ホシノ同級生相棒概念 作:洞鼬
「もういいよ」
我慢の限界だと言うように、ホシノ先輩が吐き捨てた。いつの間にかアヤネちゃんが、ホシノ先輩の脇に立っている。
「よろしいので?」
確認するように執事が問うが、ホシノ先輩は機嫌悪そうに首を振って、言う。
「よろしいも何も。どうせ、ノノミちゃんをハイランダーに入学させるとか言うんでしょ」
「……」
執事は何も言わない。ここで、どうしてハイランダーが出てくるのか、自分には理解が及ばないが、ホシノ先輩はネフティスの思惑を看破したらしかった。
「カヤツリがどうだとか言うけどね。結局は、シェマタの権利がカヤツリに渡ってほしくないんだよ。だから、まずは私たちに悪印象を吹き込んで、カヤツリを止めようとした。このままじゃ、手を出せない所に行っちゃうからね」
そう言いつつ、机の上の契約書のコピーを突く。
「今日来たのもそう。時間が無いんだよね? タイムリミットは明日の正午まで。だから、昨日はカヤツリとノノミちゃんをくっつけて、権利に一枚嚙もうとした。それが失敗したから、今度は誘導したね。今日は最初からこれが本命なんでしょ」
「誘導?」
シロコちゃんが良く分からなさそうな顔をしている。ホシノ先輩は執事を睨んだまま、答える。
「カヤツリが教えてくれたやり方だよ。最初に無理難題をぶつけるの。次に本命を出す。痛い腹を探られたくない時の。そういうやり方」
「カヤツリ先輩を止めるのが建前で、ノノミ先輩に提案を聞かせるのが本命なんです」
アヤネちゃんの声に、ホシノ先輩は小さく頷く。
「カヤツリに権利が渡って困るのは、私募ファンドも同じ。この一点だけは、私募ファンドとネフティスは共闘できる。だからノノミちゃんの言う通りに、ネフティスが優先すべきは私募ファンドなんだよ」
「じゃあ、さっきのアレは?」
シロコちゃんが不思議そうに呟く。
私募ファンドよりも、カヤツリ先輩の方が危険だと、そう言い放ったアレ。
「アレは誤魔化しだよ。しっかりとした事実かなんてどうでもいいの。疑っていることが私たちに分かって、その根拠がお粗末なら何でも良い。ああ言われたら、怒りで私募ファンドのことなんて頭から飛んじゃったでしょ?」
コクコクとシロコちゃんは頷いている。それを笑いながら見て、ホシノ先輩は続ける。
「流石のカヤツリも、私募ファンドとネフティスの二人掛かりじゃ手が出ないだろうと思っているんでしょ。でも、カヤツリのことだし、奥の手はあるんだろうけど」
執事はまだ黙ったままだ。その執事に、ホシノ先輩は言葉を並べる。
「私募ファンドに権利が渡っても、やりようはあるって言ったね。私募ファンドはネフティスの名前を使った。それなら、あとはネフティスの中で権利を分配するだけ。でも、その中から欲しいものを手に入れるには頭数がいるんだよ」
「そのためにハイランダーを仲間へ引き入れるということですか?」
そうなれば話は簡単だ。ハイランダーへ入学すれば自分は生徒会長だ。そう決まっていると昔に言われたのを覚えている。どうやってかは皆目見当はつかないが。
今から思えば、お飾りの生徒会長だろう。人質と言った方が良いかもしれない。でも、ハイランダーは部外者だ。仕事を任されたに過ぎない筈。
「シェマタは列車砲。なら、ハイランダーがどうしても必要。ミレニアムもできないことはないかもしれないけど……列車といえば、一番にハイランダーが思いつく。やっぱりノウハウの有無は大きいよ」
そこまで言われれば分かる。シェマタは列車砲であるがゆえに、ハイランダーが絶対に必要なのだ。本体だけでなく、周辺施設や線路の整備だっているだろう。だから、私募ファンドもネフティスもハイランダーと提携した。
だから、ハイランダーを味方に付けた方が勝つ。今のところは付き合いの長いネフティスが有利だが、これから先はどう転ぶか分からない。
「昔の、ノノミちゃんが生徒会長になる話は、まだ生きてるんでしょ? ハイランダーの理事会からしたら嬉しいよねぇ? 分裂したハイランダー全体を纏められるかもしれないんだから」
そう言われたスオウさんも黙ったままだ。
確か、ハイランダーは理事会と生徒会が対立している。理事会側のスオウさんがここにいるということは、ネフティスが手を組んだのは理事会側だ。
