ホシノ同級生相棒概念   作:洞鼬

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108話 知っているようで、知らなかったこと

 女心と秋の空という言葉がある。

 

 意味としては、女性の感情が変化しやすい事を、天候の変わりやすい秋の空に例えた事かららしい。アビドスでは実感しづらいことだけれど。

 

 元々は、男心で、男が浮気性みたいな意味だったらしいが、秋にもまだ早いことでもあるし、自分には無縁の話だとカヤツリは思っている。

 

 端的に言えば、ホシノの機嫌が良い。それも、これ以上無い程に。こんなに機嫌が良いホシノは、はっきり言って見たことが無い。

 

 これが、先週ならまだ話は早かった。先週は、まあ色々と乱れていたから。気づいて我に返った後に、やらかしたことに対して二人で青い顔になったのはよく覚えている。

 

 実際、先週も確かに機嫌が良かった。ずっと、うへうへ言っていたくらいだから、それなりに上機嫌ではあった。

 

 ただ、今週に入ってからは、どこか妙だった。

 

 だから、登校中の朝のアビドス校舎に向かって歩いている今。その理由を色々と考えている。

 

 

「どうしたの?」

 

 

 じろじろと自分を見る視線に気がついたのか、隣を一緒に歩くホシノが話しかけてくる。別に怒っているとか、無表情だとか、そういう事ではない。むしろ、機嫌が良さそうにニコニコ笑っている。

 

 

「機嫌が良さそうだと思って」

 

 

 カヤツリは何ともなしにそう答える。嘘をつく趣味は無いし、ついたところで見抜かれる。これは最近のことでは無く、少し前からだ。それに、そんな愚を犯さない程度の頭は持ち合わせている。

 

 カヤツリの答えに、ホシノは当然と言うように答えた。

 

 

「まあ、そうだね。良い方じゃないかな」

 

「良い方?」

 

「うん。良い方」

 

 

 なんだかカヤツリはもやもやしている。別に隠し事をしているわけではなさそうだし、機嫌が良いのは良いことだ。ただ、なんだか気にくわない。ホシノの機嫌が良いことでは無く、理由が分からないことと、どうにも機嫌の良さの種類が違うこと。それが分からない自分にイライラする。

 

 

「ほら、そんな難しい顔してないでさ。カヤツリの手を貸してよ」

 

「手を? 手伝って欲しいってことか?」

 

 

 今はさっきも言ったように登校中だ。ホシノが手伝って欲しいことなど見当もつかない。

 

 混乱するカヤツリに対して、”違うよ”とホシノは言う。

 

 

「こうするんだよ」

 

 

 ぎゅむりとホシノがカヤツリの手を握る。手を握るくらいは前にも何回もしたことがあるが、今回のは全く違った。

 

 カヤツリの指と指の間に、ホシノの指が入り込んでいる。そのままホシノは手を、カヤツリの手を包み込むように握りこんだ。

 

 いわゆる、恋人つなぎという奴だった。

 

 あまりの事態に機能停止するカヤツリに、ホシノはまた畳みかけてくる。

 

 

「へぇ、こういう感じなんだ。あったかくて、結構いいもんだね。……あれ? 握らないの? 別にいいよ?」

 

 

 どう答えていいか分からないカヤツリは、ホシノの提案のままに、同じようにホシノの手を握りこむ。

 

 なんだか、自分の手とは違ってとても軟らかい。同じように握っているはずなのに、自分の手とは違って、むにむにとした感触だ。このまま続けていれば、なんだか癖になりそうだった。

 

 

「うへへ。カヤツリも気に入ってくれたみたいだし、このまま校舎まで行こうか」

 

 

 そのまま、手つなぎ状態で二人は校舎まで歩く。ホシノは自分で言ったとおりに、機嫌が良さそうな様子で歩いている。反対にカヤツリは心臓が暴れているし、訳が分からないしで落ち着かない。

 

 今週から、ずっとこんな感じなのだ。以前とは違う。受け身どころか、グイグイ来るようになっている。

 

 今日は手つなぎだったが、昨日はパトロールのせいで眠かったのか、”おんぶして”と要求された。特に断る理由もないので、快く了承したのだが大変だった。

 

 体勢上、ホシノの声がカヤツリの耳元に直接届く形になる。そのせいで登校中は、ずっとホシノに囁かれている感じになり、カヤツリは色々と限界だったのだ。

 

