ホシノ同級生相棒概念 作:洞鼬
目の前で再構築された二台のシェマタ。その光景が意味するところを先生は知っていた。
「これは、物質の再構築……」
鋼鉄大陸での事件。それをあそこまで拡大させた名もなき神々の技術である。文字通りに、物質を他の物へと再構成できる。かつてのアインソフオウルが振るい、鋼鉄大陸でキヴォトスを飲み込もうとした力。
恐らくは、あの三人にカヤツリはシェマタを見せていたのだろう。もしかしたら、テクノロジーの解析を手伝って貰いすらしたのかもしれない。
そして、あの三人は部分的な記憶は残っている。その中に、名もなき神々の技術が含まれていてもおかしくはなかった。
──先生も、
今更になって、黒服の忠告を噛み締める。ケイに話しておけば、あの三人が、名もなき神々の技術を使う可能性を忠告してくれたかもしれない。だが全ては遅きに失した。先生はこの事態をどうにかする必要があったが、目の前の状況は文字通りの混沌である。
『ん? 何をした?』
電話で事態が把握できていないのか、苛立ち混じりのマコトの声が響く。電話の向こうからでも、何か良くない事が起こったのは分かったらしかった。それに、のろのろとした動きでマトが答えた。
「目の前に列車砲が二台あるよ……」
『そんなことあり得るわけがないだろう。私を騙そうとでもいうのか? その手には乗らんぞ』
「そうかい。なら、そうなんだろうね。私が何を言ったって聞きやしないんだろう。ならいいさ。勝手にしておくれよ」
「マコト! ふざけている場合じゃない! 本当に目の前に列車砲が二台あるの! そもそも、自分が何をしたか分かってるの!? よりにもよってカミガヤに、こんなことをするなんて!」
『キキキ……負け惜しみにしか聞こえんなぁ。カミガヤなど、媚びを売る事しか知らん負け犬ではないか』
マトは、もう訂正も何もしない。完全に諦めてしまっている。反対にヒナは電話口へ必死に叫ぶが、マコトは嘘だと信じているようで、全く取り合わない。
「向こうのトップはふざけてるの!?」
「まだ砂漠横断鉄道は係争中なんですよ!? それに攻撃するなんて!」
「ん! 許せない!」
対策委員会も穏やかではない。セリカとシロコは怒りを隠しもせず、アヤネは信じられないモノを見る目で、未だに高笑いの続く電話を見ている。
残りの二人、ホシノとノノミは喋らない。ただ悲しそうに、怖がるように、シェマタの前に立つカヤツリを見ていた。反応は二極化しているが、対策委員会の、マコトへの心象が地の底を割っているのは確かだった。
「……少し、いいかな」
先生は一先ずカヤツリへと声を掛けた。本来ならば、先にマコトの方を止めなければならない。それから対策委員か、カヤツリになる。だが、先生はカヤツリを優先することにした。きっと怒っているだろうから。ちゃんと話す必要があるし、先生はそうしたかった。
「何でしょうか。先生。この娘たちの話ですか? これの話ですか? それとも、アレの話ですか?」
カヤツリは、シェマタを見て自信満々の三人を指し、次にシェマタを指し、最後に高笑いし過ぎてせき込んでいる電話を指して、溜め息を吐いている。そして向き直ろうとしたカヤツリの、コートの裾をソフが引っ張った。
「なんか、またミサイルが来てるんだけど」
「え……?」
先生の頭がフリーズする。意味が分からない。これ以上の追い打ちの意味はないはずなのに。
「ああ、向こうからは攻撃が失敗したように見えるんだろう。格納庫が壊れて、中から無傷の列車砲が二台だ。追撃もしたくなる」
「なんか、そういうのテレビで見ましたね……」
アインの言葉に、シェマタ大地に立つというタイトルが脳裏に浮かぶが、それどころではない。今すぐ避難するかシェマタを守らねばならないはずなのに、アイン達は焦った様子もない。
とてつもなく嫌な予感がする。まさかとは思うが、あの三人の記憶にあるのは、物質の再構成だけなのだろうか。もしかしたら、もう一つも覚えているのでは?
