ホシノ同級生相棒概念 作:洞鼬
スオウの頭上で、太陽が輝いていた。もうすぐ夕方になろうという時間帯だ。地面も空気も、暑さでスオウを苦しめている。
ヘリは途中で乗り捨てた。パイロットは気絶させたが、ここまで来た電車の駅のそばだ。助けは直ぐに来るだろう。
そして、スオウの待ち人は直ぐに来た。
「フン……生徒会の谷か。アビドス生徒会が、まさかあんな物を作っていたとはな。そうは思わないか?」
総会の時とは違って、背中のライフル、肩がけの突撃銃、片手の機関銃。完全武装でやって来たカヤツリに、スオウは語り掛ける。
辺りは開けた砂原で、スオウの後ろに、石造りの遺跡染みた要塞があった。所々に設置された機銃がアンバランスだった。
ここは、生徒会の谷。アビドスの秘密が眠る場所。宝物の殆どは借金に当てられたが、まだ一つだけ残っている。
スオウの視線の先には、列車砲が鎮座していた。黒い砲身と躯体が谷の中に隠れるようにして、聳え立っている。
機体の側面には、アビドスとゲヘナの校章が並んで描かれていた。
「ゲヘナの雷帝に唆された程度で、こんな物に大金を注ぎ込んだ。そして完成したのは、今になってようやく使い物になるガラクタだ。まさに金をドブに捨てたようなものだろうにな」
その当時のアビドス生徒会が何を考えていたかは分からない。生徒会が愚かだったのか、それとも雷帝の口が上手かったのか。今となってはどうでもいいことだ。これのせいでアビドスの滅びが加速した事実は変わらない。
「それだけでいいのか?」
スオウが物思いに耽っていると、カヤツリは、不機嫌そうな声で確認した。
それだけの意味が分からない。そんなスオウに、カヤツリは不快感を滲ませた顔で言う。
「言い訳は、それでいいのか。そう言ってるんだよ。グダグダと俺に管を巻く為に呼んだのか? 違うだろう? 俺が気に入らないから、こんな事をしたんだろうが」
少し前なら、同じような声を出しただろう。だが、今のスオウの心は平気だった。怒りはあるが、表に出さずにいられていた。それは、もう後がないせいに違いなかった。
あの時の事を思い出す。あそこで負けたから、自分が弱かったから、こうなった。ここで勝てれば、もう失わなくて済む。失うのはもうたくさんだ。
「私が、呼びつけた理由は分かっているようだな。私はお前を倒して証明する」
「お前の愚かさ以外の何を証明するんだ?」
信じられない。そんな口調のカヤツリに安堵する自分がいた。理由は分からない。そんなものは必要ない。勝利さえ拾えれば、それでいい。
「私は、お前を打ち倒して。私の価値を証明する。それだけだ。それだけが私の目的だ」
ザリとカヤツリの方から砂が鳴る音が聞こえる。少しづつ、カヤツリは間合いを取っていた。靴から砂がこすれる音がザリザリ聞こえる。
「それだけか? 俺に恨みがあるとか、俺を倒した後にどうするとか。そこから先が、何もないって?」
カヤツリの言葉に、頭の中で何かがうごめいた。何か大切なことがあったような気がする。そのために、スオウはカヤツリに勝たねばならなかったし、ネフティスやカイザーの駒になったのだ。
「先の事を考えて何になる? 私に先はもう、ない」
でも、全てが遅い。失敗と後悔だらけの人生だ。だから、最後くらいは、スオウの好きなようにやらせてもらう。
学校に所属しない流れ者、カイザーの傭兵、ネフティスの使い走り、ハイランダーの異邦人。そして、梔子ユメの偽物。
スオウを呼ぶとしたら、色々な名があった。しかし、そのどれもがスオウではない。どれもスオウ自身が成りたいと思った自分ではなかった。誰もスオウ自身を求めない。
「構えろ。兎馬カヤツリ。シェマタを何とかしたいなら、私からゴールドカードを奪って見せろ」
スオウはコートを脱ぎ、眼帯も捨てる。動きにくい防弾仕様のロングコートや視界を塞ぐ眼帯など、カヤツリ相手に邪魔でしかない。身軽になったスオウは、いつかのようにショットガンを構えた。
「……ホシノと似たようなスタイルか。めんどくさいな」
カヤツリは機関銃を構えた。スオウも同じようにする。妙な高揚感がスオウの全身を包んでいる。なんだか負ける気がしなかった。
二人の間に強い風が吹き抜けた。それが開戦の合図代わりになった。
