ホシノ同級生相棒概念   作:洞鼬

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302話 主よ、憐れみたまえ(Kyrie eleison)

 ミカの心は凪いでいた。凪いでいるというより、煮詰まってそう見えるだけだが。人間、衝撃的な出来事が重なって感情が飽和してしまうと、こうなるらしい。

 

 新発見ではあるが、全くミカは喜べなかった。何せ利き手がジンワリ痛い。

 

 なぜかといえば、ミカは全力で拳を振るったからだ。

 

 誰に対して? その質問の答えは簡単だ。瀬戸カミガヤ、正確には女装したカヤツリを殴り飛ばした。

 

 今なら、いや、本当は前から分かっていた。カミガヤの正体が、カヤツリだということくらい。

 

 あの口調や言葉は、ミカが好んでいたものだったから。見ないフリを、気づかないフリをしただけで本当は分かっていた。

 

 だから、抑えきれなくなった。あり得ないと見ないふりをしたそれが目の前に現れた時、ミカは抑えきれなくなって、拳を振るった。

 

 不意打ちだったのだろう。カヤツリはミカの全力を躱せなかった。ギリギリで防御が間に合うも、吹き飛ばされて激突した本棚の残骸から出てこない。

 

 殴ったのは、別に気持ち悪かったとか、嫌いだったとか、そんな理由でもない。ただただシンプルな理由だ。

 

 

「何で、今更」

 

 

 今のミカの心情は、この一言に全て集約されていた。

 

 今更、本当に今更だ。全てが、ミカにとっては手遅れだった。

 

 どうして、もっと早くに出てきてくれなかったのだろう。どうして、もっと早くアリウスの危険性について教えてくれなかったのだろう。どうして、セイアより前に出会わなかったのだろう。

 

 すべてが八つ当たりだ。そうするしかない自分自身が嫌で仕方がない。

 

 

「チッ……痛いな」

 

「なんだ、まだまだ平気みたいだね」

 

 

 悪態と共に残骸を蹴り飛ばして出てきた足を、ミカはしっかりと掴んだ。焦ったカヤツリがもう片方の足で蹴りを放つが、片手で受け止める。

 

 

「まだ平気なら、もう一回いくね」

 

 

 ミカはカヤツリの足を掴んで振り回し、カヤツリを床に叩きつけた。

 

 ビタンと、床と人がぶつかったとは思えない音がした。ハンバーグのタネの空気を抜く様に、ミカは何度もその音を奏でる。

 

 聞くに耐えない音だが、カヤツリの話を聞くよりも万倍マシだ。兎に角、ミカはカヤツリの声を聞きたくない。その為にカヤツリを痛めつける。

 

 どうしてここへ来たのかは分かる。きっと、助けに来てくれたのだと思う。アリウスはミカを襲いに来たから、残りはカヤツリが片付けてくれたのだろう。

 

 そして、カヤツリが無事だというのなら、ここまで来たというのなら、ミカを説得する材料を用意しているということだ。

 

 ナギサは確保して、もしかしたらセイアも生きているのかもしれない。耳障りの良い言葉で、ミカは悪くないと言ってくれるのかもしれない。そして、それを聞けば、ミカは許されるのかもしれない。

 

 でも、それはいけない。ミカは許されない。そうなってはいけない。

 

 ミカはナギサを傷つけた。幼馴染で、とても大切だった筈なのに。ナギサがミカを守ろうと、友人すら疑うなんて性格に合わない事をやっているのを知っていて、ドンドン磨耗して擦り切れていくのを見ながらも、何もしなかった。

 

 ミカはセイアも傷つけた。口煩い所は気に食わなくとも、確かに親友だった筈なのに。それなのに、理由をつけてアリウスに襲わせた。穏便に済まない可能性だって十二分に考えられた筈なのに。

 

 ミカはカヤツリを傷つけた。今も傷つけている。ミカは何をしても、カヤツリが何とかしてくれる何て、無責任かつ無条件に信じていたのだ。その結果がこれだ。

 

