ホシノ同級生相棒概念   作:洞鼬

212 / 338
211話 私が先に好きだったのに(W・S・S)

 それは、美しい記憶だった。

 

 名無しの青年と、立場ある少女とのボーイミーツガールで始まる青春の記憶。

 

 出会った二人が、お互いを尊重して紡いでいく生活は幸せに満ちているように見えた。

 

 そこには、悪意や恨みなどの暗い感情は何も無くて。まるで楽園みたいだと、もっと見たいと、先生が思うほどに。

 

 しかし、プツンと音を立てて、先生の眼前のモニターが暗転する。

 

 故障だろうかと先生が思った矢先に、黒服の声がそれを否定した。

 

 

「ふむ。ホシノさんは耐えきれませんでしたか」

 

 

 ぞわりと背中に悪寒が走って、先生は黒服に詰め寄る。

 

 

「ホシノに何かあったの!?」

 

 

 耐えきれなかったという言葉には、不穏な響きしか感じなかった。しかし、黒服の反応はどこか冷ややかだった。

 

 

「まぁ、あるといえばありますし。無いといえばありません。大した事ではありませんよ」

 

 

 小さく溜息をついて、黒服は話し出す。

 

 

「ホシノさんが、ここから先を見たくないと思ったのでしょう。自分の感情を言語化出来ず、コントロール出来なくなった。早い話が、いじけているのですよ。現実逃避と言っても良い」

 

 

 それは、仕方がないのではないかと、先生は思う。

 

 梔子ユメはホシノにとって特別だ。それは砂漠横断鉄道の事件が証明していた。特別でないなら、ああも取り乱しはしなかっただろう。

 

 そして、カヤツリもホシノにとっては特別だ。ずっと一緒に居てくれて、そう約束して、それを守り続けている。

 

 そんな二人が画面の中で、ホシノを抜きにして過ごしているのだ。どんな気持ちで見ているかなんて、想像するに容易い。

 

 

「黒服。分かってたね?」

 

「ククク、相変わらず生徒には甘いですね。ええ、その通りです。分かっていましたよ。何せ、私は一度視聴済みですので」

 

 

 睨みつける先生を揶揄うように、黒服は言い放つ。

 

 

「それに言ったでしょう? 耐えられるかどうかと。ホシノさんは了承しました。責められる謂れはありません」

 

 

 先生は思わず苦い顔になる。

 

 一杯喰わされたのはもういい。黒服はこんな大人だった事を忘れていた先生が悪い。今の先生の優先はホシノだった。

 

 

「……ホシノは? 私たちは、ここで油を売っていていいの?」

 

「心配はいりませんよ。彼女が連れて来てくれます」

 

「彼女?」

 

 

 心当たりのない人物に、先生の警戒心が高まるが、黒服は心配ないと言って、先生の背後を見やった。

 

 

「それよりも先生。もう一人の方を気にした方がいいと思いますが」

 

「あ……」

 

 

 黒服のもう一人と言う発言に、ハッとする。当てはまるのは一人しかいない。振り向けば、テラノがテラツリを締め上げていた。

 

 

「確かに、カヤツリに見せてもらったけどさぁ……全部見せなかったね?

 

「はい……」

 

 

 椅子の上に、テラツリは器用に正座していて。逆にテラノは立ったまま、テラツリの顔を下から睨みつけていた。

 

 テラノの表情は、無表情どころか少し微笑んでいるように見えた。けれど、その慈愛に満ちた表情とは裏腹に、周りは大変な事になっている。

 

 テラノの身体、服の端々。そこから、赤みがかった炎が噴出していた。それは周りの椅子や何かを燃やしはしなかったが、どこか焦げ臭い匂いがしている。

 

 

「何? あの、ユメ先輩への言葉は? 私は、言われたことは無いんだけど? それに、何? あんな生活してるなんて初耳だよ。梔子セン? 随分と楽しそうだったねぇ? 手も繋いで、名前呼び? 私の時よりも早いね?」

 

「……」

 

 

 助けを求めるようにテラツリが、視線を周囲に向けるが、シロコ・テラー含む後輩たちはとっくに退避していた。それどころか、テラツリを見る視線はどこか冷たい。テラノの炎と相殺できそうなほどだ。

 

 

「何か言ってごらんよ。ねぇってば

 

 

