ホシノ同級生相棒概念 作:洞鼬
「あれ……?」
いつのまにか、ホシノはどこともしれぬ場所に座り込んでいた。
辺りを見渡すと、どこかの部屋だと分かる。薄暗くて、ごちゃごちゃしている。陽が落ちているせいもあってか、前までのような綺麗で明るい部屋とは言えない。
──前まで……? いや、そもそも、ここは……?
妙な思考を振り払い、ホシノはここがどこであるかを思い出そうとする。ここがどこであるか、絶対に知っている筈だから。
「あ……」
ギシギシと、階段の軋む音がする。その音で、ホシノはここがどこだか思い出す。
ここは、アビドス生徒会室だ。
張り紙まみれのホワイトボードも、机の上に積み上げられたファイルの山も、何もかもが記憶の通り。
──記憶の通り……?
妙な違和感がホシノを襲うも、ホシノはそれを思考の隅へと追いやる。
とても、悲しい事があった。それでも最悪は避けられたかもしれない。
それを早く確かめたくて、ホシノは、その方向に目をやる。
「カヤツリ……? カヤツリ……!」
音を立てて開いた扉の先には、カヤツリが立っていた。焦げたヨレヨレの制服に、頭には包帯。見えている部分にもいくつかの傷があって、ガーゼには血が滲んでいた。
きっと、仕事とやらの傷だろう。だから一ヶ月近くも帰って来なかった。何故か、自然にホシノはそう思う。
そのことに対する疑念や、心配する気持ちがあったが、カヤツリが帰って来てくれた。それだけで、そんなものは何処かに飛んで行った。
「良かった……良かったよ……」
今のホシノにあるのは安堵の気持ちだけしかない。よろよろと立ち上がって、カヤツリの手を掴んだ。温かい体温が、確かに本物だと教えてくれる。
カヤツリに伝えなければならない事が山のようにある。いつものように、ホシノはカヤツリへと声を掛けた。
「あのね。カヤ──」
「何で、こんな遅くにいるんだ。何かあったか? 誰か来たりとか、何かを言われたりしなかったか?」
「え……?」
ホシノは、声を遮られた事に唖然とする。おかしい。普段なら、こんな事は絶対にないのに。いつもなら、ホシノが話し終わるまで待ってくれるのに。
よくよく見れば、カヤツリは焦っているようだった。カヤツリは、ホシノの言葉を遮って一気に捲し立てて来る。
けれど、ホシノはそうされても、首を横に振るしかない。
「誰もこないよ……?」
「良かった……」
なんだか嫌な気持ちになった。胸が騒つく。それは、ホシノが言おうとした事を遮られただけではない。次に、何て言うのかが分かりきっている。誰も来なかったが、何もなかったわけでは無い。
「ホシノにも掛けたんだけど……電話はどうしたんだ? 繋がらないが」
「あ……」
懐の携帯を取り出せば、画面が真っ黒になっている。もう掛ける相手も居ないと思って、充電なんかしていなかった。
「ごめん……充電、忘れてたよ」
「いいんだ。何もなかったんだろ? そうだ。ユメ先輩は?」
何でもないように放たれたカヤツリの言葉に、ホシノの心臓が大きく跳ねる。ぞわぞわと冷たい何かが、足を這い上ってくる。
「ユメ先輩にも繋がらないんだ。また、充電を忘れたのかな……」
カヤツリが何かを言っている。話しているのは分かるが、内容は耳には入ってこない。どっどっと、何かの音が響く。
「ホシノ……? ホシノ……!?」
「あ……何?」
その音が、自分の拍動の音だと気づくのに暫くかかった。いつのまにか、カヤツリが心配そうに覗き込んでいた。
「変だぞ……何かあったのか? 何時もなら、パトロールに行ってるだろ? 何でここに居るんだ?」
「……」
ホシノは答えられない。答えはある。けれど、それをカヤツリに言えなかった。言いたくもない。それを、その事実を真正面から見つめたくはない。
「あー……ユメ先輩と、喧嘩でもしたのか?」
「え、なんで……」
どうしてそれを? まるで見てきたかのように言うので、ホシノはうまく話せなくなる。足までだった冷たさが、首元まで上がって来て身体が震える。
それを知ってか知らずか、カヤツリは静かに微笑むのだ。
「あれだろう? ユメ先輩が、また何かやったんだろう? 大オアシスの話でもされたんじゃないか?」
「ひっ……」
ホシノの口から情けない声が出た。怖い。怖くてたまらない。震えが止まってくれない。
カヤツリはどういうつもりで、こんな事を言うのだろう? ホシノを責めているのだろうか? 分からない。何もかもが、分からない。
