ホシノ同級生相棒概念 作:洞鼬
──目覚めてから早々、面倒な事態になった。
そうテラノが思ったのは。未だに眠るカヤツリの居る病室で、丁度頼まれ事が終わった時だった。
「とまあ、おじさんが見た限りではこんな感じかな」
テラノが言葉通りにそう言うと、先生たちの雰囲気は暗くなったようだった。先生は見た通りに表情が暗いし、テラノ側のシロコ。シロコ・テラーはもっと暗い。ケイとか言う名もなき神々の王女の従者も俯いて唇を噛んでいる。
──まぁ、仕方ないかな……。
テラノは三人を眺めつつ、内心で独り言ちる。一応は止めたのに、聞くと言って諦めなかったのは三人だ。自業自得は言い過ぎにしても、望んだ結果でないのは百も承知のはずだった。
──ああもう、やっぱり慣れないよ。カヤツリの方が上手く使えるし、伝えられるんじゃないの……。
テラノは三人から目を離して、目を瞑る。目の使い過ぎで、額の奥がガンガンする。今直ぐに冷水に頭を突っ込みたい気分だった。
──まさか、オンボスを見て欲しいなんてね……。
オンボス。正確にはそのテクスチャを貼り付けられたアビドスである。シロコ・テラーが、テラノに頼む理由は分からないでもない。
テクスチャの影響から脱した先生から事情は聞いている。連邦生徒会の影響を受けずに、特にシャーレに対する依頼も出ていない。その状況ではオンボスに踏み込めないだろう。
ゲヘナや連邦生徒会からの依頼で動けば行けるかもしれないが、それは流石にマズすぎる。故に、先生の選択は正しかった。そう思うのは正しいから、言う事を聞いて、ホルスの目で中を見て、シッテムの箱に投影して伝えた結果がこれだ。
「……皆、幸せそう」
「それはそうだよ。ここのカヤツリは、皆の願いを叶えたんだから。オンボスはみんなの願いが、殆どの奇跡が叶う場所。カヤツリがやったんだから、幸せなのは当たり前でしょ」
呟きに短く返せば、シロコ・テラーが悲しそうな目を向ける。
「ホシノ先輩は何も思わないの?」
「シロコちゃんはさ。何が気に入らないの? 皆幸せそうだよ?」
自分の顔が渋くなるのが、テラノにも分かった。これは意地悪な質問で、シロコ・テラーを困らせるだけだからだ。だが、どうしろと言うのだろう。
「アヤネちゃんとセリカちゃんは、借金の事なんか忘れてる。向こうのシロコちゃんは、大好きな皆と居られてる。シロコちゃんだって、それが幸せだって分かるでしょ。だって自分なんだからさ。柴関だってカヤツリがやったんだろうね。店が直ってる。大将も嬉しそうだよ。ネフティス中学の卒業生だってそうだよ。頑張りが報われたんだよ」
シロコ・テラーの顔が歪むが、テラノは無視する。
「ノノミちゃんだってそうだよ。ずっと家の事や生まれの事で悩んでた。両親とだって上手くいってない事だってね。しかも、それはノノミちゃんじゃ、どうしようもない事なんだよ。それがあそこにはもうないんだ。ネフティスは衰退しなくて、自分ではどうしようもない事に苦しまなくて、両親とだってちゃんと話せる。それはきっと、ノノミちゃんが心のどこかで望んでたことだよ。ノノミちゃんの両親もね」
カミガヤ。所謂カヤツリと、この世界の自分の事については触れなかった。面倒くさいことになるからだ。投影しなかった物。今も瞼の裏では、セトと別世界のホルスたちの口論が続いている。浮気だとかなんだとか。怒号と炎と雷、風と熱線が飛び交っていて見るに堪えない。
テラノが黙ると、シロコ・テラーが反撃に転じた。
「でも、皆は無理矢理……」
「まぁ、そうだね。テクスチャが張り替えられて、全員が過去の記憶を改ざんされてる。それを無理矢理と言うなら、そうなんじゃないかな。でもさ、全部の全部が無理矢理じゃないよ?」
「え……?」
シロコ・テラーが言葉を失ったので、テラノはケイを見た。
「君なら分かるでしょ。無理矢理じゃないって」
「そうなの? ケイ」
先生が聞くと、ケイが渋々と頷いた。
「テクスチャの貼り換えは、それ程便利なモノではありません。このホル……いえ、テラノさんの言葉は正しいです」
「でも、先生から聞いた! アビドス砂漠でこっちの世界のカヤツリ先輩が何かしたんだって! それでこんなことになったって!」
