ホシノ同級生相棒概念   作:洞鼬

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210話 慣れてきた一月目

 センは朝食を作っていた。作り慣れていたと言う覚えはないが、この手つきを見るにそうなのだろう。自分でも迷いなく手が進む。

 

 最初の頃は気味悪いと思っていたこれも、今になっては便利だなと言う感想に落ち着いていた。

 

 

「……またかよ」

 

 

 スマホの時計を見て、センは舌打ちする。大幅に予定時間を過ぎていたからだ。

 

 舌打ちはするが、センはそれほど怒らない。もう毎朝の事で、朝食の準備と同じように慣れてしまった自分がいる。怒るだけ疲れるだけだというのは、ここ最近で分かり切っていて、センは準備をキリの良いところで中断した。

 

 

「どうせ、すぐ出ないんだろうなぁ……」

 

 

 当たるであろう予想を呟く。今日こそは裏切ってくれるかもしれないと言う希望は、毎朝裏切られ続けていた。きっと明日もそうなのかもしれない。

 

 そんなことを思いながら、靴を引っかけて玄関を出る。そして、()()()()の呼び鈴を連打する。

 

 十二連打あたりで、扉の奥からバタバタと騒がしい音がした。恐らくは、今頃ベッドから飛び起きたに違いない。

 

 あの日も、この位連打すれば良かった。絶対に、アレで味を占めたに違いないのだ。

 

 扉の奥からの音は、どんどん近づいてきている。

 

 センは、そろそろだと思って、扉から二・三歩程下がる。こうしなければ危ないからだ。

 

 バァンと音を立てて、勢いよく扉が開いた。風切り音と空気を裂く音を纏ったドアが、センの鼻先を掠める。

 

 これを躱すのも、もう慣れたものだ。最初は頭に直撃して悶絶することになった。

 

 

「ごめんね! セン君! 待った!?」

 

 

 躱した扉の先には、梔子ユメが制服姿で立っている。インターホンの連打から、数分も経っていない。ベッドから飛び起きて、身だしなみを整えたにしては、驚くべき早業だった。

 

 

「あまり待ってないし、もっと時間をかけた方が良いと思う。ほら……」

 

 

 センは、梔子ユメの足元や首元を指差す。靴下は半分脱げ掛けているし、シャツは悲しい事にボタンが一段ズレていた。

 

 高い悲鳴を上げて、梔子ユメはドアの中へと引っ込む。また出てくるのに、同じくらいの時間が掛かるだろう。

 

 

 ──もう、一ヶ月か。

 

 

 そのくらいの時間が経てば、ここに来てからの生活も慣れるものだ。慣れたせいなのか、この一ヶ月はあっという間だった。

 

 

 ──引っ越しだよ! セン君!

 

 

 あの二日間の寝坊から暫くして、梔子ユメがそう言い放ったのだ。

 

 それに対して、センは面倒だと思ったのを覚えている。その時のセンは、アビドス本館の引っ越しだと思っていたからだ。

 

 

 ──引っ越しするのはセン君だよ?

 

 

 意味の分からない事をいうモノだ。引っ越しも何も、センの住処は分館だった。それでいいとセンは思う。でも、梔子ユメはそう思ってはいなかった。

 

 

 ──分館から、ここ(本館)まで来るのは大変でしょ? もっと近いところに住もうよ!

 

 

 その提案は真っ当だった。本館と分館の間の距離はかなりある。センが全力で自転車を漕いでも、そこそこの時間を要するからだ。普段の漕ぎ方ではもっとかかるだろう。

 

 けれど、センはこの提案を拒否した。だって、労力に見合わない。

 

 ここが、アビドスでないなら真っ当な提案だ。家位は幾らでもあるだろう。しかし、このアビドスでは真っ当な家はほとんど残っていない。

 

 大体の家は砂に埋もれ、または放置されて廃墟と化している。残っている家は、誰かが住んでいるのだ。そして、過疎化が著しいアビドスに新築を建てようなど考える物好きはいない。

 

 万が一残っていたとして、家賃が掛かる。家賃とセンの疲労を天秤に掛ければ、家賃の方が価値があった。

 

 そんな事を答えれば、梔子ユメは膨れっ面になって反論してきた。どうしても、センが苦労するのが許せないらしく、物件まで見つけてきていたのだ。

 

 

 ──これで、お隣さんだね!