理事会からしたら、敵対的な生徒会に自分の手駒を置ける。それも、生徒会長として。絶対に裏切らず、その知恵もない。人に言われなければ動けない。そんな人形を。
だが、それは狂ってしまった。昔に自分が逃げ出したからだ。
そうなればどうなるか。理事会は距離を置くだろう。求める物が手に入らないのだから当然の話だ。
ネフティスからしたら最悪だ。このタイミングで関係を切られるのは困る。
「まあ理事会側としても、シェマタの整備と運用は実働である生徒会に頼らざるを得ない。だから、向こうもノノミちゃんが欲しいんだ。自分たちの都合よく生徒会をコントロールできる誰かがね」
だから、この状況に持って行きたかったのだろう。ただ、どんな状況でも、自分は首を縦には振らない。
ハイランダーに行くということは、アビドスを退学するということだ。この自分の居場所を捨てねばならない。それは嫌だった。
「分かってるよ。ノノミちゃんが、その提案に乗らないことくらい。私も向こうも分かってる」
ならば、何故このタイミングで切り出したのか。このままでは、ネフティスは対策委員会の心象を悪くしただけだ。
「今は提案をして、それが断られたって事が大事なんだよ。ノノミちゃん」
ホシノ先輩が乾いた笑みを見せる。反対に執事の表情はどこか優れない。
「まだこうなるかは分からないけど、カヤツリが総会に間に合わなかったとするよ。こうなれば、カヤツリの計画はおじゃん。そこで、ノノミちゃんの耳に囁くの。”ノノミちゃんが頑張れば何とかなる”ってね」
ぞわりと怖気が走った。
そうなれば、罪悪感で潰れそうになった自分は頷いてしまうかもしれない。だって、自分があの提案に乗っていればと必ず思う。それは、自分が最も嫌なことだから。
「買い時を逃した商品の値段は上がる。昔にいけ好かない大人に言われたけど、役に立ったよ。それで、その時のノノミちゃんに、どんな提案をするつもりだったの?」
問い詰められた執事は、大きなため息を吐く。困ったような顔のまま、答えた。
「貴女の御察しの通りですよ。お嬢様にはハイランダーへ行くという選択肢を用意していました。お見事です」
「何で……!? そんなことを!?」
怒りのあまり、また語気が荒くなる。また、自分の未来に干渉しようというのだ。こうもなる。
「お嬢様は将来、どうするのですか? ネフティスには戻らないおつもりですか? それとも、戻るのですか?」
その言葉を聞いてから、口の中で放たれるのを待っていた言葉はどこかに消えてしまった。
「お嬢様。ご両親は心配されています。だからこそ、彼との縁談を了承したのです。ハイランダーの件もそうです。お嬢様は一体どうしたいのですか?」
言葉が出てこない。だって分からない。そんなことは真剣に考えたことなんてなかった。
「お嬢様は、アビドスに対して、砂をかけたネフティスが許せないのでしょう? アビドスを救いたいから、そこにいる。ならば、どうして提案を拒否するのですか?」
まだ上手く言葉が出てこない。だって、本当は……
「ただ、嫌だったから。そうだろう?」
スオウさんが自分を見ていた。眼帯に覆われていない眼から、強い感情を感じる。
「勝手に決められるのが嫌だったのだろ? 決まったレールの上を歩くのが嫌だった。アビドスの為など、都合のいい言い訳だ」
「言い訳なんかじゃ……」
「なら、何故、提案を拒否する? あんたが逃げ出して、どれだけの人間が迷惑を被ったと思う? そんな人間がいたことすら考えなかったのか? ……本当に?」
どこか、我を忘れたようなスオウさんに何も言えなかった。
激怒されたからではない。むしろ、怒っているスオウさんが泣きそうな目をしているように見える。
「今は関係ないでしょ。ノノミちゃんを揺さぶるのは止めて。それは、そっちの都合でしょ」
ホシノ先輩が間に入って、二人の言葉は止まる。
「アヤネちゃんの言う通りだった。やっぱり、大人はずるいね。役割分担? いや、眼帯ちゃんは知らないのかな?」
役割分担? ホシノ先輩が何を言っているのか分からない。それは、スオウさんも同じのようで固まっている。もう分からないことだらけだ。
