を逆撫でしてくる。
そして、そんな彼が言っていた『権能』という未知の魔法(あくまでもルイズの中では、魔法という認識だ)。その長所も短所も知ったルイズは、レグルスが武器を持つことの必要性を、ここ一週間で必死に説いてきた。しかし、レグルスは一向に聞き入れようとしない。彼は生身のまま戦いに出ることに、何の疑問も覚えていなかった。
不理解を訴えようと、ルイズは石を蹴飛ばそうとしたが、ふと思いついた。
前も考えたように、レグルスを置いて行って自分だけ買い物に行くのは耐えられない。それでは、良いように自分が使われているだけだし、レグルスが一人で何かやらかす方があり得る。
かといってレグルス一人で買いに行かせようにも、異世界出身の彼が土地勘なんてあるはずもない。
それもあり、思いついたやり方というのが――、
「あのさぁ、これは一体どういうつもりなのかなぁ!?」
乗馬訓練である。これ以上ないごくシンプルな案だが、彼の人間性とはとことん相性が悪かった。
前のように振り落とされるのは尋常じゃなく痛いので、レグルスは馬に乗ることを拒み、馬もまたレグルスを視界に入れようとしない。
馬と使い魔の関係は、一種の冷戦状態だった。
ルイズは冷静に自分の馬を眺めると、口を開いた。
「耳を後ろに伏せてるわね」
「は? 耳?」
「かなり怒っているわよこの馬。前に顔を蹴られたらそりゃあね」
図書室から借りた本を片手に、ルイズがそう分析する。
馬と仲良くなる――なんてふわふわとした目的のための方法は、学院の豊富な資料の中に普通に紛れていた。
「まず、大きな動きをしないでゆっくりと近寄りなさい」
「……普段から慌ただしい人間みたいに言うのを止めろよ。癪に障るからさぁ」
「いいから、早く」
「ふざけるなよ! この僕を誰だと思っている!」
「わたしの使い魔でしょ! いい加減に聞きなさいよ」
「なんなんだこの女! 会話ってのを知らないのかなぁ!?」
過去のレグルスなら、聞き流すこともできていた主従関係の理屈だったが、このときばかりは無理だった。
話にならないルイズを無視し、この怒りを目の前の馬にぶつけることにした。
こちらを見もしない馬を見て、不愉快な心情を顔に表す。
自分がこの場に立っているというのに、その存在をないものとして扱っている。
失礼千万な態度を崩さない不埒な生物――そんな彼の主観のもと、レグルスは文句を言おうと近づき始めた。
「待って! 馬の後ろに立つのは危な――」
忠告は遅かった。
ものの見事に馬の死角に立ったレグルスは、そのままもろに後ろ足で蹴られた。一匹の動物が繰り出した咄嗟の行動は、局所的に致命的な一撃を叩き込んだ。
「どふぉあ!?」
「バカノミ!」
直前に『獅子の心臓』を行使し、肋骨を砕かれる事態は回避した。
だが、蹴りの反動は消しきれない。殺しきれなかったその衝撃によって、レグルスは数メイルほど転がっていった。
やがて回転が止まると、レグルスは自分の体の様子を確かめる。擦り傷が目立つのを除けば、軽傷である。権能の制御は確かに向上していると言えるだろう。
だが、それを確認しても、湧き上がった忌々しさがその達成感を塗りつぶす。
蹴られた。振り落とされたのに飽き足らず、この馬は満たされた自分を足蹴にした。この痛みを、この屈辱を、払う必要がある。
レグルスは土を叩き落とすと、足を進め始めた。
「バカね本当に! 今ので死んじゃったらどうするのよ!」
吹っ飛んだレグルスを心配したルイズが、怒りを爆発させ、走ってきた。
だが、そんな顔を見ようがレグルスの表情は変わらない。
ルイズが差し出した手を素通りし、レグルスの歩みは一匹に向かう。当然、ルイズから文句が飛んでくる。
「ちょっと、何か言いなさいよ!」
そんな彼女が、レグルスは気に食わない。
この少女に関わることは、何もかもが気に食わないことばかりだった。契約とやらを結ばされる前も、結ばされてからも。何一つ分かり合えない傲慢女だった。
彼女の怒鳴り声を無視すると、蹴りを入れてきた生き物を目に入れる。どこを見てるのか分からない目つき。
気に入らない。
こんな動物を二度も差し向けるこの女が気に入らない。
人間と馬は分かり合えない。分かり合えるわけがない。お前も、お前の馬も、その他大勢と同じ生き物でしかない理解不明存在だ。そうに違いない。
あの、舞踏会で生じた感情は、きっと本能からの拒否反応に違いない。
あの女を嫌がったから、自分の心臓は心拍数を上げた。恐怖したとは思えないし思いたくもない。だがきっと、それに近い別の負の感情に違いない。
