昨晩のベッド争奪戦。軍配が上がったのは、やはりルイズの方だった。
当然、切れ散らかしたレグルスだったが、ルイズが言った『とある案』によって、「僕は寛大だからね」からの長文の講釈の後、渋々納得した。
ちなみに、レグルスを知っている人間からすると、彼の言動はありえない行動である。妥協という言葉を知らないレグルスが、一人の少女の理不尽に、こうもなされるがままでいられるわけがないのだ。
そんな自身の態度の激変など、レグルスは気にしていない。
さっさと現実世界に戻る足掛かりを見つけ、ルイズに対し『正当な権利の行使』をすることしか考えていない。
これからもずっと。きっと、これからも。
——トリステイン魔法学院の寮にて。
窓から差し込む陽の光によって、レグルスは目を覚ました。
彼が寝ていたのは、床に敷かれた布団である。夜通し喚くレグルスに、ルイズが折れた形で用意されたのだ。
目は凶悪に変化し、柄の悪いチンピラのような目つきをしたまま、周囲を見渡す。
百十数年ぶりの睡眠からの目覚めは最悪の一言。ちなみに昨日の、少女による強制失神からの再覚醒は計算に入れない。自分の存在を軽視した行いなんて、勘定に入れるわけにはいかないからだ。
ふと、不本意ながらも、とある役目を押し付けられたことを思い出した。
「ああ、何だっけ? 朝になったら起こせだっけ。まったく心外だよね。人に起こせと命令するってことはさ、より早く起きることをそいつに強要してるのと同じことだよね。そんな悪行に手を染めながらグースカ寝るなんて、まともな神経をしているとは思えない」
そう言って、完全に覚醒したレグルスの双眸がルイズを目に映す。
どこまでも忌々しい女だが、口を開かず表情を変えない睡眠時なら、少しは見れる面になる。
ぶん殴って起こしてやろうと思ったが、自分の手でこの美しさが不完全になるのもうざったいので、レグルスは穏便に起こすことにした。
「おい起きろ。何の権利があってこんなことを僕にさせる? だいたい、いい年した人間というのは自然と目を覚ますものじゃないの? 人としての基礎を疎かにして他人の手を煩わせる。そんな君は自身の人種を省みたことないの? それで良いと思っているわけ? 自分を知らなすぎるとしか言いようがない。もっと客観的に自分を見る習慣くらいついてて当然だと思うんだけど……おい、さっさと起きろよ! ここまで他人に迷惑を掛けたことへの誠意を最大限に表明しろよ。それすら満足にこなせないのなら、ベッドの中で永眠させてやるよ。おいここまでの話を全部無視する気か人の気も知らないで夢の中か怠惰女め。起きろ! 起きろ! 起きろ起きろ起きろ起きろ起きろ起きろ起きろ——!!」
「ああ、もううるさい!」
「あべぇっ!?」
レグルスという名の目覚まし時計は、ご主人様の平手打ちという結果で役目を終えた。
「まったくもって腹立たしい使い魔ね。こんなことにお金を費やさなきゃいけないなんて」
ぶつくさと文句を言うルイズ。
その理由は部屋に佇む第三者にある。——学院のメイド、シエスタ。
厨房にいるところを突如として連れてこられ、道すがらルイズから事情を聴いたのが事の顛末だ。
腕を組んで怒り気味のルイズに、シエスタは怯えている様子。
もっとも、ルイズの怒りの原因自体はレグルスの態度にあるのだが。
「資産の出し惜しみなんて真似は辞めてほしいね。最初からできることをしないなんて、君って女はなんて怠惰なんだ。親の顔が見てみたいよ。それとさっき、人の顔を思いっきりひっぱたいたことへの謝罪がまだなんだけど?」
「アンタが、与えられた仕事を碌にこなせない使い魔だからでしょうが。メイドを雇うことになるなんて、考えもしなかったわ」
「真っ当な小市民である僕を捕まえて、やれ下着を履かせろだのやれ洗濯をしろだとかが仕事だと? 冗談も休み休み言え!!」
怒りに支配されたレグルスが、床を全力で踏みつけた。
彼の暴虐的な言動はさておき、いつもの破綻した思考回路の割には、正当な主張に見える。
だが——、
「はい、ミスタ・コルニアス」
手を挙げて、シエスタが声を掛けた。
ちなみに彼女が挙手をしたのは、少し前にレグルスにとやかく言われたからだ。
言うまでもなく器の小さい男である。
「何だいメイド。今、この常識知らず女に教育を施すところなんだけど。それを遮るってことは、余程重要なことなんだろうね?」
「ミス・ヴァリエールの言うことの何が間違っているのでしょうか?」
「——は?」
「ミスタ・コルニアスが貴族様なのかは存じませんが、平民が貴族に奉仕する。これは、世間一般の常識ではないのですか?」
レグルスの価値観自体は間違っていない。——正直、そう言うのも憚られる破綻者ぶりだが、今回の場合は別である。
急に連れてこられて、初対面の女に奉仕せよ。そう言われてもやはり、快く応対できる人間はあまりいないだろう。
ただし、それはレグルスの元居た世界の話である。魔法の発展した世界、ハルケギニアでは、平民と貴族という明確な身分の差があり、平民が貴族に付き従うことは当然なのだ。
百十数年の生涯のほとんどで、自身の価値観を他人に押し付け、自己中を貫き通してきたレグルス。
皮肉なことに、異世界に飛ばされ、周囲から価値観を押し付けられることになったのだった。
