ここからダル・セーニョ   作:辛酸

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あがないファンタジア

 高校に入学してから、つまり京都という都市に来てから、もう既に3週間近くが経過しようとしている。

 藤原なんていう名字を持ちながら、自分は京都とはほとんど関係がない。関係がある部分も、今住んでいる家の提供が叔母であるという事くらいで、実際生活にはあまり関係がない。

 なぜ叔母の家に住んでいるのに一人で暮らしているのかといえば、叔母の素性に関係がある。叔母はどうやら一企業の社長らしく、旅行業ということもあり一つの場所に留まる働き方をしていないのだ。特に叔母は、今自分が住んでいる平屋のみならず各都市に支社があり、最近はそこを拠点にすることが多いのだと言っていた。いずれにせよ、叔母のお陰で何事もなく高校生活を送ることができている。

 

 しかし、少しずつ慣れてきている高校生活とは裏腹に、学生生活は必ずしも順調な滑り出しとはいかなかった。なぜなら、4月という1年生が部活に入ったばかりの今でさえ、既にこの部活の抱えるトラブルが表面化しつつあったからである。

 

 

 本日は土曜日、快晴。部活の日程表によると、今日は1日練習である。午前中の練習を終え、今はお昼ご飯の時間だ。といっても、午前中の練習は必ずしも練習という体裁を保っているわけではなかったが。パート練と銘打たれた今日の予定は、パートごとに仲良く練習をサボることを示している。

 今日は自分たち1年生が入部して初めての週末であり、初めての1日練習だ。この1週間の中で我々1年生はこの部活が、そして3年生の先輩たちがどういった現状にあるのかをまざまざと見せつけられることとなった。その現状はつまり、『楽器に取り組む姿勢のない3年生が梨香子先生を懐柔し、自分たちが簡単にサボれたり思い出作りをしたりできるようにしている』というものである。これが持つ影響は自分たち1年生に対しても大きく、既に3年生のその圧力に負けてサボりと同化する人たちも現れ始めていた。

 

「あー、あいつらマジで意味わからんわ!」

 

 1週間が経過して、自分の人間関係にも多少変化が訪れた。

 それが今昼自分と後藤とご飯を食べ、ここで声を荒げたトランペットパートの滝野純一である。なんと、自分と滝野と後藤は今年たった3人だけの1年生吹奏楽部男子部員だった。男子の少なさは吹奏楽部ではよくあることだが、学年で3人というのは自分の中では初めての出来事であった。部の中で圧倒的少数派となった自分たちは、全員が吹奏楽経験者ということもあり、集まって昼食を摂ることにしたのだ。

 

「実際さぁ、3年達はさ、コンクールで金とるために練習しないとしても、イベントでの演奏くらい真面目に練習してもいいと思うんだよ俺は」

 

 滝野は基本的に不真面目に見える人間だ。口癖はモテたいだし、楽器のことも勉強のこともそれほど真面目に取り合っていないような、そんなオーラを纏った人間に見える。背も1年で170cmは超えており、顔も決して悪くないのだが、そういった口癖やオーラがモテない原因なのではないかと邪推してしまう。しかし、そんなイメージとは異なり、彼の楽器に対する態度は真面目と言えるだろう。会ってまだ日は少ないが、言動や練習の節々からトランペットへの真摯さが伺える。

 

「それにだ!あんなにかわいくて楽器も上手い香織先輩が冷遇されてるっぽいの流石にないって!」

 

 いや……きっと伺える、はずだ。とはいえ、彼が部活の現状を嘆きたいということは揺らがないようだ。その発言を聞いて、後藤が言葉を返す。

 

「でも実際、俺達はまだマシな方だ。クラとかフルートとか、すごいし」

「あー、まあ確かにそれはあるなぁ。ペットには香織先輩がいるし、低音にはあすか先輩だろ?そんで、サックスには部長とか晴香先輩とかいるもんなぁ」

 

