ホシノ同級生相棒概念 作:洞鼬
「あれ? ホシノ先輩?」
ガラガラと部室の扉を開けると、後輩たちが自分の方へと振り向いた。
「ん。珍しい」
「セリカちゃんが起こしに行かなくても、時間通りに自分で来るなんて……」
「雪でも降るのかしら」
散々な言われように、少しだけ傷ついた。苦笑いを浮かべるが、そんな自分に対しては、ノノミちゃんだけが困ったように笑っているだけだ。
「おじさんだって、早起きすることはあるよ~」
そもそも、これは時間稼ぎなのだ。今朝寝坊したことは棚上げにしての言い訳でお茶を濁す。
「あれ? カヤツリ先輩は? 一緒じゃないんですか?」
ノノミちゃんの当然の疑問に、そら来たと思う。でも、ちゃんと答えは用意してある。
「カヤツリは遅れてくるよ」
「また、ホシノ先輩が何かしたの?」
「シロコちゃん……何でもかんでも、おじさんのせいにするのは感心しないよ」
今回はある意味自分のせいなのだが、それを馬鹿正直に言うわけにもいかない。反論を潰すために、とっておきの反撃をみまう。
「カヤツリにお弁当を強請ったでしょ? なんて言ったの? やたらと張り切って、豪勢なものを作ってたけど」
「私のせいじゃない……」
気まずそうに視線を逸らしていた。それは身に覚えがあるときの行動だ。”私のせいじゃない”というセリフからも、何かをやらかした自覚はあるらしい。
「だって、もう一人の私ばっかり構うから……」
「ああ……そうだね」
てっきり、連邦生徒会襲撃の件を引きずっているのかと思っていたが、予想外の物を掘り当ててしまった。不満一杯といった風の雰囲気にどうしたものかと考える。
シロコ・テラーは根無し草だ。理由としては元々の世界が滅んだから、仕方がない側面がかなり大きい。
本来は向こうの自分たちが面倒を見るべきだと思うのだが、あの二人には連絡が取れないどころか、目撃証言もない。だからと言って、放置などできようはずもなく、カヤツリが世話をしている。それが、シロコちゃんは気に入らないのだ。
それは仕方のないことで、それに文句を言うのは間違っている。そんな事は当然分かっているのだろう。でも自分の気持ちというのは理不尽なものだ。その場の都合など分かってはくれない。きっと、今まで自分に向けられていたものが減ったように感じたのかもしれない。
我慢しなさいと言うのは簡単だ。正論を押し付けるのは楽でいい。それを押し付けられる方はたまったものでは無いことを、自分は良く知っている。後輩にはそんな思いをしてほしくない。
こういう時は妥協案だ。幸い手段はカヤツリが用意してくれている。
「カヤツリも悪いと思ってると思うよ? だから、楽しみにしているといいよ。かなり豪勢だったからさ」
「ん。分かった!」
そう言われた途端に、目をキラキラさせてコクコク頷く姿に思わず笑う。他の後輩たちも、それぞれの作業の手を止めて、それを眺めていた。
上手く追及を捌けたことに満足しつつも席に着く。
先生はまだ来ないようで、後輩たちはお互いに雑談したり、何かの確認をしていたりと思い思いに過ごしている。それならと、自分も机に突っ伏して、
──見てはいけないモノを見てしまった。
あのカヤツリの呟きを聞いてから、自分の頭はそのことで一杯だった。
あんな声は初めて聴いた。あんな、恨みがましい声は。あんな、今にも崩れ落ちてしまいそうな姿は。思わずあの場から逃げ出してしまって、ここに来る最中も聞かなければ良かったとも思った。
あれは、カヤツリの本心だろう。誰にも見られていないと思って、思わず零れてしまったであろう本心。誰にも見せたくなかったであろう姿。
それを覗き見してしまった。罪悪感で、今はまともにカヤツリの顔をまともに見れない。
それは、この後の会議で支障をきたす。そこからカヤツリに感づかれでもしたら最悪だ。カヤツリも怒りはしないだろうが、きっと傷つける。
それの回避のためには、一つ一つ考える必要があった。カヤツリが何故あんな事をしたのかが理解できれば、罪悪感は減るし、自分も手助けができるはずだ。それが好奇心から覗き見をしてしまった自分にできることだった。
──でも何で、あんなこと言ったんだろう?