「どうしたんだよ……ユメ先輩に何か言ったのか? 謝ればいいじゃないか。いつものことなんだし……許してくれるって」
「はぁッ……はぁッ……はぁッ……」
緊張と恐怖で鼓動の速度が上がる。思考はグルグル袋小路。視界は暗くてカヤツリしか見えない。もう全身の震えは止まらない。
もう、ホシノは限界に近かった。
「なんだよ……ユメ先輩が、一緒に連れて行ってくれなかったのが、そんなに嫌だったのか?」
「一緒……」
そうだったら、どれだけ良かっただろう。ホシノが一緒だったなら、ユメ先輩は遭難など絶対にさせなかった。今もここに居てくれた筈だ。
でも、カヤツリはその事を知らない。まだユメ先輩がいると思っている。今はもう遅いから、家に帰っていると思っているのだ。
そんなカヤツリに、ホシノは言わなければならない。遭難して死んでしまったと。ホシノのせいで、死んだと。そう言わなければならないのだ。
無理だ。言える訳がない。何て言われるか考えただけで、胸が引き裂かれたように痛む。
その間にも、カヤツリは優しく声を掛けてくれるのだ。情けなさで心がどんどん萎えていく。
「しょうがないじゃないか。出かけるのは決まってたんだし……」
カヤツリの言葉に、ピタリと震えが止まった。言えない筈の言葉が、簡単に口から出てくる。
「決まってた? ユメ先輩は何処かに行く予定だったの……?」
「え? そうだけど……」
さっきまでの動悸は収まっていた。首までの冷たさももうない。別の物がそっくり入れ替わろうとしている。
「……何で行ったの?」
「そりゃあ、大オアシスの……待て。ユメ先輩から聞いたんじゃないのか?」
「聞いてないよ。カヤツリとは違ってね」
困惑しているだろうカヤツリの言葉を、ホシノは叩き切る。
「ユメ先輩は、もう居ないよ。話も出来ない」
それを言ったらおしまいだ。頭の中で誰かが叫ぶ。でも、これを抱えられはしないのだ。今すぐに投げ出してしまいたい。共有しないと耐えられない。
身体が、頭が熱い。溶けて、ぐちゃぐちゃに混ざった中身が、圧力に負けてホシノの口から飛び出そうとしている。
「何を、言って……」
ホシノは我慢しているのに、苦しんでいるのに、後悔しているのに、助けて欲しいのに。カヤツリはそれが分からないようだった。その事が、しらばっくれているようにしか見えなくて。ホシノの熱が上がった。
「ユメ先輩は、一人で出掛けたんだ。私を置いて」
「ホシノ……?」
圧力が上がって、言葉が弾ける。一度口が緩めば、もう止まらない。
「遭難したんだよ。ユメ先輩は……遭難して、死んじゃった」
「……」
カヤツリは言葉を発しなかった。それすら、ホシノは気に食わなかった。
「ねぇ、どうして。ユメ先輩は一人で出掛けたの? どうして、そうする事をカヤツリは知ってるの? 今の今まで、帰って来なかったのに」
カヤツリは答えない。答えないから、ホシノは叫んで、吐き出した。
「知ってたんだ! カヤツリは知ってた! ユメ先輩が一人で出掛ける用事があるのを知ってたんだ!」
ホシノの蓋が、音を立てて弾け飛んだ。もう止めるものは何もない。ホシノの煮詰まった中身が勢いよく飛び出して、カヤツリへと襲いかかった。
「何で私に言ってくれなかったの!? そうしてくれたら、ユメ先輩は死ななかったかもしれないのに! 答えてよ。何で!? どうして!? 早く答えて! 答えろ!!」
ホシノは掴みかかった。カヤツリを押し倒して、襟首を掴み上げた。
カヤツリはそれでも口を開かない。完全に固まって、何の反応もない。それが腹立たしくて、許せなくて、どんどんホシノはエスカレートする。
「なら、全部……カヤツリのせいだよ! 出てってよ! 今すぐここから出て行って! もう顔も見たくない!」
でも、カヤツリは動かない。馬乗りになられているから、そうはできないのに。そんな事を考える余裕もない。
それが、ホシノには反抗に見えた。それは、ホシノがユメ先輩に八つ当たりしたせいだと言われているように見えた。だから、そこから動かないのだと。
そうだと、ホシノのせいだと言われたくなくて、言ってはいけない言葉が、口を突いて出た。出てしまった。
「カヤツリのせいだよ……」
さっきまでの怒声が嘘のように、小さな声。でも、部屋の静けさと、この距離では、十分に聞こえる声だった。
「ユメ先輩が死んだのは、カヤツリのせいだよ!!」
「そうか」
真っ黒なカヤツリの目がホシノを見ていた。いつも通りの声の調子で、いつもの表情で、真っ黒な瞳で、ホシノを見ていた。
──あ……ああああ!!
