ここからダル・セーニョ   作:辛酸

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静けさにプロローグ

 チカチカ、チカチカ。

 まるで目眩がしているみたいに周りが光ってる。なんだか、ずっとずっと寝てたみたい。そうしてようやく気がついたのは、このチカチカしているものはすごく熱い火なこと。

 ああ、だからこんなに眩しくて、だからこんなに痛いのかなと、すこしだけ動く頭で考えた。考えたら、なんだかすごくうるさい不思議な音がなっている。まるで、昔お母さんが歌ってくれた子守唄みたい。でもなんとなく現実感がなくて、なんとなく隣を見たら、そこにあったはずのものは、もう、どこにもなかった。隣には誰かがいたはずなのに。

 なんでもないはずの赤い水たまりに、話かけようとして、呼びかけようとして、なんとか届けようとして、結局何もできなくて、それが、それだけが最期だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 朝、目が覚める。いつもと同じ朝の時間帯に、これまでのいつもとは少し違う、本当にひとりだけの朝。

 本当に簡単に、冷奴を食べて、朝食と言い張ることにした。食べ終えたら洗濯物を干す。干しながら、今日の空模様がどんなものかを見てみた。雲ひとつない、清々しい快晴だ。さて、時計を見ると、どうやらまだ登校までの時間がある。身だしなみをある程度整えたら、ようやく毎朝の日課に移れそうだ。

 日課とは、楽器を吹く前のブレストレーニングやリズムトレーニングなどの各種トレーニングや、楽器を吹いてからやるロングトーンなどの基礎練習のことを指している。これはサックス奏者である自分にとって、特に重要な日課だ。

 今日は時間に余裕があるが、万全を期して今日は楽器を吹くまではしないでおこう。初日から遅刻するのは、一般的に良いことではない。楽器を吹き出せば、夢中になって学校に遅れてしまうかもしれない。

 まずはブレストレーニングからだ。息を吸って、吐く。その繰り返し。メトロノームの音を聞いて、なるべく長く吐き続けようとする。これこそがブレストレーニング。ずっと前から体に染みついた、楽器を吹くための基礎の基礎だ。

 その後もトレーニングを続けていくが、意外と時間の流れとは遅いもので、まだ少し時間が余ってしまっている。

 それならばと、マウスピースをサックスの楽器ケースから取り出し、リードを取り付け音を出す。これは楽器そのものを出さなくても出来る、マウスピースだけのトレーニングだ。これなら時間もそれほど使わないだろう。

 マウスピースだけで音を出すのは、金管楽器では当たり前の練習方法であるが、実はサックスなどの木管楽器ではあまり重要とされていない。というのも、木管楽器はリードという木を削ったものをマウスピースにつけ、息でそれを震わせて音を出す。音を変えるのは、基本指の操作によるものだ。それに対して金管楽器は、マウスピースに当てた唇の振動を増幅させて音を出す。この違いから金管楽器は、極論マウスピースだけでも音の変更が出来てしまう。むしろそれが出来るか出来ないかが、初級者を脱するための一助となる。

 この違いから、サックスなどの木管楽器は、マウスピースだけで音を出す練習の重要度が低くなっている。ただそれでも、プロの奏者など、本当に上手な人は、マウスピースだけで音階を奏でることができるほどに習熟していたりする。それを見習う意味も含めて、自分はよくこの練習をやっている。

 

 一人の朝は、忙しなくてまだ慣れない。それも当たり前だと言い聞かせて、自分が迎える新しい生活について考える。そう、今日から始まる高校生活についてだ。

 

 

 これから自分が通う高校、北宇治高校というらしい。らしいというのは、今まで住んでいた北海道から引っ越し、全く土地勘のない京都で生活を送らなくてはならないことで、自分にまだふさわしい当事者意識がないのだろう。きっとそれだけの問題である。そう信じて、今は目の前の日課に集中する。

 流石に入学初日から学校に遅刻することは、良くないことだと思う。

 10分ほどマウスピース練習を行うと、片付けと手入れを行う。タオルでリードとマウスピースを拭き、スワブ――楽器を掃除するための、吸水素材の布――を通す。楽器の方もタオルで拭くことを忘れない。