カヤツリが何を言ったか、思い出している最中。そんな思考が浮かんだ。
──何で、今更。今更になって、出てきたんだ? こんな物たちと一緒に?
今更と。そうカヤツリは怒っていた。なら、もっと早く出てきて欲しかったのだろうか? それはどのくらい早ければ、どのくらいの時期なら良かったのだろう。
あの手帳の文面をカヤツリは見たはずだ。自分と同じもの、先輩の入学直前の言葉をだ。
普通に考えれば、先輩が居なくなって滅茶苦茶になっていた自分を何とかしようとしていた時だろう。あの時に先輩の手帳があれば自分はもう少しマシだったかもしれない。でもそれは、あの手帳が先輩が自分に向けて遺した物だった場合の話だ。
あの頃の自分に、あの手帳を渡されても何の解決にもならない。あれは、自分の求めていた言葉ではないのだから。
でも、カヤツリにとっては意味がある。あの文面を見たカヤツリは様子がおかしかったから。
──暗号……はないよね。
あの普通の文面にそんなものが仕込まれてるとは思えない。そもそも先輩がそんなことをする理由がない。中学三年生の先輩が、誰に向けてメッセージを残すと言うのだ。
──じゃあ、手帳? 手帳そのもの?
文面は問題ないと仮定する。なら、問題は手帳そのものだ。
あの手帳が出てきたのは、今のカヤツリにとっては都合が悪かったと言う事になる。
──こんな物
こんな物たちと、カヤツリは複数形で言っていた。一つは手帳として、残りはおそらくはブレザーだろう。それ以外に該当する物は思いつかない。
ユメ先輩のブレザーと手帳が出てきてしまった事。これがカヤツリがあんな風になっている原因。
でも、それだけだ。文面は普通で、カヤツリを責め立てるようなものではない。ブレザーは物を言わない。何が、カヤツリをあそこまで憔悴させると言うのか。
──アレじゃあ、まるで、一時期の私じゃ……待って? そう言う事?
かつての自身を思い出して、それとカヤツリを重ね合わせた途端に、ある考えが降って湧いて来た。
──ユメ先輩を思い出してああなったの……!?
ブレザーと手帳。二つの共通点はユメ先輩だ。それに、手帳のあの文面。アレを見れば簡単にユメ先輩を思い出せる。自分だってそうなのだ。カヤツリだってそうだったに違いない。
自分にとっては嬉しくも懐かしい、輝かしい思い出の象徴だ。前は違ったが、カヤツリのお陰でそう思えるようになっていた。でも、カヤツリは違うのかもしれない。
──でも……なんで、あの時から全然、普通だったのに。
分からない。自分の前でも、後輩たちの前でも、一緒に寝ている時ですら、カヤツリはいつも通りだった。あんな素振りなんて全く……。
──巧妙に隠してた? でも、どうして?
隠す理由が思い浮かばない。辛いなら言ってくれればいい。それくらいの事はやってくれると信じている。自分の事が信用できないとか、そう言う配慮はもうないはずだった。
隠すなら余程の理由がある。かつて、セトが語ったことを思い出す。
──カヤツリ君は、”自分が梔子ユメを殺してしまった”って思ったんだよ。
その罪悪感だろうか? でも、それなら、自分に話してくれるはずだ。ユメ先輩についてを共有できるのはもう自分しかいない。言わない理由がない。
分からない。分からない。分からない。一番一緒に居るはずのカヤツリの事が分からない。何かの手がかりがないか、必死に記憶の中を探る。
直近の事から思い出していくと、あの生徒会室のもう一つの言葉が気になった。
──先輩は……貴女は、居なくなったんだ。俺たちを置いていなくなった。勝手にいなくなったんだ。いっそ、そのままでいてくれたらよかった。……なんで……どうして、今更バラバラの断片で出てきたんだ。出てくるなら、なんで、もっと早く……
嫌な予感がする。もう一人の自分が考えない方が良いと警告している。でも、一度考え始めてしまったら、もう止まらない。
──なんで、もっと早く?