「はい。それはテクスチャの貼り換えで起こった事象です。その場面に限定するなら、無理矢理と言うのは正しいです」
「でしょ! ほら、ホシノ先輩──」
「違うんです!」
勢いづくシロコ・テラーを遮って、ケイが大声を出した。大声で、言う。
「無理矢理と言えるのは、貼り換えたテクスチャに閉じ込めた所までなんです! そこから先は、違うんですよ……貼り換えと言っても、上から新しい物を貼り付けたに過ぎないんです」
「どういう事? よく分からない」
「……シロコさんが不満なのは、無理矢理アビドスの皆さんを浚って、無理矢理都合の良い夢に閉じ込めているから。皆さんは意思を無理矢理捻じ曲げられていると思っている。それで合ってますか?」
コクコクとシロコ・テラーは頷いている。シロコ・テラーは良くも悪くも真面目だ。真面目だからこそ、不満に思っている。自分がやりたくもない事を強制された経験からと、この世界のカヤツリが、この世界の仲間たちに無断で物事を強行したことに対して怒っている。それは筋違いでしかない。
確かに、テラノの世界のカヤツリ。テラツリがそういう事をしたら、テラノは怒る。起こるし止めるし、場合によっては火が出る。それは、テラツリが対策委員会の仲間だからだ。仲間に対して、無断で物事を進めるのは褒められたことではないし、巻き込まれた仲間にも止める権利はあるだろう。
だが、この世界のカヤツリは違う。対策委員会ではないし、仲間ではない。勝手に何かをやったところで、何故相談してくれないなどと、言われる筋合いもない。そこのところをシロコ・テラーは勘違いしている。テラツリとカヤツリを混同している。きっと先生もそうなのだろう。
恐らく、唯の一人も、カヤツリをカヤツリとして見はしなかったのだ。都合の良いレッテルを貼ってカヤツリを見た。その結果がご覧の有様だ。ケイの説明が終わってもきっと、結果は変わりはしない。
「カヤツリさんがしたのは、アビドスの上に、オンボスというテクスチャを貼り付けた。これだけです。これだけでは、ただの認識阻害が掛かるだけです」
「それで、皆は夢を見てるんでしょう!?」
「ある意味ではそうです。この状況。アビドスがオンボスに置き換わり、借金などなにもなかった。それだけがそうなんです。起きた事実は変えられず、辻褄が合わなくなれば瓦解する。その程度の物でしかないんですよ」
まだ、シロコ・テラーは意味不明の顔をしている。ケイはため息をつきつつも、言い方を変えてくる。
「元々ある学園都市キヴォトス。その上のアビドス。そこにオンボスという布を被せてあるんです」
簡単に言えば、見られたくない物に覆いを掛けて隠している。その覆いはとても出来が良く、見ているだけでは分からない。
「布を被せているだけですから、元の形と大きく違えば気がつきますし、説明がつかないならボロが出る。ましてや、学園と言う形態からは外れられない。それを認識する側には何の手も出されていないんです。アビドスの皆さんは気づこうと思えば、気づくことが出来る状態です」
しかし、それだけだ。覆いの下にある物を隠せても、見ている人間の思考は弄れない。覆いの下から何か音がすれば怪しまれるし、変な匂いがすれば不審に思う。形が違えばバレてしまう。たったそれだけにすぎない。そして、気づかないということは、そういう事なのだから。
「そんな……じゃあ、皆は洗脳されてるんじゃないってこと?」
「そうです。彼女たちは前提の過去を書き換えられた。それだけなんです。ですから、あんなことになる」
ケイは苦虫を嚙み潰した表情になった。
「対策委員会。生徒会組織としては妙な名前です。何の対策をするのかが分からない。そして、あの活動内容は、生徒会組織の活動ではありません。ですが、気づかない。それは、アビドスの皆さんにとっては普通の事だったから。だから、対策委員会と言う名前は変えられない。アビドスの皆さんにとって対策委員会とは、今の映像のような場所なんでしょう。全員が夢見た場所なんです」
そう。オンボス高校が大きな高校だと言うのなら、あんな暇はないはずだ。テラノはそれを知っている。それはテラツリが居たからだ。テラツリが居てくれたから、テラノや、シロコ・テラーは学校運営での生徒会の仕事がどんなものかを知っている。
