ホシノ同級生相棒概念 作:洞鼬
会議室に満ちる険悪な雰囲気に、黒服は悩んでいた。デカルコマニーに抱えられているゴルコンダも同様のようで、打開策を求める視線をヒシヒシと感じる。
この雰囲気の原因は分かりきっている。マエストロとベアトリーチェだ。
お互いに無言で睨み合いを続けている。ベアトリーチェがこうなのは珍しいことでは無いが、マエストロが他者へ怒りを向けるなど珍しい。余程腹に据えかねたに違いなかった。
普段なら、ベアトリーチェに折れる事で終わる。しかし、マエストロの様子がこれでは譲歩など引き出せない。
原因は分かっている。この間のアリウスの件だろう。やり取りは把握したが、中々困った事態になっている。
虎の子の弾道ミサイルも使われないままで、調印式は無事に終了した。ユスティナ聖徒会は、地下と隠れていたアリウスだけに攻撃を仕掛けたため、トリニティとゲヘナは何が起こったかすら把握していない。儀式は失敗したという事になる。
もう終わってしまった事だ。この中で犯人探しほど無意味なものは無い。しかし、それではベアトリーチェは納得しない。そして、責を被せられているマエストロも。
「それでは会議を始めますが……宜しいですか? 目下の問題の解決のためにも」
黒服は淡々と会議の開始を宣言する。それを聞いた二人の雰囲気が緩んだ。
それを見て、黒服は満足する。やはり、大人同士であれば話が早い。手筈通りに会議を進行させる。
「それでは本日の議題ですが、言うまでもありませんね」
黒服が指を鳴らすと、部屋の中心に映像が流れ始める。
それは一言で表すなら、洪水だった。
全てを押し流し呑み込む黒い洪水。通った後には何も残らない。蝗害のようなそれ。
それは、イナゴでも、水でも無い。ただただ増え続けるユスティナ聖徒会の群れ。
そんな洪水が、アリウス自治区を襲っていた。
「アリウス自治区はこの有様です。このままでは遠からず、キヴォトスから消えてなくなるでしょう」
「一先ずの対抗策は用意しました。マダムと、マエストロが回収したアリウススクワッドには処置済みです。他の生徒にも並行して処置を。最悪の事態は回避しました。マダム」
ゴルコンダの言葉に、ベアトリーチェは礼を言うどころか、鼻を鳴らした。
「当然でしょう。これは私のミスではなく、この者の所為なのですから。補填は当然の事」
「言ってくれるものだな」
マエストロは我慢の限界が近いのか、今にも立ち去りそうな雰囲気だ。怒りで身体を震わせているせいか、身体の軋みも普段より大きい。
それが気に入らないのか、ベアトリーチェはマエストロを煽る。
「自身の所為でないと。ならば、この事態の原因が分かるはず。それは貴方のミスでしかありえない」
「無知蒙昧にも程がある。この状況の引き金を引いたのが何か、未だに理解できないとはな」
「それが、私だとでも……」
「儀式は貴下の領域なのだろう? 寧ろ私が教示される立場ではないのか? まさか出来ないとは言うまいな?」
瞬く間に、一度は治まっていたものが再燃する。
こればかりは仕方がない。マエストロは自身の腕にケチをつけられている状況。マエストロも黙ってはいられない。
そして、ベアトリーチェも必死だ。自身の計画が音を立てて崩れようとしている真っ最中。当たり散らしたくもなるだろう。
しかし、黒服は落ち着いて対処する。ここで声を荒げても、何にもならない事は知っている。
「引き金を引いたのは誰かなど、どうでもいいことです。私達は大人なのですから、今の私達には優先すべきことがあるのではないのですか?」
「この状況をどうにか出来ると?」
「出来ます。ユスティナ聖徒会を消失させるだけならね」
「ならば、今すぐ──」
「待って下さい」
食いつくベアトリーチェを黒服は手で制した。まだ判断するには早すぎる。
「しっかりと話を聞いてからの方が良いと思いますよ? マダム。貴女の計画に関わる事です。慎重にいきましょう。何せ、そのくらいの時間は残っているのですから」
「ええ、分かりました」
