ホシノ同級生相棒概念   作:洞鼬

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161話 政略結婚

 一瞬思考が止まった。目の前のロボットが何を言ったのか理解ができなかった。

 

 ズンと心が重くなり、暗い感情が湧き上がる。ヘドロのようなそれを何とか押し込めた。また、あの夜のようにカヤツリを撃つわけにはいかない。

 

 

 ──結婚? 誰と誰が? ノノミちゃんとカヤツリが? 何で? ノノミちゃんは……

 

 

 バッと勢いのまま、ノノミちゃんの方へと振り向くと、カヤツリ以外の全員が、自分と同じようにノノミちゃんを見ていた。

 

 当のノノミちゃんも信じられないような表情だ。この様子では、きっと何も知らないに違いない。

 

 

「それで? いきなりそんな話を出した理由は?」

 

 

 冷えた声がして、自分の、後はおそらく全員の頭が冷えた。

 

 カヤツリからの声だった。

 

 ただ、淡々と、ハイランダーの双子が居た時と変わらない姿勢。机の、自分の傍に立ったままで、執事に向かって声を飛ばしている。

 

 

 ──怒っている。

 

 

 雰囲気から直ぐに、そう察せられた。

 

 ノノミちゃんに話を通さない事に怒っているのかもしれないし、もう一つの、自分が思っている理由かもしれない。あるいはその両方か。

 

 ただ一つはっきりしているのは、カヤツリがこれ以上ないほど怒っていると言うことだ。自分が見たことが無いくらいに。

 

 

「早く言ってほしい。大事な一人娘をどことも知れぬ馬の骨にやろうって言うんだ。それなりの理由があるんだろう?」

 

『ええ、あります。私たちにとっても、貴方にとっても、利益がありますとも』

 

 

 執事はホログラム越しのせいなのか、それとも相当の自信があるのか、カヤツリに全く怯んでいなかった。

 

 

『貴方が私たちの提案を飲んでいただければ、いくつかの利益が貴方に発生します』

 

 

 そう言った執事は指を三本立てる。

 

 

『まず一つ。さっきも言った話ですが、総会への出席が容易になります。貴方は私どもの身内──十六夜姓、ネフティスになるのですから、私募ファンドも邪魔は出来ません』

 

 

 言われてみればそうだ。今までのカヤツリには身分が無かった。契約の代理人という身分しかなく、それを知っているのは私募ファンドと目の前の執事たちネフティスのみ。

 

 だから、私募ファンドは会場警備にカヤツリの事を伝えないと言う手段が使えた。そもそも会場警備はそのことを知らないから。でも、カヤツリがノノミちゃんの身内になれば話が変わる。

 

 カヤツリが承諾すれば、ネフティスは大々的に発表するだろう。そうすれば知りませんでしたでは済まされない。自分たちも護衛という名目でついていけるし、向こうも護衛をつけるだろう。何故なら腐ってもネフティスは大企業だから。護衛くらいいる。

 

 

『次に、二つ。貴方は立場と多額の資金を手に入れることが出来ます。それも最上に近いものを。非常に動きやすくなると思いますよ? 貴方の悪名を消し去るくらいにはね』

 

「悪名?」

 

 

 ノノミちゃんの呟きが部屋に響く。それに執事が意外そうな顔をした。

 

 

『おや? 知らないのですか? 話していると思っていましたが……』

 

 

 ちらりと執事はカヤツリを見るが、直ぐに逸らした。

 

 

『まあ、勝手に詳細をこちらが言うのもマナー違反です。詳しくは彼から直接聞くと良いでしょう。簡単な話、彼を悪く言う者もいると言うだけです。そして、それが、こちらの利益にもつながってくる』

 

 

 悪名というのはよく分からない。一つ思い浮かぶのは、連邦生徒会に悪い大人たちを突撃させた件くらいだが。それだけではないような気がする。

 

 それはネフティスは知っていて、他の大人たちも知っている事。カヤツリの過去。詳しくは自分に話してくれないそれ。

 

