ホシノ同級生相棒概念   作:洞鼬

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307話 この世が虚しくとも

「……恐ろしいですか?」

 

 

 修道服の声がアツコの耳を揺らす。恐ろしいかだって? 恐ろしいに決まっている。サオリとの話で奮い立たせた心など、一瞬で萎えてしまった。

 

 あれは空想だった。あくまで想像。でも今のは現実だ。そう錯覚させるほどの迫力が、いや熱量があった。

 

 でも、修道服はアツコの心境など慮ってはくれない。覗き込むように言ってくる。

 

 

「しかし、これからあなたが就く役職は、程度の違いはありますが、似たり寄ったりの場面に幾らでも遭遇するでしょう。その度にあなたは、そうやって身体を丸めるのですか?」

 

「どうすれば良いか、分からない……だって、私には誇れるものが無い」

 

 

 サオリはあった。なんだかんだ言って、サオリは積み上げていたのだ。ずっとアツコたちを守っていた。だから怖くないのだ。怖くとも立ち向かえる芯がある。今だってベアトリーチェに立ち向かっている。

 

 アツコにはそれが無い。今まで何もしてこなかった。これから手に入れようとしている時にそれだ。あるわけがない。

 

 アツコにはそれが必要だった。それが無ければ、容易くあの熱量に飲み込まれてしまうだろう。唯の決意だけでは立ち向かえない。

 

 

「その様なものは、最初から誰も持ち得てはいません。錠前サオリや、あなたのご執心の兎馬カヤツリですらそうです。初めから、誇りを持って生まれてくる人間など居はしません」

 

 

 厳しい言葉だ。事実であるがゆえに反論できない。正しさを前面に押し出してきている。ただ、それはアツコを救ってはくれない。

 

 

「……ああ、だから牽制なんてするんですね? いいえ、あれは牽制になっているだけで、実体は別でしょう。実際、予想外の数に怯んだくらいですもの」

 

 

 牽制? アツコが何の話かと頭を回す間に、修道服の呆れた声が響く。

 

 

「あなたには何もない。それを自覚はしましたが現状は変わらない。だから彼に教えてもらうしかない。ですが、彼にメリットはあるでしょうか? ありませんよね? ただ見捨てるのが忍びなかっただけ。あなたが可哀そうだと思ったから」

 

「……」

 

 

 実際そうだ。アツコには何もない。ただ心持ちを変えただけ。修道服は屈んで言う。

 

 

「だから、あんなにアプローチするんでしょう。捨てないでと。幾ら強がっても、内心はビクビク震えている。泣いたり、怒ったり、拗ねたり、そんな手でしか引き留められない。教えてもらわないと何もできない。全部が人任せ」

 

「そんなことない」

 

「じゃあ、何でそこで蹲っているんですか? 理由が無いと立てないなんて、人任せじゃないですか」

 

 

 人任せと修道服は言う。嫌味には聞こえない口調ではあるが、確実にそれは嫌味だった。

 

 

「あなただって、そうじゃない」

 

「……そうですね。今の私はそうです。あなたにこうして説教を垂れることしかできない。私は失敗し、出番はもうない。こんな風になってまで此処にしがみついている」

 

 

 一瞬、修道服の声が震えたが、それはすぐに力強い言葉でねじ伏せられる。

 

 

「ですが行動しました。あの時の選択の結果を後悔はしていても、選択した事そのものは後悔していません。選択すら躊躇うあなたとは違う」

 

 

 生傷を抉られたように修道服は怯む。でも、それだけだ。アツコの様に折れはしない。

 

 対するアツコは満身創痍だ。支えて立つための何かがポッキリと折れてしまった。いや、初めからなかったのかもしれない。

 

 だって人任せなのは事実だ。アリウスを復興したい。皆んなに迷惑を掛けたくない。失望されたくない。やれない理由は全て人任せ。

 

 だから、すぐにへし折れた。

 

 ならばこのまま、此処で終わるのだろうか。いつものように諦めるべきなのだろうか。

 

 アツコがそうしようとしても、心がザワザワ騒めいて落ち着かない。俯いて見えない視界に声が響いた。

 

 

 ──イヤだ。

 

 

 そう、心の中で叫ぶ声がある。このままではいたくないと叫ぶ声がある。

 

 

 ──どうして? 怖くないの?