 テラノの炎が、テラツリを包んでいた。相変わらず何かが焼けるような匂いはしないけれど、テラツリの額には冷や汗が目立っている。先生にしか見えないだろうテラノの、獣の眼光染みたヘイローもテラツリを睨みつけている。

 

 答えないテラツリに焦れったく思ったのか、テラノはため息をつく。それと同時に、炎の勢いが増す。

 

 

「いいよ。もう。身体に聞くから」

 

「テラノ、ダメだよ」

 

「ええ、先生の言う通りです。止めておきなさい」

 

 

 先生と黒服の制止で、テラノの動きが止まった。くるりと頭が振り向いて、黒服と先生をじろりと見た。

 

 

「何で? 先生も黒服も関係ないでしょ」

 

「太陽船に一体化して問い詰めたところで、答えなど出てきませんよ。別人のようなものですからね」

 

「別人?」

 

 

 テラノの問いに、黒服は余裕をもって答える。

 

 

「ええ、別人のようなものです。そこの彼は、答えないのではなく、答えられないのですよ。きっともう、真の意味では、誰も答えられはしないのです」

 

 

 テラノは黙ったままだが、炎は段々と静まっていく。黒服は安堵したようだった。

 

 

「ええ。その方が良いでしょう。それに、それ程は怒ってはいないのでしょう?」

 

「……何で、そう思うの?」

 

「話が出来ているでしょう? 本当に腹に据えかねたホシノさんは話を聞きません。かつて、契約を結ぼうとした際に、最も私が気にかけた部分です」

 

 

 無表情のテラノに、黒服は呆れたように言った。

 

 

「腹立たしいのは間違っていないでしょうが。貴女は良い機会だと思って、彼への強請りに活用しましたね? 彼もある程度は察している。そういうじゃれ合いは、二人きりの時にやって頂きたいですね」

 

 

 テラノは聞こえないというように、そっぽを向く。それは黒服の指摘が図星だと言っているようなものだった。

 

 先生は、分からなかった事を内心で恥じた。ホシノとテラノを同じように見ていたからだ。

 

 テラノはホシノよりも強かで、何処と無く余裕があるのは察せられた筈なのに。シロコとシロコ・テラーが、カヤツリとテラツリが別人なのと同じように、ホシノもテラノも違うのだ。

 

 その差異が、どこからやって来たのかは分からないが。

 

 件のテラノとテラツリは、もう元の位置に戻っていた。テラノはさっきの雰囲気が嘘みたいに普段通りに戻っている。テラツリの膝の上に座って、テラツリを椅子代りに甘えていた。テラツリも仕方無さそうに要求を聞いている。

 

 恐るべき変わり身の速さだ。それを先生含む後輩たちは、戦々恐々と見つめた。

 

 

「戻ったけど。黒服? コレは何処に置けば良いの?」

 

 

 ホシノが消えた扉が開く音がして、先生たちが振り向けば。そこにはアビドスの制服を着た少女が立っていた。

 

 黒服は予定通りなのか、空いた席を指差す。

 

 

「早かったですね。貴女とはいえ手間取ると思っていましたが……そこに席がありますから、そこへ掛けさせてください」

 

 

 黒服が指差した席に小脇に抱えたホシノを付かせる少女に、ノノミが驚きの声を上げる。

 

 

「梔子ユメ先輩……?」

 

 

 その少女の姿は、画面の中の梔子ユメと良く似ていた。しかし、違和感がある。そして、シロコが正体を看破した。

 

 

「ん。違う。薄い。セトでしょ」

 

「どこ見て判断したわけ? すごく失礼なんだけど?」

 

 

 シロコの指摘に、少女、セトは嫌な顔をした。嫌な顔しながらもホシノを席に付かせているあたり、生来の生真面目さが見える。

 

 しかし、問題はホシノだ。どうした事か頭を抱えたままで動かない。

 

 

「ホシノ先輩……?」

 

 

 恐る恐るセリカが声を掛けるが反応しない。

 

 

「……よ」

 

「え?」

 

 

 ボソリと短い声が聞こえた。

 

 

「だめ……」

 

「へぇ、何が?」

 

 

 聞こえたのだろう嘲りが多分に含まれたセトの言葉に、ホシノは気を取られる事はない。ただただ、壊れたラジオみたいに、何かを呟き続けている。

 

 

「だめですよ、ユメ先輩……カヤツリは、私が最初に好きになったんですよ……」

 