 ミカは多くの人を傷つけた。あの三人以外にも苦しんだ人はいるだろう。補習授業部が良い例だ。ナギサは手段を選ばなかった。悪どい手段も使っただろう。それを阻止する為に、補習授業部や先生はしなくてもいい困難に直面せざるを得なかった。

 

 

 ──全部が全部、ミカのせいだ。

 

 

 それを何だろうか。許そうというのだろうか? それはいけない。そうあるべきではないし、あってはいけない。謝って終わり何てものではいけない。

 

 もっともっと、重い罰でなくてはならない。それこそ、一生痛みに打ち震えるような。

 

 

「痛っ!?」

 

 

 無心に振り回していた手が痛みを発した。自由な方のカヤツリの足が、足首を掴んだミカの指を蹴りつけていた。流石のミカも、指をカヤツリの全力で蹴られれば痛い。

 

 そしてもう一度、カヤツリの足がミカの指を襲う。痛みに耐えきれず、足首を掴む力が一瞬緩んで、カヤツリを取り落とした。

 

 

 ──マズイ。

 

 

 ミカの頭が戦闘モードに切り替わる。

 

 どうする? 近すぎて愛銃を構える暇はない。このまま、立ち直ったカヤツリはどうするか分からない。

 

 

「早く寝ててよ!」

 

 

 焦ったミカは再度拳を振るう。だが、それは悪手だと放ってから気がついた。

 

 拳の軌道上にはカヤツリが居る。しかし、カヤツリの肘がミカの伸び切ろうとする腕を、内側から押し出そうとしている。

 

 

 ──カウンター!

 

 

 このままでは、ミカの拳は外へ流れる。体勢が崩れて迎撃が間に合わない。ミカの頭が焦りで埋まり、思考が一色に染まる。

 

 

 ──何とかなれ────ッ!

 

 

「なっ!?」

 

 

 ミカの祈りが通じたのか、カヤツリが怯んでいた。ただ、ミカは何もしていない。何かしたのは別の物。

 

 天井の照明がカヤツリの腕へ落下していた。ミカが暴れた影響で留め具が緩んでいたのだろう。残りの照明も、正に隕石の様にカヤツリの頭へ降り注ぐ。

 

 そしてカウンターが失敗したカヤツリに、ミカの拳が突き刺さる。拳に伝わる嫌な感触を押し切って、カヤツリを殴り飛ばした。

 

 

「何で今更、上手くいくの……」

 

 

 また瓦礫に突っ込んだカヤツリを見て、同じ言葉が溢れる。

 

 運良く、さっきのミカの判断ミスは帳消しになった。いつもそうだった。ミカの幸運はミカを守ってくれていた。

 

 それなのに、一番守ってほしい時に、それは発動しなかった。

 

 ナギサの陰に隠れる形で今までバレなかった。アリウスと和解するという目的も、白洲アズサだけなら達成した。あまりそういった事が得意でないミカがここまで来れたのは幸運だった。

 

 でも、そんなものよりも、そんなことよりも、叶えて欲しかったことは叶わなかった。

 

 

「何で──」

 

「こうなってしまったんだろう?」

 

「ッ!?」

 

 

 いきなり響いたカヤツリの声に固まったミカへ、ひしゃげた棚が飛んでくる。

 

 カヤツリだ。また瓦礫から顔を出せばさっきの焼き直し。だから、自分を埋めている残骸を蹴り出してきた。

 

 

 ──だが、甘い。

 

 

 飛んでくる残骸をミカは拳一つで粉砕する。その次も、そのまた次も。ミカの交互に放たれる正拳突きが残骸を粉砕する。

 

 そして、最後の残骸を粉砕した時。目の前までカヤツリが迫っていた。

 

 

「えっ!?」

 

 

 間抜けな声を上げるがもう遅い。カヤツリの拳が硬く握られているのが見える。

 