いきなりの銃声と共に、スオウへ向かって銃弾の嵐が飛んできた。
「チッ、相変わらずだ」
その銃弾で、カヤツリに向かっての踏み込みを邪魔されたスオウは舌打ちをする。
銃の射程はカヤツリの方が長い。この距離でも、当たらないという訳ではない。寧ろ散弾のお陰で当たるだろう。しかしそれでは意味がない。
この距離では大した威力にならない。一般生徒なら問題ないが、相手はあのカヤツリだ。適正距離でなければダメだ。
カヤツリもそれを分かっているのだろう。スオウの適正距離の一歩奥から発砲している。踏み込もうとすれば、牽制の一撃が飛んでくる。相変わらず、やりにくい。
今は、カヤツリの機関銃が火を吹いている。アレに正面から突撃するのは賢いとは言えない。幾らスオウの耐久が優れているとはいえ、足が止まるのがよろしくない。
カヤツリの片手が空いている。足が止まれば、そこに収まる予定の対物ライフルが火を吹くのが嫌でも分かった。
「このままでは、ジリ貧か」
スオウの方が身軽だ。だが、足下の砂が、それを許してくれない。
その上、カヤツリの怪力が、片手での機関銃の軽快な取り回しを可能にしていた。
このままでは、いつか鉄の嵐がスオウの身体を襲うだろう。
かつての自分であれば、そうだった。
スオウは腰に吊り下げたショットガン──銃身を切り詰めた近距離タイプ。それを斜め上に発砲する。
そこから吐き出されたのは、拡散する榴弾だ。曲射弾道で放たれたそれは、スオウとカヤツリの間に着弾した。
榴弾の爆発で、砂が勢いよく舞い上がる。その砂のカーテンはスオウの姿を捉えにくくしてくれた。
「よし」
狙いが甘くなった。どういった理屈か、砂煙の中のスオウを追尾できているが、先程よりはマシだ。
砂煙も、さっきまで吹いていた風が止んだおかげで、長く留まっている。
次々とスオウが榴弾をばら撒くせいで、視界は砂まみれだ。
そして、遂にスオウを狙う銃声が止む。弾切れだ。
さっきまで銃声が聞こえた場所へと、スオウは走る。
砂煙を抜けた先には、弾切れになった機関銃を捨てたカヤツリが突撃銃を構えていた。
「それは、分かっている!」
それを予想していたスオウは叫び、カヤツリの方へと足を踏み出す。
並みの相手なら、機関銃に固執するだろう。カヤツリならそうしてくると思っていた。
何度、あの戦いを思い出したと思っている。何度、勝ち方を模索したと思っている。何度、後悔したと思っている!
スオウのメインウェポン。ポンプアクションショットガンが、三度、火を吹いた。
ダン、ダン、ダンと、連続した音が響いて、カヤツリの突撃銃をバラバラに解体する。
「ッ!」
ギリギリで見切られたが、カヤツリの武装は背中の対物ライフルだけだ。距離を置こうとするカヤツリに、腰のショットガンを撃ち放つ。
退路を遮断するように、カヤツリの後方で爆炎が上がる。
「終わりだ。私の間合いに付き合ってもらう」
ショットガンを装填し終えて、スオウはカヤツリへ一歩踏み出す。
あの時と一緒だった。スオウが負けたあの時と。もう負けない。
カヤツリが展開したライフルを横に薙ぐ。それを紙一重で回避する。
その隙へ、返す刃で、ライフルが突き込まれたが、運良く回避する。
──運良く?
行けると思ったスオウを、過去のスオウが、引き止めた。
過去の記憶だ。あの時も、そうだった。調子に乗ったところを刈り取られた。
スオウは、カヤツリの狙いが分かって、ほくそ笑みそうになる。
カヤツリは、スオウの事を覚えていない。だから、同じ手を使おうとしている。なら、その裏を書くことができる。
歓喜にはやる気持ちを抑えて、距離を取る。
あの時と同じように、ショットガンを構えて、一気に駆け出した。
再びの突きを躱す。そして、大きく、スオウは跳ねた。
「ッ!?」
引き戻しが空振ったカヤツリがたたらを踏んだ。姿勢が大きく崩れている。
「私の! 勝ちだ!」
そんなカヤツリに向かって、ショットガンを連射する。メインサブ合わせて二丁、一足す三の合計四発の連撃がカヤツリに直撃した。
「やった……!」
カヤツリの目の前に、スオウが着地すると同時に、ドサリとカヤツリの手からライフルが落ちた。
スオウの全身に歓喜が満ちる。漸く、ようやく、私は……!