その言葉の続きは、”出てきてくれなかった”に違いない。
何かより前に出てきてくれなければ困る事。それはもう過ぎ去ってしまった事。それは自分には決して言えない事。
──いっそ、そのままでいてくれたらよかった?
居ないままでいて欲しい必要があるということは、きっと、カヤツリは忘れてしまいたいのだ。理由は簡単だ。もう、遅いからだ。もう、カヤツリは選んでしまったからだ。もう、小鳥遊ホシノを選んでしまったからだ。
──最初は……カヤツリは、ユメ先輩の事が好きだった……とか?
信じたくはない、最悪の考えが浮かんだ。今はあり得ない。それは確信できる。けれども昔は分からない。なら、それは在り得るかもしれないことだった。
ビナーを撃退してから、自分が先輩に向かって八つ当たりをした日までの数ヶ月間。その間に、先輩とカヤツリはこそこそ何かをやっていた。今なら、それが何なのかは分かっている。それは良いのだ。
問題は、あの夜。自分が夜遅くに何かをやっている先輩とカヤツリを見た日。その後、黒服に無駄な取引を持ち掛けられた日。
あの時の二人の表情だ。忘れていたのに、思い出してしまった。
あの時のカヤツリの表情は、心の底から喜んでいる時の笑顔だ。自分ですら、数回しか見たことが無いそれ。それを先輩は引き出していた。いとも簡単に。
あと、その時の先輩の表情。あの時の自分は見たことが無い表情だと思っていたが、今の自分には分かる。あの表情の意味が良く分かる。何故かって、毎日鏡で見ている。
最悪の想像で、最悪の気分だった。二人が両思いだったかもしれないなんて。
それなら、カヤツリの、あの反応も頷ける。
もう先輩は居ないのだ。ようやく忘れかけていたところに不意打ちを食らったようなものだ。恨み言の一つや二つは出るだろう。自分にだって話さないどころか話せないだろう。
これでは、自分にできる事はあまりない。精々が、全部自分の事で塗りつぶすくらいだろうが、アレをもう一度は出来ないし、今の事を考えればやれる度胸もない。もう、時間が解決するのを待つしかない。元々は覗き見した自分が悪いのだ。カヤツリは隠そうとしてくれていたのだから。
「聞いてますか! ホシノ先輩!」
「うへっ!? 何!? ……何なの!?」
内心で大きなため息をつこうとしたところで、アヤネちゃんの大声が耳を貫いた。
いきなりの大声と、不意打ちの形になったせいで、思わず変な声を出して、飛び上がってしまう。
「もう、会議が始まります。先生も、カヤツリ先輩も来ました」
「うへ……もう、そんな時間?」
壁の時計に視線をやれば、もう数十分が過ぎている。それに、カヤツリも先生も自分の席に着いていた。全員が、寝ている形をとっている自分に視線を向けていた。
「もう始まりますから、そろそろ起きてください」
「うん……分かったよ。ありがとうね。アヤネちゃん」
”いいんです。いつもの事ですから”と、いつもの返事を返すアヤネちゃんに笑顔を向けて、意識を切り替えた。
もう、考えても仕方がないことだ。もう、先輩は居ないし、カヤツリは自分の物だ。カヤツリも努力しようとしてくれて、自分に隠している。自分ができる事はもうない。別に気にする必要はないのだ。
「それでは、ホシノ先輩も起きた事ですし、本日の対策会議を始めます。先生もありがとうございます」
気分を切り替えると同時に、アヤネちゃんの声が部屋に響く。そのまま、いつものように司会進行が続く。
「まず、今回の会議の理由について。発端はカイザーグループです」
「また、何か……?」
カイザーと聞いた先生が、どこか警戒した様子になる。きっと、最初にここに来た時の事を思い出したのだろう。
