ホシノ同級生相棒概念 作:洞鼬
「ひとまずは、鍵については安心。そういったところでしょうか」
いつもの集会場所で、ヒマリは大きく伸びをした。重力で凝り固まった身体が伸びていく心地よさもあって、今から考えなくてはならない事柄についても軽く感じられた。
「しかし……困ってしまいましたね……」
つかの間の心地よさから現実に引き戻されたヒマリは、目を伏せる。困りごとが乱立しているからだ。その原因というか、切っ掛けは一つしかないが、それが波及して絡まり合ってしまっているのだ。
そして、そのうちの一つがヒマリの目の前で展開している。
「あの……リオ」
「何かしら。何も問題はないはずよ」
ヒマリの目の前では、リオがいつものように席に着いて、リズミカルにキーボードを叩いていた。そこまでは良いのだが、リオの表情が良くなかった。何というか、やつれている。一週間前までとは嘘の様な豹変ぶりだった。
身だしなみはしっかりとしているが、それでも隠しきれない目の下の隈が異常事態だという事をヒマリに訴えかけてきていた。
「リオ。一体何日の間、寝ていないのですか?」
「最低限の睡眠時間は確保しているわ」
そういう問題ではないでしょう。そんな叫びをヒマリは飲み込んだ。決して仕事が忙しいから、寝ていないなんて、そんな尤もらしい理由ではない。
「あの時の事を気に病んでいるのですか?」
ピタリとリオの叩くキーボードの音が止まった。少しの不機嫌さをにじませたリオの視線が、ヒマリを射抜いた。
「貴女が平気な理由が分からないのだけれど?」
「……あの後、私はこっぴどく嫌味を言われましたからね。ケイやアリス関連の仕事も丸投げですし……こう見えて、全くの平気という訳では無いのですよ?」
そう、ヒマリがおどけて見せても。リオの不機嫌さは解消されなかった。それどころか、羨ましそうな視線すら感じる。
──俺はスカウトマンでも、女衒でも、悪徳金融業者でもないんだ。才能を振るうのが好きでやってるわけじゃない。明星は違うんだろうけどな。
そんな言葉を思い出して。ヒマリは重い気分になった。やはり、これは、ヒマリ自身の所為なのだろう。
□
一週間前のあの日。鍵。もといケイとカヤツリとの間に契約は順当に結ばれた。
契約内容は、ヒマリやリオが望んだ通りのモノで。どうやって飲ませたのかを目の前で見ていたヒマリとしても、理解が中々及ばなかった。
「ほれ、終わったぞ」
そう、契約書が入ったメモリを渡してきたカヤツリは、全くいつも通り。メモリを受け取ったヒマリは、普段のように振舞えなかった。動揺していたのだ。
頼まれた買い物を終わらせてきた程度の様子なのも、ヒマリの動揺に一役買っている。この時点で、ヒマリの想定とは全く違った状況に陥っていたからだ。
──一日くれ。
ヒマリが、カヤツリに向かってケイを口説き落とすように言った後の答えがこれだった。ヒマリは驚いて聞き返したことを覚えている。
──それだけでは足りないでしょう……?
意味が分からなかった。ヒマリは口説き落とせと言ったのだから。アリスを糸口にケイを口説き落とすことを、一日で出来るわけがない。向こうの第一印象は最悪だからだ。
口説くというのは些か悪いように聞こえるが、ヒマリとしては悪い意味では言っていない。どんな人間ともうまくやれるコミュニケーション能力。それはカヤツリの誇るべき才能だと思っている。だからこそ、頼ることにしたのだ。
ゆっくりと、時間を掛けて。少しずつケイと交流していけばいい。カヤツリなら上手くやってくれるだろう。かつて、頑なだったリオにそうしたように。この間、コユキに対してもそうしたように。今もアリスにそうしているように。
──ああ……そうだったな。じゃあ、今日中にリオと二人で。鍵と話してみてくれよ。あとで確認するから。
困惑するヒマリを置いて、カヤツリは翌日まで姿を現さなかった。後で分かったことだが、カヤツリはアリスやゲーム開発部に、爆発するまでのケイの様子を聞き込みしていたらしい。
ヒマリとリオはと言えば、予想の通りにケイとは話にすらならなかった。それは、当然の結果だとヒマリは受け止めていた。この結果が予想できたからこそ、ヒマリはカヤツリにやってもらう事にしたのだから。
──ですが……この状況は、一体……?