 

 

 やって来た物件──梔子ユメのマンションの隣室。そこに案内されて、茫然とするセンへと誇らしげに笑う梔子ユメが頭に浮かぶ。

 

 確かに、梔子ユメのマンションからの方が本館に近い。分館と本館を挟んだ位置にマンションはあるからだ。

 

 問題の家賃も梔子ユメの交渉の末、割引してくれることになっている。家主からしても、家賃収入が増える分には、多少の割引は許容範囲なのだろう。他の住人には言うなと釘はしっかり刺されたが。

 

 つまるところ、完全に外堀を埋められていた。家主に話は通っていて、後はセンが了承するだけだったからだ。そこまでされて全部をひっくり返せるほど、センは薄情者ではなかった。

 

 

「セン君。お待たせー」

 

 

 ようやく身だしなみを整えた梔子ユメは、慣れたようにセンの部屋へと入っていく。

 

 これもまた、一ヶ月で変わったことの一つだった。梔子ユメを起こすと言う仕事と、彼女に朝食を作るという仕事だ。

 

 事の始まりは簡単だ。梔子ユメの遅刻である。

 

 二日間の寝坊の様な遅刻が増えていた。殆ど毎回の遅刻にセンが文句を言うと、申し訳なさそうに言うのだ。

 

 

 ──ごめんね……最近、寝つきが良くて……

 

 

 そんな事を言われてしまえば、センは何も言えなかった。

 

 寝つきが良いと言うのは違うだろう。寧ろ、今までが悪かったのではないか。ようやく、彼女は人並みに眠れるようになったのではないか。

 

 そんな想像があって、早起きしろなど軽率には言えなかった。仕方なしに、普段の生活を聞いた。夜更かしなどと言う原因もあるかもしれなかった。

 

 そして聞き出した梔子ユメの生活に、センは叫びだしそうになった。

 

 寝坊して朝食は抜き、昼食は食べるものの、あまり多くない。夕食は店で出来合いの物を買ってくる。

 

 不健康そのものの生活である。あまりにも不健全だ。

 

 朝食を抜くから何時も眠そうにしているし、いい考えも浮かばない。そして疲れやすい。出来合いの物では栄養が足りない。

 

 健全な精神は健全な肉体に宿ると言うような精神論は言わない。けれど、健全な生活と効率よい仕事のためにはある程度の健康は必要だ。

 

 仕方なしに、弁当を作った。それは梔子ユメに好評で、代金を払うと言われたが拒否した。代金など、寝坊の頻度が減ったからそれでよかった。それで満足していたのに。

 

 

 ──セン君にやってもらってばかりじゃ悪いからね。ちょっとだけ待っててね。

 

 

 弁当の見返りを断られた梔子ユメのその言葉から、数日後に引っ越しの話が出た。絶対に、そこから考え付いたに違いなかった。

 

 そこからは、ご覧のとおりである。

 

 朝早く起きて、弁当と朝食を作る。梔子ユメを起こして、朝食を食べさせる。そして、一緒に登校する。そんな生活が続いているのだ。

 

 流石に、梔子ユメには見返りを要求した。それも織り込み済みなのか、笑顔の梔子ユメは代案を、食費を出すと言う条件を提示してきた。全部出すと言うので、センは三食作ることで妥協した。

 

 どうにも、上手く掌で転がされている気がする。対価には釣り合いを求めるセンの拘りが見抜かれたのかもしれない。

 

 

「セン君。どうしたの?」

 

 

 センの部屋から顔を出して誘う梔子ユメに生返事をして、センは部屋へと戻る。この習慣が始まってから、手間と苦労が増えただけなのに何だか充実感があった。

 

 そのことを梔子ユメに言うと、とても彼女は喜んでいた。その理由は今になっても分からない。いつか、それが分かる日は来るのだろうか。

 

 センは、どういう人間だったのか。最初の頃は、どうでもいいと思っていたことが。最近は気になって仕方がなかった。

 

 どうしようもない奴では無い方が良いなと思う。何となく、それは嫌だった。梔子ユメは嫌がるだろうから。

 

 

「それじゃあ、頂きます」

 

 

 そんな取り留めのない思考を放って、テーブルについた梔子ユメと同じように、センは手を合わせた。

 

 

 □

 

 

「じゃあ、また夕方だね」

 

 

 本館前で、梔子ユメと別れたセンは仕事場への足を進めていた。

 

 最近はいつもこうだ。最初の頃は梔子ユメの手伝いをしていたが、今はそうでもない。センに手伝える仕事が無いのだ。

 

 アビドス高校の本館はそろそろ限界らしい。そのために引っ越しの準備をしているのだが、力仕事はもう終わり、後は書類などの選別が残っている。

 

 それは、センにはできない。だから、それは梔子ユメが担当し、センはアビドスの生徒会に向けられた仕事をこなしていた。

 

