ホシノ同級生相棒概念 作:洞鼬
頭をガツンと殴られたような気がした。
真っ暗になった視界と、グワンと歪んだ足元がおぼつかないような感覚。それほどまでの衝撃だった。
──アビドスから逃げ出してしまいたい。
その文章の意味は分かる。ただ、それをユメ先輩が書いたというのが信じられなかった。
自分が知っているユメ先輩は、こんなことを考えるような人ではなかった。
いつも笑ってて、能天気で、いつもアビドスの事を考えているような人だった。
こんな言葉を残すような人では無かった。
これが、カヤツリに、自分たちに残されたモノ? こんな恨み言みたいなものが?
「あ……あ。あっ……やだ。やだ。いやだよ……」
信じたくなくて、ページを最初からめくる。
──今日からアビドスを復興させる日の始まり。授業もないし、同級生も数えるほどしかいないけど、皆アビドスを救いたい気持ちは一緒のはず。今日から頑張ろう。
──もう生徒会に入れることになった。仕事が沢山あって、他の人たちはずっと何かを話してるみたい。でも、この仕事がアビドスを良くするんだ。明日も頑張ろう。
最初は自分が思う通りのユメ先輩だった。それだけで、少しだけ落ち着いた。ページをどんどん捲る。
──仕事をこなしても、なにも良くならない。これは意味があるの? でも、やらないよりましだよね。明日も頑張らなきゃ。
──私だけが頑張っているような気がする。でも、他の人もアビドスに入学したんだから、やる気はあるはずだよね? 明日も頑張らなきゃ。
風向きが悪い方へ行ったのが分かった。それでも、ページを捲る手は止まらない。
──大人の人に怒られた。そんな無駄なことはやめろって。どうして、そんな酷いこと言うんだろう。でも、頑張らなきゃ。
──同級生に忠告された。一人じゃ無理だから、早く身の振り方を決めなって。それなら一緒にって言ったら、怒鳴られた。何もできない自分が惨めになるからやめろって。……生徒会の人たちと頑張らなきゃ。
もうやめろと、自分の本能が警告していた。でも、もう手は止まらなかった。
──大人の人に騙された。協力してくれるって言うから付いて言ったけど、誘拐されそうになった。……生徒なら大丈夫だよね。……皆で頑張らなきゃ。
──生徒会の人は何もしてなかった。ただ、残ったアビドスの財産をどうするか。相談しているだけだった。どうしてって、何で頑張らないんだって言ったら。無理だって、賢い奴はみんなそうしてるって。……なら、私はバカでいいや。
──何もなくなっちゃった。皆が持って行っちゃったから。コンパスすら残ってない。壊れたのだけだ。それを知らなくて、遭難しかけた。無しでも分かるように勉強しよう。勉強すれば、方法がわかるかも。
もう、ページを捲りたくなかった。次はもうあのページだからだ。
──勉強しなきゃよかった。私は、何もわかってなかった。ここには何も残ってなかった。それを私は何にも知らなかった。私はバカのままがよかった。
──皆ほとんどいなくなっちゃった。残ってるのは、お金になるのを探している人たちだけ。生徒会の人ももういない。私に生徒会長を押し付けて出て行った。
──私は何のために頑張っていたんだろう。一番は自分の為だったけど、喜ぶ皆の顔が見たかっただけなのに。皆で協力すれば何とかなるかもしれないのに。自治区を捨てるのは辛い事のはずなのに。
──もうアビドスから逃げ出してしまいたい。
──誰も手伝ってくれない。誰も助けてくれない。誰もアビドスの復興を望んでいない。もう私しかいない。もう生徒会長である私が頑張るしかないんだ。
──でも誰か、誰か。誰でもいいから。一緒に……
これ以上は耐えられなくてページを閉じた。
カヤツリが隠すのも当然だった。こんなものを自分が見てしまったらどうなるだろう。
答えは簡単だ。
今の自分みたいになる。自分が仕出かしたことに押しつぶされて、碌なことが考えられない。
今までの自分の思っていたユメ先輩は、まやかしだった。本当はユメ先輩はもう投げ出したかったのかもしれない。
そして、それができなかった理由は明らかだった。
自分がいたからだ。自分とカヤツリがいたから、ユメ先輩は逃げられなかったのだ。後輩を置いて、先輩であるユメ先輩は逃げられなかった。
そんなユメ先輩に、きっと限界だっただろうユメ先輩に、自分たちにはそれを隠していたユメ先輩に。自分は何と言っただろう。
──もっとしっかりしてください! あなたはアビドスの生徒会長なんですよ!? もう少しその肩に乗った責任を自覚したらどうなんですか!