その目に見つめられて、ここに至ってようやく。ホシノは自覚した。これは夢だ。過去の、取り返しのつかない過去の夢。それを夢に見ている。
でも、自覚するもしないも、意味はない。寧ろ悪い。今なら、その時ですら分かっていた事を突きつけられるからだ。
『あ……』
過去のホシノの身体はカヤツリに押されて転がり落ちる。突き飛ばされた訳ではない。軽く押されただけでそうなった。
「そうだな。
床に座り込む過去のホシノに、立ち上がったカヤツリは淡々と言う。
それが、ただただ恐ろしかった。悲しむでも、怒るでも、笑うでもない。ただただ普通なのだ。
テスト勉強をサボったから、テストの点数が悪かった。傘を持っていくのを忘れたから、びしょ濡れになった。するべき当たり前のことをやらなくて、その報いが当たり前にやって来た。そのくらいの調子の言葉でしかない。
「出て行くよ。もう、ここには何もないし意味も理由もない。一つ言うなら……悪かったよ。ホシノが最初から正しかったし、酷いことをしたな」
気圧されて、過去のホシノは何も言えなかった。自分がしでかした事に放心していた。
カヤツリが自分のロッカーから荷物を取り出して、居なくなって暫くして。漸く気がつく体たらく。
『待って、カヤツリ! 待って! そんなつもりじゃ! 私はただ! ごめんなさい!』
過去のホシノは校舎中を駆けずり回る。でも、カヤツリの姿はない。仕事部屋も、ロッカーの中も、何もかも。綺麗さっぱりとカヤツリの痕跡は無くなっていた。
共有しているホシノの視界が滲んで、周囲の景色が高速で脇へと流れていく。その結果がどうなるかは、とっくにホシノは知っている。
この後、探せるところを探した。アビドス砂漠にも足を伸ばした。逆に遭難し掛けるくらい、探して、探して、探しつくして。何も見つからなかった。
家も、部屋も、空っぽだ。カヤツリがいたことが夢みたいに。カヤツリの痕跡はさっぱりと消えてしまった。あの日から毎日、余程の理由が無い限りは探しているが結果は芳しくない。
『嫌だ、嫌だ! 私が悪かったから、謝るから、だから!』
幾ら、泣こうが喚こうが無駄だ。謝ったところで意味はない。今なら、他の世界からやって来たシロコの目を見た今なら分かる。
そっくりだった。黒いクレヨンを画用紙の上で、白いところがなくなるまで、ぐりぐりと擦ったような。あの時のカヤツリの目の奥はそんな風だった。
カヤツリは、何かを諦めたのだ。諦めたから、あんな普通の反応を返してきた。そして、それにホシノは耐えられなかったのだ。
ホシノはただ、傷の舐め合いをしたかっただけだ。カヤツリもホシノも、お互い悪かったねと。そう言いあって、ユメ先輩の死について、心の整理をつけたかった。
でも、ホシノは弱かった。カヤツリのせいという、特大のミスを前に、ホシノは逃げた。心のどこかで、怒って言い返してきてくれると思っていた。現実はそんな事は起こらず。ホシノは相応の報いを受けて、こんな夢を見る。
──あんなもの。見なければよかった。
過去の自分自身の嘆きを、他人ごとのように聞きながらホシノは思う。
──どうして、私は。ああなれなかったんだろう。
『だから! 出てきてよぉ!!』
過去の自分の声に、ホシノは聞こえないふりをする。耳を塞いでも、その声は何時までも耳にこびりついていて。中々離れてはくれなかった。
□
音を立てないように、シロコは教室の扉を開けた。きれいに掃除してある甲斐あって、扉はスルスルと開いてくれる。
抜き差し差し足忍び足。その調子で音を立てずに、シロコは目的の場所まで近づく。
そこは、教室の隅の机だ。そこには小柄な誰かが。枕を抱きしめながら毛布に包まって眠っている。けれど、安眠しているとは口が裂けても言えなかった。
「うううう……嫌だよ……」
「ホシノ先輩……」
シロコは心配そうな声で、眠るホシノをみつめる。
ホシノは魘されていた。昼寝の為に教室に篭るのはいつもの事だが、ここ最近はずっと魘されているのをシロコは知っている。
「ごめんね……ごめん……私が悪かったから……」
うわ言の内容はいつも同じだ。誰かにひたすら謝っている。しかも泣きながら。そして、もう一つ。
「カヤツリ……帰ってきてよ……」
カヤツリ。シロコにとっては聞いたことのない名前。ホシノはその名前を、縋るように呼んでいた。
