ここからダル・セーニョ   作:辛酸

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 前回からですが、現実の吹奏楽曲を取り上げてます。問題だったら訂正するので教えてください。

 あと、映画きみの色、めっちゃよかったです。


先輩と後輩

 高校に入ってから初めて出来た後輩たちは、晴香にとって実にかわいい後輩だった。4人全員が経験者で楽器が上手く、明るくしっかりと喋る性格で話も面白い。頼りなくて、取り柄のないを自称する晴香でも先輩として敬ってくれる。

 けれども、部活も晴香自身も、今年は問題のほうが多かった。

 一番大きな問題は、若井菫たち元南中の子と3年生の衝突だ。菫ちゃんを含めて、南中の子たちは部活を一生懸命やりたいだけで、それ自体に軽蔑される要素はどこにもない。ただどうしても、()()()()主張は絶望的なまでに今の3年生と相性が悪い。今の3年生は、青春を過ごすために物事を頑張っているし、晴香たちだって全国出場なんてただのスローガンでしかないことは十分にわかっているし、そもそも京都大会金賞ですら奇跡だなんてことはわかっている。わかってはいるが、今の3年生の彼女たちに対する態度を見ていると、いつか最悪な結果を引き起こすような気がしてならないのだ。

 別に、部活をやめるのがだめだということは全くないし、それに直面するのは吹奏楽部にとって決して初めてのことでもない。実際去年も低音パートの同年代はあすか以外軒並みやめている。ただどうしても、やめないでほしいと晴香は思う。やめないほうがいい理由なんて、提示することはできないが、晴香は後輩でも先輩でも同年代でも、仲間を失うことは考えたくなかった。

 香織は確か「部活辞めるのはもったいない」って言ってたっけと、菫たちがやめないよう頑張っていた香織の姿を思い出す。晴香自身練習場所を確保しようと頑張ってみてはいるものの、香織のように人望もなければ納得させられる気概もあると思っていない。

 

 サンライズフェスティバルを終えても、問題は収束する気配を見せない。向き合っていても、どうにも問題を解決できる気がせず、晴香の口から大きなため息が漏れる。ホームルームが終わり、もうすぐ部活が始まる時間だ。悩んでいる晴香とは裏腹に、窓からはまだ沈まない太陽がその存在を主張している。それを見ると、なんとなくそれを吹き飛ばしてみたくなって、どうしようもなくてまたため息が漏れた。

 

「晴香、ため息なんかついちゃ駄目だよ。ほら、部活行こ?」

「香織ぃ」

 

 中世古香織は本当に優しい人間だと、高校生ながらに晴香は思う。それは今回の騒動だけじゃない。こうして友人である晴香にもさりげない気遣いを忘れない。晴香がぐずっている間にも、香織はテキパキと晴香の分まで帰りの支度を終わらせ、カバンを持ってくれている。

 

「本当に、私には出来た友だちが多いんだもんな~、まったく」 「もう、そんな変なこと言ってると置いていくよ?」

「わかってるわかってる」

 

 晴香は立ち上がり、カバンに腕を通す。袖がカバンと触れ合い揺れる。そのまま香織と共に教室を出る。陽の光に背を向けて、今日もまた部活へと向かうのだ。

 

 

 コンクール曲も決まり、みんながみんな練習に使う時間が増えた今、3年生と1年生の対立は水の底に沈んだような落ち着きを見せていた。もちろん、その仲が深まったというわけではなかった。ただ悪いまま、それ以上悪くならない状況というだけだ。3年生による無視もそのままだし、練習への熱もそのままだ。

 それでも、コンクールの終わりまでなんとかこの状況でいてくれるなら、晴香たち2年生のクッションでやめないでいてくれるかもしれない。せめてそう願わざるをえない状況でも、願うことができる程度には、落ち着きを見せたんじゃないか。晴香は、練習に取り組む南中の子たちを見てそう信じたかった。

 現在行われている低音パートでのセクション練習には、フルートである希美も参加している。もちろん一緒に吹くことは少ないが、フルートパートには彼女を庇える場所はなかったのだ。

 

「はい、今のはダメ〜。全然揃ってないしもう1回やり直しです!」

 

 誰が相手であろうと、いつもの調子でフラットに、それでいてドライに取り組んでいる。そんな練習中のあすかを見ると、晴香の胸に憧れの火が灯るような暖かさと、少しちくちくした冷たさが宿る。 あすかがこちらを見てウインクしたことに気が付いて、晴香は状況を見直した。さっさと見直さないと鬼教官田中あすかの魔の手が迫ってくる!慌てて楽譜を見直して自分の楽器を構えなおす。そして、楽器に息を、

 

「小笠原先輩」

 

 息を、吹き込むことはなかった。話しかけてきたのは後輩だった。晴香にできた唯一の、同じ楽器の後輩。自分と同じで、(メーカーは違うけど)マイ楽器のバリトンサックスを持っている、ただ一人。あんなに欲しかった直接の後輩である彼が、正直に言ってしまえば今の晴香にとって最大の()()()だった。

