ここからダル・セーニョ   作:辛酸

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5年目の意地/明朝のレジェロ

 中学校に入って、吹奏楽部に入部して、初めてサックスを持った時に私は思った。これは、めちゃくちゃおしゃれなんだって。

 

 

 

「岡本先輩、アルペジオ本当に毎日やっていますか?全然上達が見られないです。もっと真剣に、1音1音をもっと際立たせて吹いてください」

「岡本先輩、その音色は酷く雑です。しっかりとお腹から息を出してピアノで吹くべきところですよね?今のはピアノなんかじゃなくてただの吐息ですよ」

「そこはリズムが違います。そうですね……言葉にするならタタッタタタタです。岡本先輩のはタタータタンタタです。無駄な伸ばし、無駄な拍、全部いりません。そんな状態で吹いても上達しませんよ?まずは音名で言うところからです」

 

 ……、これは、おしゃれなんだって。

 

 

 

「あーもう!!なんなのよあの後輩は!」

 

 9月、練習終わりのお食事会。ファミレスで行われる女子会で、岡本来夢は叫んでいた。

 

「ほんと、その話聞いてるだけで腹立つんだけど」

「というか、なんで部長はあんなに後輩びいきしてるの?私おかしいと思う!」

 

 そう怒りに同調しているのは、宮キリコと橋弘江。北宇治の吹奏楽部で出来た、来夢の友人だ。

 彼女たちの意見は最もだ。あの後輩のやり方は、後輩としても人間としても、少々度が過ぎている。来夢も、そう愚痴を吐きたくてこの会に参加しているのに、彼女たちの同調にはどこか引っかかりを覚えた。

 

「……まあ、別にあの子が上手いのは本当だし、指摘は的確だから、弘江が言うみたいに()()()とまでは思わないんだけどさ~。言いかたってものがあるじゃない?」

「やっぱり来夢は優しいねぇ。私はあんな感じになったらアンサンブルすぐやめてるもん」

「ほんとだよ、来夢は優しすぎー」

「いやいや、そんなことないって~」

 

 そうして今日もまた、何でもない、ただ消費されるだけの1日が過ぎていく。

 

 

 1日を終えると、また次の1日がやってくる。ルーティーンのような毎日をこなしたら、呪文のように並んだ時間割の解読だ。国語数学保体科学、英語歴史にホームルーム。明日を見ても、先週と同じそれが並んで、また来週もこれと同じだ。

 飽きもせず続くそんな毎日は、まるで身体を錆びつかせるようだ。楽しみは飽きへ、感動は無感動へ、やる気は惰性へ。小学校から動いてきた歯車の噛み合いは、どうやら()()が来たらしい。

 2年生にもなれば将来への不安や焦りで、この感覚にも油が差されるのかと思っていたが、そんなことはなかったらしい。

 

「この場面の李徴子の心情は――を表していて――」

 

 ふわぁ、と、遠慮もなく出かけたあくびをかみ殺す。同じ先生が、似たようなことを話しているのを聞くのは、疲れるったらありゃしない。来夢はぼやけた視界を擦って、目の中の水滴を追いやった。

 

 授業が終われば、休み時間だ。10分そこらで気分を入れ替えて、次の授業の準備をする時間。

 何気なく携帯を見て、特筆する話題もないけど友達と喋る。そんな時間は息抜きで、だけど来夢にとって価値のあるものだった。

 

「ねね、来夢。このコスメめっちゃ可愛くない?色めっちゃいいよね!」

「え、嘘本当だ。私これ結構ほしいかも」

「だよね!やっぱ来夢はおしゃれだわ~」

「ちょっと、ほめ過ぎだって~」

 

 おしゃれ。ふと聞こえたその言葉に、来夢はどうしようもなく心が躍った。何げない、ノリでしかない褒め言葉でも、身体の内側を撫でられるような心地よさは、どこか甘くくすぐったかった。

 そんなほの暗い感情は、そんな食傷気味の日々は、来夢の心に一粒の火種を落とすようである。静かにくすぶるそれに、来夢自身どうしようもないまま、ただ焦がされる渇きに飽いていた。