 少しだけ気になった。それは、他の皆もそうなのか、カヤツリをちらちら見ている。

 

 

「確かに、動きやすくはなるだろう。俺の大人相手の評判は最悪に近い」

 

『ええ、ええ、そうでしょうとも。そして、それは私たちも同様なのですよ。貴方とはまるっきり真逆ですが』

 

 

 執事は、そう言いながら最後の指を折る。自信ありげな表情は少しも崩れていない。

 

 

『最後である三つめは、まあ、貴方にとっては些事かもしれません。安定した生活と住居、そして未来です。いかがでしょうか。悪い提案ではないと思いますが』

 

「いや、悪い。最悪だ」

 

 

 少しだけ執事の表情が崩れて、嫌な気持ちが少し晴れた。執事は信じられないような声を出す。

 

 

『最悪? 最悪とは何ですか? 貴方にとっては最良の物のはずです』

 

 

 執事に向かって意地悪くカヤツリは笑う。たっぷりの悪意と、少しの悪戯心が混じった、自分たちの前ではしたことが無い顔で。執事に向かって意地悪く言った。

 

 

「ノノミ後輩は? ノノミ後輩にとってはどうなんだ? まさか事情を話もせずに巻き込んで、悪い話では無いなんて言うつもりか? 俺は繊細だから、そう言うのは気になる性質なんだ」

 

『……きっと、お嬢様も納得していただけるはずです。これは、ネフティスの為であり、アビドスの為でもあるのですから』

 

「じゃあ、言えるだろう? この場でノノミ後輩に説明してやったらどうだ? それが、本当に納得できると自信があるのなら、言えるはずだ。言えないなら、この話は終わ──」

 

 

 執事は言葉に詰まったのか、何も言えないようだった。それを見たカヤツリは話を切り上げるのか、とどめの言葉を言おうと口を開こうとした。

 

 

「本当に、それでいいのか?」

 

「何?」

 

 

 眼帯ちゃんが、カヤツリの言葉を遮った。邪魔されたのが癪に障ったのか、カヤツリは剣呑な視線を眼帯ちゃんへと向ける。カヤツリとしては、この話を早く切り上げたいのだ。

 

 

「ネフティスはかなりの譲歩をしている。それはあんたにも分かるだろう?」

 

「それで?」

 

「少しは話を聞こうと言う姿勢を見せたらどうだ」

 

 

 眼帯ちゃんは、どこか怒ったような表情だった。普段の表情も無表情で、怒ったような雰囲気だが、今回は違う。さっきよりはっきりとした怒気を感じる。それは、雇い主に対する義理立てかもしれない。

 

 そんな怒気をカヤツリは正面から受け止めて、意地悪い笑みを浮かべていた。

 

 

「なんで、そっちが偉そうなんだ? なんで、こっちが言う事を聞かなきゃならない? それは、ネフティスが大企業だからか? それとも、大人だからか?」

 

「あんたにとって、良い話だからだが? 少なくとも、私なら。いや、私でなくとも、それを選ぶだろう」

 

「そっちの理屈だろう。その忠犬染みた思想を押し付けるな」

 

 

 眼帯ちゃんに釣られてか、邪魔されて機嫌が悪いせいか、カヤツリの口が悪くなっている。もう自分が知っているカヤツリはあまり残っていなかった。

 

 ただ、先生だけは、どこか悲しそうな顔でカヤツリを見ているのが気になるが、その理由は分からなかった。

 

 

「俺の為、ノノミ後輩の為、アビドスの為、口ではそう言うがな、透けて見えるんだよ。もっと上手く隠せ。それに押しつけを善意とは言わない。そっちの物差しでこっちを測って、勝手に想像するんじゃない。それこそ失礼だと思わないのか?」

 

「失礼なのはそっちだろう」

 

 

 眼帯ではない方の目を閉じて、仕方なさそうに、溜め息をつく。さっきの努気は失せて、少しの優越感のようなものが見えた。

 

 