 

 

 此処から先の選択はアツコが背負う。成功も失敗も、その道中の苦労も。必ず報われるとは限らない。そうであるなら、最初からやらない方がマシなのではないのか。そうすれば怖い思いをしなくて済む。

 

 

 ──だって、楽しかった。

 

 

 恐る恐る問うた声は、力強い声に押し返される。

 

 

 ──あの数週間、あの生活は楽しかった。

 

 

 そうだ。楽しかった。あの長い様で短い日々は楽しかった。

 

 キツイ事を言われた。自らの未熟さと無知蒙昧さを突きつけられた。暫くは立ち直れなかった。

 

 でも、嬉しかったのだ。生まれて初めて、ロイヤルブラッドだとかを関係なく、真っ正面から見てもらったから。

 

 ほかの大人もそうだ。黒服も、店主も、アツコへ忖度はしなかった。

 

 

 ──あの数週間は私自身が選び取ったものではなかったの?

 

 

 心の騒めきが大きくなる。騒めきに過ぎなかったそれは、しっかりと聞き取れる様になっていた。

 

 

 ──あのプレゼントは? あのバラは? あれは私が進む事を選んだから手に入った物なんじゃないの?

 

 

 そうだ。あれは進むと決めたアツコにカヤツリがくれた物。アツコが何もしなかったら手に入らない筈だった物。

 

 だって、アツコが強請らなかったら、カヤツリはバラ園まで連れて行きはしない。あのまま黒服の所まで送られて終わりだ。あれらは、アツコの行動の賜物だ。

 

 

 ──それに、サッちゃん達と話すのは楽しかった。

 

 

 いつの間にか、騒めきはアツコ自身の声になっている。

 

 サオリ達と話すのは楽しかった。これからの未来の事を話すのは。何が出来て、何をしたいのか。そこには希望だけがあって、それだけの事が本当に幸せだった。

 

 でもそれは、アツコが立ち向かわなければ手に入らない。運よく転がり込んでくるという事もない。立ち向かって初めて挑戦権が得られる。そんな話なのだ。

 

 

 ──行こう。

 

 

 アツコは顔を上げる。まだ、背中は重い。恐怖や責任感、今すぐ投げ出してしまいたいものは圧し掛かったままだ。

 

 でも、アツコは知ってしまったから。流れに流されたのだとしても、確かにあの数週間の日々はアツコが決めたものだ。あれは生まれて初めて、アツコが選んだものだ。

 

 あの時、ついていくことを、選ぶことを受け入れたのではなかったか。それはずっと、アツコが願っていたものではなかったのか。

 

 それで、アツコが手に入れたものは何もなかったのか。そんな事はない。ある。大事に抱えている物がある。胸の奥で暖かく震える物がある。

 

 なら、このまま諦める様なことはしたくなかった。

 

 

「……退いて」

 

 

 屈んだ修道服を押しのけて、アツコは立ち上がる。そして、ハッキリと声に出した。

 

 

「扉を開けて。試練を始める」

 

 

 □

 

 

 ──何をするつもりでしょうか。

 

 

 再び過去の状況を再現した修道服は、そこへと向かっていくアツコを興味深げに見つめる。さっきとは違って、何とか持ち直した様子ではあるが、修道服の心配は消えはしない。

 

 今過去を展開している力は修道服の力ではない。アリウスに眠る、あのベアトリーチェとか言う大人が求めている物を流用しているに過ぎない。

 

 あれは、アリウスに積もった恨みや妬み。それらを一纏めにしたようなものだ。形の定まらぬ不定形なそれを、修道服は群衆という形で整形しているだけ。そうでもしなければ喇叭を持って飛び出してくるだろう。

 

 何百年もの間に堆積した負の感情。それをまともに浴びたのだから、ああなるのも当然だ。修道服が調整したとはいえ、むしろ良く立ち直ったものだと思う。

 

 

「始まりましたね……」

 

 

 アツコが定位置に着くと、またあの過去が始まった。それを見るたびに、修道服の胸が重くなる。

 

 あれは、修道服の過去だ。アツコが居た場所に、かつて修道服が立っていたのだ。

 

 そして、修道服は暴動を止められなかった。選んだ方法は間違っていた。そして、アリウスは分断されてしまった。だから、修道服はここに居る。

 

 修道服は記憶だ。元となった誰かの後悔。それが焼き付いて産まれた物。だから、修道服には名前が無い。この後悔に塗れた過去の記憶と、それからの先のロイヤルブラッドの記憶しかない。

 

 修道服が焼きつけられたのはロイヤルブラッドの血だ。アリウスそのものを象徴する神秘。だから、ロイヤルブラッドの記憶があるし、アリウスの負の感情の扱い方も分かる。これが場所だったら場所の記憶。道具なら、ましてやピアノであるのなら、ピアノの弾き方になるだろう。

 

 修道服はロイヤルブラッドの血に焼き付いた後悔。だから、アツコの中に居る。アツコが何を思ってここまで来て、アリウスの生徒会長になろうとしたのかも知っている。

 