 反射的に、ミカは迎撃のために拳を振るおうとする。その瞬間、ミカの視界がひっくり返った。

 

 

 ──ああ、足を払われたんだ……

 

 

 したたかに背中を打ち付けて、ミカは遅れて状況を理解した。あの握った拳はブラフだ。ミカが拳を振るう為に身体を引く。重心が後ろへ移動したタイミングで、足を引っ掛けられた。ミカの視界は拳しか入っていないから、全く気づかなかった。

 

 

「女の子に、そういうことするのはどうなのかな……?」

 

「減らず口を叩くな。バカ」

 

 

 ミカの視界には、天井ではなくカヤツリの上半身が見えた。つまりはマウントポジションだ。

 

 見た目だけは真面目に事案発生な様相だが、カヤツリはやめる気配一つない。

 

 実際効果的には違いない。ミカは普通の紐なら引きちぎるし、言葉では止まるつもりもなかった。そして、ミカは起き上がれない。カヤツリの膝や腿を握り潰そうとしても、カヤツリの膂力なら抵抗できる。ミカを安全に拘束するにはこれしかない。

 

 

「いいの? セイアちゃんにバレたら、多分凄い怒るよ?」

 

「言わなきゃいいだけの話だ」

 

「フフ……いけないんだ。カヤツリ君が言わなくても私が言うもんね」

 

「ああ、そうしろ」

 

 

 予想外の返しに、ミカは言葉に詰まった。そんなミカを知りもせずに、カヤツリは言うのだ。

 

 

「そうして、桐藤とセイアに謝ってこい。バカ」

 

 

 ミカは、あまりの優しさに泣き出しそうだった。でも、決してそうはできない。

 

 

「できないよ」

 

「どうしてだ?」

 

「だって、私はナギちゃんもセイアちゃんも傷つけた。私は自分の意思でそうしたの。全部、エデン条約が邪魔だったから、だから私はアリウスと手を組んだんだよ。こんな私が、どの面下げて謝るの? そんな理由もないよ」

 

 

 とりあえずの言い訳をミカは並び立てる。まるっきり嘘でもないそれは、カヤツリには通用しない。カヤツリは全く狼狽えもしないで言う。

 

 

「じゃあなんで、その時に桐藤も始末しなかったんだ?」

 

「それは……怪しまれると思ったからで……」

 

 

 出まかせの答えは、どうやら上手く嵌まったようで。カヤツリの追及が止んだ。ここぞとばかりに、ミカは一手を指した。

 

 

「そうだよ。だから今日、アリウスを呼んだの。ナギちゃんを排除して、私がホストになるんだよ。それで──」

 

「そんな感じで、ここまで来たのか?」

 

 

 冷静なカヤツリの声が、ミカの言葉を止めさせた。全くミカの言葉を信じてはいない雰囲気だ。かつての元筆頭に向けたような目つきで、カヤツリはミカを睨む。

 

 

「一つの失敗を上塗りするために、ミスを重ね続けてここまで来たのか? 狂言だったんだろ? 錠前サオリから聞いた」

 

「え?」

 

 

 思わず聞き返したミカに、カヤツリはこれまでのいきさつを語ってくれた。アリウスの一人を盾にして生き残ったこと。そこからの逃避行。アリウスの現状と、ロイヤルブラッドの協力。そして、セイアが生きている事。

 

 

「なんだ……ホントに私ってバカだったんだね……何も意味がないじゃんか」

 

 

 余りの情けなさに、涙が出そうだ。ミカがやったことは何一つ、何の益も生み出しはしなかった。猶更決意が固まった気さえする。

 

 

「なら、私が戻るわけにはいかないよ。そんな大事にならないように仕組んでるんでしょ? そこまでする価値は私には無いよ」

 

「逃げる気か?」

 

「そんなつもりはないよ。私はもう二度と二人には会わない。トリニティからも出て行く。それくらいしなきゃ──」

 

