先のキュルケとの会話から、使い魔の底辺振りを実感し、ルイズは憂鬱だった。
そんな彼女の様子を知ることもなく、レグルスはルイズの隣にぼっと突っ立っていた。
二人、否、大勢の貴族でごった返すこの場所は、トリスティン魔法学院の食堂だ。
ざっと百人は座れそうな縦長のテーブルが三つ並んでおり、右のテーブルから一年、二年、三年生の貴族用と決まっている。
ルイズは二年生なので真ん中のテーブルに向かった。
もっとも、レグルスには学年という概念が存在しないため、ただルイズに付いていくだけという形だったが。
ルイズの後に続きながらも、レグルスの目は興味深そうにテーブルの上に向けられている。調度品や豪華な飾り付けに彩られ、魔法学院が貴族のための場所であることを再確認させられる。
テーブルの上にはロウソクが立ててあり、それもまた食卓を彩るのに一役買っている。
だが、レグルスとしてはそこはどうでもいい話。彼が真に注目しているのは、朝食にしては豪華な料理そのものだ。
およそ、百年ぶりの食事としては、この料理は申し分ない。
自身に卑しい欲が
そう考え食事にありつこうと、レグルスが席に座ると、
「ちょっと待てよ、お前! そこはこのマリコルヌ様の席だぞ。貴族か平民かは分からんが、勝手に座るな!」
不躾な横やりが入り、レグルスは目線を声の主に向ける。
よく言えばふくよかな、悪く言えば肥えた金髪の少年がいた。
その顔は十二分に不満を示しており、レグルスに指を向けて、
「もう一度言うぞ! 僕はマリコルヌ・ド・グランドプレ。今日のメニューは大好きな鳥のローストだと言うんで馳せ参じたら、僕の席には既にお前が居た! もう激しく気分を害したぞ! どうしてくれるんだい?」
食の恨みは恐ろしいというのか、マリコルヌと言う少年は顔を赤くしている。
あまりにも真っ当に欲深いのでレグルスは面喰らったが、姿勢を正し、
「自己紹介に感謝するよ。またあの女の破綻ぶりを実感したけどね。……僕はレグルス・コルニアス。とある破綻女によって拉致された哀れな被害者だ。で、君はマリコルヌというのかい。——なるほど、こうも偉そうな口を叩けるってことは君も貴族ってやつなんだね。その横暴さには目を見張るものがあるが…………」
だが、もうレグルスの興味は百年ぶりの食事に向いている。普段なら百回殺しても足りないくらいの扱いを受けたが、もはや彼の中にそう言った不満はもうない。
それにもっと酷い扱いなら、昨日受けている。
その甲斐もあり、レグルス史上最も寛容な態度で、
「郷に入っては郷に従え。この言葉を知らない僕ではないさ。今回はもう君と口争いをする気は起きない。ここは僕が折れてやって、別の席を探すことにするよ」
「そ、そうか。それなら良いんだ!」
穏やかな態度で立ち上がり、レグルスは別の席を探す。
朝食の時間は近くなっており、続々と生徒たちが席についている。
そこら中歩きまわってみるものの、他の生徒たちにも専用の席があるのもしれないので、むやみに座れない。
そう考えると、ますます自分の席が分からなくなる。
「ちょっと、アンタ。何してんの?」
鋭い声が、レグルスの元に飛んできた。
見れば、先を歩いていたルイズがこちらに向かってきている。
途中で使い魔がはぐれたことに気づいた彼女が、レグルスを連れ戻しに来たのだ。
「僕の席はどこだ? どの場所で食べられる? いや、誤解はしてほしくない。別に、畜生よろしく食にがめついわけではない。でも人として当然の権利を、充足した食を享受するという与えられた権利をわざわざ無碍にはしたくないだけさ。貰えるものを拒むほど、僕は冷淡な人間じゃないからね。で、その人間性を証明するために席を探しているんだけど、生憎分からなくてね。どこだい?」
どこまでも回りくどく話すレグルス。そんな彼にルイズは嫌な顔をしそうになるが何とか堪え、「こっちよ」と言うとすたすたと歩いて行った。
大人しく付いていくと、先を歩いていたルイズが席に座った。その左右の席を見てもすでに埋まっており、自分の場所がやはり見当たらない。
食事をする席が、自分にだけない。
――何か不快なものが、体の中からせりあがってくる感じがした。
生じた不快感に突き動かされるように、レグルスはルイズの肩を掴み、
「僕の席はどこだ? 道案内は質問者が目的地にたどり着くまでが道案内であって、途中でそれを投げ出すような真似はやめてほしいんだけど?」