 あんな希望に満ちたロイヤルブラッドなんて。それはアリウスで史上初だ。

 

 だから、アツコに期待している。そして、試練を突破できる。あの群衆の問い詰めに対応できる。彼らの熱に負けないと信じている。

 

 それを突破できなければ、アリウスの生徒会長になる資格はない。あの熱はアリウスに眠るモノの一端でしかない。

 

 

「あなたが生徒会長でしょう!?」

 

 

 遂にアツコに限界を迎えたひと言が放たれる。我に返った修道服がアツコを見れば、群衆に囲まれている。

 

 

「あなたたちは、私にどうしてほしいの?」

 

 

 アツコが返した答えは、そんな一言で。修道服の背中には冷たい汗が伝う。その回答は良くない。群衆がどちらも苛立ったのが分かる。このままでは爆発する。これではどちらかに付くことが出来なくなる。

 

 

「あなたは生徒会長だ! ロイヤルブラッドでしょう! あなたには、そうする義務がある!」

 

「なら、聞くけど。どう決めて欲しいの? 私はあなたたちが争っている事しか分からない」

 

 

 ざわつく群衆と、それをみつめるアツコに修道服は驚く。何で争っているかなど、アツコは知っているはず。だから、そのどん詰まり具合に俯いていた。今更、聞き直す意味などない。

 

 時間稼ぎだろうか。しかし、さっきまで時間はたっぷりあった。今になって時間を稼ぐ意味は分からない。それに、話の進め方がどこかで見たことある気がする。そうして修道服が悩む間にも話は進んでいく。

 

 

「ですから、決めてほしいんですよ。トリニティが受け入れてくれるのか、そうでないのか! これからのアリウスに関わる大事な事じゃないですか!?」

 

「関係ないよ」

 

「は?」

 

 

 肯定派の群衆の台詞と同じ言葉が修道服から漏れた。あり得ない答えだ。それは生徒会長としての義務を放棄することに他ならない。群衆の怒りがどんどん膨れ上がって、アツコに叩きつけられる。

 

 それでも、アツコは涼しい顔のまま短く言った。

 

 

「トリニティは関係ないでしょう?」

 

「そんな事はありません! 私たちは……」

 

「アリウス。トリニティじゃない。私たちはトリニティから破門され迫害された。だからここに居る。それなのに、アリウスの未来にトリニティが関係するって言うの?」

 

 

 修道服は舌を巻いた。それは、完璧な言い回しだった。今まで誰もが思いついてもおかしくない。けれども誰も思いつかなかった答えだ。修道服ですら思いつかなかった。

 

 どうしてかと頭を捻れば、あまりにも単純な答えに修道服は頭を抱える。

 

 本当に単純な答えだ。アリウスの外を見たかどうか。ただ、それだけ。アツコはトリニティに固執する必要が無いことを、もう知っている。内乱を起こしても数百年存続できたことも。反則染みた未来知識のお陰で、会心の切り返しが実現していた。

 

 

「なら! トリニティは私たちを受け入れないという事ですね!? だったら──」

 

「だったら、トリニティに復讐したいの?」

 

「なっ……!」

 

 

 アツコに答えを先回りされて、反対派の群衆の勢いが落ちた。そう来ることはお見通しだろう。反対派の最終目的はそれで、反対派が勝ったが故の今のアリウスだ。

 

 そして、その隙をアツコは思い切り抉りぬく。

 

 

「それで、どうするの? 全員を巻き込んで、トリニティへ復讐して。トリニティの方が数が多い。こっちはボロボロ。それで勝てると思うの?」

 

「やってみなきゃ分からないじゃないですか!?」

 

「そうだね。分からない。でも、分かる事もあるよ?」

 

 

 アツコは態度を変えない。変えないまま、淡々と事実を突きつける。

 

 

「全力で当たらなきゃいけないってこと。やりたくない人も、やりたい人も巻き込んで、復讐への道を突き進むことになる。それでも勝てるか分からない」

 

「だから、今ここで!」

 

「そう。私に決めて貰おうとした。自分じゃ抱えきれないから、違う?」

 

 

 遂に、反対派は黙り込んでしまった。そんな中で一つの声が上がる。

 

 

「じゃあ、結局。私たちはどうしたらいいんですか? このまま、ここで誰からも忘れられて隠れ住むんですか?」

 

 

 マズいと修道服は顔を歪めた。最後まで誤魔化し切れなかったからだ。結局、この問いに正解は無い。トリニティが許す許さないに関わらず、アリウスの問題は別のところにある。あの二つの派閥も、現実逃避の上で生まれたに過ぎない。

 

 

「どうすればいいんですか?」

 

 

