ここからダル・セーニョ   作:辛酸

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おまつりサクソフォン

 5月も終わり際になって、中間テスト期間も無事に終了した。もうすぐ梅雨になろうとする空は、湿気と雲を少しずつ味方につけていた。

 中間テスト期間は、場所を転々としなければならない代わりに楽器を自分だけの都合で吹くことができる、とても貴重な期間だ。ただし、転々とすることによって、カラオケ、公園、自宅、その他多くの練習場所の発掘に役立った期間であることも確かだ。特に、1つこれからも懇意にしてもらえそうな練習場所、というよりは団体だろうか、それを見つけられたのは非常に良かったことだろう。

 

 

「あがた祭り?」

「そうだ、祭りだ」

 

 ところで、テストが終わった直後の部活で聞いた言葉は、北の大地から京都に来た自分にとって、初めて聞く言葉だった。しかし別に滝野の補足がなくとも、お祭りであることはわかるのだった。

 

「ま、せっかくだから、北海道から来た京の都素人のお前に、この滝野純一が“本物”の祭りってもんを教えてやろうと思ってな」

「素直に祭り行こうって誘えよ」

「うるさいぞ後藤!案内役は必要だろうが!」

 

 どうやら滝野は、自分にそのあがた祭りとやらを案内してくれるつもりのようだ。お祭り、ということであれば練習場所を用意することも容易ではないだろう。朝と少しの部活の時間で調整を行う程度の休息日に努めたほうがいいだろう。ならば、お言葉に甘えて滝野の誘いに乗ってもよいのではないだろうか。

 

「……というか、後藤も行くよな?行くだろ?来いよ?」

 

 その瞬間、後藤の唇は縫い付けられたかのように固まった。いつも寡黙な後藤ではあるが、それは普段の彼に見合わない奇妙な反応だった。どことなくだが、顔も朱に染まっている。一体どうしたというのだろうか。

 と、そんな事を考えていると、どうやら後藤の変化に滝野も気づいたようだ。滝野が信じられないものを見る顔をして、震えながら後藤を指さした。

 

「お、おま、お前、違うよな……?お前はこっち側だよな?そうだよな!?もう既に予定があってとか、実は彼女となんてとか、そんなことあるわけないよな!?な!?」

 

 どうやら、滝野が思いついたこととは後藤に彼女が出来たという想定のようだった。確かに、そう考えると後藤のこのリアクションも頷ける。実際、後藤は滝野の指摘を受けてから如実に慌てる仕草を見せている。もしそうであるなら、非常におめでたい事だ。こういう時は何をするのが一番良いのだろうか?とりあえず、拍手をしておこう。

 パチパチパチパチ、どうやらこの祝福は自分の独唱のようだ。しかし、今まで吹いてきたどのソロパートよりも、場を盛り上げることなく、むしろこの場を支配する静寂をひどく強調していた。……不思議だ。こういうのはおめでたいことではないのだろうか?

 

「は、拍手はやめろ……。悪い、お、俺彼女出来たから、無理だ」

「マジかよ……」

 

 恥ずかしいのだろうか、どんどん声が消え入っていく後藤は、いつもの寡黙な威厳はどこかへ行ってしまったかのようだ。そして何故か、滝野は今にも消えてしまいそうな顔と雰囲気だ。何故だろうか。お祭りに一緒に行けないのは寂しいことだが、不思議だ。

 

「ま、まあ、後藤とかいう裏切り者は置いておくとしてもだ!男2人は流石にアレだし……って、藤原お前は流石に行けるんだよな?裏切らないよな!?」

「滝野、少しは落ち着きなよ。今のところ、自分は全然行けると思うよ」

「あー、よかったわ。流石に誘った俺がバカを見るかと思っ」

「おはよう、後輩男子3兄弟」

 

