ホシノ同級生相棒概念 作:洞鼬
「随分と遅かったね」
半分ほどに減ったラーメンを抱えて戻ってきたカヤツリにテラノは言った。テラノの表情をみれば、どこかニヤついている。
「ラーメンが熱かったんだよ」
「ふーん。そうなんだ」
テラノはきっとお見通しなのだろうが、カヤツリは大将のおかげでどこかすっきりしていたから。テラノの揶揄いの混じった視線や口調は気にならなかった。
お互いにラーメンを啜りながら、カヤツリはこれからの事を考える。考えるまでもなく、答えは一つなのだけれど。
「で? いつ帰るの」
「食べ終わったら」
テラノの問いに、はっきり答える。逃げるのはもうやめだ。どうせいつかは捕まるし、話すこともある。どう着地するかはカヤツリ自身にも分からないが、これはやらなければならない事だから。
テラノはカヤツリの返事を聞いて、どこか満足そうな雰囲気だった。だから黙ってラーメンを啜っている。カヤツリもラーメンに集中する。相変わらず柴関のラーメンは美味しかった。そのせいもあって、数分も掛からぬ内に二人はラーメンを食べ終わる。
器はカヤツリが大将の所に返しに行くと、大将が笑顔で応対した。それと何か伝えることがあるようだった。
「おう。毎度ありがとう。……それと、坊主。客が来てるぞ。ほら、ヒフミって言うトリニティの娘だ」
「……ヒフミ?」
「あ、お久しぶりです……」
カヤツリは首を傾げる。ここはトリニティ自治区だから、ヒフミがいるのは当然だ。けれど、カヤツリに会いに態々柴関まで来るだろうか。柴関だって、今回偶々トリニティに来ているだけなのに。お久しぶりと言っても、調印式から大して経っていない。
何か妙だと思うが、大将は普通の態度だ。だとするとヒフミの方かもしれない。ジィッと見つめると、どこか挙動不審にあうあう言っている。
「……じゃあ、大将。ごちそうさまでした」
「ああ、また来な。嬢ちゃんにもよろしく言っといてくれ」
とりあえず、テラノの所にヒフミを連れて戻りつつ、用を聞くことにする。今の反応からして、ヒフミの真意は図りやすいだろう。
「いえ、またブラックマーケットへの付き添いをお願いしたくて……」
なるほどと思う。またペロロ様とかいうグッズが欲しいに違いない。あそこには何でもあるから、限定品だろうと金銭を積めば手に入る。アビドスの事件以降は何回か対策委員会のお願いでこういうことがあった。最初の出会いを考えれば対策は当然だからだ。
ただ、それは少し前までの話なのだ。だから、カヤツリはヒフミに質問する。
「……補習授業部の友達がいるだろう。その娘はどうしたんだ。最近は、その娘と一緒に行ってるんじゃないのか?」
白洲アズサ。元アリウス生でヒフミの親友。彼女もペロロ様と一緒に出ているキャラクターが好きらしく、ヒフミと一緒に出掛けたりしている。元アリウスだから戦闘力は折り紙付きだ。彼女なら同じトリニティ生なのだからコンタクトは取りやすいはずだ。
カヤツリの質問に、ヒフミは困ったような顔で答えた。
「あはは……アズサちゃんは補習で手が離せないんです」
「ふぅん……なるほどね」
そういえばと、カヤツリは思い出す。彼女たちは補習授業部だった。裏切り者のあぶり出しの為に、屁理屈を着けて入部させられたと思っていたのだが、普通に成績が悪かったらしい。むしろ、アリウスの環境で勉強ができる方がおかしいのかもしれない。
テラノがいるテーブルまで戻れば、テラノの姿が無かった。テーブルの上には重石代わりに銃の弾倉が乗った紙が置いてある。
──少し離れてついていくね。バイクに三人は乗れないでしょ。
どうやら、ヒフミがついて来たのを察知して姿を隠したようだった。ヒナから逃げる時も顔を見せないようにしていたし、周囲に混乱をバラまかないように配慮してくれているらしい。
それなら、初手で自分を攫わないでほしかったのだが。
そう思って、紙をしまってため息をついていると、ヒフミがどうなのかと聞いてきた。
「それで、付き添いはお願いできますか……?」
「分かった。乗ってくれ」
ヒフミの願いをカヤツリは了承する。ヒフミの提案に乗った場合の末路は想像できるが、どうせ行く末は同じなのだから。
□
何事もなくブラックマーケット近くまでやってきた。相変わらずのアンダーグラウンドといった風情の建物がところどころに並んでいる。
ヒフミの付き添いで行く店の立地は毎回違う。だから、カヤツリはどこに行けばいいのか分からない。ヒフミの案内が必要だった。
「こっちです。カヤツリさん」
当のヒフミは、そそくさとバイクから降りていて、カヤツリに向かって手を振っている。浮かれているのか、あっという間に路地裏へと消えていく。
「カヤツリ」
いつの間にか、テラノが横に居た。カヤツリは様子を確認するが、ここまであの脚力で追いかけてきたはずなのに息一つ乱していない。カヤツリは舌を巻いた。
そんなテラノはカヤツリに向かって少し揶揄うような、あの表情で言う。主語は無いが、カヤツリにはテラノが何を言いたいのかは分かっていた。
──本当に良いの?
