ホシノ同級生相棒概念   作:洞鼬

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212話 本当の望み

「いきなりの不意打ちはズルくない? 何するのさ」

 

 

 怒りで茹だった頭で、ホシノは目の前のセトに言った。

 

 引っ叩かれた両頬はじんわりと熱を持っているし、いきなり暴力を振るわれたのだ。怒らない方がおかしい。

 

 当のセトは、投げ飛ばされ、引っ掛けられて埃まみれのホシノとは違って、身綺麗なままだだった。攻撃のリーチが違いすぎて勝負にならない。ズルいと言ったのは、その部分だった。

 

 

「流石に、君よかズルくはないよ」

 

「何それ、ふざけないでよ。幾ら温厚な私でも怒るよ」

 

 

 ホシノの語気が荒くなる。いきなり殴りつけられたのだから、怒らない方がおかしい。

 

 でも、セトは呆れ果てた顔をする。

 

 

「温厚? 君が? 冗談も休み休みいいなよ。本当は誰よりも暴力的なくせに。君はそうやって生きて来たでしょ」

 

 

 そういえば、コイツは過去の自分を知っているのだったか。久しぶりのまともな邂逅に、記憶が曖昧だ。

 

 事実を突かれてホシノが黙っても、セトの呆れ果てた顔は治る様子を見せない。見せないままに、こんな事を言う。

 

 

「それに、随分と強気だね? 梔子ユメにはあんな風だったのに」

 

 

 それを聞いた瞬間、怒りで茹だった頭が急速に冷えた。冷えて怒りが抜けた隙間に、ぐちゃぐちゃになった感情がどんどん詰まってきた。

 

 頭が上手く回らなくて、感情がホシノを滅茶苦茶にする。

 

 

「はぁ……もう一発いくよ」

 

 

 すぐさまホシノの頬が熱くなって、床に倒れ込んだ。セトは本気で叩いている。

 

 まだ叩き足りないのか、ブンブンと素振りすらしていた。

 

 

「……もういいよ」

 

「ふん……」

 

 

 ホシノの待ったに。訝しんだようにセトは目を向けた。じろじろとホシノを舐め回すように見て、残念そうに手を下ろした。

 

 

「で? どうするの?」

 

「どうするって……」

 

「このまま尻尾を巻いて負け犬になるのかって聞いてる」

 

 

 腰に手を当てて、床に座り込んだホシノを見下ろしてセトが言う。

 

 

「戦うなら立てばいい。そうでないなら、そこで一生蹲っていればいい。君の人生だもの。好きにすればいい」

 

 

 セトの言う”戦うなら”というのは、今の叩き合いのことではなく、あの映像のことなのは分かっていた。

 

 でも、ホシノにとってあの映像は拷問に等しい。あれ以上カヤツリとユメ先輩の逢瀬を見ろと言うのだろうか。見たところで、何になると言うのだろう。カヤツリが見せたいものがあれだなんて。カヤツリはホシノの事が嫌いになったのだろうか。

 

 セトを見るが、セトは何も教えてくれる気はなさそうだ。カヤツリの考えも、セト自身の考えも。

 

 動けないホシノを見て、セトは苛立ちが増すのか。つま先で強く床を叩きながら、ホシノに詰め寄った。

 

 

「あれも嫌だ。これも嫌だ。だだをこねて何もしない。そのくせ与えられたものに文句を言う。それをなんていうか知ってる? ガキって言うんだよ。ガキにカヤツリは渡さない」

 

 

 視線が恐ろしく冷たかった。痛む頬と心、セトの詰りで遂にホシノの我慢が限界を迎えた。ホシノの喉から怒号が飛び出す。

 

 

「好き勝手言わないでよ。カヤツリの事を勝手に決めないで!」

 

「へぇ……敵が分かれば早いね。今までも、これからも、そうして生きていくって訳だ?」

 

 

 怒りのままに立ち上がったホシノに、セトは冷ややかな態度を崩さない。どうにも、ホシノの態度が気にいらない様子だ。同じようにまたセトは詰る。

 

 

「それだから、また騙されるんだよ?」

 

「騙されるって……」

 

「今騙されてるでしょう? 私にさ」

 

 

 困惑するホシノに、セトは心底バカにするように吐き捨てた。

 

 

「質問の答えは? 思考が”私を殴って黙らせる”にシフトしてるけど、それでいいの? その後どうするの?」

 

