ここからダル・セーニョ   作:辛酸

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 完成までのプロットとやる気だけは、あります。


思いもよらない/思ったより早い

 一期一会、という言葉がある。どうやらこの言葉の意味は、生涯で一度限りの機会のことを示していて、その機会を大事にしようという茶道の教えなんだそうだ。いつかの授業で、たまたま国語の先生が言っていたのを思い出した。

 

「じゃあ、今日からこの楽団に入る新しい子を紹介します。高校生ですから、皆さん優しい気持ちで接してあげてくださいね」

 

 本当はもっと狭い意味で、出会いと別れを大事にしましょうくらいにしか思っていなかった。今もどちらかといえばそちらのほうがしっくりくるけれど、素敵な意味だなと思ったことだけは事実だ。

 

「入ってきていいよ」

 

 舞台袖から見えるライトが目を焦がす。こういう新しい始まりには、どこか竦んでしまう気持ちもあるけれど、こんなところで臆していても意味はないから、せめて前に進むと決めている。さあ、ここから歩き出そう。

 多分、一期一会の言葉の意味なんて思い出したのは、自分の背中を押すためだから。だってそうじゃないと、あの日部活をやめた意味はどこにも無くなる。例えもうあの部活で得た縁と繋がることが無くなったとしても、ここが私の居場所だから。

 ピタッと位置について客席を見る。暗くて顔がよく分からないけれど、この人達とたくさんの音楽を奏でて、たくさんのことを学べればいいなと思った。

 

「私、北宇治高校1年生の傘木希美です!今日からこの楽団でお世話になります!よろしくお願いします!」

 

 ホールが拍手に包まれる。どうやら暖かく迎えてくれているようだ。あの部活との待遇の違いが嘘みたいで、少し涙が出そうになる。

 希美が所属しようとした楽団は、名前を渡辺ウィンドオーケストラ――通称渡辺ウィンド――という、ここ宇治市を拠点に活動する楽団だ。渡辺という名前はどうやら、先ほど司会をしていた座長の渡辺さんから取られたもので、どうにかして個性を出そうと苦心した結果らしい。苦心したというには、逆に個性がなくなっているんじゃないかとつい邪推してしまうくらい、捻りがないのは言わないでおいた。

 先ほどの温かい拍手のおかげで、幾ばくかの不安も拭われた気がした。きっとこの楽団に入れてよかったと思えるような、そんな予感が胸にあふれた。

 ちなみに、なぜ希美の歓迎がホールで行われたのかと言えば、もうすぐ来る楽団の定期演奏会に向け、たまたま市の小ホールを取れたから、だそうだ。

 

「うん、希美ちゃんありがとう。じゃあ、こっちの自己紹介もしておこうか」

 

 渡辺さんの一言により、楽団メンバーの紹介が始まった。紹介されたのは、様々な年齢層――といっても、ほとんどが希美より一回りは年上ばかりだが――の楽器を持っている人たち。中には過去にプロの奏者としてオーケストラにいたおばあさんや、音大を卒業したけど普通の道に進んだ30代の男の人、はてにはここで初めて楽器を吹いてみたおじいさんもいた。希美はその自由さに感嘆する。確かに同年代の子は少ないと思っていたけれど、これだけの年齢差があっても楽器を吹く仲間になれることが、なぜだかとても不思議に思えた。音楽にそういう可能性があることを今までの経験から知っていても、それが現実になることには、まだ答えを持っていなかったのだ。

 その後も自己紹介は続いていった。中にはプロの奏者やかなり上手なフルート奏者の人もいて、希美の気は引き締まった。部活を辞める選択をしてなお、続けたいと思ったフルートなのだ。絶対に上手くなりたい。履いてきたスカートの裾を掴んで、その決意を思い出した。

 キュッと握りしめた拳に意識を持っていったのも束の間、楽団メンバー紹介は最後の一人となっていた。ただ、その人の身長の問題なのか、照明の問題なのか、そこにいる人の顔は今の今まで全く見えてなかった。一体どんな人なのだろう、年齢が近い人だと少し嬉しいな、そんな呑気な考えを抱けるほどには、この空間に対して親近感を持てるようになっていたのだ。だからこそ、その人物が立ち上がった瞬間、希美の考えはさながらダルマ落としのように跳ね飛ばされたのである。