分かっている。これが、対策委員が計画した罠だということくらい。どうせあの奥には全員が待ち構えているのだろう。
そもそもが、ヒフミがカヤツリが柴関に居る事を把握しているのがおかしいのだ。把握できるのは対策委員かマトだけだ。おそらく便利屋と同じように先回りして連絡している。だから、どこか挙動不審だし、申し訳なさそうな顔を時折しているのだ。
ヒフミにこういう事は全く向いていないと、カヤツリは昔に思ったことがあるが。まさにその通りだった。
「行くよ。逃げたツケを払ってくる。テラノは?」
「私はここに居るよ。じゃあね。カヤツリ」
狩場に向かうカヤツリを見送るようにテラノは手を振る。”じゃあね”と言う事は、ここから後輩たちを見るだけで終わらせる気なのだ。カヤツリともここでお別れにするらしい。
「会わなくていいのか?」
「うん。黒服も言ってたでしょ? 諦めるのは早いかもって。だから、見るだけにするよ。会ったら私は満足しちゃいそうだしさ」
テラノは、そうすることに決めたらしい。それなら、カヤツリから言う事は何もない。言うべきことを言って、やるべきことをやるだけだ。
「じゃあな。テラノ。元気で」
「うん。カヤツリもね。そっちの私と上手くやるんだよ」
「言われなくとも」
そう言って、カヤツリはテラノに背を向ける。ヒフミが入った路地に入るとヒフミがこっちを向いて待っていた。路地の先は店の裏口で行き止まりだ。
「……あはは。ごめんなさい。カヤツリさん」
申し訳なさそうにヒフミが謝るが、カヤツリとしては別に良かった。予想はしていたことだし、これで紙袋を被ってファウストの格好をしていたら絵になるだろうなと、頭のどこかでカヤツリは思っているくらいだ。
だから、自分に向かって、いくつかの気配が飛び掛かってくるのをカヤツリは甘んじて受け入れた。
□
「……うわぁ、酷いね。あんなに縄でグルグル巻きにされたんじゃ、まるで蓑虫だね」
昔の自分が喋っている。そんな奇妙な感覚がホシノを襲っていた。カヤツリがテラノと呼ぶそれは自分とは違って上機嫌そうだ。随分とカヤツリとの逃避行は楽しかったらしい。テラノとは反対にホシノの機嫌が急降下していく。
「なんで、カヤツリを攫ったの?」
怒りを抑え込んでホシノはテラノに問うた。質問に答えるためか、テラノはホシノに向き直った。
本当にそっくりだとホシノは思う。昔の自分をそのまま持ってきたようだった。カヤツリが断り切れなかったのも頷ける。だからこそ腹が立つのだが。
「それは悪かったよ。我慢できなくてさ。その気持ちは分かってくれると思うんだけど?」
「分かった」
不承不承にホシノは納得する。マトにも言われたことだ。自分が出来ないことを他人に強要するべきではないと。それに、目の前の自分に怒ったところで何にもならない。さっさと聞くことを聞いて、用を済ませて帰ってもらう。
「皆に会いたいんっだっけ?」
「それは、もういいよ。もう見えてるし、会いたい人達はもう一目見たからね」
ホシノの後ろの方を見て、テラノが言う。ホシノも振り向けば、カヤツリがグルグル巻きになって転がされていた。カヤツリは諦めているのか藻搔く様子も見せていない。犯人の後輩たちとは言えば、後は任せたとでもいうように、カヤツリを置いてヒフミと一緒に出掛けて行った。
これは、マトと相談して決めた作戦だった。ヒフミにはカヤツリを釣ってきてもらう。初めヒフミは渋っていたが、報酬をぶら下げるとあっさり頷いた。報酬として、ブラックマーケットの護衛をぶら下げるだけでだ。どうにも、最近は護衛をしてくれる友達が補習漬けでスケジュールが合わなかったらしい。今回はその友人の分も買うとのことで張り切っていた。
「じゃあ……」
「帰れって言うんでしょ。そんなに言われなくても帰るよ。そろそろタイムリミットだし、こっちにも準備があるからさ」
