ホシノ同級生相棒概念 作:洞鼬
「うわぁん! もう終わりです!」
そんなヒヨリの泣き声に、サオリは頭を悩ませていた。
助けを求めるようにミサキを見ても、同じように困った視線を向けるだけ。サオリの手の無線機からも返事はない。
二人とも手がない事を察して、ヒヨリの泣き声が、心なしか大きくなった。
グワングワンとヒヨリの泣き声がサオリの頭を揺らして。どうして、こんな事になってしまったのか。サオリは頭を悩ませる。
──良いですか。ロイヤルブラッドは生きています。
始まりはマダムの言葉だった。その吉報はアツコが死んでしまったと思っていたサオリ達を元気づけてくれた。
──ロイヤルブラッドの護衛という、本来のあなた達の役目を果たしなさい。
だから、続けてのマダムの言葉にも今までにないくらいの意気込みで頷くことができた。
アツコを攫ったのは、サオリたちを叩きのめしたカヤツリとかいうあの男らしい。アツコがどんな目に遭っているかなど、想像に難くなくて、サオリ達は意気揚々とアリウスを経つ。
そして、候補地の一つ。トリニティ付近のブラックマーケットまでやって来た。
ここまでは良かったのだ。ここまでは。
「どうするんですか!? もう殆どお金がありません! 姫ちゃんを追う事なんて到底無理です! 私たちは見知らぬ土地で、誰にも知られずに干からびていくしかないんです!」
ヒヨリの泣き声で、只でさえ軽い財布が更に軽くなったようで。サオリのどうしようもなさが加速する。
そう、サオリたちが直面している問題は金欠だった。
マダムが何も渡さなかった。そんな訳はない。流石のマダムも今までで一番の物資と金銭を渡してはくれた。恐らくは、一ヶ月は食い繋げるだけの物を。
だが、サオリ達はその金銭をたった数日で使い切ってしまったのだ。
ここブラックマーケットに来て、サオリたちがやった事はアツコの捜索だ。けれど、闇雲に探しても見つからない事は分かる。それはマダムも承知なのか、しっかりと指示があった。
──まずはブラックマーケットの集会所へ向かうのです。そこで情報を手に入れなさい。情報屋というのが居るようです。
サオリたちは言う通りにした。薄暗く不気味な路地裏を抜け、数時間掛けてたどり着く事が出来た。
情報も、直ぐに集まった。アツコらしき人間を担いだ男が入ったホテルも、そこで男の目的地も判明した。
「まさか、騙されるなんてね」
ミサキの諦めたような言葉に、サオリの胃がギリギリ捻じれた。
サオリ達の目の前にはゴミの山がある。正確にはスクラップ同然の車と、廃棄寸前のゴミ。
これは、サオリ達の選択の結果だ。これはアビドス砂漠の縦断の為の装備。その筈だったのに。どう見たって、砂漠とやらを渡れるとは思えない。ここから動くのかすら怪しい。
そもそもの原因は、カヤツリの行き先だった。
──その人間の行き先? 知ってはいる。ここから先は料金が発生するぞ。
マダムの言ったパグの獣人。その情報屋は優秀だった。サオリ達には相場は分からないものの、金を出せばしっかり教えてくれたのだ。
──ふむ、確かに。あー、確かアビドス砂漠を縦断するとか。アビドスに住んで居たとでもなければ正気の沙汰とは思えないが。
襲撃時にマダムが用意した資料では、カヤツリはアビドス出身らしい。恐らくは、アビドス砂漠でサオリ達を撒くか時間稼ぎをするつもりだと踏んだ。
──アビドス砂漠を縦断する? 正気か? ……するんだったら、それなりの覚悟と準備は必要だ。その格好で行ったら、干からびて死んじまうよ。それに此処じゃそんな装備は揃わない。需要がないからな。アビドスのブラックマーケットならあるだろうが。
ここでサオリ達は壁にぶつかった。金はあるが、物が無い。無いものは買えない。買える場所は目的地という本末転倒具合にはどうしようもない。
情報屋の元から離れて、困り果てたサオリ達へ、甘い言葉が囁かれた。
──お困りのようですね?
それは猫の獣人。ニコニコと、揉み手をしてサオリ達へと近づいて来た。
──ありますよ。お嬢様方の求める装備。
そして、その大人は言うのだ。代金を頂ければご用意しますと。
困っていたサオリ達は一も二もなく飛びついて、その大人の言う通りに売買契約書にサインをした。してしまった。
そして、それと引き換えに残されたのがこのゴミの山。
結局の所、サオリ達は騙されて、金を持ち逃げされたのだ。
──しかし、納得されてサインされたんですよね? ここにありますよ? 商品の状態に依らず、契約の破棄は認めないとね?