「ふふん。ミサイル如きが、私たち三人謹製の作品をどうにかできると思ってるんですか? 出来るわけがないでしょう!」
先生の予想は嫌な形で的中しつつあった。シェマタが移動を始めている。足元の砂を金属の土台と線路に再構成しながら、二台のシェマタが砂原に飛び出していく。そこへ、先ほどよりも数の多い巡航ミサイルが殺到した。
シェマタも移動してはいるが、巡航ミサイルの方が何倍も早い。すぐさま追いついて、装甲を食い破る。先程の光景の再生産が行われるのが当然のはずだった。
「すり抜けた……?」
その場の数人が驚愕の声を漏らす。さっきまであったはずのミサイルの群れは、そのままシェマタをすり抜けていく。そして見当違いの方向へと飛んで行ってしまった。
「多次元防壁……!」
先生はそれを見たことがある。鋼鉄大陸で先生たちの侵入を阻んだ不可視の鉄壁。リオとヒマリの頭脳と、ケイとアリスの力でようやく突破した可能性という名の防壁。
悪い事に、あれを破壊する手段はもうない。アリスがもう名もなき神々の力を振るえない今、誰もシェマタを破壊できない。
信じられないのか、第二陣、第三陣とミサイルが性懲りもなく飛んでくるが、結果は変わらない。
「無駄ですよ。無駄。絶対にこれは破れません。それに破壊されても、材料は沢山あるんです。二台とは言わず、十台でも、百台でも。幾らでも作れます」
オウルの言葉を、先生は否定しきれなかった。恐らく理論上は出来る。材料など本当にそこら中にある砂を使えば幾らでも再構築できるだろう。
「渾身の作品ってところか……よくもまぁ、あの力ありきとはいえ、こんなの作れたな」
「ええ、どうです。凄いでしょう!?」
「いや、ほんとに凄いな。元のガラクタから改造するのは大変だったろうオウル。それに、アインも、ソフも」
オウルの鼻息は荒い。自信満々にふんぞり返っている。そこにカヤツリの、多分本当に感心したのだろう感嘆の言葉が掛かって、オウルの得意げな表情がさらに深まる。アインもソフも、オウルほどではないにしろ得意げだった。
そのまま、三人はシェマタの性能を説明している。それを相槌を打ちながら聞くカヤツリの顔はどこか優しい。
「ちょっと、ごめん。さっきの続きをいいかな」
先生が声を掛けると、カヤツリの顔から優しさが消えた。その消えた顔で先生を見てくる。
「ああ、邪魔が入りましたからね。とりあえず、先生のスタンスを教えてもらってもいいですか? ゲヘナに着くのか、それともアビドスに着くのか」
カヤツリはミサイルの事を無視することに決めたようだった。もう飛んでくる気配はないし、マコトもいつの間にか黙り込んでいる。カヤから連絡でも入ったのかもしれない。それと今の話を聞いて、ようやく現実を思い出したか。
もうシェマタは破壊できず、線路を破壊する手も使えない。よしんば破壊できたとしても、周りの砂を使って幾らでも再生産が出来る。もう悪夢でしかない。
静かになったマコトを一先ず放っておいて、先生は中断されていたカヤツリとの話し合いを再開する事にした。
「申し訳ないけど。シャーレの第三者として動くよ。しっかりと調べて、マコトとカヤのやったことを明らかにする。そして、ちゃんと補填と補償をさせてもらう。カヤやマコトにも頭を下げさせるし、ある程度は君の好きなように要求していい。だから、君の要求を聞かせて欲しい」
恐ろしい事に先生の知り得る限りは、このキヴォトスには司法機関が無い。警察組織と収容施設はあるが、司法は別だ。司法は各自治区が権力を握っており、企業に関しては連邦生徒会が動くことになっている。
今回の件の狡いところはここにある。マコトはゲヘナの生徒会長で、カヤは連邦生徒会長代行。キヴォトスの構造上、トップを裁く機構が弱すぎる。つまるところ、決定的な証拠がない限りはもみ消せるし、捜査の妨害もできるのだ。