テラノは空をちらりと見た。攫われたのが朝とはいえ、アビドスからゲヘナ、ゲヘナからトリニティ、トリニティからブラックマーケットの大移動だ。バイクを使ったとはいえかなりの時間を喰う。その証拠にそろそろ夕方だ。
案外おとなしいテラノをホシノは不審に思う。朝の様子とはまるで違うからだ。あの必死にカヤツリを離すまいとしたあの顔とは。最悪、ホシノは戦闘する覚悟できていたのに。拍子抜けにも程がある。
「別に、いつもあんな風じゃないよ。あれは久しぶりだったから。……それに、そっちの私に言われたくないよ。どうせ、碌なこと考えてないんでしょ」
ホシノは言い返さないというか、言い返せない。マトに言われなかったら、どうしたか分からないからだ。
それに何を思ったのか、テラノは会話を続けるようだった。
「どうせ、あれでしょ? 一年前のあの夜に考えたこと。あそこまでじゃなくても似たような事をやろうとしたでしょ。私だからね。よくわかるよ」
「君はしないって言うの?」
ずっと言われるのも癪なのでホシノは反撃した。図星なのか、テラノは一瞬だけ嫌な顔をしたが、すぐに普通の顔に戻った。
「私の方のカヤツリは、もう私とずっといるからね。心配してくれるようで悪いけど、そっちの私みたいに縛り付けなくても平気なんだよ」
さっきから、嫌なことを言うとホシノは思う。自分の内心を見透かされているようで気分が悪い。向こうにとっては過去の自分なのだから、見透かすも何も無いのだろうが。
「……そろそろ時間かな? 案外早いね」
見ればテラノの身体が透けてきていた。本当にタイムリミットらしい。テラノはホシノに向かって、最後の餞別とばかりに言葉を投げかけた。
「まあ、カヤツリとよく話すんだね。多分話を聞いてくれるし、してもくれるから。じゃあ、頑張ってね」
エールと共に腹の立つ笑顔を浮かべて、テラノは消えた。
ホシノは口の中で言い返せなかった言葉を転がしていたが、ぐっと飲み込んで、転がっているカヤツリを回収することにした。
□
「まぁ座りなよ。カヤツリ」
二人はもう自宅に帰っていた。もう夜も遅い。後輩たちはヒフミと買い物を楽しんだ後は、そのまま解散するだろうし。マトは作戦を考えた後にゲヘナに帰ってしまった。ここにはもう二人だけだ。お互いに入浴と食事を済ませている。きっと気まずい話になるから、やることは先に済ませておくべきだったから。
お互い向かい合うようにテーブルの前に立って、正面のカヤツリにホシノは座るように促した。おとなしく、カヤツリはホシノの指示に従って席に着く。それを確認してからホシノも腰を下ろした。
「……どうして、向こうの私の方を優先したの?」
「向こうに時間制限があったのと、ホシノが取り乱すと思ったから」
淀みなく、流れるようにカヤツリは答える。その様子を見れば、何かを隠しているとか、誤魔化そうとしているとか。そう言った様子は感じ取れなかった。
ホシノに嘘はついていない。カヤツリは本当に、そう思って行動したのだろう。
けれどホシノの中には嘘をつかれなかったことに嬉しい反面、残念な自分もいた。マトは、出来ないことを人に強要するものじゃないとは言った。ホシノも確かにそう思う。けれど、それでも、自分を選んで欲しかった。
でも、それをカヤツリに言っても困らせるだけだろう。正しいのはカヤツリで、間違っているのはホシノなのだから。どう考えても時間制限がある方を優先するべきではある。それは正しいことだ。
正しい事というのは安心すると。昔カヤツリが言っていた。昔のホシノは分からなかったが、今のホシノはよくわかる。世の中には正解がない。ただ、正しいという答えは世の中では正解の事が多い。それに乗っていると安心するのだ。間違っていないから。
間違っていないなら、嫌なことは起こらない。カヤツリは居なくならないし、ユメ先輩のようにはならない。正しいなら怖くはない。