「ノノミ先輩。気がつきませんか? 執事さんは事実と、それから推測される事だけを言うんです。スオウさんは逆です。そこから飛躍した、憶測交じりの、耳に痛い事を言うんです」
自分への心配で一杯の声で、アヤネちゃんは言う。
「執事さんはそれに対して、少し優しい、けれど、ある意味では真実であることを突きつける。都合が悪くなれば、大きな別の話題で話を逸らし、スオウさんが煽る。ノノミ先輩が何かを聞くまで二人は何も言わない。私たちは、ノノミ先輩は誘導されているんです。ずっと最初から」
そうだ。最初は、カヤツリ先輩が悪事を企んでるとか言っていた。それを信じない自分たちに対して、スオウさんがカヤツリ先輩の過去で揺さぶってきた。
それでも崩れないから、梔子ユメ先輩の事を持ち出した。それで、ずっと待っていたのだ。自分が証拠を出せと言うのを。
それで、状況証拠で固めた絵空事をあたかも真実のように語る。それでぐらついた自分へハイランダーへの条件を飲ませるつもりだった。ホシノ先輩に邪魔されたら、自分が逃げたことに矛先を変えて、罪悪感を突いてきた。
「それが分かっていたから。カヤツリ先輩は昨日、話に付き合わなかったんです。ワザとスオウさんの話に乗って、話の主導権を執事さんへ渡さなかった。怒って、感情のままに追い出した。もう交渉の余地はない。そう思わせるために」
カヤツリ先輩は、それで大丈夫だと思ったのだろう。あれだけ怒りを露わにすれば、もう来ないと思ったのだろう。でも、それを自分は台無しにした。
「執事さんにとって。写真や、先輩の過去はどうでもいいんです。状況証拠で私たちが混乱して、カヤツリ先輩の邪魔をすればいいな程度の物です。本命はノノミ先輩です」
今まで優しそうに見えた執事の顔が、どこか恐ろしいものに見える。
「どうして、こんなことを? そんな顔をしていますね。お嬢様」
自分の心を見透かされたようで、いい気分ではない。自分の面倒を見てくれた人がこんな人だとは知らなかった。
執事は、困った顔のまま理由を口に出した。
「仕事ですよ。お嬢様。私は仕事をしているだけです」
「仕事……?」
「ええ。仕事です。責任ある仕事ですよ? 仕事はそういうものですし、やりたくない仕事も勿論あります。今回のも、それに当たりますね」
困り顔の緩い雰囲気。かつて自分が親しみを感じていたそれ。同じもののはずなのに、今はそうは感じられなかった。感じるのは滲み出る諦めだ。
「別にお嬢様が憎いとか、対策委員会の皆様が邪魔だとか、そう言った感情はありません。先程も言った通りに、カヤツリさんを危険視する幹部もいれば、お嬢様のご両親のように仲間に引き込むべきと考える方もいます。もっと過激な手段を講じる者も、静観を決め込む者もね。ネフティスも一枚岩と言う訳ではありません。昨日と今日でスタンスが違うのは、そういう事になります。今だけはカイザーが羨ましくなりますね」
「だから、こんなことをしていいと?」
アヤネちゃんの言葉に、不思議そうに執事は首を傾げた。
「こんな事とは?」
「ノノミ先輩を追い詰めて、カヤツリ先輩を悪く言った事です! ネフティスが、企業が、こんな憶測で私たちに要求するんですか!」
「私は、要求などはしていませんよ?」
執事は首を傾げたまま、本当に不思議そうなので、アヤネちゃんは固まっていた。そんなアヤネちゃんに、教えるような口調で執事は言う。
「私がしたのは、
思い返してみれば、最初に”カヤツリ先輩の企みを止めて欲しい”とは言っていた。それ以降は、ただカヤツリ先輩に不都合な事実と、ネフティスが先輩を危険視している事だけだ。
自分たちの言う事を聞かなければ、こうするなどとは一言も言っていない。
「それと、今の私はネフティスの名代で来ているわけではありません。私はかつてのお嬢様に呼ばれたので、スオウさんという護衛を連れて来ただけです。だから、挨拶ではなく謝罪から入ったのです。顔見知りですからね。ただの一個人がうだうだと何かを言ったところで責められる謂れもないでしょう。彼もそれくらいは許容範囲内でしょうし、私のような大人など、いくらでも見ているでしょうから」
「貴方たちは……」
