ホシノ同級生相棒概念 作:洞鼬
総会が始まるまで、まだ数十分ほどの時間があった。その間に、ノノミ達は見つからないように会場に向かう道を歩いていた。
暗い廊下は人気が無くて、二人分の足音がやけに響く。その途中に気になったことがあって、ノノミは質問する。勿論、小声でだ。
「今までどうしていたんですか?」
「ノノミ後輩はどこまで把握してる?」
そうカヤツリ先輩に聞かれたノノミは、記憶を掘り返す。掘り返して、少しだけ青い顔になりつつも、ノノミは答えた。
「シャーレがカイザーに襲撃されたと。そう執事さんから聞きました」
「へぇ、あの大人も中々やるじゃないか」
先行しているカヤツリ先輩は、感心したように呟いて。何事かを考えている様子だった。
「シャーレでカイザーに襲撃されて、ヒナとマトの所に先生を逃がした後。まあ、何やかんやあって、カイザーPMCに俺は捕まったわけだ。まあ、逃げ出す算段はあったからさ。昨日から、ここにいる」
詳しく聞きたいのは、逃げ出した方法なのだが、聞き捨てならない情報がいくつか飛び出てきた。ただ、一つ一つ聞いていては、全部答える前に会場についてしまうだろう。
「……最初は、カヤツリ先輩はどうするつもりだったんですか?」
今は、ノノミの頼みを聞いて、カヤツリ先輩は総会の会場に向かっている。なら、もし頼みが無かったなら、カヤツリ先輩はどうしていたのか。それが、とても気になった。
「再起不能にするつもりだった。ネフティスも私募ファンドもカイザーも。全部」
まだ時間に余裕はある筈なのに、足早に歩きながらの冷たい声で、そうカヤツリ先輩は話す。
ノノミには、その方法がどういうものなのか。はっきりとは分からない。でも、カヤツリ先輩はやる気だったのだろう。
ネフティスを助けてくれるように、お願いする前。カヤツリ先輩の雰囲気は冷えていて、怖かった。
今は、その雰囲気はもうすっかりなくなっている。それは、お願いの最中に消えたことをノノミは気がついていた。
「ごめんなさい。カヤツリ先輩」
「突然どうした。ノノミ後輩。何か悪い事でもしたのか?」
「はい。私はカヤツリ先輩に酷いことをしました。それとホシノ先輩にも」
少しばかり揶揄うように言うカヤツリ先輩に、ノノミは頷く。
実際に悪い事をしたのは確かだったからだ。それは、ネフティスのお願いではない。それよりも前の事だ。とても酷いことを、気持ちを踏みにじるような事をした。
「生徒会室を漁ったことです。そして、興味本位でカヤツリ先輩の隠し事を暴いた事です」
「ああ、そうだな。本当に酷いことをしたよ」
カヤツリ先輩の声には、怒りの感情が混じっている。それは、きっと当然のことだ。そして、あの怖い雰囲気が緩んだのも、それが関係しているのだと。そうノノミは思うのだ。
──そうだな。その気持ちは、よくわかるよ……でも、まだ、ノノミ後輩は間に合うんだもんな。
その言葉をカヤツリ先輩が呟いた時に、怖い雰囲気が霧散した。それまでは、カヤツリ先輩はネフティスを助ける事に否定的だった。でも、その呟きの後から、ノノミの話を聞いてくれるようになった。
さっきのノノミは、ネフティスが無くなるのが嫌だった。正しくは、自分の大切な人たちが居なくなってしまう事が嫌だったのだ。
カヤツリ先輩は、その気持ちが良く分かると言う。そして、自分はまだ間に合うとも。
つまりはカヤツリ先輩は、大切な人を失って、もう取り返しがつかないと言う事だ。それが誰なのかは想像がつく。
その傷を自分は踏みにじったから、そんな自分の頼みをカヤツリ先輩は、聞いてくれたから。
だから、まずは謝りたいと思ったのだ。こんなところで言う事ではないのかもしれない。でも、そうしなければいけないのだ。
「一応は信用してたんだ。それを手酷く裏切るとは思わなかった」
「はい……」
ぶつぶつと放たれるカヤツリ先輩の文句に、ノノミは何も言えなかった。言い返す資格などないし、そのつもりもない。