我儘は間違っていることが多い。だから、我儘というのだろうが。でも、理由があれば言って良いのだ。それは悪いことをした埋め合わせだから。埋め合わせなら何を要求してもいい。埋め合わせは悪いことでは無い。
残念というのはそういう事だ。
「そう。なら……」
いいよ、許してあげる。そう言おうとした口が開かなかった。去り際のテラノの言葉がホシノの脳裏に浮かんだからだ。
未来の自分は、話してみろと言う。これが、他人なら信じなかったし、カヤツリが言っても、それは我儘だから。きっと実行はしなかっただろう。
「……納得できないよ。話してよ。なんで私じゃなかったの?」
言ってしまったと、ホシノは思う。これでは一年前の喧嘩の夜と変わらない。カヤツリも困るだろう。さっき言った以上の理由がある事は知っているのだ。それを言わせても何にもならないのに。
「並行世界とはいえ、あれはホシノだったから」
そうだろうなとホシノは思った。そこまでの信用はしている。どちらもホシノと言う時点で条件は同じだ。そこに時間制限というものがあったテラノに、天秤が傾いたのも理解はできる。
カヤツリはそういう奴だから。なんだかんだ言って公平だ。気分では動かない。あの黒服が仕込んだのだから、それは当然だったのかもしれない。
だから、カヤツリもこれ以上の答えは持ち合わせていないはずだ。ここでホシノがごねても意味がない。テラノは話してくれると言うが、内容が無いなら話すも何もないだろう。
「……それと、怖かったから」
ホシノは困惑した。カヤツリが何かを話すとは思っていなかったのと、答えの意味が良く分からなかったからだ。
「怖いって? 何が? だって、カヤツリの判断は正しいでしょ」
「そうだな。正しいけど。正しいからって、俺にとって正しいわけじゃない。ホシノにとっても」
申し訳なさそうな、悲しそうなそんな声で、カヤツリはホシノに言う。
「順当に考えれば、テラノの方を優先したのは正しいのかもしれない。けど、俺はホシノの方を優先すべきとも思ってたんだよ」
「でも、しなかったじゃない」
「だから、怖かったんだよ」
ホシノの困惑は続いている。意味が分からないのもそうだが、カヤツリがホシノを優先したいと思っていたこともだ。そうしなかったのは怖かったからだと言う。
逆なら分かる。自分は怒るだろうから、でも今回は違う。
「正しい方が安心するって、カヤツリは前に言ってたじゃない。なんで迷うのさ」
「どっちかを選ぶってことは理由をつけて、片方を見捨てるってことだ。今回俺は、私情と正しさを天秤にかけて正しさを取ったんだよ。ホシノを見捨てて、テラノを取った。本当はそうしちゃいけないのに。今までそうやってきたから、そうしたんだよ」
「……いいんじゃないの?」
カヤツリは大きく息を吐いて言う。
「それだと、正しいなら何をやってもいいってことになる。今回ならいいよ。皆に迷惑を掛けるだけで済んだ。あんまりよくはないけど、俺が皆に頭を下げれば終わる」
じゃあさ、とカヤツリは言葉を区切った。
「正しいなら、極論、世界が人一人の犠牲で救われるなら、それでいいのか? それが当たり前だと思うようになったら、俺はいつか気づかないうちに、ホシノや皆を切り捨てるかもしれないのに?」
ホシノは納得した。だから、カヤツリは中々帰ってこなかったし、怖かったと言ったのだ。
「今回はテラノを選んだ。それが正しいから、正しければ怖くないから。でも、選んでからもっと怖くなった。俺は今回、正しいからって理由でホシノを切り捨てたんだよ」
カヤツリは疲れたのか、ホシノを見れなくなったのか下を向く。下を向いたまま言葉を吐き出すのだ。
「俺はホシノが思うほどちゃんとはしてないんだよ。今みたいに機会があるか、理由をつけなきゃ、ホシノに本音すら言えやしないんだから」
ホシノはどきりとした。理由を着けなきゃ本音が言えないなんて、ホシノと同じだからだ。