ヒマリが想定したものとは、全く違う。だから思わず問い詰めるような口調になった。
「一体、何をしたのですか?」
「型に嵌めた。それだけだ」
「……これが? 非常に危ういではないですか」
ケイ側が呑む条件は良い。おおよそ、ヒマリたちが要求したことだからだ。だが、ヒマリたちの方は違う。明確な敗北条件がある。
「貴方が負けるまでなんて、こんな不明瞭な期限を切る必要はあったのですか? アリスが世界を滅ぼすという提案に頷くとは思いませんが。些か危ういのでは?」
ケイ側には、敗北条件はない。アリスを説得できないという一時的な敗北はあるが、カヤツリのように明確なものは無いのだ。あの様子であれば、こんな札を切らなくても良かったように思う。
だが、カヤツリは全くそうは思っていない様子だ。呆れた顔でヒマリを見ている。
「危ういどころか、安全過ぎるくらいなんだが? これだけは絶対に飲んでほしかったくらいだ」
「どういうことです……? ペナルティ扱いの方が良いと思いますが……」
ヒマリにとっては意味不明な条件だが、カヤツリにとっては大事らしかった。どう見ても、ケイ側に有利なようにしか見えない。
これは、ケイとカヤツリの勝負なのだ。ケイがアリスを説得できるかできないかの勝負。価値が決まっているのだから、契約を結ぶなら期限を決めて、勝ち負けからのペナルティで無期限に延長する方が良いのではないだろうか?
しかし、ヒマリの提案はカヤツリの呆れ顔を崩すには至らなかった。
「まあ、確かに。そっちも拘束力は強いが。その場合は乗ってこなかっただろうな。案外、計算高いところがあるから。幾ら頭が沸騰していても、そんなあからさまじゃダメだ」
カヤツリは、ヒマリにじっと視線を向けてきた。嫌な雰囲気だ。何処かでいつか、感じたような。そんな雰囲気。どこで見たのか思い出そうとするが、中々出てきてはくれなかった。
「最初から説明しようか?」
面倒そうな顔のカヤツリに、ヒマリは渋々頷いた。普段とは立場が逆転していて、居心地が悪かったからだ。カヤツリの仕方ないなと言ったような雰囲気も、少しばかり気にくわなかった。
「前提条件として、ケイに一番されたくなかったことがある。分かるか?」
恐らくはアリスの乗っ取りだろう。一番避けなくてはいけないのはそれだ。そう答えたヒマリに、カヤツリは不正解を突きつけた。
「俺が一番されたくなかったのは、延長戦だよ。相手がAIっていうから、真っ先に警戒したのがそれだ」
そこまで聞いて、ヒマリは納得した。それをカヤツリも理解したのか、淡々と続ける。
「アリスもケイも機械だ。俺たちよりもずっと長く生きるし、衰える俺たちと違って、スペックは変わらないだろう。ざっと百年か。それくらい待たれてしまえば、もうどうしようもできない」
ケイがAIだという認識はあったが、そこまでは考えが及ばなかった。余りに人間らしいから、失念していたことをヒマリは恥じた。
AIやパソコンは、手段を限定しない場合。驚くべき力技を提案することがある。例えば、解くのに十万年掛かる暗号を解読しろと言えば、十万年掛けるのだ。十万年掛ければ確実に解けるのだから、それ以外の手段は提案しない。
そんな手段には誰も抵抗できない。時間には誰も勝てやしないのだから。情報を残したとしても、対応できる人間。ヒマリやリオやカヤツリの様な人間がいるかも分からない。時間はケイの味方でしかない。
「だから、縛った。俺が負けるまで。そんな曖昧で不確かな期限を切った」
とても嫌な予感がした。とんでもない悪意を感じた。その証拠に、カヤツリは唯々薄く笑っている。
「負けるまで。そうは言ったが、何に負けるかなんて書いていない。ケイはアリスを説得することだと、勝手に勘違いしているようだけど」