 彼は、晴香にとって太陽の様にまぶしい後輩だった。自分の楽器のうまさに驕ることも、それを誇示することもない。3年生だとか1年生だとか、そういう今の吹奏楽部で起こっている問題なんて気にも留めてない。決して練習を怠らず、その技術を磨くことだけに心血を注いでいる。そんな浮世離れした雰囲気をまとった人物。

 自分と同じバリサクを吹いているのに何段階も音が違う。音色も、技術も、練度も、何もかもが違うことを、いつもいつもわからされる。自分の悩みなんて、彼の音や努力や、最高峰の音大を目指しているような『特別さ』の前では、全部ちっぽけなものなんじゃないかと、思わされてしまうようだった。誠実な彼に対してそう思う事さえ、自分の弱さを認識させられる。晴香は、彼が苦手だった。

 

「あ、うん。藤原君どうしたの?」

 

 それを悟られないように、彼の問いに答える。

 

「今注意されたところなんですが、先輩はどういう表現で吹きますか?合わせます」

「えーっと、ごめん、まだちゃんと私自身わかってないっていうか……むしろどうしたらいいのか教えてほしいくらいというか……」

 

 そういうと、彼は「そうですか」と短く返して、静かに笑顔を浮かべてリズムの合わせ方から息の吹き込み方まで、わかるように教える。彼の平坦な声が耳の中に響いて、頭の中を通して体がゆっくりと反射。これではまるで、と、そこまで考えて晴香は考えるのをやめた。

 

「はーい、じゃあもう一回おんなじところからやりまーす!」

 

 あすかの澄んだ声が、ぷつぷつと途切れた晴香の集中力を再び繋ぎなおした。このまま、せめて練習に集中しなければ。その間だけは、この()()()()痛まなくて済むのだから。

 

 ◆

 

 練習が終わって、自主練習の時間になった。夏がより近づいた5月はもう半ばも過ぎ、太陽は18時になっても強い。沈む日のドラマチックさよりも、ベタつく湿気や暑さの方が気になるようになる季節だ。この時間になると、部活のほとんどの人は帰宅してしまう。自主練習まで残って遊ぶよりも、もっといい場所は京都の街にはいくらでもあるのだ。

 そんな中残っている人は、もうほとんど固定化されている。増減もあまりない。そして晴香は、出来うる限り残る方の人間だった。上野先輩や香織、あすかを待つ時間は、練習をするのにぴったりだった。

 

「晴香、今日の練習どうだった?」

「もう全然だめ!音も綺麗にならないし、リズムもちゃんと合わせられなかったし、もうなんでこんなに出来ないのって感じ!」

 

 晴香の言葉を聞いて、編み髪の少女、斎藤葵は苦笑う。

 

「まあ、あんな後輩がいたら流石にね。1番上の音大目指しているような子だよ?1年生の今ですらおんなじ高校生だなんて思えないのにさ。そんな子と楽器一緒なんて、私だったら辛すぎて辞めちゃってたかも」

「葵、それは言いすぎでしょ。葵が本当に楽器やめるところなんて想像できないもん」

 

 休憩中に和やかに談笑ができる葵は、晴香にとって部活の中での無二の友人だ。その編まれた美しく艶のある黒髪も、練習にも勉強にも真面目なその姿は、少し抜けたところのある晴香と凸凹ながら噛み合った。

 辞めちゃってたなんて言葉を晴香が笑いながら茶化すと、葵は「そんなことないって」と返して言葉を続ける。

 

「にしても、今年のコンクール曲は『マードック』かあ」

 

 マードックとは曲名を『マードックからの最後の手紙』と言う、吹奏楽において、全国金賞を取った高校でも演奏されている有名かつロマンチックな曲である。この曲は、タイタニック号の沈没と、乗客を優先し、船と運命を共にした勇気ある船員であるマードックが、最後に送った家族への手紙がモチーフになっている。

 

「いい曲だよね!バリサクの活躍しどころだし!」

 

 えへん!と誇らしそうな晴香を見て、葵は玉のような笑みを浮かべる。口元を抑えて笑う姿は、美しい髪も相まって、純朴な輝きを見せている。ふと、そんな輝きがほんの少し曇った。

 

「でも、もう明日からテスト期間なんだもんね。晴香もちゃんと勉強しなよ?」

「あ、葵!それを言うのは禁止!まだテスト期間なだけなんだし!」

「駄目だよ!ちゃんと勉強しなさい。いい?時間は待ってくれないんだよ?」

「あーもうわかってるわかってる!でも音楽だって待ってくれないんだよ〜」

 

 晴香は、なんのかんの言ってもこの部活が好きだった。好きな楽器を練習して、友達とも過ごす。そんな両方を叶えてくれるこの部活が。

 

「はーるかちゃん」

「ひぎゃあ!」

 

 突然、冷たく晴香を呼ぶ声と共に、背中を一筋の寒気が襲った。情けない声とともに晴香が振り向くと、そこにいたのは先輩である響だった。

 びっくりした?とでも言わんばかりのその可愛らしい顔に沸々とした怒りとか恥ずかしさとか、そういった感情が湧き上がる。晴香が早速文句を言ってやろうとしたところで、響は言葉を発した。