 一昨日など、”行ってきますのハグは?”などと宣うし、カヤツリにはホシノの意図が分からなかった。

 

 

「そんなに気に入ったの?」

 

「え? 何が……」

 

 

 嬉しそうにホシノが聞いてくるので聞き返すと、ホシノは心底愉快そうな顔で言うのだ。

 

 

「いや、さっきからさ。ずっと私の手をにぎにぎしてるから。気に入ったのかなって」

 

「……あーっと……」

 

 

 どうも、無意識にホシノの手の感触に夢中になっていたらしかった。羞恥でカヤツリは自分の顔が熱くなる。

 

 

「いいよ、いいよ、そんなに恥ずかしがらなくても。他に誰もいないし私も楽しむからさ」

 

 

 そんな事を言って、ホシノもカヤツリの手をぐにぐにと握り始めた。カヤツリの手はホシノのモノほど柔らかくはないと思うのだが、ホシノは何が楽しいのか、笑顔でそれを続けている。

 

 今の状況は、お互い恋人つなぎで、手の感触を楽しみながら登校している。傍から見れば、そんな変なことはしていないと思うのだが。なんだかいけないことをしているような気分になってきていた。どうにも、ホシノの手を握る手が止めらない。

 

 嫌という訳ではないが、どうにも違和感が付きまとう。以前も切っ掛けさえあればグイグイ来ることはあった。

 

 けれど、その時は表では憚られるような要求が多く、勢いに任せたものが多かったように思う。場所も家の中とか、そういう事が多かった。

 

 最近は全く違う。

 

 今みたいに自然に言ってくるし、内容もそれほど過激ではないような気がする。カヤツリの感覚が段々と麻痺しているのかもしれない。

 

 

「まだ、難しい顔してるね」

 

「そうかもな」

 

 

 ホシノの言葉を了承しつつも、そこから先は答えない。もう少しだけ自分で考えたかったのだ。聞けば教えてくれるだろうが、それはなんだか違う感じがする。聞くにしても、ある程度は自分で考えてからでないと失礼だと思うのだ。

 

 

「また、変なことで悩んでそうだね」

 

「……」

 

「うへ、図星って顔だ。おじさんの勘も捨てたもんじゃないでしょ?」

 

「凄いな。そんなに分かりやすいか?」

 

「いや? 私以外には分からないと思うよ? やっぱり、カヤツリはそこらへん上手いからさ」

 

 

 相変わらずの笑顔でホシノは追撃してくるが、それ以上は追及してこない。これもそうだ。

 

 以前は、しつこく追及してきたのに。それすらなくなっている。何処か余裕があるのだ。その理由も分からない。ある程度の推測は立てられるが、どうにも根拠が薄い。

 

 

「そろそろ着くし、皆の前では程々にしときなよ? 今は私しか分からないけど、ずっとそんな顔してたら、皆が心配するからね。それに、折角一緒に登校してるんだし、もっと話とかしようよ。それは今じゃなきゃできない事?」

 

 

 こうまで言われてしまえば、もう敵わない。おとなしくカヤツリは従うしかない。

 

 

「分かった」

 

「うんうん。素直なカヤツリは、おじさんは好きだな」

 

「いつも素直だと思うけど」

 

 

 少しの反撃として、ホシノをチクリと刺す。やっぱりというべきか、今のホシノには効いていないようだった。お返しのカウンターが飛んでくる。

 

 

「え~、そうかな。確かに先週のカヤツリは素直だったけど。いつも、あれだけ素直だと私も嬉しいんだけどねぇ」

 

「うっ」

 

「まあ他の人の前では、それでいいよ。他の人の前でも、そうだったら嫌だしね」

 

 

 そのことを持ちだすのは反則だろうと思う。恨みがましい目を向けると、ホシノは”ごめんね”と謝るが、どうせ口先だけだ。そんな雰囲気がする。また、適当な時に蒸し返してくるのが嫌でも分かった。

 

 それに、他の人の前ではというのも、なにかホシノだけに分かっている何かがあるようで、それが分からない自分に腹が立つ。

 

 それをホシノも感じているのか、カヤツリに向かって言葉を掛ける。

 

 

「そろそろ、校舎に着くからさ。その顔を何とかしなよ」

 