どの口で。そうヒマリは思う。勝手にではない。やり方は分からないが、そういう風に誘導したのは分かる。だがカヤツリの言ったそれには落とし穴があった。
「それなら、余程危ないでしょう。じゃんけんに負けても判定されかねません」
「何に負けるかなんて書いていない。そういっただろ。明星の言う通りに、ケイがそこを突いてきても、こう言えばいいんだよ」
とても、意地悪く笑って。カヤツリは再び口を開いた。
「負けてないって。そう言えばいい。何を言われても、そう言えばいい。負ける事が契約の期限ではあるが、負け方は書いてない。何に、どうやって負けたら負けなのか。そんなものは書いてない」
ヒマリは背筋が冷たくなった。型に嵌めたという意味を理解したからだ。もう、ケイは逃げられない。カヤツリが満足するまで、カヤツリが死んでも、絶対に。
「もう延長戦も意味はない。俺が死んだら、もう絶対に勝てないんだ。俺がケイに対して、この契約においての敗北を再定義しない限りは。唯一、アリスを真に説得できれば話は別だが。あの娘はそうしないように面倒を見ればいい。それでも頷くようなことがあれば、それはもう状況が悪いんだろう」
ヒマリは言葉もなかった。とんでもない不平等条約だった。カヤツリの目的は、契約を結ばせた時点で完遂しているのだ。
カヤツリがしなければならない事は、ケイに対する立場と機会の提供。ケイがしなければならない事は、アリスの防衛と制御奪取の禁止。期限はカヤツリが負けを認めるまで。
カヤツリの義務はもう果たされている。この場合、カヤツリが死んでも契約は続行だろう。そして、ケイだけは果たされていない。果たすことが持続的なものだから、絶対に果たせないようになっている。
そして、期限は切ってあるが、もう期限とも言えないだろう。今の話なら、期限はケイとアリスが存在するまでだ。永遠と言ってもいい。永遠の契約。
「貴方は、どうやって。どうやってここまで絵図を引いたのかしら? 鍵……ケイは私たちの時は話を聞きもしなかったのに」
これまで話を黙って聞いていたリオが口を挟んだ。どことなく、顔色が悪かった。そんなリオを見て、ヒマリはどこか既視感を覚えた。
いつか、どこかで。似たような状況があったような気がする。ヒマリとリオが居て、もう一人。カヤツリではない誰かが居たような……
「だって、ちゃんと向き合わなかっただろ?」
けれど、少しだけ大きなカヤツリの声で、出てきた尻尾は記憶の海に紛れてしまう。またまた、分からないことを言うのが、今は興味深かった。
「向き合うも向き合わないも、会話にすらなりませんでしたが?」
「一々、お伺いなんか立てなくていいんだよ。アイツは、ケイは敵なんだから」
どうにも、マトモに交渉しようとしたのが、カヤツリ的にはそうではないらしい。敵という言葉やたらと強調した。
「ケイは、相当な負けず嫌いだ。その上、諦めが悪い。自分自身の機能にプライドを持っている。自分の中に、ちゃんとルールがある。譲れない一線があるタイプだ。そうでなきゃ、テイルズ・サガ・クロニクルをクリアまでやらなかっただろうさ」
言われてみれば、そうかもしれない。ゲームの感想を言う事が、インターネットにつなぐ条件だった。そして、テイルズ・サガ・クロニクルはお世辞にも出来のいいゲームとは言えない。それなら、中断して酷評すれば良かった。求められているのは感想であって、クリアでは無いのだから。
それなのに律儀にもクリアした。それは、一度決めたことは最後までやり切るという性分の所為だろう。
「ケイが、そういう娘なのは分かりましたが。それがなぜ、話をしてくれない事に繋がるのですか?」
「明星じゃ微妙だが、自分の立場に置き換えて考えて見ろよ。自分より明確にスペックが低い相手に、交渉を持ちかけられるんだぜ。まだ負けてないと思ってるのにだ。バカにされてると思うだろう? ケイの性格じゃあ、話なんかしないだろうさ」