 優先順位は、梔子ユメと話し合ったうえでつけている。梔子ユメのやりたいことを優先だ。

 

 

 ──後輩が入学して来ても、大丈夫なようにしたいな。何か、残せるものが欲しいな。

 

 

 梔子ユメは、後輩を望んでいた。この前の話で、何か思うことがあったらしい。

 

 そのための前提条件としては、アビドスの学校機能を必要最低限は維持することだ。だから、地域住民の覚えをよくするためにも、センが治安維持をしている。今向かっている仕事も、その類だ。

 

 

「おお。ここだ。ここ」

 

 

 待ち合わせ場所には、服を着た獣人が立って手を振っていた。柴犬の様な獣人で、服の端から出ている毛が、実に手触りが良さそうだった。

 

 早速、センは仕事にかかる。

 

 

「アビドス高校の者ですが。連絡の通りの要件で間違いありませんか?」

 

「ああ、あの娘たちを何とかしてほしい」

 

 

 依頼主──柴犬の獣人の視線の先には、建設途中の空き地が広がっている。そこには、不良たちが屯していた。

 

 依頼主は、この不良たちを退かしてほしいようだった

 

 ここは、ゲヘナの境界近くだ。一応アビドス内ではあるが、他の地域と違う所がある。

 

 土台がむき出しであったり、壁が無かったりと。まともな建物はないが、これは壊れているのではない。建設途中なのだ。

 

 ここは、珍しく再開発が進んでいる地域だった。どこぞの企業が金を出しているらしい。一応はアビドスで、ゲヘナと比べれば土地代は安い。境界近くだから、人通りも悪くない。近くにブラックマーケットもある。中々の立地だ。

 

 しかし、それは不良たちには分からない。唯の廃墟だと思って住処にしているに違いない。

 

 この依頼主も、この建設途中の建物のどれかを所有しているのだろう。それが、不良たちがいるせいで工事が進まないのだ。

 

 

「……少しだけ待っていてください」

 

「あ、おい……」

 

 

 すたすたと不良たちに向かって歩き出すセンに、依頼主は困惑したような声を掛けるが、心配はいらなかった。

 

 

「おい」

 

「あ? 何だ……」

 

 

 声を掛けられた不良が機嫌悪そうにセンを睨むが、直ぐに眦を下げた。

 

 

「ああ、テュポーンの兄貴じゃないか。何の用だ。この前みたいな美味しい話か?」

 

 

 不良は、さっきの様子が嘘みたいに機嫌よく話す。これが、心配が要らない理由だった。

 

 梔子ユメを救出するために、殆どの不良を巻き込んだ。そのおかげで、センの背格好とテュポーンという名前が独り歩きしていた。手本を聞き間違えたらしいが、訂正をしなかった。

 

 怪我の功名と言う奴で、美味しい思いをした不良たちは、割かしセンの言う事を聞いてくれるのだ。勿論、ある程度の旨味は必要であるが。

 

 

「あんな話は早々転がっていない。今回は、お願いだ」

 

「お願い? まさか、ここを出てけって言うんじゃないだろうな」

 

 

 どうやら、依頼主との間で一悶着あったらしい。センにまで依頼が上がってきたから、当然かもしれない。

 

 

「どうして、ここに屯してるんだ?」

 

「前に住んでた所が崩壊したんだ。死ぬかと思った」

 

 

 納得の理由だ。住処を失くしたのなら、ここに居るのも分かる。

 

 

「じゃあ、住処を紹介しよう。それと仕事だ」

 

「……噂はマジだったのか」

 

 

 センが提供した条件に、不良は目を白黒させていた。噂は順調に広まっているようだった。

 

 テュポーンの名前が売れたので、偶然の産物であるそれをセンは利用している。不良をある区画にひとまとめにしているのだ。

 

 スラム街と言えば聞こえが悪いが、住民との衝突は少なくなった。それに、ゲヘナの境に配置したから、向こうからの不良生徒の防波堤になってくれている。

 

 彼女たちにも旨味はもちろん用意している。干渉しないように、位置には気を使っているし、住みやすい、まだ形が完全に近い廃墟もある場所を選んだ。

 

 そして、食べていけるように仕事も用意した。提供した場所の調査をお願いしていた。建物の様子とか、整備とか。やってくれれば金銭を報酬として出している。

 

 その金はアビドスから出ている。金のやりくりに困って梔子ユメに相談したら、返事一つで出してくれた。

 

 

 ──話を聞いて、仕事をしてくれるなら、良い人達なんだね! 