 

「えっと、その……、なんて言えばいいかわからないんですが、藤原創です。あの……まあ、よろしく……?」

 

 なんて気まずそうな自己紹介なのだろうか。一瞬、そう思考停止してしまうほどにはあり得なかった。もう2度と関わることはないだろうとまで考えて、会えなくなる決意すらした古巣の中の知り合いがそこにはいた。きっとこの時の希美は、あとの人生から考えても上位に食い込むような、とんでもない驚き方をしていただろう。

 

 

「えーっと、どこから話したらいいのかな……」

 

 日曜日の昼下がり。練習が終わって、2人してなんとなく、流れに流されてホールのフロントに腰掛けることになった。

 夏の暑い日差しが届かないこの場所には、人工的で涼やかな風が吹いていた。とはいえ日差しも負けないように、隙間から入り込もうとしている。けれども、どうやら人の技術はそれにすら打ち勝てるように進化していたようだ。この空間は湿度も気温も保たれて、まさに快適というのにふさわしい。そのはずなのに、こんなにも気まずく、快適さとは程遠い空気感はなんだろう。希美の背を嫌な汗が伝う。

 

「まあ、話せるところで」

 

 話せるところって一体どこなの、なんて毒づきたくなっても、ここで希美を助けてくれる人はいない。だから仕方なく、渋々と、そして淡々と、ことの成り行きを語ることにした。

 

「初めはね、辞めるところまでは考えてなかったの。来年はきっと変わるかもって、まだ思えたし。でも、やっぱりきっかけはコンクールメンバーの発表だったかな」

 

 淡々と、語るつもりだった。それでも話し続けるにつれて、あの日感じた絶望感と無念が胸の中で渦を巻く。その渦は次第に大きなうねりとなって、希美の感情を揺さぶり続ける。

 

「少しだけ持ってた希望が、全部打ち砕かれたような気分だった。普通に考えてさ、どんな部活でもありえないよ。頑張っている人たちだけが損するようなメンバーを、まるで当然みたいな顔して発表するなんて、どうして出来るの?なんで他の人はそれを当然みたいな顔して受け入れられるの?そんなのって、そんなのって、ないじゃん」

 

 反応を伺うように創の方を向いた。希美に合わせてかはわからないけれど、彼は伏し目がちに、ただ黙って希美の言葉を聞いていた。

 

「まあ、なんというか、そんな部活に嫌気が差して、辞めた。でもフルートは絶対やめたくなくて、それで渡辺ウィンドに入ったの」

「……そっか」

 

 返ってきた言葉は淡白で、けれど確かに残念そうな感情が混ざったものだった。その残念そうな感情がどこにあるのか、少し気になった。不思議な態度だなと、そう思った。聞かないほうがいいと思って聞いていなかったけれど、気になったことが口に出た。

 

「……創君はさ、どう思った?コンクールメンバー。特にほら、サックスは君だけじゃなくて菫も響先輩も、だしさ」

「自分は」

 

 急に言葉が止まる。不思議に思って見てみると、口に手を当てて何か考え込んでいる。それ自体は普通のことなのに、どこかその目が、機械みたいな、恐ろしいほど冷たいものに見えた。気のせいかと思って瞬くと、その錯覚は霧散した。やはり希美の気のせいだったのかもしれない。

 

「自分は、それ自体は気にしてない。けど、誰かに辛い思いをしてほしくは、ない」

 

 その言い方はどこかぎこちないものだった。隠し事をしているかのような、必死に何かに触れないようにしているような、そんなぎこちなさ。それでも、その優しさは決して嘘じゃなく、彼の本物だと希美は感じた。

 

「まあでも、暗い話はこれでおしまいにしよ!それより、私はどうして創君がここにいるのか気になるんだけど」

 

