ホシノ同級生相棒概念 作:洞鼬
静かだった。
ナギサの居るこの部屋は、シンと静まり返っている。
まだ始業までには時間があって、窓からは明るい日差しが射している。丸いテーブルの上には、ナギサの用意した朝食と温かい紅茶が湯気を立てていた。
今日の予定であれば、もうすぐ何人かが来るはずで。量はいつもの通りに少し多めだった。
いつもの朝食、いつもの紅茶。天気は相変わらずの青空。それなのに、ナギサの気分は沈んでいて、部屋は一段と暗く感じられた。
理由は簡単だ。数日前、ナギサは友人を亡くしたからだ。
百合園セイアと兎馬カヤツリ、二人は昨夜亡くなった。
だから、この部屋はこんなに暗くて静かなのだ。この部屋に来ていた人間が誰も居なくなったから。もう、当たり前にあったあの空間は二度と戻っては来ないから。
その事実が、ナギサを押し潰す。そのせいか、口の中では何の味もしない。鼻も詰まっている訳ではないのに、何の匂いもしない。
「夢だったら……」
溢れたナギサの願望は、ただ宙へと消えていく。
あの夜は大騒ぎだった。今は使われていない部室棟と寮から出火したのだから。
そこはカヤツリの自室とセイアの部屋だとすぐに分かった。そこで現場に向かったナギサが見たものは、想像だにしないものだった。
カヤツリの住む屋根裏部屋は、何も残っていなかった。比喩ではなく文字通りに何もだ。何か爆弾らしきものが爆発したという報告に、反射的に頷くだけだったのを覚えている。
廊下も酷いものだった。弾痕の残る壁に、粉砕されたドアや床。まるで台風が暴れ回った後でしかない。
セイアの部屋も同様で、原形を留めていない程に破壊されていた。
──……手遅れでした。
そんな言葉がナギサの中に浮かび上がる。それと同時に、救護騎士団の制服を着た人間の姿も。
蒼森ミネ。救護騎士団長の彼女が、感情を出来るだけ廃した声で、そうナギサだけにと告げたのだ。
誰が、何て聞くまでもない。二人のことだ。
役職柄か、ミネは普段と変わりない様に見えたが、きっと耐えていただけなのだろう。今思えば、どこか態度も固かった。
救護騎士団が二人の遺体を回収したあの日から、彼女は表に出て来ないと聞いている。助けられなかった事を悔いているに違いなかった。彼女は救護の事しか頭に無いから。
それを誰と誰の会話から聞いたのか、その事を思い出してナギサは呻く。
「ごめんなさい……セイアさん、カヤツリさん」
二人の死は、無かった事になっている。今回の事故の怪我で療養中と真っ赤な嘘を公表した。
今のトリニティで死人が出た。それもティーパーティーから。そんな事実を公表することは出来ない。瞬く間にトリニティは混乱に陥るから。今ですら、至る所で軋む音が聞こえるのに。そんなことは出来ない。
ナギサは酷い人間だ。組織の都合を優先した。死をなかったことにした。自分に良くしてくれた人間に対してする仕打ちでは無い。
「ミカさん……」
同じ様な状態だろう幼馴染の事を思う。最近のミカは酷い顔だった。ナギサですら一度も見た事がない顔。あれが、絶望という表情なのかもしれない。
当然だ。友人が死んだのだから。ミカはあの二人の事を応援していたし、楽しんでいた様にも思う。
「……理由は、エデン条約でしょうか……お二人はどう思いますか? ……ああ、もう居ないんでしたね……」
理由は考えるまでもない。ティーパーティーのホストと腹心を狙った襲撃だ。二人が抱えていた一番の仕事などそれしかない。
なら、襲撃はまだ続くだろう。二人が居なくなったからといって、止まるものでもない。その仕事を誰かが引き継がなくてはならない。その人間がまた狙われるのは想像に難くない。
今の状態のミカでは無理だ。そうでなくとも向いていない。なら、答えは一つだ。ナギサがやるしかない。
「私が、ミカさんを守らなければ……!」
ナギサの中に決意が満ちる。それともう一つの物も。
「許しません……絶対に見つけ出して見せます……!」
暗く澱んだ良くない物が、ナギサの心を覆う。犯人を見つけた後、どうするのか。今はまだ分からない。でも、この衝動がするべき事をしてくれるだろう。そんな確信はあった。
犯人は誰だろう? 複数犯だろうか? それとも単独? 黒幕は誰だろう? シスターフッドか? 正義実現委員会? それとも、ティーパーティーの中に?