そんなノノミの様子にカヤツリ先輩は、呆れたようにため息をつく。
「ああもう。今謝ったところで、終わるわけじゃない。全部終わったら怒るからな。覚悟しとけよ」
カヤツリ先輩が正面から怒ってくれたことが、ノノミは嬉しかった。それは見捨てられたわけではないからだ。カヤツリ先輩が本当に愛想が尽きたなら、全く怒らなかっただろうから。
怒られたのにノノミはどこか、自分の足取りが軽くなったような気がしていた。そのせいか、会場の前まで、もう少しだ。
「それじゃあ、時間を見て突入する。覚悟は良いか?」
「はい」
何処か騒がしく、剣呑な気配のする扉を見つめて、ノノミは短く返事をした。
□
「ふん。列車砲か。宇宙戦艦などというSF染みた物より、こちらの方がカイザーらしいと思わんかね?」
プレジデントは上機嫌だった。列車砲はもう手に入ったも同然だからだ。
その証拠に、話し掛けられたネフティスの代表者は歯噛みしている。
「自らの不利を悟り、暴力に訴える。実に効果的で、正しい考えだ。だが、我々カイザーに勝てると思うのは、考えが浅いと言わざるを得んな」
プレジデントの周りには、護衛のPMC兵が展開していた。彼らの視線の先には、鎮圧されたネフティスの兵が転がっている。
「随分と小賢しく立ち回っていたようだが。所詮は没落した企業と利権に集るハゲタカ。敗北者の集まりに過ぎん。だから、私の策に嵌るのだよ」
高笑いするプレジデントに、私募ファンドの一人が反論する。
「貴様が! 貴様が言ったのだろう! ネフティスが裏切ったと!」
「ふむ。確かに。しかし、そう判断したのは、お前達だ。責任転嫁は感心しないな?」
床のネフティスの兵と同じように、銃を向けられて、私募ファンドの一人は黙った。
「まぁ、シャーレが襲撃され、あの男が行方不明とくれば、お互い裏切られたと思っても仕方ないかも知れんがな?」
プレジデントは嘲笑う。
さっきも言った通りに、ネフティスと私募ファンドは敗北者の集まりに過ぎない。
だから、美味い話にすぐ飛び付くし、疑心暗鬼になる。
自分たちの与り知らぬところで、相手だけが得をするような動きがあれば。すぐに揺らぐのが実に愚かだった。
シャーレ襲撃は、カイザーがやった事なのにだ。狙いは兎馬カヤツリだけだったのだが。まさか、先生まで巻き込めるとは思わなかった。現場に丸投げしたのが功を奏した形になったのだろう。
連邦生徒会は平常運転を装っているが、今頃てんやわんやに違いない。だって、先生が居ないからだ。
数ヶ月前に、防衛室が先生を誘拐した時の様子は傑作だった。
先生が居なければ、あの子供達は連携が取れない。過去の確執や利権。それらに囚われて正しい判断が取れない。だから、先生が大怪我をするか、行方不明になれば隠すしかない。それは、あの空が赤く染まった日が証明していた。
ファウストと覆面水着団の損害を思い出して嫌な気分になるが、この光景だけでお釣りがくる。そう思いながら、プレジデントは、屈辱を噛み締めることしかできない敗北者達を眺める。
ほぼ全員に抵抗の意思はあるが、どうしようもない。この様子では、奥の手も要らないだろう。
後は、正午が来るまで、あと十数分待てば良い。あの男はPMCに捕まって、監禁されている筈だ。ここまで来ることはありえない。
だから、プレジデントは暇つぶしに説明してやる事にした。抵抗の意思は折っておくに限るからだ。
「君たちは、実に良い働きをしてくれたよ。損切りでしかないアビドスの債権を、あんな高値で買ってくれたのだからな」
そもそもの目的であるアビドス砂漠に埋まっていた宇宙戦艦は、宇宙の藻屑になってしまった。
だから、アビドスの債権など。カイザーにとっては、あっても無くてもいい。その程度の物でしかなかった。
だから、カイザーPMCを引き上げさせていたのだ。
「まさか、調べないとは思わなかったのか? あんな不良債権を売ってほしいなど。何か裏があると言っているようなものだろう?」