「なら、分かっていて。私とリオに先に行けと言ったわけですか?」
「まだ確定じゃなかったからな。一日かけて、情報収集して。最後の確認の為に行ってもらった」
黙るヒマリに、カヤツリは満足したか? そんな風な視線を向けている。
カヤツリのやったことは簡単だ。ケイの事を調べて、カヤツリ風に言うなら向きあっただけだ。
ケイの性格を把握して、ヒマリたちの要求を呑ませるために計画を立てた。あの流れを見て、ケイの分析を聞いた今なら分かる。あの流れは計算されていた。
敵対者然とした態度を取り、ケイが無視できないようにした。その上で、ケイの目的をそれとなく確認する。
その後にカヤツリが行った事は、ケイへの罵倒だ。普通なら悪手であるが、アレには意味があった。アレで、カヤツリがケイの敵だと印象付けた。そして、ケイの目的に対する障害の誤認だ。
ケイの目的は世界を滅ぼすこと。アリスを説得することは必要ではあるが、手段でしかない。カヤツリをやり込める必要はないのだが、ああも悪辣に振舞う事で、勝利条件を誤認させている。
カヤツリに勝たなければ、目的を達成できない。そういう風にケイは思い込んだ。だから、途中から、アリスを説得しなければならないという最大の障害を忘れている。
アリスがケイに気がつかなかったのは、カヤツリの所為ではない。カヤツリもそうとは言っていない。間違っているとも言わなかったが。ケイもケイで、アリスに対しての確信があったのも良くなかったのかもしれない。
そして、カヤツリの失言だが。あれも絶対にワザとだ。あそこまでコケにされれば、負けず嫌いのケイは反撃を考える。そこで、失言が生きてくる。
カヤツリにとって、ケイが外に出る事が嫌なのだと。そういう風にカヤツリは振舞った。ケイはカヤツリをやり込める事に夢中で、そのことに気がついても居ない。
「……ケイはずっと貴方の掌の上だったと。まるで岩の卵から産まれた猿の話ですね……」
「何回負けても構わないんだ。最後の最後で勝てればいい。ああ……あと最後に一つ」
途中で何かを思い出したのか。カヤツリはヒマリに視線を向けた。
「俺はスカウトマンでも、女衒でも、悪徳金融業者でもないんだ。こんな才能を振るうのが好きでやってるわけじゃない。明星は違うんだろうけどな。はっきり言って、今回は相応にムカついた。全部が全部、明星の想像の通りの訳じゃない。明星の嬉しい事が俺の嬉しい事じゃない。やってほしいなら、そう言え。こんな風じゃなくてな。頼み事には、相応の態度があるだろうが」
そう言われて、カヤツリの冷たく暗い雰囲気を感じて。ようやくヒマリは思い出したのだ。
昔、ミレニアムに流れ着いたレールガン。その処遇の際に現れた真っ黒な大人の事を。その雰囲気と、今も説明をしていたカヤツリの雰囲気が、どことなく似たものがある事に。
□
「リオが気に病む必要はないのですよ。彼を怒らせたのは、今回ばかりは私の所為なのですから」
リオは答えなかった。それに、ヒマリは内心ため息をつく。
あの後、リオだけはあの場から帰らされた。当然の処置ではある。今回はヒマリがやらかしたことだからだ。
いきなり情報を叩きつけて、ケイを口説き落とせと言う。少なくとも、ヒマリは凡人に対してはそんな事はしない。対応できると思うから、ある意味で信頼を持ってそうした。
ヒマリはそうされても怒らない。寧ろ奮起するタイプだ。リオも怒ったことは無いし、他の人間もそうだ。チーちゃん、各務チヒロだけはキレたが、才能を振るう事に対しては怒らなかった。少なくともミレニアムはそういう人間が集まる場所だった。
カヤツリは違った。ヒマリの認めた才能は、コミュニケーション能力などでは無かった。あれは唯の派生に過ぎなかった。
本質は、目の前で展開されたあれだ。人を思い通りに誘導する才能だ。人を理解する才能と言ってもいいかもしれない。