 

「2人共、このあと暇?」

 

 

 どうしてこうなったのだろう。晴香の自問自答は止まなかった。

 響に連れられて晴香が向かったのは、近くにあるファミレスだ。葵は勉強があるからと帰り、結局残ったのは晴香と響だけ。かと思いきや、その予想は打ち砕かれた。

 待ち合わせ場所にいたのは、まさしく晴香の悩みの種だった。練習熱心な彼がこんな場所に来るわけないとか、響先輩はどうしてあと一人に彼を選んだのかとか、様々なことを考えているうちに気がつけば席についていた。

 席についてからは、響が様々な話題を回してくれていた。がし、そんな響も今お花を摘みに旅立った。ここで生まれた沈黙は、晴香にとって今最大の危機なのだった。

 沈黙が生まれている。そこで晴香は、この状況こそ、響がくれたチャンスなのかもしれないと思い立った。きっと響には、晴香が上手く後輩と向き合えていないことがわかっていたのだろう。

 そう考え、晴香も意を決して前を向く。彼としっかり話して、少しでも自分の中の気持ちに整理をつけなくてはいけない。

 

(頑張れ晴香……!ここが勝負どころだぞ……!)

 

 そう考えた瞬間だった。晴香は信じられないものを目の当たりにした。彼が頼んだピザが、不思議にも赤に染まっている。マルゲリータであるはずのそれは、おいしそうなチーズの白だったはずなのに、すっかり痛々しさをまとっている。その赤を辿ると、彼が持っている“TABASCO”と書かれたビンに収束した。

 

「えっ!?ちょっ、それ何かわかってる!?大丈夫!?」

 

 あまりの衝撃に晴香は叫ぶ。TABASCO、タバスコ、たばすこ、どう反響しても辛さが伝わってくる。そんな危険物質を、ピザに塗りたくる人間が果たして本当にいて良いのかだろうか。

 そんな晴香の心配もよそに、彼はあまりにも平然と笑顔を返してきた。

 

「ああ、すみません。自分辛いの結構好きで、これくらいの方がいいんです」

「いや、でもっ、それはもう、ピザと言うよりタバスコトーストなんじゃ……」

「そうですか?これくらいの方が美味しいですよ」

 

 衝撃に衝撃が重なった。いつもどこか困ったような、自己主張をそこまでしない彼の笑顔が、あまりにも純粋に輝いている。それがどうにも普段の彼と嚙み合わなくて、ついつい晴香は堪えきれなかった。さっきの緊張はどこ吹く風、破裂した風船とでも言わんばかりに笑ってしまった。目の前にある困り顔も、何もかもが面白い。

 

「そっか、創君って辛いの好きだったんだ」

「実はそうなんです」

「でも大丈夫?楽器吹くときに唇とか痛そうだよ」

「そうですね、やっぱり食べられるときに食べておかないといけないので」

 

 どこか浮世離れした後輩の、ギャップとも言うべき妙な趣向。それがどうにも変で、どうにも面白くて、なんとなく、彼に抱いていた今までのイメージが少しだけ明瞭になった気がする。

 

「創君って、意外と天然なんだね」

 

 その言葉に、彼は驚いて、すぐにシュンとした顔をする。余り表情が動かないと思っていたが、ちゃんと見てみると、これもまたころころと変わっている。

 

「そ、そうですかね……そんなつもりは、ないんですが……」

「違うよ褒めてるよ!こんなに面白い人だなんて知らなかったな」

「そういっていただけると本当にありがたいです」

 

 一呼吸。彼が置いた間は、暗くなってきた空に浮かぶ淡い月のように、彼の心を照らしていた。

 

「でも、本当に、誘ってくれてありがとうございます」

「いいんだよ気にしなくて。私だって、たまたま響先輩に誘われただけだし」

「自分、あまり友達がいなくて、中学の時も先輩とごはんとか行ったことなかったので、その、なんというか、嬉しかったです。小笠原先輩たちと食事ができて」

 

 そこで、晴香はようやく、自分のコンプレックスが不要なものだと気が付いた。いつもいつも、練習に心血を注いでいる彼が持っていないものを、自分は持っていたのだ。ただファミレスに来ただけなのに、ここまで感謝される。彼は、いったいどれだけのものを捨ててきたのだろう。それはどこまで彼の思い描いたものだったのだろう。

 

「小笠原先輩って呼び方、禁止」

「え?」

「小笠原先輩って、なんか距離遠いし、ここは晴香……は流石にだめか。じゃあ晴香先輩で!これからはもう小笠原先輩って言ったら罰金だから!」

 

 持っているものと持っていないもの、その差がどれだけあるかはわからない。片や二度と手に入らないくらい大きな時間の差かもしれない、それは別の視点ではちっぽけなものかもしれない。ただ1つだけ晴香にわかったことは、小笠原晴香と彼、藤原創は先輩と後輩であるということだった。




 吹奏楽の謎すぎるあるあるなんですが、“音色”っていう字は“ねいろ”じゃなくて“おんしょく”と言いますよね。あれ、何故なんでしょう。
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