 滝野の言葉を遮るように挨拶をしてきたのは、上野部長だった。楽器置き場で話しているのだ、先輩が来てもおかしくはないだろう。気づかなかった自分たち3人は、慌てて挨拶を返す。

 ところで、3兄弟とは何なのだろうか。それを疑問に思うまもなく、満足そうに挨拶を受け取った上野部長は、重ねて言葉を紡ぐ。

 

「3人共、何の話ししてたの?随分楽しそうにお話するね」

「上野部長、聞いてくださいよ!後藤が裏切ったんですよぉ!」

 

 上野部長と滝野が楽しそうに話している。ふと腕時計を見ると、部活が始まる時間が刻一刻と近づいていた。太陽が頭の上から首もとに差す前に、そろそろ練習を始めよう。

 そう思い楽器ケースからバリトンサックスを取り出す。少し傷のついた、それでいて赤みがかった独特なメッキが、日を浴びて輝く。この輝きは、独自の手法で作られたもので、柔らかな音を響かせるのに非常に適した楽器であることの証明だ。実際、自分の低音の表現には非常に役に立っている。

 さて、準備が出来たのであれば早速練習に行こう。挨拶をして部屋を出ようとする。すると急に肩を捕まれた。

 

「あ、藤原君待って。今話してたお祭りのことなんだけどさ、滝野くんには悪いんだけど、私と行かない?」

「え?」

 

 振り返ろうとした自分を待っていたのは、まるで想像だにしない言葉だった。上野先輩はなんと言っただろうか?誰と誰がどこに行く?自分の耳が間違いじゃなければ、恐らく自分と上野先輩であるはずだ。それはつまり結局、どういうことなのだ。

 困惑も他所に、返答がないことを不思議に思ったのか、上野先輩は首を傾げる。その肩まであるつやつやとした黒髪が同時に揺れる。

 

「聞こえなかったかな?良かったら私と藤原君であがた祭り行かないって聞いたんだけど」

 

 何度聞いてもよく意味がわからない。第1、我々はそんなに仲が良かっただろうか。確かに一緒に食事をしたこともあるが、あれは晴香先輩も一緒だったはずだ。部活でしか特段の出会いはなかった。

 ともかく、返事をするべきだ。魅力的なお誘いだが、残念ながら数秒前に滝野に先約をいただいたところだ。

 

「すみません、その、今滝野が案内をしてくれると言ってくれたので……」

 

 そうして滝野の方を見ると、滝野は少し驚いたような仕草をして、そこからゆっくり口を開いた。

 

「あ、悪い藤原、俺そういえば祭りの日は別のやつと行く約束してたの忘れてたわ。また後で埋め合わせするから、今回は先輩と行ってくれないか?」

「は?」

「じゃあ、決まりだね!また当日の部活の時に連絡するからよろしくね」

 

 全くもって意味がわからないが、お祭りへの参加だけは確実になってしまったようだ。

 

 ◆

 

 大抵の場合、帰路につく時は1人だ。他の部員のみんなは大体帰ってしまうし、いつも最後まで残っている田中先輩や希美たちは、大体知り合いの人間と帰ったりしている。そもそも、徒歩で帰るのはその中では自分くらいなもので、駅から離れていく自分はどうしてもそこで1人になりがちだ。

 寂しい、と思ったことは特にない。ただ祭りと聞いて、1人で帰るこの道が、どうやって彩られるのだろうかと想像してしまった。例えばきっと、提灯の灯り、笑い声、花火。綺麗な、穏やかでどこまでも純粋な光景。その中には多くの人がいるのだろう。きっと滝野や後藤のような同級生も、周囲で働いているサラリーマンも、大学生も、主婦もきっといる。だからきっと、その中には、“家族”だって、

 ふと、足が止まっていることに気がついた。足を止める意味なんてないのに、自分としたことが、何かを考えることに夢中になっていたようだ。ゆっくり一歩踏み出して、なんとなく、今ここに足の踏み場がある事を確かめる。いつもの帰り道だ、足を踏み外すことなんてないはずなのに、何故か、それが恐ろしかった。