漸く、ベアトリーチェが落ち着いた事に黒服は安堵する。険悪な雰囲気は消え、いつものゲマトリアの空気が戻っていた。
「では、マダム。今回の事件を最初から辿ります。そもそもの目的は、戒律の守護者。ユスティナ聖徒会の確保でしたね」
ゴルコンダの確認に、マエストロとベアトリーチェの二人が頷いた。
この件の発端は、ベアトリーチェが都合の良い戦力を欲した所に端を発する。
ベアトリーチェはアリウスを支配し、アリウススクワッドという戦力を抱えてはいた。しかし、問題も抱えていた。
恐怖で押さえつけ、痛みを覚え込ませて支配する。ベアトリーチェがアリウスを支配するには必要な手順ではあった。そのおかげで、早々に裏切るなどという事はない。
だが、それは押さえつけた故の結果だ。利益があるから裏切らないのではなく、そうすれば害があるから裏切らない。
そうした場合、どうなるかといえば、答えは簡単だ。言われた事しか出来ない機械が出来上がる。
それは当たり前の結果ではある。下手な事をすれば、罰を受けるのだから。
そして、機械に徹し切れるかと言われれば、そうでもない。彼女たちは生徒なのだから、感情を持っている。感情が邪魔をすることもあったようだ。
更に恐怖で縛る訳にも行かなかった。やり過ぎれば、ベアトリーチェの作戦に支障をきたすから。
つまりは単純に使い勝手が悪い。戦闘能力は折り紙付きだが、融通が利かないのである。機械のように扱いたくとも、そこまで粗末に扱えない。生徒として扱えば、突発的な黙示録の開始の可能性が付き纏う。機械にも、生徒にもなりきれない悲しい蛹。それが、アリウスの生徒たちだった。
そこで、ベアトリーチェは戒律の守護者に目をつけた。
「ユスティナ聖徒会。彼女たちは戒律の守護者です。戒律が在る間は存在し、その責務を果たし続ける」
「ええ、その通り。実に素晴らしい兵力です」
「だから、マエストロに複製してもらう手筈だったと……」
ゴルコンダに話を振られたマエストロは、口を開かない。前々からマエストロは乗り気ではなかったからだ。
マエストロの技術である複製。その特性は文字通りの模倣。芸術家が、先達の作品を模倣するように。本物と寸分違わぬ複製を作り出す力。
マエストロはこの力を使う事に嫌悪感を示す大人ではない。現に黒服が助力を頼んだ時はそうでもなかった。
今回の件にマエストロが乗り気でない理由は、芸術家としての拘りである。
例えば宝剣。歴史的価値があり、芸術的な価値もある宝剣があるとする。
それを複製すること自体は、マエストロも吝かでない。寧ろ喜んでやるだろう。問題はその後だ。
ベアトリーチェがしようとしたのは、剣だからと。機能的な面だけを重んじ、それを剣として扱う事。
それは、本来の目的からはかけ離れた行為だ。そう出来る機能はあるが、そうあれかしと作られた訳ではない。それに込められた意味を理解すらしようとせず、機能だけにしか目を向けなかった。
それが、マエストロには我慢出来なかったのだろう。
「マダムの言い分としては、複製が失敗したと。そう考えているわけですね?」
黒服の確認に、マダムは大仰に頷いた。
「ええ、儀式としての再現は完璧でした。場所も、人も、タイミングも。失敗の要因は一つしかありません」
「そうですか。なら、マエストロ」
黒服の言葉に、マエストロは小さく身体を軋ませた。それが、返事だと黒服は受け止めた。
「あのユスティナ聖徒会。あれは、貴方の作品ですか?」
「……アレは、私の作品ではない。そうだと認める訳にいかない」
「ええ、あれは貴方の作品ではない。まさしく本物。そうでしょう?」
黒服の言葉にマエストロは頷いて、それを見たベアトリーチェが、不満を露わにする。
「どういう事です。本物である筈がありません。前提からして、変ではありませんか」
信じられない様子で、ベアトリーチェが扇子を勢いよく閉じた。
「そもそも、本物とは何です。ユスティナ聖徒会はとうの昔に消失した筈。だからこそ、状況を儀式で再現し、エデン条約を書き換え、複製したのです」
ベアトリーチェの言葉は正しい。ユスティナ聖徒会は、トリニティが誕生した後に消失した。その後身がシスターフッドとして、今も続いている。
