ホシノ同級生相棒概念 作:洞鼬
ディスクを飲み込んだプレーヤーが唸りだすが、テレビ画面が点灯すると言う事は無かった。代わりに、部屋の周りが変わっていく。
四方の壁は、壁紙ごと消えた。その奥は早回しの録画のように、様々な景色が流れ去っていく。
数十秒経っただろうか。景色の流れがゆっくりになって、セトの見覚えのない部屋が広がっていた。
「ここは?」
「ゲヘナ学園。内部監査室。そう言われていたはずです」
「初耳……」
立ち上がったセトの呟きに、机を挟んだ向こうのホルスは、つまらなさそうに言った。
「そりゃあ、そうですよ。この世界線にしか存在しませんから」
なるほど。そうセトは納得した。この世界にしかないというのなら、セトが知るはずは無い。そして、ここに来る人間など一人しか予想がつかない。
「ほら、来ましたよ」
ホルスの言葉と同時に、部屋の扉が音を立てて開いた。書類のはみ出したファイルを抱えた人物は真っ先に机へと向かっていく。その人物は、この部屋とは違って見覚えしかなかった。
「カヤツリ……」
見たこともない制服を着たカヤツリが机に向かっている。面倒くさい仕事なのか、紙と紙を突き合わせて、ぶつぶつ呟きながら難しい顔をしていた。
「……どういう状況?」
正直言って、セトにはここまで至る経緯が分からなかった。どうしてゲヘナに居るのか。小鳥遊ホシノや梔子ユメはどうなったのか。そもそも、カヤツリ自身が望んでここにいるのか。全てがセトには分からない。
だって、想像ができないからだ。いかなる過程を辿れば、こうなるのかが分からない。セトは、唯一考えられそうな可能性を呟く。
「……黒服に言われた? カヤツリが初めに来たのはアビドスじゃなくて、ゲヘナだった?」
そうであれば、説明がつく。アビドスの事も、小鳥遊ホシノの事も、梔子ユメの事も、何も関係が無い。何しろ、初めから知らないのだから。
けれど、一つだけ引っかかることがセトにはあった。黒服が、そんな事を言うだろうか?
アビドス行きは、黒服の望みだった。カヤツリの願望ではない。寧ろ、カヤツリはミレニアムを希望していた。
黒服がカヤツリの言う事を呑むとも思えない。そして、黒服が要求を吞んだとして。カヤツリがゲヘナ行きを望むだろうか?
「ああ、半分は合ってますよ」
感心したようなホルスの言葉に、セトは冷たい視線を向けた。ホルスはセトの感情が伝わったのか、セトから視線を逸らした。
「カヤツリ。彼は知りません。アビドスの事も、小鳥遊ホシノの事も、梔子ユメの事もね」
「……上手い事、黒服に条件を飲ませたってこと?」
「違いますよ。半分だけと言ったでしょう。合っているのは、彼が知らないという部分だけです」
ホルスは機嫌が悪いのか、額に皺が寄っていた。そんなホルスの言葉を、セトはもう一度考え始めるが、どうにも分からなかった。
「……まぁ、貴女はその時には、まだ居ませんでしたからね。正確には、まだ今の貴女では無かった。記録でしか知りませんから」
ふぅ、とホルスは息を吐いてから、重い口調で話し出した。
「彼がここに来た経緯は変えられません。理由は幾らでも変えられますし、解釈次第ですが。それだけは確かです。なら、彼が最初に居たのはアビドスなんですよ」
「……それこそあり得ない。それなら、あの二人を知らないなんてことはあり得ないでしょう?」
「それが、在り得る経緯が。一つだけあります。全てを忘れる事です。この間、私がやったようにね」
セトは、ホルスに強い口調で詰問したが。ホルスはいけしゃあしゃあと、そんな事を言う。収まったはずの怒りが再燃しそうになるのを、セトは何とか抑え込む。
抑え込んで、押し殺した声で、セトは言う。
「何時!? 何時、そんな事があった!? 私が知らないなんて、そんな……!」
「全ての原因ですよ。アレさえなければ、どうにでもなって。もう変えることが出来ない、あのイベントです。彼の人生の分岐点」
セトが知らなくて、カヤツリの人生を変えたモノ? それは、激情で茹ったセトの頭でもすぐに分かった。
「あのカヤツリが入院した時の事を言っている? あんな事で? あんな事で……!?」
ゲヘナの仕事だ。万世マトと共謀した茶番劇。そこで暴走したカヤツリは、自爆に巻き込まれて入院することになった。その時には、セトはまだ今のセトでは無かった。他の生徒と同じでもない。損傷が大きすぎて修復中だった。
