ホシノ同級生相棒概念 作:洞鼬
カヤツリの手で握りつぶされた携帯電話は、画面が真っ暗になって沈黙していた。そこからはもう、喧しかったマコトの声は聞こえない。
だが、今はそれどころではなかった。きっとそれは全員の共通認識だっただろう。
「終わったこと……?」
やや煩かったはずの風は止んでいて、いつの間にか静かになった砂漠の真ん中で、ポツリとカヤツリが呟く。
「終わってない! 何も終わっちゃいないんだ! 何も!」
続けざまに放たれた言葉には、さっきまでは無かった感情が乗っていた。もう携帯電話が繋がっていないことにも気づいていないのか、カヤツリは携帯に向かってがなり立てている。
「俺にとっては。俺にとってはまだ……!」
何がまだなのか、もう聞かずとも分かった。完全に原型をとどめていない携帯にも関わらず、カヤツリは大声を叩きつけている。
「お前にとっちゃそうだろうさ! 関係ない自治区の知らない奴が勝手におっ死んだだけなんだからな! 終わった話だろうさ! だがな! 勝手に終わらせるんじゃない! 俺は、お前の、お前らの! お前らのせいで! 俺は間に合わなかった! 俺は、あの人のために! 何もできなかった! あの人は我慢して、俺に色々なことをしてくれたのに! 俺は、何も! 何も!! 何も!!!」
ヒナとマトは口を固く引き結んだままだ。あの二人はカヤツリに何も言えはしないのだ。そもそもの元凶が、何を言えばいいと言うのだろう。
「お前らはいつもそうだ。いつも自分の理屈を振りかざす。普段は良識を語る癖して、自分はそれを守らない。まだ大人の方が話が通じる。大人は良い。力があればなんだってできる。勝ち負けはハッキリしてる。互いに引き際を知ってる。力や立場を見て、お互いを評価できる。だがお前らは何なんだ? お前ら生徒は何なんだよ?」
半ばスクラップと化した携帯を握りしめたまま、カヤツリは俯いている。
「高圧的にいけば反抗する。下手に出れば増長する。理屈が全く通じない。お前らは大人に理屈を求めるくせに、自分たちはどうでもいいんだ。このダブスタが。媚びを売ったとか言ってたが、楽にこの位置に立ってると思ってるのか?」
ミシミシと携帯電話が軋みを上げている。ただでさえ拉げている本体が、カヤツリの指で千切れそうになっている。でも、そのことにカヤツリは気づいていない。
「大人はな。保証してくれるものが何もないんだよ。自分の力だけだ。学生であるだけで、何もかもが保証されるお前らとは違う。好きでこうなってるとでも思ってるのか? 許されるなら俺だってそうしたかったさ」
カヤツリの声が急にトーンダウンした。蹲って頭を抱えて、歯を食いしばる口だけが見えていた。
「そうしたかった。昔に戻りたかった。ホシノとユメ先輩と居られた昔に戻りたかった。ただ居る事を許された場所に居たかったさ……そうだよ。ユメ先輩がバカな事を言って、ホシノが怒って、それで俺も文句を言って……それだけだ。俺が望んだのはそれだけだ。それすら許されないって言うのか? お前らが持っている普通。それは俺には過ぎたものってことか? 俺が生徒じゃないから無理ってことか? お前らが生徒だからお前らが優先されるってことか? 数の問題ってことか? 俺の要求のし過ぎってことか? 何だよ。あんまりじゃないか……」
カヤツリと、ホシノが泣きそうに呟く。ホシノは何もできない。マコトが、喧嘩の事を言ってしまったから。全部が落ち着いてから言うはずだった過去の事実を暴露されたホシノは動けない。
動けば、カヤツリがどうなるか分からない。爆発するのか、それとも折れてしまうのか。それを予感させる危うさが、今のカヤツリにはあった。
「会いたい……もう一度だけでいいから、もう一度だけ会って……それで……それで……」
