ホシノ同級生相棒概念 作:洞鼬
ビナーは、飢餓に喘いでいた。
本来、ビナーは生物のような食事を必要としない。ほんの少しのエネルギーで長期間の稼働が可能である。
だから、飢餓などというものは縁遠い筈だった。
しかし、ビナーを襲っている飢餓は別の物だ。物質的なものではなく、精神的なもの。
ある鉱石を回収してから、ビナーはある事で演算領域が埋め尽くされていた。
──戦うべき敵がいる。
見るものが見れば、恋煩いとでも、薬物中毒とでも言うだろう。
AIであり、デカグラマトンの預言者でもあるビナーにとっては異常事態だ。
しかし、当のビナーにとっては真剣だった。機械にはあり得ない筈の生存本能が警告を発していた。
──のうのうとしていれば殺される。
ならば、やるべきことは一つだけ。あの鉱石を喰らうのみ。そうすれば、今よりも高みに到達できる。そんな確信があって、ビナーは準備してきたのだ。
そして、今夜。その準備が身を結ぶ時がやって来た。その筈だった。
──それなのに、何だ? この体たらくは?
ビナーの中に渦巻くのは疑念だった。期待外れと言ってもいいかもしれない。
自身に対するものではない。宿敵とも呼べる、本能が警告する相手にだ。
遭遇は偶然だった。縄張りに侵入してきた木っ端を蹴散らした。ビナーには優先すべき事があるから、無視しても良かった。しかし、自身の強化に必要な鉱石を大量に積んでいるなら話は別だ。
実に運が良い。そう思ったビナーの行動は決まっていて、最後の食べ残しを追い掛けて、もう少しというところで邪魔が入った。
一飲みにしようとした口内に何かが直撃してビナーは悶えたが、怒りは感じない。感じたのは、歓喜だ。
ビナーのカメラには、闇夜に輝く槍を構え人影が見える。
──居た。居た。いた!
その姿を見て、本能が雄叫びをあげる。何かを小脇に抱えて、下がっているが気にもならない。邪魔な荷物は外野に置いておくに限る。
しかし、ビナーの歓喜はここまでだった。
攻撃は良い。間合いも良い。動きも良い。しかし、本調子では無い。
ビナーの装甲を未だに抜けていないのが証明だ。確かに、装甲は硬い。その上黒く染まってから、更に磨きがかかっている。
でも、そんな事は関係がない。この相手は自身を殺し得る。その確信がある。それなのに。
尾で辺りを薙ぎ払う。弾き飛ばされた砂が質量の暴力として、相手に襲い掛かる。
──回避。
ビナーは落ち着いて、ミサイルと熱線で牽制し、誘導する。そして、再度。尾で誘導範囲を薙ぎ払った。
──直撃。
思い切り相手が吹き飛ばされたのが確認出来た。
当たり前の話でもある。手数はビナーが圧倒的だ。巨体と搭載兵器によるリーチも合わさって、凶悪な布陣と化している。
代償として当たり判定が大きいが、それは、あの鉱石による強化で克服済みだ。この砂漠の王として相応しい。
そう自身を慰めるも、曇ったビナーの疑念は晴れない。準備に似合わない蹂躙だからだ。
そう思いながらの一方的な攻撃が続いて幾数回。相手はついに限界なのか飛び出して来なくなった。
ビナーは口を開いて収束を開始する。
もう終わりにしよう。準備が肩透かしに終わったのは不満ではあるが、懸念材料がなくなったのはいい事である。目的は達成された。もう怯える必要は無い。
疑念はじきに晴れるだろう。そう思って、ビナーは砲口を対象に向けた。
□
「何が、選んでくださいだ……」
身体が砂漠にめり込んだまま、カヤツリはボヤいた。ボヤくしかないとも言う。
あの短髪ホシノの言う事は正しかった。確かにフルパワーだ。ビナーの攻撃を受けても死んでいない。死ぬほど痛いが耐えられる。
問題は、それだけという事だ。火力の方はサッパリで、使い方は頭にあるが、締まりの悪い水道の如くにキレと勢いがない。大火事をチャチな水鉄砲で消せとでも言われているみたいだ。
──私が代わりにいる今は、フルパワーが出せますよ。
この言葉は正しい。フルパワーだから耐えられる。防御は兎も角、攻撃はそうもいかない理由も感覚で分かる。
チャチな水鉄砲と言ったのはそういう事だ。プラスチックの安っぽい水鉄砲に、消防車レベルの水量と水圧を掛ければどうなるか。
答えは簡単だ。本体が、この場合はカヤツリの身体が爆散する。
「ホントに夢なんだな……」
右手を目の前に持ってくると、大きな罅が入っていた。罅から見えるのは、白い骨と赤い肉ではない。砕けたドロップ飴か、ガラスの様な輝きだ。あの宝石と同じだった。
考えてみれば、当然の話ではある。カヤツリの身体は爆弾の直撃を食らってボロボロのはずだ。身体ごと過去に持ってくるのは非効率に過ぎるし、ガワはこちら側で作って、意識だけ入れ込んだのだろう。
だから、あの宝石を手に入れれば記憶が手に入った。そうすれば作りかけの本体が補完される。簡単に言えば、今のカヤツリは初期状態だ。よくあるスマホゲームなら、星一から上がって星二と言ったところか。