セトは、嫌な予感を感じながらも。ホルスに詰め寄る。
「あれは唯の爆発に過ぎないでしょう……! 大体、あんなに入院したのだって不思議なくらいなのに……!」
ホルスは詰め寄られても、表情を変えなかった。ただ、憐れみを込めた視線を向けるだけだ。
「そうですね。アレ自体は唯の爆発ですよ。本来の私たちであれば痛くも痒くもない。実際、完全ではないとはいえ、あの時の彼の外傷は大したことはありませんでした」
でも、カヤツリは一ヶ月もの間、目を覚まさなかった。外傷はないのに、目を覚まさなかった。外が無事だと言うのなら、他が無事では無かったという事だ。
「外じゃなくて、内……」
「その通りです。外傷ではなく、内部。彼を構成する根幹そのものが、致命的なダメージを受けた」
だから、目を覚まさなかった。そうなりえる要因を、今のセトは知っている。ここに、キヴォトスにやって来た時。存在そのものがボロボロだったことを。それを一つづつ、繋ぎ合わせていたことを。それを黒服が誘導していたことも。
「あの大人。黒服の計画では貴女は復活するはずでしたが、どうなるか分からなかった。
「……だから、呼んだの?」
静かに呟いたセトに、ホルスは頷く。
「あの大人は、条件を揃える事で方向を誘導しようとしました。アポピス──ビナーの部品を使ったレールガン。彼が達した偉業。そして、外敵からアビドスを守ると言う状況を態々用意して」
それだけあれば、今のセトを呼び出すには十分だった。まかり間違っても、他のモノにはならないだろう。けれど、黒服は念を入れたのだ。
「あの大人は、最後に触媒を用意しました。
「……過剰だったってこと?」
ホルスはゆっくりと首を横に振った。
「運が悪かったんですよ。寧ろ彼女がいたことで反応は安定しました。いなければもっと酷かったでしょう。しかし、反応自体は避けられない上に、あのビナーはアポピスという訳ではありませんから。そして、その反応の結果。ああなったわけです」
反応の結果。カヤツリは自分を見失った。爆発があってもなくても、空崎ヒナが居ても居なくても、その結果は変わらなかった。
セトの居る世界では、カヤツリは一ヶ月眠るだけで済んだ。けれど、ここではそうはならなかった。
「彼は、あの爆発の後。記憶を失いました。アビドスでの日々を全部」
「……それで? ゲヘナのあの娘は、カヤツリをどうしたの?」
まだ机の前で仕事中のカヤツリを横目で見ながら、分かり切った答えをセトは聞いた。
「万世マトは、アビドスに戻そうとしましたよ。けれど、黒服が止めたんです。契約を盾にしてね」
「……失敗したから?」
「まさか。あの大人がそんな、考えなしの事をするわけがないでしょう。自らの目的もありますが、契約の事が一番ですよ?」
ホルスは、つばでも吐くように言葉を吐き捨てた。
契約は、黒服とカヤツリの間の契約の事だろう。内容は、カヤツリ自身が、自分が何者なのかを知りたい、だったか。
となると。黒服にとっては、カヤツリがアビドスに居るメリットはないと考えたのだろう。悲しい事に、セトもそう思う。
記憶があるなら別だが、記憶が無いともなればいる意味はない。そうなると選択肢は限られてくる。
「それで、ゲヘナに?」
「ええ。万世マトがね。今も罪悪感で一杯なのか。空崎ヒナにも黙ったまま。それに、シェマタの事もあって、アビドスに何度も足を運んでいるようですが……」
「門前払い?」
「ええ、何も聞かないし、顔すら合わせない。返答はショットガンの銃撃だけのようですね。誰も信用できる人間が居なくなったのですから。気持ちは痛いほど分かりますが」
セトは黙るしかなかった。何も言う言葉が思いつかなかったのもあるが、どこか安堵している自分も居る。そのことが唯々不快だった。
「……まぁ、悪い事ばかりでもありません。少なくとも、彼は一からまた積み上げている。そこで、新しく手に入れた物もある。それに、まだ始まったばかりですから」
ホルスの言う通りだ。まだ、四枚も残っている。そして、カヤツリも動き出していた。部屋から廊下へ出ようとしている。
「ほら、追いかけますよ」