だから、儀式で再現する必要があった。第一回公会議の場を再現、ロイヤルブラッドも併用し、戒律の守護者としてのユスティナ聖徒会を再現した。
しかし、それだけでは意味がない。戒律の守護者である面が強く出たユスティナ聖徒会は、命令しても動かない。
彼女らが動くのは、戒律が破られた。または、そうされそうな時だけだ。
だから、エデン条約を利用した。内容をアリウススクワッドがエデン条約機構として、トリニティとゲヘナに対処すると。
そうすれば、戒律の守護者は起動する。戒律を、書き換えられたエデン条約を遵守するために、トリニティとゲヘナに牙を剥く。
その機能だけを複製すれば、いつでも、どこでも、好きに振るえる無敵の兵力が誕生する。
しかし、そうはならなかった。そうであるのなら、何か原因がある。
「マエストロは失敗していなかった。そういう事です。勿論貴女もです。マダム」
「なら、この状況は何なのです。事実、ユスティナ聖徒会の複製が暴れているではありませんか」
「複製ではない。ベアトリーチェ。あれは、儀式で再現された本物なのだ。過去にかつてあった、本物のユスティナ聖徒会だ」
マエストロの発言は前提を覆すものだ。複製したのは本物が使い物にならないから。戒律の守護者というラベルの所為で、エデン条約機構の障害であるトリニティとゲヘナにしか使えない。
対象が限定されている。そんなものは無敵とは言えない。だから、機能だけを複製しようとしたが、出来なかった。
なのに、ユスティナ聖徒会はアリウスを襲った。そしてベアトリーチェも。複製されていないなら、そこまでのことは出来ない。その筈だった。
「そもそも、最初からおかしいのだ。条件を整えても戒律の守護者は現れなかった。つまり、儀式の条件はあの時点では満たされていなかった事になる」
マエストロが言う条件は三つ。場所と資格を持つ人間、そして状況。このどれかが満たされていなかった事になる。不機嫌そうだったベアトリーチェも、しっかりと耳を傾けていた。
「場所は間違いない。私が保証する。そして、資格たるロイヤルブラッドだが。これも間違いがない。残るは……」
「状況。エデン条約調印式。これが、条件を満たさなかったことになります」
「ありえません……ありえない……」
ベアトリーチェの言葉は震えていた。その感情は察して余りある。
「調印式は確かに開催されました。あれは確かにエデン条約の調印式だったはず……そうでなければ、ユスティナ聖徒会が出現することはあり得ない……」
「ええ、その認識で合っています。マダムのミスではない。そう言ったでしょう」
エデン条約調印式は本物だった。そうでなくては、ユスティナ聖徒会は端から現れない。となると、今の状況になったと考えられる可能性は一つだけだ。
「恐らく、エデン条約は先に調印されていたのでしょう。あの調印式は、後付けのパフォーマンスに過ぎなかった」
「最初に現れなかったのも当然だ。儀式の条件として、エデン条約は調印前でなければならなかった。最初から条件は満たされていなかったのだ」
儀式で再現するべきは、第一回公会議。条約が調印されているのならば、再現できていない。失敗するのも当然だった。
しかし、ベアトリーチェは納得できないようで、黒服とマエストロを睨みつけてくる。
「儀式が失敗だった。それは分かります。しかし、それなら何故、ユスティナ聖徒会が出現しているのです。失敗であるのなら、そもそも出現などしないはずです」
「お二人の計画した儀式が失敗しただけなのです。また別の形で儀式が行われたのですよ。マダム」
考えてもみてください。そうゴルコンダが口を開く。
「あの段階では、第一回公会議の場は再現されていました。場所と資格を持つ者の二点が。揃わなかったのは、状況です。条約は調印されていないという状況が揃わなかった。しかし、条約は調印されていたという状況は整っていた」
「思い出してください。マダム。そこで、アリウススクワッドは、ロイヤルブラッドは、何をしましたか?」