そこで先生である。シャーレの権利を使用すれば、何とかできるはずだ。カヤツリやハイランダーの生徒、対策委員会にも十分な補償を……
「ああ、それは止めた方が良いですよ。忘れているかは知りませんが、先生にその権利はないですから」
でも、カミガヤは首を横に振った。何故と呟く先生に、カヤツリは疲れた顔のままに笑う。
「シャーレはあらゆる
カヤツリの言う通りである。カイザーを相手取るのに銀行強盗に手を染めざるを得なかった。その上、PMC基地でもそうだ。ヒナからの情報通りにアビドス砂漠へ行ったが、不法侵入として利子を三千倍にされた苦い思い出が蘇る。先生は企業に対して強くは出れない。先生は、先生でしかないのだから。
「じゃあ、君はどうするの? 流石にシェマタを撃ち込むのは考えて欲しいんだ。だから、他の方法を……」
「ああ、その件はすいません。少しだけ取り乱しました。感情任せに喋り過ぎましたよ。流石にそれはね。全部を敵に回しかねませんから。感情任せに暴れるのは我慢しましょう。ゲヘナを更地にはしませんよ。勿体ないですから」
「そういう訳じゃなくて……」
先生は胸が締め付けられる。ホシノとノノミが悲しそうなのは、これの所為なのだろう。カヤツリは我慢し過ぎて、変になっていた。
怒って良いはずなのに、我慢しているのだろう。目が血走っていて、自分に言い聞かせるようにゆっくりと呟いている。
「どうせありのままを連邦生徒会に訴えようとも、握りつぶされるでしょう。クーデターを起こされた挙句に滅びかけとはいえ自治区に攻撃する。連邦生徒会の根幹を揺るがす事態です。これを公にすれば、キヴォトスは内乱状態に陥る。公表するなんて選択肢は取れませんよ。保身に走って終わり。昔からそうです。忙しいと言い訳して、面倒くさい事はやらないのが連邦生徒会ですからね」
今回のマコトとカヤの行った事は度が過ぎている。やり返されても何も言えないレベルの。大人が関わらない事件では、先生が今まで経験したことのない規模。
エデン条約でのマコトの行動を、先生はヒナたちに任せてしまった。それが今回、マコトを増長させた。今回ばかりは先生も人に任せるわけにはいかないが、主な被害を受けたカヤツリの行動は咎められない。
でも、カヤツリは我慢すると言う。意味などないから我慢すると。ただ我慢しろなど、それは道理が通らないのだ。そんな事をして欲しくない。
「でも、それじゃあ……」
「先生。ルールは守るべきものが守ってこそのルールです。公的機関である連邦生徒会やシャーレはルールを守っているからこそ、その権力を許されているし全員が言うことを聞く。破るなら、もっと上手にやらなくてはいけません。あの二人みたいに、建前はちゃんと用意して、腹を切る時は他人に切らせるみたいにね?」
カヤツリの言う事は分かる。先生が好き勝手に動けば、誰も信用してくれなくなるだろう。カヤとマコトもそれを知っている。だから建前を用意して、失敗した時は役職を盾にした。
カヤツリの言ったとおり、この事態を糾弾してカヤやマコトを失脚はさせられる。だが問題がある。連邦生徒会は言ったとおりだが、ある意味マコトは唯一無二なのだ。
ゲヘナで権力欲があって、曲がりなりにも政治をしている。それはゲヘナではマコトだけだ。ヒナもできそうではあるが、エデン条約の時を見るに圧倒的に向いていない。ゲヘナの生徒会長がマコトだから、ここまでで済んでいるという予感がある。
だから、簡単に排除するという訳には行かない。そうした場合、ゲヘナがどうなるか分からない。
連邦生徒会もゲヘナも同じだ。周りが迷惑をこうむるから、お前だけが我慢しろ。そう言う風な状況。ずっとカヤツリは状況に振り回されている。
「だから、私もルールを守りましょう。それが大人ってものです。感情を抑えて、暴れるのを我慢する位は出来ますよ」