カヤツリは両手で顔を覆おうとして、そこでようやく携帯が粉砕されていることに気づいたらしかった。溜め息一つ吐いて、立ち上がったカヤツリはマトの方をぐるりと向いた。
「……返す。壊したのは済まなかった。後で代金は振り込む」
そのまま、ずいとマトにカヤツリは携帯の残骸を押し付ける。マトは何も言葉を出せない様子だ。それは先生もだった。
おかしい。さっきまで怒って、泣き言を言っていた。それなのに、最初に戻っている。さっきまでの行動が嘘みたいに普通に戻っている。
「……済まなかったよ。マコトがとんでもない事を言った。契約書は何としても書かせ──」
「もういい」
カヤツリはマトの言葉を短く切った。さっきまでの勢いとは真逆で、怒りは感じない。だが、それが何よりも恐ろしかった。それはマトも、そうだったのだろう。カヤツリの進行方向。シェマタの前に立ちはだかる。
「待ってくれ。お願いだよ。何でもするから……」
「別にいい。もう、疲れた。勝手にすれば良い。お前らの行動には、一銭の価値もない。俺は俺の好きなようにやる」
カヤツリはマトを軽い調子で投げ飛ばした、ズンズンとシェマタへ。アイン達の方へと向かっていく。
「待って! お願い! シェマタを使うのは!」
「何勘違いしてるんです? 使いませんよ。使う価値もない」
振り返ったカヤツリを見て、先生の喉が鳴る。目が諦めに満ちていた。先生だけではない。その目は対策委員会やゲヘナにも向けられている。
「使う必要はありません。もう、良いです。私の負けでいいです。好きにすればいいです。生徒様に逆らう私が馬鹿で間違ってました」
「でも、そしたら君が」
「君が、何です? もういいですよ。負けで良いって言ったじゃないですか。もういいんです。先生はその方が良いんでしょう? だから被害が少ない方を。俺を切り捨てたんですよね? だったらこれ以上、口出しをしないで下さい。負け方にすら文句をつけるんですか?」
さっきまであった、何としても釣り合わせると言う気概。それが全く感じられなかった。のろのろと、カヤツリは口を動かし始める。
「対策委員会とハイランダーへの賠償。羽沼マコトと不知火カヤの対処。それは先生がやってくれるんでしょう? じゃあ、いいじゃないですか。私の分は良いです」
「良いんですか? 私はムカつきますが」
オウルがカヤツリに近づいて、問う。両目は眼帯で見えないが、機嫌が悪いのは分かる。アインも目つきが鋭いし、ソフは嫌悪感を隠しもしていない。
「ちょっと、酷くない? 負け惜しみとはいえ、言って良い事と悪い事あると思うんだよね」
「いつでも撃てますよ?」
「そんな事をしなくていい。めんどくさい」
カヤツリは猛る三人を落ち着かせているが、そう簡単に落ち着くモノでもない。オウルが噴飯やるかたない様子でカヤツリに噛みつく。
「何ですか! その負け犬根性は! あそこまで言われて──」
「何で、そんな奴のために、そこまでしてやらなきゃならないんだ?」
カヤツリの声に覇気はない。
「さっきの条件は、俺の納得できるラインだった。それすら嫌なら、話は終わりだ。もう話したくないと、その道を断った奴と、何で話さなきゃならない。それだけでストレスだ」
「いや、我慢する方がムカつかないんですか?」
「別に? 獣の鳴き声を理解してイラつくほど、俺は人間を止めてないんだよ。どうやら、俺の理屈はここじゃお呼びじゃないらしい。どーぞどーぞ、獣の理屈でやってくださいって感じだ。それで先生が上手く回してくれるらしいからな。押し付ける先が居なくなったこれから先は、上手くいくとは限らないだろうが」
先生は何も言えない。その通りだからだ。先生は誰も傷つけたくなくて、カヤツリに我慢を強いた。少しならと、押し付けた。