宝石を消費して、星を上げていくとスキル、記憶が解放されていく。マックスまで行って初めて全力が出せるのだろう。
ユメが持ってきた宝石では足りない。後もう一押しで、フルパワーを発揮できるはずだが、肝心の宝石はない。
しかし、それを解決する手段は目の前に転がっていた。
「酷い様だな……」
過去のカヤツリ自身が、瓦礫に埋もれていた。
ビナーが暴れたのと、さっきの尻尾の直撃に巻き込まれて、ここまで飛ばされてきたのだろう。
カヤツリと同じように、全身がひび割れてきている。寧ろカヤツリより酷い。
過去の自分がこうなっている理由は分からないが、これだけ見れば嫌でも思いつく。
「これで埋め合わせろってか? 本当に趣味が悪いぞ」
過去のカヤツリ自身を燃料にすればいい。そうすれば、足りない分を補強できるだろうし、同一人物が二人いるという問題もクリアできる。
それでビナーを蹴散らせば、ここでずっと暮らせるだろう。梔子センとして。
しかし、それには大きな問題が付きまとう。過去の自分を殺さねばならない。
抵抗されるとか、心が痛むとか。そんな問題ではない。カヤツリ自身の矜持の話だ。
まだ、この頃のカヤツリは何も知らない。嫌な事も、良かったことも、その大きな違いすら分からない。それだけの事を何も経験していない。
それを、今のカヤツリ自身の都合で殺すのか? そもそも部外者は今のカヤツリなのだ。それを自身の都合で、碌に考えもせずに、その場の勢いで殺すなど。それでは悪い大人よりも救えない。誰にも顔向けできない。
短髪ホシノは、すべて忘れると言った。だからと言って、やって良い理由にはならない。それに、そんな過去は出てきて欲しくないタイミングで現れるものだと、これまでの騒動で思い知っている。
頭の中で保留の判断を下して、カヤツリは佇んでいるビナーの向こうを見る。
砂原は荒れた様子はないし、攻撃も言っているようには見えない。カヤツリの口から安堵のため息が零れた。
あそこにはユメと車がある。初手で退避させた甲斐あって被害は皆無の様だった。
しかし、ビナーの口が輝き始めている。熱線をカヤツリに照射するつもりなのだ。完全に息の根を止めるつもりなのか、輝きがここまで届くほどの収束だ。
「どうしろってんだ……」
残るもう一つの手段。それは自爆覚悟の特攻である。フルパワーを出せないわけでは無く、出せば壊れるだけの話だ。あの熱線も真っ向から両断可能だ。であるから、ビナーはどっちにしろ何とかなるのだ。
ただ、その場合。短髪ホシノが言ったとおりに。この仮初の肉体を失ったカヤツリは、元の未来へ強制送還される。そして、ユメはすべて忘れて、あの未来へとたどり着く。
つまり、選べとはそういう事なのだ。
過去のカヤツリを犠牲にして、ユメを救うか。それとも、そのまま未来のユメを見殺すのか。
今のまま帰れば、かつてと同じ未来をユメは辿るのだ。それは、見殺しにするのと同義だ。
カヤツリには選べなかった。でも正解は知っている。それは、図らずもユメが教えてくれていた。
「セン君か……そりゃ、そうだよな。俺の名前なんか知る由もないもんな」
気を失ったユメを避難させる際、うわ言で言っていたことだ。カヤツリとは呼んでくれなかった。知らないのだから当たり前なのだが、それはカヤツリにとって現実を直視させられる一言でしかない。
梔子センはもういない。短髪ホシノにとっては違うのだろうが、カヤツリにとってはそうだ。
アレは、カヤツリが夢想したものだ。嫌なしがらみは無くて、今の技術だけを持った。所謂強くてニューゲームと言ったところか。
カヤツリが気がつかなかったからこそ、アレは梔子セン足りえた。そして、あの時に嫌と言うほど抵抗したのだ。記憶を取り戻せば死んでしまうから。
短髪ホシノには記憶を失ったカヤツリとしか見えないから、またリセットすれば良いとでも考えたのかもしれない。それはない。本当に無い。
それは、冒涜だ。あの場で確かに生きていた梔子センに対する冒涜だ。死体の皮を被って、その人間の振りをするみたいなことだ。記憶が無くなるとはいえ、その行為をしたという現実は変わらない。自分でも気づかない秘密を抱えて生きる事になる。
「お見通しだったのか?」
ふと、過去の事を思い出して呟く。思い出すのはあの時の黒服の言葉だ。
──未来の事を変えようとしているのなら、止めた方が良いと思いますよ。
テラノがやって来た時、黒服が語ったことだ。過去の積み重ねで今があるのだと。未来を変えるという事はそれまで日々の否定なのだと。
あの知識と技術は、カヤツリが積み上げたものだ。これまでのカヤツリの人生の結晶。あの時には本来のカヤツリは何も知らない子供のはずだったから。
だから、梔子センは夢の存在だった。存在するはずのないものだ。
──カヤツリは納得してるだろう?