その事を考えれば考えるほど、ナギサの心が軽くなっていく。さっきまでの沈んだ心は、もうどこにもなかった。
それが、良くない事。無理をしているに過ぎない事は分かっていた。自分の心が悲鳴を上げていて、ミカの様に休息が必要であることも。
ただ、それが、怒りと復讐心が麻酔の様に効いているだけだとしても、全てが終わった時に自分が今のままではいられないのだとしても、もうナギサはそれで構わなかった。
□
「ごめん……ごめんなさい……セイアちゃん……カヤツリ君……」
ミカは自分の部屋で、ただ泣き噦っていた。今のミカにはこれしか出来ない。後悔と罪悪感が、ミカを押し潰そうとドンドン膨れ上がってくる。
──二人が襲撃された。
その報せが飛び込んで来た時には、まだミカは平気だった。余裕すらあったかもしれない。何せ自分が仕組んだのだから。
──二人が怪我をして療養中。
それを聞いた時も、どんな風に揶揄ってやろうか何て考えていた。どうせ、それは口実で。二人はそれらしいことをしているとすら思っていた。
でも、そんな想像。ミカが思い描いていた幸せな未来は、アリウスからの話を聞いた瞬間に砕け散った。
──生きてはいないだろう。
死んだと。アリウスは言った。そこまではいかなくとも無事ではないと。
当然、ミカは怒った。話が違うからだ。ミカが頼んだのは狂言であって、実際にしろと言ったわけではない。
──話が違う? 私たちを騙したのは、そっちだろう?
アリウスは申し訳なさそうにするどころか怒っていた。ミカの言ったカヤツリの情報は全くの間違いだったと。
誘導どころか、アリウスを殺しに来たと。
そこまで聞いて、ミカは頭が真っ白になった。カヤツリがそこまでした理由に思い至ってしまったから。
アリウスは、最初にセイアを襲撃した。その直後に、カヤツリを襲撃し誘導する。そういう手筈だった。
そうでもしなければ、カヤツリは駆けつけないと思っていた。いつも、ミカの提案を冷たい理論で退けるから。効率的だからと、セイアを放って他の人ばかり相手にするから。
だから、誘導しない限りは逃げ出すと思っていた。逃げて応援を呼ぼうとすると。
でも、そうしなかった。自室の襲撃を振り切って、セイアの所まで突撃した。そこでカヤツリは暴れ回ったのだろう。これが狂言などとは知らないから。
そこで、事故が起こった。アリウスの口調からして、アリウスも犠牲が出たのかもしれない。
ミカは、どうアリウスに応対したのかは覚えていない。気づけば電話は切れていて、部屋がめちゃくちゃになっていた。
もう、ずっとこうしている。朝か夜かも分からないまま、締め切った部屋で泣くばかり。
だって二人を殺したのはミカだからだ。余計な気回しをして、二人を死に追いやった。
自分が何かを言って、セイアが溜め息と嫌味を飛ばして。納得しない自分へカヤツリがバカだのアヒルだの言って、それをナギサが嗜める。あの空間が好きだった。ずっと続くものだと思っていた。
何の疑問もなく、当然のように訪れたはずの未来はもうない。
ミカが台無しにした。欲張って、余計なことをして、金のガチョウの腹を割いたように全てが無くなった。
「ごめん……ごめんなさい……」
幾ら謝ったところで無駄だ。二人は居ない。何も話さない。恨み言すら言ってはくれない。ただ、ミカの中でぽっかりと空いた空白が残るのみ。
何かしなければならないのに、どうすれば良いのか分からない。
──だから、お前は甘ちゃんなんだよ。いつか、しっぺ返しが来ないといいな?
いつかに言われた言葉を思い出して、ミカは笑った。
「フフフ……カヤツリ君の言う通りだったね……私はバカだったよ……本当に」
こんな時ですら、ミカは結局カヤツリに頼るのだ。あまりの情けなさに涙が出て来る。
「今更、バカみたい。もう二人には何もできないし、意味なんてないのに……意味……?」
ミカは自分で言った言葉を反芻する。意味は無い。二人はもういない。もう謝って許してもらう事はできない。
でも、無駄にしない事は出来るのではないのか? 二人がやろうとしたことを、ミカがどうにかできれば。そう出来れば、二人の死に意味が与えられるのではないのか?