「うん。どう?」

 

「ダメだね。まだ難しい顔をしてるよ」

 

 

 自分では上出来だと思うのだが、ホシノの目から見たらダメらしい。しばらく空中に向かって百面相を繰り出すも、ホシノからの合格は出なかった。

 

 とうとう、しびれを切らしたのか。ホシノがため息をつく。

 

 

「ほら、カヤツリ。こっち向いて」

 

 

 ホシノがつないだ手を引っ張って催促する。ホシノの方に身体ごと向き直る。まだ足りないのか、追加の指示が飛んでくる。

 

 

「ちょっとしゃがんで」

 

 

 ホシノが何をするつもりか、大体ここで予測がついたが抵抗はしない。する意味もない。

 

 

「……ん。これでいいよ」

 

「どこか変わったのか?」

 

「うん。すごくね。おじさんから見たらそうなんだよ。カヤツリだって、分かってるでしょ」

 

 

 ”私と同じような顔してるんだしさ”と、少し赤くなった顔でホシノは言った。

 

 

 □

 

 

「それで、行ったんですか?」

 

 

 午前の対策会議が終わって、荷物の整理をしているカヤツリに向かって、ノノミが問いかけた。

 

 今、ここにはノノミとカヤツリしかいない。ホシノはシロコに勝負をせがまれて何処かに行ったし、セリカとアヤネの一年組は外に出ている。もしかしたら、柴関にでも行っているのかもしれない。校庭の方から銃声も聞こえる。

 

 この状況に、何か作為的なものを感じつつもカヤツリは回答する。

 

 

「行った。店を折角教えてもらったのに、行かないのはどうなんだって思うだろ」

 

「うーん。まあ、そうですね。でも、結構したんじゃないですか?」

 

 

 あの店で見た値札の桁を思い出して、カヤツリは身震いした。結構どころの話では無い。たかだか金属の輪っかに、あそこまでの値段がつくのはおかしい。石ころがつけばもっとだ。でも、そういう物なのだから仕方がないのかもしれない。

 

 少し冷や汗を流したカヤツリを見て、ノノミは察したらしかった。荷物を持って、席に座り直したカヤツリに再度質問をしてくる。

 

 

「二人で行ったんですか?」

 

「……そうだけど?」

 

 

 何かマズかったのかと、カヤツリは心配になったが、ノノミは両手を振って否定する。

 

 

「違いますよ。カヤツリ先輩なら、一人でサプライズしそうだなって……」

 

「しないよ。そんな事は」

 

 

 一人で選んで何の意味があると言うのか。あれは、契約の証であるという。証としてはあの紙があるけれど、どうにも世間では違うようだ。世間では、あれが証なのだと言う。

 

 契約の証を一人で買いに行って何になると言うのだろう。契約は一人では結べない。二人以上で結ぶものだ。それを一人で用意するというのは独りよがりなのではないかとカヤツリは思っていた。

 

 

「おおー。言いますねぇ。私も、あのお店を教えた甲斐があります」

 

「それは感謝してるよ。急にメールで聞いたのに答えてくれるんだもんな」

 

「いえいえ。カヤツリ先輩が私に頼るのは珍しいですから、張り切っちゃいました」

 

「値段もかなり張り切ってたな……」

 

 

 まあ、お嬢様であるノノミが知っている店だ。それなりの店だと覚悟していたが、本当にあれだった。しばらくはカヤツリ自身の贅沢はできないだろう。

 

 

「だから、ホシノ先輩の機嫌が良いんですねぇ」

 

「やっぱり?」

 

「はい、分かりますよ。カヤツリ先輩も分かりますよね?」

 

「うん」

 

 

 ニコニコとした顔で、ノノミがまるで自分の事のように喜んでいる。もしかしたら、ノノミに聞けば、分かるのかもしれない。ホシノの機嫌の良さの違いが。

 

 

「ノノミ後輩」

 

「はい。何ですか?」

 

 

 ”教えて欲しいことがあるんだけど”そう言おうとして、カヤツリは口を噤んだ。

 

 

「いや、何でもない。忘れてくれ」

 

 

 カヤツリの奇行にノノミは訝しげな顔をするが、何も聞き返さない。その対応はカヤツリにとっては、ありがたいものだった。

 

 

「その方が良いと思いますよ?」

 