「慌てないで下さい先生。今回の件は悪い事ではありません。むしろ、良い事かもしれないんです」
「いいこと……?」
先生は意味不明なのか、戸惑っているように見えた。
「はい。つい最近まで、カイザーグループ。正確にはカイザーPMCがアビドス砂漠で発掘作業を行っていました。その時の私たちには、何を探しているのかは想像もつきませんでしたが……」
「ウトナピシュティムの本船だよね」
色彩襲来の際、アトラ・ハシースの箱舟に対抗するために必要だった決戦兵器。ウトナピシュティムの本船。
カイザーは、黒服の情報を元に、それを探していた。アビドスを借金漬けにして、土地を奪ったのも、連邦生徒会を襲撃したのも、本船を手に入れるためだったと、先生から聞いている。
だが、それはもうない。もう一人の自分たちが、跡形もなく箱舟ごと破壊したからだ。そのことはこの場の全員が知っていた。
「はい。本船が破壊されたことで、カイザーグループにはアビドス砂漠に拘る理由が無くなったのだと思われます。各地のPMC基地が放棄されているんです」
「うん。皆撤退していくのを見たよ」
そのことに初めに気がついたのはシロコちゃんだった。趣味のサイクリングの途中で気がついたらしい。その後、全員で確認しに行ったが、もぬけの殻だった。そして、同じような光景をシロコちゃんは何度も見ている。
「つまり、カイザーはアビドスから完全に撤退した?」
「はい。カヤツリ先輩からの情報では、カイザーコーポレーションのプレジデントは、再建中のサンクトゥムタワーの方に興味が移っているようですし……」
どこから、情報を仕入れているのか。それについてはカヤツリは口を割らない。でもPMC基地の全ての場所を地図で持ってきて、全て合っているくらいだ。秘密を知っているのは最小限にしたいのだろう。相変わらず、秘密ばかりだ。
「でも、アビドスの状況は変わらないよね? 発端がこれなら、本題って?」
先生の言う通り、カイザーはアビドス砂漠から撤退しただけだ。借金自体がチャラになったわけでは無い。それでも、アヤネちゃんは嬉しそうに言う。
「これも、カヤツリ先輩からの情報ですが、結論から言いますと、カイザーグループはアビドスの借金を債権に切り替え、債券市場へ売ろうとしています」
「債権……」
複数人の声が重なった。セリカちゃんは疑問、ノノミちゃんは納得、先生は疑念の声だ。
「……債権って?」
「借金を取り立てる権利の事だよ。セリカちゃん」
分かっていなさそうなセリカちゃんへ助け舟を出す。借金関係についてはかなり詳しい自負がある。ユメ先輩の代わりにやっていた賜物だ。カヤツリと一緒に勉強した甲斐があった。
「私たちから全額回収するのは望み薄だと判断して、損切りに入ったのかな」
「……?」
頭上にクエスチョンマークが乱舞しているセリカちゃんに、分かりやすく言い換える。
「私たちは借金を今の所は返せている。でも、それは数十年単位でしょ? カイザーは待てなく……いや、手間をかけたくないんだよ」
「手間って……私たちが返せるはずないって思ってるってこと?」
「そう言う事じゃなくてね。カイザーが欲しかったのは本船。でも、それはもうないんだよ。カイザーにとって、借金の返済なんてあってもなくてもいいの。勿論あった方が良いかもしれないけど、カイザーに毎月入るのは微々たる額だよ。それなら、あってもなくても変わらない。むしろ回収の手間がかかる分面倒かもね」
アビドスは死んだ土地だ。カイザーは土地が欲しいのではなく、本船が欲しかった。本船が無いなら、アビドスに用はない。だから、維持費のかかるPMC基地を放棄した。