やはり、カヤツリの様子がおかしい。さっきまではドスの利いた声を出して、シェマタを再構成させすらして、目も血走っていたのに。今はもう疲れた顔をしている。
普通ならやり返すはずだ。ずっと、ずっと、誰かのために温め続けた計画が、長年の夢が叶う直前で、くだらない私利私欲で台無しにされたからだ。黒服だって、そう言っていた。もう我慢の限界だと。それなのに、この顔と雰囲気は何なのか。
さっきまであった怒りが何も出てこない。個人としての怒りや悲しみ、不満が一切出てこない。先生の勘がずっと警報を鳴らしている。
咎を他人へ求めたミカとも、咎を自身に抱えたサオリとも違う。余りに正気に過ぎる。それが何よりも異常だった。
「これからどうするの? 砂漠横断鉄道をその力で直すの?」
「いいえ、それは不可能です。あの娘たちは単一の物質にしか変換できません。地盤や地層、砂や石や泥の集合体なんていう、全体像や比率すら定かでないモノを元通りに、完全に復元は出来ません。彼女たちはあそこまで万能ではないし、そうさせるつもりもありません。あの娘たちは便利な作業機械では無いんですから」
「え……」
また先生は分からなくなった。てっきり、あの攻撃の被害をどうにでも出来るから落ち着いていると思っていた。でも、そうするつもりはないし、出来ないと言う。じゃあ、一体どうするつもりか。本当にこのまま泣き寝入りするつもりなのだろうか。
「その反応。どうやら、先生は勘違いしてるみたいですね……困った人だ」
カヤツリが困ったように笑って、言う。
「私は生徒じゃないんですよ。ネフティスの理事です。ゲヘナをぶちのめすのに、どうして先生の許可が必要なんですか? カイザーはそうでは無かったはずだ。違いますか?」
先生は言葉に詰まる。優しい言葉とは裏腹に、その中身は拒絶一色だったから。
「ええ、先生。貴方は好ましい人間だ。だからこそ対策委員会も、そこの二人も、電話の向こうの羽沼マコトも、貴方を尊重して戦闘が始まっていない。私も我慢して、今話をしている。だが、私は信用はしてません」
「それは、どうして?」
先生は恐々と聞くと、さらりとカヤツリは答えた。
「だって先生は感情を優先するでしょう? 規律や法、ルールよりもね。人間としては好印象でも、信用は出来ません。まだ貴方はゲヘナを何とかしようとしている。貴方は見たくないんですよ。生徒が傷つくところを見たくない。幸せであってほしい。今まで、それで上手くいっていたのは、そのツケを生徒以外が払っていたからです。カイザー理事やベアトリーチェ、最近は……言わないでおきましょうか」
カヤツリはまだお互いに話している三人を見やる。お前は彼女らを切り捨てたのだろうと言うように。先生の胸が、激しく痛んだ。
「その理論で行くのなら、我慢するのは私ですよ。貴方は役職柄、それ以外を選べない。全ての生徒に優しいという事はそういう事です。貴方は生徒を天秤に掛けられない。貴方は誰も選べない。私はそんな人間を信用なんかできませんね。貴方はまだ自分が何を言っているか気づいていない。無意識に生徒の味方をしている。そういう人間は嫌いですよ」
──私は、あなたのような大人が一番嫌いです。
かつて投げつけられたRABBIT小隊の隊長、月雪ミヤコの言葉よりも重い何かが、先生を打ちのめした。あの時のように、軽く言い返したりは出来なかった。あの時に込められていたのは、八つ当たりの嫌悪と憤怒。だから、先生は軽くいなすことが出来た。
しかし、これは違う。込められていたのは諦めだ。カヤツリは初めから、先生に期待などしていないのだ。それが先生の胸を痛めさせる。
「大体、どうして私なんですか? まずは生徒からどうして欲しいか聞くべきでしょうに」