「それを逃げてるっていうんだよ」

 

 

 カヤツリは容赦がない。ミカの言葉をバッサリと切り捨てた。ずいと顔を近づけて、鼻を鳴らした。

 

 

「フン、覚悟決めたようなこと言った癖して、目が泳いでいるじゃないか。お前は、ただただ、二人に会いたくないんだよ。責められたくないのさ。自分がやったことに対して、何を言われるかが怖くてたまらない」

 

 

 分かったような口を利く。実際、その通りだ。ミカは怖くてたまらない。泣き言が口から零れる。

 

 

「無理だよ。だって、絶対許してなんかくれないよ」

 

「桐藤は、お前を守るためにあそこまで身を削ったんだ。それにセイアが隠れていたのだって、お前を守るためなんだぜ。そこまでした二人の事を信用できないって言うのか? そんな事でお前を見捨てる人間だって? そんなわけないだろう」

 

 

 分かっている。そんな事は分かっているのだ。でも、そうではない。カヤツリが知らないだろうことが、知られてはいけないことが、まだ一つ残っている。

 

 

「……ふぅん、まだ別の理由があるって顔だ」

 

「……言わない。絶対に言わない」

 

 

 カヤツリは不審そうな目でミカを睨むが、ミカは口を堅く閉ざした。

 

 ミカは、そのことだけは言いたくはないのだ。それは、ミカの最大の罪だから。最低最悪の、絶交されたっておかしくないくらいの行為。この期に及んで、ミカはまだ自分が可愛かった。

 

 

 ──トリニティの裏切り者。

 

 

 かつて、ナギサがそう称した言葉を思い出してミカは笑った。

 

 そう、ミカこそが裏切り者。真の意味での裏切り者だ。ミカは、ナギサもセイアも裏切った。

 

 最初は、そう。ただの興味本位だった。セイアが男子を連れ込んだというから、心配になったのだ。

 

 初めて見る男子生徒は、思ったよりも普通だった。テンションが高いセイアと比べて、とても冷めた印象だったのを覚えている。そしてナギサから、カヤツリがいじめに遭っていると聞いて失望したことも。

 

 しかし、その失望は杞憂に終わり、また次の問題が顔を出した。単純に、カヤツリが鈍いという問題だ。セイアはハッキリと好意を寄せているのが分かるのに。カヤツリは気にした様子もない。

 

 だから、ミカはカヤツリがどういう人間か探ることにしたのだ。今になって思うが、それが最大の間違いだったのではないかとさえ思っている。でも、その時のことは、昨日のことのように覚えているのだ。

 

 

 ──そうか、それは聖園の譲れない物なんだな。

 

 

 それは、ミカの考えを聞いた時のカヤツリの言葉だった。カヤツリにとっては、何ら含むことのない言葉だったに違いない。でも、ミカにとっては全く違った。その言葉と、柔らかい表情は、ミカの脳裏に焼き付いたままだ。

 

 ミカは、ほんの子供の頃から、幸せな話が好きだった。みんなが幸せで、仲違いのない世界。他人からはお花畑と言われたそれ。

 

 現実は、そんなものではない事は分かっている。でも、何もしないのは違うと思っていた。だから、ミカはトリニティへ入学した時に期待していたのだ。

 

 トリニティは、文武両道を規範とした淑女たちの学園だという。かつてはバラバラだった学園同士が統合し、一つになった学園だと。

 

 それは、ミカが夢見たものに近かった。そこに入学した生徒たちは、きっとミカが想像した者に近いと思っていた。話し合い、意見をすり合わせ協力できる。仲違いをしても、互いの事を考え協力できる。そう努力できる。そんな人達の学園だと思っていた。そして、ミカもそういう人間になれると。そう無邪気に思っていた。

 

 けれど、ミカが夢見た場所はそうでは無かった。寧ろ真逆だった。互いが互いに足を引っ張り合い、理由をつけて蹴落とし合い、互いに利用する事しか考えていない。それが当たり前の場所。

 

 

 ──それに意味あるんですか?