「それは、条約の書き換えを……」
ゴルコンダと黒服の誘導で、ベアトリーチェの顔色が変わっていく。自分の犯したことにようやく気がついたのだ。
「そう。既に調印されている条約に書き換えを行おうとした。第一回公会議が再現された場で、アリウスのロイヤルブラッドが。それが何を意味するか、マダム。貴女が一番ご存じのはずだ」
かつての第一回公会議で、アリウスは統合に反対した。殆ど決まっていた団結に罅を入れた。そして、弾圧された。
初めからそうと分かっている敵よりも、味方面をした敵が一番恐ろしい。そうなるのは当然の帰結。そしてここで大事なのは過程と結果。
アリウスは殆ど決まっていた条約を破綻させた。その結果、弾圧されて誰からも忘れ去られるまで、地下に潜るしかなかった。その過程と結果は、今回の物と殆ど酷似している。
「だから、ユスティナ聖徒会は起動したのです。目の前で戒律が破られようとしていたから。しかも、過去と同じ状況で。それは儀式の条件を満たしていると言えるのではないですか?」
だから、本物と言った。
あれは過去、アリウスを弾圧したユスティナ聖徒会だからだ。儀式で再現されてしまった本物。かつてあった過去の再現。
「アリウスのロイヤルブラッド。アリウスの生徒会長の血を持つ者が、第一回公会議を再現した場所で、条約を破綻させようとした。それゆえ、ユスティナ聖徒会はアリウススクワッドだけでなく、他の生徒やマダムをも襲撃したのです。今のアリウスを滅ぼすまで止まらないでしょう」
黒服の解説を聞いたベアトリーチェは何も言わなかった。中で色々な感情が渦巻いているのか、何かを押し殺した声で、小さく聞く。
「対処法は? なにかあるのでしょう?」
「一つは、逃げる事です。かつてアリウスが地下へ逃げたように。そうですね。キヴォトスの外まで行けば、追われることは無いでしょう」
「却下に決まっているでしょう……!」
ベアトリーチェからは当然の反応が返ってくる。尻尾を巻いて逃げろというのに等しい提案だからだろう。一番確実性が高いものから提案しているのだが、黒服の心遣いは伝わっていないらしい。
「二つ目の提案は、今の対処を続けることです。今襲われていないのは、ゴルコンダが別のテクスチャを被せてくれているからです。それを、ユスティナ聖徒会が沈静化するまで続ける方法です」
「沈静化するまでは、どのくらいの期間を想定しているのですか?」
「そうですね……ざっと十数年は固いでしょうか」
「ふざけているのですか!?」
ゴルコンダの答えにベアトリーチェが吠える。ゴルコンダはふざけているつもりはない。大いに真面目だ。実際この位の期間を置かなければならない。黒服は、ゴルコンダの答えに補足する。
「結果は兎も角として、儀式は成功しました。ならば、ユスティナ聖徒会が止まる条件も再現された過去と密接に関わっています。過去、アリウスの弾圧を止めた理由は、アリウスが表向きに姿を消したからです。誰も彼もが滅んだと確信するまでね」
「しかし、ロイヤルブラッドは……」
「ああ、ロイヤルブラッドはユスティナ聖徒会の血筋でもあると言う話ですか? 確かに、過去その縁で見逃されたからこそ、アリウスは今日まで存続できたのかもしれませんが。今回はそのような慈悲に期待しない方が良いでしょう。アリウスを滅ぼすまで止まりませんよ」
黒服はベアトリーチェの考えを切り捨てる。儀式で再現されたユスティナ聖徒会に、そんなものは無いからだ。あれは過去あったことを再現するだけの影法師なのだから。そんな黒服たちくらいしか知らない裏事情などを斟酌しない。
「十数年というのは、いささか長くとり過ぎかもしれませんが……少なくとも、今回の件に関わった人間が忘れるくらいの時間が必要です」
「……誰ですか?」
「何ですって?」
押し殺したベアトリーチェの声に、黒服は聞き返す。何か妙なことを口走った気がしたからだ。
「貴方が思う、関わった人間です。それらを消せば、待たなくて済むではありませんか」