その肩に乗った責任を自覚しろ? そんなものはユメ先輩は自覚していたに決まっているのだ。むしろ、それに押しつぶされそうになっていたのに。
そんな事を言われたユメ先輩はどう思っただろう。自分を恨んだに決まっている。だから、手帳のことを電話で言ったのだ。
ユメ先輩は、自分を恨みながら死んだのだ。だから、何も残してはくれなかったのだ。
自分が、私が。私が、ユメ先輩を殺し──
「ホシノ先輩!!」
「あ……?」
肩を掴んで揺さぶられたから、思考が途切れてしまった。
のろのろと顔を上げれば、セリカちゃんが心配そうな顔で自分を見つめている。
「……どうしちゃったのよ。ホシノ先輩……シロコ先輩も、ノノミ先輩も」
セリカちゃんの言葉に周りを見れば、シロコちゃんやノノミちゃんも酷い顔をして俯いている。その二人をアヤネちゃんが心配そうに覗き込んでいた。
「ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……」
シロコちゃんが思い詰めたように呟く。何について謝っているのかは見当しかつかなかった。
「生徒会室を漁ろうなんて言って、カヤツリ先輩の気持ちを無視して、ごめんなさい……!」
そう言って、シロコちゃんはソファの上で膝を抱えて蹲ってしまう。
「私が悪いんです……」
今度はノノミちゃんだった。
「私が、余計なことを考えたからです……カヤツリ先輩が隠していたから、相応の理由があるはずだったのに。私は、いつもみたいな物だと、カヤツリ先輩のいつもの悪癖だと。そう勝手に判断したんです……まさか、あんな……」
シロコちゃんのように蹲りはしないものの、暗く俯いている。自分を含めたこの三人のせいで、部屋の空気は最悪だった。
こんな時はノノミちゃんか、カヤツリが何とかしてくれるのに。ノノミちゃんはご覧の有様だし、カヤツリは電話を切ってしまった。シェマタの件が終わるまで連絡しないと言う事は、自分が電話を掛けても出ないと言う事だ。
電話口でのあの怒りは、もうすっかり消え失せていた。あの手帳の文章はそれほどまでの威力があったから、怒りの代わりに今は真逆の感情で一杯だ。
「ああ、もう! なんで先輩達皆、そんな世界の終わりみたいな顔してるのよ! カヤツリ先輩に悪いと思うんなら謝ればいいじゃない!!」
そんな自分たちを見て、セリカちゃんが顔を顰めながら叫ぶ。その大声は、沈んだ心に良く響いた。他の二人もそうなのか、大声の主を見る。
「でも、セリカちゃん。私は、とんでもないことを……」
「生徒会室を探すことにしたのは、私たちもそうよ。私たちは反対しなかったもの。悪いのは、ノノミ先輩やシロコ先輩だけじゃないわ!」
セリカちゃんも、自分たち程ではないが沈んだ表情をしている。それでも声を張り上げる。
「カヤツリ先輩がその手帳を隠したかったわけは、ホシノ先輩の様子と、さっきの話で何となく分かるわ。カヤツリ先輩があんなに怒るのも仕方がないことかもしれない」
でも、とセリカちゃんは言う。
「謝れば許してくれると思う。というか、謝らなきゃ始まらないの。それで、話も聞いてくれない程、カヤツリ先輩は話が分からない人じゃないわ。私なんか何回怒られたか知れないもの」
そうだろうかと思う。あんなカヤツリを見るのは初めてだ。不安しかない。
そんな自分を見たセリカちゃんは不思議そうに言うのだ。
「そんな事は私よりも、ホシノ先輩の方が分かってるんじゃないの?」
「でも、私は……さっきまで、全然わかってなかったんだよ。もう、何も分からないよ……」
幸いにも怒りが引いたおかげで、ようやく落ち着いて考えることが出来ていた。
この手帳を隠したのは、カヤツリの善意だった。きっと自分を心配してくれていたはずだった。カヤツリだってこれを読んだのだろう。そして、それを自分だけで抱え込んだのだ。
いつ言おうか、ずっと考えていたのかもしれない。それを自分は全く理解しようともせずに、感情のままに怒鳴り散らした。
ユメ先輩の時とまるで変わっていない。カヤツリも愛想が尽きたかもしれない。もう邪魔に思ったから、あんな突き放すようなことを言ったに違いないのだ。
「そうかもしれないし、明後日まで口をきいてくれないかもしれないけど。伝言くらいはできると思うわ。こういうのはすぐやった方が良いの」
「伝言? 誰に……?」
「誰って、先生に決まってるじゃない。カヤツリ先輩も、先生の言う事なら聞いてくれると思うの」
何を言っているのか。そんな顔で、至極当然のように。セリカちゃんはシロコちゃんに答えた。