でも、この世界の対策委員会は知らない。カヤツリが居ないから、そんな仕事をしたことが無いからだ。唯一アヤネが気づきそうではあるが、そこは依頼と言う事務作業をやらせて誤魔化しているのだ。
よくよく考えれば、違和感はある。けれども気づかない。いや、気づきたくないのだ。誰だって心地よい夢はずっと見ていたいものだから。違和感を辿って、真実を見つけ出すなんていう面倒な作業はしたくない。掃除機や冷蔵庫の調子が悪い位で、世界を疑うなんてことはしない。掃除機が空を飛んだり、冷蔵庫が泳いだりする。そんな異常があって初めて、世界を疑うのだ。
「じゃあ、皆は、望んであそこに居るの……?」
「そうだよ。シロコちゃん。幸せそうでしょ?」
テラノは、オンボスに手を出すつもりはなかった。手を出す権利もない。あれはこの世界のカヤツリの最後の夢。それを壊したくはないのだ。
「……でも、向こうのホシノ先輩は違うでしょ! カヤツリ先輩に会いたいはず!」
「会ってるよ」
「何言ってるの!? 会ってない! 会ってるのはノノミだけ! ホシノ先輩は!」
「会ってるんだよ」
同じ答えしか返さないテラノに、シロコ・テラーは苛立ってきた様子だった。声のボルテージが上がっていく。
「会ってるのは、梔子ユメ先輩でしょ! カヤツリ先輩なんかじゃ──」
「アレはカヤツリだよ。外見は兎も角、中身はカヤツリ。カヤツリが喋ってる」
シロコ・テラーの声が止まった。信じられない目でテラノを見ている。テラノとて信じたくないが、現実は変わらない。
「起きた事実は変わらない。だったら、ユメ先輩の死だって変えられないんだよ。それが出来るんだったら、カヤツリだって自分のコピーを生徒代わりに配置なんかしないからね」
幾ら認識を変えたところで、起きた事実は変わらない。ユメ先輩が遭難したという事実が、アビドスは衰退しなかったという覆いで無くなっても。ユメ先輩は死んだのだから。死者は生き返らない。過去は無かったことにならない。それはこのキヴォトスの絶対の法則だから。
「向こうの私の望みは分かるよ。なにせ、おじさん自身だからね。きっとカヤツリとおんなじ。昔に戻りたいんだよ。ユメ先輩が居て、カヤツリが居た。そしてシロコちゃん達が居る。ユメ先輩が死ななかった地続きの未来が欲しいんだ」
自分で言って、テラノは悲しくなってくる。それは絶対に叶わない夢だから。カヤツリはホシノの願いを叶えられない。だから、あれは妥協なのだ。
「幾らカヤツリでもユメ先輩を生き返らせれない。かといって、コピーも出せない。相手は向こうの私だから、生半可な出来じゃ見抜かれる。なら、自分でやるしかない。ユメ先輩と一緒にいた時間は、私とそう変わらないはずだからね」
それを思うだけで、テラノは苦しくなる。どんな気持ちで、ユメの幻影を被って話しているのか。想像もしたくなかった。到底、愉快な気持ちでやっているとは到底思えない。だって、カヤツリが夢見たその場所には、カヤツリは存在しないのに。一体どんな気持ちで、休む間もなく矛盾点を消しているのだろう。毎日毎日、自分が居ない儚い砂上の楽園を維持するために奔走し続ける。それでは昔と同じだ。
「それで? シロコちゃんはどうしたいの? カヤツリの夢を壊しに行くならやめた方が良いよ? 最悪殺されるから」
「それは、私の事を知らないから……」
「違うよ。シロコちゃんが居なくても構わないからだよ。カヤツリが大事なのはこの世界のシロコちゃんで、私の知ってるシロコちゃんじゃないからね。そうすれば良い見せしめになるでしょ?」
とうとう、シロコ・テラーは黙り込んだ。それでも、テラノは言わなければならなかった。
「カヤツリは多分分かってる。先生が生徒を大事にしてるのを。だったら、殺しても大丈夫な人を殺すよ。邪魔をするなら絶対にやる。もう、手段を選ばない。選べる状態じゃない」
「……それは、私の所為?」
ようやく、先生が声を出した。表情は沈んでいて、どうすれば良いのか分からないのが見え見えだ。だが、テラノはどうすれば良いかなんて言うつもりは毛頭なかった。
「一部分はね。不知火カヤと羽沼マコトだっけ? その二人の下らない企みと、先生の対応が止めなのはそう。でも最初は違うんだよ」