立ち上がったホルスの声に従って、カヤツリの跡を追う。ゲヘナの校内など、セトは全く慣れていない。それなのに、スイスイと迷いなく歩くカヤツリを見て、セトは悲しくなってきていた。
アレは、セトの知っているカヤツリでは無いのだ。それをまざまざと見せつけられていて、気分が悪い。
しばらくの間、見覚えのない道であったが。途中から何か既視感を感じ始めた。それは、後を追うにつれて強くなっていき、最終的にはセトも知っている部屋の前に辿り着く。
「風紀委員会の……」
風紀委員会の本部だ。その教室に、カヤツリはノックの後に入っていく。
セトたちが部屋に入るなり、部屋の中に怒号が響いた。
「一体、何の用なんですか!!」
「行政官は……相変わらずだな」
天雨アコだったか。その女生徒が、カヤツリに向かって怒鳴っている。中々激しい性格の人物だったはずだが、表情を見る限り相応に嫌われているらしい。
「ほれ、監査の結果だ。書類の不備や予算の使い方。それらは特に問題は無い。まあ、これに関しては意味のない監査だったな」
「当然でしょう!! 万魔殿の貴方に言われるまでもありません!!」
「一纏めにするな」
問題はないと言って、資料も渡されているのに。天雨アコはまだ怒ったままだ。しかし、カヤツリもカヤツリで、いつもの事なのか、まったく気にしていない。
「あー……兎馬先輩。アコ行政官はですね……」
余りの態度に見かねたのか、火宮チナツが助け舟を出す。しかし、カヤツリはその原因を把握している様子だった。今も怒鳴り声を防ごうと帽子を深くかぶり直しているが、全く防げていない。
「ああ、今日休みだもんな。欠乏症で禁断症状が出てる」
「貴方が休みにしたんでしょうが!!」
我慢できないと言うように、天雨アコはまた叫んだ。今更になって気づいたが、どことなく萎れているような気がする。
「ヒナ委員長がいてこそ! 日々にハリが生まれるんです! それをわた……全員から奪うなんて、一体どういうつもりですか!!」
「ちょっと……アコちゃん……」
銀鏡イオリが口を挟むが、天雨アコが止まる様子は一切ない。激昂している天雨アコとは対称的に、カヤツリは冷静だった。何となくセトは、カヤツリが冷静な理由が推測できた。
多分、これくらいの反応は予想しているのだ。その範囲内だから黙っている。それとも、されて当然だとカヤツリ自身も思っているのかもしれない。
「ここに来た用事だが、通達があるからだ」
「……何ですか。態々、あのタヌキじゃなくて。貴方が来るんです。碌な用事じゃないんでしょうよ」
「嫌われたもんだな……」
カヤツリは、溜め息を吐いた後。一枚の紙を取り出した。
「予算と書類は問題ないが、業務が問題だな」
「それは、貴方達、万魔殿が……!!」
天雨アコの額に青筋が浮かんでいる。相応にキレているらしい。
「あの議長と一緒くたにするな。万魔殿との話し合いが多いのは確かだがな。一応はアイツらは生徒会なんだ。それに権力構造的には中立なんだぜ。監査に、全く私情は入れていない。
「む……」
かなり不満そうではあるが、天雨アコは叫び声を飲み込んだ。ここでも、カヤツリはカヤツリらしい。仕事の姿勢は相変わらずのようだった。
「それで業務の話だが。成績自体に問題はない」
「なら、良いじゃないですか」
「本気で言ってるのか? そうなら、行政官の評価を改めないといけないんだが?」
また、悔しそうに天雨アコは黙り込んだ。カヤツリは目を線のように細めて、書類を確認する。
「問題は内容だ。幾らなんでも残業が多すぎる。ワンマン体制も良くはない」
「しょうがないじゃないですか! どうしろって言うんです! 便利屋に美食研究会に温泉開発部! アイツらを相手にしてるんですよ!」
今、上がったのは、ゲヘナのトラブルメーカーたちだ。全員それなりに腕が立ち、逃げ足も速いと手を焼く要素しかない。天雨アコの叫びも納得だ。
「ふぅん……これまでの実績から考えて、それくらい余裕だと思っていたんだがな」
そう呟いた後、カヤツリは小さく。天雨アコの後ろの二人に聞こえないような声で囁いた。
「……それだけじゃないだろ。エデン条約に首を突っ込んでる。いや突っ込もうとしてるな。今回は、それの皺寄せが来ているだろう? バレてるぜ? 俺だけじゃなくて、アイツらにも」
「……」