「君はそれでいいの? 悔しいし、怒っているんじゃないのかい? 私は君の要望も聞きたいんだ。マコトやカヤは許されないことをしたんだ。そう言って良いし、それが道理だよ。生徒とか大人とか関係ないんだ。君だってそれを言う権利がある。私に言ってくれれば、限度はあるけど履行させるよ」
分かっている。カヤツリは生徒ではない。生徒よりもずっと大人に近い。でも、それだけで全てを我慢する必要はないのだ。ずっと大人だからと、自分に言い聞かせているようにしか聞こえない。
カヤツリの言った事は耳に痛かった。実際、リオの時などはそのせいでリオを追い込んでしまった。鋼鉄大陸でも、先生がもっと上手くやればあの三人は死ななかったし、デカグラマトンとすら話し合えたかもしれない。
だから、今こうするのだ。カヤツリの言葉を一蹴するのは簡単だ。今までの様にシェマタを振りかざすカヤツリを危険人物としては扱わない。
しっかりと、カヤツリの望みを聞きたかった。カヤツリの言う事も正しいだろう。ハイランダーや対策委員会の意見も聞かなければならない。ただ、それにカヤツリの要望を入れてはいけないわけでは無いのだ。
望みがそれならいいだろう。でも、今の先生にはそう思えない。さっきからカヤツリは何度か激昂しているはずだ。それを無理やり押し込んでいるようにしか見えない。それはダメだ。全てを我慢することが大人という訳ではない。
「無いですよ。そんなものはないです。そうしたところで、何も解決しません。寧ろ状況を悪化させる。本当に先生は分かってない。責任の所在を全く」
先生の願いをカヤツリは一蹴する。それでもと言う先生に、カヤツリは吐き捨てた。
「だって、こうなったじゃないですか。砂漠横断鉄道を渡すのは今日でなくてよかった。契約書を書いて、それを渡していればよかった。実物を渡した方が喜ぶだろうと、その顔が見たいと、もしかしたらと、私の感情的な判断が、これを引き起こした」
「そんなことは無い! カヤツリの所為じゃない! 悪いのはそこの奴でしょ!」
もう耐えられないとばかりに、ホシノが叫んだ。カヤツリの前へと飛び出して、見上げながら叫ぶ。
「どうしようもできなかったんだよ! そんなの予想できるわけないんだよ! 違うよ! 絶対にカヤツリの所為なんかじゃ……!」
「……いいえ、いいえ! 私がそこの二人をここへと連れてこなければ、羽沼マコトは場所を特定できなかった。羽沼マコトが、こんな機会を見逃すはずもない。後先考えずにやるし、状況が揃っていれば尚更、ここキヴォトスでは暴力の類はコミュニケーション。分かっていたそれを予想できなかった。死なんてものは、日常のそこら辺に転がっているものなのに、それを知っていた筈なのに、そのせいで、私のせいで、対策委員会もネフティス中学卒業生も、アビドスの生徒たちの貴重な時間を無駄にした」
そう言い終えて、カヤツリの疲労が、さらに増したように見えた。
「スオウは涙声でしたよ。私に謝ってきました。悪いのは感情的な私情で動いた私なのにね。だから、そんな資格はありません。もう、徹底的にやります。感情なんか紛れ込ませません。感情抜きで、天秤を釣り合わせますよ」
ホシノから目を離したカヤツリが、マトとヒナ、電話のマコトを睨んだ。
「まずは金を払って下さい。賠償金を払え。今、すぐに。一括でだ」
『貴さ──……』
「もういい加減に黙りな。とりあえず、幾らだい?」
マトが電話のスピーカー音量を最小にした。もう何もかもがどうでもいいような顔で、カヤツリに尋ねている。カヤツリの答えは短かった。
「一兆円」
『ふざけるな! なんだその金額は!』
制限されたはずのスピーカーの音量を無視して、マコトの怒鳴り声が響く。
『初めに払うはずの金額の千倍以上ではないか! そもそも、払う義理などない! 何も証拠は無いのだからな!』
「列車砲だけで八十億はあるんだがな。線路や設備、土地も破壊されたことだ。それに、命を狙うっていう行為を、それでチャラにするんだ。大分寛大な提案だ。それに証拠か。あると言ったら?」
