ここからダル・セーニョ   作:辛酸

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現実忙しくて中々執筆できてないですが、コメ返し等々ゆっくりやっていきたいです。

また、今回の話は内容的に公開しようか凄く迷ったのですが、書き上げてしまったので登校しようと思います。不愉快になられた方は申し訳ないです。


アンダンテ

 清らかな空気の流れるスタジオに、3つの音が響いている。

 そのうちのひとつはピアノだった。弾いているのはおよそ中老の男性。きっと幼少期から演奏していたのだろう、その慣れた手つきには、彼の若い頃を想像させる無邪気さが感じられる。

 そのうちのひとつはサックスだった。優しく暖かな、人の声色を思わせるような音色。それはサックスの中でもソプラノと呼ばれるもので、吹いている少年の動きに合わせて揺れている。

 そして、もうあとひとつはフルートだった。空気が管を震わせて、高く美しく音が鳴っている。その音はピアノやサックスよりも少し弱いが、追いつこうと光っている。

 彼らの吹いている曲は、ドビュッシーの『月の光』。毎週日曜、これを吹くと決めた次の週から、この練習は始まっていた。少しずつ、少しずつ時を経る毎に、彼らの音を束ねていくのだろう。

 

 

「……はい、そこまで。いやあ、2人ともすごく上手だねえ。私みたいな爺は、ついていくだけで必死ってなもんだよ」

「そんなこと言って、渡辺さんめちゃくちゃピアノ上手いじゃないですか。むしろ、私のほうが必死ですよ」

「アハハハ!希美ちゃん、そんなこと、こんな爺に言っても何も出せないよ」

 

 大声を上げて笑ったのは、希美が所属する市民吹奏楽団のコンサートマスターである、渡辺さんだ。御年既に、50近いらしい。そんなことまで希美が知ったのは、つい最近のことだ。夏休みも半ばを越えて、練習を重ねてきたからこそ知れたともいえる。

 そうして知ったことの中で希美が最も驚いたことは、楽団が本拠地にしている駅近くのスタジオが、実は渡辺さん個人所有の物件であるということだろう。少なくとも40人弱の楽団員がすっぽりと入るどころか、その他に練習室を持ち、発表会やライブの会場ともなっているようなこのスタジオが、である。

 スタジオは決して、広すぎる訳では無い。だが、スタジオには貸し出し楽器や音響設備、防音加工など、様々な工夫がしてあった。これが丸々すべて渡辺さんのものであるというのは、どれだけのお金があればそれが出来るのか、希美には想像も出来ない額であるのは、間違いないだろう。

 気になって、どうしてこんな事ができたのかを問うても、渡辺さんは「宝くじが当たったんだよ」としか答えてくれなかった。それはそれで、とんでもないことだと思うけれど。

 

 この楽団の中で、希美は着々と認められていった。それは希美が若く、スタジオの練習室を借りた練習に参加するからというのもあるが、希美自身の人懐っこさにも起因するだろう。希美自身、好かれやすい態度とはどのようなものか、少しは理解しているつもりだ。

 ただそれには、ひとりを除いて、という補足が必要だろう。藤原創。彼とは結局、そこまで仲良くなれたわけではなかった。そもそも、彼は学校と同じで、余り周囲と関わろうとしないのだろう。入ったのは最近であるのに、楽団の人と会話することが多いのは希美の方だった。それもあってか、友達になろうとしたアプローチの甲斐もなく、希美の彼に関する思い出はあの金色のソプラノサックスの音色だけだった。

 彼がソプラノサックスを吹きだしたのは、編曲の都合だった。ピアノの落ち着いた音色に、フルートの綺麗な高音にぴったりと合うのはソプラノサックスなんだと、渡辺さんがお願いという熱弁をしていたのを記憶している。『月の光』のアンサンブルが始まった時から、一番上手なのは彼だった。毎回毎回、アンサンブルの度に見せつけられる、あの美麗で表現力の高いも、緩急の効いたf(フォルテ)p(ピアノ)。きっと彼はこちらに合わせているのだろうが、やっぱりひとり抜けている。……それも当然か。学校でも、プライベートでもこれだけ練習をして、きっと……みぞれのような才能もある。どんなに悔しくても、簡単には届かない場所に、彼はいる。

 どろりと、汚泥のように湧き出たそれを、両手ですくって捨てる。向上心を持って取り組める、今のこの状況は、少なくともあの部活よりずっといい。だから、こんなものは、不要だ。

 

「希美?」

「あ、ごめん、なんだっけ?」

 