「十六夜ノノミには連絡は来ていたはずだ。カイザーの騒動が終わった夏からずっと、何度もな。普段の連絡とは様子は違っていたはずだ。そして、あんたはそれを知っていただろう?」

 

 

 ノノミちゃんは心当たりがあるのか固まっていた。きっと、カヤツリに相談はしたのだろうが、カヤツリは無視を決め込んだらしい。カヤツリの分が悪くなる。

 

 

「あんたの望みを図ろうにも、あんたは無視をした。それは、あんたが言う失礼じゃないのか? なら……」

 

「黙って言う事を聞けと?」

 

 

 無表情のカヤツリに対して、眼帯ちゃんは大きく頷く。勝ち誇っているようにも見える。

 

 

「さっきの言葉は訂正する」

 

「ほう? 随分と態度が違うじゃないか。それでいいんだ」

 

「カヤツリ先輩……! いいんですか!? ホシノ先輩……!?」

 

「大丈夫だよ」

 

 

 ノノミちゃんが信じられないように、カヤツリと自分を見るが心配はしていない。だってまだ怒ったままだ。きっと相手を叩き潰すまで止まらないだろう。そんな確信があった。

 

 

「忠犬染みたと言ったが訂正する。アンタは犬だ。思い込みの激しいな。しかも、それが骨の髄まで染み込んでるときた」

 

「あんたが失礼を働いた事には変わりない。何と言われようとも響かない」

 

 

 眼帯ちゃんは少し怯んだが、直ぐに立て直す。カヤツリの顔は笑っていた。本当に楽しそうに。

 

 

「”失礼なのはそっちだろう”だったな。そっくり返すよ」

 

 

 カヤツリの様子から分が悪いことを察したのか、眼帯ちゃんは黙った。カヤツリはその隙を抉るように指摘する。

 

 

「ノノミ後輩に連絡を取るのは分かる。話を通すのは大事だ。でも、俺には来なかったが? 夏の件はノノミ後輩から聞かれて初めて把握したんだ」

 

 

 ノノミちゃんを見ると大きく頷いている。その通りらしい。

 

 

「本当に今の話を真剣に考えているなら、何で俺に連絡が来ないんだ? 態々、ノノミ後輩を通さないで、直接やればいい。それが普通だ」

 

 

 それをやらない理由はただ一つ。きっとカヤツリに直接言っても断られるからだ。

 

 ノノミちゃんには話があるとだけ言って、カヤツリを呼び出す。それで、その場所で今の話をすれば良い。それから、大々的に外に喧伝するのだ。

 

 本人達がいくら否定しても無駄だ。だって実際に会ってしまった。それは外から見ればお見合いだ。直接は駄目だから外堀から埋めようとした。

 

 

「だから、ノノミ後輩から話が来た後に書面で断りを入れた。話があるなら直接、自分かホシノを通してほしいと。後はノノミ後輩には好きにさせただけだ。つまりはその程度ってことだよ。直接会って、説得しようという気概もない。それを言うに事欠いて、失礼? そっちの都合で擦り寄って来ておいて? 幾人かの気持ちを傷つけておいてか? ええ? 自分は悪くなくて、感謝しろと?」

 

 

 後輩たちは、唖然とした顔でカヤツリを見ていた。自分もそうだ。どう介入すべきか分からない。それほどまでに、カヤツリは怒っていた。

 

 カイザー理事相手の時の比ではない。殺意すら混じっている。それを叩きつけられた眼帯ちゃんは固まっていた。

 

 

「雇われのくせに何様だよ。お前は。ノノミ後輩が実家に迷惑を掛けて無いとは言い難いし、企業の令嬢って言うのはそういう側面もある。だから、そこの執事が言うなら聞き流した。その資格はあるからだ。だが、お前にはない。お前の理屈で物を語るな。お前の価値感で捨てる事を強制するな。お前の後悔を押し付けるんじゃあない。恥を知れ」

 

 

 ”お前の後悔”その言葉で眼帯ちゃんの顔が激しく歪んだ。カヤツリはそれを鼻で笑って、”出て行け”というように手を振った。

 