その大人を探し出して問い詰めた時の、此方をせせら笑うあの顔!
けむくじゃらの指でトントンと叩かれた、小さく書かれている特記事項が恨めしかった。今も怒りが消えない。
その場で殴り掛かろうにも、場所が場所だ。集会所の中では大量のマーケットガードが屯している。きっとサオリ達の味方はしてくれない。そして負けない自信はあっても、アツコを追いかける手段がない事には変わりがない。
ブラックマーケット内で騒ぎを起こした人間に、マトモな取り引きをしてはくれないのは分かり切っていた。
だから、サオリ達は退くしか無かった。未だに、無線機も何の返事を返さない。
「そういえば、マダムは何て?」
「……繋がらん。恐らくは立ち入り禁止区域にいるのだろう。あそこは電波が届かない」
繋がった所で、激しい叱責が飛んでくるだけだろう。今、ここで足踏みしている間にも、アツコは酷い目に遭っているはず。どうして、しっかりと読まなかったのか。
後悔してももう遅いのだが、サオリは自分を責める事しか出来なかった。
「リーダー。あの情報屋、最後に変な事言ってなかった?」
ふと、思い出したかの様なミサキの言葉にサオリは記憶を探る。
「確か、目立ってるとか……そう言ってませんでしたっけ?」
ヒヨリの言葉を思い出せば、確かに言っていた様な気もする。そこまで聞いて漸く、サオリは記憶からそれらしい物を探り当てた。
──金払いの良いお嬢様方。稼がせて貰った礼に最後の忠告だが、あんたら目立ってるぜ。
「ああ、確かに言っていたな」
「……やけにさ。あの猫、声をかけてくるのが早くなかった?」
確かに早かった様に思う。情報屋から情報を聞いて、しばらく経ってからだ。そこまで言われれば、サオリにもミサキの言わんとする所は知れる。
「あの猫に、情報屋が情報を売ったという事か?」
「そう。初めからグルだったんじゃないの? アイツら」
「グルですか?」
「話運びで、アビドス砂漠の縦断には、装備が必要な様に誘導したんじゃ無いかってこと」
ヒヨリに答えるミサキの想像は、筋が通る様に思う。それなら、何とかなるかもしれない。
こうして騙すのがブラックマーケット流だというのなら、サオリ達はアリウス流でいくだけだ。
情報屋の居場所は知っている。恐らく今日も同じ場所にいるだろう。サオリ達は銃を構えて頷き合う。
契約書の相手からは取り返せない。なら、その仲間から取り返せばいい。
何だか腹が立つ。冷たい何かが、熱い何かが、サオリの胸の奥から湧き上がってくる。初めての感情だが、それが今は心地よかった。
となれば、行動あるのみ。三人は行動を開始した。
情報屋が居るのは集会所。正面からはマーケットガードに阻まれる。なら、一人で人気の無い場所に行って貰う必要がある。そして、その場所は生きているなら誰でも行く場所だ。
だから、その場所にサオリ達は身を潜めて待つ。
「ふぃー、今日も上々ぉ……」
聞き覚えのある声が、木の板一枚向こうから聞こえた。情報屋の声だ。
水音の後に、ゴソゴソと何かを引き上げる音。それが終わるか終わらないかの間。
「な!?」
飛び出したサオリは自身が潜むトイレの個室へと、情報屋を引きずり込んだ。
「聞きたい事がある。答えろ」
「……なんだ。さっきの嬢さんか。お前さん、自分たちが何をやっているのか分かっているのかい?」
汚い床に引きずり落とされて、目を白黒させている情報屋へ銃を突きつけ、サオリは問い詰める。しかし、情報屋もさるもので、ガスマスクを被った襲撃者の正体を看破したらしい。逆にサオリを脅してくる。
「幾ら人気が無いとは言え、誰か来る。俺を脅してどうする? 外には俺の護衛が居る。それに、お前さんたちの欲しい情報は料金の範囲内で教えたはずだがね」
しかし、サオリは恐れない。それくらいの対策はした。
「人は来ない。だろう? 二人とも」
「うん。掃除の看板を立ててきた」
「へへ、護衛の処理も簡単でした」
気絶したロボットの護衛を、それぞれ二人が引き摺ってきたのを見て、情報屋の表情が曇る。
「何が聞きたい。アビドス砂漠の越え方か? 嘘は言ってないぜ」
「違う」
ため息をついた情報屋の質問にサオリは否定で返した。