「債権にすれば、ある程度まとまった金額になる。借金の全額とはいかないけど、それなりの額じゃないかな。そっちの方が、カイザーにとって都合が良いの。手間をかけて、全額回収するより、金額が減ってでも纏まった金額として回収したいってところかな」
「……借金が減るわけじゃないの……?」
「うん。払う先が変わるだけだよ。買い手がつくかは微妙なとこだけどね」
希望が無くなって萎れた様なセリカちゃんが可哀そうになった。アヤネちゃんに目配せすると、仕方がないような顔で頷いてくれた。
「買い手がつかないってことは、需要が無いってことだよ。少し待てば、かなり落ちるんじゃないかな」
「それがどうしたのよ……」
「セリカちゃん。債権を私たちが買ったらどうなると思う?」
「返す先が私たちに……あ……?」
目を見開くセリカちゃんに笑う。答えは簡単だ。返さなくていい。自分に自分で借金を返すか返さないか決められる。簡単な話、借金が減るのだ。
しばらく待てば、需要の無いアビドスの債権は暴落するだろう。そこで自分たちが買えばいい。それくらいの蓄えはあるし、カヤツリも準備をしてくれている。
「カヤツリ、朝言ってたのってこれ?」
「ちょっと違うが……概ねはそうだよ」
カヤツリの返答は予想通りだった。きっと、アヤネちゃんに情報共有していることからして、カヤツリは知っていたのだろう。まだ色々考えているのだろうが、これがまず一個目の様だった。
「じゃあ! 早く見ましょ!」
「うへ、急に元気になったねぇ。カヤツリ、お願い」
そわそわし始めたセリカちゃんを揶揄いつつも、カヤツリが用意したパソコンを全員で覗き込む。
「現時点で公開された額は、借金全体の四十五%。今はこの位だが……後はどうなるか、ノノミ後輩の方が詳しいだろ?」
「はい。任せてください」
債券市場の流れはカヤツリよりも、ノノミちゃんの方が詳しいらしい。一応は大企業の令嬢だ。カヤツリには真似できない何かがあるのだろう。
「ふふ……腕が鳴りますね」
やる気十分という感じで、ノノミちゃんは価格を確認している。直ぐには価格は動かないから、ゆっくり確認を任せればいい。そう思って、画面から目を離した。
「待ってください! ……どうして! こんな……」
その瞬間、ノノミちゃんの叫びが聞こえた。画面を見れば、金額がどんどん跳ね上がっている。それは、誰かが債権を凄まじい勢いで買い占めていると言う事だった。
「完売……? こんな短時間で……? いったい誰が……」
こんな短時間で買い占めると言う事は、恐らく個人だ。何か目的があって買い占めた。
カヤツリが買い手を確認して、大きく息を吐く。そして、静かに口を開いた。
「セイント・ネフティスだ。ネフティスグループが殆どの債権を買い占めた」
□
「中々、やるではないですか……」
上手くいかないものだと、地下生活者は歯噛みする。そんな地下生活者を黒服の代理は見ているだけだ。黒服もニヤニヤしながら盤面を興味深そうに観察している。
ここは自分の用意したゲーム会場だ。ここで、先生たちを相手に地下生活者は戦いを挑んでいた。
「ここまで小生の攻撃を捌くとは……」
地下生活者は攻めあぐねていた。地下生活者の勝利条件は黒服の計画をオマージュ、もとい改良し、その上で先生に打ち勝ち、死を、古則の答えを証明する事。
そのためには、ホルスへの干渉が必須とも言ってもいいのだが、悉くが弾かれていた。
このキャンペーンはイベントが起こるたびに、または起こしたい場合は話し合い、ダイスを転がし、数値で結果と是非を判定する。
地下生活者のプレイヤーキャラクターはまだ登場していないから、地下生活者にできるのはイベント発生の提案と、それに関するダイスロールのみ。自分一人であれば、先生陣営のキャラクターのダイスは自分が振るが、今回は黒服の代理が先生陣営を進行させていた。