 

 答えられないホシノに、セトは更に畳掛ける。

 

 

「それで、何も解決しない問題をどうするの? 決められないから先生や、カヤツリや、後輩ちゃん達に何とかしてもらう訳?」

 

「あ……」

 

 

 頭が茹って忘れていた。ホシノがしなければならない事は、これからどうするかだった。決して、セトを殴ることでは無かった。

 

 そのことに気がついたホシノを見ても、セトの不機嫌さは治まる気配を見せなかった。それどころか、更に悪化したように思う。

 

 

「君は理由を勘違いしてるようだけど、違うよ。イラついたから、我を忘れたわけじゃない。君の理由はもっと救えない」

 

 

 止めを刺すように、指でホシノの胸を突きながら、目線を合わせるためにしゃがんだセトは静かに告げる。

 

 

「だって、唯の逃げだもの。”全部アイツが悪かったんです”って、私や黒服や地下生活者のせいにして、楽をする。自分の嫌な所を見ないフリをする」

 

 

 何故か違うとは、言い切れなかった。何故だか冷や汗が止まらない。でも、そんな事は認めたくなくて、ホシノは悪足掻きをする。

 

 

「そんな事は……」

 

「じゃあさ、何でおんなじ轍を踏むの? 黒服の時も、地下生活者の時も。丸きり同じだよね? 君は、感情的に行動して事態を悪化させた」

 

 

 グリグリとホシノの胸を指で強く突きながら、セトは冷たい言葉を吐く。

 

 

「黒服の時は、百歩譲っていいよ。君は何も知らなかった。知識もない、経験もない。私は出来なくて当然のことに怒るような恥知らずじゃない。でも、地下生活者の時の醜態は何?」

 

 

 言葉の内容は冷たい。でも、セトの語気は加熱してきていた。

 

 

「十六夜ノノミを助ける為に、一人で特攻する? 責任を取って対策委員会を辞める? 呆れて言葉も出ないよ。どうせなにが問題なのか分かってすらいないんだろうけど」

 

「分かってるよ……!」

 

 

 ホシノは反撃する。それは分かるのだ。シロコちゃん達が教えてくれた事だから。

 

 

「へぇ? じゃあ、どうぞ? 愚かな私めに、ご高説を垂れてよ」

 

「皆の事を考えなかった。置いていかれる皆が、どんな気持ちになるか考えなかった。私は皆の先輩なんだよ」

 

 

 ホシノをおちょくった様なセトに、ホシノは言葉を叩きつけた。

 

 

「不正解。落第。赤点未満」

 

 

 全くセトは応えていなかった。それどころか呆れが増した様にしか見えない。

 

 ホシノを抉る指の力を上げて、セトは言う。

 

 

「それはね? 分かってる人間の答えなの。シロコちゃんや、十六夜ノノミや、黒見セリカや、奥空アヤネの答えであって、分かってない君の答えじゃない。……話が進まないから教えてあげるよ」

 

 

 指で抉るのを止めたセトは、しゃがんだまま、ホシノの目線に合わせて答える。

 

 

「君は対策委員会の長だよね? アビドスで一番偉い立場で責任者だ。責任者の仕事は、責任を取ること。勿論自分のじゃないよ?」

 

 

 そこまで言われて、ホシノの胸の中が痛みだす。心当たりも、セトが何を言おうとしているかも分からないのに。嫌な予感が止まらない。

 

 

「集団の長の仕事はね? 部下の意見を聞いて、無きゃ自分で出して。それを纏めて、考えて。より良い意見を採択すること」

 

「うぁ…………」

 

 

 ホシノは呻く。ホシノの痛い所を抉られている。セトはホシノの様子を観察しながらも、止める気配はない。

 

 

「その意見を採択した責任を取るから、長は責任者と呼ばれるの。君は何をした?」

 

 

 ホシノは答えられない。さっきとは違って、分からないからではない。

 

 自分の行動が間違っている事が分かったからだ。間違っているならまだいい方だった。

 

 

「君は、後輩ちゃん達の意見を聞かなかった。勝手に自分で決めた。その上に後始末。自分の行動の結果。その責任を後輩ちゃん達に押し付けた」

 

 

 自分で言った事に気分を悪くしたのか、セトの顔が怒りで歪んでいた。

 

 