「そんな事出来るわけ……いや、そんなことないかも……」
多分、生まれて初めて。ミカは誰かを利用するために、傷つけるために思考を回した。考え方は知っている。カヤツリが目の前で見せていたことの真似をすればいい。
流れは今のままでいい。アリウスを引き込んでしまえば何にでもなる。アリウスは騙されたと思っているが、ミカは秘策があった。
こう囁けばいい。今までの犠牲を無駄にするのかと。失ったものは取り戻したい。無意味だったと、無駄だったと思いたくない。奇しくも、ミカの状況と同じで、何を欲しているかも手に取るように分かる。
「ナギちゃんと他のは……どうとでもなるよね。私がホストになっちゃえば、何もできない」
外野が出すのは口だけだ。それをミカはよく知っている。自分に危機が迫らない限り、自分からは決して動きはしないのだ。だって、今がまさにそうだ。
ティーパーティのホストが腹心と長期療養。このタイミングでの戦線離脱など、きな臭いにも程がある。ミカもそう思うくらいなのだから、他の組織だってそう思っている。
なのに、トリニティはいつも通りだ。二人が居なくても、世界はいつも通りに回っている。
反抗してきたとしても、すり潰せばいい。協力されれば話は別だが、絶対に出来るはずがない。
エデン条約というトリニティ全体の問題ですら、彼女たちは協力することはできなかった。ただ、自分たちの意見と要求を鸚鵡のように繰り返すだけ。カヤツリが駆けずり回ってようやく意見のすり合わせが出来た。カヤツリが居ないのなら、そんなことはもうできない。
「できるかもしれない……いや、できる。そうだよ……私が、やるんだ。やらなきゃいけないんだ。エデン条約を止めるんだ……!」
ミカは座り込んでいた床から立ち上がる。もう迷いはない。もう後悔はない。二人の血で染められたこの道を行くだけだ。ミカには、こうする事しかできない。
だって、それを止めてくれた人たちは、もうこの世界のどこにも居はしないのだから。
□
「黒服!!」
けたたましい声と共に、勢いよく開く扉。静かなオフィスを揺るがす足音。それが誰の所為なのか分かったうえで、黒服は怒り心頭でやって来た人物をいつも通りに迎えた。
「……マダム。そんなに血相を変えて、一体どうしたのですか?」
「私を謀ったでしょう!? そんなにあのガキが可愛いのですか!?」
あんまりにもあんまりな言いがかりに、流石の黒服も閉口する。ベアトリーチェは、そんな黒服の様子にも気づいていないのか、大声で黒服を責め立てた。
「ロイヤルブラッドには防護策を施してあると。確かに私は聞きました! 貴方の所為で、私の計画が破綻したではないですか!」
「マダム」
静かな黒服の声に、ようやくベアトリーチェは喧しい口を閉じた。
「私は契約は必ず守る主義です。貴女はそれをよく知っているはずでしょう? 貴女の依頼通りに、ロイヤルブラッドの装備品には一級の防御策、無名の司祭の技術を施してあります」
「しかし、なら、あの惨状は一体何なのですか! ヘイロー破壊爆弾は対象外だとでも!?」
「……状況が良く分かりませんね。説明していただけますか? マダム」
黒服は事態を把握していない。今までのベアトリーチェの言動から、おおよその予想は付くが。正確な情報を得られるのであればその方が良い。なにしろ、黒服は今忙しいのだ。
「……先日、アリウススクワッドによる急襲作戦が実行されました」
「ええ、存じていますよ。貴女の趣味に口出しをするほど野暮ではありません。彼とは関係が切れています。私の許可などは必要ありませんよ」
「……」
黒服としては、特に含むところはない。カヤツリとの関係は契約満了と共に切れている。ベアトリーチェが、カヤツリに対して手を出すことには何の異論もない。
そのことを伝えたにもかかわらず、ベアトリーチェの機嫌は悪そうだった。
「聖園ミカの依頼に乗り、事故という形で百合園セイアを殺害。同時に彼も殺害する。それが貴女の書いた絵図ではないのですか?」
「ええ、予言の大天使は不確定要素です。それに貴方の薫陶を受けた兎馬カヤツリも。計画の成功の為には消しておくに限ります」