 無駄なことを考えていたら、すっかり今が練習中であることを忘れていた。

 

「練習中だから、気をつけて」

「ご、ごめんごめん!気をつけるね」

 

 本当に釘を刺されたような、感情のない冷たい声色。練習中の創は、いつもより少し厳しい。

 

 

「希美ちゃん、今日も練習お疲れ様!毎回残って練習とは、本当に感心だよ」

「渡辺さん、いつも練習させてくれてありがとうございます!……て、もうこんな時間でした。すみません、早く帰りますね」

 

 学校という練習場所を無くした希美にとって、練習場所の確保は大きな問題だった。そんな中創から聞いたのが、渡辺さんは毎週日曜の練習終わりや、都合の合う日には練習室をお安めに貸してくれるという情報だ。まさに渡りに船のような情報の正誤は、どうやら本当だったようで、お願いしてみたら直ぐに了承を得ることが出来た。今こうして居残りで練習しているのは、そのためだ。

 ただその練習も、いつも19時半近くになると、こうして終了の合図がある。正直もっと練習していたい気持ちはあるが、渡辺さんの心配も理解できる。それに、この練習はそもそも渡辺さんの厚意で行えている。希美はいつも、黙ってそれを受け取ることにしている。

 

「ああ、いや、ゆっくりでいいんだよ。焦って準備すると、大体忘れ物しちゃうからねえ。実際、スタジオに忘れ物する人って多いんだよ」

「そうなんですねえ。私も部活で忘れ物しそうになった経験、いっぱいありますよ」

「そうなの?希美ちゃんは、しっかりしているイメージだったから、それはちょっと意外だな」

「そんなことないですって」

 

 希美がフルートの手入れをしている間、こうして渡辺さんと少し話をするのが恒例だ。初めは話すことがないと思っていたけれど、こうした他愛もないことや、音楽について話すのは、意外と心地よかった。不快感がないのは、渡辺さんが本当に熱中しているものが何かをわかっているのも、あるかもしれないけれど。

 手入れついでに窓の外を見ると、それぞれの夜を泳ぐように、忙しなく人々が歩いている。中には汗を拭いながら歩く人もいて、見ているだけで暑そうだ。冷えた練習室にいるのが、少し申し訳なってくる。自分も直ぐにその暑さを味わうことに気がつくと、そんなことを考えているのが馬鹿らしくなって、そっと窓から目を逸らした。

 

「……そういえば、希美ちゃんは創くんと同じ学校なんだったっけ」

「え?あ、はい。そうですよ」

 

 ふと渡辺さんが零した言葉には、朗らかな彼には珍しく、少しの緊張感が混じっていた。

 

「彼ってさ、その……学校ではどんな感じなの?」

「学校で、ですか?」

「うん。ただ、希美ちゃんが分かる範囲で、なんとなくでもいいんだけど」

 

 はて、渡辺さんがそんなことを気にするのはどうしてだろうか。2人が話しているところは、あまり見ていないけど。

 それはそれとして、このような質問は少し困る。希美にとって、創の印象は『楽器が上手いけどいつも独り』ということしかない。ただこんなこと、ストレートに言うには憚られる。

 

「そうですね。私も学校であんまり話すわけじゃないから、何とも言えないですけど、学校でも渡辺ウィンドと同じ感じだなって思います。むしろ、ここでも学校と同じ感じなんだって驚いたっていうか」

「同じ感じ、か……。確かに、想像できるなあ……」

 

 不思議と、そう呟いた渡辺さんの表情には翳りが見えた。自分が言ったことに、そこまで負のイメージは含まれていなかったと思う。そんな希美の安堵は、この翳りによって妨げられた。

 

「ありがとう、希美ちゃん。じゃあまた、次の練習でね」

「あ、はい。……今日も練習室を貸してくれて、本当にありがとうございます!またお願いしますね!」

 

 へにゃりと破顔させたこの顔が、しっかりと笑顔になっているのか、希美は少し気になった。

 

 

 夏休みの間、練習は変わることなく繰り返された。部活のように、毎日毎日絶え間なく、そんな風にはもちろんいかなかったが、目的のあるその日々は何倍も輝いて見えた。

 何より喜ばしかったのは、日々の練習を参加している全員が努力し、楽しいものにしようとしていることだ。希美と同じフルートの方は、社会人になるとこうしている時間のひとつひとつが大切なものに感じると言っていた。合奏中に周りを見やれば、きっと練習にかけられる時間は人それぞれで、出来ない部分が目立つこともあった。けれど、楽しんでいない人も、時間を投げやりに使う人もいなかった。