「……そうだな」

 

 

 しばらく、沈黙が続いた後にノノミが、そう口を開いた。言われるまでもなく、カヤツリには分かっていたし、ノノミもその前提で聞いていそうだった。

 

 

「もしかしてだけど、シロコを焚きつけたりした?」

 

「ふふっ。どうでしょう? シロコちゃんも、そういう気分だったのかもしれないですよ?」

 

「そういう事にしとくよ」

 

 

 そう言って、カヤツリは席から立ち上がる。銃声が止んだし、ホシノは屋上に来そうだったからだ。シロコは部室に戻って、そこをノノミが何とかするのだろう。

 

 

「じゃあ、また。ノノミ後輩」

 

「上手く聞けると良いですね」

 

 

 カヤツリは屋上に向かって足を進める。もしかしたら、ノノミは全部お見通しなのかもしれないと思いながら。

 

 

 □

 

 

「うーん。シロコちゃんも強くなったねぇ。そろそろ、おじさんも追い抜かれちゃうかな」

 

 

 屋上で弁当を突きながら、ホシノがそう独り言ちる。カヤツリは胡乱な目でそんなホシノを見た。

 

 

「余裕であしらった癖に、良く言うよ。小奇麗なもんじゃないか」

 

 

 どうみても制服は汚れていない。精々が砂ぼこりくらいだろう。きっとシロコはまともに近づけなかったに違いない。

 

 

「いや、私がシロコちゃんに近づかれたら負けちゃうから。最近のシロコちゃんは足癖が悪いからね。誰のせいかは知らないけど」

 

「ふーん。悪い奴もいたもんだな」

 

 

 じいっとホシノはカヤツリを見る。どうやら犯人の目星は着いているようだった。別に悪いことでは無いけれど、カヤツリはついっと目をそらす。

 

 話題が尽きて、お互いに弁当を無言で食べる。普段はこの沈黙は嫌いでは無かったが、今日は別だった。

 

 

「ホシノ。ちょっと良いか?」

 

「良いけど? 何? 改まっちゃって」

 

 

 ホシノが食べ終わるのを待って、カヤツリは声を掛けた。ホシノも、それは感づいていたようで、あっさりと了承した。

 

 

「最近変じゃないか? ホシノの様子が」

 

「……どう違うって言うのさ? 私は特に変えたつもりは無いんだけど」

 

 

 嘘だ。と思いつつも、先週からの違和感をホシノに伝える。朝に難しい顔をしていた理由も。

 

 それを聞いたホシノはポカンとした顔をした後に、何がおかしいのかクスクス笑い出した。

 

 

「何がおかしいんだ」

 

 

 割と真剣に悩んでいたカヤツリは少し不満だった。それに対してホシノは笑いを噛み殺して答える。

 

 

「……いやね、嬉しくて。いや本当に長かったよ」

 

 

 なんだか嫌な予感がした。ホシノを見れば微笑んでいるが、その奥には微笑みだけではない何かがあるのを感じる。

 

 

「そうだね。カヤツリの言ってることは正しいよ。先週と今週じゃあ、ちょっと違うね」

 

「なんで?」

 

「ああ、そこが気になるんだ? 別に大したことじゃないよ?」

 

 

 大したことじゃなくても、カヤツリにとっては重要なのだ。そのせいで妙に落ち着かないのだから。そんなカヤツリの様子を見て、ホシノはどこか嬉しそうだった。

 

 

「先週は、ほら。五連休のあれがあったし、カヤツリが良いものをくれたからね。今も私の首に掛かってるし、カヤツリもそうでしょ?」

 

 

 ホシノは首のチェーンを弄びながら、本当に嬉しそうに言う。カヤツリは、お礼を言うホシノに嬉しく思いつつも、ホシノに続きを促した。

 

 

「そんな急かさないでよ。えーと、今週だっけ? もう、焦らなくていいからだよ?」

 

「焦らなくてもいい?」

 

「うん。焦らなくてもいいから、がっつかないの。そういうのは、しばらくはいいかなって」

 

「先週ので満足したからってことか?」

 

「半分合ってて、半分間違ってるよ」

 

 

 ホシノの気持ちが分からない。また、もやもやが再燃してきていた。ホシノは何ともない顔でカヤツリに聞いてきた。

 

 