「あまつさえ、その事を分かっていないときた。これが救えなくて何なの? 教えて欲しい位なんだけど?」

 

「仕方ないじゃない。カヤツリだって……」

 

 

 カヤツリだってミスをした。だから自分へ悪くない。口にしたホシノすら、どうかと思う言い訳が飛び出した。

 

 

「流石ぁ……お得意の責任転嫁? また、話を逸らそうとしたね」

 

 

 セトは怒らなかった。もう怒りを通り越しているのか、無表情になっている。

 

 

「だから、君は梔子ユメに勝てないし。さっきみたいに縋り付くんだよ。梔子ユメが出来た事が、君には出来ない。調月リオや桐藤ナギサや百合園セイア。羽沼マコトにすら出来た事が出来ない。だからカヤツリが、彼女たちと話すだけでイライラする」

 

 

 それは、各学園の責任者達の名前だった。カヤツリの知り合いばかり挙げるのがいやらしい。

 

 さぞ出来た人間なのだろう。ホシノとは大違いだ。違い過ぎて全く堪えない。

 

 

「イライラするのは……私は、そんな風にはなれないからだよ」

 

「君が同じだと勝手に思っている空崎ヒナもできるよ。風紀委員会の長だよ? 彼女が出来ない訳がない」

 

 

 ヒナの名前が出た瞬間に、ホシノは震えた。そして、それをセトは見逃さなかった。

 

 

「エデン条約の時、落ち込んで部屋に引き籠った空崎ヒナを見て思ったでしょう? ああ、思ったより完璧じゃないんだって。自分と変わらないって。今のままでも大丈夫って。心の何処かで思ったでしょう?」

 

 

 図星だった。ホシノは初めてヒナに会った時に嫉妬した。けれど、今はしていない。それは、今。セトが言った通りだった。

 

 どんどんホシノの心が丸裸にされていく。セトは容赦が無かった。

 

 セト相手には、言い訳が通じない。過去を盾にも出来ない。容赦される理由もない。

 

 このままでは、ホシノ自身の汚い、見たくない、自覚すらしたくない物が引きずり出される。

 

 

「そこまでの醜態を晒して、何を守りたいのか知らないけど。教えてあげるよ。君はね」

 

 

 聞きたくない。でも、指で押さえつけるセトが許してくれない。セトの言葉が、ホシノの耳に入る。

 

 

「決断出来ない。確固たる根拠が無ければ出来ない。だって怖くて堪らないから。君は自分の決断で梔子ユメを失ったから。そしていつまで経っても、一年の君のままだから。自分の起こしたことの結果が受け止められない君は、一人で何とかしようとする。自分の価値が一番軽いからね」

 

「違う……!」

 

「違わないよ。いや、殆どね」

 

 

 ホシノの否定をセトは言い澱みながらも叩き潰す。

 

 

「決断出来ないって事は、何も決められないって事。その答えは、過去の暴走と矛盾する。そこは確かに違うかもね」

 

 

 ホシノの否定を一部は肯定したセトだったが、言葉通りの意味の筈が無かった。予想通りに、ホシノへ厳しい言葉が投げつけられる。

 

 

「君の決断出来ないという問題にはね? 例外があるの。梔子ユメ関連だけは迷わない」

 

 

 ホシノの心臓がどきりと跳ねた。心臓の音以外は遠くなっていくのに、セトの声だけはよく通った。

 

 

「だって、正しいから。君は間違っていて、梔子ユメは正しいから。だから、迷わない。迷えない。迷ってはいけない。違う?」

 

 

 ホシノは答えられない。そう思った訳では無い。でも、全く考えなかったと言えば嘘になる。

 

 

「気持ち良かった? 罪の重さが軽くなるような気がしたでしょう? 許されると思った? 大丈夫、安心して? 全部気のせいだから」

 

 

 グサグサ嫌味と罵倒がホシノを襲う。反応が悪くなったホシノに飽きたのか、セトは結論に入った。

 

 

「君には何もない。夢も目標も、全部が他人任せで借り物。だから、決断出来ないし自分じゃ動けない。自分で決めた訳じゃ無いから、覚悟が足りない。その上に、手に入れたものは全部勝手に転がり込んできたものだから、いつも取られやしないかビクビクしてる。……それで生きてて楽しいの?」

 

 

 ぐじゅぐじゅに抉られた古傷が、鈍痛を発していた。

 