 

 ──ミカ様らしくて面白い冗談ですよね。

 

 ──それは、無理ですよ。もっと他の事にしたらどうですか?

 

 

 否定、冗談、窘め。全てがミカの事を表面しか理解しなかった。ミカの想いをあまりにも軽く扱い、あまつさえお花畑だと切り捨てて、利用しようとした。表面を幾ら取り繕おうが、ミカの勘の前では意味をなさない。

 

 ただ、ナギサだけは何も言わないでいてくれた。思う所はあったにしろ、ミカには何も言わなかった。セイアも一回心配そうに言ったきり。もし、ナギサやセイアが居なかったら、ミカはおかしくなっていたかもしれない。

 

 いや、実際にはおかしくなっていたのだろう。入学時にあったミカの想いは最近まですっかり熱を失っていた。いつの間にか、周りが言う事を当然だと受け止める自分が居る事にすら気がつかなかった。

 

 カヤツリに抱いたそれは、期待だったのかもしれない。襲い来るいじめを受け入れず、叛逆したカヤツリへの。この状況に、何か風穴を開けてくれることを期待しての無意識の行動だったのかもしれない。あの時、ミカがカヤツリに持っていた相談事の内容は、そういうものだった。

 

 

 ──エデン条約とか言ってるけど、私たちはトリニティ内ですら協力できてない。まずはそれからだと思うんだ。

 

 

 これは、半分は出まかせだった。カヤツリやセイア、ナギサに秘密で場所を突き止めたアリウス。それを受け入れさせるための案の一つに過ぎなかった。

 

 そんなミカにぶつけられたのが、あの言葉だった。

 

 最初ミカはお世辞か何かだと思った。でも、カヤツリがミカの要望を守りつつ、真剣に修正案を出すにつれて、実感が伴ってきた。

 

 

 ──ああ、この人は本気だ。私の想いに、私の宝物に敬意を払ってくれる。

 

 

 ミカの勘は、そう囁いていた。耳に痛い事を言われても、それはバカにしているわけでは無かった。ただただ、ミカの案を良いものにしようとしてくれているだけだ。

 

 カヤツリは否定しなかった、笑わなかった。本気で取り組んでくれた。それがミカにとって、どれだけの救いだったか知らないのだ。そして、ミカはすっかり夢中になった。セイアの為と言い訳して、何度も何度もカヤツリに会いに行った。そして何度か、セイアと話すカヤツリを見た。そのまま行った場合の将来を想像した。セイアと一緒になるカヤツリを想像した。

 

 そして、ふと。思ってしまったのだ。

 

 

 ──ああ、嫌だなぁ。

 

 

 あの時、確かにミカはセイアを羨んだ。嫉妬さえしていた。ミカが欲しくてたまらない物を、セイアは持っている。そして、その価値に気づいてすらいないのだ。その黒い感情を消すために、ミカは努力した。努力したが駄目だった。

 

 だから、ミカは許されない。アリウスに狂言を依頼する時、全く思わなかったのだろうか。セイアが怪我をすれば、暫くカヤツリを独占できると。アリウスを引き入れられたら、カヤツリが認めてくれるかも。なんて。

 

 そのことについて、ミカは自信がない。それにまだある。

 

 今回のクーデター。成功したならば、全ての派閥を解体して一つにまとめるつもりでいた。その草案が、カヤツリと一緒に作った計画なのだ。つまり、ミカは過去の思い出すら滅茶苦茶にしたのだ。

 

 何て女だろう。親友が羨ましくて、こんなことをするなんて。裏切り者では足りない。魔女だ。

 

 

「……馬鹿な人間の昔話をしようか」

 

「どんな風の吹きまわし?」

 

 

