ホシノ同級生相棒概念 作:洞鼬
「全く……厄介な置き土産を残してくれたものです」
薄暗い会議室で。そう、自分の席についている黒服は呟いた。呟きのままに、離れたところにある席の一つをみつめる。
その席は空席だ。正確には、ついさっき空席になった。
「しかし、メンバーが居なくなると言うのは……慣れませんね」
「あの自らの野望に対する真摯さだけは、尊敬に値したがな」
「そういうこった!」
デカルコマニーとゴルコンダ、マエストロも、その空席を見て、感傷に浸っているようだった。
空席はマダム──ベアトリーチェの席だ。
黒服はついさっきまでの、ベアトリーチェとの会議を思い出す。
会議自体は、ゲマトリアの現状を確認するもので、定期的に行われる定例会議のようなものだ。
会議が進むにつれ、黒服たちが想定していた現状とは大きく乖離していることが明らかになっていった。シャーレの設立、キヴォトス最高の神秘の確保の失敗、アリウス自治区の喪失、無名の司祭の復活の兆し、箱舟の顕現、デカグラマトンの死。想定通りに行かないというのは当たり前のことだが、いずれにしても想定外の事態が多すぎた。
原因ははっきりと分かっていた。先生だ。先生と黒服たちは分かり合えない以上、衝突するのは当たり前の話ではある。そのことに関して、マエストロは気にしておらず、ゴルコンダはまだ様子見といった段階、もちろん黒服も先生と敵対する気は毛頭なかった。
しかし、ベアトリーチェだけは違った。彼女の役回りは先生の敵対者だ。自分の計画を先生に、全て叩き潰された。それを考えれば、当然の話だったのかもしれない。
先生との敵対を避ける黒服たち四人に対して、彼女は全ての問題を解決する解があると言い、こう言い放ったのだ。
──色彩は既に此処を発見しております。正確には私が伝えました。色彩は今、ここキヴォトスに向かっております。
確かに、その手段なら全てを解決できるだろうが、キヴォトスは崩壊する。それは暴挙だった。自分の部屋に害虫が出たから、家ごと火をつけると言った類の。おおよそ正気の判断ではない。
だから、黒服たちは彼女を、ゲマトリアとこの世界から追放することにした。前回の会議の際の準備が役に立ち、色彩の力を手に入れたと豪語するベアトリーチェをキヴォトスの外へと放り出した。
もちろん彼女は抵抗したが、対処する相手が分かっている時のゴルコンダは無法だ。完全に彼女はゴルコンダのテクストに色彩の力を抑え込まれ、断末魔を上げながら、外へと落ちて行った。
しかし問題が解決したわけでは無い。色彩が目印にしていたベアトリーチェは取り除いたが、もはや手遅れだろう。色彩はもう、彼女を起点として、ここを見つけてしまった。置き土産と言ったのはそういう意味だった。
「過ぎたことは仕方がありません。我々は我々のすべきことをしましょう」
首を振りつつも、黒服は会議を進行することにした。ここで感傷に浸っていても何もならない、最悪の事態が避けられないとしてもやれることはやるべきだからだ。
他の三人も同意なようで、自らの領分の研究成果をつらつらと述べていく。
「複製で完成された”聖徒の交わり”は一期。アンブロジウスは失敗、グレゴリオはまだ準備が終わっていない。成果はヒエロニムスと、戒律の守護者たちのみ」
「怪談の無限図書館もまだ始まったばかり。アミューズパークのマジシャンもまだ時間が必要そうですね……」
「デカグラマトンの預言者はビナー、ケセド、ホドの三つを確保しました。しかし、デカグラマトンは死を選んだ。これが最善という事でしょうか……」
黒服は自分たちが手に入れた研究成果を確認して、おもむろに呟く。
「まだ探究すべき事象が数えきれない程にあると言うのに……残念ながら、それほど時間がありませんね……」
その呟きにゴルコンダもマエストロも無言で返す。きっと彼らの想いも同じだと黒服には分かっていた。そのためにも、自身の探究を後回しにしてでも、やらなければいけないことが沢山ある。
「今も迫る色彩に、復活間近の無名の司祭。今すぐに、という訳ではないですが。備えておかなければなりません」
黒服の言葉に、残念そうに、ゴルコンダが小さく言葉を漏らす。
「キヴォトス中の、数多の神秘が消えていくのですね……」
「全て、とはいかないだろうが……多少の犠牲は仕方あるまい」
幾ら黒服とはいえ、色彩が相手だ。先ほどのベアトリーチェとは違い、こちらも無傷という訳にはいかない。少なからずキヴォトスに被害は出るだろう。しかもそれは全てが上手くいった場合の話だ。失敗してキヴォトスが滅ぶ可能性も大いに在り得る。