 

「交渉は終わりだ。帰ってくれ。次からは人を選ぶといい。人との会話に口を挟むような奴じゃなくてな」

 

 

 その様子を見て、諦めたのか執事は消えた。眼帯ちゃんも黙ったまま部屋から出て行く。

 

 部屋の中は静まり返っていた。カヤツリの少し荒い呼吸音が良く聞こえる。

 

 

「カヤツリ……?」

 

 

 雰囲気が怖いままのカヤツリに、自分が代表して声を掛ける。すると、さっきまでの雰囲気が嘘みたいに消えた。もう、いつものカヤツリだった。

 

 

「はぁ、取り乱した。ごめん」

 

「いや、良いけど……説明してよ」

 

 

 ”説明?”とでも言うように首を傾げるカヤツリに、もう一度分かりやすく言う。

 

 

「何で、あんなに怒ったのかと。ネフティスの意図について。あの感じじゃ分かってるんでしょ」

 

「じゃあ、ネフティスの方からでいいか?」

 

 

 いつものメンバーだけになった部室で、全員が頷く。自分も知りたかったし皆もそうだろう。あれは前提条件が分かっている者同士の会話だった。

 

 

「前提条件として、砂漠横断鉄道は金になる。それはいいか?」

 

「うん。それはカヤツリが前に言ってた中継地点にするってことだよね」

 

 

 以前カヤツリが計画として語ったこと。

 

 アビドスを各自治区の輸送路の中継地点として発展させるという考え。どのくらいのお金が動くのかは分からないが、想像するだけでも莫大なお金が動くだろう。

 

 だからこそ、私募ファンドもネフティスも砂漠横断鉄道の権利を狙っているはずだ。

 

 

「ただ、砂漠横断鉄道を敷設したところで意味は無い。そもそも、仕事。輸送の仕事自体が無ければ意味が無いんだ」

 

「……近いんだから、皆そっちを選ぶんじゃないの?」

 

 

 セリカちゃんの疑問に、カヤツリは優しい目になった。

 

 

「そりゃ、新しく使う人間はそうだろうさ。でも、今まで別の輸送路を使っていた大手。例えば三大校やカイザーはどうだ? 今までの付き合いもあるだろうし、これまで使っていたモノを全部打ち切るなんてできないし、しない。それは不義理だろう? やるにしても徐々にといった所かな」

 

「何が言いたいのよ」

 

「つまるところ、コネが、伝手がいるんだ。仕事を斡旋してくれるようなコネが。そして、俺はそれを持っていて、ネフティスは持っていない」

 

 

 カヤツリが言うコネなど一つだけだ。ゲヘナ、トリニティ、ミレニアム。名だたる三大校のトップとのコネ。それは、喉から手が出るほど欲しいだろう。カヤツリを身内にすれば簡単にそれが手に入る。

 

 

「じゃあ、執事さんが言っていたのは?」

 

「ああ、あれ? そっくりそのままの意味だよ」

 

 

 ノノミちゃんの言葉に釣られて、執事の言葉を思い出す。

 

 

 ──そして、それは私たちも同様なのですよ。貴方とはまるっきり真逆ですが。

 

 

 真逆とはどんな意味なのか。三大校の逆など聞いたこともない。しばらく考えて思いつく。

 

 

「ネフティスは大人側のコネを紹介するってこと?」

 

「うん。いらないけどな。今のところは。当てはある」

 

 

 カヤツリが言うなら、そうなのだろう。余りそこは深く考えない。自分たちに必要なのは続きだ。

 

 

「あと、ネフティスが欲しいのは評判だよ」

 

 

 評判とは何なのか。ネフティスの評判は悪い。アビドス外ではどうだか知らないが、アビドス内ではよろしくない。評判などどう回復するのか。

 

 

「ネフティスのアビドス内の評価は最悪だ。普通に戻ってきたところで受け入れられるかどうか。もう一度、砂漠横断鉄道を復活させると言っても、半信半疑だろうな。詳しいプランを説明しても誰も乗ってこない。一度失敗して逃げたんだから」