忌々しげにレグルスは拳を握り、馬の肉体のどこを吹っ飛ばそうかを考えようとし…………何故か、ルイズの顔が浮かんだ。
もし、この場で馬をバラしたら、ルイズはどう思うか。
乗れないまま、自分が正当な権利をもって馬を安易に殺したらどうなるか。
あの女はきっと、レグルスが馬に乗ることができない愚図だと勘違いするだろう。そんな不毛な誤解を解くのに、彼女は聞く耳を持たずにそんなふうに事実を固めるかもしれない。
自分を誰だと思っている? 魔女教大罪司教『強欲』担当のレグルス・コルニアスだ。
いかなる欠陥も欠落も、あの女に見せるわけにはいかない。
そんなこと許せない。許せるはずがない。
――だがそれ以上に、あの女は、飼っている馬を血に染めた自分の手を、どんな顔で見るのだろうか。
一瞬意味もなくよぎった心情を振り切ると、レグルスは手を止めた。
とにかく、まあとにかく。
そんなこんな並べているが、レグルスは馬に乗れないことを、ルイズにバカにされることが嫌なのは確かである。
振り向くと、何も返されないことに怒り心頭のルイズ。その手に持っている本を指差しながら、レグルスはこう言った。
「僕はこの世界の文字が読めない」
「……は、はぁ!? 急に何!?」
「文化の違いに苦戦している人間には、その橋渡しをしてくれる人材が必要だ。ほら、観光客が現地の人間と反りが合わないなんてこと、よくあるじゃない? 常識感のすり合わせって互いの理解が必要だってのに、まず言語が合わないんじゃ話にならない。今、僕はそういう状況なんだよね。書物の一つも読めないなんて、よっぽどこの世界は不親切だと思わないかな?」
「いっつも回りくどいのよあんた! 何を言いたいのかさっぱりなんだけど」
「そう? じゃあ単刀直入に言ってやるよ。――君の持っている本を音読して、乗り方を聞かせるんだ」
「もっとムカつくわね! 本当に何様なのよ!?」
「君の使い魔なんかじゃないのは、確かだよ」
さっきの主従関係の理屈を、レグルスは跳ね返した。
「……ッ!」
「…………」
「…………」
「…………」
「はぁ……もういい。乗ろうとしてくれるなら願ったり叶ったりだわ」
激昂していたルイズだったが、無言で何とか怒りを収めて、渋々と本を開いた。そのことに僅かに気をよくしたレグルスは、馬の方を向いた。
すると、馬の顔もまたこちらを向いた。
レグルスは、僅かに笑みを浮かべる。
こちらを睨む馬の目が腹立たしい。どいつもこいつも、気に食わない目をする。だが、そんな顔ができるのも今のうちだ。
ルイズの指示を聞き、無言でレグルスは手順を踏んでいく。
普段の彼なら想像できないほど、異常なほどの従いっぷりだった。
後ろ足で蹴られないように、馬の左肩横に立つ。
左手で手綱と馬のたてがみをつかみ、その感触に震えながら次の工程へと進む。
そうやって繰り返しているうちに、悶々とした感情は収まっていった。眼の前のことをこなしている内に、わざわざ殺意を込めているのが面倒に感じてきたのだ。
否、むしろそんな感情があったことすら、忘れてしまっている。
「――っ!」
そして、奇跡的に大きな失敗もなく、レグルスはついに乗馬を成功させた。
権能抜きの少し高い景色。振り回されていた前回は気にする余裕のなかったその光景。ルイズの表情も上から見える。
自分の力がなくとも、上から見下ろせるのは気分が良い。
「気持ちのいい眺めだ。上から見下ろしながら、便利な交通手段に恩恵を授かるのも乗馬者の権利……悪くない、悪くないなぁ!」
レグルスは一匹の馬の上から、声高々に哄笑した。
気が付けば、さっきまで覚えていた憤りも殺意も、この上からの景色を見た頃には消え去っていた。
そう、馬の上で高笑いするレグルスを見て、ルイズはどこか呆れた目を向けていた。
何が起きているのかさっぱりだった。
レグルスが馬に蹴られ、それを心配して手を差し伸べたら無視されて、怒りをぶつけようとしたら音読を求められ、渋々行ったら乗馬に成功して、馬の上でバカ笑い。
感情が振り回されすぎて、逆に感情が死んでしまいそうだった。
もう、何も言えなかった。
いや、一つだけ言えることはあった。それは本当に簡単だが、ありえないこと。
「少しはましにならないのかしら。こいつの性根」
そんなことは起こり得ないと知っているから、ルイズはそんな自分を恥じた。
都合の良いことなど、ルイズの人生で訪れた試しなど、ついぞなかったのだから。
本当にお待たせいたしました。
今も覚えてくださっている方に向けて。……中章、開始です。