ホシノ同級生相棒概念   作:洞鼬

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242話 代行

 けたたましい電子音が、カヤツリの耳を刺激した。

 

 半ば反射で片手が携帯のアラームを止めて、部屋に静寂が戻ってくる。しかし、そこでまた夢心地に戻ろうとするカヤツリをアラームのスヌーズ機能が足止めした。

 

 

「……最悪」

 

 

 のそりとベッドから起き上がったカヤツリの機嫌は良いとは言えなかった。

 

 早くに睡眠を取った筈が、目覚めの感覚が最悪だからだ。何かが記憶の底に引っかかって、中々取れない。嫌な後味だけが残っている。

 

 

「思い出せない……」

 

 

 何か、嫌な夢を見た気がするのだが、内容が全く思い出せない。ただ、嫌な夢を見たのだろうという感覚が付きまとっている。

 

 だから、携帯のスヌーズ機能の世話になる羽目になる。何時もはアラーム前に起きられるというのに。

 

 舌打ちもそこそこに、朝日が眩しいベッドから這い出たカヤツリは、アラームを切るついでに、今日の予定を確認する。

 

 

「うわ……そうか。今日からだったか……」

 

 

 ズラリと時間単位で並んだ予定と、何行もあるチェックリストを見て、カヤツリを目眩が襲う。

 

 今日から新体制だ。ホットライン兼通訳みたいなモノだった仕事から、代役に代わったようなものだから。仕事は倍増どころの騒ぎではない。誰かさんの為の裏バイトもあるというのに、大丈夫なのだろうか?

 

 

「俺に務まるのかね……」

 

 

 貴方なら出来るわ。この間に聞いた、そんな自信満々の誰かさんの声が頭の中で反響するも、カヤツリの懸念は晴れなかった。

 

 この間から、新学期が始まった。そして、恐らくは今日。新学期の部活動の報告書が上がってくる。それの対処をしなければならない。場合によっては、その部活動へ足を運ばなければならない。

 

 

「代行だと? 本当に務まるのか……?」

 

 

 幾ら、今まで。その誰かさんの表向きの仕事を殆どこなしたとはいえ、今までとは状況が違う。代表の代理として振舞わなければならない。つまりは嫌な事も言わねばならない。

 

 それと数多の部活動の報告書で作られた、机の上の山岳地帯を思い浮かべて、カヤツリの口から弱音が飛び出す。

 

 去年に経験して分かっていた事だが、辛いものは辛い。ここにやって来ても、やっているのは同じ金稼ぎ。しかし、元本が文字通りの桁違いだから、金額自体は前とは雲泥の差ではある。

 

 セミナーの主要メンバー二人とは顔見知りだ。ほぼ一年間仕事をしてきた間柄だから、そこは心配していない。

 

 問題はいくつかあるが、まずは問題を起こす部活動だ。カヤツリはチェックリストの中の部活を見て溜め息を漏らす。

 

 エンジニア部、ヴェリタス、ゲーム開発部。あと、疑似科学部、エトセトラ、エトセトラ。

 

 それらの部活の予算配分を決めなくてはならない。幾らカヤツリが稼いでいるからとはいえ、無尽蔵ではない。締めるところは締めなければ、ミレニアムが破綻する。

 

 この中で、疑似科学部の対処が一番楽なのが救えない。

 

 あそこは、部長はまだマシとして他の部員がマトモな活動をしない。疑似科学。所謂水素水とか、血液クレンジングとか、テスラ石とか、マコモ湯とか。そういった類の真偽が定かでない。まだ実証されていないモノを扱っている。

 

 それを、研究と実験を繰り返して検証、実用化するのなら文句は無い。幾らでも資金は出すし、それがミレニアムサイエンススクールだ。

 

 しかし、今はそうではない。ゲルマニウムの何かが商品化したのが引き金だったのか、元々そうだったのかは知らないが、今は金の亡者と化している。

 

 マルチ商法や何やらで、カヤツリ基準では犯罪スレスレ、詐欺事件を繰り返したので、金を止めた。ミレニアムの名前を使った瞬間に、重い処分をするつもりだが、超えてはいけないラインには鼻が効くらしい。今のところは大人しかった。