「それは、あまりにも短絡的で、現実的でないと思いますが。幾らゴルコンダが手掛けたテクスチャとはいえ、そのような行為はユスティナ聖徒会が事前に察知するでしょう。あくまで、気づかれにくくするという効果しか期待できないのです。アリウススクワッドは使えませんよ」
「白洲アズサを使います。あれなら襲われていない。アリウスの危機とでも言えば、言う事を聞くでしょう」
ベアトリーチェの案に思考を裂く。確かに、白洲アズサは襲われていない。元アリウスの生徒で、スパイとして潜入したにも関わらずだ。儀式が行われた時、トリニティの所属だった影響だろう。そして、ベアトリーチェの言う通りに脅しに屈するかもしれない。
しかし、これには問題がある。
「マダムの案が上手くいったとしましょう。しかし、彼女の所属はトリニティです。今回の件はトリニティだけでなく、ゲヘナも関わっています。それに、先生も」
仮定として、白洲アズサが今回の件に関わった者を消すとしよう。トリニティだけなら上手くいくかもしれない。ヘイロー破壊爆弾は不意打ちで使えば彼我の戦力差などひっくり返せる。
しかし、シャーレは兎も角、ゲヘナには潜入できない。白洲アズサに掛かる負担が大きすぎる。
「そういえば、黒服。貴方、取引をしていたでしょう。貴方の子飼いの人間と」
黒服は、ベアトリーチェの言いたいことが分かって頭痛がしてきた。焦りという物は人をここまで愚かにさせるものらしい。
「私が彼に情報を漏らしたとでも言いたいわけですか。代わりに私が彼を処理しろと」
「そうでなければ、こんなことが出来るはずがないでしょう!? カヤツリとか言う子供を殺せば、それで片が付く。簡単な話ではないですか」
「頷けませんね」
ベアトリーチェの提案を、黒服はバッサリと切り捨てた。
「取引はしました。それは認めましょう。しかし、私が私情で、全てを教えたと思われるのは心外ですね」
黒服は契約書を呼び寄せると、ベアトリーチェへ渡す。契約書を確認するベアトリーチェの顔が歪んでいく。
契約書には全てが書いてある。取引の内容も、その条件もだ。ベアトリーチェの想像したようなことはまるで書いていない。
「私が彼に教えたのは、何故アリウスが誕生したのか。その経緯だけです。マダム。貴女の事や、儀式の詳細、貴女の計画。そのようなことは条件に入っていません」
「なら、この対価は何ですか……! その情報だけなら高すぎます。何か、別の情報を教えたに違いありません」
ベアトリーチェが言う金額を確認する。七桁ほどの数字が並んでいるが、黒服の記憶通りだ。
「その金額をつけたのは、その情報にそれだけの価値があるからです。確かに情報自体は、トリニティへ問い合わせれば手に入る程度の物でしかありません。禁書扱いですから、時間はかかるでしょうがね」
「ならば──」
「価値はその情報にありません。私が、その金額を提示した。そのことに意味があるのです。考えてもみてください。何故、彼はトリニティではなく、私に連絡をしたのか」
「それは、貴方が育てたからでしょう!」
「違います」
ベアトリーチェの答えは予想できるものだった。それに黒服は全くの不正解だと突きつける。
「彼は、トリニティと私を天秤にかけただけです。どちらがより信用できるかを吟味し、まず私からコンタクトを取った」
トリニティとゲヘナは仲が悪い。ゲヘナから問い合わせたところで、答えが帰って来ないか、出鱈目な回答が返ってくる可能性もある。カヤツリは、そんな轍を踏まない。そう教えたからだ。
「一応は問題ない情報とはいえ、計画進行中のものですからね。法外な値段を付けました。一括払いに限定しましたが……即決でしたよ」
「断ればよかったではありませんか!」
「そうすれば、今回のエデン条約に私が関わっていると知られます。だから言えないのだと、彼は判断するでしょう。私が言えない程の何かが動いているとね。安い価格であれば、その先を求めるでしょう。その交渉自体が余計な情報を与えかねません。必要最低限の情報で満足してもらうには、これしかないのです」