 そうして片付けを終えると、忘れ物がないか確認して外に出る。

 

 「行ってきます」

 

 別に聞いている人などいないが、癖のように染み付いた挨拶を終えると、外に出た。

 

 

 

 通学路は、ワイワイガヤガヤと、音が重なりすぎてそう形容するしかないような、非常に賑やかな様相を見せている。それもそうだろう、この美しい春の陽気に負けず劣らず奏でられた、他の生徒たちの声がそこかしこで聞こえる。

 ひとりの自分も、そこに加わることは出来るのだろうか。楽しそうな生徒の様子を見ると、ついついそんな事を考えてしまう。考えたことのどこまでが本当に思っているのか、自分でも分からない。わからないまま、ただ漫然と歩いていると、ついに校門が見えてきた。

 校門に大きく書かれた文字を読むと、京都府立北宇治高等学校と書いてある。どうやら、ここがこれから、恐らくは3年間、自分が生活する場所になるだろう高校だ。

 初日というだけあって、この北宇治高校の入学式が執り行われるのは、まさしく今日である。遅刻できないと言った通り、当然自分も参加する。さて、何も問題がなければ数時間後、入学式は始まるだろう。

 

 

 

 入学式は、中学の時分までに何度もみたものと、大して変わらないように感じた。始まりの言葉に、校歌の斉唱に、特段よく知らない人たちの、眠くなるような挨拶。特筆すべきことはなにもないような、至って普通の入学式。

 そんな入学式も終わり、特段何も得るもののないまま充てがわれたクラスに移動した。

 ただ、そんな入学式にも一つ注目するべき点があるとするなら、この学校は校歌を歌うときには吹奏楽部の伴奏があるという点だ。

 人数はA編成をやるには十分だろうか。特段数えてはいないが、その程度はいるだろう。ただその演奏自体は、これといった特徴のないものだった。あえて形容するなら、“上手くない”や“少し下手”といった言葉が最もふさわしいものだった。音を聞いている限り、何人かは上手な人もいたが、どこでも人数は正義のようだ。上手な人たちの演奏は、合奏の中で飲み込まれていた。

 最も個人的には、自分の練習できる場所の確保こそが最大の目的である。正直実力はどうでもいい。吹奏楽コンクールだって、別にサックスの技量の成長にとって、必ずしも重要な場ではない。この部活に入ることには、特段なんの問題もない。

 

「傘木希美!」

 

 そんなことを考えていると、クラス内では点呼が行われ始めていた。既に何人かの点呼は終わり、か行の生徒に移っているようだ。こころなしか、教員も新しい1年を前に、期待と不安の混じったような、明るさを持った声色だ。年は30代前半といったところだろうか。まあそれがわかったところで、自分には特に関係ないが。

 

「はい!」

 

 持て余した暇を潰すように、返事をしたクラスメイトに目をやった。するとそこにいたのは、きれいな黒髪を後ろにまとめて、ポニーテールのように結った少女だった。その声の元気さに違わぬ、はつらつとした雰囲気を身にまとっている。まさしく、“かわいい“という言葉が似合う人なのだろう。

 とはいえ、こういう元気な人と関わる未来は、自分のような大した魅力もない人間には浮かばない。きっと話すこともない、ただのクラスメイトとして終えるのだろう。

 その後も点呼は続いていく。誰も彼もが、呼ばれることに緊張を抱いていて、それが空気に伝播している。まるで部屋全体がぴしっと張ったカーテンのようだ。

 

「平尾澄子!」

「はい!」

 

 ついに点呼は自分の前の人にまで回ってきたようだ。ついに次は自分の番だ。

 

藤原(ふじわら)(はじめ)!」

「はい」

 

 返事をすると、少しだけ高校入学の実感が湧いた気がした。不安は、いくつもある。それでもひとまずの目標として、これからの練習場所、つまりは、入部予定の吹奏楽部に行ってみるとしよう。

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