ホシノ同級生相棒概念 作:洞鼬
「……それで、これが見つかったの?」
カヤツリとノノミちゃん以外が揃った部室。テーブルの上に、カヤツリが後輩に配った機械があった。二つ一組の機械で、一つは録音装置付き、もう一つは発信機付きだ。
「反応があった場所にそれが落ちてた。車も追いかけたんだけど……」
「遠すぎて追いつけなかったんだね? それで、総会の会場までノノミちゃんは連れて行かれちゃったと……」
コクリとシロコちゃんは、部室の床に座り込んで頷いた。
録音を聞いて、大体の状況は把握したから、さっきのネフティスの電話も含めて考えを纏める。
「シャーレの襲撃はカイザーPMCを使った、私募ファンドの襲撃だった……」
「あそこで気がついてれば。それにノノミを止めてれば……」
シロコちゃんが後悔の言葉を吐くが、仕方ないとも思う。ヴァルキューレの懐事情など知らないし、カヤツリならまだしも、カイザーPMC特有の動きなど分かりはしないだろう。そして、分からなかったのは、部屋に閉じこもっていたせいで対応が遅れたのは自分も同じだ。後悔が今も自分を責めるが、押し殺して口を開く。
「それで、ネフティスはアビドス生徒会が非認可の組織だったと。アビドス生徒会副会長だった私に宣言しろって言ったんだね?」
「はい……そうしなければ、ノノミ先輩をハイランダーへ転入させると」
そこで、車内の録音とは違って、ノノミちゃんの事しか言わない所を見るに、ネフティスも切羽詰まっているのだろう。手元にあるのはノノミちゃんの身柄だけだから。
彼らが一番欲しいのは砂漠横断鉄道とシェマタだ。それを手に入れるには契約をどうにかしなければならない。
彼らが契約を重視するのは、カヤツリの事だけではないのかもしれない。カイザーと取引したとも言っていたから、横槍を警戒したのもあるのだろう。
「……非認可の組織だって、宣言するとどうなるの?」
「……そうですね。アビドス生徒会が結んだ契約が全てなかったものとして扱われます。……梔子ユメ先輩の契約も、白紙に戻るでしょう」
そうなれば、砂漠横断鉄道は所有権を持っていたネフティスへと転がり込む。正確には共同出資したアビドス生徒会にも権利は発生するが、非認可の組織だったと宣言した以上は、その権利は消失する。
「なんで? そんな事をしなくてもいいじゃない! だって、カヤツリ先輩と先生は捕まってるんでしょう!? ノノミ先輩にそんな事をしなくても、明日の正午には砂漠横断鉄道は手に入るじゃない!」
「それは、私たちから見たらの話だよ。セリカちゃん。ネフティスにしてみたら、そうじゃないんだよ」
カヤツリが総会に行けない関係上。このままいけば権利はカヤツリの手から離れる。それは合っている。だが、ネフティスと私募ファンドが懸念しているのは、その後の事だ。
「債権を持つ者に砂漠横断鉄道の権利は渡る。ネフティスと私募ファンドの間で権利の奪い合いが始まるんだよ」
「だから、私募ファンドはカイザーの提案に乗ったのかもしれませんね……」
ネフティスと私募ファンドの間の力関係はよく分からない。拮抗しているのか、どちらかがわずかに有利なのか。それすらも。
ただ私募ファンドは負けると思ったのだろう。だからこそ、先手を打って不意打ちした。
シャーレを襲撃し、先生とカヤツリを拉致した。そのまま、カヤツリから権利を奪い取ってしまえば。それこそ、ネフティス抜きの新しい契約をさせてしまえば。ネフティスを出し抜ける。
カイザーも特に文句は言わないだろう。邪魔者であった先生とカヤツリを排除できるのだから。私募ファンドもきっと、カヤツリや先生に酷いことをしているに違いなかった。
「そんなの駄目よ! アイツらの思うつぼじゃない!」
「そうだね。セリカちゃん。私もそうするつもりはないよ」
事情を把握したセリカちゃんの叫びに同意する。その選択はあり得ないし、ネフティスの言う事は聞けない。ネフティスにも余裕がないのは分かる。言う事を聞くだけ無駄だ。