 

 

 そんな来夢をよそ目に、日常は今日も受難を運んでくる。

 

「岡本先輩、今日、よろしくお願いします」

「げ……、そういえば今日って私の日だったっけ……」

 

 晴香が練習の全部を後輩に委ねると決めた時から、日々の練習の在り方は別物になった。

 まず、1週間は綺麗にスケジュール立てられた。創がメンバーのうち1人について個人レッスンをする日、全体で合わせることをメインとする日、創がレッスンで参加できないため自主練の日、などなど様々な日に区分されたのだ。

 練習メニューも大いに変わった。創曰く、「テーマをもってやらない練習は意味がないです」とのことらしく、各自で必ずテーマをもって取り組む必要を迫られた。特に個人レッスンの日はテーマの設定が重視され、毎回毎回伝える必要すらあった。

 まあとにかく、簡単に言うとめんどくさくなった。もちろん来夢にこれを律儀に守る必要などないのだが、守らないとトラブルになるようで、仕方なく取り組んでいるのだ。サボっていた側とて、後味の悪さなど、そう何度も味わいたいものではない。

 仕方なく楽器をとって、とりあえずの目標を考える。出来ないところはそれなりにある。“テーマ”とやらを探すのは簡単だった。

 

「……じゃあ今日は、この間藤原後輩が言ったアルペジオとか、曲の速い部分でも練習しようかな」

「わかりました。では、まずアンダンテから少しづつ速度を上げてやってみてください。では、お願いします」

 

 言われた通りに楽器を構える。メトロノームの音に合わせて呼吸をし、お腹に力を込めて息を吐きだす。

 ああ、それにしても、初めて会った時と変わらず、もしかしたらそれよりも、そっけない態度だ。そのくせ自分は誰よりも上手に吹けているものだから、そのそっけなさにも箔がつく。もちろん彼はそこまで考えていないし、気にしてもいないのだろうけど、来夢だっていかにも彼の苦手とする人間関係で頭をひねってる。それなのにこんな態度をとられると、少し馬鹿らしくなってくる。

 せっかく楽器が上手なのだから、それを活かせる人間性くらいは獲得した方がいいとは思わないのだろうか。彼に必要なのは、嘘でもいいから誰かの顔は立てる、そんな社会性だろう。この後輩みたいな天才はどうせ、下手で努力もできない人間のことなんて、わかるわけがないのだから。

 来夢が各スケールを吹き終えると、段々と創が操作するメトロノームが速度を上げていった。速度が上がる度に、来夢の鼓動も速くなる。いつかどこかでミスをすることを、自分が一番よくわかっている。

 そして、錆びついた車輪のように指が止まって、やはりその時はやってきた。

 

「はい、そこまでで大丈夫です。……そうですね。岡本先輩、あれからアルペジオの練習しましたか?」

「まあ、少しはできたと思うけど」

「わかりました。確かに以前と比べて上達しています。ですが、まだ粒がはっきりしていませんね。速くしてできないのは、まだ仕方ないところもあるのですが、だからといって遅い状態から始めなければ、何の意味もありません」

 

 ああ、また始まった。

 藤原後輩の説教は、あくまでも淡々だ。淡々と、ダメ出しと説教が飛んでくる。途中で出てくるきつい言葉も、本人が自覚してないのだから質が悪い。

 

「実際、岡本先輩の練習の方向性は間違っていないと思います。先輩はフォルテが全然大きくないだけで、音色は悪くないです。だからこそ、テクニックの雑さが目立つんです」

「そ、そう……。意外と高評価、なのね」

「いえ、正当な評価ですよ。練習をしているというのも、嘘じゃない事はわかります。成長しています」

 

 今までに聞いたことのない高評価に、来夢自身たじろぐ。“天才”に認められて、浮つき出した心を必死に隠す。

 そうした情動はどうやら正解だったようで、続く言葉は手厳しいものだった。

 