アビドスの借金は、今は順調に減っている。このペースなら、あと十年かそこらで返済しきるだろう。でも、それはアビドス高校が残っていればの話だ。
今は一年生がいる。だが、来年に新入生が来るだろうか? こんな死んだ、砂しかない土地に? 来るはずがない。だから、あと三年でアビドス高校は終わりだ。
「まさかと、流石の私も驚いたよ。あの雷帝の遺産の列車砲とはな。不良品だと思っていたが、あのスペックを再現出来るとは。技術の進歩とは素晴らしいものだと思わんかね?」
あれなら、雷帝が手掛けたと言う列車砲シェマタなら。宇宙の藻屑になった宇宙戦艦の代わりになる。むしろ列車砲の方が、宇宙戦艦などという、プレジデントの理解が及ばない兵器より分かりやすくていい。
「君たちは契約にこだわったな。あの男を恐れたのもあるが、我々の介入を恐れたのだろう?」
敗北者たちは何も言わない。図星だからだ。
契約が締結されれば、カイザーには手が出せない。カイザーが持つのは土地だけだからだ。インフラの権利、砂漠横断鉄道の権利は売ってしまった。
でも、それで良い。
どうせ、列車砲にはセキュリティが付いている。それなら、その解除方法を探ってからでも遅くない。
だから、スパイの目の前で情報を晒す事になる。
「君たちが債権を高値で買ってくれたおかげで、私募ファンドの内の数社を買収できた。彼らには纏めて私の子会社になって貰ったよ」
普通なら、首を縦に振らない。でも、人は損をしたくない生き物だ。そして、損をしたなら取り返そうとする。
ネフティスに裏切られたかもしれないと思う私募ファンドの数社に、プレジデントは囁くだけで良かった。
「手を貸そうかと。そう囁くだけで、彼らは飛びついた。そうして債権を手に入れ、私はこの総会に参加する権利を得た」
囁きに屈しなかった私募ファンドの一人が、そうしなかった一人──さっき叫んだ一人を睨みつけた。
醜い仲間割れにプレジデントは笑いが止まらない。それは、私募ファンドとネフティスの目的を聞いた時から、笑うのを我慢していたからだ。
「アビドスを復興させる? とんだお笑い種だ。君たちは、結局は自らの欲を捨てられなかった。だからこんな事になる。まぁ、企業としては正しいと思うがね」
それは夢物語だ。そんな企業目標を持ってきたら、叩き出すレベルの。それは、マトモな一企業がやる事ではない。そんな愚か者は叩き潰すに限る。
「かつてのアビドスを取り戻すか。それなら、私が叶えてやろう。アビドスをカイザーの実験場に、シェマタの発射場にしてやろうではないか」
プレジデント以外の、私募ファンドとネフティスが色めき立った。全員が怒りの表情を浮かべている。その理由は明らかだった。
「アビドスから、キヴォトス全土に砲火が降り注ぐ。かつてのアビドスは周囲の学園から恐れられていたそうではないか。そうなれば、君たちも本望だろう?」
「貴方は……!!」
ネフティスの代表が怒鳴るが、プレジデントには心地よい音にしか聞こえない。
「幾ら君たちが泣こうが喚こうが、もう何もできん。ただ私と待つ事だな。正午になれば、私の勝利だ」
プレジデントは腕時計を見る。電波時計だから、狂いも心配ない。
「あと十分と少し。正確には十二分だ。君たちの残りの時間。清々楽しんで──」
「それは延長だ。数分と言わず。何十年のな」
プレジデントが初めて聞いた声がした。
振り返れば、この部屋に続く扉が開いて、二人の人間が立っている。
「ふむ。ネフティスの御令嬢と……これは、驚いた。行方不明と聞いていたのだがね。無事で何よりだ。兎馬カヤツリ」
冷静な言葉とは裏腹に、プレジデントは想定外の事態に歯噛みしていた。傘下のPMCに処遇は任せたはずだ。この男は、大事なシェマタの弾なのだから。それに、この会場にある検閲所をどうやってすり抜けたのか。方法がまるで思いつかない。
プレジデントを冷たい目で見るカヤツリは、部屋に響く大声で、宣言する。