 一生懸命にやる音楽に、何度傷つけられたのか、そして何度その傷が愛おしい足跡になったのか。希美自身しっかり覚えてはいないし、それがあるからここにいると思う。けれど、彼らの楽器は、そんなものがなくてもいいんだと言い聞かせてくれる気がした。

 

 夏休みが終わっても、変わらず練習は続いていた。休みが明けてから、部活もあってか、創は少し大変そうにしているが、部をやめた希美は自由だった。練習時間は彼より少ないだろうが、練習のすべてをここにつぎ込むことが出来たから。

 

「うん、希美ちゃん。そこのピアニッシモ、凄く良い表現になってきたね」

「ありがとうございます」

「後は……そうだね、全体的な話なんだけど、やっぱりどうしても希美ちゃんの演奏には、こう、神秘的な感じが足りてない風に感じるかなあ。そこにあるテヌートひとつひとつにしっかりと意識を込めてこの曲を表現してほしい。そうだねえ、イメージとしては、窓辺に差した月の光の神秘的な揺らめきみたいな、そこを表現してほしいんだ」

「はい!」

「うん、どんどん良くなってるから、しっかりとものにしていこうか」

 

 渡辺さんの指導にも、どんどん具体的なものが増えてきた気がする。渡辺さんにも、創にも、しっかりと食らいつけているような、そんな手応えすらした。合奏曲も、アンサンブルも、全てが楽しくて仕方なかったし、どんどん上手になる希美自身に、部活を辞めた少しの後悔も奪い去られた。

 9月、10月、希美は上達を感じながら、かけがえのない時間を楽団で過ごした。

 

 

 

 だからだろうか?そんな、不思議なくらい何もかもがうまくいっているような気がした今に、それは起きた。

 

 その日、衣替えよりも少しだけ早い冬服を来て、希美は線香の香り漂う場所にいた。周りを見れば、ここにある色は真っ黒ばかりだ。周りの人が着ている服も、持っているカバンも、お父さんのネクタイだってそうだ。だからこそ、時折混ざる白が嫌に際立って見える。

 どこかから鼻をすする音が聞こえる。あの甲高さは、お母さんのものだろう。もう10月だっていうのに、花粉症に悩んでいるみたいだ。いつもなら直ぐにティッシュを用意して、ちゃんと鼻をかむように小言を言うお父さんも、今日は静かだった。

 それもそうか、と希美は呆けた頭で考える。今日は、お祖父ちゃんのお葬式なんだから。

 

 お祖父ちゃんが息を引き取ったのは一昨日の事だった。年もあってか、元々入院しがちな人だったけれど、いつも直ぐに良くなって帰ってくるのが、お祖父ちゃんだった。お母さんが急に病院からの電話を受け取ってお祖父ちゃんのいる病室に向かって、そこから何時間もしないうちに、希美も病室に呼ばれた。病室についたときにはもう、元気な姿はどこにもなく、眠っているような姿のお祖父ちゃんと、その周りで泣いている家族の姿。きっと、仲のいい家族だった、はず。

 

「希美、おじいちゃんのお骨だよ。挨拶してあげて」

「あ、うん」

 

 お父さんに合わせて、ゆっくりとお骨を壺に入れる。手が持つ箸と、箸が触れる、お祖父ちゃんだったモノ。ゴツゴツした骨の感触に、またあの夜を思い出す。

――最期だから、挨拶をしてあげて。

 お母さんにそう言われて握ったお祖父ちゃんの手は、酷く重く冷たかった。キュッと力を込めても、握り返されることはない。

 ピーッと音が鳴る。ドラマでも聞いたことがある、ゾクゾクと底冷えするような、何かを告げる音。ただでさえ重かったその手が、ほんの少しだけ重くなった。

 お祖母ちゃんが泣いている。お母さんが、ゆっくりとその場で崩れ落ちる。そうして、鼻をすすりながら、ゆっくりとこんな言葉を吐いていた。

――最期に、希美に会えてよかったね

 

 

 お葬式が終わったら、また学校が始まる。何の変哲もない、代り映えもない日々。お祖父ちゃんが死んだとしても、そこに変わったことは何もない。

 

「希美、大丈夫?」

「……んー?何もないよ?急にどうしたの夏紀」

「そっか。それなら大丈夫だよ。……でも、無理しないでね。何かあったら、頼りないかもしれないけど、私何でもするからさ」

 