「じゃあ、何で。さっきまではあんなに怒ってたんです? ムカついてたんじゃないんですか?」
「いやだってさ。これで、俺はゲヘナから賠償が取れないわけだろ? あの羽沼マコトの言い分だと、ミサイル撃ったのは俺の所為なんだろ? だったら、この責任問題で俺はクビだよクビ。ネフティスからクビさ。他の理事連中は俺の事が大嫌いだろうからさ。お嬢を後釜に据えて、この利権。シェマタに、ピラニアの如くに食いついてくる。そんでもってあれだよ。他の理事連中はアビドスを良い方向には使わないんじゃないか? シェマタだけありゃあ良いんだからさ。だから、折角作ってもらって悪いが解体してもらおうと思って。使うと言い訳が面倒くさいし、木っ端の技術だけありゃあ良いだろ。本当にめんどくさい」
ノノミが両手で口を抑えた。カヤツリの言う事はそうだ。これでネフティスが賠償金が取れなければ大損害だろう。マコトの言い分なら、カヤツリだから払わないと言うように聞こえる。
そして、カヤツリの後釜が。カヤツリのような人間とは限らないのだ。
「待ってください! 私が何とかして!」
「ああ? 良いですよお嬢。俺はもう、馬鹿馬鹿しくなって、やる気がなくなったんで。後はそっちで何とかしてください。大丈夫ですよ。生徒であるお嬢と、先生が全部何とかしてくれるでしょうから。先生なら、ゲヘナも文句はないんでしょう? 俺がやるより上手くいきますよ。ハイランダーもそっちの方が良いでしょう。皆やる気なんてなくなってるかもしれませんがね。何度も言いましたよ。人はそんなに強くないとね」
「そんな……」
その言葉は真実味しかなかった。さっきも言ったが、覇気というものが感じられない。
「でも、頑張って来たんじゃないの? 悔しくないの? これ使ってさ。パァーッと吹き飛ばしちゃえばいいじゃん」
「それで? 後始末が増えるだけじゃないか。あの獣共の巣を壊したら、他の所に流れ込んでくるだろ? 俺はもう、アイツらに関わりたくないんだ。考えたくない」
「じゃあ、関わらなきゃいいじゃないですか! 何で諦めるって話になるんです!?」
オウルが両拳を握って怒鳴る。私は不満ですという態度を隠しもしない。
「私たちは途中参加ですが、これまで頑張って来たじゃないですか! それを、こんな奴らの所為で投げ出すんですか!?」
「そうだが? 全く無駄な努力だった。意味なんかなかった。バカな事をしたよ。拘りなんか捨てるべきだったんだ。周りの事を考えるなんて本当にバカだった」
オウルがカヤツリに怯んだ。多分、あの諦めの目に見つめられたからだろう。
「多分、何をやっても失敗する。この世界は生徒優先だからさ。さっきの見ただろ? 普通はあり得ないぜ? でも、それで通っちまうんだろうな。俺が同じことをやったら、絶対通らないのに……もう、疲れたんだよ。これまでやったことは全て無駄だったんだ。二年間、俺が積み上げてきた物は、たかが二人のガキの下らない計画で吹き飛ぶものでしかなかったんだ。もう、疲れた。今はもう、何もしたくない……もう放っておいてくれ」
オウルは不満げに口をモゴモゴ言わせるも、何も思いつかないようだった。ソフも同様に悔しそうに固まるだけ。ただ一人、アインが両手を叩く。
「そうですね。きっと疲れてるんですよ……ちょっと休みましょう。黒服さんに連絡しましたから、私たちと帰るんです……」
アインが言い終えると、二台のシェマタが崩れていく。ガラガラと音を立てて、パーツがバラバラになって砂漠に落ちて行った。四人は、先生たちの事など気にもしなかったかのように、三人が出てきた黒いゲートへと向かっていく。
「待って! お願い! 待ってよカヤツリ! うあっ!」
ホシノがカヤツリの前に飛び出した。遠い距離を一瞬で詰めて、カヤツリの前に立ちはだかろうとして、オウルが出現させた蜘蛛型の機械に突き飛ばされた。