先生の言った言葉だ。あの喧嘩の電話の後、怒りを吐き出したカヤツリに対するモノ。
ユメの死を、カヤツリは納得しているのだと言う。そうだ。納得して認めていたからこそ、取り返せないと分かっているからこそ、ここで迷っている。
カヤツリが矜持を曲げれば、取り返せるかもしれないのだ。あの夢の日々を、取りこぼしてしまったものを。ずっと求めていたモノを。そうすれば、また皆で……。
「……いや、皆じゃないか」
そこまで考えて、カヤツリは吐き捨てた。どうして今まで気がつかなかったのか理解に苦しむ。
もし、ユメが死ななかったとして。そこに後輩たちはやってくるのだろうか。そして、ホシノもカヤツリの想像するホシノなのだろうか。
今は過去の積み重ねだと、黒服は言った。それはカヤツリだけでなく、ホシノやシロコ達もそうなのだ。過去を変えると言う事は、彼女たちの今もなかったことにするのだ。
「俺のエゴと、ホシノたちの今を引き換えにする……」
口に出すだけで、それがいかに愚かな選択か分かろうものだ。でも、カヤツリのどこかで、まだ抵抗するものがある。
それは未練だ。何が未練なのか。もう、過去を変える事の危険性と痛ましさは明らかだ。それでもカヤツリは、何が欲しくて、何が不満なのか。
──あの時に戻りたい。まだ、純粋だったあの頃に。
ふと、そんな思いが湧き上がって。あの日、ユメ先輩のメモを見つけたあの日を思い出した。
あの時点でのカヤツリの、ホシノに対する感情。あの時は分からなかったそれが、無くなったと分かった日。
あの瞬間に、カヤツリは今のカヤツリになる事を決めたのだ。強くなって、あの日々を取り戻そうと決めた。
ホシノとカヤツリの関係は、ユメの死でマトモではなくなった。普通の学生みたいに、それを謳歌することはできない。そんな資格は、あの日に失った。あの日々の中に、純粋なそれ──恋があったのだから。
だから、取り戻したかった。幸せだったあの日々を取り戻して、初めて。カヤツリは救われるのだ。そうだと信じていた。
だから、カヤツリにとって目指すべきはあの空間なのだ。確かに存在した過去。今はもう見る事さえ叶わない三人だけの楽園。
それを参考にするのは当然で、カヤツリの目指すべきものだった。それを何とか形にしたくて、そのために頑張っていたのだから。ユメの遺志を優先して動いていた。
ホシノも、最初はそれでよかったのだろう。しかし、今は違うのだ。いつの間にか、ホシノは成長していた。そのままではいけないとカヤツリが誘導したのもあるけれど、カヤツリの予想以上に成長していたのだ。
あの電話で、言われたことがショックだった。
──ユメ先輩の言いつけ通りの事をしていればいいじゃない! そうすれば、カヤツリは満足なんでしょう!?