 

 

「おえっ……思い出しちまった……」

 

 

 彼女たちの後始末で目にした、効能と噂が悪魔合体した挙句に誕生したマコモ湯とかいう、あの湯気の立つ黒い汚水の匂いを思い出して、カヤツリはえずく。

 

 殺菌効果があるからと言って限度がある。ずっと風呂の湯を変えないなんて……科学の徒とは思えない。

 

 思い出したマコモ湯のせいで食欲が失せたカヤツリは、余った時間で仕事をする事にした。着替えて、誰かさんに貰ったタブレットで復習を始めた。

 

 

「まずはエンジニア部とヴェリタスか……」

 

 

 カヤツリの頭の中で、エンジニア部長の自信満々な表情とヴェリタス副部長の生気のない表情が浮かんで消える。

 

 エンジニア部は、ミレニアムでもかなりの実績を誇る部活だ。学外の依頼を受けたりと評判は非常に良い。

 

 しかし、時々暴走する。本人たちはロマンだとか何だとか、彼女たちには重要な物のために、訳の分からないモノを作る。

 

 それが大爆発を引き起こしたり、前期の予算を一瞬で使い切って追加が必要だったりと騒動が絶えない。悪気はないし、実績もあるから、強くは言えないから、判断が難しい。

 

 ヴェリタスも似たようなものだが、ある意味反対だ。担当するのがハードかソフト。騒動の元凶であることもある部長と尻拭いする副部長。そして、カヤツリと仲があまり良く無い。

 

 エンジニア部は、カヤツリがレールガンを好きに弄らせているお陰か、割りかし嫌われていない。

 

 が、ヴェリタスは別だ。ほかのセミナーの人間とは違って歓迎はされない。副部長や他の部員はそうでもないが、あの自己肯定感が突き抜けている部長の方がカヤツリを嫌っている。彼女が本当に嫌いなのは、カヤツリの後ろにいる誰かさんなのだろうが。

 

 

「楽な方から行くか?」

 

 

 カヤツリはゲーム開発部の方に思いを馳せる。

 

 一年生の部員三人で構成された部活動だ。名前の通りにゲーム開発が活動内容だが。あの特級呪物を除いて、マトモな実績を残していない。

 

 こっそり覗いても、ただゲームをしているだけだ。部費もゲーム代か摘んでいるオヤツ代に消えた可能性がある。

 

 普通なら、このままいけば廃部一直線だ。部活動の体を成していないのだから当然のこと。迷う要素がない。

 

 

「だけどなぁ……早瀬会計がなぁ……」

 

 

 タブレットを叩きつつも、今日から並んで仕事をするであろう後輩を思う。

 

 早瀬ユウカ。ミレニアム二年生、セミナー会計。会計だけあって、金銭管理には非常にうるさい。さっき上げた部活動にも顔が効く。そういう厳しい通達が必要な場合は、彼女に行ってもらうのもいいかもしれない。

 

 しかし、彼女は会計だ。通達には代表者が行くべきだ。代理とはいえ、代表者は責任をとるものだから。それに、彼女はゲーム開発部を気に入っている。

 

 気に入っているというか、同情だろうか。彼女は、ゲーム開発部の起こりを知っている。

 

 元々は、ゲーム開発部の部長が作ったゲームが始まりだ。それに感化された姉妹が入部して今の部活になっている。

 

 本当は人数が足りていないのだが、それをユウカが見逃したことをカヤツリは知っている。カヤツリも知らないふりをした。

 

 そもそもの始まりのゲームは、出来の良いモノでは無かった。お世辞にもカヤツリはアレをゲームとは言いたくはなかった。あれは呪物か何かだ。

 

 カヤツリが特級呪物というアレ。今年もまだ始まって二分の一も過ぎていないのに、今年のクソゲー大賞に輝いたゲーム。

 

 

 ──テイルズ・サガ・クロニクル。

 

 

 内容は酷いものだ。あれはクリアさせる気が全くない。評価の為にカヤツリも挑戦したが最悪だった。

 