「やだ! 離して! 待っ──」
それに押さえつけられつつも、ホシノが手を伸ばすも、カヤツリは振り向かずに穴の奥へと消え、穴は閉じてしまう。
「ああっ……嫌だ。嫌だよ……うああ……あ」
それを見たホシノは崩れ落ちてしまった。繰り手を失った機械はもう動かないが、ホシノはピクリとも動かない。低い、断続的な嗚咽が聞こえてくるだけだ。
対策委員会は気まずそうに俯いているし、ヒナとマトは唇を噛み締めている。全員が、何もできないままだ。
先生は声を掛けようとして、何も言えない事に気がつく。先生がカヤツリの代わりにマコトに相対すれば良かったのだ。用意しておいた手段も今となっては何の役にも立たない。
これ以降、ゲヘナの優先基準を下げると言ったところで、もう遅い。マコトが今更判断を翻しても、カヤツリは帰って来ない。
あの瞳はもう駄目だ。今すぐにという訳にはいかない。あれは、先生の所為だ。先生が、先生の都合を優先した挙句に、カヤツリに我慢を押し付けたのだ。これは、先生の所為だ。
「間違えたと、そうお思いですね? 先生」
「黒服……」
掛けられた声に振り向けば。いつもの顔の黒服が立っていた。どうにも、カヤツリ達と入れ替わりでここに現れたようだった。警戒するべきなのだろうが、今の先生はそれどころではない。いつもとは反対に、生徒達の前に立つ。
「何の用かな」
「いえ、この間の話の続きをね。今、しようかと思いまして」
「もう遅いよ……何で今になって」
先生の黒服を見る目が、少しやさぐれたものになるのが分かった。でも、黒服は嬉しそうに笑うだけだ。
「今になって。寧ろ、今だからこそのお話です。契約がたった今満了したのでね。カヤツリ君の事ですよ」
「ホシノには手を出さない約束のはずだけど」
ここに来て、一番最初に出るのがホシノの事。またぞろ、黒服が手を出すのでは無いかという懸念。そう行動する自分が嫌になる。
それが可笑しいのか、そうでは無いのか、黒服は微笑みを絶やさない。
「ホシノさんには手を出しませんよ。勿論、他の生徒達にも。そのつもりは毛頭ありませんし、今の私は気分が良いので」
「気分が良い? 君はカヤツリ君のことが心配じゃないの?」
あの時の黒服の口ぶりはそうだった。先生はそう思ったし、嘘だとは思えなかった。
「心配ですが。喜ばしくもある。漸く彼の中での結論が出たのですから。理想と現実の板挟みは苦痛でしかなかった筈です。それから解放されたのは喜ばしいのでは?」
「諦めるのが、喜ばしいって?」
先生は不機嫌さを前面に押し出す事しか出来ない。黒服には全く効いてはいない。
「ええ、喜ばしい。漸く、望みを叶えることができるのですからね。喜ばしい以外に無いでしょう。先生のお陰です。勿論、他の要因もありますがね」
「望みを叶える? だって、諦めたんでしょう?」
「ええ、彼は諦めました。この世界に住まう者達に配慮した方法を諦めたのです。アビドスを救うだけなら、もっと簡単な方法はありましたが、彼はこの方法に拘った」
哀れみと感心、黒服の声からはそのようなものが感じ取れた。機嫌のいい黒服とは反対に、先生の気分は坂を転がり落ちるかの如くに悪くなる。
「アビドスのテクスチャを張り替える。彼の計画の大元の目標はこれです。砂嵐が吹き荒れ、借金に塗れ、全員が諦めている。滅ぶのを座して待つだけの学園。このキヴォトスに蔓延する、そんなイメージを払拭したかった」
それは、この間に黒服が言っていた事だ。その為にカヤツリは行動してきたのだと。
「でも、どうして諦めたの。私はマコトをこのままにする気は無いし、必ず賠償させるのに」
「テクスチャとは、貼られている自治区の住人がそう思うだけでは機能しません。もう一つの視点が必要なのです。外からの視点がね」