「兎馬カヤツリだ。砂漠横断鉄道の売買契約。その代理人の権利を主張しに来た」
「まだ十分と少し……いや、今から十一分だ。十分前行動とは見事だが……ふん。焦っているな。随分と余裕がないと見える」
プレジデントはそう嘯くが、勝利条件が変わったことが腹立たしかった。まだ、幾つかの盤面をひっくり返す手段はある。しかし、最悪の時は奥の手を切る必要があるかもしれない。あれは、諸刃の剣だ。プレジデントとしても、あまり切りたくはない手段だった。
「それでは、兎馬カヤツリ。君は退出したまえ。この総会は、アビドスの債権を持つ者のみが参加する権利がある」
まず手始めに、プレジデントは、カヤツリを総会から追い出すことにした。この男は得体が知れない。まだ、正午まで十分ある。奥の手を切れば、売買契約をひっくり返せる。
しかし、それにはカヤツリが邪魔だった。ネフティスの人間や私募ファンドの人間は騙せるだろうが、兎馬カヤツリと小鳥遊ホシノは騙せない。諸刃の剣とはそういう意味だからだ。
「何、安心したまえ。後日、砂漠横断鉄道の権利はしっかり君に渡すとも」
決して、そうはならないがね。そう心の中でほくそ笑んで、プレジデントは告げる。しかし、カヤツリは薄く笑って、答えるのだ。
「権利はある。確認してくれ」
護衛のPMC兵に何かの紙を手渡す。それを確認したPMC兵は端末で確認した後、プレジデントに耳打ちする。
「例の会社です。あの僅かな債権を買った、我々の誘いを無視した会社です」
思いっきりプレジデントは舌打ちした。余りに木っ端の会社だからと後回しにしたのが裏目に出た。しかし、まだ、何とかなる。
「これは失礼した。なら、そのまま参加したまえ。そこのネフティスの令嬢もな」
「執事さんたちに、何をしたんですか……!」
十六夜ノノミと言ったか。彼女が、床に倒れたネフティスの兵や、銃を突きつけられている代表者を見て、怒りの声を上げた。
「我々は被害者だとも。襲われそうになったのでね。正当防衛という奴だ。それと、債権で無理をし過ぎたようだな。経営がかなり苦しいようだ」
プレジデントは次の手を切る事にした。武力制圧してもいいが、目の前の男はやり手だと知っている。それなら、プレジデントの土俵で戦うだけだ。
「それなら、我々カイザーがネフティスを買収するとしよう。助けてやろうと言うのだ。感謝してもいいのだぞ?」
債権の資金捻出のために、ネフティスが火の車なのは知っている。了解を得られずとも、強引に買収してしまえばいい。ファウストの損害のせいで、私募ファンドも全部は買収できなかった。強引に買収せず、シャーレを襲撃して、動揺させなければならなかったのも、そのせいだ。ネフティスの買収分を残さなければならなかったからだ。
「そんな事をしたら……」
青い顔をした十六夜ノノミに、プレジデントは言う。
「ふむ、ネフティスは消滅する。勿論、売買契約は守るとも。期日はいつになるか分からんがね」
梔子ユメの契約はネフティスとだ。ネフティスが無くなれば、契約の強制力は無くなる。キヴォトスにおける契約はそういうものだ。契約は、契約書通りの事しか守らない。
「ネフティスの資金難が解決すればいいのか?」
「そんな世迷い事は、アビドスの借金を返済してから言いたまえ。そんな事が言える程に余裕があるなら。ネフティスの次は、君の会社を買収するとしようか」
プレジデントはカヤツリへ冷たく言い放つ。ネフティスを救う金額など、一個人が出せるようなモノではない。この自分を除いては。この土俵で、プレジデントは負ける気がしなかった。
だから、勝ち誇った顔でカヤツリを見る。でも、カヤツリは全く表情を変えずに言うのだ。
「今朝のうちに返したぞ。アビドスの借金は」
「……何?」
思わずプレジデントは聞き返してしまう。あり得ない言葉が聞こえたからだ。
──この男は何を言っている? 返済した? あの十億近い借金を!? バカな! カイザーにそれ程の額の入金など! 何も報告は無かった!