「だから、まずは私とアヤネちゃんに説明してよ。先生にも事情を話すのもそうだけど、私と先輩達で何か食い違っている気がするの」
その言葉は、自分たちへの心配で満ちていた。そして、さっきの自分と同じような思いも。
それは、仲間外れにしないでほしいという思いだろう。
シロコちゃんやノノミちゃんは、二人のように普通にアビドス校舎へやってきたわけでは無い。シロコちゃんは行き倒れ、ノノミちゃんは逃げてきた。だから、自分とカヤツリを含めた四人の関係性はとても近かった。今みたいにボロボロに落ち込むくらいには。
セリカちゃんとアヤネちゃんは一年生。まだ自分たちと出会って一年も経っていない。そのこともあって、二人は距離を感じるのだろう。
それが、今回は良いように働いたのかもしれなかった。カヤツリと距離が近すぎる自分たちと違って、二人は俯瞰して物事を見れていた。
それなら、話してみるのも良いかもしれない。すでに、全員の前で取り乱したから、恥も何もない。今は一人で考えていると碌でもない思考しか浮かばないから、何か別の事を考えていたかった。
それに、自分を恨んでいたのだとしても、ユメ先輩の言葉は大事にしたかったのだ。先輩は後輩を守るものだから。今は全く真逆だけれども。
「おじさんは……何から言えばいいかな……?」
「まずは、
アヤネちゃんは手の中の手帳を見ている。この手帳について、見え方が違うと彼女は言うが、それは当然の話だ。ユメ先輩を知っているかそうでないかで感じ方は違う。
この手帳について話すと言う事は、ユメ先輩のあの言葉についても触れなければならない。正直、もう一度は見たくはない。逃げ出してしまいたい。
でも、ここで逃げ出してしまったら、本当に自分は何者でもなくなってしまう。それは嫌だった。だから、重い口を何とか開く。
「これは、きっとユメ先輩が残した手帳なんだよ。さっき話したね……」
「それは、三年生。高校三年生の時の梔子ユメ先輩のものですか? それが、そうだとホシノ先輩は思って、カヤツリ先輩が隠していたから、怒ったんですよね? それで、中にはなんて書いてあったんですか?」
「そうだよ。中は……ほら」
全員が中を見て、何とも言えない顔をしていた。自分ももう一度見るが、文章は全く変わっていない。
ただ、アヤネちゃんだけが、何かに気がついているようだった。
「三年生の内容にしては、おかしくありませんか?」
「……何を言っているの? これは、ユメ先輩が残したものだよ! だって組が書いてない! 学年だって……」
一昨日カヤツリに言われたとおりに、しっかり確認したのだ。手にある手帳を見て、固まった。
組は確かに書いていないが、学年は書いてあった。ユメ先輩の字で一と数字で。
「え、何で……? これは高校一年生のってこと……? 私は勘違いしたの……? いや、でも、三年生の物とは限らないよね……」
頭から血の気が引くのが分かった。禄に内容を噛み砕かないし、前に間違えた組だけ見ていたから、先入観でそう思い込んでいた。生徒会って書いてあるから、三年生の物だと思っていた。
動揺するのを何とか抑えて、ユメ先輩の言葉を思い出す。手帳としか言っていないから、これの可能性もある。
「ごめんなさい。ホシノ先輩。それは、たぶん違うんです」
ノノミちゃんが俯いていた顔を上げていた。シロコちゃんも顔を上げて、口を開く。
「カヤツリ先輩のロッカーに、その手帳はあったの。まるで放り込んだみたいに、一番上に置いてあった」
「え?」
それは、おかしいことだとすぐに分かった。カヤツリが隠すなら、徹底的にやる。ロッカーを開けたらすぐわかる位置に置いておくなんて変だった。それじゃあ、まるで、本当に急いで放り込んだみたいだった。
「あ……そうだ。あの時……」
それに、ふと思い出す。連邦生徒会に侵入する時に、カヤツリのロッカーを開けている。装備の回収を頼まれたからだ。その時には手帳は無かった。
そうなると、この手帳はそれ以降に放り込まれたことになる。
「ホシノ先輩。最初に見せてくれた手帳がありましたよね。あれは、どこにあったんですか?」
アヤネちゃんは、会議の時のように淡々と聞いてくる。それが、今の自分にはどこか有難く思えて、一昨日の事を詳細に話す。
夢を見て掃除をしようと思った事。その時に制服の段ボールからユメ先輩の手帳と制服を見つけた事。ユメ先輩が残した物と、勘違いしてカヤツリに指摘された事。その手帳は、自分が思う通りの、入学直前のユメ先輩の日記だったこと。
それを聞いたアヤネちゃんは、一つの段ボールを指差した。
「手帳が入っていたのは、あの段ボールですか?」