黒服はただ頷く。預言の大天使の未来視は無法が過ぎる。幾らベアトリーチェが警戒しようと、それらをすり抜けて未来という情報を取得される。それとカヤツリが組めば、大概の物事は妨害できるだろう。ベアトリーチェの考えは間違ってはいない。
「想定外の事態が起こりました……何なのですか? あの戦闘力は……」
「彼はセトですよ? ホルスに負け、自身の領地でないトリニティとはいえ、神の走狗に劣るはずがないでしょう?」
「私が言っているのは、背景の話ではありません! 戦闘技術の事です!」
「ああ、カイザー仕込みのですね」
カイザーと聞いて、ベアトリーチェは呆気にとられた様子だ。すぐさま、烈火のごとくに怒りだす。
「大企業の兵隊如きが、私のアリウススクワッドに勝る?」
「一部分では勝りますよ? 彼らは純粋な戦闘力では生徒に劣る。故に、効果的な攻撃方法や戦術を編み出した。そう出来たからこそ、彼らはキヴォトスで大企業足りえるのです」
相手の弱点を突く、弱者故の戦法だ。カイザーPMCは生徒相手の長年の戦闘経験により、必勝法をいくつか保有している。カヤツリはそのうちの一つを使用しているだけだ。
生徒の戦闘能力で特筆すべきものは身体の耐久性の高さ。同じ距離でよーいドンで銃撃戦をするのなら、耐久が高い方がダメージレースには優位である。その差を少しでも埋めるために、数で優位に立つのは前提条件だったりする。
そして、カイザーPMCでも生徒と渡り合える数少ない分野がある。それは腕力。例外は勿論あるが、いい勝負に持ち込むことが出来る。
生徒の耐久性は不思議なモノで、銃弾や爆弾には驚異的な耐久性を発揮するが、そうでないモノもある。包丁や注射器などの事故、そして殴打や拘束などの物理攻撃。
恐らくはキヴォトス全域を覆うテクスチャが関連していると黒服は睨んでいる。生徒同士での殴り合いなどは、実に学園らしいから。
「対生徒の戦略を、生徒である彼が使うのですよ? 知っているならいざ知らず、知らないのなら、良いようにされるだけです」
早い話、腕力が卓越しているカヤツリは腕力に物を言わせた方が効率的なのだ。だからこそ、それ以上の事態の為にレールガンを製作したのだから。
「もう、優劣の話はお終いにしませんか? 本題に入りましょう」
「……兎馬カヤツリとの戦闘で、ロイヤルブラッドがヘイロー破壊爆弾に巻き込まれました」
「なるほど……」
黒服の想定した答えが返ってきて、黒服は安堵する。ベアトリーチェの態度も納得がいく。
ベアトリーチェの計画には、生きているロイヤルブラッドが必要不可欠。それが死亡したともなれば、こうもなるだろう。
「マダム。貴女は私が仕事に手を抜いた。もしくは、彼可愛さに防御策を発動させなかった。そう考えたわけですね……私も貴女に積極的に関わったわけではありませんが、そういった嫌疑をかけられるとは思いませんでした」
「しかし、結果が物語っているではありませんか!」
ベアトリーチェが気炎を上げるが、黒服はそれを冷たい目で見るだけだ。
「ええ、確かに。ロイヤルブラッドと彼の死体は見つかっていません。それがおかしいのですよ」
「ヘイローが破壊されれば、生徒は死ぬ。その状態で爆発に巻き込まれれば、跡形も残りません」
「ですから、それがおかしいのです」
冷静に黒服は事実を述べる。
「ヘイロー破壊爆弾の実地検証はこれが初です。ヘイローが破壊されたから死に至るのか。死に至ったからヘイローが破壊されるのかは定かではありません。よって、死体の耐久性が生前と同様かは判断できません。しかし、ヘイロー破壊爆弾の威力はハッキリしている」
黒服はある程度の大きさまで手を広げた。
「ヘイロー破壊爆弾のサイズはこれくらいですか。ヘイロー破壊爆弾は、その名の通りにヘイローの破壊に特化した概念攻撃です。ゴルコンダによって、ヘイローを破壊するというテクストが込められたもの。爆発の威力でヘイローを破壊するのではありません。爆発の威力自体は、通常の爆弾と同等か、それ以下でしかありません」
そこまで言って、ようやくベアトリーチェの顔に理解の色が広がり始める。