「ネフティスは焦ってるみたいだね。予定が狂ったのが信じられないみたい。私募ファンドに後ろから刺されたのが本当に信じられなかったんだろうね」
「予定……ですか?」
「うん。カヤツリから砂漠横断鉄道を奪い取って、その後の事を考えなかったとは思えないんだよ」
初めの計画は、カヤツリから砂漠横断鉄道の権利を奪い取ることにあったのだろう。私募ファンドとネフティスはその一点では協力していた。
何とか屁理屈をこねて、カヤツリに総会で宣言させることを飲み込ませる。カヤツリにとっては大したことでは無かったはずだった。そのための準備位はしていただろう。
「砂漠横断鉄道を奪われたら、ユメ先輩の願いを邪魔されたら、絶対カヤツリは諦めない。先生でもなんでも、手段を選ばない。そんな事はネフティスだって分かってる。勿論私募ファンドもね」
最初から気になっていた。カヤツリとネフティス、私募ファンドの目的は一緒だ。アビドスの復興は彼らの悲願でもあるはずだった。邪魔するのは理屈に合わない。
「彼らはカヤツリと協力するよりも支配することを選んだんだよ。怖くてたまらないから、信用できないから、自分たちがいつでもコントロールできるようにね」
きっと、間に合わなかったカヤツリに提案するつもりだったのだろう。
手を組むこと。それこそ最初に提案してきたことを。
「カヤツリはきっと、彼らに忖度しないだろうから。権利を奪ってから、ノノミちゃんとくっつけて、ノノミちゃん越しにコントロールしようとした」
最初のあの提案。ネフティスと私募ファンドが権利を持っている状況であれば、昨日とまるで状況が違う。
カヤツリが権利を持っていない。その状況だと、カヤツリはノノミちゃんが居なければ砂漠横断鉄道に関われないのだ。反抗するようなら、ノノミちゃんを脅しに使えばいいし完璧だ。
ネフティスと私募ファンドからしたら、笑いが止まらないだろう。カヤツリに首輪をつけたまま、アビドスを復興させて、元の座に返り咲けるのだから。
先に提案を出したのは、本当に譲歩というか、確認だったのかもしれない。大企業だった時の感覚が抜けなくて、ああいう言い方になっただけで。
一言、カヤツリに協力してほしいと言えば、カヤツリは考えただろう。考えて、手を組んだかもしれない。それか、あそこであの話をカヤツリが受けていたら、こうはならなかったのかもしれない。
ただ、もう今となっては過ぎた話だし、その選択はカヤツリは絶対しないだろうから、話を元に戻した。
「まあ、そんなわけだから。そんな事はしないよ。安心してね。セリカちゃん」
にっこり笑って、微笑むが。セリカちゃんは心配そうな顔を止めてはくれない。
「じゃあ、どうするの? このままなら、砂漠横断鉄道が盗られちゃうのは変わらないじゃない」
「大丈夫だよ」
「何が大丈夫なの? 先生も、カヤツリ先輩もいないのに……」
セリカちゃんの不安は尤もだった。確かに、この事態を何とかできそうな二人はいない。でも、自分だって先輩なのだ。自分だからこそ、取れる手段はある。
「私が総会に行くよ。契約の買主はアビドス生徒会。私は前アビドス生徒会副会長だよ? だから、明日の正午までは私の方に権利がある」
「大丈夫なの……?」
「大丈夫だよ?」
そんな、心配そうな顔をしないでほしかった。確かに、セリカちゃんから話を聞くまで、生徒会室で蹲って泣いていたのは事実だが。
今は、泣いている場合ではない。むしろ喜ぶべきことだ。だって、今度は間に合うのだから。どうやっても間に合わせてみせるのだ。
「だからさ、セリカちゃん達は待っててね。全部終わらせてくるから」
「え……?」
セリカちゃんが信じられないような表情をしていた。自分はそんなに変なことを言っただろうか。
「ホシノ先輩一人で行くの? 総会の会場まで? ネフティスの助けも借りないんでしょ?」
「そうだよ?」
「無理よ! だって、アヤネちゃんが調べたけど、総会の会場前の警備は凄い数よ!? 前のヘルメット団の比じゃないわ! ホシノ先輩一人だけじゃ──」