「私たちから騙し取った金を返して貰う」
「あ? 何を言って……ははぁ、そういう事か……そんで、此処へ来た訳か? 態々俺を待ち伏せして? バカな子供だな」
銃を突きつけられている情報屋は、もう全く動じてなどいなかった。さっきまでの怯えはどこへやらだ。豹変した情報屋にサオリは身構える。
「あれだろう? あのクソ猫と俺がグルだと思ったってことだろ? んな訳があるかよ」
「じゃあ、あの猫はなんだ? タイミングが良すぎただろう?」
「おいおい、本気で言ってんのか? おい? マジかよ? ククク……」
サオリの詰問に、情報屋は笑いをかみ殺していた。その証拠に肩が震えている。
「お前さんたち。外から来ただろう? しかも初心者だ。あんな大金を見せびらかしちゃいけねぇよ。直ぐに慣れてないってバレちまうからな」
「あの猫は、それで寄ってきたと?」
「そうだ。俺は巻き込まれたくなかった。だから、警告してやったのさ。目立ってるってな。お前さんたちは全くそれを生かせなかったようだが」
「だが、本当の事を言っている保証もない」
マズイことになったかもしれない。そんな思考がサオリを支配する。だが、まだ可能性はある。情報屋が命惜しさに嘘を吐いている可能性だ。
「俺が嘘を吐く理由もないんだぜ。あのクソ猫と組んで、俺に何のメリットがあるんだ? よく考えてもみろよ。俺から情報を買った奴ばかりが騙されるなんて、俺の信用問題に関わる。毎回、お前さんたちの様な世間知らずが来るわけじゃない。ああ、それと俺の荷物を漁ってる嬢ちゃん。そうアンタだ」
びくりとヒヨリが震えた。どうにも先んじて、情報屋から奪われた分の資金を回収しようとしたらしい。ヒヨリの手には財布があり、中には金が入っているようだ。だが、硬貨しか入っていない。
「見たことないコインだろう? それはな、ブラックマーケットでしか使えない通貨さ。お嬢ちゃんの持つそれ一つで百万近い値がある」
「え……」
「まあ、お前さんが換金できるとも、使えるとも思えんがね」
ヒヨリの声が輝くが、それを情報屋は嘲った。
「それを現金へと換金する意味がない。その硬貨は取引を円滑にするための物。一々札束を持ち歩くのが面倒だから作られた。これを現金へ換金するというのは、このブラックマーケットで全てを完結させるなら意味の無い行為なのさ。そして、それを奪っても誰も取引はしない。それはお前さんたちには過ぎた代物だからだ。怪しすぎる。それに今頃、お前さんたちの金も換金されてるんじゃないか?」
ガスマスクを被っているのに、ヒヨリがまた泣きだしそうになっているのが分かる。情報屋はそれに追い打ちをかけてくる始末だ。
もう、情報屋の話が真実かどうかなどは問題では無かった。サオリたちの求める物はここにはないからだ。ただ、情報屋を集会所の中で襲ったというリスクだけを背負い込むことになってしまった。
「逃げられねぇぞ」
サオリの思考を先回りするように、情報屋は言う。
「ここからは逃げられるだろうが、ブラックマーケットからは難しい。よしんば逃げ切れたとして、お前さんたちが求める男の手がかりはここだけだ。お前さんたちとは違って、随分とここに慣れているようだしな」
「リーダー……」
二人の不安そうな視線がサオリを貫いた。サオリだって同じ視線を誰かへ向けたいくらいだ。でも、そんなことはできないのだ。そんな人間は居ないし、二人にとってのそれがサオリなのだから。
──どうすればいい。どうすればいい? どうすればいい!?
サオリの頭の中はパニックだ。情報屋から金を奪っても使えない。ここから逃げてもアツコを助けられない。進めばミサキやヒヨリを危険にさらす。進むも地獄退くも地獄、もうどうしていいのか分からない。
サオリには何ができるのか。ここでどうすれば良いのか。今までにないくらい、サオリは頭を使っていた。分からない。こんな事態は初めてで、どうすれば良いのか分からない。サオリが分かるのは、今までした来たのは、戦闘行為位のものだ。こんな力で突破できない状況なんかに陥ること自体が下の下だ。大体が、こんなに時間を稼がれていては……
──時間稼ぎ?