「……どうですか? シロコちゃん……」
「ん。ノノミ」
どうしようかと手をこまねいていれば、扉で待機していたノノミが傍まで近づいて来た。涙で色が変わった枕を悲しそうに見て、乱れた毛布を掛け直している。
「……どうすれば良いと思う?」
「どうしましょうか……」
助っ人に呼んだノノミも、どうすれば良いのか分からないようだった。シロコにはこうなってしまった原因が、とんと分からない。
「どうして、今になって魘されてるの? 今までこんなことは一度も無かった。それに、最近は良い事ばかりなのに……」
辛そうなホシノを見るだけで、シロコの胸が締めつけられる。最近は良い事ばかりのはず。ついこの間など、中学生が見学に来たくらいだ。色彩襲来時の活躍が有名になったのかもしれないと、ホシノも喜んでいたのに。
「今までも、あったのかもしれませんよ。ただ、ホシノ先輩が隠していただけで。家とか、私たちの知らない所では、ずっとこうだったのかもしれません」
「そんな……」
俯くシロコに、ノノミは優しく聞いてくる。
「シロコちゃんが知る限り、何時から何ですか?」
「ん……つい最近」
そもそもの始まりは、ついこの間の事だった。会議の時間になっても、ホシノがいつまで経ってもやってこない。
それは珍しいことでは無い。大体誰かが起こしに行って、それで済む。それが、あの日はシロコだっただけの話だ。
いつもの教室に起こしに行ったシロコが見たものは、今の様に魘されるホシノだった。普通に起こせば、ホシノはいつもの通りで、魘されたことをおくびにも出さない。
問い詰めれば、”シロコちゃんが悪い子になっちゃった夢を見たんだよぉ”だ。誤魔化しているのが見え見えだった。
一度だけであればまだいい。けれど、ここのところ毎日である。ホシノの為にも、何か手を考えなければならない。
「……とりあえず。一度出ましょうか。起こすのもいけませんから」
「ん。分かった」
一先ず、シロコ達は入った時と同じように、音もなく教室を出た。扉を閉めれば、何の音も漏れ出てこない事を確認して一息つく。
「セリカちゃんと、アヤネちゃんは知っているんですか?」
「知らない筈。ここの所ずっと、私が起こしに行ってる」
「そうですか……」
ノノミは、ひとまず安心したのか、小さく息を吐く。
「シロコちゃんは、何か心当たりはありますか?」
ノノミの質問に、シロコは頭を働かせる。心当たりはない事もない。
「色彩が来た。あれから直ぐだと思う」
「そうですか。んー……何か、ありましたっけ?」
ノノミは首を傾げているが、シロコが知っていることは、そう多くない。
「私は、向こうの私に捕まってた。だから、ノノミの方が詳しいと思ったの」
「そうでしたね……シロコちゃんの方では特にないと……」
そう、シロコは、シロコ・テラーに捕まっていた。だから、地上で起こっていたことはあまり知らない。ホシノが気に病みそうなことは、特に思いつかないというのが。ノノミに助っ人を頼んだ理由の一つでもあった。
「うーん。私たち、あまり活躍はしていないんですよね。方舟でしたっけ? シロコちゃんを助けに、あそこに突入した位で」
「でも、虚妄のサンクトゥムの守護者? アビドス砂漠に、ビナーとか言うのが出たって……」
「ああ。ホシノ先輩が言ってましたね。あれは、ビナーだよって。本物じゃないとかなんとか……その時も、どこか悲しそうでしたね……」
ノノミは、目を細めて肯定した。どうやら、ビナーの事はホシノも知っているらしかった。シロコは首を傾げて聞いてみる。
「なら、ビナーの所為?」
「違うと思います。私たちは、ビナーと戦っていませんから……」
「戦ってないの?」
シロコは少し驚く。人づてではあるが、他の学園でも出現した守護者。それは各学園が対応したと聞いている。アビドス砂漠に出現したなら、対策委員会の出番であるのは当然のはずだ。
シロコの疑問に、ノノミは答える。
「私たちではなく、他の人が戦ったんです。人というより、会社でしょうか……」
どことなく、ノノミは答えたくなさそうだった。でも、シロコは気になる。だから普通に聞いてみれば、ノノミは小さく呟いた。
「ネフティスですよ。セイントネフティスです。かつてのアビドス一の大企業ですよ」
「ん。知らなかった」