「最初? 何を……」
「もう、駄目なんですね? もう反転してしまった? もう耐えられないんですね? 神秘の大元が漏れ出てきている」
ケイは分かったのだろう。目を伏せている。ただ少し違う。
「それは、シロコと同じって事?」
先生の問いに、テラノは首を横に振る。そして安堵したのだろう先生に、釘を刺した。
「半分だけね。まだ、耐えてる。あの時からずっと耐えてるんだよ。多分、生徒でなくなった、あの時からずっと。シロコちゃんとは違って、色彩は関わってない。だから耐えられてる。でも、もう剥がれかかってる。テクスチャを弄繰り回せてるのが、その証拠だよ」
普通はテクスチャなど弄繰り回せない。でも出来ているなら、そういう事になる。ケイも神妙に頷いている。
「もう生徒のガワが機能していません。いえ、初めからでしょうか。なら、どうして……」
「契約だよ。黒服が契約で縛ってたんだ。あの契約はカヤツリとだから、アレが生きている限り、カヤツリはカヤツリを辞められない。勿論、カヤツリ本人の努力が大きいけどね」
そのことを思うだけで、テラノは胸が締め付けられる。きっと我慢したのだ。大事だったものを守りたくて耐えてきた。今の今までずっと。テラノだったら、言い訳の余地もなく焼き尽くしている。
「だから、私は協力しないよ。申し訳ないけどね」
「ホシノ先輩!? カヤツリ先輩は苦しんでる!」
シロコ・テラーが未だに食い下がるので、テラノは心を鬼にした。
「じゃあさ、どうするの?」
「ん! オンボスに行く。それで、ホシノ先輩達を正気に戻す」
「無理だよ」
予想通りの答えを、テラノは切って捨てた。
「カヤツリのコピーが至る所に居るんだよ? 一人一人がおじさんより強いのに、どうやって向こうのおじさんの所まで行くの?」
「それは、私が頑張る」
吐き出したいため息を飲み込んで、テラノはそれをスルーした。
「じゃあいいよ。全部、上手くいったとするよ。それで向こうのカヤツリはどうするの? まさかとは思うけど、放置はしないよね。今まで通りに悪い奴を倒して終わりじゃないよ。カヤツリをどうやって説得するの?」
なぜか、シロコ・テラーが息を飲んでいた。話の内容ではなく、何故かテラノの顔を見てだ。
「我慢して、我慢して我慢して。それでもまだこの世界に配慮してるカヤツリになんて言うの!? 方法は間違ってるからやり直しって言うの!? ただただ気に入らないから。そんな根拠のない不快感で全部を台無しにするの!? それじゃあ、あの二人と何が違うの!? 自分の都合で全部台無しにしたアイツらとさ! また我慢しろって言うの!? 大人なんだからって! それで、おとなしくこの世界から出て行けって!? 夢を見るのは終わりで、大人になれって!?」
先生も、ケイも、いつの間にか。テラノを見ている。ようやくテラノは自分が涙を流している事に気づいた。声も随分と荒げてしまったようで、喉がひりひりする。
「……兎に角、おじさんは協力できないよ。大した理由もないんじゃね。……頼まれごとは終わったんだし、早く出て行って。寝てるカヤツリに悪いでしょ」
「ホシノ先輩! それじゃ、どっちのカヤツリ先輩も救われない!」
「いいんだ。ごめんね。邪魔をしたよ……」
先生は暴れるシロコ・テラーを止めて、ケイを連れて出て行った。足音と話し声が聞こえなくなるまで待って、テラノは大きなため息をついた。
「おじさんも、冷静じゃないね……カヤツリなら何て言ったんだろ」
ちらりと眠るカヤツリを見る。まだ静かな寝息を立てていて、起きる気配はない。というよりも、生徒判定されていないカヤツリが二人いるせいで起きれないのであるが。
「全く、ホントにこっちの世界のおじさんは……」
余りの体たらくに、異世界の自分とはいえ、呆れが先に来る。気持ちは自分自身だけあってよく分かるが、幾らでもチャンスはあった。恥もプライドも投げ捨てて、カヤツリに泣きつけばよかったのに。
「酷い顔だったねぇ……おじさんたちを助けてくれたカヤツリはさ」
本当に酷い顔だった。暴れるテラノとテラツリの一体化した黒い鳥。それを一人で倒して、テラノとテラツリに分離させた時の顔は。