 セトの言った事は全てが真実というわけではない。かなりの誇張が入ったものもある。

 

 けれど、的を得ているものも幾つかあった。

 

 決断出来ない。そうだ。怖くて出来ない。もしもを考えれば、怖くて出来ない。その先にある物が分からないのに、どうして決断出来るだろう。

 

 一年のホシノのまま。そうだ。少しは大きくなった。知識もつけた。でも、誰かに引っ付いているのは変わらない。

 

 カヤツリと親交のある生徒に嫉妬した。ホシノでは出来ない事をできるから。ホシノみたく、どうしようもなくはないから。

 

 そして、何より嫌なのは。今セトが言った事は全部、カヤツリも察しているという事だ。

 

 知識量は同等で、ホシノのことをカヤツリはよく見ていてくれるから。もっと深く、ホシノすら自覚していない事を知ってすらいるかもしれない。

 

 こんなどうしようもない自分自身を見せたくなどなかった。隠したままで居たかった。だからこそ分からない。カヤツリがホシノなんかの側にいてくれる理由が分からない。

 

 前は納得出来た。好きだと、そう言ってくれた。行動でも何でも示してくれた。

 

 でも、あの映像で全て粉々になった。

 

 ホシノはあんな顔で笑うカヤツリを見た事がない。ダイブしたから、その時の感情も分かってしまった。

 

 カヤツリは自覚していないが、ホシノには分かる。あの感情は、かつてホシノ自身が抱いた物だから。いつか、大きくなって。ホシノの胸を焼くことになる感情だ。

 

 だから、縋り付くしか、懇願するしかなかった。先に好きになったなんて子供の理屈を振りかざす事しか出来なかった。

 

 そんな床で俯くホシノに、セトの無機質な声が聞こえる。

 

 

「結論としては、君は空っぽで、何にも決められなくて、何が欲しいかも分からない。そんな人間って事だね。それで、どうする?」

 

「どうするって……」

 

「さっきの話をもう忘れたの? 映像の続きだよ。見るの? 見ないの? それとも他の事をするの?」

 

 

 頭がぐちゃぐちゃで、もうどうしようもない。もう何もしたくない。

 

 でも、律儀にセトは待っているのだ。ホシノの答えを待っている。

 

 どうすれば良いのだろう。ホシノは分からないし、セトは教えないだろう。ホシノが欲しいものなど、ホシノにしか分からない。

 

 さっきも思ったが、あの映像の続きを見たところで何になるのだ。ひたすら、ユメ先輩とカヤツリの姿を見せられるだけだ。

 

 でも、見ないならこのままだ。そして、カヤツリはホシノの事をどう思うのだろう。

 

 

 ──私は、何が欲しかったんだろう……どうしたかったんだろう。

 

 

 ふと、そんな思いが頭をよぎった。ホシノの意識は始まりの場所へと遡っていく。

 

 まずあったのは、アビドスを何とかしたいと言う願望だ。ユメ先輩の願いと一緒だ。

 

 ユメ先輩に会った事、カヤツリに出会った事……ユメ先輩が居なくなった事、それからの事。

 

 その直後の自分が起こした騒動を思い出して、力なくホシノは笑う。結局、力任せの事しかできなかったからだ。本当に自分は変わらない。ずっとあの時からホシノの時計は止まったままだ。

 

 カヤツリを襲った。自分の中の感情が整理しきれなくて、暴れたのだったか。理由は確か、カヤツリが居なくなると思って……

 

 そこまで考えて、ホシノはハッとした。自分が望んでいたことを思いだしたからだ。

 

 それは、アビドスの復興でも、ユメ先輩の願いを叶える事でも、自分の罪を償う事でもなかった。それは手段であって、結果では無かったからだ。

 

 きっと、三人一緒に居たかったのだ。あの幸せだった日常を維持していたかった。いつか変化してしまうのだとしても、決してあんな終わりにしたくはなかった。

 

 恐らくホシノが心から思っていた望み。でも、それはもう叶わない。ユメ先輩は居なくなってしまった。その時のホシノは、もうダメだと思っていた。ユメ先輩の願いを叶えなければならないと思っていて、そうしなければ、幸せになるその権利もないと。そんな事を思っていたのだ。

 

 

 ──でも、今は違う。

 

 