「出来るよ。私なら。私一人でどうにでもね。あの時とは違って物資は沢山あるし、終わりも見えてる。必ず三人を助けて見せるよ」
そのくらいはどうとでもなる。自分一人であれば。本当ならカヤツリが欲しいところだが、連邦生徒会の時の様にはいかない。
でも、自信はある。総会の警備を全て切り抜ける。自分の強さならそれくらいの事は出来る。どうせ会場には私募ファンドとネフティスがいるだろう。ノノミちゃんとカヤツリ、先生の居場所は身体に聞けばいい。奇しくもカヤツリにやったかもしれない事をやればいい。
「でも、そんな事をしたら……」
「そうだね。総会を切り抜けたところで、ネフティスや私募ファンドは、また何かしてくるだろうね。それなら出来ないようにすればいい」
総会に居る人間を覚えておこう。それで私募ファンドやネフティスの人間を闇討ちすればいいだろうか? そんな考えを口に出せば、アヤネちゃんが顔を真っ青にした。
「そうだよ。これが皆を連れていけない理由。こんな事を後輩にやらせるわけにはいかないからね。それと、私は対策委員会を辞めなくちゃいけないね。姿も消さなきゃいけない」
「は!? どうしてよ!?」
「だって、対策委員会に迷惑が掛かるでしょ? セリカちゃん達には、皆には。学校生活を楽しんでほしいんだよ。ああ、安心して? アビドスから出て行くってわけじゃないよ。ただ、今までみたいに皆の傍には居られないってだけで──」
「どうして!」
突然の大声に、言い訳を話す口を閉じる。
シロコちゃんが、悲しそうな目で自分を見つめていた。
「どうして、そんな悲しい事を言うの!? ホシノ先輩だけが、なんでそんな事をしなくちゃいけないの!? どうして、また一人だけで何とかしようとするの!?」
「それは、仕方ない事なんだよ。先輩は後輩を守るものだから。ユメ先輩だってきっと同じ選択をしたよ」
「本当にそれだけ? 本当にそれだけが理由なの!?」
少しだけ痛いところを突かれた。流石は長い間一緒に居ただけはあった。でも、それを悟られるわけにはいかない。
「じゃあ、シロコちゃん。何か他に良い考えはあるの? 誰も泥を被らないで、全てが解決する。そんな夢みたいな方法がさ?」
「う……」
シロコちゃんは黙り込む。自分だって、こんな方法は短絡的で、頭の良くない、賢くない方法であることは分かっている。できればやらない方がいいと言うことくらい。
ただ、それは他に良い方法があればの話だ。
あの録音装置の内容で、一つだけは納得できることがあった。
──代償もなしに望む物は手に入らない。
ほしい物、失くしたくないものは沢山ある。でも、全ては拾えないのだ。そのための力を自分は持っていなかった。だから、何かを諦めなければならなかった。
それなら、自分を捨てよう。それで、三人が救われるなら。それで、後輩たちが笑っていてくれるなら。それが先輩の役割で、ユメ先輩がやってくれたことだから。
先生やノノミちゃんは悲しむだろう。カヤツリはどうだろうか。きっと怒るだろうか。探し出してくれるだろうか。
「待ってください! 判断が速すぎます!」
アヤネちゃんがシロコちゃんの代わりに声を上げた。まあ、この場合に一番に声を上げるのは彼女しかいない。ノノミちゃんもカヤツリもいないからだ。
「私募ファンドの動きは変なんです!」
変も何も、それが今、実際に起こっていることだ。それでもアヤネちゃんは声を上げる。
「ネフティスが焦るくらいには、私募ファンドの動きは変なんですよ!? 先走るにも勝算が無さすぎますし、後の事を考えていません! シェマタで何とかする気でいるにしても、そこまで考えなしとは思えないんです! それに、カヤツリ先輩も言ってたじゃないですか!」
「ああ、様々な角度から物を見ろって?」
「そうです! まだネフティス側からの憶測の情報しかありません! カヤツリ先輩や先生も、上手く逃げたのかもしれないんですよ!? まだ、夕方です。時間はまだ残っているんです!」