しかし、それは今までも数えきれない程に経験したことだ。さっさと切り替えて前に進む。感傷に浸るのは後でも出来るのだから。
「その神秘の明滅も、我々の探究であったとしましょう……おや?」
空目かと思ったがそうではないようだ。黒服はベアトリーチェの席に突如として現れた空間の亀裂を見て、驚きの声を上げた。
その場の全員に、ある想像が頭をよぎる。ベアトリーチェが戻ってこようとしているのではないかという想像だ。彼女の気性の激しさからして、できるならそうしてもおかしくは無かった。
どうなのかと黒服とマエストロはゴルコンダを見る。
「いえ、ありえません。目印があるならいざ知らず、藁山で一つの針を見つけるようなものです。こんな短時間では……」
ゴルコンダが否定するが、それを無視して、亀裂は徐々に広がっていく。亀裂の向こう側には、先ほどベアトリーチェが落ちて行ったような暗闇が見て取れる。
「貴女は……」
そこから現れた人物を見て、思わず黒服は言葉を漏らした。接点はないが、こちらが一方的に知っている人物だったからだ。アビドスの砂狼シロコ。彼女が亀裂の中から足を踏み出して、ここへと降り立つ。
彼女はぐるりと辺りを見渡して、黒服やマエストロ、ゴルコンダ、デカルコマニーを一瞥した。
どうにも様子がおかしいと、黒服は訝しむ。記憶と比較して背格好がかなり大きく、髪も腰まで伸びている。着ている服もアビドスの制服ではなく、黒いドレスだ。それに一番は纏う雰囲気だった。
怒っているとか、嬉しそうとか、そういう次元の話では無い。濃密な、尋常のものではない、何か良くない気配が彼女からはっきりと感じ取れた。
「……」
無言でジャキリと、彼女はゴルコンダとデカルコマニーに銃を突きつけ発砲した。銃口から吐き出された銃弾が彼らを襲う。
黒服は慌てるそぶりもなく、それを見ていた。
とっさの事態に反応できなかったのではなく、そうする必要を感じなかったからだ。何故なら、デカルコマニーは不死で、ゴルコンダにしても銃弾程度に対する対抗措置はとっている。
しかし銃弾はデカルコマニーとゴルコンダに弾かれることもなく、そのまま彼らを貫いた。ゴルコンダは額縁ごとハチの巣になり、デカルコマニーは彼を取り落として倒れた。
「……何だ? あれは……」
ゲマトリアへの襲撃という想定外の事態に、マエストロが身体を軋ませて反応する。彼女はすぐさま、マエストロへも発砲した。先ほどと同様に、マエストロの身体を銃弾が貫き、彼は動かなくなった。
ここまで来て、ようやく黒服は悟った。時間が残されていないどころではなく、もう時間切れだったのだ。
「色彩は既に、名もなき神と接触した後でしたか……これは完全に私の不手際です」
返答代わりに銃弾が飛んできて、黒服の身体を貫いていく。自分の身体の亀裂が広がっていくのを黒服は感じるが、思考と言葉は止まらなかった。
「嗚呼……狼の神の裏側は、そう言う事だったのですね。命ある全てを常世へと導く
それなら、デカルコマニーやゴルコンダが抵抗できなかったのも納得がいった。さっきから感じる、この嫌な気配の正体も。これは死の気配だ。生あるものが忌避する死。そのものが露出している。嫌な気分にもなろうというモノだ。
「それが貴女の神秘の裏側。恐怖であったと……」
砂狼シロコの神秘の正体には見当をつけていた。だから、彼女は二の矢だった。アヌビスも強大ではあるが、神秘の正体を探ると言った点では、ホルスやセトには劣る。けれど、今となっては話は別だ。キヴォトスを滅ぼすのなら、死の神だという彼女以外には適任も居ない。
つかつかと足音を響かせて彼女──アヌビスは近づいて、黒服に銃を突きつける。今の黒服には、さっきは見えなかった彼女の目が良く見えた。
「クックック……私に何か思うところでもおありで?」
憎悪だ。アヌビスの目には、確かな憎悪を感じた。彼女は興味本位の黒服の質問には答えずに、引き金に指を掛けた。
しかし、発砲はせず、急に自らの背後へと振り返った。視線の先を見れば、彼女が出てきた亀裂が再出現していた。黒服の目にはさっきと変わらないように見えるが、彼女にとってはそうではないらしい。信じられないとでもいうように短く呟く。
「……嘘。どうやってここまで……」
亀裂から手が伸びてきた。手というには大仰で、禍々しいそれは、亀裂の端をしっかりと掴む。次に亀裂の下側にも足であろうそれが掛かる。そのまま、メリメリと亀裂を押し広げて。それは、ここへと降り立った。