 アビドスは蘇ってきている。ユメ先輩と話すことが出来た。過去の後悔は晴れていた。もう先輩は居ないけれど、シロコちゃんを始めとした後輩たちがいる。先生もいる。

 

 ホシノが望んで、かつてあった楽園。それはもう戻ってきていた。あとは、カヤツリだけだ。

 

 カヤツリが、何を思ってこんなことを考えたのかは分からない。ホシノではいくら考えても分からないだろう。それは先生や黒服だってそうだ。

 

 普段、どう思っているのか。ホシノの事をどう思っているのか。ユメ先輩の事は何だったのか。カヤツリの気持ちはカヤツリしか分からない。

 

 でも、確かめる方法は一つだけある。ご丁寧にもカヤツリが用意してくれている。ならば、答えは一つだった。

 

 

「見るよ」

 

「へぇ……理由は? まさか適当じゃないよね」

 

 

 セトが煽ってくるが、何のことは無い。彼女が言った事は図星の事も多くある。でも、彼女が言った事は唯一つの事なのだ。

 

 あれは、確認なのだ。唯の確認。

 

 過去の事、ホシノの過ちを責め立てくるのは、それを乗り越えたかどうか。ホシノ自身が、自らの望みを言えるかどうか。それを確認したかったのだ。

 

 アビドスの復興などと言ったら不合格と言うだろう。乗り越えなければ、その答えしかホシノには無かったからだ。それは、ユメ先輩の願いだ。しかも過程に過ぎないもの。だから、セトは借り物だと言ったのだ。

 

 自分で欲しいと思った物じゃないから、リスクを飲み込めない。自分でもそれが分からないから、他人の方法に頼る。でも、それは方法であり過程でしかない。だから、袋小路になる。その先の目標。どうあっても成し遂げたい夢。報酬が見えないのだから、他の方法など出てこない。

 

 今になって思えば、当たり前のことだ。やりたいことを聞かれて、方法を答える人間はいない。だから、ホシノは映像を見た時に、あんなにも取り乱したのだ。

 

 カヤツリがホシノに着いてきてくれるのは、ホシノが頑張っているからだ。だから、それをやり続けているホシノに価値がある。だって自分はどうしようもない奴だから。かつて、カヤツリが否定してくれたのに。未だに心のどこかで、そんなバカな事を思っていたのだ。

 

 それは、セトは怒るだろう。カヤツリをあまりにもバカにした発言だ。考えてみれば簡単な事だった。

 

 カヤツリだって、ホシノと同じだったのだ。あの三人の時間が好きだったに決まっているのだ。ホシノは少なくともそう思っている。だから、答えは簡単だ。

 

 

「カヤツリが、私の事をどう思ってるか知りたい。カヤツリのやりたいことが、私のやりたい事と同じなのかって。これを見てから聞いてみたい」

 

「チッ……合格だよ」

 

 

 セトの悔しそうな、けれども、それだけではない呟きを聞いて。ホシノは、ようやく自分の時間が動き出し始めた気がした。

 

 

 □

 

 

「ふむ……合格ですか。ヒヤヒヤさせてくれますね」

 

 

 仕込んだ機械で二人の会話を盗み聞きしていた黒服は、安堵のため息をついた。

 

 先生が知ったら怒り出しそうだが、これは必要経費だ。こうしなければ、態々カヤツリが用意したこの機会は無駄になってしまう。

 

 自身の望み、欲望。それを自覚してこその機会だ。似た事は、何度もカヤツリが試している。しかし、全てが中途半端に終わっていた。過去の後悔と罪悪感が、小鳥遊ホシノの時を止め、願いを歪ませていた。

 

 だからこそ、ここで小鳥遊ホシノの止まった時間を動かす必要があった。自身を見つめ直し、本当の願望を自覚しなければ、効果が半減する。それは、情緒不安定な今しかできない事だ。

 

 かなりの賭けではあったが、小鳥遊ホシノは持ち直したようだった。セトが、私怨がかなり入った煽りが始まった時は失敗を予想したけれども、落ち着くところに落ち着いた。

 

 まぁ、勝ちが確定した勝負を捨てようとしているのだから。セトが激怒するのも納得だ。

 

 確かに概ねセトが言った事は正しい。けれど、仕方のない事なのだ。

 

 自分の選択で近しい人が死んだ。そうであるならば、決断には慎重になるだろう。守る物が多ければ多いほど、身動きが取れなくなる。

 

