ホシノ同級生相棒概念   作:洞鼬

290 / 336
289話 ゲヘナの休日(Gehenna Holiday)

「ふわ……眠い……」

 

 

 アツコは、ベッドの上で大欠伸をかました。単純に寝不足で、枕元の携帯は充電が完全には終わっていない。

 

 計画の為に初めて夜更かしした代償は重いが、計画の完遂の為には初動が大事。でも、ノロノロとしか動けない。

 

 何とかアツコは着替え終わって、目覚めのために部屋の中を彷徨いていた。目的のものまでもうすぐだ。

 

 

「来た」

 

 

 そして、時間通りに部屋のチャイムが鳴って、扉を開けるとカートが置かれていた。そこからアツコは二人分を取る。そして、ノックしながら向かいの部屋に声を掛ける。

 

 

「一緒に食べよう?」

 

「ん…早いな…別に良いが」

 

 

 静かに開いた扉の隙間から、カヤツリの顔が覗く。特に文句を言う事もなく、短い肯定の返事が返ってきた。

 

 マトの言う通りに、この位のラインの要求は受け入れてくれるらしかった。アツコの頭の中でパチパチと計画の駒が動き始める。

 

 マトとの話し合いから一夜明けて、朝が来ていた。今は、頼んでアツコが並べた朝食をカヤツリと二人で食べている。

 

 部屋から呼び出したカヤツリとの食事という目論見は成功した。それもあってか、アツコの機嫌はすこぶる良い。

 

 昨夜のうちに、アツコの作戦はすっかり纏まっていたのもあるかもしれない。アツコは計画の通りに、正面でまだトーストを手に取っているカヤツリに言い放った。

 

 

「今日は出掛けたい」

 

「ちょっと何を言ってるか分からない」

 

 

 そうアツコが飛ばした言葉に、カヤツリは一瞬思考が飛んだ様だった。その証拠に、手だけがトーストの上を行ったり来たりしているし、カヤツリの言葉には呆れの音は入っておらず、困惑の響きだけだ。

 

 

「今日の夜は黒服の所で引き渡しの日だ。罷り間違っても、その前にアリウススクワッドに見つかる訳にはいかない」

 

 

 カヤツリはアツコに近づいて、言い聞かせるように今日の予定を口に出す。アツコはそれとなく不満を口に出す。

 

 

「ブラックマーケットに連れて行って欲しいわけじゃない」

 

「じゃあ、何処なんだ?」

 

 

 カヤツリの質問に、アツコは微笑む。なんだかんだで聞いてくれる所は好きだ。その言葉に甘えて、アツコは望みを口に出した。

 

 

「今日は、デートしたい」

 

「デッ……? いや、本当に意味が分からん」

 

 

 困惑の渦で藻搔いているカヤツリに、アツコはしめしめと内心で笑う。ここまでは想定通りだ。

 

 幾らカヤツリがアツコに甘いのだとしても、普通に言ったところで聞いてはくれない。このまま時間までホテルの一室に引きこもっているのが賢い選択だろう。この反応からしても、カヤツリはそのつもりでいる。

 

 だが、ここで。アツコが寝る間を惜しんで考えた秘策がある。

 

 

「今日で私はアリウスに帰る。しばらくは外に出れないと思うの」

 

「まぁ、そうだろう。マダムに対処しなけりゃならない。出来たとしても、アリウスの復興が待ってる」

 

 

 カヤツリはこれからのアツコに待つものを指折り数えていく。それに関しては、アツコも異論はない。

 

 

「うん。それと、他の学園とも話さなくちゃいけない。でも、私は何も知らないの」

 

「それは教える」

 

「出来ないと思うよ?」

 

 

 カヤツリの眉が片方だけ上がった。探るようにアツコを見てくるカヤツリに、平静を装う。

 

 

「私は普通の学生生活を知らない。あなたも女の子同士の雑談とかは分からないんじゃない?」

 

「あー……」

 

 

 納得したのか、カヤツリの視線から探る意図が消えた。

 

 

 ──第一関門突破……かな?

 

 

 にっこりと微笑みそうになるのを堪えつつ、アツコは一安心する。

 

 嘘は言っていない。実際、それでは困ると思うのだ。アリウススクワッド相手の会話なら普通に出来る。アリウスの共通認識があるからだ。

 

 しかし、昨日のゲヘナ相手の話し合いでも思ったが。他の学園、それこそトリニティで上手く話せるだろうか?