 そう、確かに自分たちは恵まれている方だ。パートによっては、サボりが完全に常習化しているところもある中で、丁度自分たちが所属しているパートは真面目に練習しようとしている先輩たちも存在していた。実際そういった人たちのいないクラリネットやフルートパートでは、既にやる気のある1年生と3年生の対立構造が出来始めていた。

 ……ただまあ実際、そういった話は吹奏楽にはつきものではある。辟易するような話だが、実力という明確な指標は、時には人間関係を壊す程強力に作用するものなのだ。

 

「でも、自分としては上野部長も上野部長で肩身が狭そうというか、そういう印象は受けるよ。他の3年生ともすごく仲が良さそうには見えなかったし、実際難しい状況ではあるだろうね」

 

 自分がそう言うと、滝野は分かりやすく項垂れた。

 

「はぁ……。まあでもさ、逆にここまで下手だったら、夏コンで3年生達も絶対引退だし、それまでの辛抱って考えたら、そんなもんかとは思うよなぁ……」

「まあ、少しでも奏者として上を目指したいのであれば、今は自力をつけるタイミングと割り切るのがいいのかもね」

 

 項垂れたままだった滝野が、もう一度ため息を吐く。しかし、急に何かを思い出したように顔を上げると、自分の方に向き直った。

 

「そういやさぁ、藤原お前楽器うますぎじゃね?お前の練習中に聞こえてくる音、すぐ誰だかわかるくらい上手いぞ」

「藤原、小学生から楽器やってるらしい。しかもマイ楽器4本持ってる」

「うっそマジかよ!?はーそりゃズルだわー、1人だけモテたら許さないかんなマジで」

「滝野……君は君らしくて安心したよ……」

 

 ありがたい話だが、自分はどうやら楽器の技術の面ではこの部活の同年代の人たちには認められているらしい。自分としては、実力なんかよりも音楽には大事なものがあると思っているので、褒められることは嬉しいが驕らないようにすることが最も大事だ。

 

「でも実際、それだけやってるってことは、音大、目指すのか?」

 

 問うてきたのは後藤だった。……この問いは最もだ。吹奏楽部にいくら在籍していようが、そこからさらに先を目指すのは本当にただただ一握りの人間だけだ。それはある意味では、上手くなることの意味や価値を問う事でもある。だが、自分にとって目標は初めから1つしかない。高校に入ってすぐのタイミングではあるが、それを宣言してもよいだろう。

 

「自分は――」

 

 

 

 

 

 気が付くと、既に夕焼けが見えるほど空の色が変化していた。渡り廊下から見上げる空は、すっかり茜に染まっていて、春の暖かい陽気と同じように自分の心を慰撫する。校庭を見ると、まだ運動部が活動を行っている。ここから見ると、まるで小動物が運動会をしているようだ。

 楽器に溜まった唾を出そうとすると、今までそんな素振りを見せなかったのに、中から大きな雫が溢れてきた。これを見ると、バリトンを吹いているなという感じがする。そのまま休憩がてらと、お昼ごはんを食べてからのことを思い出す。

 お昼ごはんを食べた後、1年生加入後初めての合奏が行われた。午前中の練習とは何だったのか分からないほどにバラバラだった合奏だったが、壇上に立った梨香子先生は少し苦笑いになりながらも、それを全然問題にしてはいないようだった。きっと、それがこの人の言う“仲良く”の在り方なのだろう。

 やるべきところはいくらでもある中、合奏は終わった。そして行われたのは、5月に行われるサンライズフェスティバルに参加するという話だ。なんでも、太陽公園という場所にてマーチングを行うものらしい。このイベントには様々な学校が参加するようで、あの“悪魔”と形容されるようなマーチングよ強豪校である立華高校もその一つだ。

 ……きっと多くの人が見に来るだろう。悲しいかな、この学校がそんな場で綺麗に演奏ができている気はしなかった。それはきっと、自分がマーチングをやったことがないのが理由だと、そう言い含めることにした。