 世界観は滅茶苦茶だし、戦闘の難易度は桁外れ、勿論エンカウント率もそうだ。それを乗り越えても、導線が滅茶苦茶なのと、説明不足なせいでシナリオが理解できない。やりたかったことは分かるが、それぞれの欲望を詰め込み過ぎである。

 

 例えるなら、バランスの狂ったお子様ランチだ。独立して食べれば美味しい料理を、一緒くたに一つの皿へと詰め込んでいる。味と見た目のバランスが悪いからと、適当な調味料を掛けて、仕上げにミキサーでかき混ぜたみたいな感じだ。材料はマトモなのに、食感、味、匂い、見た目の全てが最悪に仕上がっている。まるで、自己満足の化身だ。

 

 とまあ、そんなゲームの雛型がマトモであるはずがない。それのプロトタイプを公開した開発部の部長は、世間からの酷評の嵐に憔悴して引きこもってしまった。しかし、あの姉妹のお陰で、ゲームを完成させるまでに回復はしたのだ。肝心の出来は悲しいものだったが。

 

 それでも、ユウカとしては嬉しいだろう。かつて、心配していた後輩が立ち直ろうとしている。転んで立ち上がれない理由も同情すべきものだ。本心はそのままにしてあげたいに決まっている。

 

 しかし、規則は規則だ。私情でそれを捻じ曲げる事は許されない。他に示しがつかない。

 

 彼女たちは、心の奥では諦めているのだ。自分たちが感動したゲームを作り上げたのに、それは世間では糞ゲーだった。自身の全てを否定されたようなものだ。諦めも湧くだろう。

 

 だから、何もしないのだ。新しく何かを作ろうとしても、手が止まってしまうに違いない。ゆるゆると現実逃避を続けて腐っていく。その末路は想像するに容易い。

 

 

「俺がケツを叩きに行くか?」

 

 

 カヤツリが行けばいい。彼女たちに通告すれば良い。このままでは廃部にせざるを得なくなると。何でもいいから、何か成果を出せばいいと。

 

 あのゲームはクソだが、熱意は感じた。適当には作っていない事だけは分かる。理由があればいくらでも拾い上げてやれる。ミレニアムはそういう場所だ。

 

 そうすれば、ユウカは、自身が気に入っている後輩に廃部を言い渡さなくてよくなる。

 

 

「いい考えじゃないか?」

 

 

 けれど、思わず上機嫌になったカヤツリに、過去からの声が入り込んできた。

 

 

 ──もう、顔も見たくない!!

 

 

「うあ……あ……うえっ」

 

 

 マコモ湯の時とは比べ物にならない吐き気がカヤツリを襲った。喉の奥が焼けて、口の中が酸味で満たされる。慌ててカヤツリはトイレへと駆けこんだ。

 

 

「……早瀬会計に任せよう。俺が言わない方が良い。きっとその方が良い」

 

 

 こういう繊細なことに、カヤツリは首を突っ込まない方が良いのだ。きっと傷つけるだろう。いつかのホシノみたいに。

 

 カヤツリはただ、自分の仕事だけをこなしていればいい。抱えきれない事にまで、手を突っ込むべきではない。流したトイレから出て、口を注ぎ終わったカヤツリは、開発部の件はユウカに丸投げすることに決めた。

 

 

「早瀬会計と言えば……アイツもか」

 

 

 問題はまだある。あの問題児だ。濃い桃色の髪を二つに縛った面影が思い起こされる。生粋の問題児である黒崎コユキの特徴的な笑い声が、カヤツリの頭に響く。

 

 彼女はある意味のギフテッド。天才ではあるのだが、性格がどこまでも終わっている。そして、運試しが好きだというのが救えない。勝ち負けはどうでもいいからだ。その経験が目的だから、言って止まるものでもない。善悪を知らず、反省も痛みも知らない無邪気の化身。おおよそ社会に出していい人間ではない。

 

 カヤツリが用意した策もどこまで通じるか。朝から、カヤツリの先は暗く沈んでいた。

 

 