 

 アリウスとトリニティでは環境が全くの正反対。いきなり見下してくるなんてことはないだろうが、小粋なアリウスジョーク(最近の配給のおすすめのアレンジは?)を飛ばしても、向こうは理解出来ないどころか、むしろ空気が冷え込むこと請け合いだった。

 

 カヤツリは男だから。相手も仕事かそれ関連の話しかしないだろう。でも、相手がアツコとなれば話は変わるかもしれない。

 

 

「これまで私は誰かに担ぎ上げられてきた。でも、これからは自分で決めなきゃいけない」

 

「その為の経験が欲しいと。……こないだのゲヘナは話し合いと言うより、脅しだからなぁ……」

 

 

 アツコの言葉の合間、合間にトーストを囓って。カヤツリは何度も頷いている。

 

 

「んで? そうしたい理由は分かった。でも何で、デートなんだ?」

 

「一緒に出掛ける事をそう言うんでしょう? 拾った雑誌で読んだよ?」

 

「おおぅ……そうか」

 

 

 カヤツリが気まずそうな顔になるが、全くの勘違いである。

 

 ヒヨリが拾って集めている雑誌で読んだのは本当だが、内容ははっきり知っている。そういった関係の異性同士のお出かけをデートと言うのだ。

 

 考え無しの正面突破はバカのする事だと、アツコはこの数週間で学んでいた。だからこその誤認作戦である。

 

 

「分かった。良いよ」

 

「やった」

 

 

 純粋に喜びの声がアツコから溢れた。今のところはトントン拍子に話が進んでいて、第二関門も突破出来た。

 

 

「で? 何処に行きたい?」

 

「私が決めて良いの?」

 

 

 アツコは少し驚く。行きたい場所は、コッソリ昨夜の内に調べておいたが、少々場所が悪かった。どう誘導しようかが最後の関門だったのに。門の方が勝手に開いたようなものだから。

 

 それに、ズルイ。アツコがしてほしい事を先んじてやってくる。アツコに選ばせてくれるなんて、思ってもいなかった事だ。

 

 

「そこに行きたいから、こんな風にしたんじゃないのか?」

 

「さあ……どうだろうね」

 

 

 アツコは曖昧な感じで誤魔化した。勘違いしたままなら、それで良い。アツコも全部説明するほど度胸はない。

 

 当のカヤツリは追求が面倒だったのか、食べ終わった食器をアツコの分まで、カートに戻しに行っている。こんな細かいところで、アツコのポイントを稼ぐのが、実に憎たらし……

 

 

 ──いや、待って?

 

 

 アツコは流れようとする思考の尻尾を掴んだ。

 

 今の動作、余りにも自然過ぎやしないだろうか。当然のように立ち上がりと共に手が出ていた。まるで、毎日やっていたかの様に。

 

 一人暮らしだから? 確かに、片付けは自分でするからすぐに手は出るだろう。

 

 しかし、今回は話が違う。アツコの皿から取っていった。まるで、いつもそうしているかの様に。

 

 つまり、今のアツコと同じ様に。対面でカヤツリと食事を取っていた人間がいる。それも、毎日。

 

 その事に思い至って、最近になって実装された、アツコの女の勘が警報を鳴らす。

 

 

 ──他の女の匂いがする……!

 

 

 誰だろう? 小鳥遊ホシノだろうか? 可能性の高そうな人間が思い浮かぶが、すぐさまアツコは考え直した。

 

 

 ──いや、暫くは会ってなかったって……。

 

 

 あの動きは、完全に習慣化されたものだ。それこそ、最近までほぼ毎日。同じ動作をしていたくらいの。

 

 となれば、小鳥遊ホシノとは考えにくい。残る可能性は一つだけだ。

 

 

 ──トリニティの誰かってこと……? まさか、百合園セイア?

 

 

 アツコの頭に閃いたのはセイアだ。カヤツリの直接の上役ともなれば、幾らでも機会は作れるはず。

 

 それに、そうだ。カヤツリがトリニティに来た経緯、マダムからの情報にあった事をアツコは思い出して歯噛みする。

 

 

 ──強引にティーパーティーに加入させたんだっけ……つまりは、そういうことなんだね。

 

 

 点と点が線で繋がる。カヤツリの教えの賜物だ。それはそれとして、どうして気がつかなかったのか。

 

 そんなアツコの間抜けさを嘲笑うかの様に、聞いたことのない筈のセイアの声が聞こえてくる。

 

 

 ──君には貴重なイベントかもしれないが、私にとってはそうでもないのさ。残念だったね?