 そういえば説明してなかった、とでも言いたげな顔をして彼は顔を上げた。そう、希美からしてみれば希美が部活をやめた理由よりも彼がここにいることの方が大きな難題である。部活に勉強にプロの講習を受けにと、既に3足以上のわらじを履いているような彼が、さらにこうして地域の吹奏楽団に入っているのは、流石に多忙を極めすぎているだろう。だがそんな希美の疑念は、あっけらかんと言い放った彼の言葉によって打ち砕かれることになる。

 

「その理由自体は簡単だよ。北宇治の部活は日曜日に練習ないことが多いでしょ?だからかな」

「いやいや、それってそんなに簡単なことじゃないよね!?」

「だから、渡辺さんには結構よくしてもらっているんだ。来れない日は来れないでも大丈夫って言ってもらって。まあでも、練習できる時間は少ないからどんどん埋めていかないとね」

「それは……すごいね」

 

 まるで、時間があったら全てを練習に捧げるのが当然だろ?とでも言わんばかりの創の態度は、日本中の吹奏楽部員が拝んでしまうような熱狂ぶりである。現実に、しかもこれほど近くにこんな人がいて、一緒に練習をしているのだと思うと、少し面を食らってしまうようだ。きっと、本当に音大に行くような人というのはこういう人なのだろう。

 

「でも、そんなスケジュールだなんて知らなかったよ。それで成績もいいだなんて、なんかあすか先輩みたい」

「田中先輩?」

「そう。なんか、2人とも凄すぎて、全然及ばないなって」

「買い被りだよ。自分なんか、楽器も勉強もまだまだだし。それにあの人はその2つ以外のこともできるけど、自分はそんなに器用じゃない」

「ふふ、そこは“不器用ですから”じゃないんだ」

「え?」

 

 一人称が自分で、器用なんて言葉を使うなんて、ドラマもかくやという発言なのに、創自身は全く気づいていないようだ。今までの会話で、なんとなく彼が天然なのが察せられてた。つまりこの反応は、本当に知らないのだと分かるからこそ()()が悪い。

 

「というか、今まで聞いてなかったけどさ、なんで一人称自分なの?」

「これは……。なんというか、安心する……んだと思う。自分って呼ぶと、なんというか、まだここにいるって思える気がして」 

「なにそれ、そんな理由で一人称決める人初めて見た!」

 

 話す度、知りもしなかった情報が洪水のように流れ出る。きっとそれは、今までもそうだったのに見えなかったものだったんだろう。

 思い返してみると、彼とは最初に軽く雑談してから殆ど仲が変わっていない。朝練でみぞれも含めて3人で吹いていることは多かったけれど、彼は近くに座ることはなく、常に距離を置いて座っていた。せっかくだからと近くに来ることを誘ったときも、サックスは音が大きくて2人の音が消えるからと、やんわり断られてしまった。

 もう一つある共通点の同じクラスというのも、話しかけるきっかけに留まったにすぎない。何故ならクラスで話しかけようにも、彼はいつもひとりでいるからだ。本を読んでいたり勉強していたり、やっていることはさまざまだが、真剣でいる彼に話しかけようとする人はほとんどいなかった。

 

「ねえ、このあと時間ある?せっかくだからさ、カフェでもいかない?思いもよらない再会と、これから一緒に頑張ろう記念ってことでさ」

「このあとは……そうだね。教室もないし、楽器は調整日だから空いてるよ」

「やった、そうと決まれば速く行こ!」

 

 だったらせめて、知っていこうと思う。この折角与えられた機会で、彼という人間を。仲良くなれるなれないはまだ分からなくても、きっとそうすることに意味も価値もあるはずだから。

 

「ただ、実はカフェに行ったことがなくて……」

「え!?それは、その、珍しいね……」

 

 ……そうすることで実は彼の為にもなるんじゃないか、とすら希美が思ってしまうのもまた、不思議ではないことだった。




 ホールを借りるのは結構お金がかかるので、地域の吹奏楽団みたいなところは基本練習はホール以外でやっているところも少なくない、と思います。
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