「え……?」
気がつけば、視界の中で、青と黄色がグルグル回転していた。それが、空の青と砂漠の黄色だと気がついた時には、スオウは地面に叩きつけられていた。
「何が……?」
あまりの出来事に、スオウの口から出たのは呻き声でなくて、疑問の声だった。そして、それに答える声がする。
「殴っただけだ」
ザクザクと砂を踏む音と共に、スオウに影が掛かる。砂原に横たわったスオウを、カヤツリが覗き込んでいた。
「何故だ……弾は確かに当たったはず……」
だから、勝利を確信したのだ。カヤツリは防弾装備を身に着けている様子もなかった。至近距離から直撃したのを確かに見た。
「うん? ああ、安心しろ。当たったとも。当たったが、耐えただけだ」
「ふざけるな……そんなこと」
「ホシノみたいな六連射は無理だが。今みたいな四連射位なら、覚悟すれば耐えられる。
カヤツリの言葉に、スオウは絶望した。カヤツリは覚えていた。そういう事だからだ。また、自分は嵌められたのだ。まるで、何も成長していなかった。そして、昔もそうだと言う事は、どうあがいてもスオウは負けていたのだ。
「それで、お前は何がしたかったんだ?」
「あんたを倒して……私は……!」
そう意気込むスオウの声は弱弱しい。もう心のどこかで、負けを認めているからだ。本当は、最初から分かっていたのかもしれない。だから、怒りで奮い立たせなければ立ち向かえなかった。あの時、アビドスで覗き見した時に、あそこでスオウは完敗したのだ。
「はぁ……全部運よく進んで、こうなったってことか。まさか、こんなに空っぽなヤツだとは思わなかった」
スオウの答えに失望したのか。カヤツリは大きなため息をついた。空っぽという言葉が、胸に刺さる。そんな事はないと言おうとして、何も言えない事が、なんだか悲しかった。
確かに、大事なものがあったはずなのに。そのために、力が欲しかったはずなのに。その大事な何かが全く思い出せなかった。
思い出せるのは、そのためにカヤツリを倒さねばならない。そんな強迫観念だけだ。
「……まぁ、些事か。これから、本当に空っぽになるんだからな」
とても、冷たい。そんな目をしたカヤツリに身震いした。これから、スオウに何か酷いことをする。それが嫌でも分かった。カヤツリが、何か自分に言うために開く口が、スローモーションで見えた。
それを聞いたら、本当に自分は空っぽになってしまう。そんな確信があった。どうにかしようと身体を動かすが、カヤツリの蹴りが入って動けなくなる。
嫌だった。スオウは、これ以上何も失いたくなんてなかった。
そんな時、懐の物を思い出した。アレを使えば、逆転できる。アレを手に入れようと思った時と、カヤツリを倒せば何とかなると思った時と同じように。そう誰かが囁いた気がした。
──奴を倒せば、全てが解決する。そのための手段は、貴方の手にある。
その声に従えば、何とかなる。さっきと同じような確信があった。スオウは、それに従おうとして、遠くから聞こえる音に気が逸れた。
「なんだ……?」
カヤツリも音のする方を見ている。スオウにはその音がなんだか分かった。それは、スオウにとって聞き覚えのある音だったからだ。
これは、汽笛の音だ。それと、ジェットエンジンの音。これは、あの双子が乗ってきたはずのハイランダーの装甲列車の音だ。首を回せば、予想通りに駅に止まった装甲列車が見えた。
「お前を助けに来たみたいだな。もう、間に合わな──」
そして、何かの風切り音と共に、カヤツリの言葉が途切れた。何事かと、首を動かせば、カヤツリの目の前に小さな誰かが立っている。
「小鳥遊ホシノ……」
「君は黙ってて、私はカヤツリに用があるだけだから。君に用がある人は後から来るよ」
声を上げたスオウを一瞥したホシノは、カヤツリをじっと見つめていた。カヤツリは黙ったまま、何も言わない。
「へぇ? だんまり? じゃあ向こうで話そうか」
そのまま、カヤツリはホシノに引きずられていった。
地面に倒れたまま困惑するスオウに、大勢の足音が聞こえてくる。ようやく身体を起こせば、見覚えのある人間たちが立っていた。
「シャーレの先生か……私に何の用だ。こんな私を、笑いにでも来たのか?」