 思い出から帰還すれば、カヤツリが意味の分からないことを言い出していた。鋭く問い詰めれば、カヤツリは肩をすくめる。

 

 

「だって、話さないんだろう? なら、話くらいは聞け」

 

「……好きにすれば?」

 

 

 ミカは努めて冷たく突き放すも、カヤツリには相変わらず効いていない。効いていないはずなのに、どこか顔を顰めてカヤツリは口を開いた。

 

 

「バカな奴がいたんだ。そいつは、何でも出来て、何だってできると思っていた。実際にはそんな事は全くなかったのにな」

 

 

 作り話だろうか。少し、親近感が湧いた。なにせミカと似ている。興味が出てきたミカの耳に、話の続きが流れ込む。

 

 

「だから、そいつは一人で抱え込んだ。仲間がいたのに、何でも受け止めてくれると知っていたのに、何も明かさなかった。そして、ある時に失敗をやらかしたんだ」

 

 

 どうせ、大した失敗では無いのだろうと思った。ミカと境遇の似た人間の作り話を聞かせて、説得しようという訳だ。

 

 

「そいつは、大事な二人の仲間に黙って秘密の仕事をしていたんだ。そこで失敗して一ヶ月ほど動けなくなった。問題はそこで起きた」

 

 

 そこでミカは、カヤツリの様子がおかしい事に気がついた。馬乗りになられているから分かる事だ。身体が震えている。

 

 

「仲間が一人、居なくなっていた。もう一人の仲間は、居なくなった仲間を見つけられなかった。そして、そのバカな奴は、全てが終わってから帰ってきた」

 

 

 ミカの身体が冷たくなってくる。この話は作り話でないことが分かったからだ。これは、まさか、カヤツリの……

 

 

「結局、仲間は帰って来なかった。それは、バカな奴の所為なんだ。もし、もし、仕事の事を黙っていなければ、そのバカ野郎は間に合っただろう。そして、その愚か者は何をしたと思う?」

 

 

 カヤツリの声は怒っていた。ミカにではない。作り話であるはずの、バカと呼んだ人に怒っていた。

 

 

「そいつは逃げたんだ。理論武装して、仕方なかったって。そう言い訳した。仕事の事をもう一人の仲間に話すらしなかった。怖かったからだ。拒絶されるのが怖くて、先延ばしにした。それで後始末に終始しているうちに終わりがやって来た」

 

 

 いつの間にか、ミカの両手は自由になっていた。ミカの手首を押さえつけていたカヤツリは、両手を強く握りしめていたからだ。

 

 

「とうとう隠し事がバレた。それで問い詰められた時に、そいつは謝りもしなかったんだ! 謝るべきだった。謝るべきだったのに、そいつは、そいつは! 正論で押しつぶそうとしたんだ!」

 

 

 カヤツリは拳を床に叩きつけた。嫌な音が鳴るが、カヤツリは痛くもない様子だった。何より、表情は歪んで、後悔が滲みだしていた。

 

 

「結局、そいつは全てを失った。また、間に合わなかった。最後の機会を棒に振ったんだよ。大事だった仲間をすべて失ったんだ。仲間を守るための仕事だったはずなのに、結局は意味などなくなった」

 

 

 一息に言って、カヤツリはミカを見た。まだ眉間に皺が寄っていて、見えないながらも歯を食いしばっている。女装姿も相まって、まるで別人に見える。

 

 

「だが、だが。まだ、お前は間に合う。まだ機会が残ってる。まだ、戻れる。まだ何も失くしてなんていないんだ。まだ転んだだけで、ここからどうやって立ち上がるかなんだ。お前はまだ、立ってすらいないのに。もう歩けないって言うのか?」

 

 

 ここまで言って、カヤツリは静かになってしまった。目には怒りは無くて、どこか縋る様な、祈る様な感情が見え隠れしている。

 

 逆だ。それは、ミカがするべき瞳であって、カヤツリがする瞳ではない。でも、カヤツリは言うのだ。お願いだからと。

 