「何言ってんの。貴族、平民? そんな意味不明な物差しに盲目的に従って、君たちは毎日生きているわけ? バカとしか思えないよ」
「そうです。わたしたち平民にとって、貴族様は敬うべき存在。それがルールなんです」
シエスタの話を聞くルイズを見ても、何を今更と言った顔。やはり、この世界では普通なのだろう。
良いも悪いもなく、ハルケギニアではこれが常識なのだ。
だが、レグルスがそんなに聞き分けが良いはずもなく、ルイズの一室は一時間もの間、口喧嘩が絶えることがなかった。
「何、考えているのかしら、この使い魔。そんなの、世間では常識なのに」
結局、貴族平民論争に決着がつくはずもなく、不機嫌なレグルスを連れてルイズは食堂に向かった。
長い廊下を歩く最中、横を見れば、何を考えてるのか一切分からない男。目には少し光はあるものの、どこか失望を宿した瞳をしている。
その失望が強くなるのは、決まって女生徒とすれ違ったときだ。
神官のような服を着た彼は当然注目が集まるのだが、大抵の生徒は彼と目を合わせようとしない。
それは女生徒たちからしても例外でなく、目を合わせようとして逸らされるたび、どこか彼はつまらなそうな顔をしている。
案外、人と接するのが好きなのだろうか。いや、それなら初対面の厄介染みた態度の説明がつかない。
一体、彼は何に失望しているのか——、
「あら、おはようルイズ」
そんな思考を断ち切る声が、意識外から届いた。
赤髪と褐色の肌が特徴の異国からの留学生、キュルケだ。
むせかえるほどの色気と、主張だけは一丁目のバストが忌々しい。
「おはよう、キュルケ」
不機嫌そうにルイズはキュルケを睨むものの、彼女はどこ吹く風といった様子。
するとキュルケは目線をレグルスに移し、顔を張り付けたような物に変えると、
「おはよう、あたしはキュルケ。家名はゲルマニアのツェルプストーよ。ご存じ? ……まあ、どちらでも良いけど、貴方の名前を知りたいの」
また男漁りか、とルイズは冷たい目でキュルケを見つめる。『微熱』のキュルケという二つ名を持つこの少女。男癖の悪さは尋常でなく、最近また男が出来たと言っていた。
それからあまり時を経ないまま、今度は新しい男にレグルスを所望か。
ここまで男の趣味が悪いとは思わなかったが。
キュルケの言葉に、レグルスの目がその顔を映し、
「——そうそう、人に名前を尋ねる前に自分の素性を明かす。これを当然のようにできる時点で、君はこの女よりもはるかに上等だよ。誇ってくれていい。……僕はレグルス・コルニアス。個人で完結した存在だ。慎ましやかで欲のない人生を是としている。ところで、『げるまにあ』の『つぇるぷすとー』? 察するに、前者が国名で後者が家名かな? 生憎、僕は両方聞いたことがないなあ」
長ったらしい自己紹介の裏で貶され、表情を歪めるルイズ。それとは対照的にキュルケは表情を変えない。
好みの男の前では、コロコロと表情を変える彼女にしては、珍しい。
不気味な程にそのままの顔で、キュルケは会話を続ける。
「そう、それならいいの。あたしの中で、あなたの立ち位置が決まったから。仲良くは……まあ、出来なさそうだけど」
「立ち位置? 君の中で僕をどう定義付けようがどうでもいいけどさ、仲良くなれそうにないと明け透けに言うのは違わない? 別に僕は君に大した要件もないし、『候補』からは外れているけどさ、言い回しには気を付けた方がいいよ。少しのすれ違いが、取り返しのつかない軋轢を生む。そんな面倒な事態を引き起こすのは互いにとって馬鹿馬鹿しい。違う?」
「——ええ、そうね。まったくもってその通りだわ。あなたとあたしが話すのはここまで。これ以上すれ違いが起きないよう、務めようと思うの」
「なかなか殊勝な心掛けじゃないか。物分かりの良い女は嫌いじゃないよ」
どこかかみ合わない会話を終了させ、「じゃあね、ルイズ」の一言でキュルケは去っていった。背後には彼女が召喚したサラマンダーが続いており、いつもの彼女ならルイズにこれでもかと使い魔自慢をし、「ゼロのルイズ」の一言を突き付けてくるはずだ。
にもかかわらず、今日のキュルケはルイズに対しての干渉が弱い。厭味ったらしくルイズを馬鹿にすることもなく、さっさと立ち去ってしまった。余程都合の悪いことがあったのだろうか。
「キュルケ、だっけ? 彼女は君と違って礼儀を弁えている。人と人は互いに敬意を示すのを忘れなければ、今のような衝突のない会話ができるはずなんだ。それに比べて何なんだろうね君の体たらくは。同年齢でここまで差がついて、挽回しようとかいう気も起きないわけ?」
「——ああ、こいつね」
レグルスに聞こえないような声と共に、ルイズは納得する。
キュルケはルイズに干渉するのを避けたのではない。レグルスに深く関わることを避けたのだ。
召喚騒動は生徒たちの記憶に残り、『ゼロのルイズの使い魔は器ゼロ』なんてキャッチコピーが彼らの中で有名になった程だ。
キュルケは噂に左右される少女ではないが、あの召喚の場を誰よりも近くで見ていたのは、コルベール先生とキュルケである。
彼女は近くで見て、レグルスの人となりを知り、完全に興味を失ったのだろう。
『微熱』のキュルケの熱さえ冷ます、レグルスの人間性。ルイズは、自身の使い魔の惨めさに泣きたくなってくるのだった。