 

 

 それでいいのかと思ったが、良いらしい。金額も普通に依頼を出すより少なく済むし、優先度の低い、彼女たちにもできる仕事を振っている。それに傍目から見れば真面目に映る。だから良いのだろう。

 

 彼女たちも命令が嫌なだけで、旨味があればやってくれる。なにせ自分たちの住処だ。綺麗にしたいと思うのは当たり前だ。

 

 

「ほら、場所を選びな。早い者勝ちだぞ」

 

「ちょっと待て、全員を呼んでくる」

 

「それなら、ここじゃなくて向こうで選んでくれ」

 

 

 建設地の外、開けた別の場所を指差す。地図を受け取った不良は建設地の中へと消えて、ぞろぞろと仲間と共に外へと出て行った。

 

 

「おお、ありがとう!」

 

 

 不良の居なくなった建設地を見て、依頼主は喜んでいる。もふもふの短い尻尾がグルングルンと揺れていた。

 

 

「それでは、依頼は完了と言う事で。また彼女たちが戻ってきたら一報を」

 

「おう! あんちゃん! いい仕事をするなぁ!」

 

 

 バンバンと嬉しそうにセンの肩を叩く依頼主に、センは困惑する。今までこんなことをしてくる大人はいなかったからだ。敵意も何もないから、とっさに反応できなかった。

 

 

「いい仕事?」

 

「おう。いい仕事だ。誰も嫌な顔をしなかっただろう?」

 

 

 それは、手間がないからだ。全員納得した方が収まりが良い。さっきも、戻ってきたらと言ったが、まずないと確信している。

 

 

「あんちゃんには、自覚がないかもしれないが。それは良い事なんだ。仕事によるが、あんちゃんや俺の仕事は、本来そうあるべきなんだよ」

 

 

 センの仕事は、梔子ユメの手伝いだ。つまりは生徒会の仕事で、依頼主もそう思っている。

 

 生徒会の仕事は、自治区をより良くすることだ。確かに理屈に合っている。そこまで考えて、センはこの依頼主と話してみたくなった。

 

 

「貴方は、どんな仕事なんです?」

 

「おう。ここで、ラーメン屋をやろうと思ってな」

 

「ここで?」

 

 

 思わず驚きのニュアンスが混じる。それを予想していたのか、依頼主は笑う。

 

 

「おう、ここでだ。ここに商業施設を作るんだそうだ。中々の立地だろ?」

 

「いや……」

 

 

 気になる単語が聞こえたが、そんな事よりも依頼主の言葉が信じられなかった。それは茨の道だからだ。もっと良い立地はあるはずだ。こんなさびれた場所でなくともだ。

 

 

「あんちゃんの心配は分かるさ。客が来てくれるかもわからない。でも、やってみたいんだ。それが、俺の夢だからだ」

 

「夢?」

 

 

 センは聞き返す。最近、夢と言う単語をよく聞く。梔子ユメが、胸に秘めて今も頑張っている物。それを目の前の大人も持っているらしかった。

 

 

「俺は、ラーメンが好きなのさ。ラーメンを作るのも好きだし、旨いと言ってくれるのが好きだ。だから、ラーメンを仕事にしたいと思ったんだ」

 

「でもですね……」

 

 

 それは上手くいった場合の話だ。そんなにうまくいくわけがない。そんなに簡単には行かない。人生はそういうモノだ。でも、依頼主は笑ったままだ。

 

 

「上手くいかないことだってあるだろう。でも、それを恐れて何もしない方が俺は嫌だね。そんな事で諦められる夢じゃない。夢を叶えている最中なら、どんなことだって耐えられる。夢ってのは、そう言う物だろ?」

 

「そうですね……!」

 

 

 こればっかりは納得できた。梔子ユメが、頑張れる理由もこれなのだろう。こんな大人が居たのかとも思う。そして、依頼主はセンに向かってこういうのだ。

 

 

「それは、あんちゃんもそうなんじゃないのか?」

 

「え?」

 

 

 何のことを言っているのか、センには分からない。夢の事を話していたはずだ。センに夢はない。記憶も名前もないのだから、あるはずがないのだ。

 

 

「だって、笑ってるんだ。夢を叶えてる最中の俺みたいに笑ってるんだ。さっきも言ったろ? 皆笑ってるって。だから、俺はいい仕事だって言ったのさ」

 

「俺に、夢があるって……?」

 

 

 センの呟きに、依頼主は大きく頷いた。

 

 

「ああ、ある。あんちゃんには分からなくても、きっと無意識では分かってんだ。だから楽しいし、笑ってるのさ。俺が保証してやる。あんちゃんには夢がある」

 