現実逃避に、この状況が戦闘だったら。そんな想像をしたサオリの思考が止まる。そして、サオリの頭は、とんでもない回答を導き出した。
「……取引だ。取引を……したい」
「ほぉ……だが、俺がそれを受ける理由はないな」
「いや……お前にはあるはずだ」
そうだ。絶対にあるはずだ。だから、こんな回りくどい事をしている。いつの間にか、情報屋はニヤニヤ笑っていた。
「なら、言ってみろよ」
「なぜ、ここまで私と話している。その必要はないはずだ」
「そうか? 必死に命乞いをしているだけなんだぜ?」
「違う。それなら、ここまでの事を私に言う必要はない。手を出す危険性を伝えた後、そのコインだけを私に渡せばいい。増援が来るまでの時間稼ぎにしても、内容が私たちを焦らすものだ」
そう。換金できないというのなら、ただサオリへこのコインを渡せばいい。換金できないという話は伏せたまま。そうすれば、必ず換金しようとしたサオリたちは捕まるだろう。財布にはまだまだ硬貨が大量に入っている。命と比べれば、一枚のコインなどはした金だ。
そして、増援が来るまでの時間稼ぎもそうだ。態々、サオリたちを糾弾する内容を言う必要はない。事実、サオリたちの頭には危害を加える事も浮かんでいた。そんな藪蛇を突くようなことは、戦闘行為では厳禁だ。
「取引か。お前たちは何を望むんだ? 俺に何を提供できる?」
次の試練がサオリに襲い掛かって来る。そんなものは分かるはずがない。見た事すら……
──お困りのようですね?
いや、あった。ついさっきに。あの騙してきた猫の獣人の時。あれは、悪意にねじ曲がったものではあったが、あれも取引なのではないのか?
お互いに望む物を提供し合う。その形は崩れないのでは? だったら、向こうが欲しいものは分かる。サオリたちが欲しいのだ。正確にはサオリたちが持っている物が。
「武力だ。力を提供しよう。その価値は分かると思う……」
「ああ、この惨状だ。値切る事はしない。そして、お前さんたちの望む物はなんだ?」
サオリたちが望むべき物は分かる。この状況からの脱出だ。だが、それだけでいいのだろうか? あの時、サオリたちは一も二もなく飛びついたが。もっとよく考えればよかったと後悔したはずだ。だったら、今そうするべきではないのか?
情報屋の行為も無駄だからやったわけでは無いような気がする。戦闘行動とは須らくそうだ。大体の行動には意味がある。最終目標の為に、一つ一つの行動がある。
──俺は巻き込まれたくなかった。
最初、情報屋はそう言った。最後には何と言ったのだったか。
──あのクソ猫と組んで、俺に何のメリットがあるんだ?
巻き込まれたくない。そう言ったのなら、巻き込まれたことがあるのではないのか? だから、あの猫の獣人をクソ猫と呼ぶし、初対面であるサオリたちへと警告したのだ。そして、襲われた今も落ち着いているのも、前にもあったからなのではないのか?
だというのなら、サオリの答えは一つだけだ。
「私たちをアビドスへと連れていけ。それが出来なくともその手伝いをしてほしい」
「……まぁ、合格にしてやってもいいか。いいだろう」
突きつけられた銃を押しのけて、情報屋は立ち上がると、サオリへ視線を合わせた。
「外からのお客さんにしちゃ、上出来だ。俺の言葉で、俺の状況をどこまで把握した?」
「あの猫からの迷惑を被っている。それで、護衛が必要なのだろう?」
「五十点だな。契約の事を全く分かっていないのを含めれば赤点だ。護衛をするなら、基本のキくらいは知っておくべきだ」
思わずサオリは渋い顔になる。テストなどこれまで受けたことは無かったが、赤点と言われるとあまりいい気分では無い。
「あのクソ猫に迷惑を掛けられているのは本当さ。だが、護衛は違う。受け身なのはもうやめにしたいのさ」
「それは、あの猫を潰すという事か?」
ゆっくりと頷く情報屋に、サオリは驚く。それは出来ないはずだ。マダムから聞いた話では、ブラックマーケットにも秩序はあるのだという。正面から喧嘩を売れば、拘束されるとも。
「そんな事をすれば、ブラックマーケットに居られないのではないのか?」
「普通はそうだ。秩序を乱すものは、ここには居られない。だが、それも時と場合による。アイツはやり過ぎたのさ」
汚水で濡れた上着を、悲しそうに見つめながら。情報屋はサオリへ言う。