正解、正解、大正解だ。
ホシノにとって、ユメは絶対だったはずだ。だから、アビドスに残った。先輩の皮を被った。
ホシノは、ユメの為なら自分を押し殺せる。少なくとも昔は。けれど、あの時は違った。
カヤツリがユメを優先したことに怒ったのだ。昔なら、ユメの頼みなら、アビドスの為なら、仕方がないなんて納得できたはずなのに。
ならば、ホシノは過去を見ていないのだ。後輩たちと歩く未来を夢見ている。カヤツリを置いて行って。
それがイラついた。先生には上手く誤魔化したが、怒りの原因はそれもあった。
皆、カヤツリを置いて行くのだ。あの失った日々から動けないカヤツリを置いて行く。ユメを忘れていく。
あの日々よりも、今の方が楽しいと言われているみたいだ。それを目指していたはずなのに、カヤツリは不満だったのだ。
それは正しくないからだ。あれを清算しなければ、ユメ先輩の死に意味を持たせなければ、いつまでも覚えていなければならない。
死んでしまったから、ハイ終わりなんて。そんなのは悲しすぎる。今のアビドスにユメ先輩の要素は数えるほどもない。
ホシノも最初はそうだったはずなのに。どうなったのか意味が分からなかった。
でも、今なら分かる。ホシノは未来を見たからだ。あの時のように向きかけではない。しっかりと前を向いた。ユメの願いは、もうホシノの願いに変わっている。
もう、ホシノは受け入れている。自覚は無いが、もう大丈夫なのだ。
そりゃあ不満だろう。ホシノは自身の願いを、カヤツリと一緒に叶えていると思っているのに。自覚のないカヤツリの行動の端々に、何時までもユメの影がちらつくのだから。
そして、ホシノの想いなど分かるはずもない。見ている方向が真反対だ。ホシノが求める暖かいものは、カヤツリとの物であって。ユメとの、あの三人の日々のモノとは似ているようで違うのだ。
「俺だけか……俺だけが、まだあそこにいるのか」
カヤツリだけだ。カヤツリだけが引き摺っている。
ユメに何もできないのが、何もできなかったのが嫌だった。せめて、意味を持たせたかった。証を残したかった。忘れたくなかった。今で、昔を塗りつぶしたくなかった。全部、そのままにしておきたかった。
──それだけで十分なんだよ。それ以上の事は誰にもできない。その人の大事な事だけを、覚えておくことしかできない。
先生は、それだけでいいのだと言ってくれた。それで楽になったのは、きっと理由が欲しかったのだ。
ユメの死にではない。カヤツリは、きっと許してほしかった。過去にする理由が欲しかった。未来を見る理由が欲しかった。
今頃ホシノがやっている事。過去の本物のユメとの会話。それではカヤツリは救われない。きっと許してくれるだろうことは分かる。ユメは優しいから。
単純に、カヤツリの納得の問題なのだ。自分で、仕方が無かったのだと。ここまで頑張ったのだから仕方がないのだと。どうしようもできなかったのだと。そう納得させたかった。
カヤツリは、何もできなかったから。ホシノは、頑張れたから。そこだけが違う。
だから、向こうのカヤツリ──テラツリは大丈夫なのだ。アイツは頑張れた。ホシノとシロコを救うために頑張れた。アイツの世界は滅んでしまったけれど、残されたものを自分で守り切ることが出来た。だから、アイツは素を出せる。振り切ることが出来た。
皆やユメやホシノが羨ましかった。憎たらしかった。
カヤツリをここに縛り付けたくせに、普通じゃいられなくしたくせに。カヤツリを置いて行く。だから、怒って嫉妬した。自分はそうできないのを間違っていると思っているのに、そうできないで羨むから、下らないのだ。
「ああ、クソ。弱いな俺は……」
弱い。余りにも弱すぎる。理由が無ければ振り切れもしない。ここまで追い込まれないと、見つめる事すらできやしない。過去を選べば、今を否定することになるのも見ないふりをした。その上、一人じゃ立てない。今まで、ずっと間違い続けてきた。
でも、もう終わりだ。もう逃げられない。言い訳を並べる事も、誰かに助けてもらう事もできない。
選択するのは苦しい。選択とは、何かを選び、選ばなかったモノを捨てると言うことだから。今までのように、誰かの願いにタダ乗りは出来ない。
カヤツリは一人で決めなければならない。そして両方は選べない。必ずどちらかを選ばなければ。
後悔はしないようにしなければならない。そのためには、何が必要か。カヤツリは何を望んでいるのか。
ふと、理事の言葉を思い出した。あのプレジデントに対する啖呵を。
あれは、大きな決断だったはずだ。でも理事は後悔してはいないようだった。その理由を言っていたような気もする。それを思い出してカヤツリは呟く。
「証。証明か」
ちらりと、傍に転がっている過去の自分を見る。まだ、何も始まっていないのに、ここで終わりかけている自分自身を。
頭の中で、考えを反芻する。
全てが、カヤツリの想像通りに進むかもわからない。そうはならないかもしれない。でも、それでいいのかもしれなかった。
今のカヤツリがユメや自分のために出来る事はこれだけだ。その結果をカヤツリは確認はできない。何の意味もないかもしれない。
でも、何もしないよりはずっといい。きっと後悔はしないだろう。自分を納得させることができるはずだ。
そしてカヤツリは、こちらに向かってくる閃光に向かって手を伸ばした。