「前は、そうじゃなかったよ。先輩がそこらへんはフォローしてたし、そんなことを気にする余裕もなかった。借金と砂嵐のこと、後輩のことだけを考えていればよかったんだから。取れる選択肢も多くない。だから、選ぶ必要が無かったし、誰かに選択肢を選ばされていたようなものだったから」
「……そうだね」
ホシノは昔を思いだす。まだユメ先輩が居た頃を。確かに、あの時はそんなことを気にもせずに日々を過ごしていた。
「俺は弱くなったよ。ホシノ。最初から、そんなに強くなかったのかもしれない。今になって余裕ができて、選べるようになったのが怖い。先が分からないのが怖い。未来が怖いよ。選ぶのが怖いよ。選択一つで、この前の調印式みたいになるかもしれない。自分のせいではないのに、他人のせいで。今回は半分以上蚊帳の外だったけど、次もそうだとは限らない」
ホシノは、目の前のカヤツリがとても小さく見えた。またカヤツリは顔を上げた。ホシノは、初めてカヤツリが年相応に見えた。自分と同い年の生徒に。
「だから、テラノを選んだんだ。正しさに固執した。他にも理由はあるけれど、ホシノから逃げ回ったのはこれが理由だよ。自分の欲求に従わなかった。選択する恐怖に負けて、正しさを選んだ。そのくせ、欲求に従わなかったことを後悔している」
カヤツリは一仕事終えた様に、大きく息を吐き出して、椅子の背もたれにもたれかかった。
ホシノは、カヤツリがここまで話す理由に見当がついていた。普段なら、今まで通りに誤魔化しただろうから。それで、どうしようもなくなった時に爆発するのだろう。それがいつだか分からないが。だから、テラノは話せと言ったのだ。
「向こうの私から、何か聞いたでしょ。私の事とか。それに大将にも」
「……そうだよ。ホシノが我儘を言わない理由を聞いたよ。大将にも怒られた。逃げるなってね。……はぁ、前にも似たようなことを言われたのにな」
そう言って、カヤツリは。今日あったことをホシノに話す。黒服の事、ゲヘナでの事、柴関の事。話し終わったカヤツリは萎れてしまっていた。
「私が頼りないせいではないんだね」
確認のためにホシノはカヤツリに聞いた。前はそうだったから。今回もそうなら、ホシノの考えは使えない。
「いいや。ホシノは前とは違うよ。俺が怖くなったんだ。前が平気だったのは、知らなかったから。こんなに楽しくて、嬉しいことがあるなんて知らなかった。それを取り上げられたくないだけだよ」
カヤツリの言うそれに、ホシノは覚えがあった。今のカヤツリが抱えるものは、丁度、一年前のあの夜のホシノが抱えたものだったから。
なら、どうすれば良いかは知っている。カヤツリがやってくれた事を今度は自分がやればいい。
ホシノは萎れているカヤツリに、何を言うか考えた。考えて、自分が何をするべきか考えて、選んだ。
「……今から我儘を言うよ。カヤツリ。これは今日の埋め合わせ。でもね、それは今日で最後にするよ。埋め合わせで我儘を言うのは今日で最後にする」
カヤツリは未来が怖いのだと言う。自分が選んだ選択で悪いことが起きるのが嫌だと言う。今の幸せを失いたくないと。それはホシノもそうだった。理由がなく我儘を、自分の欲求を言って、悪いことが起きるのが嫌だった。
それなら、ホシノができることはこれだ。
「カヤツリも私に我儘を言ってよ。私も言うから。一日一回は、お互いに我儘を言うの。思いつかないなら二人で考えようよ。約束できる?」
未来は分からない。選択の結果、何が起こるのかは分からない。それなら、自分の納得できる結果を選ぶしかないのだ。それが、正しくても、正しくなくても。納得できるなら、ホシノはそれでいい。カヤツリとなら、それでいい。
もう、これはお互いに慣れるしかないだろう。二人で考えて、実行して、積み上げていくのだ。黒服や大将が言ったように。そうすれば怖くないはずだった。
カヤツリは暫く考えて、何かを振り切るように目を瞑った後に口を開いた。
「……分かった。分かったよ。ホシノ。約束する」