 

 やけに、その依頼主の言葉が耳に残った。それは依頼主が礼を言って立ち去っても、ずっと耳に残っていた。

 

 

 □

 

 

「夢……」

 

 

 今日の仕事が終わって、梔子ユメとの帰り道。センは、ずっと、その事を考えていた。

 

 惰性でここに居るだけなのに、そんなものがあるのだろうか。それは、自分の過去に関係するのだろうか。自分はそれでいいのだろうか。

 

 

「セン君? どうしたの?」

 

「いや、夢の話。今日の仕事の話をしただろ、梔子」

 

「ふふ。ユメでいいよって言ったのに。まだ苗字呼びなんだね」

 

「……悪いだろう」

 

 

 苗字が同じだからか、梔子と呼ぶと周りが変な顔をするのだ。親戚同士という設定なのに、苗字呼びなのはおかしいから。そう言った理由で名前呼びで良いと言ってくれたが、センはまだそう呼べないでいた。

 

 

「俺が、どうしようもない奴だったら。迷惑が掛かる」

 

「掛からないよ。むしろ私の夢を助けてくれてるのに」

 

 

 やけに断言するので、センは渋い顔になる。今日の依頼主との会話を思い出したからだ。

 

 梔子ユメは笑っている。この笑みが、夢を叶えている最中の笑みなのだろう。だから、もしもセンがどうしようもない奴でも笑っていられるのだ。なんだか、それが気にくわない。

 

 それで、依頼主が言ったように。この笑みを、センもしていたのだろうか?

 

 

「してるよ。セン君は。ちゃんと笑ってるよ」

 

「え?」

 

 

 自分の考えを見透かされて、センはどきりとした。梔子ユメは、今まで見たことがない顔で、隣を歩いている。

 

 

「セン君が、自分の事が分からなくて不安なのは知ってるよ」

 

 

 少しセンの先を歩いて、後姿を見せたまま、梔子ユメは言う。

 

 

「私は、セン君の夢や昔の事は分からないけど。悪い人じゃないと思うよ。だって、私の手伝いをしてくれる時、少し嬉しそうだもの。それに、言ってくれたよね。最近、充実してるって」

 

 

 前を歩く梔子ユメは、朝の様子とは違って見えた。

 

 

「セン君の事もちょっとは調べてるんだよ。何も分からなかったけど、私は嬉しかった。少なくとも分かる範囲で何かをしてたってわけじゃないんだって」

 

 

 どうやら、こっそりと一人であることをいい事に、何か調べ物をしていたらしい。指名手配やその類をされていなかったからとはいえ、考え方が安易だった。

 

 

「梔子は、それだけで嬉しかったのか?」

 

「今のセン君が、そう言うのを喜べる人だって思ったからね。私にとっては、それだけで十分なんだよ」

 

 

 珍しく、センの方が何も言えなくなった。梔子ユメが、そう思うのなら。それに対してセンが口出しする権利はないからだ。

 

 それなのに、どこか安心する自分がいた事に。センは恥ずかしくなった。

 

 多分、センは梔子ユメと一緒に居たかったのだ。だから最近充実していたし、あの大人の夢と言う言葉に対して、あんなに気になったのだ。

 

 そして、それには自分の過去がネックだった。梔子ユメは生徒会長だ。センが、どうしようもない奴だったら一緒には居られない。梔子ユメが、それを受け入れてくれたとしても。センが嫌だったから。

 

 でも、そんな人間ではないと。まだ確定もしていないのに。そう言ってもらえた事がなんだか嬉しかったし、気恥ずかしいのだ。

 

 

「あ。また梔子って呼んだ」

 

「……分かったよ。ユメ」

 

「うんうん。それでいいと思うな」

 

 

 ニコニコと梔子ユメが、機嫌良さそうに笑う。それを見ていると、なんだかセンは安心してくる。そんなセンを見た梔子ユメは、もっと笑みを深くするのだ。

 

 

「じゃあ、悩み事が解決したところで。早く帰ろう?」

 

 

 振り返って片手を差し出す梔子ユメはもう、いつもの梔子ユメに戻っていた。

 

 センは、差し出されたユメの手を握る。温かい手だと思う。体温とかそれだけではない気がする。

 

 何故、自分がそう感じるのかは今は分からない。でも、まだ、そのままでいいとセンは思うのだ。この答え合わせは、また今度で良いだろう。

 

 ずっとこんな日々が続けばいいなと、そう思いながら。ユメとセンは家路についた。

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