 

「『キャント・バイ・ミー・ラヴ』、か」

 

 漫然と、配られた譜面を見る。音楽とは、何を表現するのかが最も重要だと、誰もが言う。しかし、それをするには上手さが必要だ。でも上手さだけが全てではない、と言う人もいる。ならなぜ、上手い人間に憧れるのか。

 一体誰の言っていることが正しいのかなんて、わからない。わからないが、決定的なことは一つだけある。それは、自分が楽器を吹き続けなければいけないことだ。吹き続けて、吹き続けて、その先にある特別を目指さなければ、

 

『はじめちゃんは、音大、行きたい?』

 

 そうじゃなければ、きっと自分は許されないから。

 

 

 

「……よし」

 

 譜読みを終えて、深呼吸をする。軽くではあるが、指をどう動かすかなど一通り見ておくことが出来た。後はパート練習などで吹きながら覚えていけばよいだろう。

 譜読みついでの休憩は終えた、ならば再び練習の時間だ。これから出ようと考えているソロコンクールなどの課題曲や自由曲、練習すべき曲はたくさんある。だが、久しぶりのバリトンサックスなのだし、これで吹いてかっこいい曲をやってみるのもいいだろう。であれば、『チャルダッシュ』などはいいかもしれない。吹くだけであれば比較的簡単な曲ではあるが、テンポキープや指回し、タンギング、息を吸うタイミングなど、凝れば凝るほど難しくなる。特にバリトンサックスは、1音1音に必要な息の量が他の楽器より増えるため、その分難易度が上がる曲だ。

 そうと決めたら楽器を構えて、息を吸う。集中して、かつて練習した譜面を思い出す。ピアノの音が頭の中で流れる。この曲に感じた全てを、1音目に流し込む。この曲の奏でる音が、最も美しくなるように、装飾音符やヴィブラートの一つ一つに拘って吹く。そうして連符を迎えると、更に速い曲でありながらも1音の粒がしっかりと聞こえるように吹き切る。1音のつながりを音楽に変えて、少しずつ、音楽を完成させていく。これが重要だと

 

 最後の音を吹き終えると、渡り廊下の入口から拍手の音がした。姿を見ると、どうやら上野部長のようだ。

 

「やっぱり凄いね〜藤原君、私聴き入っちゃったよ。『チャルダッシュ』なんて久しぶりに聞いたけど、バリトンの良さも凄いでてたし、何より連符の1音1音が凄い綺麗だった!私も、こんなふうに吹けたら良かったな~」

「ありがとうございます。すみません、もうすぐ時間でしたか?」

「うん、もうそろそろ18時だから帰る時間かな。一緒に片づけよ」

 

 返事をして譜面台を持ち、上野先輩について行く。18時頃が練習の終わるタイミングなら、中学時代より練習量は少なくなるだろうか。これに加えて、基本的には日曜日の部活もない、ある程度他の練習場所を探す必要があるだろう。

 

「ねえ」

 

 そんな事を考えていると、再び上野先輩が振り向いた。その綺麗で肩まで伸びた黒髪が揺れる。

 

「藤原君はさ、音大、行きたいの?」

 

 ……今日はどうやら、そういう質問をされることが多い。絞り出すようにもう一度、答えを吐き出す。

 

「はい。……国立の音大を、目指してます」

 

 それが、自分の贖いなのだから。




 譜読みというのは、文字通り楽譜を読むことなのですが、基本的には吹けるようにするために注意するポイントをメモしたりなど、そういった動作を伴います。
 また、装飾音符というのは、楽譜においてリズムとしては数えないくらい小さな音符であり、直後の音を際立たせるために一瞬だけ添えるような音のことを指しています。
 少しずつ吹奏楽用語を使用していけたらと思いますが、伝わらなかった場合私の落ち度ですので、説明求めてくれると幸いです。
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