「そうですね。アビドスからは撤退したはずですから。殆ど他の学区に移動しました。少なくとも、私の知る範囲ではですが……でもどうやって、ビナーを倒して、方舟相手に通用するほどの力を?」
道理でアビドスで見たことが無いはずだ。まだ何か言っているノノミをシロコは褒める。
「詳しいね。ノノミ」
「……そうですね。でも、これくらいなら、アヤネちゃんも知っていると思いますよ?」
一瞬、ノノミの返事が遅れた気がした。ノノミの様子を確認するが、特にいつものノノミにしか見えない。気のせいだろう。
「あ、そう言えば」
「どうしたんですか? 何か思い出しました?」
ノノミの声に、しっかりとシロコは頷く。思い出したことが二つあった。
「さっきホシノ先輩。人の名前を呼んでた。知らない名前だったけど、聞いたことはある」
「名前……?」
不思議そうなノノミへ、シロコはしっかりと答えた。
「ん。カヤツリ先輩って。向こうの私も、同じ名前を言ったの。あの黒い鳥に」
「……あの?」
「うん。よくわからないけど……私にあんな先輩は居ない」
あの黒い鳥に対してカヤツリ先輩と言っていた。あの鳥は、方舟の中で暴れまわった挙句にどこかへと消えてしまったが。
「うーん。よく分かりませんね……それで、もう一つは何なんですか?」
「ん。ノノミの方が知ってる」
「私が?」
ノノミは豆鉄砲を食らったように茫然としていた。でも、そのはずだと、シロコは知っている。
「ん。ちょっと前、ここの校庭に誰かが倒れてたって聞いた。パトロールの当番だったホシノ先輩が見つけて、一緒だったノノミが手伝ったんでしょ? 向こうの私が言ってたけど?」
「……向こうのシロコちゃんとは、よく会うんですか?」
ノノミは、質問には答えなかった。逆に質問してくる。
「うん。サイクリングで競争になる。最近は楽しそう。そういえば、マフラーもしてたっけ」
何か、良い事でもあったのだろう。最初は死にそうなくらいの顔だったが、最近は表情が明るい。先生の所にも顔を出しているらしい。
「マフラー……? ああ、そうですか。良かったです……」
ノノミも同じ気持ちなのか、嬉しそうに呟いている。
「それで、誰が倒れてたの?」
「あー……二人倒れてたんですよ。きっと、向こうのシロコちゃんが嬉しそうなのは、そのせいでしょうね」
「どういうこと?」
ノノミの答えは、よく分からなかった。唇を尖らせれば、ノノミは笑って教えてくれた。
「二人の内、一人はホシノ先輩にそっくりだったんです。だからきっと、向こうのシロコちゃんのところのホシノ先輩だと思います」
シロコは、目を瞬かせた。確か、泣きながら皆死んでしまったとか言っていた。それでも、ホシノが生きていてくれたのなら、それは嬉しいだろう。だから、嬉しそうなのだ。
「向こうのホシノ先輩は大丈夫なの?」
「ええ、まだ眠っているようですが。身体は何の異常もないようですよ? 目を覚ましたら、会いに来てくれるかもしれません」
シロコは、その場面を想像しようとして止めた。向こうのホシノがどんな姿か予想がつかなかった。もしかしたら、向こうの自分と同じように、成長した姿かもしれない。
それは楽しみに取って置こうと、そうシロコは決めた。
「もう一人は?」
「……分かりません」
「分からない?」
シロコが聞き返せば、ノノミは頷くだけだ。
「……名前が分からないんです。先生が生徒名簿を確認しましたが、誰もヒットしませんでした」
「……そう。ありがとうノノミ」
シロコは、話を切り上げる事にした。ノノミへ礼を言って、その場を後にする。しばらく歩いて後ろを向けば、誰の気配も感じない。
周囲の気配を確認してから、シロコは呟く。
「ノノミ。何か、隠してる……」
どうにも変だ。一年の付き合いだが、シロコには分かる。ノノミは隠し事をしている。
嘘は言っていない。けれど、何かを話さないようにしている。校庭の件の事を隠していたのがいい例だ。
問い詰めて見ようかと、シロコは思う。だが、直ぐに思い直した。
ノノミは口が上手い。まだ一年生の時に、何回もやり込められた。問い詰めても、同じようにされてしまうだろう。だったら、手段は一つだ。
「ん。先生に聞いてみよう」
確か、明日か明後日の会議で先生が来るはずだ。アヤネが重大発表があるから呼ぶと。確かに言っていたことを思い出して、シロコはしっかりと頷いた。