器ゼロの使い魔   作:垂直抗力

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9 ご主人様と使い魔

 

 

 レグルスの病床生活、二日目。

 異世界に訪れてからまだ四日も経っていない中、レグルスは立派な怪我人としてベッドの中の生活を余儀なくされた。

 

 二日目の午後、シエスタがレグルスの食器の後片付けを終え、部屋を出ていった。

 シエスタの『レグルスさん』呼びを許可して以降、彼女のレグルスへの態度は激変している。

 それは、男女の関係を深める第一歩というよりは——、

 

「完全に僕を見下しているよね、あのメイド」

 

 この世の無念を嘆くように、レグルスは吐き捨てた。

 現在の生活環境は、彼一人では動けないことを除けば決して悪いものではない。

 少なくとも、ルイズのもとで理不尽な仕打ちを受けていたときを考えれば、天国のようなものだ。

 そんな環境作りに貢献しているシエスタは、主にレグルスの身辺のお世話をしてくれている。

 最初こそ難色を示したレグルスだったが、彼女の機転の良さは彼の妻たちのそれと遜色なかった。

 

 自分を思って行動をしてくれるシエスタ。それに思うところはなかったのだが——、

 

「どいつもこいつも僕に対する敬意が足りない。他人に対して最低限の思いやりを持つというのは人として常識だろ? この世界は欠陥人間ばかりだな」

 

 メイドという職業名が形骸化するくらいには、シエスタの態度は遠慮がなかった。

 ルイズのことで愚痴を言えば、『半分くらい貴方が悪い』と言ってレグルスの落ち度を徹底的に指摘してくる。

 

——権能が不完全でなければ、絶対酷い目に合わせていた。

 

 そんなレグルスの内心を知ることもなく、彼女はときにルイズ以上の毒舌で責めてくるため、心休まるはずの奉仕者との対談は基本口喧嘩になっている。

 

——美味しい食事がなければ、絶対怖い目に合わせていた。

 

 シエスタが出ていった部屋の扉を見つめ、レグルスは今ある状況を見直す。

 昨日は桃髪女のお付きのメイドの彼女に馴れ馴れしくされ、どんな価値基準で測ったか分からない評価を勝手にされた。

 その上、図に乗ったメイドが自分への敬意を忘れ、怪我人の自分の心を意味もなく虐待していく始末。

 この世界には、自分の平穏を脅かす存在がすでに二人、近くに居る。——彼の捻じ曲がった主観はこう結論づけた。

 すると、扉の開く音が部屋に響いた。

 

「入るわよ」

 

 入室許可——否、入室宣言と共に、噂の桃髪の少女がずかずかと入ってくる。

 紛れもなくレグルスの平穏を乱す少女の一人、ルイズである。

 腕を組んで悪びれもなく入る彼女に、レグルスのこめかみに青筋が立つ。

 

「まだ入っていいなんて言ってないんだけど? 君はノックの存在意義を何だと思っているのかなあ。人には都合不都合があって、使える時間帯は人それぞれだ。その齟齬を埋めるためにノックがあるというのにそれをしないなんて、人として間違ってるんじゃない?」

 

「使い魔の都合は、わたしの都合。当然、わたしに都合が良いタイミングならアンタも都合が良いのよ。————何言ってんの?」

 

 他人のことを考えない唯我独尊っぷりは、どうやら復活したらしい。決闘時の彼女の悲痛な様子は、一体どこから来たのだろうか。

 彼女の恐怖政治のような理屈に、レグルスはもはや反論する気力をなくした。

 その代わり、ルイズがレグルスを侵害するたび、いつか権利を行使するときの血みどろ具合が増している。このままのペースでいけば、少女は見事な花火と化すだろう。

 常人にあるまじき発想と共に未来設計図を作りつつ、レグルスは侵入者に尋ねる。

 

「何しに来たわけ?」

 

「……別に。まだちゃんと息があるか確認しに来ただけよ。か弱い使い魔がご主人様の目の届かないところでぽっくり逝ってたら、わたしの沽券に関わるでしょ?」

 

「相も変わらず不愉快な女だなあ。ここまで中身が醜くなれるのは逆に才能だよ」

 

「ふん……いいわ。過ぎた発言を許したげる。今のわたしにはやることがあるから」

 

 一々レグルスの神経を逆撫でする罵倒劇は、終演を迎えたらしい。

 会話の応酬を終えると、ルイズはベッドの横の椅子に座り本を開いた。

 そんな普通の少女らしい様子に、レグルスは激しく拍子抜けする。

 

 ルイズを傲慢少女から淑女未満くらいに引き上げた書物に、レグルスは目を向ける。

 表紙にはレグルスが見たことのない文字が書いてあり、内容を推測することができない。

 数々の異国を歩いていた前世界でも、あのような文字は見たこともなかったのだ。

 

 本から視線を上に向けると、レグルスの視界にはルイズの顔。

 桃色ブロンドの髪に、鳶色の瞳。いつもは怒りに燃え上がるその瞳も、今は本の内容に真剣一色という感じだ。

 

「——」

 

 人形のような彼女の顔の綺麗さが、やけに目立つ。

 騒がしく感情を爆発させる気配がまるでない、今のルイズ。

 そんな今の彼女相手なら、自分の平穏な生活も夢物語には終わらな——。 

 

「…………不愉快だなあ」

 