「何で、カヤツリはさ。そんなに、もやもやしてるんだと思う?」

 

「分からないから?」

 

「そういうところはカヤツリ可愛いよね。多分、これまでは必要なかったし知らないからだと思うんだけど。黒服もこういうのは教えないだろうしね」

 

「さっさと教えてくれ」

 

 

 なんだか、ホシノに揶揄われるのは慣れない。どうにもならない自分の内心を何とかしたくて、カヤツリは答えを急かす。

 

 勿体ぶって答えを渋るかと思っていたのに。ホシノはあっさりと答えを言った。

 

 

「嫉妬してるんだよ。カヤツリは、私の機嫌が良い理由が分からないから、もやもやしてるんじゃなくて。自分以外の理由で喜んでるんじゃないかって、そうだったら嫌だなって思ってるんだよ」

 

「……いや、そんなはずは……」

 

「でも、前はそんなことなかったよね?」

 

 

 確かにそうではあるが、むしろ前は何で平気だったのかが分からない。どうにも自分が分からない。前は、ホシノの対応に悩むことはあったけれど、こんなことは初めてだ。

 

 

「今カヤツリが、そうなっているのはね。ほら、もう一人の私が来た時だよ。あの時に、あの夜に、私に弱音を吐いたでしょ。そのせいだよ。そのせいで、カヤツリは一時期の私みたいになってるの」

 

「……どの時期の?」

 

 

 一時期の私とホシノは言うけれど、カヤツリにはどの時期か見当もつかない。少なくともホシノみたいに進退窮まって暴れ出してはいない。自分で口に出しておいて、そのことを思い出したのか。ホシノはバツの悪い顔になる。

 

 

「ほら、二年のあの時。カヤツリをボコボコにした時の」

 

「ええ? あそこまでじゃないと思うんだけど」

 

「まだ、理性が効いてるからね」

 

 

 そんな、恐ろしいことをホシノはポツリと言う。そんな事は無いと言おうとして、ホシノはそれを遮るように言い放つ。

 

 

「だって、もう自分がコントロールできてないんじゃない? だから、朝あんな風にさ。難しい顔をしてたんだよ」

 

「じゃあ、俺がホシノみたいに暴れ出すってことか? そんな事にはならないだろ」

 

「それはそうだよ。カヤツリは私じゃないんだからね。ただ、抱え込みはするんじゃないかな。この前みたいにね」

 

 

 きっと、ついこの前の事を言っているのだろう。正しいことに固執して、未来が怖いとホシノに零したあの夜の事を。ただ、ホシノの話がカヤツリの中では繋がらない。

 

 半分は合っているのだと言う。焦らないというのは、先週の件で満足したのもあるのだろう。それが半分。じゃあ、残り半分は何なのだろうか。

 

 それについては、ホシノは笑顔で答えた。

 

 

「カヤツリが、私とおんなじになってくれたからね。だから、私はもう焦らなくていいの。ゆっくりと進めていけばいいからね」

 

 

 何だか、ホシノの言葉選びにカヤツリの背筋が寒くなった。それに気づいていないのか、そうなのかは知らないが、ホシノは言う。

 

 

「前のカヤツリが平気だったのはね。余裕があったんだよ。”助けてくれ”って、あの夜に私に言ったよね。あれももちろん嬉しかったし、カヤツリも弱みを見せたとは思うんだけど、全部じゃないよね。まだ、私に対しては全部晒したわけじゃないんだよ。その時のカヤツリは、まだ知っていることばかりだったから」

 

「……知っていることばかりっていうのは?」

 

 

 確かに、そうなら、あの時に全部晒したというのなら、カヤツリはこの前の事で逃げなかったであろうから。知っているというのはよくわからない。

 

 

「だからね。カヤツリは付き合うっていうのを、今までの延長線上だと思ってなかった? これまでの生活が、私との関係がずうっと続くだけだって。今までと同じように過ごしていけると思ってたでしょ。心のどこかではさ」

 

「……」

 

 

 図星を刺されてカヤツリは黙り込む。それは、今から思えば失礼な話だったからだ。ホシノは頷きつつも話を続ける。

 

 