 夏紀は優しい。忌引きで休んだ希美に、課題やプリントを届けてくれた人は何人かいたが、その中でも夏紀のまとめたノートが一番わかりやすかった。そういえば、来年からは進学クラスに行きたいと言っていた。今度勉強を教わるなら、夏紀にお願いをしてみようか。

 

 

 日曜日は練習だ。忌引きの間は全く楽器の練習が出来ていなかったから、意欲的に練習しよう。

 

「……うーん。希美ちゃん、もう一度希美ちゃんだけで同じところやり直そうか」

「……あ、すみません」

 

 やり直す。つっかえる。やり直す。つっかえる。何度か繰り返して、そのたびに間違えて、少しづつ音が小さくなる。こんなに簡単なパッセージで間違える人間では、なかったはずなのに。

 間違えるたびに音が小さくなっていく。芯もなく音量もない、そんな音で間違えてしまうと、随分と間抜けな音になる。高い音を出すフルートは、間違えたときにいっとう弱弱しい。

 

「うん、もう大丈夫。……希美ちゃん、体調とか悪いようであれば、ゆっくり休んでて大丈夫だよ。いつも希美ちゃんが頑張ってるのは知ってるし、本番もまだ来月だからね。焦らない方が、きっと音楽もよくなるよ」

「……あ、はい。本当に、迷惑かけてすみません。本当に何もないんですけど」

「気にしないで。音楽にも、休憩は必要だよ」

 

 渡辺さんは、南中の顧問みたいに厳しいわけではない。だけど、その耳は本物だ。今の希美の甘えたような音楽を、明確に見抜き指摘してくる。そんな人が、音楽への情熱を発揮しないで何も言わずにいる。きっと、気を遣っている。大会を目指さないこの環境で、楽しく音楽ができない人間は、いらないのだろう。

 

 言われた通りに練習室を抜け、廊下の上に腰を下ろす。

 希美自身、流石に気がついていた。病室でのあの夜から、どこか調子がおかしい。

 体調がおかしいわけではない。平熱、快調、運動もできる。食欲は落ちているけれど、最近少し食べ過ぎていたから、全然それも問題はない。家族だってそうだ。お母さんはまだ忌引きだけど、あれ以来泣いている姿も見ないくらい、気丈に明るく振舞っている。

 ただ、ただひとつだけ問題があるとするならば、あの夜のお祖父ちゃんの手の感覚が、いつまでたっても頭から離れないこと。なんとなく手を強めに洗ってみたけれど、全然落ちてくれやしない。洗ってからは、こうして洗い落とすこと自体がお祖父ちゃんに失礼なんじゃないかと気がついて、申し訳なくなった。

 やることが何もなくて、なんとなく手のひらをずっと見つめていた。いつになったら、あの冷たさと重さが消えてくれるか。どれだけ手のひらを見つめても、答えは出てくれなかった。

 

「お疲れ様」

「あれ、休憩?」

「うん」

 

 いつの間にか、練習は中断されていたようだ。隣に立つ創の存在が、それを物語っている。どれだけ時間がたったのか、腕時計を眺める気にもなれなかった。

 

「今日、調子悪いの?」

「……えー、何もないよ。皆心配し過ぎだって、私が下手なだけなんだから」

「そっか」

 

 創が話しかけてくるのは珍しいことだ。相変わらず言葉足らずで、不器用だ。彼は上手くて、いつもひとりで練習しているのだから、下手くそな希美のことなんか、放っておいてくれればいいのに。

 

「でも、何もないなら、希美があんなミスをするわけないよ」

「……そんなこといわれてもなあ。現に、私は失敗してるわけだし。創君の勘違いじゃない?」

「そうかな。そこまで自分の耳が悪いとは、思いたくないけど」

「あはは、ごめんって」

 

 それにしても、今日の創はやけにしつこい。いつもなら、話しかけたってあまり言葉は返ってこないのに。どうしてよりによってこんな日にしつこいのか。

 

「……もしかして、あの忌引きの日?」

 

 思わず息を飲んだ。見透かされたようなその言葉に、胸の中に黒いものがこみ上げる。誰もが態々聞かない内容を聞いてくるなんて、失礼じゃないか。そう思っても、注意は言葉にならなかった。

 

「……そっか。それなら、少し気持ちはわかるよ」

「……は?」

「お葬式の時期は、練習する時間に困るし、気持ちを紛らわせるものもないから、楽器を吹くのは辛いよ」

「うーん、ごめん。あんまり何を言いたいかわからないや」

 

 本当に、何を言っているのだろう。失礼なんてものじゃない。彼にとっては、命ですら楽器の邪魔なのか?お祖父ちゃんが亡くなったことが、希美の楽器の邪魔をしているなんて、よくも口にできたものだ。