「そうだけど……」
その答えを聞いた自分以外の全員が暗い表情になった。そして、自分はアヤネちゃんとセリカちゃんの二人から、あそこにブレザーがあった意味を聞かされた。
「え……じゃあ、ユメ先輩は……本当に……?」
アビドスから逃げ出したかったのだ。だから、ブレザーを置いて中学三年生の手帳も入れたのだろう。せめてもの思い出にと。
「それじゃあ、それじゃ……私が……! 私がいたから……!」
「ホシノ先輩! 落ち着いて! まだそうと決まったわけじゃないわ!」
さっきと同じように、セリカちゃんが自分を揺さぶりながら言う。
「これは、高校一年生の時の手帳なんでしょう!? でも梔子ユメ先輩は三年生までいたんでしょう!? だったら、梔子ユメ先輩は残ったの! それは、ホシノ先輩が一番知っているでしょう!?」
それでも、でも。自分がユメ先輩の事を何も分かっていなかったのは事実だ。それだけははっきりしている。それが分かっていれば、自分はあんなことは口が裂けても言わなかった。
「……たぶん。この手帳はブレザーに入っていたんでしょう。二冊とも」
アヤネちゃんが、机の上の手帳を見ながら言う。
「そして、カヤツリ先輩はもう一冊持っているんです。梔子ユメ先輩が残した正真正銘の手帳を。もう一冊」
「なんで? アヤネちゃん。なんでそうだって分かるの……?」
「……手帳を見ようとしたホシノ先輩を止めたからですよ。それは、手帳の内容を知らないとできない事ですから」
はっとした。手帳に飛びついた自分をカヤツリは止めた。求める物は何も書いてないと。確かにそう言った。
「だからきっと、カヤツリ先輩が持っている物も似たような内容なんです。一昨日のブレザーから手帳が出てきた時、かなり肝を冷やしたと思います」
それは、今の自分の様子を見れば一目瞭然だった。カヤツリは絶対にこの事態を避けるだろうから。
「カヤツリ先輩の事ですから、ブレザーがここにある意味も察したはず。でも、ホシノ先輩が見つけた手帳は当たり障りの無いモノだった。だから、カヤツリ先輩はホシノ先輩が手帳に気を取られている間にブレザーを確認したんでしょう。そして、予想通りにもう一冊あったんでしょうね……」
後の事は想像がつく。掃除をすると言って自分を先に帰らせた。すぐに中身を確認したに違いない。そして、それはカヤツリの予想通りだったのだろう。
──なんでもっと早く……
あの言葉の続きは”出てきてくれなかった”ではない。”言ってくれなかった”か”気がつかなかった”だ。
そして、カヤツリは自分にバレないように、ロッカーに手帳を放り込んだ。おそらくはその日のうちに黙って回収するつもりだったのだろう。でも、その日はハイランダーの騒動があったから、その暇はない。翌日もネフティスの来訪。そして、今日は明日の準備でその時間が無いのだ。
カヤツリの計画では上手くいくはずだった。ハイランダーが来なくて、シロコちゃんが生徒会室を漁ろうとせず、ノノミちゃんがネフティスを呼ばなければ。そもそも、自分があの夢を見て、掃除なんて提案しなければ。今頃はカヤツリと仲良く話していたかもしれない。
でも、そうはならなかった。それが今だった。
「梔子ユメ先輩やカヤツリ先輩が、何を考えていたのかは分かりません。でも、一つだけはっきりしている事があります」
「それは……?」
アヤネちゃんの言葉に耳を傾ける。もう色々限界で、それだけしかできないのだ。
「カヤツリ先輩は、ホシノ先輩に話すつもりだったんです。仕事が、シェマタの件が終わればって言ってたでしょう?」
確かに、そう言っていた気がする。自分は言い訳だと思って聞き流していたが。カヤツリは隠していたわけでは無かった。それを自分は……
「だから、大丈夫です。明日が無事に終われば、カヤツリ先輩はきっと話してくれます」
「そうかな……」
「先生に今の話を電話で伝えますから、さっきの喧嘩を先生も聞いていました。今頃カヤツリ先輩と話そうとしている頃でしょうし……」
また嫌な気持ちが頭をもたげてきて自信は無かったが、アヤネちゃんの事実を交えた説明で少しは納得できた。事実は裏切らない。それはユメ先輩の手帳も一緒なのだが、それでも自信を持つことが出来た。それは、シロコちゃんとノノミちゃんも同じだったのか、少しばかり落ち着いたように見える。
電話は繋がったようで、先生と通話をするアヤネちゃんの声が聞こえた。
また話せるかな。そう独り言ちて、あの日の空と一緒の、晴れた空を見る。
ユメ先輩の時みたいにならないといいなと、そう思いながら。