カヤツリが何かを取り出してスイッチを入れた。そこから、マコト自身の声が響いてくる。ずっと録音していたらしい。
「ボイスレコーダーは必需品なんだ。いや、分かりやすく怒って悔しがれば乗ってくるもんだ。勝ち筋が決まってる奴は、誘導すれば乗って来てくれる。そんな事も知らなかったのか?」
『それは、私ではない!』
苦しい。余りに苦しすぎる言い訳だ。だが、その通りでもある。マトが名前を出しているが、音だけだ。あくまでも非常に怪しいだけでしかない。マコトが自分からそう言わなければ、怪しいだけで終わるし、金を出しはしないだろう。今まではそれで通じたが、カヤツリにはきっと通じない。
「そうか。なら、これをクロノスに垂れ込んでも困らないな? きっと大騒ぎだ。連邦生徒会長代行だけでなく、お前の大事な大事なイブキとやらの耳にも入るだろう。ショックだろうな。先輩がクーデターに協力して、他の自治区にミサイルを撃ち込むなんて。もしかしたら思うかもしれないな。そういえば調印式のもそうだったんじゃないかって。先輩の所為で、自分は飛行船の爆発に巻き込まれたんじゃないかって。かわいそうにな。自分が信じて懐いた先輩が殺人を厭わない人間だったなんて」
『お前! お前! イブキを巻き込むか!』
「お前だって、関係ない奴らを巻き込んだろう。列車砲に対策委員会やハイランダーは関係なかった。先生だってそうだ。それにお前。先生がミサイルに巻き込まれてたらどうするつもりだったんだ? そんな事考えもしなかったんだろうが。全部お前の都合で巻き込んだんだ。それを俺にやられて文句を言うのは中々に恥ずかしい。それに、先生もそうだけど、いつまで勘違いしているんだ?」
マコトの逆鱗。イブキの存在にカヤツリは触れる。きっと態とだろう。怒り狂うマコトに、カヤツリは尚も告げる。
「払わないなら、列車砲を撃ち込む。ちゃんと場所は教えるよ。不意打ちして、表に立つ度胸もない、本能を抑えられもしないガキのお前とは違って、俺は大人だからな」
『バカめ! 連邦生徒会や他の学園が許す物か! 学園ですらない、唯の企業が、その力を振り回せば、周りが黙ってなど居るはずがない! お前は生徒では無いんだからな!』
先生は顔を顰める。トリニティやミレニアムは警戒するかもしれない。いや、するだろう。ナギサはシェマタを脅威に思うだろうし、リオは名もなき神々の力を警戒するだろう。本意ではなくとも、ゲヘナに協力する可能性がある。これが普通の状況ならだが。
「全員が全員。お前の様に短絡的じゃない。この録音を聞けば、お前の無法っぷりはよく分かる。お前は分かっていないんだろうがな。お前が言っていることを分かりやすく言ってやるよ」
でも、カヤツリは気にしてすらいない。ただ鼻で笑うだけ。
「学園の危険分子が作った遺産。それをどうにか排除したい。でも、気に入らない、生徒ですらない、自分をバカにしたヤツに金を払いたくないし、頭も下げたくない。だから、気に入らない仲間を囮に、先生も巻き込んで爆撃しよう。連邦生徒会長代行と組んだから、罪に問われる心配はない。相手の事なんか気にしなくていい。自治区の再生のための物を破壊しても構わない。むしろそうじゃないと困る。他の自治区が死んでも構わない。そもそも死んだ自治区なんだから。自分に都合の悪い人間は幾ら困っても、泣いても、苦しんでも、傷ついても、死んでも構わない。だって自分を困らせる奴が悪いんだから!」
少し脚色が入っている。きっと、マコトにそのつもりは無かっただろう。誰もマコトに注意しなかった。シェマタを破壊したいで思考が止まり、その先を考えなかった。ただ考えなしに動いただけだ。けれど、他者から見た事実はこうだった。