大きい。黒服が見てまず思ったのはそれだ。自分の背丈の二倍はあるだろう。手足や顔を含む全身は、豪奢な金属の鎧か何かですっぽり覆われていて、背中には、これまた大きな金属の翼と、前後には帯のような帝王然としたマントがたなびいている。
大きい猛禽のような爪が目立つ手足に、身の丈ほどの機械的な長い錫のような物を持ち。鳥のような、鼻の長い獣にも見える兜の上には、王冠のような飾りと、その頭上のヘイローの気配がやけに目立っていた。
「邪魔しないで……!」
アヌビスは現れたそれへ、銃弾を浴びせる。それの身体に銃弾が突き刺さるが、気にした様子もない。
手ごたえが無いことは分かっているのか、アヌビスはドローンを複数展開する。ドローンから大量のグレネード弾が発射された。
それは落ち着いて、邪魔だと言うように、広げた翼で一度羽ばたく。嵐のような風が室内に吹き荒れて、机や椅子、向かってくるグレネード弾を巻き込んで、アヌビスの方へと叩きつけた。
「あれは……まさか……!」
出てきた時と同じように亀裂を出現させ、回避と同時に、それの後方から襲い掛かるアヌビスを見て、黒服はどこか興奮している自分がいる事に気がついた。今ふと気がついたこれはまだ推測だ。これを確かめるには、ここから離脱して、少なくともマエストロを救出しなくてはならない。
しかし、今の黒服にはできる事はそう多くない。身体は崩壊寸前だし、この戦闘に割って入れるほどの力はない。ただ身をすくめて嵐が過ぎ去るのを待つしかない。
それでも、黒服の興奮は止まらない。見ているだけで、好奇心が湧き出てくる。
途中乱入したそれと、アヌビスの戦闘は膠着していた。アヌビスが果敢に攻撃を仕掛けても、それには大して効いていないし、気にもしていないように見える。あの重装備だから並みの弾丸は通らないだろうが、彼女には権能があるはずだ。おそらくは、触れたものを死へと誘う類のものが。
黒服には何か思惑があるのか、普通の攻撃だったが。デカルコマニーの様子を見る限りは、それを彼女は使っていたように思う。
だから、使えばいいはずなのに。それを頑なに彼女は使おうとはしなかった。
それに、もうゲマトリアは壊滅状態だ。彼女の目的はおそらくではあるが達成されている。それとの戦闘は回避してもいいはずだ。ここへ来た時と同じように瞬間移動で逃げればいい。
乱入してきたアレもそうだ。あの登場の仕方からして、てっきり目的はアヌビスかと思ったが、全く相手にしていない。
その理由は何なのか。考え込む黒服は一つの推測に思いあたる。
「まさか、狙いは私──」
答え合わせだとでもいうように、戦闘に巻きこまれないよう身を潜めていた黒服の目前へと、アヌビスが転移してきた。銃からはさっきからは感じなかった嫌な気配を感じる。”当たればただでは済まない”そんな予感と濃密な死の気配が黒服に走った。
黒服は周りが急にゆっくりになったような感覚に戸惑う。普段通りなのは意識だけで、腕や足は思ったように動いてはくれなかった。目の前のアヌビスが銃の引き金を引き絞るのがよく見えた。
──これが、走馬灯ですか。
すんなりと黒服は状況が理解できた。こんな経験は今まで生きてきて初めてだ。そもそも、こんなことにならないように行動してきた。だから、これが初体験というやつだ。
それは興味深いもので、普通ならあり得ないはずの、自分へと向かってくる銃弾の軌跡まではっきり見える。そんな黒服の視界は何か黒い物で塞がれた。
「何で……? どうして、そいつを庇うの……?」
走馬灯が終わった黒服は我に返る。アヌビスも困惑したような、どこか泣きそうな表情だ。アヌビスに何が見えているのかは興味があるが、黒服も困惑しているのは一緒だ。
それは黒服の前に仁王立ちになって、アヌビスからの銃弾を全て防いでいた。
やはり、あの銃弾はただの攻撃では無かったらしく、傷一つなかった鎧に穴が開いている。そこから流れたドス黒い血が、床に黒い池を作っていた。
「ああ、やっぱり、そうなんだ……もう……」
床に広がる血を見たアヌビスの言葉と同時に、それの全身を赤紫の炎が覆う。直ぐに炎は消え、床の血もそれの傷も消えている。不思議なことに、近くの黒服は全く熱を感じなかった。
それは、ようやくアヌビスを障害と認識したのか、ゆっくりと顔を向けた。さっきまでは無かった殺意が空気に満ちていく。それを察したのか、びくりと怯えたように後ずさりするアヌビスを視界にとらえたまま、それは錫を天へと掲げた。
会議室の天井を引き裂いて、錫に向かって青い光が降り注ぐ。青い光──落雷を纏った錫に、さっきと同じ炎が巻き付いていく。