図星なのか、天雨アコは黙っている。後ろの後輩二人は何の話をしているのかと、不思議そうな顔だ。
「今回の監査は、それの確認もある。万魔殿。議長からせっつかれた」
カヤツリは、面倒そうな視線を向けている。実際、面倒ではあるのだろう。実際、カヤツリがやっていることは両者の調整だ。非常に面倒くさい。
万魔殿と風紀委員会の関係はあまり知らないが、表面上は良くもない。頼りきりの治安維持組織を冷遇するなど意味が分からない対応ではあるが、それなりの理由はあるに違いない。
でなければ、カヤツリはここまでしないだろう。もう一つの、個人的な理由もあるかもしれないが。
「いいか。領分を越えるなとは言わない。万魔殿は反対派だし、やる気がない。そのくせ意見も募ってない。だから賛成派なら勝手にやればいい。権利はあるんだから声高に叫べばいい。それが自由ってもんだし、アイツらも分かってるからな。権力で潰しはしない。だが、やるなら本業は疎かにするんじゃない。万魔殿が嫌で嫌いなら、付け入る隙を与えるな」
天雨アコは不満そうだが、彼女自身も分かっているのかもしれない。その証拠なのか、さっきまでのように、大声を上げる事はしなかった。
「ヒナ委員長にも言ったんですか?」
「……同じようなことはヒナにも言ったよ。他にも色々な。だから、今日は休んでる。実際ちゃんと休んでるかは怪しいけど」
それを聞いた天雨アコは、苦々しい顔をして、再度聞く。
「一昨日くらいに言いました?」
「言ったが?」
「ヒナ委員長は、最初不安そうだったんじゃないですか?」
「よく分かるな」
「私は、委員長の事なら、何でも知ってますから!」
天雨アコは、自信ありげに胸を張るが、全く自慢していい事では無いように思う。カヤツリだけで無く、後ろの二人も同じ、諦めた表情だ。
「それで、貴方はヒナ委員長を止めるどころか、今みたいな話をして、背中を押しましたね。それどころか、コッソリ手伝うような事も言った……委員長、凄く喜んでいたでしょう?」
ジロリと睨む天雨アコから、カヤツリは答えずに目を逸らした。
「……だから、委員長はあんなに上の空で機嫌良く……貴方のそういう所が嫌いなんですよ……いいです! 分かりました! 分かりましたよ!」
その反応で天雨アコが叫びだす。かなりの大騒ぎの狂乱ぶりだが、周りからは大した反応はない。さらに、後ろの後輩二人はとっくに興味を失っていた。恐らくはいつもの光景なのだろうなと、セトは判断した。
そして、用事は本当にそれだけなのか、カヤツリは帰る準備を始めている。
「んじゃ、万魔殿に報告に行くから。以後気を付けるよーに」
「ちゃっちゃと出てってください!!」
入って来た時と同じように、天雨アコの大声でカヤツリは部屋から叩き出された。カヤツリは気にもせず、また廊下を歩きだしている。
その跡を追いながら、セトは同じように話を聞いていたホルスに問う。
「……この場面を選んだ理由は?」
「別に、彼と空崎ヒナの遠距離恋愛染みた関係を見せたい訳ではないです。ああ、もしかして。二人のお忍びデートを観たかったんです?」
セトは、巫山戯た回答をするホルスを睨んだ。睨まれたホルスは、今度は真面目に答えた。
「時間に余裕も無いので、巻いていきたいのもありますが。一番、彼の生活が分かりやすく、私たちの世界と一番の相違点であるイベントが起こる日だからです」
そんなホルスの言葉で、セトは今はいつなのかと思いを馳せる。エデン条約と言っていたから、それ以前の話なのだろうが。余りに範囲が広すぎる。さっきの風紀委員会本部でカレンダーでも見ておけば違ったのかもしれない。
空、天気、通行人の服装、それらから季節を導き出そうとするセトを見たホルスは、呆れた声を出した。
「そこまでしなくても、教えてあげますよ」
「……何時くらい?」
先ほどから質問ばかりの自分が嫌になってきていたセトは、渋々ホルスに聞き返す。何故だかホルスも、同じような表情で言った。
「先生がキヴォトスにやって来てから、そんなに経っていません。そうですね。昨日あたりに銀行強盗は経験した頃では?」
それを聞いたセトの頭の中で、時系列が組みあがる。そして、セトは理解した。
ホルスがこの日を選んだ理由も、良い表情をしていない理由も。
そして、このあと何が起こるのかも。