先生の隣には対策委員会だけでなく、ゲヘナの生徒や、CCCの双子もいた。こんな姿を見られたくなかったスオウの言葉は、刺々しいものになる。
「違うよ。君を止めに来たんだ」
「止める? 何をだ? もう私はお終いだ。私はカイザーとネフティスを裏切った。私はアビドスを滅ぼそうとした。私は何も為せなかった。過去を乗り越えるどころか、振り切る事さえできなかった。そんな私を止める? バカも休み休み言え」
そんな罵詈雑言を投げつけても、先生は怯まない。それどころか、さらに話かけてくる。
「いいや。まだ、君はお終いじゃない。まだ残っている物があるよ。間に合ってよかった」
本当に嬉しそうに、そう先生が言うものだから。スオウは毒気が抜かれてしまった。
これを言うために、この大人は、対策委員会と敵対していたCCCの双子を説き伏せて、列車に乗せてもらったのだろう。
スオウに、まだ間に合う物がある事を知らせるために、この大人はここまで来たと言うのだ。
だから、聞いてみたくなった。この大人なら、スオウが忘れてしまったものが何なのか、分かるかもしれなかった。頭の声は、アレを使えと喧しくて、それ以外は何も言ってくれないのだ。
「何が、残っていると言うんだ。私は、もう……」
「まだ、スオウには居場所が残っているよ。それは、君が本当に欲しかった物だろう?」
それは、違う。そう言おうとして、何故だか、上手く言葉が出てこなかった。出てきたのは言い訳染みた言葉だけだ。
「違う。私が欲しかったのは、そんなものじゃ……」
「それなら、どうして私立ネフティス中学が廃校になると決まった後も、アビドスに居たんだい?」
ずきりと、頭の奥が痛んだ。その間にも、先生の話は続く。
「君は、故郷を捨てたくなかったんじゃないのかい。君は、他の同級生たちのように割り切れなかった。だから、いつまでも砂漠を彷徨っていたんじゃないのかい?」
そうだ。そのはずだった。自分は悲しかったのだ。どうにかしたくて、自分がいる事が無条件に許される場所が無くなることが悲しかった。納得ができなかった。
「君は、私立ネフティス中学が廃校になる理由を知った。それは大人の都合だった。自分の力ではどうしようもできないこと。君は、それにどうしても、納得できなかったんじゃないかい?」
先生の言葉が胸に突き刺さる。じんわりした熱さが、胸に広がっていく。それは痛みだった。過去の傷をほじくり返された心の痛みだ。でも、悪い気はしなかった。
「そして、君はカイザーPMCで傭兵になった。大人の都合で居場所を失った君は、そこでカヤツリに出会った。君が欲しいものを全て持っているカヤツリに」
羨ましかった。自分と大きくは変わらないはずなのに。全てを持っているようなカヤツリが羨ましかった。
「君は、カヤツリに負けて、欲しいものを手に入れられなかった。そして君はPMCを辞めた。PMCでは、負けた自分は受け入れられない。そう思ったんだろう?」
そうだ。PMCが求めるのは、力を持つ個人だ。スオウは負けたから、PMCは、負けた自分を受け入れてはくれないと思った。現に、理事の護衛は断られたからだ。カヤツリより弱いから。
「時が経ち、君にネフティスの依頼がやって来た。君は喜んだだろう。君の力が認められ、真に求められる居場所が手に入る。けど、また。自分ではどうしようもない事で、それは白紙になってしまった」
ここで、一旦先生の話は途切れた後。悲しそうに先生は言う。
「力を手に入れれば、大人に気に入られるほどに強くなれば、もう何も奪われない。理不尽に、大人の都合で振り回されない。救われないのは、いつまでも苦しいのは、自分が弱いから。そんな自分が許せない」
「そうだ……その通りだ。だから、私は──」
「カヤツリを倒そうとした。カヤツリは、君の敗北の象徴だから。君が欲しかったものを全て持っているから。君がどうしようもできなかったアビドスの復興も、ノノミの護衛も、求められる居場所も。そんなカヤツリを越えられれば、そうすれば、初めて君は何かを手に入れられる。君は、そう思ったんだね」
先生の問いにスオウは頷く。そうして初めて、スオウは救われるのだ。今もそう思っている。でも、先生は違うと言うのだ。頭の奥で、カヤツリを倒せと叫ぶ誰かの声は、遠くなってきていた。