 

 普段のホシノの口調ではなかった。飄々としたおじさんを自称する口調ではなく、大事な物を取られまいとする子供の声だ。

 

 セトを梔子ユメだと勘違いしているのか、ホシノはセトにしがみ付く。

 

 

「それを……横から……取るなんて……ダメですよ……ユメ先輩……」

 

 

 先生は、ホシノの気持ちが痛い程分かった。今のホシノはボロボロだ。外見の話ではなく、内面の話だ。最初に思った事が現実になってしまった。

 

 最初に思った通り、梔子ユメとカヤツリ。二人はホシノにとって特別だ。

 

 そんな二人がホシノ抜きに仲つむまじく暮らしている。途中で映像は途切れたが、そういう関係にもつれ込むのも時間の問題だろう。

 

 二人がそういう関係になるという事は、ホシノは大事な人間を二人失うに等しい。

 

 二人は、ホシノを放って生きていく。ホシノはただ一人で置いていかれる。

 

 それはホシノが一番嫌な事のはずだった。

 

 これが、誰かの妄想だとか、精神攻撃だとか、地下生活者の時のような。そんな類であればどれほど良かったか。最悪な事に、これは過去の映像なのだ。本当にあった事だ。

 

 ホシノが梔子ユメに、カヤツリに出会う前のもの。本当にあったであろう過去。ホシノが恐れたもしもの現実。

 

 

 ──カヤツリは、本当は梔子ユメが好きだったんじゃないか?

 

 

 その疑問の、これ以上ない答えだ。そりゃあ現実逃避もしたくなる。心身共に限界なのか、ホシノのヘイローがテレビの砂嵐のようにブレ始めていた。

 

 先生は、そんなホシノのヘイローを見て、呻き声を上げる。

 

 

「マズイ……」

 

 

 ブレるヘイローは消えなかった。しかし、少しづつ、変化してきている。薄い桃色からテラノのヘイローのような赤黒い色に。

 

 

「何をするおつもりで?」

 

 

 ホシノに声を掛けようとする先生に、黒服が立ちはだかる。全く退く気は無さそうで、先生の顔が険しくなる。

 

 

「ホシノを助けるんだ。引き上げてあげないと」

 

「引き上げる? それは先生の仕事ではありませんよ」

 

 

 黒服は変わらずの表情で佇んでいる。いきり立つ先生とアビドスの生徒たちを落ち着かせるように、ゆっくりと口を開く。

 

 

「ここまでは想定通りです。ホシノさんが途中で音を上げるのも、我を失うのも。そして、先生。貴方たちが邪魔をするだろうということもね」

 

「何を言っているんですか!? ホシノ先輩とカヤツリ先輩をどうしようって言うんです!」

 

 

 アヤネやノノミを筆頭に、アビドス生のほとんどが臨戦態勢に入っていた。ホシノの雰囲気はどんどん悪くなっている。まるで、あの時の、アビドス砂漠の時のように。このままでは、良からぬことが起きる。そんな気配しかしない。

 

 それなのに。黒服は逃げるそぶりも、対応するそぶりも見えなかった。どことない違和感が付きまとうが、黒服は普段通りの様子にしか見えない。

 

 

「彼とホシノさんをどうするか? 最初から言っているではありませんか」

 

 

 まるで当然のように。初めて会った時のように黒服は告げる。

 

 

「私は契約を遂行しているだけです。カヤツリ君の体験した事と、その時の選択の意味。それを、ホシノさんに知ってもらう事。そのために、これは必要な事なのですよ」

 

 

 シロコが、もう我慢できないとばかりに身体に力を込めていた。シロコ・テラーも雰囲気が危うい。ノノミやアヤネ、セリカも引く気はない。ヒナやマトは止まっていてくれているが。シロコ二人はもう止められない。

 

 そんな一触即発の空気の中、乾いた音がした

 

 

「うあっ!?」

 

 

 セトが、ホシノの頬を張り飛ばしていた。そのショックなのか、他に何かあるのか知らないが、ホシノのヘイローは元に戻っていた。雰囲気も元通りになっている。

 

 

「ん。離して」

 

 

 シロコ二人は、マトとテラツリにそれぞれ止められていた。テラツリには話が通っていて、マトはテラツリにお願いされたのかもしれなかった。

 

 

「目は覚めた? ようやくまともに前が見えるようになったんじゃない?」

 