「一応は話が通じる人間と、自分の都合で裏切った挙句に殺害を計画する人間。そいつらが勝手に殴り合ってる状況だ。さぁ、どうする? 手を出すか? 俺だったら出さないね。勝手に潰し合ってくれた方が良いし、危ない方が負けるように手助けするかもしれないな」
とうとう、マコトは黙る。反対にカヤツリは黙らない。
「お前なんか誰も助けない。お前は人を背中から撃ったんだ。そんな人間を信用するヤツはいない。信用したが最後、後ろから撃ってくるんだからな。それに普段の素行も最悪だろう? 良く聞いてるんだよ。無賃乗車が横行してるんだって?」
先生はかつての事件を思い出す。トリニティのティーセットの護送事件だ。その折にゲヘナ行きの電車に無賃乗車してしまった時の、搭乗員の嘆きを。
「そっちのハイランダーも困ってるんだそうだよ。ゲヘナの路線は赤字分を回収するのに残業が横行している。そうなら、ゲヘナから撤退した方が良いだろう。丁度、うちの人手も足りないしな」
『それが、どうした。お前が言ったところでそうなるはずもない』
マコトの口調は強いが、声には力が無かった。どうにか、そう思い込もうとしているようだった。
「なる。俺が居るからだ。力があるからだ。今までは力が無かったから、言うことを聞いていたんだ。それがお前らの理屈だろう? 気に入らないなら力で解決してきた。もし抵抗できるなら、抵抗する。それが今だ。もうお前らの言うとおりにはならない。それにまだ、お前は自分がやった事が分からないんだな。ただムカつく奴を強めに殴っただけくらいに思ってるんだろ? 殺すつもりなんか到底無くて、ただアビドスやネフティスが無くなれば良いと思ってたんだろ? それが人の人生の一部を殺す事だと知りもしないで、軽い気持ちで手を出したんだろ? お前も不知火カヤも、あの列車砲は人を殺せる恐怖そのものだから。だからあれの破壊に大義があるからとか思ってるんだろ? 舐めてるんだろ? 今回もどうにかなるとか、まだ何処かで思ってるんだろ? お前はゲヘナのトップなのにな? お前の行動はゲヘナの意思そのもの、お前の失敗はゲヘナの失敗だ。だってお前は選ばれたんだから」
長々と話して疲れたのか。カヤツリが一息ついて電話のスピーカーを元に戻す。が、もう声は聞こえてこない。
「……もう一度言う。金を払え」
「無理よ。幾らマコトでも、そこまでのお金は動かせない。万魔殿全体に話を通さなきゃならないの」
「払え。でないなら撃つ」
話さないマコトに代って、ヒナが答えるも。カヤツリの答えは変わらなかった。ヒナは困惑したように眉を寄せる。
「マコトはイブキにだけは知られたくないの。だから……」
「分かってる。だから言ってる。万魔殿に羽沼マコトが言えない事も、そもそも、この金額をゲヘナが一括で払えない事も。全部分かっている」
「……どういうつもり? マコトが払う賠償金の話なんでしょう?」
二人の間に剣呑な空気が流れ始める。先生も、カヤツリの狙いが分からなくなった。補填の為の金銭が欲しいはずでは無かったのだろうか。第一の目標は、マコトから資金を回収することでは無かったのだろうか。先生も、ヒナも、何かを見落としている気がする。
「どういうつもりも何も。俺の要求は簡単だ。天秤を釣り合わせる。お前らが奪った人生の時間を返して貰う。だから金を払え。それだけだ」
「だから、その金額は……」
「あるだろう? 払えない金額を払う方法。目の前にあるだろう? 金は自分の時間を切り売りして手に入れるもんなんだ」
「目の前って、あなたと対策委員会……」
ヒナと同時に、先生も気づいた。やっぱりと思い、悲しくもある。カヤツリは本気だった。金が欲しいのではない。謝ってほしいのでもない。ただ、純粋に一つの事だけを求めていた。そして、その対象はマコトやカヤではないのだ。
「そうだ。足りない分は、ゲヘナの土地で払え。アビドスと同じようにな」
ぎゅっと拳を握り込むヒナへ向かって、カヤツリが冷たくそう言った。