「でも、君は、カヤツリに戦いを挑まなかった。居場所を探そうと思えば、探せたはずだよ。対策委員会の噂は有名だからね。それでも、君は、ハイランダーで一年間を過ごした」
こっそり覗きに行ったことは、先生は知らないから仕方がない。でもスオウは、そこでカヤツリに戦いを挑まなかった。そこで、スオウは完全に敗北したのだ。
そこまで考えて、スオウは自分が分からなくなった。それがそうなら、なぜ自分は今、カヤツリに戦いを挑んだのだろう? スオウ自身の事なのに、その理由が分からなかった。でも、その理由は先生が教えてくれた。
「二人に聞いたよ。監督官になるにはとても大変な努力がいるって。君はハイランダーという居場所を作ることが出来たんだよ。その一年の間。君は楽しかったはずだよ。その間だけは、力の哲学を忘れられたんだから」
「そうだ……私は、楽しかった。居心地が良かった……元はアビドスからの異邦人だったとしても、私は……何で、こんな大事なことを、忘れて……」
スオウの独白に、先生は笑った。静かな笑みだった。
その笑みを見て、スオウの頭に忘れていたことが湧き上がってきた。自分が何を守りたかったのか。どうして、こんなことをしなければならなかったのか。頭の声が湧き上がってから、すっかり忘れていたことが。
「君はハイランダーの生活を、自分の居場所を守りたかった。だから、カヤツリに戦いを挑むしかなかった。最初はそうだったはずだよ」
ハイランダーの生活が楽しかった。受け入れられた気がした。あの双子と仕事をするのは悪くなかった。スオウは、幸せだったのだ。自分では自覚していなかったけれど、確かにスオウは幸せだった。
そして、そんなスオウの元に、ネフティスとカイザーの誘いが来たのだ。
カイザーとしては、足がつかなくて、ネフティスのスパイになりそうな生徒なら、誰でも良かったのだろう。偶々PMCに籍があったスオウが、最初に選ばれただけだ。
ネフティスも過去の依頼の件から伝って来ただけだ。ただ、その誘いは、スオウにとっては最悪だった。
対策委員会から、カヤツリから、砂漠横断鉄道を奪い取るのだと言う。それも、ハイランダーを巻き込んで。
カヤツリの事は知っている。手を出されれば、必ず報復する。ハイランダーの事もどうにかしてしまうかもしれない。スオウはそう思ったのだ。
断れば、他の者に話が行くだろう。その場合は対応できなくなる。最悪を回避するために、スオウは誘いに乗るしかなかった。
「あの時、君は信じたくなかったろうね。ギリギリ間に合ったかと思えば、一触即発のカヤツリと、この二人がいたんだから」
あれで、カヤツリに二人は敵視されてしまった。私募ファンドとネフティスではカヤツリを止められるとは思えなかった。このままでは、ハイランダーも、双子も危険だった。もう、スオウは手段を選んではいられなかった。
「困った君は、カイザーとネフティスの誘いに乗り、カヤツリの意識を自分に向けさせることにした。そうすれば、報復は自分だけに向かうから。最悪CCCだけは生き残るかもしれない」
そのために執事と共に対策委員会を掻きまわした。シャーレを襲い、プレジデントの言いつけを破って梔子ユメの姿で、カヤツリの前に姿を晒し、十六夜ノノミを誘導した。
ネフティスはハイランダーに、十六夜ノノミを転校させると言った。流石にカヤツリも後輩がいる場所に報復はしないだろうと思った。
カイザーだけにはシェマタは渡せなかった。彼らはハイランダーを利用しないからだ。邪魔だと思われてシェマタを撃ち込まれる可能性があった。
「けれど、そこで計算が狂ってしまった。ネフティスとカイザーが総会で正面戦闘をする。その引き金を自分が引いてしまったと気がついたから。ハイランダーを巻き込んでしまうと思った。だから、二人に電話したんだろう?」
あの執事の言葉を聞いた時、もう終わったと思った。だって、ネフティスではカイザーには勝てないことが分かってしまったから。
その日にカイザーは、アビドスに居る者を襲撃するだろう。そして、その日は双子が総会に出席してもおかしくなかったし、真面目な二人の事だ。建設現場に来るかもしれない。スオウが、電話をしても、あの双子は必ず来る。それでも、何もせずにはいられなかった。