 どうすればいい。私たちはこのままなのか。このまま誰にも救われないまま、ここで朽ちていくのか。何も悪い事をしていないのに。

 

 アリウスの負の感情が噴き出していた。この際限のない負にぶつけるべき答えなど、修道服は思いつかない。思いついていたら、とっくにやっていただろう。

 

 生半可な答えでは、これは納得しない。か細い希望でも、目の前の微かな幸せですら役に立たない。それを齎す材料すらここにはない。

 

 それでもと、修道服はアツコを見る。かつて、あの群衆と同じだったはずのアツコは、今はまるで違った。どうしてなのか、修道服は分からない。でも、その答えをアツコは知っているはずだ。それがあったから、修道服はアツコを選んだ。

 

 修道服と群衆が見守る中で、アツコはゆっくりと口を開く。

 

 

「幸せになろう」

 

 

 それは、あまりにもありきたりな答え。修道服は落胆し、群衆は怒り猛った。

 

 

「そんな、そんな答えで! 飲み込めというんですか!? ここには何もないのに! そんな誤魔化し──」

 

「誤魔化しじゃないよ。証拠はちゃんとここにある」

 

 

 アツコは群衆の背後を指差した。そこには何もない。ただ完成途中のポルタパシスが広がっているだけだ。

 

 

「ポルタパシスが何だっていうんですか。こんなのは、ただの建物じゃないですか」

 

「そう。唯の建物。それもまだ完成してない。でも、私たちが作った物。一から作ったものだよ」

 

 

 アツコはポルタパシスから目を離して、周りをぐるりと見渡す。

 

 

「それにここ、ニコメディア。トリニティに追われながらも、私たちは独力でここを切り開いた。必要に迫られての事だけど、私たちはやり遂げた」

 

 

 アツコは、群衆にと視線を戻す。

 

 

「私たちはここまでできた。物資もない、誰の助けもない。それでもここまでやってきた。それはトリニティ無しで、ここまでできるって言う何よりの証明じゃないの? だったら、これ以上の事が出来るかもしれない。トリニティが嫌いなら、トリニティよりも青春して、幸せになってやればいいの。そうなった後で、こう言ってやればいいんだよ。私たちを切り捨てたのは間違いだったって、もう遅いって」

 

 

 それを想像したのか、少しアツコは微笑んでいる。群衆の刺々しさも幾分和らいでいた。

 

 

「でも、でも。そうなる保証はないじゃないですか……」

 

「そうだね。でも、やってみる価値はあると思うよ。やらなきゃ可能性はゼロのまま」

 

「そう頑張ったところで、この世は虚しいんですよ。意味なんてありません。世界はそういう物なんです」

 

 

 今度は感情論に走り始めた。修道服は乱入できずに歯ぎしりするしかない。

 

 

「Vanitas vanitatum, et omnia vanitas──確かにそうかも、死ねばすべてが終わる。どんなに頑張っても死ねば終わり」

 

「そうでしょう? だから……」

 

「でも、つまらないよ」

 

 

 あんまりな事を言うもので。群衆の代表者は口をポカンと開けるだけだ。

 

 

「確かに、下らない事で失敗するかもしれない。だって、全ては虚しいんだから。そう言う事もあるかもしれない。全ての努力が水の泡に終わる事もあるかもね」

 

 

 でもと、アツコが言う。

 

 

「何も分からないって言うけど、失敗しない可能性も分からない。逆に、ちょっとしたことで。小さな決断で、全てが上手くいくこともあるかもしれない。だったら、死ぬまでの間くらいは本気で生きて見ようと思わない?」

 

「そんなの。そんなの……」

 

「あるよ。世界は虚しいかもしれないけど、私たちが思うよりも、ずっと広かった」

 

 

 群衆はいつの間にか居なくなっていた。ただ一人、今まで喋っていた代表者だけが残っている。そして、それが誰なのか。それが、どうしてそこに居るのか。修道服は知っている。

 

 

「あなたはどうするんですか? これから、どうしていこうと思うんですか?」

 

「諦めないで行こうと思う。世界が虚しいだけじゃない事を私は知ってる。それだけじゃない事を私は見たんだから、絶対に信じられる」

 

「そうは限らない。そうでしょう? 世界は荒野です。その風はあまりにも冷たい」

 

 

 アツコは、もう迷ってはいなかった。迷わず、きっぱりと告げる。

 

 

「何度でも言うよ。でも、それだけじゃないって。だから、これから始めていくの。私たちの青春。私たちの青春の物語を」

 

「なら、そうしてください。新生徒会長。秤アツコ生徒会長」

 

 

 それ以上、アツコに答える声はもうない。アツコの前には、誰も居なくなったポルタパシスが広がっているだけだった。

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