「うん。取り消しは効かないからね。はい。指出して」
カヤツリと自分の指で指切りする。
ホシノの全身には、どこか達成感が漲っていた。初めて、カヤツリと決めたことだ。状況に追われてでもなく、選択肢が無かったわけでもない。そうしようと二人で決めた。まずは一つ積み上げたのだから。
これから、毎日何かが積みあがっていくのだろう。そうすればいつか、二人とも怖くなくなる日が来るのかもしれない。
「それで? そろそろ今日が終わるけど、どうする? 明日からにするか?」
カヤツリが早速というように提案してきた。ホシノは明日に回す気は毛頭なかった。今朝、怒りのままに準備したことが役に立つときが来た。そうなるとは微塵も想像していなかったけど。
「じゃあ、そうだね……今日から寝ようか」
「明日からってことだな」
何を勘違いしているのか、カヤツリは自室に向かっていく。ホシノはそそくさと部屋に入って自分のベッドに潜り込んだ。直ぐに、カヤツリがホシノの部屋までやってくる。
「……ホシノ。部屋に布団が無いんだけど」
「必要ないでしょ」
「えっ」
カヤツリの部屋の布団は今朝回収した。もう必要ないからだ。今朝、埋め合わせにと考えていたことを今実践している。冷蔵庫も満タンだ。
「さっき言ったでしょ。”今日から寝る”って、今日から一緒のベッドで寝るんだよ。ずっとね。そもそも、今日は寝かせる気はないし……」
「……明日、登校日だけど」
「ああ、そんなのはいいよ」
「えっ」
固まるカヤツリにホシノは近づいていく。確かに明日は登校日だが問題ない。
「皆には三日くらい休むって言ってあるからね。皆も喜んで了承してくれたよ?」
「今日は火曜日なんだけど……?」
「ああ、そう言えばそうだね。五連休だよカヤツリ。嬉しいね? ゆっくりは休めないと思うけど」
カヤツリの理由も、怖かったことも、今日の選択を後悔したことも分かっている。でも、これはこれ、それはそれだ。ホシノも少しは怒っているのだ。
だから、身に刻んでもらう。カヤツリが誰のモノなのか。もう迷わなくて済むように。
並行世界の自分とは言え、他人を優先したのだ。それが正しいのだとしても、ホシノは嫌だった。これはホシノの我儘だ。
でも、自分の欲求を我慢しないで、それを理由に行動していいのだから。今日から、それは始まったのだから。だから、ホシノは自分のタガを外した。
「ほら、捕まえたよ。カヤツリ。ここは寒いからね。一緒の布団でぬくぬくしようね」
カヤツリの手を取って、ベッドまで引きずり込む。冷たい布団が二人の体温で暖かくなっていく。
「ホシノ。俺の分の我儘を言ってない」
「……そうだね。言ってみなよ」
そういえばそうだったとホシノは思い出す。
カヤツリの我儘とは何だろうかと期待する気持ちもあるが、大概の予想はついている。布団を出せとかそういうのだろう。それなら、ホシノが布団に侵入するだけだ。
「今度、一緒に買い物に行こう」
「……うん。分かった。じゃあ、日曜日ね」
「えっ」
ホシノの機嫌は急上昇している。カヤツリの身体に抱き着いて息を吸う。カヤツリはホシノの返答に固まっているようだった。でも最初から、そのつもりだったのか全身の力を抜いて、ホシノを抱きしめ返す。
「そうだよ。こうやって積み上げていこうね。カヤツリ」
二人で積み上げたものは、さっきは一つ目だった。なら、今度は二つ目だ。これも、ある意味共同作業だから、これが一つ目なのかもしれない。
カヤツリが怖いというのなら、怖くなくなるまで積み上げるだけだ。丁度ホシノも怖いのだから。いつかは怖くなくなるだろう。さっきも思ったけれど、そんな日がいつかはやって来る。
でもまあ、少なくとも、この五日間は怖くないだろうなと。ホシノは思う。きっとカヤツリもそのはずだった。
さっきのホシノの言葉に、そうだと言うように、カヤツリの腕の力が強くなる。それを感じて、ホシノは微笑んだ。