 しかし、本に熱中するルイズを見ていると、レグルスの中に沸々と名状しがたい感情が湧いてきた。

 目の前の少女の様子が、とても気に食わない。

 いつも感じる彼女への苛立ちとは、質も量も共に違う。

 そんな理解不能な感情に乗せられ、気づけばレグルスは本を取り上げていた。

 

「何すんの! 返しなさいよ!」

 

 憤怒に駆られた表情になったルイズを確認し、レグルスは目線を本の中身に移す。

 中も当然、異世界の文章の嵐。数秒間眺めても、内容の推測すら叶うわけがない。

 絵のようにも見える文字の羅列から目を逸らし、ルイズに尋ねる。

 

「これ、何が書かれているんだい? 僕という存在を無視してまで熱中する内容なわけ? そんなものがこの世にあるとは思えないけど」

 

「あんた文字も読めないの!? ……それは教科書。昨日、授業で習ったことを復習しているのよ」

 

「ふーん、勤勉で何より。時と場所を考える頭が君になかったのが悔やまれるけどね」

 

「……で、早くそれ返してくれない?」

 

 客観的に見て、今のレグルスはただの盗人だ。

 もっともな不満を述べるルイズを見て、レグルスは本を片手に考える。

 この教科書を返さないと、絶対、この女はやかましく喚く。

 からと言って返すと、また本を相手にし始めるだろう。

 普段考えないことに思考を費やし、放置されたルイズの怒りが頂点に——という瞬間にレグルスは口を開いた。

 

「——魔法を見せろ」

 

「……え」

 

「君の魔法を僕に見せろ。僕のいた世界では見たことのない使い方だった。それなら、魔法自体が全く別のものになっていると考えるのが妥当だ」

 

 レグルスが思いついたのは、魔法の実演だった。

 それなら、ルイズが本に集中することもなくなるし、うるさく喚く彼女を見る必要もなくなる。

 自分が満たされた人間であることを実感できるような、完全無欠の案だった。

 

 だがその瞬間、ルイズの表情は目に見えて激変した。怒り一辺倒と言った表情から力がなくなり、今にも泣きだしそうな顔に一変したのだ。

 『完全無欠の案』を否定するような彼女の変化に、レグルスは絶句する。

 そんな彼に対し、何かを嚙み締めるように体を震わせ、ルイズはこう言った。

 

「…………わたしは魔法を使えないわ」

 

「はぁ? じゃあ僕を吹っ飛ばしたあのやかましい爆発は何なの?」

 

 忘れもしない屈辱の記憶。

 平穏無事なレグルスの生活を脅かし始めたものの一つとして、あの爆発も含まれる。

 それに対し、レグルスからすればらしくない表情のまま、ルイズは返答した。

 

「…………ちがうわ。あれは『サイレント』という対象の声がしなくなる魔法に失敗しただけ。いわば爆発は本来、起こらないものよ」

 

「じゃあ何? 僕は失敗の二次被害によって昏倒させられたわけ? 何て屈辱だ!」

 

 彼女の言い分が真実なら、『サイレント』という魔法が成功していればレグルスは昏倒する必要もなかったのだ。

 衝撃の事実を耳にし激昂するレグルスに、ルイズは特に言い返さなかった。

 むしろ、罵倒されて当然と言ったような殊勝な態度。そこに、傲岸不遜ないつもの彼女の面影が見えない。

 そんな打っても響かない様子に再び、圧倒的な不快感がレグルスに到来した。

 

「分かったよ! 魔法の実演は結構だ! いつも喧しいその口を使えば講義くらいならできるだろ!?」

 

「え?」

 

 ルイズの沈痛な表情が、あっという間に消え去った。

 彼女はあぜんとした様子で、レグルスを見つめている。

 訳が分からないと言った様子の彼女だが、レグルスにもそんな様子の彼女が分からない。

 まさか、この女が魔法に無知なわけもないだろうに。

 そう考えるレグルスに、ルイズはこう答える。

 

「あんた、魔法使ってたじゃない」

 

「はぁ? そんなもの使ったこともない。必要ないからね」

 

「噓つくんじゃないわよ! わたし、決闘で使ったのを見たん……!?」

 

 反論を試みたルイズだったが、何かに気づいたかのように停止した。

 目玉が飛び出そうなくらいに目を見開き、ルイズはおそるおそるといった様子で尋ねた。

 

「あんた……決闘で杖使った?」 

 

「杖? 何でそんなものが僕に必要だと思ったわけ? まさか、この白髪を見て耄碌した老人と勘違いしたとかふざけた見解を————」

 

「バカ言わないで! 魔法を使うのに杖が必要なのは当たり前じゃない! 杖なしで魔法を使えるのは、エルフだけよ!」

 

 致命的な勘違いを、どうやらルイズは自分で解決したようだ。だが、それが返って彼女を混乱の渦に巻き込んだらしい。

 わなわなと震えながら、ルイズはレグルスに指を向けると、

 

「耳が長くない。でも、あんたは杖なしで魔法を使ったわ。…………レグルス、あんた本当に異世界から来たの!?」

 

「むしろ信じていなかったわけ!? 何でもかんでも妄言と受け止めていたなんて、君はやっぱり人との意思疎通ができない型の人間なのかなぁ!」 

 

 ルイズとレグルスの驚愕度合いが同じくらいだったのは、想像に難くない。

 二人の混乱が落ち着いたのは、恐ろしく低次元な論争に一時間を費やしてからだった。

 

 

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