 

 

 写真で見た顔の挑発的な言動を想像だけで額に青筋が立ちそうだ。

 

 

 ……少し、計画に変更が必要かも

 

 

 失敗した後悔は後回し。これもカヤツリに教えてもらった事だ。アツコはそれに従って、デートの内容をどうするのか考え始めた。

 

 

 □

 

 

「着いたぞ」

 

 

 少しの疲労が滲む声で、カヤツリは後ろのアツコへと声を掛けた。アツコの方はカヤツリとは違って、元気そうにバイクから飛び降りる。

 

 

「凄い……携帯で見たのとは全く違う」

 

 

 アツコが来たがったのはバラ園だった。植物園の様なものかと覆ったが、その実態は全く違った。

 

 どうにも商業目的でバラを繁殖、販売している施設らしい。そこで、フェアか何かをやっているらしいのだ。新種という名の新作、そんなバラの発表会だ。

 

 それは入り口からも分かるほどで。柵の向こうには色とりどりのバラが、整地された庭園で咲き乱れていた。

 

 ここまで喜んでくれるなら、我儘を聞いた甲斐もあったというものだ。

 

 そう思いつつ、カヤツリはふらふらと花に吸い寄せられるように入っていくアツコを追いかける。

 

 しばらく進めば、バラ園の中心部だろう広場へと出た。四方に道が伸びていて、アツコは一つづつ回るつもりらしい。アツコの選んだ道の先では、青や赤、ピンクのバラが陽の中でしっかりと植わっていた。

 

 カヤツリは幾つか用意されているベンチの内一つを選んで、一息つくことにした。

 

 固い座面ではあるが、しっかりと疲れたカヤツリの身体をベンチは受け止めてくれた。バイクの運転と戦闘の疲労が癒されていくのを感じて、カヤツリは大きく息を吐く。

 

 本当に大変だったのだ。ここまで来るのは本当に。

 

 

 ──美食研究会め。場所を選べよ、場所を……!

 

 

 道中で単純に彼女たちの騒動に巻き込まれただけだが、これが本当に良くなかった。犯人と間違われたせいで、駆け付けたゲヘナの風紀委員会に、美食研究会共々追われることになった。

 

 このバラ園は、ホテルを挟んで黒服のオフィスとは真逆の位置にある。つまりは、時間に余裕があまりない。風紀委員会に捕まってしまえば、ここには今日中にはたどり着けない。

 

 よって、全力で風紀委員会を振り切った結果の末の疲労である。これが、ヒナであれば話は早かったのだが。美食研究会相手なのにヒナが出てこないというなら、きっと休みか何かだろう。であれば道中の治安の悪さも納得がいった。

 

 アツコの言う事を無視していれば、しなくてもいい苦労をしたことになる。だが、悪い気分では無かった。

 

 平日である所為か、客はあまり多くない。静かな風に吹かれて、バラに夢中になっているアツコを見て、どこか懐かしい気分になる。

 

 それは、妙な事だった。カヤツリはここへ来るのは初めてなのに。懐かしさを覚えるのは変だった。

 

 

 ──ああ、そうか。

 

 

 しばらく考えた末に、ようやく思い当って。カヤツリは青空を見上げた。場所が懐かしいのではなくて、状況が懐かしいのだ。

 

 ずっと昔、まだユメ先輩がいてホシノと三人で水族館へと行った事がある。あの時も、水槽に夢中になっているホシノを見つめていたのだったか。

 

 その時と状況が似ているから、連想して思い出してしまったらしい。

 

 

 ──ね。かわいいでしょ。ホシノちゃん。

 

 

 そう言われたような気がして、隣を振り返っても誰も居なかった。当たり前であるが、なんだか寂しい。

 

 やる事もないので、ぽやーっとアツコを見る。大分立つが、飽きた様子は全く見られない。カヤツリには全く何が面白いのかは分からないが、アツコにとってはそうでは無いのだろう。

 

 携帯で見たよりも何て言うから、昨夜のうちにここへ来たいと思ったのかもしれない。だから、朝の妙な動きというわけだ。

 

 全てを忘れたようにアツコは楽しんでいる。今だけの時間だから、好きにすればいい。趣味を新しく作るのはいい事だ。もしかしたら、アツコにとっては生まれて初めてかもしれないのだから。

 

 ここから先は、辛い事が待っている。努力したからと、向き合ったからと言って全てが上手くはいくわけでは無い。きっと嫌なことだって沢山あるのだ。

 

 マダムの排除だって楽にはいかないだろう。排除したところで絶対に文句を言う人間は出てくる。前の方が良かった。私はそうだと望んだわけじゃないのに。お前たちが勝手に決めたくせに。責任を取れ、私が、私たちがこうなってしまった責任を取れ。全部、全部がお前たちの所為だ。

 

 アツコは、耐えられるだろうか。仲間であるアリウス生から向けられるかもしれないモノに。それでも前を向けるだろうか。まだまだ拙く細い目標が折れずにいられるだろうか。

 