でも、結局は、スオウ自身で居場所を壊してしまったから。あの二人を傷つける引き金を引いた。もうスオウはハイランダーへ帰れない。
だから、もう自棄になっていた。もしかしたら、最初から、自棄だったのかもしれない。でも、そうでもしなければ、スオウは立ち向かえなかった。
今まで強さを軸として、生きてきた。スオウにはそれしかなかったから。それしか、求められて来なかったから。誰も教えてなんてくれなかったから。
それでも、やらなければならなかった。その行為は、自分の哲学にのっとるなら、自滅に近かった。八つ当たりみたいにしなければ、スオウは立ち向かえなかった。
それで、いつの間にか。手段であったそれに飲み込まれた。大事であったことを忘れていた。
「私は、空っぽでは無かったのか……しかし、私は……」
「スオウは、弱いから何もかもを失くすと思っているみたいだけど、それは違う」
先生は、そんな事を言う。
「確かに、力があれば。勝ち続ければ、自分の好きなように生きられるよ。でも、それは誰にもできないんだ。プレジデントですら、カヤツリだって、そうだった」
「……それじゃあ。私は負け続けなければいけないのか? 失うしかないと?」
そんな結論に至ったスオウに、先生は首を横に振る。
「勝ち続けることはできない。でも、負けないことはできるんだよ。それをスオウは、ハイランダーで自覚無しに実践していたんだ」
「実践していた? 私は、諦めただけだ。諦めて、やる事をやっただけだ」
スオウは、そんな当たり前のことをやっただけだ。それでも、先生は優しい目で言うのだ。
「戦っていただろう? スオウはそれでも、真面目に日々を過ごした。心のどこかで、自分が欲しい居場所を作ろうとした。負けないと言う事はね。戦うってことだよ。戦っている間は負けないんだ」
「それは、屁理屈だ」
スオウの反論に、先生はまた首を振る。
「人は勝つことはできないんだ。ただ、負けない事しかできないんだ。私たちが生きている限り戦いは終わらない。生きるってことは、そう言う事なんだから。それに、スオウ。君は何に勝つつもりなんだい? カヤツリに勝ったとして、その次は? 勝ったからって、それで終わるわけじゃない」
その先生の質問に、スオウは答えられなかった。それは、当然の話だからだ。
「だから、私たちは戦うことしか、負けない事しかできない。全てを手には入れられない。でも、幾つかは手に入るし、失くさない事もできる」
それは、諦めのようにも。それでいいのだと言う、励ましのようにも聞こえた。何故だか、スオウの心が楽になっていた。
皆、そうなのだと言う。スオウだけでなくて、皆そうなのだと。だったら、スオウもそうなれると言うことかもしれなかった。弱くてもいいのだ。戦い続ける事さえできれば、それでいい。
そして、それは、スオウの得意分野だった。
「まだ、君は何もなくしてなんかいないんだよ。まだ幸いにも、戦い続けた君の居場所は残っている。君が自分で積み上げた、君自身が求められる居場所が」
先生はスオウに語り続ける。その目は、スオウに対しての悪意は感じなかった。スオウ自身をしっかりと見ていた。
「それは、君たち生徒にとって普通の願いだよ。当たり前に与えられるもので、そうあるべきなんだ。でも君は、それを自分で手に入れたんだよ。それは君だけのものだ。だから、この二人は、君の所に来たんだ。二人は君を力だけの人じゃないって信じてるんだよ」
双子がスオウに近づいて、手を差し出した。引き上げてくれるらしい。二人とも、理由を先生にバラされて、そっぽを向いている。
スオウには、二人が名前通りに輝いて見えた。それは、スオウの守りたかったものだった。ずっと求めて、自分には手に入らないと思っていたモノだった。
先生は言う。それはスオウの積み上げたものだと。自分で手に入れた居場所なのだと。
スオウが求めた物は、とっくに自分の傍にあったのだ。自分はいつまでもそれに気がつかなかった。
ようやくスオウは、求めた場所に帰るために、二人に手を伸ばそうとして……
──おやおや……誰がそのような選択を許しましたか?
そんな冷たい、捻じれて歪んだ声が、今までと同じように、スオウの頭に響いた。