「そこ」
「…………は?」
見間違いでなければ、ルイズが指しているのは下——地面だ。
レグルスは、果たして自分の目が真っ当に機能しているのか、疑問に思った。
だって、どう見ても床に皿が置いてあり、その上にはパンが一つ置いてあるだけ。
「……これは何の生き物のための料理だい? まさかとは思うが――」
「アンタのに決まっているわ。使い魔が貴族と同じ食卓を囲めるわけないでしょ」
「――はぁ!?」
鈍い音が鳴り響き、皿の割れる音が食堂に木霊する。
レグルスが床に置いてあった料理を蹴り飛ばし、地面に転がした音だ。
突如として起こった出来事にどよめきが走るも、そんな周囲の目線はレグルスの視界の外だ。
自身の行動をないもののように、平然と無視を決め込むこの女が憎たらしい。
依然として振り向かないルイズに、レグルスの堪忍袋の緒は、木っ端微塵にはちきれた。
「……どこまでもどこまでも、見下げ果てた人間だな君は。ただの礼儀知らずだと考えていたけど、僕が甘かった。何てことのないように人を畜生扱いし、それを平然としている様子がおぞましくてたまらないよ。……君は公爵令嬢なんだっけ? 人より恵まれた家柄を、君のような足りない人間が持つからこんなことになるんだよ。凝り固まった価値観を真っ当な人間に押し付けてくる害虫女め。自分が世界の中心に居ると勘違いしてるんじゃないの? やだやだ気持ち悪い」
レグルスの誹謗中傷を耳にしても、ルイズの態度は変わらず、「席に着きなさい」の一言。だがその声は明らかに硬く、握り拳はかつてない程震えている。
それでもルイズは後ろに立つレグルスに振り向くことなく、平然とした態度を装っている。
こちらを一目もくれないそんな姿勢に、レグルスの憤怒は加速し――、
「こっちを見ろ、クソ女がぁ! 貴族貴族と馬鹿の一つ覚えみたいに繰り返しやがって!大体貴族が何だ? 所詮、民草の金で生きている寄生虫じゃないか。そういった地位だけが高い大抵の人間は碌に仕事もしないで、遊び惚けているに決まっている。君たち貴族のもと産まれたガキ共はそんな親の元苦労一つせずに生きてきたんだろ、この七光りのボンボン共め! おめでたいことだなぁ!」
「!……アンタ、本気で言ってんの!?」
思わずルイズが振り向き、レグルスを糾弾する。だがその顔は、怒りと同時に哀しみに暮れているように見えた。
それを気にしないレグルスの嘲笑が響き渡り、食堂の温度が急激に下がる。
どよめきはいつしか止み、生徒たちの怒りに満ちた視線がレグルスに突き刺さっている。
だが、その視線も当の本人からしたら愉快なものでしかなく、
「ああ、そうだ。僕の住んでいた領地を治めていた無能貴族共のことを教えてやるよ。病巣に塗れた性悪共が住む村一つ、まともに管理できなかったでくの坊でさあ。ああいうふざけた日和見主義共はみんなみんな僕の手で――」
「——口を慎みたまえよ、平民崩れが」
誰もが怒りに身を忘れレグルスに突撃しそうな雰囲気の中、ある声がその空気を切り裂いた。
一番良い所で話を遮られ、レグルスはぎらついた眼で障害となるその人物を威圧する。
いつのまにか席を立ち、レグルスの前にいる人物。
金色の巻き髪が特徴の、フリルのシャツを着た少年。如何にも貴族という風な人間だ。
それが、貴族と言う自身を貶める絶対悪の象徴に、レグルスには映り――、
「……今君の出る幕じゃないよね。この前時代的な価値観にしがみ付く独善者を、真っ当な常識を持ち合わせた僕が成敗する場面じゃない? そういう風に空気を読むことができないなら、一から人生をやり直した方がいいんじゃないの? 次は真っ当な親の元生まれるのを祈ってさあ」
レグルスの中傷混じりの言葉に、少年は動じない。
だが、表情には耐えがたい憤怒が現れており、それを耐えるように目を
「僕はギーシュ・ド・グラモン。僕の父は、軍の元帥を務めている。名前くらいは聞いたことはないか?」
「さあ? どこの木っ端貴族なのかは知らないが聞いたこともない。君の父親は、僕の耳に飛び込んでくる程の戦果を挙げられなかったようだね」
「……そうか、この一往復の会話ではっきりしたよ」
そう言って、金髪の少年――ギーシュは杖をレグルスに向ける。それと同時に、冷ややかな目でレグルスを睥睨し、