 さっさと、家に帰ってしまおう。

 

 

「ただいま」 

 

 1人で住んでいる自分には特段意味のない儀礼であるが、体に染み付いたそれが抜ける兆しは、どうやらまだ見えないようだ。しかし、今日の場合はそうした方が正解だったようだ。自分のではない女性ものの靴が玄関にある。これはきっと、知っている限りでは1人しかいない。

 

「お帰り、創君」

 

 短く麗らかに整えられた黒髪は、左右で長さが違っており、彼女が大人の女性であることを示している。頬を見ると、少し堀のあるほうれい線は、紛れもなく彼女が半世紀を生きたことを示している。それでもまだ白く美しい肌と若々しさを保っているこの女性こそ、自分の叔母だ。

 

幸子(さちこ)叔母さん、帰ってたんだね」

「ええ、もうすぐお祭りでしょ。そんなに有名なわけじゃないけど、京都のお祭りってだけでやっぱり観光客は増えるから、仕事もこっちでやるの。ご飯は簡単にだけどもう作ったから、食べちゃって」

「そんなにしなくてもいいのに」

「学生は気にしないの。それに、毎日作ってあげられるわけでもないんだから」

 

 平戸幸子(ひらとさちこ)。それが自分の叔母の名前だ。平戸というのは、自分の母方の生家の苗字だ。実際のところ、北海道にいた時はそちらの家でお世話になっていたことから、平戸という苗字にはかなり親しみがある。

 さて、早速叔母の作った料理を見ると、なめこの入った味噌汁に白米、そして焼き魚といったかなり質素な料理だった。……自分も基本的には質素な食事ばかりしていて、人のことは言えないが、およそ男子高校生の食事とは思えない量だ。米はあるみたいだから、後で何か食べることにしよう。

 それはそれとして、ひとつひとつの料理は出来たての暖かさをしていて美味しそうだ。味噌汁に関しては、味見をしたところしっかりと出汁が効いていて、発色もいい。他人の手料理を食べることの少ない自分の生活には、確かな潤いとなってくれるだろう。

 

 「で、学校生活はどう?この間のテストとか、順調?」

 

 食卓につくと、叔母さんも一緒に食事を摂り始めた。叔母さんが帰ってくる時は、忙しくない限りはこうして一緒にご飯を食べることになっている。

 

「学校生活は悪くないよ。部活でしっかり練習時間も取れてるし、勉強も毎日1,2時間はやってるから、テストもある程度は大丈夫だと思う」

「そっか……。友達とかは、出来たの?」

「そんなに恐る恐る聞かなくてもいいのに。一応、しっかり仲間はいるよ。中々、クラスとかで馴染めてるかわからないけど」

 

 返答を聞いて、叔母さんが目を細める。祖母と似た仕草。祖母も、こちらの話を聞いてくれる時や安心した時、こういう目の細め方をする癖が彼女たちにはあるみたいだ。

 

「……それじゃあ、お祭りはその仲間と行ったりするの?」

 

 つい、今日あった出来事を思い出して咳き込んでしまう。お味噌汁がもったいない。それにしても、余りにもタイムリーすぎる話題だ。叔母さんが心配する前に、さっさと答えなければ。

 

「ごめん。実はちょうど今日お祭りのことを知ったんだけど、吹奏楽部の部長と行くことになって」

「部長って、3年生?男の子なの?」

「それが、女の人なんだよ」

 

 次に驚きで咳き込んだのは叔母さんだった。自分だって、後藤みたいに一足飛びに駆け込める人間じゃないことはわかっている。その上で、どうしてこうなったのかわからない珍妙な事態なのだから、叔母が咳き込むのも当然だ。早く説明してあげよう、この少し不思議な日常を。

 こうして、いつもと少し違う夜は更けていった。

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