 

 茫然とする先生たちの前で、ホシノの頬に張り手を食らわせたセトが、苛立たし気に張った手を振る。ホシノは、セトの質問に答えずに叩かれた頬を触るだけだ。

 

 

「返事がないとか。まだ眠いみたいだね。さっきの薄汚い言葉はどうしたの」

 

 

 もう一度セトの張り手がホシノへ直撃する。さっきとは反対の頬だ。そこまでされれば、流石のホシノも頭に来たらしい。セトへと掴みかかって乱闘になった。

 

 けれど、腕のリーチが露骨に違う。セトはホシノの襟首を掴んで、オフィスの奥へと投げ飛ばす。

 

 薄い壁を破って物が倒れる音と何かが壊れる音が盛大に響く。セトはホシノの後を追うように投げ飛ばした部屋の奥へと消えていった。

 

 

「彼女に頼んで正解でしたね。言いたいこともたくさんあるでしょうし、戻ってきたころには頭も冷えているでしょう」

 

 

 何事もなかったかのように宣う黒服に、先生はどう言葉を掛ければいいのか迷うが、意を決して聞いてみた。

 

 

「どういうことか聞いてもいいかい? 状況が全く分からないんだけど」

 

「ええ、いいでしょう。まずは席に掛けてください」

 

 

 全員が席に戻ると、満足そうに黒服は話し始めた。

 

 

「先ほどのホシノさんの反応を見て、どう感じましたか? 何故、彼女はあんなにも取り乱したのでしょう?」

 

「そんなの、決まってるじゃない。ショックを受けたのよ。あんな映像……」

 

 

 恐れもせずにセリカが答えるが、黒服は首を横に振る。

 

 

「ええ、彼女と言う立場の人間からすれば、怒るに値する映像でしょう。ですが、ショックを受ける必要はないはずです。ここに来ることになった時のように、怒ればよかった」

 

「あの反応が良くないってことかい?」

 

「ええ、二人が罹患している病。この時期特有の病の影響が大きいのです。ホシノさんは漸くといったところですか」

 

 

 黒服は大きく頷く。

 

 

「怒るのならば良いでしょう。しかし、ホシノさんは取らないでと。そんな事を言う」

 

 

 それは、おかしい話だった。梔子ユメはもういない。取られる心配はない。カヤツリもその気はないだろう。なぜ懇願したのだろう?

 

 

「そんな状態ではね。アレを見ても何の意味もない。そもそも、ホシノさん自身が分かっていないのです」

 

「でも、黒服の問いかけに、しっかり答えていただろう? ”選ばれたかった”って」

 

「いいえ、ホシノさんは答えていませんよ。私の言ったそれらしい答えに飛びついただけです。ある意味では、それも真実なのでしょうが」

 

 

 あの時の事を先生は思い出す。そう言えば、ホシノは言い切っていなかったように思う。黒服が言葉を拾っていたような気がする。

 

 

「時に先生。貴方は様々な事件を解決してきましたね。大きなものだけでもアビドス、ミレニアム、ゲヘナにトリニティ。ああ、SRTもそうですね」

 

 

 先生は背中に冷たい汗を流す。黒服の言った事は正しいが、先生は黒服に伝えたことは無いからだ。ストーカーされている気分だ。黒服は先生の気持ちを知ってか知らずか、すらすらと関係なさそうな話を続けている。

 

 

「貴方は様々な問題を起こした生徒に対処してきた。ただ、ホシノさんだけは例外です」

 

「例外……? どういう事?」

 

「彼女だけは、同じ轍を踏んだでしょう? 正確には踏みかけた、ですが」

 

 

 それは、暴走の事を言っているのだろう。黒服の取引に独断で乗りそうになったことと、一人で総会会場に乗り込もうとしたこと。どちらも寸前で阻止されている。

 

 

「間違えることくらい誰だってあるだろう?」

 

 

 我ながら苦しい言い訳だと思った。勿論黒服には通用しない。クツクツ笑っている。

 

 

「ええ、人間ですから。間違いは誰にでもあります。しかし、普通はあれほどの失敗をすれば反省するものです。地下生活者の影響は無視出来ませんが、短期間で似たような間違いは起こさない。それは、他の生徒で証明されているはずです」

 

 

 痛いところを突かれて、先生は呻いた。ホシノは反省していないわけでは無いだろうが、捨て身になりがちなところがある。自分の価値が一番下なのだ。

 