きっと、カヤツリはその才能が嫌いなのだろう。確かに、良い方向では使いにくい才能だ。それこそ、ケイに対しての行為は全く耳触りが良くはない。それに、行くとこまで行けば、あの黒い大人の様な人間になるのだろう。
──俺は誘導するのもされるのも。あまり好きじゃない。ちゃんと理解して決断するべきだと思っている。
だから、アリスをヒマリの都合で巻き込もうとした時にカヤツリは激怒したのだ。それはカヤツリの嫌な事だったから。けれど、今回は事情が事情だ。
それに、ヒマリもカヤツリの才能を誤認していたことや、悪気はなかったことを説明させられた。それを聞いたカヤツリは苦虫を噛みつぶしたかのような顔をして聞いてから、仕方なさそうに口を開いた。
──ちゃんと説明しろ。騙し打ちはするな。次やったら怒る。俺は優しい人間じゃないからな。三回はない。
それ以上は、カヤツリはヒマリに何も言わなかった。蒸し返しもしない。であるから、今回は目を瞑ってくれたのだろう。それは良いのだが、問題はこれではない。
「アリスの一人暮らしは、上手くいっていますか?」
「問題ないわ。ケイもついているし、隣の部屋はカヤツリが泊っているもの……寂しくなんてないわ……」
沈んだリオに、ヒマリの胃が重くなる。アリスはミレニアムの寮で一人暮らしの真っ最中だ。何故かと言えば、ケイが強硬に主張したせいでもある。
──王女にも、一人の時間を用意すべきです。立場と環境を用意するのは其方でしょう!
そう言われればそうするしかない。ケイの躯体は製作途中──今リオが図面を引いているのがそうだ。そのため、ケイは仮の身体で。ロボットの形のキーホルダーとして、アリスの傍に居る。
ケイ曰く、それでもアリスの防衛には問題ないらしい。アリスとの関係も、まあ良好の様だ。カヤツリからの報告には目を通していないが、上手い事アリスの前では猫を被っているのだろう。
それはそれとして、リオの事だ。
リオがこうまでなっているのは、ケイの躯体を制作しているからでも、アリスが来なくなったから……半分はそうかもしれないが、それだけでもない。カヤツリとの仲が拗れたせいだ。
今回の件、ヒマリがカヤツリでケイを説得させようとした件。それは、リオも承知している。むしろ、リオから話を持ってきたのだ。
──何か、方法はないかしら。アリスを破壊しないで済む方法は。
それを聞いた時、ヒマリはとても嬉しかったのを覚えている。直ぐにカヤツリの手を借りる方法を思いついたが、リオはどこか渋っていたのだ。
今になっても言おうとはしないが。リオは、ヒマリがカヤツリに怒られて気づいた事を薄々は、感づいていたのかもしれない。しかし、そうとは知らないヒマリが強行したせいで、今の状況になっている。
ヒマリは、カヤツリから怒られたものの。それでケリは付いている。今まで通りだ。しかし、リオはそうではない。
リオは、カヤツリが嫌がるかもしれない事を薄々は気がついていた。けれど、アリスの事も大事だった。決めきれなかったリオは、ヒマリに丸投げしてしまった。
決してリオが悪いわけでは無い。けれど、カヤツリに対してやってしまった事は、小さなことではない。
じゃあ、謝ればいいとは思うが。そうはできない。カヤツリ視点ではどう思っているか分からないし、そうされても困るだけだろう。リオの自己満足にしかならない。
何となく、カヤツリはそのことに気がついているとは思う。けれど、カヤツリからは動けない。アリスとケイの事もあるし、カヤツリから動けば、リオはもっと気に病むだろう。
普段のヒマリなら、嬉々として動いただろう。しかし、昨日の今日ではないとはいえ、痛い目を見たばかりだ。ここで同じ轍を踏むほど、ヒマリは傲慢ではなかった。
「どうしたものですかね……」
そんなヒマリの呟きは、作業を再開したリオのタイピング音に飲まれて消えた。