「ただいかんせん成長のスピードが足りません。遅いです。それは、練習量や質が影響しているとは思います。このままではきっと、府大会出場で終わります。支部大会に出るのは夢のまた夢です。そんな状態で、自分はアンサンブルしたいとは思えません」

「……まあ、あなたみたいな人からしたら、そうかもね」

「はい。自分が練習を見れる間は、質に関してある程度の担保は出来ます。だからこそ聞きたいのは、岡本先輩がこの先どうするかです。自分がいない間、どうしていきたいか、それを考えてほしいんです。岡本先輩は、これから練習について来る気がありますか?」

 

 きっぱりと放たれたその言葉は、来夢にとっては処刑宣告に等しい。それは、これまでの日々の終わりを意味するからだ。

 来夢は、この燻られるような()()()()の日々が、決して嫌いというわけではなかった。だってこれは、いいことじゃないか。トラブルも少なくできるし、大きな波なんてない、ほどよいところが一番いいに決まってる。

 だってそうだろう?こんな、何の取り柄もない普通の人間が、楽器も勉強も才能がないただの人が、努力をしたところで一体どうなる。成功が約束されているわけでもない、誰も責任は負ってはくれない。なら、きっと何もしないほうがマシだ。楽しめているだけいいじゃないか。

 チリチリと心が焦げて全身の毛が焼かれるようだ。これはきっと、怒りだ。素敵な日々の破壊者に対する、怒り。そう考えて、さらに痛む心からは目を背けた。

 

「……そんなこと、急に聞かれてもなあ。私じゃあ、ついていけるのかもわからないし」

「すみません、どういうことですか?」

「ほら、あなたって正直、天才じゃない?高1なのにもう受験を見据えてて、ソロコンもめちゃくちゃ大きいの出ようとしてて、上手くて……。そんな人に、私が追いつける気がしないっていうかさ。それに、私がサックスやってるのって、ただのおしゃれだし。正直ついていく以前の問題があるというか、なんというか……」

 

 我ながら、なんと醜い言い訳だろうか。未練がましくて、他責的で、何よりも頑張りたいと言った晴香に失礼だ。こんなこと、彼女だって承知の上なのだから。

 そんな来夢の苦心など露も知らず、創は来夢の独白を聞いて、動揺するでもなく、ただゆっくりとまばたきをしただけだった。そうして、そんなものはまるでどうでもいいというように、静かにこう告げた。

 

「ええと、すみません。それがどうかしましたか?」

「――は」

「確かに自分はこの部では上手いと思いますが、それは岡本先輩が努力するかどうかと少しも関係ないですよね?そもそも、少しでも追いつけないと思ったら、自分はこんなに教えませんよ」

 

 ぐうの音も出ない正論。口を開く隙間もないほど、その理屈は完ぺきだった。こと練習のこととなると、この後輩は頑なだ。

 

「それに」

 

 そうして、ポロッとだけ付け足されたもう一言に、隙を突かれた来夢の傲慢はガラスのようにひび割れた。

 

「これは受け売りですが、全力になれないものでおしゃれというのは、少し違うと思います」

 

 

 

――とりあえず、少し時間をとるので考えてみてください。自分も、これから先どうアンサンブルに取り組むか考えます。また明日お願いします。

 そう言って、あの後輩は練習部屋を後にした。

 ぽつんとひとり残された教室はやけに静かで、数分前の衝撃を忘れさせるようだった。

 

「あー、なんであの子は、人の心とか分かんないんだろう」

 

 漏れた言葉は、紛れもなく本音だった。

 普通の人間であれば先輩でも友人でも、これからも関わりを持つ相手に対してあんな言葉を吐きはしない。もちろん、創が普通ではないことを加味してもだ。

 

「それなのにこんな刺し方してくるなんて、本当に、性格悪すぎでしょ……」

 

 声が震える。

 

「こっちだって、いつもいつも才能の差ばっか感じさせられてんのにさ」

 

 ふと天井を見上げると、絵の具に水を垂らしたように世界がにじんでいる。

 本当に酷い話だ。こっちは普通に生きているだけなのに。身の程をわきまえて、そこそこの日常を謳歌しているのに。どこまでも自分の都合で振り回しておいて、努力が足りてないなどと、そんな、誰でも分かる正論を口にする。