対策委員会やハイランダーが思うだけでは駄目だという事だ。つまりは外からの、アビドス以外の……
「待って。今回の事件が何か関係するって事?」
「はい、先生はアビドスに居て分からないでしょうが。アビドスの外は大騒ぎです。何せ連邦生徒会が声明と共に、一自治区に攻撃したのです。SNSなどは憶測やフェイクニュースで埋め尽くされています」
黒服の真っ黒なスマートフォンが、トップニュースを映し出す。クロノスの扇情的な煽り文がやけに目立ったが、問題は内容だった。
「アビドスが悪し様に書かれてる……」
問題は、シロコの呟きそのものだ。まるで、アビドスが大量破壊兵器を隠し持っていたかの様な書き方だ。どの記事もそうだった。
「不知火カヤの仕業でしょう。クロノスに誤情報をリークした。SNSに完全でない情報をバラまいた。そして、羽沼マコトがあそこまで強情だった理由の一つです。アビドスを徹底的な悪に仕立て上げること。その第一印象を植え付ける。その為には時間が必要ですから、今頃は胸を撫で下ろしているでしょうね」
悪辣な手だった。アビドスのイメージが、一時期のアリウス並みに悪化している。そうなってしまえば、カヤのやりたい放題だ。
カヤを止めるのは他の連邦生徒会員や、他学園になる。しかし、そのやりたい放題する対象が極悪人なら何も言わない。流石の先生も、すぐさまそのイメージを払しょくできない。その間に、アビドスをどんなに嬲っても誰も止めはしない。
だから、マコトはウンと言わなかったのだ。待てば勝てるからだ。プライドの問題も絶対にあっただろうが。
「カヤツリ君も、その事には気付いていたでしょう。だからこそ、あんな過激な手段を提示した。そうでもしなければ、羽沼マコトは不知火カヤがデマを流したと証言しません。契約の中に仕込んだ一文を盾に、彼はそれを吐かせるつもりだった。そうしなければアビドスの濡れ衣は晴らせない。それに、アビドスがその様に見られるのはカヤツリ君とて不本意でしょう。梔子ユメもね」
「アビドスがそんな風に見られるなんて、ユメ先輩は悲しむから……」
機械蜘蛛を跳ね除けたホシノが力なく呟いて、そのまま黒服の方へと歩き出す。
「教えて。カヤツリは何を考えてるの。何でも、何でもするから……」
かつての黒服なら大喜びしただろう言葉が、ホシノの口から零れた。でも黒服はため息を吐くばかりだ。
「教えたところで何もできませんよ。直ぐに忘れます。意味などありません」
「教えて!」
「まあ、良いでしょう。この情報の価値は暴落しています。お代は結構ですよ」
尚も言い募るホシノに、黒服は両手を挙げた。表情もどこか苦笑いのようなモノが覗いている。
「先ほども言いましたが、彼の目的は簡単に言えば、アビドスのイメージ改善です。その為にここまでやって来た。しかし、それが失敗に終わったのは分かりますね?」
全員が頷く。今の話を聞けば嫌でも分かる。今現在のアビドスのイメージは最悪だ。だが、まだ諦めるには早いのではないか。さっきの質問はそう言う意味だった。
「何故諦めたのか。理由は簡単です。面倒になったからです。手間を掛けるほどの価値を、この世界に期待しなくなった。それだけです」
「待って。それじゃあ、もっと簡単な方法があるみたいじゃないか」
「ありますよ?」
あんまりにも当然のように話す黒服に、全員言葉が見つからない。黒服は呆れた様子で首を振った。
「ただし、その方法は強引なものです。全員が遊んでいるゲーム盤をひっくり返すが如きの暴挙。ですから、彼は我慢したのです。しかし、今回でマイルールを押し付けられて吹っ切れてしまった。それに彼自身の望みもありましたしね」
「それは、何なの?」
ホシノの声は震えていた。そこへ黒服の答えが無慈悲に降りてくる。