黒服の代理は自陣営のキャラクターを放置して、流れに任せている。それが本当に手強かった。このキャンペーンのルールブック──このアビドスで過去に観測された事は地下生活者しか知らないはずなのに。黒服の代理も読めるが、読ませないように矢継ぎ早に進行を早めさせている。大して読めていないはずだ。それなのに、自分の解釈を論破してくる。
イベントである夢も、悪夢を見せるはずだった。ルールブックには書いていないが、ホルスは過去の経験から悪夢を見てもおかしくない。そう解釈する事もできる。そう言えば、代理はそれに抵抗した。
──今のアビドスの状況は過去に比べて安定している。よって、小鳥遊ホシノ本人の精神状態もある程度は安定しているだろう。ただの悪夢で狂乱はしない。切っ掛けが無ければ悪夢を見るかも怪しい。ルールブックによれば達成値はこれだ。何かおかしいか?
正論で、ルールブックにも違反はしていない。反論ができない。理由を、自分に有利にこじつけられない。
ダイスを転がして、夢を見るという行為に対しては達成値を超える値を出せた。しかし、精神を揺さぶるまでは行けなかった。
それに、盤面も固すぎる。
特にホルスが固い。揺さぶっても自己回復するし、足りない分はセトがすぐに回復してしまう。思ったよりも難易度が高いどころの話では無い。が、ゲームは難易度が高い方がクリアした時の喜びもまた大きいものだ。
「しかし、楔は撃ち込みました。流石に全ては捌けないようですね」
代理は何も言わないが、地下生活者は気にもならない。無敵でないなら、やり方は幾らでもある。”将を射んとする者はまず馬を射よ”とも言う。ホルスは暫く放っておく。撃ち込んだ楔は、不安の種は十分に仕事をするだろう。
自分のプレイヤーキャラクターが登場すればこっちのものだ。攻略法はもう完成している。
──攻略法その一。すでに起きた出来事は変えられない。
先生が奇跡を起こし、未来を変えると言うのなら、こちらが使うのは過去だ。過去は変えられないものだ。誰かに観測されたものという事に限るが。
──攻略法その二。心は予測も制御もできない。
欲望、罪悪、後悔、執念、悲嘆。心に損得は通用しない。各々の心に潜む過去の蜃気楼に、どこまで抗えるか見ものではある。
──攻略法その三。人は信じたいものしか信じない。
水は低きに流れ、人は易きに流れるもの。心もまたそうでもある。信じやすい方を、信じたい方を人は信じるし、簡単な方法を人は選ぶ。
──攻略法その四。小さな傷が致命傷になる。
小さな傷で人は死ぬ。そして、そういう傷は表面上は小さくとも、中身はそうではない。中で化膿している事だってあるだろう。時間が解決しないどころか悪化させることもある。
途中までの攻略法を思い浮かべ、地下生活者はほくそ笑む。このキャンペーンに勝利すれば、自分は大きな満足を得られることを確信しているからだ。
他人の心は分からない。確かにそれはそこにあり、観測出来るのに決して理解できず想像するしかないもの。つまりは死と同じ。
虚構は事実を超えて真実たり得るか? 非有の真実は真実であるか?
なら、それを、第六の古則を証明しよう。
虚構を真実として、事実を塗り潰そう。そして、苦しみをもって死を証明しよう。
虚構によって事実が塗り潰され、虚構が真実になった時。その苦しみによって、苦しみは死だという事が証明される。
「さあ、今度は小生の手番です。もうすぐセベクが舞台に上がる。ここからが本番。今までのように上手くいくとは思わないことです」
そう言って、地下生活者はダイスを振った。