 だからこそ、カヤツリは経験をさせようとしたのだ。成功体験を積み上げるのもあっただろうが、決断の練習をさせたかった。しかし、カヤツリは段階を踏みすぎたのだ。完璧に仕上げるまで、小鳥遊ホシノ一人に任せられなかった。

 

 本来なら、先輩などがいて、失敗してもいい状況でやるのが最良ではある。しかし、アビドスの環境がそれを許さなかった。

 

 失敗自体が許されない。成功しても成果が分かりにくく、自身の働きも分からない。自己肯定感は育たず、よもやモチベーションなど保てるはずがない。だから、小鳥遊ホシノは梔子ユメの想いを継ぐしかなかった。

 

 セトは借り物と嘲ったが、それは一方通行の見方でしかない。あれは継承だ。そして、それを受け継いだからこそ、今のアビドスがある。

 

 もしも、小鳥遊ホシノが本来の願いである、かつての時間を取り戻すことに注力していたなら。罪悪感に苦しみながらもアビドスを捨てていたかもしれない。そうなれば、砂狼シロコは野垂れ死に、十六夜ノノミはハイランダーに居ただろう。黒見セリカと奥空アヤネも他の学区に行っていた。

 

 しかし、そうはならなかった。死を待つだけだと思われたアビドスは、何の因果か息を吹き返してきている。

 

 だから小鳥遊ホシノの成したことは、決して無駄では無かった。価値を生んだなら無駄ではないし、意味があったことになる。

 

 そもそもが、この世に無駄なことなどあまりない。一見無意味に見えても、時が経てば新たな価値が出るものだ。

 

 

「黒服」

 

「おや、先生。質問ですか?」

 

 

 黒服は思考の海から帰還すると、先生が此方を見ていた。他の生徒たちは、何を質問しようか考えている最中の様だ。

 

 

「カヤツリとホシノが罹ってる病って?」

 

「ああ、覚えていましたか」

 

 

 言葉の端に乗せただけだったのだが、先生はしっかり拾っていたらしい。先生は心配そうな顔をしている。病気のことを考えているのかもしれないし、音が止んだセトと小鳥遊ホシノの方が気になっているのかもしれない。

 

 しかし、今は質問に答えるのが優先だ。

 

 

「別に、生死に関わる様な病ではありませんよ。ただ少し、情緒不安定になるだけです」

 

「それは、ホシノのあの様子も? カヤツリは?」

 

 

 黒服はそれに頷く。普段なら、あそこまで小鳥遊ホシノが取り乱すことは無かっただろう。そのためにカヤツリは時間遡行の御膳立てをしたのだから。そして、婚姻後の束縛もいささか過剰に思う。

 

 なぜなら、もう勝っているからだ。カヤツリはもう何処にも行かない。

 

 しかし、時期的にもそろそろのはずだ。傍目からは分からなくとも、不安を人は抱えている物だからだ。その上に紙の上で決まった事だから、実感が湧かないのだろう。

 

 

「過去にカヤツリ君も似たような様子があったはずです。それを貴方たち二人は知っているでしょう?」

 

 

 十六夜ノノミと砂狼シロコ。アビドスの二年生は知っているはずだ。問われた二人は少し記憶を遡って、当時の事を思い出したらしかった。

 

 

「そうです。確かに独り言が多かった時期がありました。丁度春になったばかりでしたっけ」

 

「ん。何処かに消えそうな雰囲気だった」

 

 

 それも当然だろうと、黒服は納得する。黒服とカヤツリの契約満了期間間際の時期だ。今回の小鳥遊ホシノと似たような悩みを抱えて悩んでいた。それを黒服は知っている。

 

 

「その病気の症状は、持続的な不安感、気分の落ち込み、集中力の低下、または決断力の喪失。個人差は人それぞれですが、おおよそはこの症状とされています。この病に特効薬は存在しません」

 

 

 それを聞いたからか、二人だけでなく他の生徒の顔も曇った。二人に当てはまるものが多いからだ。特効薬の有無も大いに影響しているだろう。

 

 

「それは、精神の病。男女関係なく、罹患する危険性のある病。キヴォトスでは非常に珍しい病。その病の名称は……」

 

 

 少しばかり溜めて、悪戯心を含ませて、黒服は答えを言った。

 

 

「マリッジブルー。そう呼ばれる病です」

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