「言っていたでしょう。カヤツリ君は、貴女と一緒に過ごしたかったのですよ。だから、ここまでしたのです。かつて幸せだった日々を一部分でも取り戻すために、彼は楽な道ではなく、困難な道を選んだ。かつての梔子ユメの望みに沿うようなアビドスを取り戻そうとした」
「あ……ああ……」
ホシノはまた俯いてしまう。足元の砂には、幾つものシミが出来ている。それは消えてもまた現れてを続けていた。
「彼は諦めなかった。あらゆる手段を使って、それを求めた。一つ一つ、地道に積み上げて、完全に白くはなくとも、出来るだけ白い方法でここまでやって来た。ですが、それは叶わなかった。二人の生徒の稚拙な企みと、テクスチャ同士の衝突、そしてこのキヴォトスの法則によって、彼の望みは砕かれてしまった」
「衝突? それと法則って……」
聞き覚えの無い言葉が、やけに耳に残る。黒服は楽しそうに口が吊り上がる。
「ええ、これが機嫌のいい理由です。サンクトゥムタワーへの細工と、心象操作によって、アビドスのテクスチャを一新出来るか? 彼と私の共同研究になります。そして起こったのは彼が敷いたアビドスのテクスチャと、ゲヘナのテクスチャの衝突ですよ。結果はお分かりの通りです。彼のテクスチャは敗北した。今のところアビドスはテロを計画した学園となってしまった。考えられる原因としては、数と立場の違いでしょうね」
数と聞いて、何のことかすぐに分かった。
「生徒の数って事? それだから負けた?」
「その通り、学園ごとのテクスチャとは共同幻想のようなもの。構成員が多ければ多いほど密度が高いようです。そして、数多のアビドス以外の生徒にはその方が都合が良かった。先生の世界でもよくあることです。適当なお題目で戦争を仕掛け、有耶無耶にするなんて事柄は巷に溢れている。最後に彼は責任者でも、生徒ではありません。子供の世界に大人の理屈は通用しない」
カヤツリも言っていたことだ。それをただひたすらに嘆いていた。悩む先生を見て、黒服が不思議そうな声を出した。
「おや? まだ気づいていないとはね。ここは学園都市キヴォトス。
黒服はクツクツ笑って、対策委員会を指差した。
「春先のカイザーとの騒動。あれ自体の決着は綺麗なモノではありません。先生たちは銀行強盗を行い、不正な証拠を元にPMC基地へ乗り込み、吊り上げられた利子と、私の作戦、そしてホシノさんが拉致された事を根拠にカイザーを攻撃した。おかしくはありませんか? カイザーは、カイザー理事は特に法に触れるようなことはしていない。利子もその利率で契約したのですから当然ですし、不法侵入の罰として吊り上げるのも当然です。ホシノさんは騙されたとはいえ自分で出て行った。まぁ、最後は先走ったのは減点ですが。しかし、彼の計画は失敗し、役職を追われた。妙ではありませんか? 違法行為を犯した数は先生たちの方が多い。しかし結果は真逆です。勘ぐりたくもなります」
先生は違うと言い返せなかった。そう黒服は強く信じている様子だったからだ。
「だから、彼は負けたのです。大人であり、数でも負けていた。ですから、正論と言うアビドスのテクスチャは、あまりにも稚拙なゲヘナのテクスチャに敗れた。羽沼マコトがあそこまで強情だったのもそのせいです。あそこで負けを認めれば、今まで生きてきた常識が崩れ去るのですからね。必死にもなるでしょう。それに、そこのお二人と違ってゲヘナに居るのも良くなかった。そして、先生が介入しなかったのも」
どこか責めるような色が、黒服の言葉にはあった。
「私は申し上げたはずだ。彼は限界だと、大人になるしかなかったのだと。ですが、先生。貴方は彼に我慢を強いた。大人だから分かってくれると、甘えましたね? そして、羽沼マコトの、最後のあの発言です。アレで彼は諦めたのです。他者にだけ奇跡の起こる、この世界に期待することを止めてしまった」