 ここでようやく、ミカはカヤツリが何故ここまでしてくれたのかを理解した。

 

 きっと、後悔しているのだ。間に合わなかったことも、謝れなかったことも、過去の失敗をなにもかも。

 

 だから、今同じような状況のミカに語って聞かせている。きっと話したくはない事だろう。仲間、きっと親友、いや恋人だったかもしれない。そんな人たちと喧嘩別れしてしまった。

 

 まだ何とかできたかもしれないのに、カヤツリは相手を信用しなかった。自分可愛さに謝らなかった。意地を張った。そして、取り返しがつかなくなった。

 

 そして、このままミカが意地を張れば、その通りになるのだろう。ミカはナギサとセイアを失う。そして、カヤツリはミカにそうなってほしくないのだ。

 

 その思いは祈りにも似ている。かつて見たことをもう見たくない。余りにも身勝手な願い。でも、真剣にミカの事を思ってくれている。そう勘が囁いている。

 

 

 ──この人は怖くて堪らないんだ。

 

 

 きっと大事な人たちに傷ついて欲しくないのだ。かつて、そんな思いをしたから。そして、その中にミカも入っている。だから、ここまで世話を焼く。

 

 今考えれば、セイアの好意に気づかないのも当たり前だ。

 

 カヤツリは大事な物を増やしたくないのだろう。増やせば、失う恐怖に怯えなければならなくなるから。それにまだ耐えきれないから。

 

 

 ──この人は自分を許せないんだ。

 

 

 ずっと、その選択をした過去の自分を許していない。ずっと自分を責め続ける。もしかしたら、一生。

 

 そこまで考えて、ふとミカは思った。

 

 

 ──この人は、誰が助けてくれるんだろう?

 

 

 カヤツリはずっと同じようにするのだろう。自分の為と嘯いて、他人を助け続ける。でも、カヤツリの事は誰が救ってくれるのだろう。それは、あまりにも悲しいのではないのか?

 

 

「……いいよ。分かった。ナギちゃんとセイアちゃんと話すよ」

 

「……本当か?」

 

 

 カヤツリが訝しむが、ミカは気にしない。しっかり企み事がある。

 

 

「その代わり、カヤツリ君にも言う事を聞いてもらおうかな。私だけじゃ不公平だからね」

 

「図々しいヤツ……それで? 言ってみな」

 

 

 ミカはしっかりとカヤツリを見つめて、言い放つ。

 

 

「謝って。謝っていない人にカヤツリ君も謝るの。謝る人がいないなら良いけどさ。それで公平ってものでしょ?」

 

「…………分かった」

 

 

 カヤツリの反応は静かだった。でも変化は劇的で、カヤツリは安心した様に、救われた様に微笑んだ。それは、ミカが好きな顔だった。そして返事をしたなら、カヤツリはそうするのだろう。ならばとミカは、この状況から脱することにした。

 

 

「なら、退いてくれる? やっぱり重いんだよね」

 

「ああ、悪い。今すぐ…………?」

 

 

 カヤツリは退かなかった。それどころか、足に力が入っていない。顔を上げてカヤツリを見れば、顔が真っ赤になっている。

 

 血だ。額に血が伝って顔が真っ赤だ。恐らくはミカの暴行の所為だ。その時の傷が、昔話の最中に開いた。それで、貧血になっている。

 

 

「ちょっと!? 大丈夫なの!?」

 

「ああ? 大丈夫だ。直ぐに、桐藤あたりが来る……」

 

「大丈夫なんかじゃ……!」

 

 

 怒り掛けたミカは、声を最後まで出すことはできなかった。意識を失ったカヤツリが覆いかぶさってきたからだ。正面から抱きしめられる形になって、ミカは全身を硬直させた。

 

 

「あ、ダメ。起き上がれない……」

 

 