「お前さんたちの様な人間は初めてじゃない。アイツは、情報屋の周りに張っているんだ。裁判所や病院周りにいる弁護士みたいにな。そこで困った人間に声を掛け、有り金を根こそぎ奪っていく。契約で護身は完璧という念の入り用さ。だから、情報屋の方へとしわ寄せが行く」
「しかし……」
「ああ、ここは表の世界じゃない。やったもん勝ちのうす暗い世界さ。やられた方が、騙された方が悪い。だが、やり方が最悪だ。やった分だけの報いは帰って来るもんさ」
「やり方……?」
不思議そうなサオリたちへ、情報屋は笑う。
「お前さんたち、もう終わりだという心持ちで来ただろう? 後はない、背水の陣てやつさ」
三人は頷く。確かに、その心づもりだった。そうでなければ、こんなことはしない。
「そう言う奴を、クソ猫は狙う。切羽詰まってる奴ほど騙しやすいからだ。だが、それは諸刃の剣なんだよ」
「もろは……?」
「ああ、危ないってことさ。騙しやすいが、全てを失ったと思った人間はどうすると思う。全てをかなぐり捨てて、復讐するのさ。無敵の人って奴だ。復讐っていうのは、全てを奪われた人間の最後の権利だからだ。容赦など望むべくもない」
少しだけ、何かがサオリに引っかかった。復讐とはそういう物だという言葉だ。きっと、あの猫に対して思った事が、あの時に感じたことが、それなのだろう。だったら、だというのなら、普段トリニティやゲヘナに対して思っていたことは何なのだろう。
「それを、あのクソ猫は周囲に擦り付けた。擦りつけられたこっちはたまったもんじゃない。同じことをされた人間は数多くいる」
「だから、潰すのか。そのための戦力がいると」
そんな思考は、情報屋の言葉ですっかり思考の彼方へ消える。サオリの答えに、情報屋は満足げに頷く。
「そうだ。それなりにあのクソ猫の勢力は大きい。募集金額は高めだが、ブラックマーケット内の傭兵は尻込みしてる」
「……どうして? 稼げる仕事じゃないの?」
「……その先が無いのさ。戦えば、その相手からは悪印象。そもそもの得意先もあるだろう。傭兵は勝てる方に着くもんだし、継続して食って行かなくちゃならないからな。そこで、嬢ちゃんたちの出番さ。外から来ていて、ここのしがらみもない。そして強いと来た」
ミサキは納得した様子で口を閉じる。ようやく身だしなみを整えたのか、情報屋は三人へと問い掛けてくる。
「それで、どうする? 契約するか? 条件はさっきの通りで」
「一つ聞きたい。赤点とはどこだ」
サオリの質問に、ニヤリと情報屋は笑う。
「ああ、いいね。バカでもいいが、考えなしのバカはいらない。考えるバカはまだいい。伸びしろがある」
「……」
バカ、バカと連呼されて、サオリは無性に変な気分になる。しかし、情報屋はそれを見て揶揄うだけだ。
「んだよ。褒めてんだぜ。赤点って言うのはな。契約書を確認しない所だ。契約はそれが全てなんだ。期限も報酬も何もかもな。今のは口約束で、大して拘束力はない。クソ猫にもそこで騙されたろう?」
そのことを思い出して、三人が三人とも嫌な顔になる。そこまで耳の痛い事を言わないでほしかった。けれど、情報屋は揶揄うのを止めない。
「雇ったはいいが、騙されちゃ困るんでね。だから、ここまでやったんだぜ? 考えられるかどうかを見たんだ。勉強になったろ?」
三人は何も言えなかった。その通りだったからだ。それを知っていれば、今こうしてはいなかっただろうから。
「じゃあ、復讐ならぬ。復習の時間だ。ほら」
考えるまでもなく、三人は情報屋が差し出した契約書を読み込み始めた。大した情報量はない。でも、何度も何度も読んで、互いに確認して。それで、全員で納得して、サオリがサインした。
「構わない」
「なるほど。契約成立だな。ほら、手を出しな」
「何?」
片手を突き出す情報屋に、サオリは怪訝な目を向ける。意図が伝わらない事にか、情報屋は面倒くさそうな顔になった。
「契約成立時には握手するもんだろ?」
「む……分かった」
毛深い肉球塗れの手を握る。ただの大人の。それもブラックマーケットの悪人の手だ。何の変哲もない。
「それじゃあ、よろしく頼む。名前は……錠前サオリか。なら、期待しているぜ錠前」
「……了解した」
名前を呼ばれただけだ。マダムに呼ばれる時よりも、それこそ仲間に呼ばれる時よりも素っ気ない。しかも苗字だ。そのはずなのに、何故だか変だ。今まで感じたことのない達成感が胸を支配していた。
その正体は、まだサオリには知るべくもなかった。