 カヤツリは折れずにいて欲しいと思う。かつて、ユメ先輩が願ったように。あの綺麗なアツコの夢が壊れないでほしいと、報われてほしいと願うのだ。

 

 だが、現実は厳しい。きっと何かの支えは必要だ。その支えはカヤツリでは無理だろう。アリウスには付いていけないし寧ろ、カヤツリが欲しいくらいなのだから。

 

 でも、少しだけ。ほんの少しだけなら、何かしても良いかもしれない。いい考えを思いついたカヤツリは、一旦アツコから目を離して。絶対にあるはずの場所へと足を進めた。

 

 

 □

 

 

「……どこ行ってたの?」

 

「別にいいじゃないか」

 

 

 全くよくはない。アツコはカヤツリの返事に頬を膨らませた。確かに夢中になってカヤツリを置いてけぼりにしたアツコも悪い。計画も全く遂行できないままだ。それなのに、これ幸いと姿を消すカヤツリもどうかと思うのだ。

 

 一通り見終わって、アツコが我に帰れば。ベンチに座っていたはずのカヤツリの姿が無いのだから焦りもする。

 

 慌てて探そうとしたアツコの元に、何でもない顔でひょっこり戻ってくるのだ。文句も言いたくなる。

 

 

「……さっきまで、何か含んだ視線で見てたのに」

 

 

 アツコの不機嫌の理由はそれだけでは無かった。視線が向けられていたことが分かったからこそ、無くなったのにも気がついた。そして、視線が何故分かったかと言えば、アツコの勘が反応したからだ。

 

 

「他の人のこと考えてたでしょう」

 

 

 カヤツリがついっと視線を逸らした。アツコの勘は当たっていたのだ。カヤツリは、アツコを通して誰かを見ていた。アツコを見ているようで、全く違う人間を見ている。それがとてつもなく嫌だった。

 

 

「……そういうの、止めた方が良いと思う」

 

 

 でも、それを正面からぶつける勇気はなかった。カヤツリは、ぶつけられても意味が分からない。仕方なく、注意みたいな言い方しかできなかった。

 

 

「嫌か? そういうのは」

 

「嫌だ。凄い嫌。そう聞くってことは、今までに何回もやったんでしょ」

 

 

 それなのに、また図星の様な質問をカヤツリがするので、アツコはだから、厭味ったらしく言うしかない。

 

 

「……そうかもな。だから、喧嘩したんだ」

 

 

 笑い飛ばしてくれればいいのに。悪いのは、面倒くさいことになっているアツコなのに。ここまで我儘を聞いてくれたのはカヤツリなのに。カヤツリは自分が悪いような、どこか寂しそうな顔をする。

 

 喧嘩のワードで、誰と喧嘩したのかなんてすぐに分かる。小鳥遊ホシノとそれをしたのだろう。きっと、同じような事をやらかしたのだ。

 

 そして、アツコも同じ轍を踏もうとしている。このままだと嫌で。アツコは何とかしようと頭を回転させた。

 

 

「他の人を考えてたのが嫌だったわけじゃないの。私を、その人みたいに見たのが嫌なの」

 

 

 何を言っているのかアツコ自身すら分からない。でも、言っておかなければならない気がした。

 

 

「別に、他の人なら良い。ただ、あなたにそう見られたのが嫌だっただけ。だから、そんなに重く受け止めないでいいよ」

 

 

 そう言われたカヤツリは目を瞬かせていた。

 

 

「……そうか。そうだったのか。だから、あの時あんなに怒って……」

 

 

 何事かを呟いて、カヤツリは一人で納得していた。何だか嫌な気分がぶり返してきたが、アツコはぐっと我慢する。ここでごねても空気が悪くなるだけだ。折角の最終日なのに、こんなことで終わるのはあんまりだ。

 

 

「ほら、行こう? もういいから」

 

「ちょっと待ってくれ」

 

 

 何だとアツコは振り返る。さっさとこの嫌な空気を振り切ってしまいたいのに何だと言うのか。

 

 

「ほら」

 

 

 カヤツリが差し出してきたのは、手のひらサイズの何かの紙だった。手にとって見れば、一枚の紙ではなく紙が折りたたまれて作られた紙袋だ。中に何か入っているのか、振るとカサカサ音がする。紙の封はしっかりとされていて、直ぐには開けられそうにない。

 

 

「何これ……?」

 

「さっきバラを見てただろう」

 

「見てたけど……」

 

「ここに来たのも、園芸か? それをやってみたくなったからだろう? 趣味を新しく作った」

 