プレジデントの脳内で、疑問符が暴れ狂っている。それでも、プレジデントの手は端末を探り当てて、情報を探ろうとしたところで、固まった。
自分がそのことを、知る術がないことに気がついたからだ。
「そうだ。返済相手はカイザーじゃない。自分が債権を売ったことを、もう忘れたのか? 俺が返済するのは、ネフティスグループだ」
そうだ。債権者へ返済された借金は渡る。債権を買ったのは私募ファンドとネフティス。しかし、買った名義はネフティスだ。だから、一度返済された借金は、ネフティスに渡ってから、私募ファンドとネフティスの間で分配されることになる。そして最悪なことに、資金のほとんどを出したのはネフティスだ。配分も、その通りになるだろう。
更に言えば、今朝というなら数時間前だ。その時間は、この総会を襲撃するための準備で忙しかった。そんな情報など耳に入れる暇もない。
そして、アビドスの借金が返済されたという事は、十億近い資金がネフティスに流れ込んだと言う事だ。今はプレジデントも債権を持っているから、資金の分配に関しては、多少の抵抗は可能だ。だが、端末に表示された事実が、それが無駄な抵抗である事を示していた。このままでは、不死鳥の如くにネフティスが復活してしまう。
流石に、さっきまでのネフティスなら兎も角。資金供給を受けたネフティスを買収するのは難しい。ファウストの損害が響いている。D.U.地区の戦闘で、カイザーは大損害を受けたからだ。アレの補填にどれだけの資金を失ったか。アレが無ければ、私募ファンドを問答無用で買収できたと言うのに。
「貴様……そんな資金を一体どこから……」
プレジデントの言葉が乱れた。一杯食わされたどころではない。正面からカウンターを食らったに等しい。今まで感じたことのない怒りが、全身を焼いていた。
それでも、カヤツリは怯まずに、涼し気な表情で答える。
「借りたんだよ。当たり前だろう?」
「バカな!? 貴様のような、木っ端企業に融資する銀行など! あるわけがない! 何だ! この、貴様の会社の資産額は!? 十億以上の資金だと!?」
プレジデントの端末には、カヤツリが興したであろう会社の総資産額が映っていた。十億を払ってなお、九桁ほどの数字が並んでいる。
こんな大金を新興の企業に融資する銀行はない。例外はカイザーローンくらいだが。そんな事をされれば流石に気がつく。何故なら、そんな金額は複数の銀行から調達しなければならないからだ。だから、この男は他の場所から調達したに違いないのだ。
「ゲヘナ」
「バカな! ありえん! 幾らゲヘナとて、そんな額の資金を一度に放出できるはずが──」
「トリニティ」
「待て、まさか……貴様は!」
プレジデントの頭は答えをはじき出していた。そして、カヤツリは飄々とした態度で答える。
「最後にミレニアム。そこから借りた。最終的にはゲヘナから大金が入る予定だ。借りた分は、それで返済するさ」
「ふざけるな!」
プレジデントは叫んだ。それなら、出せる。キヴォトスが誇る三大校。その全てから、金を借りられるなら。この資金を用意できるだろう。
さっきとは真逆に、カヤツリが嘲るようにプレジデントに言った。
「潤沢な資金でのごり押しはカイザーの十八番だろうが。やり返されたからって、そんなに怒るなよ。器の大きさが知れるぞ?」
そして、可哀想な物を見る目で、カヤツリはプレジデントに言うのだ。
「あと、やり過ぎだ。昨日シャーレを襲撃したのもそうだが、連邦生徒会を襲撃した日。あの時、先生も誘拐しただろ? カイザーに一泡吹かせたいって言ったら、全員が快く貸してくれたさ」
プレジデントは言葉に詰まった。シェマタがあれば、三大校など物の数ではない。しかし、シェマタがない今は、どうしようもできなかった。仕方なく、次の手を切る。
「何故ですか?」
ネフティスの代表が、カヤツリに話し掛けていた。
「貴方が、そこまでする理由はないはずです。カイザーと同じように、我々と私募ファンドを買収しても良かったはずだ。そこまでの資金があるなら、三大校との伝手がある貴方なら」
「そうだな。最初はそうする気だった。全部を買収して、一足早く砂漠横断鉄道を確保するつもりだった」
「では、何故?」
代表者の質問に、カヤツリがぶっきらぼうに答える。
「ノノミ後輩にお願いされた。ネフティスは、あの人たちは、私の大切な家族だからって。後輩の頼み位は聞いてやるさ」
代表者は、十六夜ノノミを見て、どこか泣き出しそうな顔になっていた。