 

「話は変わりますが、先生。人の騙し方を知っていますか?」

 

 

 突然の仕切り直しに、先生はとっさに答えた。

 

 

「そっちの方面は知らないね。黒服は詳しいみたいだけど」

 

「ええ、一家言あります。これでも、そういった世界で生きてきたのでね」

 

 

 黒服はその騙し方とやらを話し始める。

 

 

「人は他人から言われたことを聞きたがらないモノです。特に嫌悪感を持つ相手からはね。その逆もありますが。私はこんな顔ですので、その手は使えません」

 

「じゃあ、どうするんだい?」

 

 

 先生の問いに、黒服はにやりと笑った。

 

 

「簡単です。自分で答えを出してもらえばいい。正確にはそう誤認させればいいのですよ」

 

 

 その手段は覚えがあった。先生が時々使う手だったからだ。生徒には自分で答えを出してほしくて、それとなく誘導することはある。ただ先生と黒服では、その目的は正反対だった。

 

 

「望む物を提示し、そのための手段を誘導する。少しずつ情報を小出しにし、利益を見せびらかし、自身の助けが必要な状況へと持っていき、需要を生む。後は簡単です。そのためには、こういった手段をとればいいと、私が供給すればいい」

 

 

 恐怖で固まる生徒たちへ、黒服は静かに告げる。

 

 

「分かりやすく言いましょうか。生徒が居ないのも、学校が潰れそうなのも、自分が苦しいのも。全部アビドスの借金が悪い。だから、私が資金を提供しましょう。そうすれば、全てが解決する。それしか手がない。そのためには、対価が必要ですとね」

 

 

 それは、黒服がかつてホシノに提案した条件だった。アビドス生が、黒服の雰囲気に後ずさる。そこに居るのは()()()()だったからだ。

 

 

「クックック……実際にはそんなことは無いのですが。そもそもの原因は砂嵐なのですから、借金を返したところで現状は変わりません。ですが、当人は思いもしない。何故なら、自分ですら自分の望む物が分かっていない事が多いからです」

 

 

 これが、きっと黒服の本題なのだろうなと。先生は思った。

 

 

「何故、自分は苦しんでいるのか。そのためにはどうするべきで、何が必要なのか。自身の中にある曖昧なものを、人に伝えられるレベルまでにしっかりと形にする。思考の言語化です。さっきのテクニックの基本形ですよ」

 

 

 黒服は思考を形にさせたのだ。ここに来たばかりのホシノへの問答がそうだ。思えば、黒服から話を振っていた。思考を形にする過程で口を挟んで誘導していたのだろう。

 

 ただ、今回は黒服のせいではない。そもそも、ホシノはそれすらできていなかった。自身の中にある苛立ちや、それ以外の何かを認識さえしていなかったのではないか。

 

 

「ホシノは、自分でも分かっていないってことかい? なんで不安になるのか分かっていない?」

 

「ええ、やり方が拙いとも言えます。先ほども言いましたが、ホシノさんは思考の言語化が不得手なのですよ。殆どの生徒に言えることなのですがね。例外は学園を運営する立場の人間でしょうかね」

 

 

 リオやナギサのような生徒の事を言っているのだ。確かに、彼女たちは同じ轍を踏まなさそうにも見える。でも、ホシノが不得手な理由はそれだけではない気がする。彼女たちと、ホシノの相違点を考えて、先生は一つの考えに辿り着く。

 

 

「黒服はホシノに何かを自覚してほしかったと。そのために、カヤツリじゃなくてセトを用意した」

 

「ほう。何故、そう思ったのですか?」

 

 

 興味深そうに聞く黒服に、先生は答える。

 

 

「ホシノに意見を言えるから。彼女だけが、ホシノの言い訳や建前を無視できる」

 

「その通りです。流石、先生ですね」

 

「ちょっと、どう言う事?」

 

 

 口を挟むセリカに、先生は渋い顔をした。あまり聞こえの良い話ではないからだった。

 

 

「……例えばの話。今回の事、梔子ユメさんとカヤツリとホシノの関係。ホシノが抱えているそれ。それについて口を出せる。いや、出せたかい?」

 

「それは、暴走するホシノ先輩を止めた時のことですか?」

 

 

 アヤネの言葉に先生は黙って頷く。そうすると、全員が微妙な顔をした。代わりに先生が答える。

 