「でも、そうじゃないんだよ。ずっと一緒に居るってことはね。お互い見たくない所を見ることもあるし、見せなきゃいけない事もあるんだよ。私はこうなる前からさ、失点続きだったから、昔はともかく今更何とも思わないけどさ。カヤツリは違うよね。この前のが初めてだったんじゃない? 私に対して、自分を晒したのはさ」

 

 

 謳うように、犯人を追い詰める探偵のように、ホシノは話す。さっきから、自分の気がついていないことばかりを指摘されて、カヤツリは思考が追い付かない。

 

 

「恥ずかしいし、嫌だし、情けないし、そしてなによりも怖かったでしょ。今の関係が壊れるかもしれないなんて思ったでしょ。それは、私も通った道なんだよ。だから逃げないように、あんなことをしたんだし」

 

 

 だから、ホシノはあの時に落ち着いていたのだ。自分がかつて通った道だったから。あの時のカヤツリが使った方法を使ったのだ。過去の自分が使った方法だけあって効果は覿面だった。

 

 

「おんなじになってくれたって言うのは、そういう事だよ。お互いに知らない事ばっかりで、カヤツリにとっては初めてだもの。怖くてたまらないよね。やっと私と同じステージにまで降りてきてくれたから」

 

 

 ぽつぽつと、ホシノは想いを呟いている。笑顔のまんまで、こんなことを言うのだ。

 

 

「だから私は、もう焦らなくていいんだよ。もうカヤツリは、どこにも行けないんだから。どこかに行こうなんて思えない。私と一緒に居るのが、何より大事に思えるようになったから。弱みを見せても、それでも一緒に居たいって、そう思ってくれてるってことだから」

 

 

 だから、嫉妬するんだよ。そうホシノは言う。

 

 

「カヤツリは今の今まで、私に弱みを見せなかった。だから幻滅されないか不安になったでしょ。理由が分からないことに理由が欲しくなった。もう、弱みを晒したカヤツリに自信は残っていないから。その自信はね。この前も言ったけど、お互いに積み上げていくことでしかつけられないんだよ」

 

 

 これで、もう分かったんじゃない? そう告げて、ホシノは満面の笑みでカヤツリをみつめた。

 

 納得だった。

 

 カヤツリは、この前のテラノの件まで、どこか驕っていたのだろう。ホシノが何処かに行くわけがないなんて。そうならない自分しか見せていないから。

 

 弱い自分は恥ずかしいものだから。それを見せると言う事は自分にとっては情けない。だから、あの時逃げ回ったし、ホシノも、一年前のあの夜に暴れたのだろう。

 

 そのせいで、カヤツリは嫉妬したのだろうし。その段階を通り過ぎて、経験して知っているホシノは余裕綽々だった。

 

 だから、ホシノは安心しているのだ。カヤツリの抱いているこの気持ちを知っているという事は、さっきもホシノが言ったとおりに離れられないと言う事だから。なら、もう焦る必要はない。あとは、ゆっくり積み上げるだけだ。今週からの、朝のあれこれはそういう事なのだろう。

 

 もう、大丈夫だと、ホシノは確信したからだ。

 

 前まであった必死さや怯えが無い。だから、ホシノは安心して、やりたいことをやっているのだ。

 

 どおりで今までとは違うはずだ。

 

 

「どう、カヤツリ。安心した?」

 

「安心したよ。これ以上ないほどに」

 

 

 相変わらずの満面の笑みのホシノに、カヤツリは両手を挙げて降参した。もやもやはもう消え去っていた。たぶん、しばらくは湧かないだろうなという確信があった。カヤツリの完敗だ。

 

 

「じゃあ、今日の我儘と行こうかな。ほら、片付けが終わったら向こうに行こうよ」

 

 

 ホシノは屋上の一角を指さした。あそこはホシノのお昼寝ゾーンだ。マットと掛け布団が敷いてある。

 

 つまりは、”一緒に寝ようよ”という事だ。まだ、午後の対策会議までは時間がある。一時間くらいなら、夜にも差し障らないはずだった。

 

 何より、カヤツリも眠りたかった。さっきの問答でなんだか安心したからだ。

 

 弁当を片付けて、歯を磨いて。二人で布団に潜る。なんだか、何回もしている事なのに、今日はなんだかよく眠れそうな気がする。

 

 

 ──また一つ積みあがったね。カヤツリ。

 

 

 薄れる意識の中で、ホシノの、そんな言葉が聞こえた気がした。

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