「そこで、提案だ。俺の会社は、アビドスの復興を目的としている。金はあるが、人手が足りない。一緒にアビドスを復興させる協力者が欲しい」
敗北者たちが騒めくのをプレジデントは聞いた。反吐が出るほどに甘い提案だが、上手くいくとは限らない。確かに、この場の全員の協力を得られれば、カイザーを総会から排除できる。
私募ファンドの内の幾つかを買収したとはいえ、あの資金額の前では無理だ。買収され返されれば、カイザーは債権を失う。その後に、恐らくアビドスの土地も全て持っていかれる。
しかし、この敗北者たちは、カヤツリが怖くてこうなったのだ。協力など結べるはずがない。
「良いでしょう。ネフティスが手を挙げます」
ネフティスの代表者が了承するが、プレジデントは鼻で笑う。ネフティスがそうするのは、理解できる。だが、肝心なのは私募ファンドだ。彼らを納得させられなければ意味がない。
「我々も、手を挙げましょう」
「バカな!」
続けて手を挙げた私募ファンドの数名に、プレジデントは驚愕した。それは、私募ファンドの中でも、大きな企業だったからだ。
「カヤツリさん。私は貴方が怖い。ここまでの資金を用意し、カイザーに一泡吹かせた。はっきり言って、いまだに不安を感じています」
それでもと、その代表は言う。
「しかし、私は十六夜ノノミさんの事は知っています。小さい頃からね。彼女の頼みで買収を止めた。そうなのならば、貴方は彼女を信じているし、彼女は貴方を信じているのでしょう」
言葉を切って、その代表は、十六夜ノノミに問う。
「十六夜ノノミさん。私は貴方が、ネフティスの代表として、彼に意見を述べてくれるなら。我々の意見を汲んでくれるなら。提案に乗っても良いと。そう思っています。貴女の意思を聞きたい」
「私は構いません。皆さんが意見を言うのなら、私はカヤツリ先輩に言います。それに、逆に皆さんへ、カヤツリ先輩が言う事もあると思います。私は、それでいいと思います」
それを聞いた、代表は、どこか嬉しそうに頷いた。
「分かりました。今の貴女なら安心できる。その提案を受ける意味を、もう分かっているようですからね」
それを皮切りに、私募ファンドから、次々と賛同の手が挙がっていく。そして、遂には全員が手を挙げていた。
「お涙頂戴の茶番はここまでだ! 貴様らは全員終わりだ!!」
イラつきを抑えきれずに、プレジデントは怒鳴る。もう準備は終わったからだ。
「全員、排除してしまえば問題ない! カイザーグループの全てを動員する! 流石に貴様とて、その場の全員を守りながらの戦闘は不可能だ!!」
プレジデントは護衛のPMC兵を呼んで陣形を組ませた。外の部隊も今頃、エレベーターを使ってやって来ている頃だ。カヤツリ一人なら何とかなるだろうが、私募ファンドとネフティスの全員を守れるはずがない。
全員排除すれば、契約など何の意味もない。後でゆっくり身体に聞いて撤回させればいい。
「一つ忠告だ。プレジデント」
絶体絶命の状況なのに。それでも、余裕綽々のカヤツリから言葉が放たれる。
「貴方程の力あれば、何でもできるんだろう。シェマタか、ウトナピシュティムの本船。それにサンクトゥムタワー。そのどれか一つが手に入れば、全てを手に入れることだってできたんだろう」
「何だ貴様。命乞いか?」
カヤツリの言葉は命乞いにしか聞こえなくて、プレジデントは笑う。もう詰みの場面で強がっているようにしか見えない。それでも、カヤツリは囀るのを止めない。
「貴方は凄いよ。でも、その力は、貴方だけの力じゃないだろう? そんな大事なことを、貴方はずっと忘れてるんだよ」
「何を訳の分からない事を……カイザーコーポ―レーションは私の会社だ! 私の力だ! 貴様のそれは無いもの強請りの負け惜しみにすぎん!」
開けたままの扉の向こう。廊下の奥から、エレベーターが到着する音が聞こえた。そこから、複数の足音が聞こえてくる。
プレジデントは笑う。勝利はもう目の前だ。初めからこうすれば良かった。奥の手など切る必要もなかったと、そう思って、勝利を確信した。
でも、その確信は、カヤツリの後ろ。ドアから入ってきた人物を見てから、どこかに消え去ってしまった。それが信じられなくて、プレジデントの口から言葉が漏れる。
「何故だ? 何故……貴様が、そこにいる……!」
怒りと驚愕が混じった声で、目の前の人物へプレジデントは叫んだ。
「答えろ! 理事!」
「私は返して貰いに来ただけだとも、プレジデント。そのために、私は帰ってきた」
そう言って、黒いスーツを着た大柄なロボット。かつてのカイザー理事が、そこに立っていた。