 

「……、悔しいなあ」

 

 悔しい。そんな言葉が出てくるなんて、如何にも自分らしくない。繰り返しの日常をそれなりに楽しんでいる来夢には、ただ自分が滑稽に見えた。

 そのはずなのに、悔しいと口にした瞬間、今にも溢れ出しそうな音の中で初めて、自分の胸の中の痛みを自覚した。

――ああ、そっか。これはきっと怒りじゃなくて。

 

 

  ◆

 

 

 朝の練習は騒がしい。正確には、騒がしくなったと言うべきだろうか。もちろん楽器が何本も使われているのだからうるさいのは当然だが、単純に人数が増えたのだ。

 いつからかと問われれば、アンサンブルが始まって半月ほどが経ってからだろうか。吉川さんに続いて中世古先輩が来るようになり、気がつけば金管のアンサンブルメンバーがたまに現れるようになった。たまにではあるが、小笠原先輩も来る時がある。

 とはいえ彼らも毎日来るわけでもない。むしろ大半のメンバーは来ない日の方が多いだろう。現在は、そういった人が少ない日の隙間を使って、鎧塚さんとエチュードの吹き合いをしている。そのぐらいの感覚の方が、練習の時間が取れて丁度良い。

 さて、ぐるりと教室を見回してみると、どうやら今日は()()日だ。今音楽室にいるのは吉川さんと鎧塚さんだけであり、他に人はいない。今日のウォーミングアップを終え、これ幸いと席を近くに移そうとする。

 鎧塚さん、そう声をかけようとして、自分は珍しいものを目撃した。そう、あのいつもいつも表情が動かない鎧塚さんが、明らかにイライラしているのだ。眉毛が少し中央に寄っているし、纏う雰囲気もいつもより少し棘がある。

 なぜかと少し疑ってみれば、リードをいくつか試しては止まり、試しては止まりしているのが目についた。……なんだ、そういう事か。その動作を見ただけで、その気持ちを推し量るには十分だった。

 

「ちょ、ちょっとアンタ、今日はやめときなさいよ……」

「ああ吉川さん、止めなくても大丈夫だよ。この気持ちはわかるから」

 

 親切心か警戒心か、こちらを見た吉川さんの制止を振り切り、鎧塚さんから何席か開けて横に座った。

 

「鎧塚さんも、リードの調子が悪かったらそうなるんだね」

「……ん」

「自分も、ダブルリード程じゃないけど、外れのリードは今までいっぱい当たってきたから、気持ちは分かるよ」

 

 そう言うと、ちらりと彼女はこちらを見た。一瞬だけ向けられた視線は、まだ機嫌の悪さを残していたが、それ以上考えても仕方ないと思ったのか、目元のシワを少しだけ緩ませた。

 

「今日はできそう?」

「……ん」

「じゃあ、やろうか」

「ちょっと、待ってよ!あたしもやるってば!」

 

 そういう吉川さんは如何にも不服そうに参戦してきた。別に吉川さんも参加するものと思っていたのだが、何が彼女の琴線に触れるのか、いまだによくわからない。

 

 綺麗な音が響いている。それはまるで鳥のさえずりのような自然さでいて、機械音のように不自然でもあった。

 

「やっぱりみぞれのオーボエって綺麗だよ!……でももっともっと綺麗になるとも思うかなあ」

「……それは、感情が入ってないっていうこと?」

「ええと、それは……」

 

 鎧塚さんのオーボエはどこまでも不思議で、音の上達と表現の上達が比例しない。音色やテクニックはメキメキと伸びるというのに、表現力は乏しいままだ。それは彼女が何処かで、表現力を落としてきてしまったようで、刻まれた欠落は大きかった。

 ただその欠落が、感情の欠落だと自分は思っていない。

 

「いや、鎧塚さんに足りないのは感情が入る入らないじゃなくて、表現力そのものだと思うよ」

「ちょっと!あんた何言ってんの?」

 