「死体が残っていない事が不自然なのです。死体の耐久性がどうかは不明ですが、最悪腕や足の一本くらいは残る計算です。それに遺留物も無いのでしょう?」
「防御策は機能していた……?」
「そういう事になりますね。それが何の偶然か、それとも必然か。彼の命をも救った」
ロイヤルブラッドの防御策は正常に機能した。恐らく、反射的に盾代わりにしたのだろう。実際は代わりどころではなく、文字通りの盾として機能したのだが。
「……些か動転していたようです。先ほどの発言は取り下げます」
「それは喜ばしい限りです。しかし、肝心なことを忘れているようですね」
ベアトリーチェは安心したのか、黒服に謝罪までした。だが、黒服の言葉でその安心が吹き飛んだ様子だった。
「何故、ロイヤルブラッドは帰還しないのか。彼に捕まっているからでしょうね」
「黒服!!」
黒服の軽い一言に、ベアトリーチェの怒りが爆発した。最初に逆戻りだ。ベアトリーチェは最初の勢いのままに、黒服を怒鳴る。
「兎馬カヤツリはどこです! 知っているのでしょう!」
「知りません。関係は切れていると、先ほども伝えたでしょう。私には予測くらいしかできませんよ」
「なら、何処に居るのです!」
「地下ですよ。キヴォトスの裏社会と言った方が良いでしょうか」
それは黒服とカヤツリには当然の帰結でしかないが、ベアトリーチェはそうではない。今も怒鳴ろうと口が大きく開かれている。
「彼からしたら、突然襲撃されたのですよ? その理由を探るに決まっているでしょう。誰が敵かもわからないのですから、トリニティから離れて、誰の手も届かない場所に退避したのです」
カヤツリからしたら、寝耳に水の状況である。安全確保のために地下に潜るのは定石だ。生徒からは、まず手を出せない。カイザー理事に着いて回ったのだから、キヴォトスの裏社会に溶け込むくらいは出来る。
「あの世界は様々な利権が絡み合っています。力押しは効きません。慣れていないマダムには荷が重いでしょう。私も今は忙しいので手は貸せません。幾つかの入り口はピックアップしますから、アリウススクワッドに地道に探させるのが一番でしょう」
黒服はしれっと告げる。嘘は言っていない。本当のことも言っていないが。
確かに、カヤツリの居場所は分からない。最終的にやってくる場所は分かっているが、それをマダムに言えば面倒なことになる事は分かり切っていた。
黒服の計画は大詰めに近づいている。アビドスはカイザーの計略で兵糧攻めを仕掛けられている状況。このままであれば、小鳥遊ホシノが黒服の提案に頷くのは時間の問題だ。
しかし、マダムにカヤツリの最終目的地を伝えれば黒服の障害になりかねない。考えたくもないが、幾つかのパターンが容易に想像出来る。黒服は大人だが、先ほどの暴言も少し腹に据えかねる物もあった。
「急いだほうが良いと思いますよ? 彼は唯一の手掛かりであるロイヤルブラッドに尋問するでしょう。命を狙われたとあっては、彼も手加減はしません。彼にとっては情報という缶詰の中身が重要であって、ロイヤルブラッドという缶は重要ではありません。情報は口さえ無事であれば十分ですからね。それはマダム。貴女が一番よく分かっているでしょう?」
「待ちなさい……まさか、いつかの取り引きは……」
ベアトリーチェの顔が青ざめる。きっと、かつての取り引きの対価を思い出したに違いなかった。カイザーが求め、物のついでにとカヤツリも読み込んだ物。ベアトリーチェ謹製の対生徒尋問マニュアル。
「彼の缶切りの腕前は知りませんが、彼は発想力はあります。缶切りがなくても何とかするでしょう。最低でも、棒が二本あれば事足りますからね」
それを聞いた瞬間、挨拶もそこそこに、ベアトリーチェはオフィスから姿を消した。
「少しばかり、脅し過ぎましたか……まぁいいでしょう」
静かになったオフィスで、ゆっくりと黒服は椅子へと座り直す。やっと戻ってきた静けさが、ささくれ立った黒服の気分を癒していく。
そのせいか、自然に言葉が舌に乗る。
「時間稼ぎの方をよろしくお願いしますよ。カヤツリ君。その代わりに、ちゃんと私はここで待っていますから」
そう、黒服は満足そうに呟いた。