 

 

 そうだ。一度失った信用は戻らない。少なくとも直ぐには。しかし、カヤツリはそれを回復させる方法に覚えがあるようだった。

 

 

「だからこそのあの提案だよ。顔を変えればいい。ネフティスじゃなくて、これまで頑張ってきていたアビドス対策委員会の二人がやりますって、私たちは二人を祝福し、後方へ退きます。後は二人がネフティスとアビドスの未来を切り開くのです……反吐が出るね。ノノミ後輩にじゃないぞ……?」

 

 

 一瞬上手くいくか考えたが、上手くいくかもしれなかった。これまでの数年間の働きのお陰で、それなりには受け入れられているとは思っている。ノノミちゃんをネフティスの令嬢という目で見る者はいないし、それが明らかになったところで疑うような者もいない。

 

 

「あの提案で、ネフティスは金のなる木と、信頼回復の機会。それとアビドスへの帰還が叶うのさ。ノノミ後輩も、それなら説得できると思ってたんじゃないか?」

 

 

 カヤツリの説明を反芻する。気になる点は幾つかあるが、とりあえずスルーする。

 

 次は一番聞きたいことだ。

 

 

「じゃあ、最後ね。なんであんなに怒ったの?」

 

 

 カヤツリの機嫌は良くはなかった。執事と話している時はイラつきつつも取り繕ってはいたのだ。でも、あの眼帯ちゃんの会話から、段々と本気で怒り始めるのが分かった。

 

 眼帯ちゃんはカヤツリの逆鱗を踏んだのだ。

 

 

「雇われのくせに口を出したから」

 

「それだけじゃないよね」

 

 

 バッサリとカヤツリの答えを切る。それも多分にあるだろう。カヤツリはそう言う所を大事にするから。自分が気を付けていることを蔑ろにされるのは、誰だって嫌なものだ。

 

 でも、それだけではない。幾つかの要因がカヤツリの怒りを引き起こしたはずだった。

 

 自分はそれが知りたかった。少しは知らないカヤツリの事を理解できるかもしれなかったし、少しずつ胸の奥に溜まる疑念を消化できるかもしれなかったからだ。

 

 

「俺と、ホシノと、ノノミ後輩の関係に口を出した挙句、それを無視した。何とも思っていなかった。自分の都合だけで動いていた」

 

「あとは?」

 

 

 これも本命ではない。それだけなら、カヤツリはあそこまで怒らない。カイザー理事の時に似たようなことを言われているが、あそこまでにはならなかった。

 

 

「……奴は言っただろ。そうするって、誰でもそうするって」

 

「どういう事?」

 

「たぶん、奴には何もないんだ」

 

 

 眼帯ちゃん。朝霧スオウに何もないとカヤツリは言う。そんな事は無いと思う。だって、立場も強さも何もかもがあるだろう。きっと自分たちよりは恵まれているはずだ。

 

 不思議そうな顔をする自分と後輩たちに、カヤツリは笑って言う。

 

 

「人が他人に対して何かをする時には、必ず理由があるんだよ。俺が対策委員会に色々やるのは、それが楽しいし、皆には普通にしていて欲しいからだ。ノノミ後輩にもセリカ後輩もシロコも、アヤネ後輩も、先生も。ホシノだって皆そうだ。だからこそ、見知らぬ他人に優しくされた時には気をつけなきゃいけない。上手い話には裏があって、必ず相手にも利益があるからだ」

 

 

 これは、カヤツリの哲学なのだろう。だからこそ、ネフティスの意図や悪い大人の意図も読めるのだ。きっと他学園の人たちの事も。そのくせ自分に対しての事は読めないのは玉に瑕だが。

 

 

「奴は何もない。自身で誇れるものが、自分でこれと決めたモノが無い。精々が力くらい何じゃないのか。それを多分、分かっていないようでいて、心の奥底では分かっているんだよ。だからこそ、ネフティスの提案を蹴った俺に噛みついた」