「そうだね。興味はあるかな」

 

 

 それが何だというのか。アツコにはさっぱり分からない。これはバラでも何でもないのはすぐに分かる。困惑するだけのアツコにカヤツリは言う。

 

 

「そのバラの種だよ。それくらいなら持って帰れるだろう?」

 

 

 アツコは開いた口が塞がらなかった。居なかったのは、これを買いに行っていたせいなのだろう。だが、態々種を選んだ理由が分かってしまったからだ。

 

 アツコは何もアリウスに持っては帰れない。何かを持ち込めば、マダムに絶対にバレてしまうから。持ち込めるのは精々がカヤツリからの知識位で、バラの鉢植えなどとんでもない。

 

 でも、種なら別だ。これなら幾らでも隠し場所があるし、拾ったとでも言い訳が効く。

 

 けれど、アツコがこんな風になっているのは、カヤツリがどうしてこうしたかだ。

 

 

「なんで、くれるの?」

 

「目標を持つのは良い事だけど。途中で成功しなきゃやってられないだろう。それは、このためのものだよ」

 

 

 それは、分かる。黒服が言っていたことだ。長期目標は数多の短期目標で形作られていると。その短期目標が何も達成できなければ辛い。そして、アツコが立てた物は、実感がとてもしづらいものだから。

 

 

「これを植えろってこと?」

 

「まあ、アリウスで、そうできる環境を作るのが第一歩ってところか。ささやかなプレゼントってところだ……勝手に黙って買ったのは謝るよ」

 

 

 カヤツリが謝るが、それは今のアツコにとってはどうでもよかった。カヤツリはこれを送る意味が分かっているのだろうか?

 

 

「……これが、あの青いバラが花をつけるまで、手伝ってくれるの?」

 

「そりゃあ、目標なんだから多少は手伝う。その先もな」

 

「へぇ……そう。マダムまでじゃないんだ。もう覚えたからね」

 

 

 恐らくはカヤツリの中で状況が変わったが故の変更だろう。だが、今のアツコにはそれよりも優先して考える事がある。

 

 バラは種ではあまり増やさない。単純に手間であるのと、バラの最大の目的である品種の維持ができないからだ。種を作るという事は、他のバラと受粉させる必要があるからだ。

 

 つまりは交配することで、品種が維持できなくなってしまう。だから、普通は種ではなく、挿し木で増やす。これなら問題はない。挿し木はクローンの様なものだからだ。

 

 種で増やすことの問題はまだある。そもそも発芽率、目が出る可能性が低い。病気に弱い。害虫に弱い。数多の問題がある。

 

 けれど、それを乗り越えた先の感動は一入なのだと、そう言われている。種から咲いたバラは、元のモノではない。多様な花が咲く場合もあるからだ。

 

 そして、カヤツリはそれを手伝ってくれるのだという。その環境を整えるまで、その先も手伝ってくれるのだという。

 

 このバラの種を、アツコとカヤツリの二人で育てるのだ。厳密にはそうでなくとも、似たようなモノではないか。それをカヤツリから提案してきて、渡した。

 

 もう、それはそういう事だろう。少なくともアツコはそう受け取った。

 

 多分、店員からは簡単な説明は受けたのかもしれないが。夜通し携帯でバラ園の事を調べていたアツコ程園芸の事を知っているとは考えにくかった。どうせ、コートの時と同じなのかもしれない。カヤツリにとっては普通の事。

 

 でも、それは受け取り手次第だ。さっきもそう思ったように、アツコはそう受け取る。もう覚えた。絶対に忘れてなどやるものか。

 

 

「ありがとう。じゃあ、受け取ることにするね。それと、変に怒ってごめん」

 

「ああ、別にいいんだ」

 

「そう、ならいいよ」

 

 

 アツコはバラの種を大事に大事にしまい込んだ。もう、計画などどうでもよかった。それ以上の物を貰ったからだ。きっとアリウスに帰っても折れずにいられるだろう。そんな確信がしっかりとアツコには宿っていた。

 

 

「あ、それとね。いい加減にしないと刺されるって言ったけど、あれは忘れてね?」

 

「あ? ああ……」

 

 

 カヤツリはよく分からなそうだが、それでいい。アツコの言う通りに止めてしまったら、今みたいなことは起こらないだろう。それに、他の人にやるのが心配だが、その時はアツコが何とかすればいい。

 

 

 ──その時は私が釘を刺すから。そうすればわかるよね。

 

 

 あくまで比喩だ。比喩だが、本当に言葉でなく釘か刃物を刺す。そうならない事を願って。アツコは今日という日を最後まで満喫するために駆け出した。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。