「んあ……なんだ、こんな時間に」

 

 

 机の上で、カヤツリの携帯が震えていた。二、三回震えた後に静かになった携帯を見れば、誰かさんからのメッセージが届いている。肝心の内容は短く場所の名前と、着てほしい旨が書いてあるだけだ。

 

 

「相変わらず言葉が足りないどころの話じゃないな……」

 

 

 時間もまだあるし、無視したら無視したで落ち込むだろう。カヤツリはいそいそと出かける準備を始めた。

 

 

 □

 

 

「朝早くから悪いわね」

 

 

 エレベーターと隠し通路を乗り継いで、指定の場所にやって来たカヤツリを出迎えたのは、誰かさん。調月リオのそんな一言だった。

 

 相も変わらず、いつもと同じような服装の黒い上着と白いタートルネックだ。元々の冷たい雰囲気も相まって、デスクで仕事をする彼女は魔王のように見える。

 

 

「悪いと思っているなら、それをちゃんと文章に入れてくれ」

 

「貴方は、分かっているからここに来たのでしょう?」

 

「そうだけども」

 

「そう、貴方は分かってくれる。無駄に単語を重ねるのは無駄では無くて?」

 

 

 その雰囲気のまま首を傾げるリオに、カヤツリは頭を抱えたくなった。リオの言動は傍若無人そのものだが、悪気など一かけらもない事をカヤツリは理解している。理解はしているが、それとこれとは別だ。

 

 

「だからって、場所の名前と、来て欲しいという言葉だけなのはいただけない。機密事項って訳でもないだろう。言葉に出さなきゃ伝わらないと、前にも言ったじゃないか」

 

「……善処するわ」

 

 

 しゅんとした雰囲気になったリオに、カヤツリはどうしたモノかと考える。会ったばかりの頃と比べれば、大分改善はみられている。以前のままであれば、場所の座標だけが贈られてきただろうし、”悪いわね”なんて言葉もなかった。

 

 

「まあ、いいや。それで用件は?」

 

「今日からの貴方の仕事。私の代行に関する事よ」

 

 

 ギリギリになってからとは、リオにとっては珍しかった。大体の事は、この間に伝えられた時に聞いているし、手回しも終わっているはずだ。

 

 

「私は今日から、C&Cと共に立ち入り禁止区域の調査に入るわ。その間は、貴方にミレニアムの事は任せる。私へのホットラインは残しておくから、緊急事態であれば連絡を頂戴」

 

「任された」

 

 

 さっきとは打って変わって、機嫌よさげにリオは決まり切ったこと話し続ける。疑問塗れだが、話の腰を折る事はしない。リオは淡々と聞こえる口調で話し続け、一通りの事を言い終わった後に、緊張した面持ちでカヤツリへと告げた。

 

 

「最後に、貴方に感謝を。カヤツリ」

 

「どうした、急に」

 

 

 急に遺言染みたことを言うリオに、カヤツリは慌てた。けれど、リオは真剣な雰囲気を崩さない。

 

 

「貴方が言ったのでしょう? 伝えたいことは口に出すべきだと。私はそれを実行しているだけ。今日から、お互い忙しくなる。これまでのように時間は取れないわ」

 

 

 リオは憮然としている。さっき一瞬見せた自信のなさは無くなっている。つまりは、リオは迷いが無いという事だ。

 

 

「もう一年間よ。貴方が此処に来てから。もう、一年経ったの」

 

 

 リオは薄く微笑んでいた。それはとても珍しい事だとカヤツリは知っている。リオと出会って一年足らずであるが、ほとんど見たことが無いくらいだ。

 

 

「初めて貴方に会った時。こうなるなんて、私は思ってもみなかった。貴方はとても怪しかったから」

 

 

 そのことを、カヤツリは知っている。考えてみれば当たり前だ。二年生の初めに、アビドスから転校してくる転入生。しかも、連邦生徒会の推薦付きときた。カヤツリだって、監視くらいはつける。

 

 勿論、カヤツリは何もする気はなかった。監視されようがどうでもよかった。ただ、無気力に金を稼ぐだけ。まるでどこかに穴が開いたようだった。アビドスに居た時よりも、金銭的にも何もかもが満たされているはずなのに。

 

 

「私は貴方を呼び出した。私は聞いてみたかったの」

 

 

 あの時の事を、カヤツリはよく覚えている。リオは数多のドローンで、カヤツリを囲んで聞いて来た事を。

 

 

 ──貴方は、何を望んで、ここへ来たの?