──今更……今更こんなものを見せられるのか。
苦々しくも、安心したような。そんな複雑な表情だった。それでも、二人を背負ってアビドス高校の校庭まで運んでくれたのだ。最後に、テラノを見る目は名残惜しさしかなかった。
テラノを助けるのは、最初からそのつもりだったのだろう。そもそも暴れていたのは、地下生活者とか言うのがちょっかいを掛けてきていたからだ。当の地下生活者は、暴走するテラノの攻撃で炭になった。分離中に干渉してくるから、無意識で眼を使った反撃が直撃したらしい。
地下生活者は黒服が何とか言っていたから、きっと黒服が誘導したに違いなかった。あの異常な能力からして、カヤツリの妨害は出来るだろうから。計画の障害を潰したのだろう。
きっと、それだけではない準備も沢山しているはずだ。それだけの熱量で、カヤツリはアビドスを救うつもりだった。それだけが、此方の世界のホシノと居られる方法だった。
今のカヤツリは半分反転している。きっかり半分と言うのではない。ちょっとの刺激で爆発する爆弾のようなモノだ。爆破する直前に意地で戻っているだけ。例えるなら、目盛りが最大値の百に行く直前に踏ん張っている。常時八十か九十の目盛りに居るのにだ。
つまり、少しの刺激で爆発する。ホシノに関わる事でその刺激は大きく増えるだろう。そんな爆弾が好きな人の傍には居られない。それもカヤツリが抱える神秘はセトだ。爆発したが最後、ホシノを殺してしまうだろう。それはカヤツリが何より恐れる事だろうから。
そして、それは失敗してしまった。テクスチャを使うなら、カヤツリはもうホシノの前に姿を現す気はない。その状態では、ホシノを嫌いになってしまうから。殺したくなってしまうから。セトはホルスを殺して、殺されるものだから。
もうカヤツリは、カヤツリとして表に出てこれない。する気もないのかもしれない。楽園の固定が終わったが最後、ここから居なくなるのかもしれない。カヤツリだけは、全員が夢を見る為に起きている。カヤツリだけは夢を見られない。いつか、自分が限界を迎える前に退場するだろう。
「……邪魔は出来ないよ」
テラノが出来るのはこれだけだ。カヤツリの楽園を邪魔しないことだけ。それを撤回するには、それなりの理由が居る。
例えば、この世界のカヤツリを助けるとか。ただ、それは困難を極める。オンボスへの侵入と対策委員会の救出は絶対条件であるが、その場合は怒り狂ったカヤツリを何とかしなければならない。そんなカヤツリと会話を成立させられるのは、この世界のノノミとホシノだけ。
だが、その二人を引き戻すのにはカヤツリを突破しなければならない。何処かの黄金鳥と魔法の剣の話と同じという訳で不可能だ。
「先生が、ああじゃねぇ」
先生が居れば何とかなるかもしれないが、あの調子では駄目だろう。道を完全に見失っている。答えをテラノに頼るようではいただけない。
ただこの感想も酷だ。先生は生徒を導くもの。この事態を解決するための願いを発せられるのは対策委員会だけだ。その対策委員会は幸せな夢の中だから、どうしようもない。
テラノとしても困ったところではある。勿論、この世界の自分とカヤツリには幸せになってほしい思いはある。そのための方法も、カヤツリと一体化したテラノは分かる。
ただ、そのための導線が無い。少なくとも、カヤツリがそうしたいと思わなければならないのに、その道が悉く寸断されている。
「ん? シロコちゃんから?」
とりあえずと、先生が置いて行った新品の携帯電話。それが振動していた。画面を見ればシロコ・テラーからで、テラノは渋い顔になる。
経った時間から考えれば、今頃シャーレに着いた時分か。またぞろ何か思いついたのかもしれない。
「もしもし? あのね。シロコちゃん。私は」
『今すぐシャーレに来て!』
説教もそこそこに、シロコ・テラーの大声がテラノの耳を貫いた。耳から電話を遠ざけて、聞き返す。
「どうして行かなきゃならないのさ……ちゃんと方法を……」
『これはホシノ先輩じゃないと分からないの! お願い。ホシノ先輩……』
「どういう事……え……?」
電話の奥から、シロコ・テラー以外の声が聞こえた。懐かしい、もう二度とは聞くことのないと思っていた声。あの情けない、ひぃんと言う声が。