なるほどと思う。確かに、私募ファンドの動きは変だ。余りにも力押しで稚拙だ。ネフティスを裏切るにしても、もっといいタイミングはあるだろう。まだ砂漠横断鉄道の権利を手に入れたわけでもないのに裏切るのは速すぎる。
「アヤネちゃんは待てって言うんだね? じゃあ、いつまで待てばいいの? 明日の朝まで? それとも、全部が手遅れになるまで? それまで、何もしないで待ってろって言うの?」
「やっぱり……そうなんだ。ホシノ先輩は……」
シロコちゃんがいつの間にか、自分を見つめていた。さっきとは違う確信の籠った目だった。
「一人で行きたがる本当の理由は違う。こんなに焦る理由は違う。後悔したくないから行きたがってる。違う?」
「……悪いの? それのどこが悪いの? ねぇ、シロコちゃん」
自分の声を聞いて、シロコちゃんが震えた。
酷い声だった。後悔と、悲しみと、怒りが滲んだ声だった。
「シロコちゃん達がどうでもいいわけじゃないんだよ。ただ、元気でいて欲しいだけなんだよ。そうであってほしい事が、そんなにいけない事なのかな?」
「その中に、ホシノ先輩が入ってない!」
「じゃあ、間に合わなかったらどうするの?」
またシロコちゃんがビクリと震えた。自分でも分かっているのだ。こんな感情を乗せた言葉を後輩に向けるのは間違っていることくらい。
でも、自分はもう限界なのだ。過去の傷が開いてしまったから。そこからの痛みが我慢できない。
「ノノミちゃんや先生は良いよ。ノノミちゃんは身内だし、先生はあのバリアがあるからね。じゃあ、カヤツリは? カヤツリは何にもないんだよ? 一番危険なのはカヤツリなんだよ!?」
今も心配でたまらないのだ。本当は今にも飛び出してしまいたいくらいなのに。まだ謝ることも出来ていないのに。
「それで待っててどうなるの? アヤネちゃんの予想通りじゃなくて、それで手遅れだったら? 早く動けば助かったかもしれないのに? 私はもう、そんな思いはしたくないんだよ!」
そんなことになったら、きっともう自分は耐えられない。もう二度と立ち上がれない。それを回避することが、そんなにいけない事なのだろうか。
「それは、私にとっては何よりも嫌な事なんだよ」
やっと、助けになれるのだ。強いだけで、何の役にも立たなかったこの力が。やっと正しく使えるのに。
そう思えるから、まだ取り繕える。本当は泣き出したいくらいの心に鞭打って、まだ立っていられる。
きっと私の気持ちなんて、シロコちゃん達には分からないだろうけど。そんな言葉は何とか飲み込めた。きっと、自分の気持ちなど、誰にも分からない。だから、そんな事が言えるし、あんな事が出来る。そして、謝りもしないのだ。
「だから、行かせてほしいな」
「私は……自分よりも強い人の言う事しか聞かない」
懐かしい言葉だった。初めてシロコちゃんが来た時に聞いた言葉だった。あの時と状況は全くの逆だったけれど、次に言うだろう言葉は簡単に予想できた。
「だから、喧嘩しよう。ホシノ先輩」
もう言葉ではどうしようもないのだろう。
後輩たちの言う事も分かる。きっと自分にいなくなってほしくない事も。まだ動くには早い事も。自分が短絡な考えで動いている事も。それをしたらどうなるかも。
でも、自分のこの衝動は止められない。もしかしたらが、頭から離れない。
だから、自分も頷くしかないのだ。その行為が自分の守りたいものを、どうしようもなく傷つける事が分かっていても。
□
「ヒヒヒヒッ。これで小生の勝ちは揺るがない」
薄暗い、何もない暗闇に包まれた空間の中で、地下生活者は上機嫌だった。
「小生の攻略法は完璧。この様子では最後の攻略法は必要ないかもしれませんね?」
目の前の対戦相手に自信満々に問いかける。相手は何も言わずに盤面を見つめているだけだ。
正直、こちらの干渉が弾かれ続けた時はどうしようかと思ったが、やはりビギナーズラックだったらしい。自分の方が上だ。現に自分の攻略法に手も足も出ていない。
──攻略法その一。すでに起きた出来事は変えられない。