 

 

 静かにカヤツリは眼帯ちゃんが居なくなった後の扉を見つめた。

 

 

「奴にとって、他者からの評価でしか自身を肯定できない。自身の力で手に入れた物は何もないからだ。全て他者から与えられたものしかない。そりゃあ噛みつくだろう。自分が欲しいものを、奴が絶対の基準だと思うものを、俺は”いらない”と蹴り飛ばしたんだ。自分よりも持っていないはずの人間が、自分が欲しいものを蹴り飛ばした挙句に、本当に欲しいものを持っているんだから」

 

 

 ”在るモノじゃなくて、無いモノを数えて生きているんだよ”とカヤツリは呟く。

 

 ”そんな奴が”ともカヤツリは呟いた。

 

 

「奴にそんな意図は無いだろう。きっといい条件に乗らない俺が理解できなかったんだろう。自分が否定されたように感じたんだろう。それにきっと腹が立ったんだろう」

 

 

 そのことを思い出したのか。カヤツリの拳が強く握られて、真っ白になっていた。

 

 

「奴は俺に捨てろと強要した。ホシノを捨てて、ノノミ後輩を取れってな。それが、誰を傷つけて、何に対して砂をかける行為なのか。全く理解せずに、自分の価値観で強要した。俺を、ホシノを、ノノミ後輩を、他の皆を。そんな人間にしようとした。自分と同じにしようとした。それは許せない事だった」

 

 

 カヤツリはそのまま黙ってしまった。しばらく黙って、大きく息を吐いて、力なく笑う。

 

 

「これで、満足か? 俺は今日はシャーレに帰るよ。なんだか疲れた……」

 

 

 カヤツリはよろよろと部屋を出て行ってしまった。それを先生が慌てて追いかけていく。後輩たちは唖然とした表情だ。なんだか、滅茶苦茶だった。

 

 ただ自分は満足していた。

 

 カヤツリは自分とのことをそこまで考えてくれていたからだ。あっさり捨てるとは思っていないし、粗末に扱うとも、遊び半分の関係でない事はもちろん承知している。

 

 でも、あそこまで怒ってくれて嬉しかったのだ。

 

 あれは、カヤツリが自分との関係を大事にしていると言う、この上ない証明だったからだ。

 

 だから、二日後、明後日、契約の終わり、カヤツリの約束の日まで待つことが出来る。気になる事、隠している事、誤魔化している事を飲み込んで、心の奥底に沈めておくことが出来る。

 

 

 ──ネフティスの目的が伝手だと言うのなら、何故夏に連絡してきたのか。あの時点ではエデン条約調印式前だ。カヤツリは何の伝手も持っていないはずだ。

 

 ──それに、何故執事は言い淀んだのだろう。あの理由ならきっと言えたはずだ。耳障りは悪いが、言える範囲内の話だと思う。

 

 ──ネフティスと私募ファンドが、砂漠横断鉄道にあんなに必死になる理由は? カヤツリの話がそうなら、あれはカヤツリ有りきの計画だ。ネフティスはまだ分かる。でも私募ファンドは違う。それなら、先日のハイランダーの事件は何だったのか。

 

 ──あの契約書の日付は、先輩が失踪した日だった。つまりは、先輩はあの契約を結んだ後に失踪したことになる。何故それをずっと隠しているのか。

 

 ──それにカヤツリはいつ、ゲヘナのマトやヒナちゃんと知り合ったのだろう。

 

 ──最後に、何でカヤツリは、あの手帳を見つけた日から、辛そうな顔をしているのだろう。

 

 

 心の中に吐き出したそれを、再度心の中に沈める。

 

 きっと自分は口を出さない方が良い。それは前の事で十分身に染みたから。だからカヤツリを信じて待とう。きっと、それが正しいのだ。あと二日待つだけで、カヤツリは話してくれる。きっと以前のカヤツリに戻ってくれる。

 

 

「そうだよね。カヤツリ」

 

 

 それに答える声はどこにもなかった。

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