だから、黒服は法外な価格を付けた。そうすることで、この情報がこれだけ重要なのだと優良誤認させた。カヤツリは、それが正確性によるものだと取ったようだが、概ね黒服の目論見は成功していた。
「そもそも、何故、アリウスの事を知ったのです……!」
ベアトリーチェは、黒服が情報を漏らしたと思い込んでいるようだ。前回の会議で、ベアトリーチェの前で、先生のことを熱く語ったのが良くなかった。先生の敵対者であると自らを定義したベアトリーチェには、黒服がそういう人間に映ったのかもしれない。
けれど、今回の件は、ベアトリーチェの問題が無いとは言えない。特に、ゲヘナにアリウスの事が漏れたのは、明確に彼女の問題だ。
「それは、貴女の問題です。貴女が、あの場所を確定させるために、そう指示したのでしょう?」
アレは悪手だった。提案の矛盾点など、考えればすぐに分かる。
「彼は何も知りませんが、アリウスが調印式を、あの場所と状況で開催させたかったことは理解したのでしょう。しかし、条約は止められない所まで来ている。調印式も止められない。彼がとれる手は、ゲヘナの不利益を排除するために、事前に調印するしかなかった」
しかし、それがベアトリーチェには致命傷だった。よくもやってくれたという気持ちもあるが、不思議と怒りは湧いてこない。小気味いい敗北感があるだけだ。
「そして、私が手を回して殺害したとして。それはアリウスの仕業だと、周囲は判断するでしょう。アリウスの危険性が、より深く記憶に刻まれる。良い手段とはいえません」
ベアトリーチェは唇を噛んで黙った。反論はもう出てこない。しかし、納得できないのは一目でわかる。
「残る手段ですが、このまま儀式を決行する事です。この場合、時間との勝負になります」
ベアトリーチェの目的は儀式を完遂すること。今回のユスティナ聖徒会の入手は本題ではない。だから、まだ彼女の野望が終わったわけでは無い。
「貴女の望みは、先生の敵対者になること。救世主の敵対者、反救世主にね。今なら、まだ実行できる範囲です」
ベアトリーチェの目的は反救世主になる事。反救世主として、救世主を打ち倒し、その座を奪い取ること。だが、それには手順がとても多い。
「まずは、先生への宣戦布告ですね。この場合は、アリウスの生徒を使えばいいでしょう」
最初の手順としては、先生への宣戦布告だ。反救世主は、救世主がいなければ成り立たない。存在の認知から始めなければいけない。
「次に、ロイヤルブラッドです。彼女を使用し儀式を行う必要があります。一番の問題点はここです。儀式の都合上、ゴルコンダのテクスチャは使用できません。直ぐにユスティナ聖徒会が雪崩れ込んでくるでしょう」
ベアトリーチェが、ここまでロイヤルブラッドを大切にしてきた理由は単純だ。絶対に必要だからだ。
アリウスとトリニティに伝わる経典に黙示録という章がある。マダムの儀式は、これをなぞるものだ。ポルタパシスに篭って何かしていたのも、このためだろうと黒服は踏んでいる。
ベアトリーチェはアリウスの生徒会長を名乗っている。名乗っているだけで、実際にはそうではない。神秘を持たないベアトリーチェには、その資格がない。
だから、ロイヤルブラッドを使用する。かつての生徒会長の血ならば申し分ない。それを儀式で継承する必要があった。
アリウスには黙示録の天使たちが存在するという。アリウススクワッドが四人なのもベアトリーチェが選んだからだ。そして、そんな学園の生徒会長が負う象徴など一つだけだ。
数百年の間守られていた掟。ポルタパシスの封印は解かれ、四騎士は解き放たれた。そして、天災は今起こっている。このままいけば、最後の喇叭も吹き鳴らされる。そして、最後は地下から竜と獣が現れる。そして、竜は自分の力と王座と大きな権威とを与えるのだ。
今更ながら思うが、ベアトリーチェという名はとんでもない皮肉である。けれど、黒服はその考えを頭から消して、ベアトリーチェへと尋ねた。
「マダム。貴女が、反救世主になるのが先か。ユスティナ聖徒会が全てを滅ぼすのが先か。そんな無謀な賭けになりますが。如何しますか? 私は、おすすめはしませんがね」