 ふつふつと感情がこみ上げる。これが怒りなのか、今が上手くいかないストレスなのかは、希美にはあまりわからなかった。

 

「……そもそもさ、気持ちがわかるって、そんなわけないじゃん。うちは創君みたいに、高校生で一人暮らしできるほど裕福じゃないし、幼いころからマイ楽器なんて持たせてももらえなかった。フルートを買ってもらった時だって、沢山お願いして、お年玉とかも上手くやりくりして、ようやくだったのに。上手で練習熱心でずっと音楽ができた君が、そんな私の何がわかるのかな」

 

 溢れてくる言葉が、明確な拒絶に変わる。確かに彼は失礼だけど、ここまで言う必要はきっとない。これは彼なりの優しさだからだ。それが苦手だったら距離を置けばいい、今までだってずっとそうしてきたし、距離の取り方もわかっている。だからこれは、良くないことだ。

 冷えた空気が流れる。もう、あの夏とは違って、少しづつ冷えてきた。顔の見えない沈黙が体によく沁みる。

 だが、そんな沈黙を創が破る。

 

「……前、自分がこの高校に来る前にいたのは、北海道だって言ったと思う。北海道では、祖父祖母の家に住んでいたんだけど、そこで凄くよくしてもらってた」

 

 始まったのは身の上話だった。希美には関係なく、興味もないことだけど、他の場所に行く気にもならなかったので、なんとなく聞いておくことにした。

 

「だけど、3年生になったある日、祖父が亡くなった」

「……え?」

「ごめん、違うな。自分が()()()()()()んだ。死因は病気だったけど、自分が楽器を練習してたせいで、発見が遅れてしまったから、祖父は亡くなった。だから、祖父は自分が殺したんだ。自分に責任があるんだ。お世話になったのに、自分は恩を仇で返したんだ」

 

 希美は、殺したなんて、冗談でしか聞かないような言葉を耳にした。そんなわけはない。本当に人殺しだったのなら、そんな人が普通の高校に行けるわけがない。それに、内容を聞く限りそれは事故だ。誰かに責任は求められない。

 

「そんなわけ」

「いや、違わないよ。自分は人殺しだ。……まあ、だから、あっちにはいられなくなって京都に来たんだ。つまり、人が死ぬっていう事なら、多少はわかるつもりだった。だけど、それは勘違いだった。怒らせてしまったなら、ごめん」

 

 頭を下げられたのだろうか、隣で空を切る音がした。

 頭がパンクしそうな情報量だった。つまり創は、人を殺したと思い込んで、体のいい厄介払いのように一人暮らしをさせられているという事だろうか。そんな、そんな人生を送っているようには見えなかった。苦労もなく、少しのわがままくらいは通してもらえて、お金も持っていて、楽器のことだけ考えていても許される。傍から見える彼はそんな人間像だった。世間知らずなのが拍車をかけていたのか、みぞれのような、独特な気品もあった。だけどそんなものは、ただの偏見に過ぎなかった。

 

「不愉快だったろうから、自分はもう行くよ。本当にごめん」

「あ、待って」

 

 どうして引き留めたかはわからない。だけど、去ろうとする彼を引き留めたのは、間違いなく希美の声だった。ただきっと、話を聞いてほしいと思った。

 

「……この間の忌引きは、お祖父ちゃんが亡くなったの。病気で、病院にいたけど、連絡が来て、病院に行って、それで……。お母さんは、お祖父ちゃんが最期に私に会えてよかったって言ってた」

 

 声が震える。話がまとまらない。希美自身、何が言いたいのかわからない。ただそれでも、話すことだけはやめられなかった。

 

「言ってた、けど。それじゃあ、それじゃあ、私が来なかったら、お祖父ちゃんはまだ生きていたかもしれないって、そう思って、それじゃあ、私が手を握ったから、お祖父ちゃんは」

 

 涙が出る。視界がゆがむ。きっと、彼は私の話なんてよく理解していないだろう。でも、ようやく理解できた。どうしてあの日から、握った手の感触が消えないのか、どうしてお葬式で、希美が()()()()()()のか。きっとそれは、彼と同じことだった。

 ふと、隣に熱を感じた。少し距離を開けたところに、希美が引き留めた創が座っていた。朧げな視界でも、彼がどうしていいかわからなそうにしているのが見て取れた。こんな状況が馬鹿馬鹿しくて、もう何もかもどうでもよくなって、希美の気持ちが少しはわかる創に、ほんの少しだけ近づいた。

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