先生は返す言葉もない。きっと、カヤツリの話を聞いていれば結果は違ったはずだ。でも後悔してももう遅い。零れた水は帰らない。
「それで、今のカヤツリは何をする気なの……?」
「テクスチャを強引に張り替える。恐らくは衰退しなかったアビドスのテクスチャを貼り付けるでしょうね。その場合、過去は過去のままに、強引に辻褄が合わされるはず。そうなれば砂嵐は起きず、アビドスは初めから衰退しなかったことになる。すると少なくとも、カヤツリ君がアビドスへ来る導線が無くなります。カヤツリ君としてでは無く、カミガヤ君として君臨する。ともなれば、ホシノさんとカヤツリ君はお互いに出会わなかったことになる。今お伝えしたことも忘れる筈。価値が無いとはそういった意味です」
カヤツリがこの方法を選ばなかった理由が分かった。それが嫌だったのだ。それを選べば、ホシノとは会わなかったことになる。梔子ユメともだ。それだけは、カヤツリは出来なかったに違いないのだ。
「止めないと!」
「止める? どんな理由で止めると言うのですか? 他の生徒に迷惑だからという理由でしょうか? それはカヤツリ君の台詞だと思いますがね。門の上で、下人に言い訳する老女のようなモノですよ?」
黒服は咎めるように先生を窘める。そして思い出したように言うのだ。
「ああ、それとですね。物的証拠のない私たちの記憶はそのように置き換えられるでしょう。忘れられた神々と、神秘を持たない我々大人は特に。そして過去は変えられないものです。アビドスに対して起きた事実は消えません。その時のアビドスの状態が変わるだけです。過去のアビドスはゲヘナよりも巨大な学園だったと言うではないですか。ですから今回、ゲヘナと連邦生徒会がアビドスへ攻撃した事実。それは良い方向には転ばないでしょう。彼の敷いたテクスチャでは、きっと奇跡は起こらない」
固まるヒナとマトをよそに、今度はホシノが黒服へ食って掛かった。
「止め方を教えて!」
「カヤツリ君の願いを終わらせるのですか? もう終わっているからと終わらせるのですか? 残念ながらホシノさん。貴女は彼の上官ではない。終わりだと言ったとして、彼はこう答えるだけですよ。Nothing is over Nothing.You just don't turn it off.とね」
黒服の答えはにべもない。ホシノに向かって言い聞かせるように言う。
「ホシノさん。この世界の人間で止められるとしたら、貴女と十六夜ノノミさん、そして今はいないもう一人だけでしょう。ですが、覚えておいてください。貴女はホルスですが、それだけでは勝てません。貴女は単騎であの者に勝てたためしはない。数多の協力と策略の上で、ようやく辛勝したのですからね? それに、もうそろそろです」
黒服が指を天に指す。いつの間にか、日は陰り、風が強く吹いていた。風に飛ばされて来た砂が頬に当たる。
「何!? 砂嵐!? それに雷も……!」
セリカが動揺して叫ぶが、落雷の音で掻き消される。身体に当たる砂がどんどん増えて、雷の音や数も比例するように増えていく。その内に視界が砂で一色に染まった。
「皆! どこ! 大丈夫!」
先生は大声で叫ぶも何も聞こえない。いや、聞こえてはいる。ただそれが大きすぎて聞こえないのだ。風でも、雷の音でもない。何かが引きはがされて、裂けているかのような音。それが周りから、周りの空間全てから、悲鳴のように響いている。
「先生、ここで一旦お別れです。覚えていたら、また会いましょう」
視覚と聴覚が潰されている。その中でも、黒服の声は良く聞こえた。それは残念そうにも、祝福するようにも聞こえる声だった。
「さようなら、アビドス。そして、ようこそ。オンボスへ」
その言葉を最後に、先生の意識は途切れた。