 完全に重心が動かなくなっている。これは誰かが来ないと無理だろう。幸いにも、ナギサが来るようなことを言っていたから、安心である。というよりも、最初からそのつもりだったのかもしれない。だから、足止めに終始していた。結局はミカはこうなる運命だったらしい。

 

 

「全く……カヤツリ君も人の事言えないじゃない。ちゃんとカヤツリ君も数に入れなきゃ」

 

 

 ミカに言ったことは、きっとカヤツリの本音だ。きっとカヤツリが後悔したことで、言って欲しかったことなのだろう。

 

 なら、ミカがやる事は一つだけ。言って欲しいことをミカが言う。その時の表情は見ものだった。カヤツリは気づいていないだろうが、嬉しそうな顔をしていた。それこそ、ミカが見とれた柔らかい表情で。ああできたなら、何とでもなるだろう。そうミカの勘が言っている。

 

 そして、これからの事だ。ミカはナギサとセイアと話さなければならない。きっと辛いだろう。でも、言わなければ始まらない。ただ、その前に大事な確認だ。

 

 

「えい」

 

 

 覆いかぶさるカヤツリの背中に、ミカは恐々と手を回してみる。固いが、その奥に柔らかさを感じて、ミカの胸が暖かくなる。

 

 

 ──やっぱり、ダメだなぁ……一緒に居たいなぁ……

 

 

 これは誤魔化せないだろう。きっとセイアに問い詰められたら襤褸が出るし、ミカも嫌だ。コソコソするのはミカらしくもないし、最初の想いと反する。

 

 仲良くは出来ないだろう。互いに競い合う関係になる。今までの様に仲良くは出来ないかもしれない。でも、言うべきだ。セイアに、ミカがカヤツリをどう思っているかを。

 

 何て言われようが構わない。きっと苦しいだろうが。でも、そうしなければ。誤魔化したままでは、セイアとは昔のように向き合えない。

 

 そう心を決めた瞬間に楽になって、ミカはまた笑う。

 

 

「ああ、やっぱりバカだったね。私はさ」

 

 

 これを自覚するのに、なんて遠い回り道だったろう。余りのバカらしさに笑えて来る。そのうちに、床から近づいてくる足音が聞こえ始めた。

 

 迷いなく近づいてくるそれは、何だか騒がしい。

 

 

「何でこんな運び方をするんだ! 私は赤子ではないのだよ!」

 

「何を言っているのです。セイア様は病み上がりなのですよ! 戦闘に巻き込まれれば危険です!」

 

「ミネ団長の言う事も一理ありますね……」

 

 

 聞き覚えのある声の内二つは、会えないと思っていた友人の物で、ミカは涙がこぼれてきた。そして、教室の扉が開け放たれて、先ほどよりも大きな声が辺りに響いた。

 

 

「一体何をしているんだい! ミカ! やっぱりナギサの言う通りだったね!! カヤツリに抱き着かせるなんて、一体どういう神経しているんだ!? どいつもこいつも! 一体何なんだい!!」

 

 

 響き渡るセイアの声に返事をしようとしたミカは、思わず笑ってしまった。

 

 

「フフフ……何? セイアちゃん。その恰好?」

 

 

 セイアはミネの背中に括りつけられていた。例えるなら、アレだ。抱っこ紐で括りつけられた赤ん坊。それが余りにも様になっていて、笑いがこみあげてくる。なんなら、隣のナギサも笑いをかみ殺している。真面目なのはミネだけだ。

 

 

「……うるさい! 私だって不本意なんだ! 元はと言えば、ミカ! 君の所為じゃないか!」

 

「ええ~? まぁ、その通りなんだけどさ。でも、似合ってるよ。セイアちゃん」

 

「……フ、フフッ……そんな事を言ってはいけませんよ。ミカさ……フフッ」

 

 

 羞恥と怒りで叫ぶセイア。遂には動けなくなったナギサ。それを笑う自分。なんだか、かつての三人に戻ったような気がして。久しぶりにミカは笑った。

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