 

 

 それを聞いた時に、カヤツリは大笑いした。質問が余りに予想外だったからだ。カヤツリはてっきり、問い詰められると思っていた。それなのに、どこかカヤツリを心配するようなことを言うのだから、そういう反応にもなる。

 

 

「ここへと流れ着いたレールガンの持ち主が貴方であることも、あの怪しい大人と繋がっていることも、貴方がアビドスからやって来たことも、私は知っていたわ。そして疑ってもいた」

 

「それなのに、あの質問だったのか?」

 

「ええ。紙の上の情報だけでなくて、実際に見て思ったのよ。貴方が何を探しているか、私には分かった。人の心が分からないと昔ヒマリに言われたけど、自分の事くらいは分かるわ」

 

 

 普段とは大違いの様子で、リオはハッキリと告げる。

 

 

「”何も”そう貴方は答えたわ。それを聞いて思ったのよ。きっと貴方は、居場所を探していた。いえ、作ろうとしたのかしら。そして、それを失ったか失敗した。そして、それを諦められないでいた」

 

 

 デリカシー皆無の発言ではあるが、カヤツリはこれをスルーした。一々そんな事で怒るほどカヤツリは狭量ではない。今はリオが話していることの方が大事だった。

 

 

「私もそうだった。このミレニアムを、ここに通う全ての生徒が幸せであってほしかった。そこが、私の居場所だと私は信じていたの。その生徒は、貴方も例外では無かった。だって荒唐無稽で、たどり着けないかもしれない。けれど諦められない私と同じだもの」

 

 

 そして、リオは微笑んだまま、カヤツリに聞くのだ。

 

 

「ずっと気になっていたのだけれど。貴方はどうして私を手伝ってくれたのかしら?」

 

「見ていられなかったからだ。誰だって、自分と同じ轍を踏もうとしていたら止めるだろう?」

 

 

 兎にも角にも、目の前の調月リオという生徒は不器用だったのだ。特に、コミュニケーションが最悪だ。その意見の食い違いで、関係性が崩壊するのをカヤツリは見ていられなかった。

 

 ヴェリタスの部長、明星ヒマリとリオは仲が悪い。それは、あの時もそうだった。リオがカヤツリへ問い詰めた場面にはヒマリも同席していたのだ。

 

 ヒマリは、カヤツリが何も企んでいないと確信していたらしい。それを態々、物騒な手段で確かめに行ったリオを糾弾したのだ。

 

 リオとヒマリの意見は殆ど一致していた。ただ、リオは尋問という手段を取り、ヒマリは傍観という手段を選んだだけだ。ヒマリからしたら、リオが唯々カヤツリを刺激したようにしか見えなかっただろうから。

 

 

 ──下水女。

 

 

 それは、喧嘩中限定のヒマリのリオに対する呼び名だった。悪口だが、その中には嫌悪だけでない何かも混じっていることは、カヤツリにはすぐに分かった。しかし、リオには分からない。今も分かっていないのかもしれない。

 

 早速険悪な空気になって、言い争いが始まった。二人の口喧嘩は、リオの分が悪い。理想論と現実論では理想論の方が強いのだ。リオだってそうしたいが、性格上選べない。だから、どんどん押し込まれる。

 

 だから、カヤツリが介入した。リオが言いたいことをカヤツリが言ってしまった。リオが言いたくとも、上手く言葉にできないそれが、カヤツリには分かった。リオが同じだと言ったのは、そういう部分かもしれない。

 

 結局、ヒマリはカヤツリに丸め込まれた。それ以来、彼女からの当たりはきつい。カヤツリとしても、ちゃんとした理由はある。さっきも言った通りの理由が。

 