暴力的な音を発する錫を向けられたアヌビスは、さっきとは一転して、焦った表情で転移門を開く。錫から雷光の槍が放たれるのと、アヌビスが空中の亀裂へと飛び込むのは同時だった。
目標を見失った槍は壁と屋根を物ともせずに消し飛ばし、赤みがかかった空へと消えていった。
「貴方は一体……」
自分の方を向いて、ゆっくり近づいてくるそれに、黒服は声を掛ける。
それは質問には答えずに、ずいと黒服に何かを押し付けた。そしてそのまま翼を広げて、開いた大穴から飛んで行ってしまった。
「これは、私の……」
押し付けられたものを見て、黒服は驚きの声を上げる。それはいつか、先生とアビドス宛てに送り付けた録音装置だったからだ。
急いで再生すると、録音した覚えのない自分の声が流れ始める。録音は数分で終わったが、黒服はしばらく放心していた。少しばかり、衝撃的な内容だったからだ。
「なるほど、なるほど。これは俄然と面白くなってきましたね……となれば、ここで時間を無駄にするわけにはいきません」
アヌビスがやってくる前までの、諦念にも似た、割り切ろうという気持ちは無くなっていた。興味のままに突き進むのがゲマトリアであり、黒服だからだ。キヴォトスが終わった後を考えるよりも、今の方が黒服にとっては重要だったからだ。
そのために、まずはマエストロをどうにかしなければならない。そう考えて、黒服は瓦礫の山を掘り返し始めた。
□
「……む」
「起きましたか、マエストロ」
廃墟と化した会議室で、むくりと起き上がったマエストロに、黒服は笑顔になる。笑顔と言っても、さっきの襲撃のせいで表情など分かりはしないだろうが。
「急造ですが、どうですか? その身体の調子は?」
「……急造にしては悪くない。感謝する。黒服」
「いえいえ、気に入って頂けたようで、満足ですとも」
マエストロは手足をグルグルと動かしていたが、不意に黒服へと問いかける。
「あれから、どれ程の時が経った? それと、今はどうなっている」
「そうですね。あの襲撃から一日ほどが経過しています。あの襲撃の目的は、我々の研究成果の強奪と私の排除だったのでしょうね。片方は失敗したようですが」
「……ゴルコンダは?」
心配そうなマエストロに黒服は淡々と答えを返す。
「本体のデカルコマニーは死ぬことが出来ませんので、問題ないかと……ゴルコンダはフランシスへと交代したようです」
「よりにもよって、フランシスか……ある意味ベアトリーチェよりも手に負えない……もう、ゴルコンダが懐かしく感じるとはな」
黒服は、瓦礫の中を掘り返していた時の事を思い返す。フランシスは空が赤く染まるなり、黒服を放って消えてしまった。きっと好き勝手にやっているに違いない。マエストロの言う通り、フランシスは手段を選ばない所がある。ベアトリーチェはある意味目的は分かりやすかったが、彼はそうもいかないだろう。
「黒服よ。私の復活には、それほど時間はかからないはずだ。他には何をやっていたのだ?」
「先生への情報共有です。色彩が攻めてきたこと。アヌビスが向こうにいる事。あの六つの塔が何を意味するか。これだけあれば、一先ずは十分でしょう」
黒服の答えに、マエストロは言葉に詰まった。
「……色彩に抗うと?」
「ええ、元々私たちの敵であることには変わりません。それに宿題を出されてしまいましたから。それは貴方もそうでしょう? マエストロ」
「やはり、意識を失う前に見たアレは私と貴下の合作だった。そう言う事か?」
黒服は頷いて、肯定した。
「ええ。あの”崇高”。アレが宿題です。とりあえずは貴方の所感を聞かせていただけますか?」
「表裏一体をあのような形で表現したのは、我ながら良くやったと思うが……随分と歪だ。比翼連理というには、一方通行に過ぎる。これでは、ヒエロニムスの時のあれには、程遠いだろう。それに護る国も民も失った王とは……皮肉を効かせ過ぎたかもしれん」
「同感です。あれは太陽の船。今はメセケテットというところでしょうか。しかし、船頭と乗客が音信不通ではね」
何となく、アヌビスが憎悪を向けた理由も分かる気がしたが、それはお門違いというモノだ。半分八つ当たりに近いと黒服は思った。
「それで、これからどうするのだ?」
「ひとまず、ゲマトリアは解散とします。ゲマトリアとして真実を探求しても、今の状況では端から色彩に奪われてしまいますから。再結集の際には招集を掛けます」
「それまでは自由行動という事だな。承知した。私は独自に動くとしよう。黒服。貴下はどうする」
ボロボロのマエストロに対して、同じくボロボロの黒服は答えた。
「契約の履行を。結んだ契約は必ず守る。それが私の主義ですから」