先生の手出しのできない過去をほじくり返した。先生が来る前に起きたことは変えようがない。過去の傷は直ぐには癒せない。
──攻略法その二。心は予測も制御もできない。
心に理屈は通用しない。過去の後悔は重いものだ。それが取り返せないモノなら特に。それを取り返せるなら、それが代償行為だったとしても、それが間違いだったとしても、それを選ばざるを得ない。
──攻略法その三。人は信じたいものしか信じない。
どうしようもない事実がそこにあったとしても、真実を受け入れられるのはごく少数だ。結局、判断するのは自分なのだから。だから梔子ユメの遺志も勝手に解釈する。自分の信じたいように。だから、ネフティスと私募ファンドはセトに対して協力を申し込めなかったし、お互いを信用できなかった。目的は同じだったはずなのにだ。
──攻略法その四。小さな傷が致命傷になる。
ホルスとセトの傷は、小さいように見えるだろう。乗り越えたように見えるだろう。ただ、それは外野にそう見せているだけだ。だからこそ、外野はそれを突いて悪化させる。ホルスやセトに対しての謝罪などさせはしない。傷が塞がっては困るからだ。
全てが繋がり、地下生活者の望んだ状況が近づいていた。
セベクは使い勝手の良い駒だった。ホルスにもセトにもなりたいと願いながら、そうはなれない哀れな駒。実に誘導がしやすい。
アヌビスやネフティスたちも動かしやすい。セトが隠したオシリスの断片を集めて、地下生活者にとって都合の良いオシリスとして復活させてくれた。
このままいけば、セトは仮初とはいえオシリスを殺し、ホルスによって死ぬだろう。そして、その死によってホルスは苦しむだろう。死が遠いこの世界で、死に最も近づくだろう。
「案外、大したことないんだな」
「負け惜しみですか?」
盤面を覗いたまま、対戦者がそう言うので。地下生活者は本心で煽った。そして、対戦者の顔を見て、それが間違いだったと確信した。
目出し帽で表情は分からないが、目は分かる。本当につまらないものを見る目で自分を見ていた。
「お前。本当に先生に勝ちたいのか?」
「何を当たり前のことを……」
バカにしているのかと思う。言い返そうとした矢先に言葉が飛んでくる。
「じゃあ、何で正面から戦わないんだ? ベアトリーチェだったか? あの赤い奴みたいにしろとは言わないが、宣戦布告も無しに、コソコソと爆殺しようとするのは戦いとは言わないだろう?」
「フン。正面から戦うのが正しいやり方という訳ではありません。それこそ、黒服がそうでしょう?」
そのベアトリーチェとか言う奴は知らない。調べればわかるが、きっと自分がいない間に加入したメンバーだろう。随分と血の気が多いらしい。あの先生に正面から挑むなど、賢いやり方ではない。弱点を突いて何が悪いと言うのだ。
「ああ、そう答えるわけね。随分と自信がないと見える」
「貴様……」
対戦者の目に嘲りの視線が加わったのを感じて、苛立ちが湧きたつ。
「お前。誰かが観測して、世界にそうだと確定したものは覆せないんだろう?」
その一言で、苛立ちが引っ込んだ。
「お前は直接は物事を確定させられない。ただ人を唆して間接的に動かすだけだ。零を一にはできないし、一を零にはできない。直接人を殺すこともできなければ、死者を生き返らせることもできない」
反論しようとするが、対戦者はそれを許してくれない。
「だって、そうだろ。お前がやったことは誘導だけだ。自分で確定させたことは一つもないじゃないか」
「それは、仕方のない事なのです。ここは混沌の領域。全ては確定しない空間です」
だから、ここまでのことが出来る。それは前提条件であって、仕様だ。どうしようもないことだ。
「ああ、自分でやらなきゃ、そう言い訳が出来るもんな? 失敗しても、混沌の領域のせいなんですって。自分がミスしたせいじゃないって。駒が上手く動かないせいだって。だからお前は負けたことがない。多分、このままじゃ一生勝てないんじゃないか? ずっと勝ち続ける事は出来ないんだよ。俺たちは敗北から学んで成長する。爆発でやられたことがあるなら対策するようにな。だから、勝つためには負けなきゃならない。勝つのは最後でいい。途中で幾ら負けてもいいんだ。肝心なところで勝てばいい」