「君がどこまでも世間知らずの我儘男だってことをね。おおよそ、好き勝手しても許される環境にいたのだろう。ろくに苦労もせずに生きてきたっていうのは君の人生に違いない」
「――ッ! 箱入りの温室育ちが! 僕の言うことにケチをつけるなぁ!」
「やめなさい!」
権能のことも忘れ、飛び出そうとしたレグルスを止めたのはルイズだ。
止めたのは二十も満たさない少女であるが、彼の身体能力を侮るなかれ。
万の力が掛かっているかのように、ルイズの腕の中からレグルスは動けなかった。
少女の細腕の中で喚き散らすレグルスを見て、ギーシュは鼻で笑うと――、
「僕に名前を呼んでほしかったら、ヴェストリの広場に来るとよい。そこで決闘を行う。それで充分だろう?」
そう言って周囲の悪くなった空気を換気するように、ギーシュは席に戻っていった。
彼の計らいのおかげで何とか即発は逃れたものの、最悪の雰囲気で朝食の時間になった。
料理を自分の手で台無しにし、食べるものがなくなったレグルスは、舌打ちするとルイズの腕から脱出した。
――この世界に来て、最悪の気分だ。
何度更新されたか分からない最悪だが、これを超える事態は滅多にないだろう。
暴食貴族には席を追放され、舌鼓を打てるはずだった料理からは遠ざけられ、ぽっと出のいけ好かない貴族に馬鹿にされ、挙句の果てにはこの場で唯一食にありつけない人間に格下げだ。
自分だけが腹を空かし、人としての権利を剥がすように追い込むこの世界が憎たらしい。
自分だけが惨めな思いをして、周りの人間に憐れまれると考えると我慢ならない。
これでは、権能を得る前に逆戻りではないか。
貧しい家に生まれ、村人共から要らない施しを押し付けられ、自分が世界で一番惨めな存在と見なされる絶望に突き落とされた、あの頃に――――。
「……レグルス」
ふと、自分の名前を呼ぶ声が聞こえた。
見なくてもわかる。自身を深い絶望に追い込んだ元凶の女だ。
寝ているときは可愛くても、平常時はイラつかせるその面を今見ると、何をするか自分でもわからない。
こんなことでこの女を害し元の世界に帰れなくなれば、今度こそレグルスは生きていけない。
「……何? 今、君と話すことは何もないはずだけど? 君がどんな極悪人か、あのふざけた貴族にも知らしめなくちゃいけな――」
「これ、あげるから決闘なんてやめなさい」
静かな絶望に俯くレグルスの視界に、異物が入り込んだ。
ぼやけた視界にピントが合い、謎物体の正体が判明する。
――フォークに刺された、鳥ローストの一部だ。
顔を上げたレグルスの目に次に映ったのは、ルイズの顔だ。
不機嫌そうにこちらを睨みつけるその表情は、レグルスにはとても見れたものじゃない。
食事とは言えない代物と、ルイズの顔を交互に見て、レグルスは口を開く。
「施しを与えるから争いは控えろって? どこまでも人を見下すのが好きな女だな」
「違うわよ。アンタの体はもうアンタだけのものじゃないの。わたしの使い魔なんだから、わたしのでもあるでしょ? だから、下手に傷がつくのが嫌なだけよ」
「……はぁ?」
使い魔の傷は自分の傷。
そんな『強欲』な在り方に、レグルスは言葉を失った。
どこまでも自分勝手で、どこまでも自分本位で、どこまでも他人の事情を考えない我儘女。そんなルイズを見て、レグルスは思った。
――こんな自分のことしか考えていない奴が、他人に施しを与える程余裕があると思えない。
そう考え、レグルスは鼻を鳴らすと、
「気持ちの悪い言い方だなぁ、反吐が出る。だいたい、散々昨日僕を苛め抜いたクソ女は誰だと思っているんだ? ……日を超えて矛盾した言動を取るな、疲れる」
先ほど激昂したことで体力を使い果たしたのか、喋るのが億劫になってきた。
口数が心なしか少なくなったレグルスを眺め、フォークを向けたまま、ルイズはしばらく無言で居続けた後――、
「じゃあ、食べないの?」
「……食べないと人は生きていけない。それは今の僕も例外ではない」
そう言うと、レグルスは口を開き、ルイズが差し出した肉を受け取った。
百年ぶりの食事にしてはあまりにも質も量も足りてなく、お世辞にもこれを料理とはレグルスには言えない。
おまけに他人から与えられた物。それを考えれば、最悪の食事だと自信を持って言える。
だが、一口大のそれを口の中に迎えると、そんな気持ちに変化が生じ始めた。
一回一回咀嚼するごとに、長い間無縁だった旨味が広がっていき、
——満たされた、そんな気がした。