 リオには、カヤツリと同じ轍を踏んでほしくなかったのだ。カヤツリとホシノのようになって欲しくなかった。ただ、それだけの理由だ。

 

 

「私は感謝している。ユウカやノアや、コユキ、ネルやトキだってね。貴方の居場所はここよ。少なくとも、私はそう思っている」

 

 

 そこで、リオは口籠る。何かを言おうとして、迷っている様子だった。数十秒の後に、リオはようやく言葉を発した。

 

 

「……貴方は悪くないわ。アビドスで何があったのかは、調べてはいないし、調べるつもりもないけれど。きっと貴方は悪くない。きっと、私の代行をしても間違えない」

 

「……」

 

 

 カヤツリは答えなかった。何と言って良いのか分からなかったし、まさかリオがこんなことを言えるとは思わなかったからだ。目を見開いて驚くカヤツリに、リオは当然と言った風に言う。

 

 

「さっきも言ったでしょう。私は他人の気持ちは分からないかもしれないけれど、自分の気持ちは分かるの。貴方が緊張していることくらいは分かる。私もそうだったもの」

 

 

 カヤツリは、リオのことを見くびっていたらしい。今の言葉も一日かけて考えたのかもしれない。それで態々、こんな朝早くからメールを送ってきたのだ。

 

 

「ありがとう」

 

「いいのよ。……それと」

 

 

 そして、そこから。リオの言葉が尻すぼみになった。先ほどまでの様子が嘘みたいに、口元がごにょごにょ言っている。

 

 

「朝食も……まだでしょう?」

 

「そうだけど……? 別にいい」

 

「ちょっと待って頂戴……! 何故かしら……!?」

 

 

 ここからは予定外らしく、リオの段取りが一気に悪くなった。少し焦ったような感覚を受ける。気持ちは嬉しいが、カヤツリにも事情はある。今朝の事もあって、胸がムカムカする。

 

 

「いや、朝から揚げ物は無理だ」

 

 

 身の回りの世話をしていたトキが、言葉を失っていたくらいにはリオの食生活は壊滅的だ。合理的だが何だか知らないが、基本割引弁当を食べている。それも揚げ物系統ばかり。足りない栄養はサプリで取っている事をカヤツリは知っているし、この目で見た。

 

 そして、リオは料理が作れない。出来るだろうトキはリオの頼んだ仕事で忙しい。ともなれば、出てくるのは冷蔵庫に眠る冷凍食品の群れしかありえなかった。

 

 

「いいえ、そこにスープがあるわ」

 

 

 そんな信じられない事を言いながら、リオが部屋の隅にある給湯エリアを指差した。確かに保温ポットが電源へと繋がっている。中身を除けば、温かな湯気と共にコンソメの匂いが立ち上った。

 

 

「ほとんどトキが作ったものだけれど……どうかしら」

 

「ほとんど?」

 

 

 琥珀色のスープには賽の目の具が浮かんでいるが、やけにきれいだ。定規で測ったように綺麗な立方体。失礼かもしれないが、リオが作った物とは思えない。しかし、リオは自信満々に、何かを取り出した。

 

 

「切ったのはこれよ」

 

 

 何やら、よく分からない機械を取り出して。リオは自信ありげに語り始める。

 

 

「私が制作した調理用アバンギャルド君。火が均等に通るように具材の厚みや性質を計算してカットしてくれる優れモノよ」

 

 

 リオの説明は立て板に水だ。どうにもレーザーでカットするらしく、カヤツリの脳裏にはレーザーで裁断されたサイコロステーキの文言が浮かぶが、何も言わなかった。リオが本当に嬉しそうだったからだ。

 

 

「今はカットだけに過ぎないけれど。いずれは、全てオートで製作してくれるものを作って見せるわ」

 

「なるほど。じゃあ、貰おうかな」

 

「そう言ってくれると思っていたわ」

 

 

 さっきまであった胸のムカつきは消え去っていて。いそいそと、しかし嬉しそうに。スープの為の、自身とカヤツリの分のマグカップを取りに行くリオを見て、カヤツリは微笑んだ。

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