 

「何も知らない。そうホシノは言ったみたいじゃないか。それは、ホシノの言い訳なんだよ」

 

 

 ずるい話だ。そんな事を言われれば黙るしかなくなってしまう。ある意味論点ずらしだ。だから、あの時のシロコの泣き落としに近い軌道修正は特攻だったのだろう。

 

 

「たとえ知っていたとしても。今度はホシノに勝てとか、そんな事を言うだろうね」

 

 

 ホシノの強さは折り紙付きだ。当然それも困難だ。ヒナあたりなら対抗できるし、ホシノの過去を知ってもいるだろうが、知識として知っているだけだ。それでは意味がない。

 

 

「……じゃあ、カヤツリ先輩がやればいいじゃない。それしかないわよ」

 

「それは、無理じゃないかな。きっとホシノはカヤツリだけには言えないんだと思うよ」

 

 

 カヤツリも、ホシノがまだ何か抱えたままだと言うのは察しているかもしれない。でも、上手くいかないのだろう。

 

 

「でも、セトなら何とか出来る。カヤツリと同じくらいの情報量だし、ホシノと張り合えるくらいには強い。それに、遠慮がないからね」

 

「遠慮?」

 

「そう、遠慮」

 

 

 ノノミの言葉を先生は肯定する。

 

 

「他の生徒には、遠慮なく言ってくれる同年代の娘たちが少なからずいたんだ。それか、年上の娘がね。遠慮なしに耳の痛い事を言ってくれる人間」

 

 

 それは、辛いが必要な事でもあるのだ。間違いを見つめて正すのは辛い事だ。でもやらなければならない。だって皆傷ついて成長していくからだ。

 

 

「でも、ホシノには居なかった。梔子ユメさんは居なくなってしまったし、カヤツリは距離が近すぎて、上手く伝わらないし、強く言えない。適度の距離感が必要なんだよ」

 

 

 そこがホシノの不幸な点だろう。きっとホシノの問題は、ホシノが居ない間、テラノやアヤネやノノミが言った事なのだろうが。それを補填する時が、今やって来ていた。それは時間を置いた分、荒療治になる。

 

 

「流石に、少しくらいは後で請求しましょうか」

 

 

 その証拠にオフィスの奥から打撃音や物が壊れる音が、断続的に響いている。黒服の表情は少し、困り顔になるほどだった。

 

 

「……いいよ。私が出すから」

 

「そうですか。それでは遠慮なく請求するとしましょう」

 

 

 先生は思わぬ財布へのダメージに身体が固まるが、仕方ないと割り切った。生徒のためだから惜しくはない。

 

 

「しかし、彼女たちの()()()()が終わるまで、時間があります。その間は質問に答えるとしましょうか」

 

「ん」

 

 

 すぐさま、シロコの手が挙がった。黒服が発言を促すと、シロコは単刀直入に聞いた。

 

 

「あの映像は、このままの展開なの? カヤツリ先輩は……」

 

 

 シロコの質問は簡単だ。この後の展開を聞いているのだ。先が知りたいと言うよりかは、ホシノが心配なのだろう。セトとの()()()()で持ち直したとしても、カヤツリ──センの梔子ユメに対する告白などの場面があれば、流石にもうホシノは耐えきれないだろうから。

 

 

「……その心配はありません。今までの場面では、ジュブナイル映画にしか見えないでしょうが、本質は違います。芸術のインスピレーションにと編集の最終調整を手伝ったマエストロの受け売りですがね」

 

 

 急に出てきたマエストロの名前には、先生は驚かない。なにせ、この映像は時間遡行の資料だ。ゲマトリアであるマエストロも見たがるだろう。

 

 

「彼はこの作品。この映像ですね。これにタイトルを付けました。自身が編集に手を貸したのもあるでしょうが、それだけの価値があったと認めたのです」

 

 

 それには先生は驚いた。マエストロは芸術家だ。数回あっただけだが、彼の芸術への姿勢は目を見張るものだった。そんなマエストロが題をつけるなど、何か感じ入るモノがあったのだろう。

 

 

「タイトルは?」

 

 

 そんな先生の質問に、黒服は静かに口を開いた。

 

 

「失楽園。この映像の題は、失楽園だそうですよ」

 

 

 黒服の、それだけの言葉が、やけに悲しそうに先生には聞こえた。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。