 酷いことを言ったのかもしれない。吉川さんから指摘が来る。だがそれを無視して話を続ける。それが出来るくらい、これは自分にとって大事な持論(指針)だった。

 

「自分は、表現に感情を入れるっていうことは、必ずしも必要じゃないと思ってる」

「……どういうこと?」

「確かに楽器を吹くときに感情を込めることは、上達する楽な方法だと思う。感情を込めるっていうのは、自分の音に自分自身が感動するための方法だからだ。それに則れば、自分の中の感動を追求することで、上達に一段近づける。そういう意味で、それはきっと簡単だ」

 

 もちろん、そこに満足しなければという限定はあるが。

 

「逆に言えば、追求する対象を自分の感動ではなく、聴き手の感動に絞れるなら、下される評価にそこまでの違いはないと思わない?」

「あんたって、結構めんどくさい考え方してるのね」

 

 咳払い。うるさい聴衆は無視するに限る。……この考えが遠回りでめんどくさいことなんて、とっくの昔に気がついている。

 

「ともかく、鎧塚さんの演奏は誰かに届けるという意思が足りてないのだと思う。……正直に言えば、感情を込めるなんて簡単なことじゃない。自分だってちゃんとは分からない。だからこそ、その音楽を客観的に見てどう吹くのがいいか、それを追求することが必要なんだと思う」

「……誰かに、届ける?」

「うん。例えばこのエチュードなら、このクレッシェンドはもっと大げさにしたほうが変化がはっきりする。逆に、このデクレッシェンドで音色を優しく、音量をピアノにすれば綺麗な演奏になる。……こんなふうに、他人が評価する“表現”を技術に落とし込めば、理解しやすくなる」

 

 などと、珍しく少し長い解説になった。

 鎧塚さんは少し曇った顔だった。彼女の吹き方から考えて、自分の方法が性に合うと思ったのだが、そうでもなかったのだろうか。

 けれどここまで説明して、初めて思った。鎧塚さんの演奏がやけに気になったのはもしかすると、感情を込めるのが下手という共通点を意識していたのかもしれない。なんて、そんな考えすらきっと自分らしくない。

 

 そうして鎧塚さんの講評が終わった頃、大きな扉の開閉音と共にその人は現れた。

 

「――あ、お、おはよう」

 

 その人とは、今まで一度も朝練に来たことがない人だった。岡本先輩。言うなれば、アンサンブルで最も楽器が下手な人だった。

 てっきりやる気がないものだと思い、アンサンブルを辞めてもいいですよと導線を出しておいたのだが、そういうわけではなかったようだ。

 

「おはようございます。……ごめん吉川さん、少し」

「あ、うん。わかった」

 

 一声だけかけて、岡本先輩のもとへ向かう。やる気があるなら練習を見ると言った手前、その意思確認はきっと、自分がやるべきことだ。

 

「岡本先輩、朝練に来るということは、頑張るということですか」

「……まあ、そういうことになるのかな」

 

 釈然としない返事だが、練習をするのであればそれ以上のことはない。自分としても、やる気がある人に教えるのであれば時間の無駄ではない。

 

「わかりました。今日はこの間の部分を徹底的にさらってください。これからよろしくお願いします」

 

 とはいえ、今朝は特段決まっていた訳では無いが先約がある。取り残した鎧塚さんや吉川さんに合流しようと、踵を返す。

 

「待って」

 

 だが、それで帰れるわけではなかった。はて、なにか用があったのか、そう思って振り返る。

 

「――私、サックスのことは本気でおしゃれだと思ってるから。それだけ」

 

 それは強い言葉だった。先日までの岡本先輩からは感じ取ることすら出来なかった力強さ。そんなもの感じ取った。何が岡本先輩をそうしたのか、それはよくわからないが、やる気があるのはいいことだろう。

 

 そんな朝。残暑を感じる薄光が教室に差し込んで、楽器が少し眩しかった、朝。




主人公は人の機嫌はわかるけど、人の気持ちはわからないです。
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