アヤネちゃんは言葉もないようだった。
黒服とか言う大人とも、カイザー理事のような大人でもない。全く違うタイプの大人だった。彼らは、自信を持って自身の知恵や権力を振るってきたが、この大人は違った。
執事は自身が弱いことを自覚している。だから、ミスをしない事だけに集中する。余計なことを、真実ではない事を言わないようにしている。ただただ、相手が間違えるのを待っている。
「それでは、提案は拒否という事で宜しいでしょうか? 安心して下さい。これ以上は何もいたしません。用事はほとんど終わりですから」
発言の全てが信用できなかった。嘘は言わないのだろうなというのは分かるが、得体の知れなさがどこかにあった。
「それで、最後の用事ですが。お嬢様。貴女は聞きましたね? 梔子ユメさんの失踪にネフティスは関係あるのかと」
その言葉で、ホシノ先輩の雰囲気が変わるのを感じたが、何もできない。どうすれば良いのかもわからない。そんな自分を置いてけぼりにして、事態は動く。
「関係あると言えばあります。そこの書類一枚程度の関係がね。分かりやすく言うなら、その書類の契約をしたと言う事だけです」
ホシノ先輩が訝し気に執事を見るが、間にスオウさんが割り込んだ。一応は護衛の役目だからだろう。彼女の影に隠れた執事は、変わらずの様子だ。
「これでも長い間、お嬢様の面倒を見た身です。お嬢様の将来を心配する気持ちも、ご両親と同じくらいはあるつもりです。だからこそ、お嬢様に提案を飲んで頂きたくて悪辣な手を使いました。そして、仕事はしっかりと。これが私のモットーです。仕事ですから、嘘は言いませんし、妙な言い回しはしませんとも。先ほども嘘はつかなかったでしょう?」
「……どうして契約を結んだのかは分からないって……」
「ええ。それは分かりません。ただ、調べたうえで分かったこともあります」
ホシノ先輩の責めるような声は、執事には効いていないようだった。軽い調子で執事は話し出す。
「あの契約に関わり、今はもう退職した者の記録を見つけました。個人的な業務日誌のようなものでしたが、一部面白いことが書いてありましたよ」
聞いてはいけないと、どこかで誰かが囁いているような気がした。でも、答えるのはホシノ先輩だから、自分は何にもできないのだ。
「……聞くよ」
「ゲヘナから、打診があったと。ゲヘナから脅されて、条件を飲まざるを得なくなった。砂漠横断鉄道の売却の話を安く受けなければならないとね」
ホシノ先輩は愕然とした表情になった。ホシノ先輩の中では何かが繋がったらしかった。
「その条件は、今から二年前の明日。正確には今日の夜にあったこと。それの結果いかんによるようですが……契約が行われたと言う事は、そう言う事なのでしょう」
「ホシノ先輩……?」
ホシノ先輩の顔色が悪い。何処か血の気が引いているような……
「丁度、二年前の今日の夜。事件がありました。世間にはカイザーの実験機の事故と報道された事件です。その事故でゲヘナの部隊に損害が出たと」
話し終えると執事が指を一本立てた。
「ここで問題ですが、ゲヘナの打診で砂漠横断鉄道を売り出すことになった。つまりはゲヘナの横槍が無ければ契約は行われなかったことになります。そして、条件の日にもゲヘナが関わっている。何か作為的なものを感じますね」
それは、そうだ。おかしなところは無い。でも、それが何か良くない事なのか、ホシノ先輩の様子はおかしい。
「そして、それより前のアビドス砂漠の落ら──」
「もういいよ」
さっき、執事に言ったのとは同じセリフをホシノ先輩が放った。でも最初のとは違って、吐き捨てると言う感じでは無かった。
どこか、落ち込んでいるような、小さくなっているような、どこかショックを受けているような。気がつきたくなかったことに気がついてしまった。そんな様子だ。
「……それでは、ここで終わりにしますが……本当によろしいのですか?」
執事も、本当に含むところは無いのか、どこか心配そうだった。仕事はきっちりやると言うのは本当らしかった。さっきの悪辣さは微塵もない。
「いいよ。大体の事は、分かったから……」
そう言うホシノ先輩の姿は、二年前の自分が見た、砂漠を彷徨っている時と重なって見えた。