かなり癪に障った。黒服と同じことを言う。それを聞いている黒服がニヤニヤしているのが更に気に入らなかった。
「良かったじゃないか。先生への攻撃が失敗したのも、さっきのガス管の爆発が失敗したのも、混沌の領域のせいだもんな? 兎馬カヤツリの一言で、悪意ある他人によってガス管が弄られた可能性があるっていう不確実性が揺らいだせいだもんな? 仕方なく、カイザーの爆弾が残っていたっていうやり方にしたのも、威力が些か足りないかもしれないのも。お前のせいじゃないもんな?」
煽りが飛んでくるが、負け犬の遠吠えだと思えば気持ちがいい。想定より低いとはいえ、あの威力だ。今までに観測されたシッテムの箱の障壁を抜けるくらいはあるはずだ。でも、煽りは直ぐに終わらなかった。
「たく……まさか唯の覗き見野郎だとは思わなかった。しかも確定した過去しか覗けないとはな。肝心の見たいところが分からないじゃないか」
「死を探求する小生をバカにするのか? 死が何かを知らない分際でか? ええ?」
「お前が言えた口かよ。お前だって知らないだろう? 知るどころか、目を背けているくせに」
対戦者は怒鳴られても怯みもしなかった。それどころか反論までしてくるのだ。
「だから死が怖いんだろう? 死は終わりという現象の名前だから、他の可能性の一片たりとも在りはしないから、確定したモノを変えられないお前じゃどうしようもできないから。物事が生まれれば一生ついて回るモノ。俺にもお前にもやってくるもので、勝つことも逃げる事もできなくて、必ず最期に追いつかれるモノ。だから、お前は知りたいんだよ。死から逃げたいから、そのために死は苦しみだと言う解釈が欲しいんだろう? 苦しみからは逃げられるからな」
「そこまでにしておきなさい。自分の望んだとおりに行かなかった憤りは分かりますが。ゲームの進行が止まっていますよ」
対戦者の口撃は黒服の言葉で止まった。言い足りなさそうだったが、黒服の顔を立てたのか、もうやめるようだった。
黒服はと言えば、こちらを振り向いて、何事かを言ってきた。
「地下生活者。これは忠告です。追放されたとはいえ、かつて仲間であった
はっきり言って、聞きたくはなかったが、黒服は本気で忠告に留めるらしかった。さっきの言葉とは違って遊びが無かった。
「今は貴方の優勢ですが、悪魔は尤も来てほしくない時に現れて、幸運の絶頂に住む者です。死神は身構えている時には来ないとも言いますね。負けた者に目を向けないのは良くありません。一度負けたからと言って、その者が弱いと言うことではないのです」
「何が言いたい。油断するなという話なら、小生には必要ありません。黙っていてください」
「貴方が聞く聞かないは自由ですが、後で文句を言われても困りますのでね。フェアではありませんから」
黒服は真剣な声を出すが、はっきり言って必要ない。話半分に聞くことにする。
「もう遅いかもしれませんが、死者の言葉を騙るのは止めておきなさい。それは死者への冒涜です。特にアビドスではね。それをしたが最後、地下生活者。貴方は死ぬよりも酷い目に遭うことになるでしょう」
「ハァ……それだけですか。胸に止めておきますので、さっさと戻ってください。進行の邪魔です」
なんだと落胆した。あの黒服が忠告と言うから、重要なことだと思ったが、何のことはない。ただのいつもの意味深な独り言だろう。
死ぬより酷い目などあるわけがない。それに、勝てばいいのだ。勝てばそんな事にはならない。そして、自分はもうすぐ死に勝てるのだから、気にすることは無いのだ。
鼻を鳴らしながら、盤面から一時退場した先生とセトの事は意識から外し、ホルスとアヌビスに集中する。
だから、憐れみを含んだ黒服の視線は気にならなかった。